2018年05月23日

English Settlement 2016 アンディ・ソング・ノート 3

「 No Thugs in Our House 」 
アンディ: 
 私の楽屋のパーティーでの演し物の一つは、ジョニー・ウインター・スタイルの「反逆の雄叫び」だったのだ。何れ程の大声で何れ程に声を伸ばせたのか? 不安定なPAシステムを数年間使った御陰で、私の肺は鞣し革の様に成ったのだった、それに、ステージの後のビールと少々の刺激があった。小さなジェットが離陸する音と殆ど変わりのない騒音を私は出し得たのだ、為に、世界中の更衣室を空にしてしまった。理由はよく分からないのだが、私はその叫び声を抑制させてこの歌に使うことを選んだのであった。その時には、これが相応しいと思ったのである、その理由を読者諸氏に語ることは出来ない。 

 音楽上のことでは、「 Summertime Blues 」をアコースティック・ギターで大きな音で掻き鳴らし速度を速めるとどうなるか、と言うことを考えていたのである。リハーサルでは、この歌は実に生彩を放っていたのだ。テリーのモータウン式パチンのフォービートで高くロブされて、デイブがフェンダーのリフでギャンギャン吠え立てて、コリンが咽喉をゴホゴホ言わせて打ち出すのである。不吉な小歌である、だが、間違いはない。これは、「瀟洒な」郊外の家庭へのホガース風訓話なのである[ 『放蕩一代記』放蕩一代記 - Wikipedia ]、自分たちの息子が右翼的フーリガンであることを知らない家庭である、彼らは息子が危険人物であることを自覚すべきなのである。我々は正したと私は考えている。良い家庭の人々と言うものは、全く以て非道な側面を秘密裏に持つ傾向がある、と言う極めて明らかな事を言うのである。一つの事実がこれを私に思い付かせたのではあるが、それは、バンドが使っていた弁護士の一人の助手の事なのである。一見では人好きのする礼儀正しい青年なのである。ある時その彼が私に告白したのである。土曜の午後に、強かに酔ってサッカーのグラウンドに傾れ込み血まみれの乱闘を始めるよりも楽しいものは何もない、出来ればそうする、と言ったのである。彼の週末は、少なくとも一人を病院に送らなければ終わらないのであった。彼が就いている高い地位の職では、「ばか」にブーイングは出来兼ねるのであった。 

 この不浄の騒乱劇の小品がシングルとして看做される筈のものだとされたのは、望外の喜びであった。無論、これは果無く消えてしまった。ではあるが、これは、束の間、ポロックの紙人形劇場のスリーブを纏い飛んだのである。私は、こうした素朴派のスタイルが真に好きなのである。それは変わらずにいる。つい先日、この様式の魅力的な歴史を纏めた、A. E. ウィルソン著作の『 Penny Plain And Twopence Coloured 』を一部手に入れたばかりなのである。[ Penny plain, twopence coloured; a history of the juvenile drama, (書籍, 1969) [WorldCat.org] ] 45回転シングルのスリーブの裏面にある詞書は、恰も、ヴィクトリア朝時代に広間で催されていた演し物の粗雑な一枚紙のリブレットを見る様ではないか。[ チョークヒルのアーカイブ: Chalkhills: Reel by Real: XTC: "No Thugs In Our House" ] 歌詞の「 Dad's a judge and knows exactly what the job of judging's all about 」では、謂わずもがな、リチャード・ブランソン、貴方を私は見ているのだ。 


デイブ:
 この曲は、私がロンドンからマーティンのギターを携えて帰って来たその夜に録音されたのでした。そうです、この驚嘆させられる楽器のマーティン・ギターのお披露目だったのです、少なくともテープの上ではですが。素晴らしいエディ・コクラン[ エディ・コクラン - Wikipedia ]風のイントロはアンディが奏でています。それに対して、テリーはモータウンの薫りのするビートで応えています。コリンは自分の1959年製P. ベースを使っています。仕上げには、何かノイズが必要だったのです。私は、ストラトキャスターの低音の二本の弦を使って暴漢風なギターのリフを考え出していました。しかも、ストラトキャスターを非常な大音量のマーシャルのベース用アンプに繋ぐのです。私たちは、ストラトキャスターとマーシャル・ベースアンプをストーン・ルームに設置して、ドラムのテイクを再生しながら、録音を始めたのです。何と言うことでしょう、大音量でそこには立っている事も聞くことも出来ない程でした。こうして、私は、ガラスのドアを密閉されたストーン・ルームで追加のバッキング・トラックを重ね録りしたのです。( 今に至って、私は、キドリントンとウッドストックの住民の皆様に眠らせなかった事を謝罪いたします。 ) それは、岩隗の様に巨大だったのです。酷い事に、それは、ミックスの段階で去勢されてしまいました。アルバムからは、三枚目で最後のシングルでした。 
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2018年05月22日

『 Wasp Star 』記念日

 XTC は、2000年5月22日、アルバム『 Wasp Star 』をリリース、今日は記念日。18年前。 

Chalkhills: XTC: Wasp Star (Apple Venus Volume 2)  

5月2日には、クリントン、アメリカ合衆国大統領が、GPS の非軍事への利用を無制限にすると宣言。 

5月28には、イギリスの数学者、Donald Davies ドナルド・ワッツ・デービスが死去。1924年生まれ、享年75。コンピューターのパケット通信を考案した人。 

翌日、23日に、Eminem エミネムが『 The Marshall Mathers LP 』をリリース、大ヒットに。

『 Wasp Star 』は、Billboard 200 で、108位。  



上の記事は、去年のと同じ。


日本盤は、ポニーキャニオンから、フォーマットが HDCD で、5月17日に、先行発売。 

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2018年05月19日

アンディ・パートリッジの新作かもしれない

 アンディ・パートリッジがTwitterに「 Been signing postcards, lots of them, 」とコメント。 
これは、バーニング・シェッドからのものだろうけれど、サラウンド・シリーズの次のアルバムか、ソロ作か? 

https://twitter.com/xtcfans/status/997796869894963200 

 でも、ラモーンズの名前を挙げていると言うことは、、、ソロ作にはカバー曲を入れていると言うことだから、あるいは、ラモーンズのカバーなのか?
 追記: でも、暫く聞いてなかったと書いてるから、、、
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The Monochrome Set 「 Maisie World 」訳

 モノクローム・セットの14枚目のアルバム『 Maisie World 』の中の「 Maisie World 」の訳。 

内容は理解出来ないのだけど、歌詞カードを基にして: 


知り合った時、彼は、美丈夫だった。 
長身で優雅で、眸には耀きがあった。 
今や、彼は、禿げ上がり、精根も尽き果てて、
星のない空の下、暗鬱な聖書に屈服している。( Bible black starless ) 
右の臀部はペチペチ鳴り、左の膝はカチカチ鳴る、 
補聴器はラジオの音を受けている、 
彼は、ベッドの上でガチャガチャ鳴っている、古びたスパナ類が入った袋の様に、 
そして、鼾をかいている、バッファローの様に。 

( 彼の内面 ) 
こちらは、メイジーの世界、 
彼女は可愛いまま、可愛い少女のまま。 
「ああ、メイジー、僕は変わらない、 
ずっと、愛している。」 

私たちの空想は遭遇し、触れ合い、そして別れ別れに流された、 
私たちの現実は引き摺り回り、綿ぼこりを上げている、 
私たちの希望は混乱の直中で、違うソックスを着けている、 
そして、私たちの悪夢は憤慨の中に取り残される。 

こちらは、メイジーの世界、 
彼女は可愛いまま、可愛い少女のまま。 
「ああ、メイジー、僕は変わらない、 
ずっと、愛している。」  

この人生は良いところなどちっともない、 
天国の絵の中で言われている様なことは少しもない、 
だから、修道士だか司祭だかから、あるいは、混淆野獣から 
人生を取り戻したい。 

こちらは、メイジーの世界、 
彼女は可愛いまま、可愛い少女のまま。 
「ああ、メイジー、僕は変わらない、 
ずっと、愛している。」  

ずっと愛している。  





Maisie は、1945年から1947年に放送されたアメリカCBSのラジオのコメディドラマのヒロインだと思う: 
The Adventures of Maisie - Wikipedia 





歌詞は: 
Maisie World

When I met him, he was a handsome man
Tall and gracefull, with a twinkle in his eye
Now he's bald and burnt out, bending
Bible black beneath a starless sky
His right hip clacks and his left knee clicks
His hearing aid picks up the radio
He clatters on the bed like a bag of old spanners
And snores like a buffalo

This is a Maisieworld
She's still my sweet, sweet little girl
Oh, Maisie, I am true
And still love

Our fantasies met, kissed, and drifted apart
Our reality shuffles around picking up fluff
Our hopes are in a muddle, with the wrong socks on
And our nightmare's left in a huff

This is a Maisieworld
She's still my sweet, sweet little girl
Oh, Maisie I am true
And still love

This life is nowhere near as nice
As suggested in the paintings of paradise
So I would like a refund from a monk or a priest
Or an amalgamated beast

This is a Maisieworld
She's still my sweet, sweet little girl
Oh, Maisie I am true
And still love

I still love

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2018年05月17日

Fundraiser Andy Partridge

 ロンドンの子供の為の病院、グレートオーモンドストリート Great Ormond Street Hospital 病院の基金を調達しているアンディ・パートリッジと言う人物がいるのだけれど、これは、私が知っているアンディ・パートリッジとは別の人だと思う、、、
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きょうはそんな日だったんだ: アンティキティラの機械

 1902年5月17日、考古学者 Βαλέριος Στάης バレリオス・スタイス は、1901年にアンティキティラ島近くの海底の難破船から引き上げられたものが機械の一部であると気が付いた。それが、アンティキティラの機械と Μηχανισμός των Αντικυθήρων 言われるもの。 


なので、、、XTC『 Black Sea 』

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『ワスプ・スター』記念日

 2000年5月17日に、日本のポニーキャニオンは、XTC のアルバム『ワスプ・スター』を先行発売、今日は記念日。18年前。

この日には、レミオロメンのアルバム『 HORIZON 』がリリース。日本でダブル・プラチナ。
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2018年05月16日

English Settlement 2016 アンディ・ソング・ノート 2

「 Jason and The Argonauts 」
アンディ: 
 さて、『リップリーの「信じようが信じまいが」博物館』[ Ripley's Believe It or Not! - Wikipedia ニューヨーク Ripley's Believe It or Not! 博物館 ]の類いである。コーラス部分のメロディは、( 少なくとも、私の頭中ではそうなのである、 ) カーク・ダグラス Kirk Douglass 主演の1958年の映画『 Vikings 』[ The Vikings (1958 film) - Wikipedia ]のテーマを元にしているのである。簡単に調べただけだが、音楽を書いたのはは、マリオ・ナンシベーネ Mario Nascimbene と知れた。さて、つい前日、映画を観た時以来久方ぶりにそのテーマ音楽を聴いたのであるが、「 Jason 」は全くそのテーマ音楽とは似ていないとの結論に至った。如何様にして、私は、これ程までに違えてしまったのであろうか? とは言え、映画『 Vikings 』から私は良い曲を得たのだ。私の脳は、或いは、呼び出し音の配列が間違っているのかも知れない、または、非常に遠方の海岸を「召還」する感覚があってこの様にしたのかも知れない。映画『 Jasnon and Argonouts 』[ Jason and the Argonauts (1963 film) - Wikipedia ]は、殆ど関係してない。少年時代に特に好んだ映画ではあるのだが。 

 この歌により、我々は、「旅行」の歌を演目の内に持つことと成った、それは間違いがない。英国の安心して居られる地域から遠出をした結果なのである。この者、スウィンドンの公営団地に住まいする卑小な鼠は、1977年に初めて海外に渡航した折には、アムステルダムの郊外に有るホテルのホテルの一室をコリンと相部屋にしたのだが、目覚めた時、クリスマスの日の子供の様に、己の目を信じ得なかったのだ。アムステルダムは、我々の為に、風車を設えてさえいたのだ。それ以来、回遊は全地球に拡大されていった。アメリカ合衆国、日本、オーストラリア、ニュージーランド、…、それにそれに、止めどなく。私は数年の間に純真さを盗まれてしまっていた。詰まりは、愛用のギター、アンプ、エフェクトペダルやものものを盗まれたのだからだ。脱線してしまった。そうなのだ。ワールド・ツアーは、己の心を押し広げることは確かだ、更に、マネージャーの預金残高を押し上げることも確かだ。 

 バンド内に於いては、この歌の題名は「 Jason and Chintzy 」と成った。グループ所有のバンに雑然と放置されていた卑猥な雑誌のポルノ俳優から採られた名前である。chintzy チェンシー、この可哀想なギャルは、ブロンドの鬘を被ったレス・ドーソン Les Dawson [ イギリスの喜劇男優。1931年生まれ、1993年没。1970年代のテレビで、Cissie and Ada と言う老婆の役が有名。Cissie and Ada - Wikipedia ] に似ていた。我々全員が、何れ程にイアソンの「 membrum vitae [ ラテン語: 活気有る肢 ] 」に驚嘆したことか。その意図、用途はまるで交通信号のようであった。一番上は、生き生きとした赤。その下には、具合の悪そうな黄。一番下には、酷く不健康な薄緑なのである。ポルノダイエットの安全副作用症? 

 録音は頗る愉快で、驚く程に容易で一度で閘門を開き轟く波に乗ったのである。テリーの一閃の八拍目のスネアは、彼と私が作ったのであるが、二人共が好んでいたストーンズのチャーリー・ワッツの「 Street Fighting Man 」での打ち方の感覚を手本にしたのである。その一打ちは、曲を押し進めるのである、そして曲は進行を休むことがないのである。宏大な大西洋を表する中間部は楽しい。だが、それ以上に、催眠的なのである。如何様にしても宏大な外洋を表現したい、海原の波を表現したいと思案したのであるが、ヒューは茫漠としたサルガッソ海を省いてコーラス部分に入る様に我々を説いたのである。古代の水夫と同様に、我々も、我々を魅了して来る蒼碧の広がりの中で神隠しに会わんとしていたのである。繊細で目を眩ませる様々なギターの音形、私が歌っているその声は、あちらこちらで多重化され、1ファゾムの深さのリヴァーブとフランジの波に洗われているのである。今これを聴くと、私は、曲全体が何とサイケデリックなことかと驚くのだ。誰がデューク達をここに連れて来たのだ? パチョリの匂いがする…、ニシンも! 

デイブ:
 私の好んでいるXTC の五つの歌の一つです。リディアン・モードのラーガ・ロックへのちょっとした冒険でした。アルバム『 Black Sea 』の「 Travels in Nihilon 」を生み出したのと同じ素材なのです。歌詞のテーマもやはり似ています。テーマは探求者なのですね。発見の旅の途上で、あらゆる風俗の陰鬱で醜悪な真実を暴いて行くのです。水夫のテーマは、リヴァーブやディレイを使ってギターの音が海の中で水が跳ね返っている様に聴こえると言うとても「湿った」ミックスに依って増幅されています。アンディは、私のギブソン ES-335 を弾いています。ネックのピックアップのコイルを一つだけ使って、それを直接ヘリオス社のコンソール・デスクに繋いでいるのです。それと同時に、ゲオルグ・ノイマンのコンデンサーマイクをギターの共鳴室から1インチだけ離して設置してアコースティックな信号を捉えたのです。コリンは、直前に入手した、1959年製フェンダーのプレシジョンをアンペグ社のアンプ SVTを使って弾いています。私はリッケンバッカーを弾いているのですが、ステレオに別れている線を、ギターのブリッジの所のピックアップの信号はハーモナイザーを通して直接にコンソール・デスクに繋いでいるのです。テープの速度を落として録音しています。最後の部分では、ギターは半分の速度で録音しました。後から、アンディが、シンセサイザーで「法螺貝」ホーンを入れました。プロフィット V で作ったものです。 
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2018年05月15日

きょうはそんな日だったの: L. Frank Baum

 1856年5月16日に、L. Frank Baum ライマン・フランク・ボームが生まれる。162歳。 
 『オズの魔法使い』が発表されたのが、1900年5月17日。 これって、実はロック・ミュージックの源流かも。 

 なので、XTC『 Nonsuch 』。
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2018年05月14日

「 No Thugs in our House 」記念日

 1982年5月14日、XTC は、シングル「 No Thugs in our House 」をリリース。今年は36周年。 
Chalkhills: Reel by Real: XTC: "No Thugs In Our House"  

 XTC はその前の月の4月3日のライブを最後に、アメリカ・ツアーをキャンセルして帰国していて、Fujimoto『クロニクル』に依れば、5月1日には、コリン・モールディング一人がBBC1のテレビのクイズ番組に出演していて、( その番組では、ビル・ブラッフォードのチームが優勝。 ) 5月3日には、BBC1の音楽番組で、3月に撮影された「 Ball and Chain 」が放送されて、司会の Noel Edmons が3月のパリのステージでアンディ・パートリッジが倒れたことを公言して、、、、 

 当時のイギリスのリスナーたちはどういう風に、シングル「 No Thugs in our House 」を受け止めていたのだろう? ツアー中止事件後最初のシングルだけど。 
 私自身がツアーの中止を知ったのは、いつ頃なのだろう? 次のアルバム『 Mummer 』が出てからだろうか? 雑誌のインタビューで、泊まった安宿で、売春の摘発があって、銃を持った警官が傾れ込んで、他のたぶんアメリカ人の宿泊客たちが直ぐ様床に伏せるのに、一人ぼーっと立っていた、と言っていたのを読んだのは、その頃だったのか??  

 XTC は、8月には、スウィンドンのMechanics Institute theatre で次のアルバムのリハーサルを始めているけど。  

 その頃のイギリスのヒット・チャート1位だったのは、その年のユーロ・ヴィジョン優勝曲の西ドイツの歌手 Nicole の歌う「 A Little Peace Ein bißchen Frieden 」。
Ein bißchen Frieden - Wikipedia 
この年のホストは、イギリスでBBCだけど、これは、画面にorf と見えるからオーストリア放送協会のものだと思うけど?? 
https://www.youtube.com/watch?v=S1ecsnjaECQ  
ブリテンからの参加曲は、 Bardo が歌う「 One Step Further 」 
https://www.youtube.com/watch?v=SuGPWE1UifI


以上の記事は、去年と同じ。
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2018年05月13日

Maisieworld

 きょうは、TC&I の『 Great Aspirations 』を繰り返して。 
とても優しい音で心地いい。

 それで、モノクロームセットの新しいアルバム『 Maisieworld 』のアルバムタイトルと同じタイトルの「 Maisieworld 」を訳そうと思って、もう随分前から眺めてるけど、意味が分からない、、、
 『 Platinum Coils 』から、病気/死のことをテーマにしていると思うのだけれど、それで、「 Maisieworld 」もそうかなと思うのだけど、、、
 モノクロームセットの歌を自分で訳したのは、『 Trinity Road 』の中の歌からだと覚えているけれど、もっと前から、『 Strange Boutique 』から読んでみないと、分からないか知ら、、、 
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ちょっとメモ: ブーレーズ/ケージ往復書簡

 『ブーレーズ/ケージ往復書簡』   ( 書籍 ) 
J.J.ナティエ/R.ピアンチコフスキ編
みすず書房 

現在、サーバーのハードウェア障害のため、Webcat Plusの全サービスを停止しています。
復旧までには数週間かかる見通しです。ご不便をおかけしますが、
ご理解とご協力をお願いいたします。  

ブーレーズ/ケージ往復書簡:みすず書房 

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2018年05月11日

Tin Spirits のライブ

 この週末、5月12日にフェスティバル Trinity に出演を予定していた、グレゴリーさんのバンド Tin Spirits だけれど、ヴォーカル、ベースのマーク・キルミンスターさんが扁桃腺だそうで、出演は取り止めになったそう。 
 このステージでは、新曲の三曲も演奏する予定だったので、残念。三枚目のアルバムは、年内にリリースされるだろうか? 

 一方の、Big Big Train は、昨年のライブをアルバムとしてリリースするし、シングルも出るし、ライブは、Blu-ray にもなるし、それに、今年のステージも予定されているし、グレゴリーさんは多忙なのだろう。でも、身体には気をつけて欲しい。 


 それで、アンディ・パートリッジのソロ作はどうなっているのだろう?
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2018年05月09日

English Settlement 2016 アンディ・ソング・ノート 1

「 Senses Working Overtime 」 
アンディ: 
 書いている時にはシングルになることを念頭に置いていてそれに出来た時にもシングルになるだろうと幾分かは自分で思っていたにも拘らず、ヴァージン社がこれをシングル候補に挙げた時には、私は驚いたのだった。「寄せ集め」の様な纏まりを欠いた感じが可成りするのではないか、失禁を患った患者の様に、展開[ movement ]が多過ぎるのではないか? 何と申し上げるべきか…、音符が多過ぎるのではないでしょうか? しかし、会社はそれを選んだ。そう、私は面喰らったのだ。私が元からそう言われてシングル用に書いたのだったとは思わない。 

 シングルとして私が書いたと言うのは、「1,2,3,4,5」の部分を言うのである。読者諸氏には出来ればこの様にご想像頂きたい。時は、1981年である。スウィンドンの空き店舗の上の階に二部屋がある、その中の階段の取っ付きの部屋である。バンドのステージ活動の合間の数日を次の作品を書く為にやっと確保出来たと言う日だった。私の心中では、次の様な対話が行われていた。「必死に書けばシングル用の一曲が書けなくはないのじゃないか、アンディ? 簡単なフレーズと言うのは、覚え易いフレーズと言うのは? 数える歌は大抵が分かり易い。マンフレッド・マンの「 54321 」の様にだ。あれはキャッチーだった、それなら、僕も、その辺にある数字を入れてしまえば良いだろう。さて、何を歌おうか、五つのもの、そう、指か? いや、親指がちょっと問題だ、五つのもの…、「五感」! これだ!」 

 勿論、最初から全部揃った形で思い付いた分けではない。中世的なイントロ及びヴァースは間違いで出来たのだった。Eのコードに上げる意図だったのだけれど、注意をしていたなかったので、間違ったのだ。E♭に似た和音になったのだった。私には、その和音の大地的な感覚が好ましかった。鋤で畑を耕している様を思わせたのだ。それが、歌詞の大部分を齎すことになる。つまり、和音に聴き取ったイメージを私は言葉に叙述するのだ。何を聴き取ったか話すこと、それが歌詞になるのだ。AからAsus の部分がこれに繋げられた。歌詞の「 and all the world is football shaped 」の所、Who 風の部分だ。そこは、別の歌、「 The Wonderment 」と言う題名を付けていた歌だが、そこから一部分を切り取って来たのだった。私は、それを「 Senses 」に入れて、ヴァースからコーラスへしたのだった。他の部分は、「 Tissue Tigers 」になった。アメリカ先住民がバッファローを扱うのと同じ様に、パートリッジのテントでは、無駄なものは一つもないのである。 

 これを聴くと、デイブは失礼にもこう言ったのだ。「パーチィ、これは、「 All Too Much 」を書き直しただけだね。( ジョージ・ハリスン作のビートルズ・ナンバー )」 彼は、壷を押さえていた、文字通りにである。善いものも悪いものも、人生を作り上げる感覚、その全てに於いての正に大食だったのだ。その日の午後、この歌の誕生を自分のボールペンで慌ただしく走り書きした時には、私はその事には気が付かなかったのだ。Apple社の顧問弁護士は、気付くことはなかった。「 Sorrow 」の様ではなかったのだ。[ The Merseys の1966年のヒット曲。ビートルズの「 All Too Much 」の一部がこの曲の冒頭のメロディに似ている。The Merseys - Sorrow (Vinyl) at Discogs この曲は、前年の1965年にアメリカのグループ、The MacCoys がアルバム『 Hang On Sloopy 』で発表した曲。Hang On Sloopy (album) - Wikipedia ] 

 レコーディングについては覚えていることはごく僅かだ。精神的傷害を負うこともなく完遂したようである。テリーは、またもや、ドーンと言うレゲエ風バス・ドラムを三拍目に入れている。恐らくはである、ポリスに伴って丸一か月ツアーを行ったことは、我々が思うよりもずっと深く影響しているのであろう。デイブにとっては、この歌は、他でもなく、リッキー12ストリングをビンビンと鳴らすことに主眼があるのである、これを録音したかったのだ。それにしても、何と言うすごい音だ。この者、グレゴリーが素晴らしいバロック様式の織物を編んだのだ。コリンはフレディー・フレットレスだ。それにそう、この曲で彼の奏でる音は素晴らしい、海鳥が急降下する様に滑り落ち潜るのだ。リズムには忠実なのだがメロディアスなのだ。また、我々は、第2ヴァースでは、民衆的なボートの漕ぎ手と成って、「 di di di di di [ 第2ヴァースのダイ/ダイ/…と言う低い声のコーラス ]」と言うバッキング・ヴォーカルを吹き込んだ。コリンは、これを捩って「 Lady Di di di 」と歌って、皆を笑わせたのだ。 

 この歌をシングルとしてリリースする際には、( 私が驚いたことには ) ヴァージン社は、想定される「ラジオ用尺」に戦々恐々となり、中間部のカプレットの一つを切り落としたのだ。何故だかは私には分からない。こうした長さへのヒステリー症は、他のレーベルでは起こってないのだ。クイーンの「 Bohemian 」、ブームタウン・ラッツの「 Mondays 」も両方共に時間の長いシングルである。[ 「 I Don't Like Mondays 」: I Don't Like Mondays - Wikipedia アルバム版は4分19秒、シングル版は3分47秒。クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」は5分55秒で違いは殆どない。 ] 何故に、我々は、ヴァージンの精管切除術を受けなければならなかったのか? 削除された行は、「 buss skidding on black ice 」の辺りであった。嗚呼、噫、よく覚えている。そのカプレットの次には、短い挿入が脇からのバッキング・ヴォーカルで入る所だ。その挿入句は、「 England's glory / a striking beauty 」である。これは、勿論、有名な銘柄のマッチのことであり、あるファンが書いた「 England's glory......STRIKING ME 」とは違うのだ。そのファンは、この部分は、スタジオでアンディが切り倒された所だと言うのだ。それ故に、それ以降のツアーが出来ないと。違う…、私はそう書いてない。ポールは死んでいる、あまりにも明白だ。 


デイブ: 
 当時、私たちは予想もしていなかったのだけれど、1982年1月にリリースされたこの歌はアルバムをチャートに送り込んだのでした。歌と言うものは、その時の流行からそう遠くへ離れて行く分けにはいかないものだから、この歌の様な地味なイントロダクションの歌は、人間の本質に信仰を取り戻させる様な仕方で、聴衆の関心を惹いたのでしょう。素晴らしい歌です、バンドの全員がこの歌では卓越した演奏をしています。そして、これ以降何年にも亘って、この歌がバンドを永らえさせたのです。また、XTC の音楽の語彙に、12弦リッケンバッカーが入ったことを朗々と宣言している歌でもあるのです。私が演奏している部分は全部私が書きました。2011年に、オランダのコンベンション・センターに行ってマリリオンのステージに上がった時のことですが、この歌を演奏すると、3000人の観衆がコーラス部分を一緒に歌うのに、私はとても驚いたのです。多くの後追いの XTC ファンにとって、やはり、この歌は XTC への「入口」であるのです。 
[ 2011年3月26日 : Marillion Weekend 2011 Holland // 25 March - 27 March 2011 ]
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2018年05月05日

Alvin Lucier

 この最近は、音楽もYouTubeで聞くばかりで、、、 ほとんどは、ウェーベルンなのだけど、クラウス・フーバーもだけど、この一週間くらいかな? Recommended にアルヴィン・ルシエがたくさん上がってるので、それを聞いてる、 
例えば:https://www.youtube.com/watch?v=ufMRGTUJvJs 
 で、Twitterの検索に入れると、ブライアン・イーノのtweetが: 
https://twitter.com/dark_shark/status/992641087037554688 
 イーノが、ルシエの作品をリリースするのかなあ??? 
posted by ノエルかえる at 22:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Nigel Lawson

 2000年5月に行われた、Yoshiyuki Suzuk さんのコリン・モールディングへのインタビュー。 
Interviews -XTC- 

 この中に、非常に興味深い部分があるので備忘: 
「ただ僕はラッキーだっただけなんだよ。曲っていうのは最小限の言葉で最大限を表現することが何よりも大事で、それこそが強力な曲を作り出すコツだと思ってるんだけど……新聞の見出しから気になるフレーズを見つけることってあるよね? で、イギリスの首相にナイジェル・ローソンっていう人がいて、ある時新聞を開いた時に彼の記事を読んでパッと頭に浮かんだのが“メイキング・プランズ・フォー・ナイジェル”っていうフレーズだったんだ。」 
 他のところでは、この様な発言はないと思う。

 ただ、これをそのまま受け取るのには、少し疑問が残る。 
ナイジェル・ローソンは、1932年生まれのイギリスの政治家で、保守党に属している人。サッチャー政権下で幾つかの大臣職を務めているけれど、首相ではない( ここは単に間違っただけだと思う )。 
 そこで、ナイジェル・ローソンが大臣職に就いたのは、サッチャー政権での金融相が最初で、1979年5月の4日から。 
 『 Drums and Wires 』の録音は、1979年の6月なのだけれど、リハーサルは、3月の終わり頃。Fujimoto 『 Chronology 』では、その時に( 3月の終りから4月の頭 )、スウィンドンのスタジオで、「 Chain of Command 」「 Ten Feet Tall 」「 Helicopter 」「 Making Plans for Nigel 」の四つのデモ・テイクを録っている。ステージのセット・リストの記録では、4月21日のダブリンでのライブで「 Making Plans for Nigel 」はリストに入っている。 
 書かれたのは、1979年1月の北米ツアーの後、4月初めまでの間だと思う。ナイジェル・ローソンは1974年から国会議員だったのだから、新聞記事になったこともあるだろうけれど。歌が書かれたのと時期が合うのかどうかは不確かだと思う。 
 これまで、歌が発表された後に、「 Making Plans for 」と言うフレーズが新聞記事に使われた、と言うことは聞いていたけれど。
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2018年05月02日

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」8

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」1: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」2: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」3: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」4: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」5: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」6: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」7: ノエルかえる不恵留





ベルナール「そう仰るなんて、興味深いですね。私は、XTC のステージを生で見たことはないのですけれど、ビデオでは見ています。見た所、貴方は気持よく歌っている様ですし、歌手の役割が生まれつきであるかの様に思えるからです。」
パートリッジ「違うのです。当時、他の歌手を知らなかったのです。スティーブ・ハッチンス Steve Hutchins を首にした時ですけれど。彼はあまりに遠くに住んでいたので、私たちが要求を伝えようとしても連絡が取れなかったのです。それに、彼は最後までバンドに合うことがまるでなかったのです、それが理由でした。それで、「ああ、みんな、他の歌手なんて思い付かないよ。それで、誰が歌う?」となったのですが、メンバー全員の目が私に向けられたのです。それで私は、「何だって! 僕は歌えない、全然良い声じゃないだろ。」と言ったのですけれどね。こんなことを貴方はご存知じゃないですよね。」 
ベルナール「本当ですか? 私は長年貴方たちの歌を演奏しているのですが、貴方は良い歌手だと私は思います。」
パートリッジ「そうですねえ、何とかしてそれを身に付けなければならなかったのです。」 
ベルナール「モールディングさんはどうだったのですか?」
パートリッジ「コリンは、何度も拒否しましたよ。バッキング・ヴォーカルさえしようとしませんでした。「曲中で歌う様なことになったら、辞めることになるから。」と言っていました。」 
ベルナール「今では、お二人共に、よく知られた歌手であるのですね。」
パートリッジ「そうなのでしょうね。でも、他の歌手を見つけられなかったと言う理由でだけなのです。独立している歌手には、大抵、ある評判が立っていますからね。目立ちたがり屋と言う評判ですよ。」 
ベルナール「バリー・アンドリュースさんのキーボードは、XTC の初期の音の大きな要素でした。この歌では、それがよく表れています。」
パートリッジ「私は、彼のクルーマー・キーボードの音が大変に気に入っています。他のバンドで、あの様な音は聴いたことがありませんでした。例えば、この歌での場合、歌詞の「 ba-ba-ba-ba-battery brides 」の後に、彼がキーボードで入れる短い走句が大好きです。それに、可笑しな音楽の引用も入れるのです。「 I'm Getting Married in the Moring 」のメロディをそこで弾いてますよ。[ ミュージカル『 My Fair Lady 』の中の「 Get Me to the Church on Time 」 Get Me to the Church on Time - Wikipedia ] それに、メンデルスゾーンのウエディング・マーチ[ Wedding March (Mendelssohn) - Wikipedia ]の何所かもです、私の記憶が正しければですけれど。 
 このアルバム、もうずっと聴いてなかったのです。今、しっかりと聴こうとしている所なのですよ。」 
ベルナール「うわあ! 『 Go 2 』鑑賞協会発足ですね![ Appreciation Society ]」
パートリッジ「そうそう、ヴァージン社が私に、マッシュアップ・スタイルの三枚組のアルバムを送って来たことを、貴方にお話しておかなければ。『 Trip Tych 』と言うタイトルで、レモン・ジェリー Lemon Jelly のフレッド・ディーキン Fred Deakin が作ったものです。彼は、ダブ・ヴァージョンの「 Battery Brides 」を使っていました。「 The Dictionary of Modern Marriage 」と言うタイトルです。[ Various - Fred Deakin Presents: The Triptych (Box Set) at Discogs ] 彼は、それにラップのアカペラを被せていました。実際、とても上手くいっています。ラップで何と言っているのかは分かりません。でも、グルーブ感に上手く載っていますよ。」 





おわり、 
誤訳、疑問点を指摘して下さると助かります。 

尚、最初にも書いたけれど、インタビュアーのTodd Bernhardt 、読み方は、トッド・バーンハートなのだけれど、インタビュー・シリーズであるし、これまでベルナールと書いていたので、そのままにしてます。別人のインタビュアーではないので。別に我流の読み方と言う訳でもないのだけど。この名前でこれまで日本で知られていた人の読み方を踏襲しただけ。フランス人だから、ベルナール。トム・ヴァーレインをトム・ベルレーヌと読むのと同じだとは思っていたけど、
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2018年05月01日

「 I'm The Man Who Murdered Love 」記念日

 XTC は、2000年5月、シングル「 I'm The Man Who Murdered Love 」をリリース。日付がわからないので、今日が記念日。 

Chalkhills: Reel by Real: XTC: "I'm The Man Who Murdered Love" 

18年前。 

この頃は、3月に発売された、マドンナの「 American Pie 」がヒットしていた。
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2018年04月30日

ちょっと思ったこと

 4月17日に、シーサーは、マイブログをリニューアルしたのだけれど。そうしたら、編集ページが崩れてしまう様になって、キャッシュを削除するだけでは改善もされないので。 ( 端末を新しくして、OSもブラウザも最新のものにすれば良いのだろうけど、、、 )
 とりあえずは、入力は出来るのだけれど。でも、少し思ってしまう。ブログの第一の目的は、自分自身の為のノートなので。自分の所有の端末が故障した時にも安心だし、と言う風に思ってもいたし。実際、ブログだと、後から探すのも楽だったし。 
 でも、例えば、シーサーがサービスを止めてしまった時には、どうすれば良いのだろう、と思ってしまう。記事の大半は、端末に残してはいるのだけれど。「注記」に入れている、パートリッジのTwitterのコメントは、このブログに入れているだけなので、でも、今から、それを別にコピーするのも面倒だなあ、と思う。 
 それに、新聞記事で、「短命のデジタル媒体」と言う記事を読むと、それも合わせて、これで良いのかなあ、と思ってしまう。自分は、元々、ワープロ機が普及した時にも、手書きのノートの方が訂正・推敲した跡が自分でもわかってその方がいいと思ってたのだけど、もう端末でタイプするだけになってるし。XTC の歌詞も、『スカイラーキング』だけは、ノートを作って残しているけど。どうしようかなあ。( 自分のものが後まで残って欲しいと思っているわけでは、もちろんなくて。 ) 
 そうなんだよなあ、CDよりもビニール盤の方が長く残るのだなあ。ストリームなどに提供されている音源はどうなのだろう? 
 それで、XTC については、自分が十代半ばの頃登場して、すぐに夢中になって、幸運にも彼らは長く活動して、更に幸運にも、彼らの仕事は日本のレコード会社からずっと配給されて、これまで、レコード、CDで楽しめていたのだけれど。私個人については、運良く生きていても、もう数十年を楽しめれば良いので。出来る限り、これまでの彼らの12枚のアルバムを楽しむのだろうけれど。( 八十代になっても、何かの機器で媒体を再生して聴き、楽しんだりするだろうか?) その間、また媒体が変わっても、そこにXTC の歌が入っていてくれたらいいのだけれど。 
 でも、XTC の歌は、私個人の人生以降も、出来れば残って欲しいと思う。それで、出来れば、デイブ・グレゴリーさんが音楽を譜面に残して、どこかに纏めて残してくれると良いのだけれど。歌詞は、パートリッジのノートを何所かに保管して欲しいし、モールディングの歌詞もノートがあるのならば、残して欲しい。モールディングの日記もあるのだろうか? ( あ、紙にと言うことだけれど。 )  
 まあ、XTC の歌が古典として残すべき作品なのかどうかは、私には分からない。私は、十代の中頃偶々彼らの登場に会って感化されたのだから、外から評価することはとても出来ないから。 

 以前にも、同じ様なことを書いた気もするけど、最近、物をよく忘れるし、、、


追記:それで、この記事を一旦投稿して、ブログを見たのだけれど、更新されない、、、 早速、不具合??? うううんん?? 
何か間違った??
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2018年04月29日

竹本住大夫三の訃報

 義太夫の七代目竹本住大夫さんの訃報。 

この「文楽 - Bunraku Puppet Theater」と言うYouTubeのチャンネルは、公式のものなのかしら?? 

文楽「寿式三番叟」 - 竹本住大夫 - Bunraku Puppet 
https://www.youtube.com/watch?v=MwDF20YqH1c 

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2018年04月28日

The Trio

 4月27日は、『 Nonsuch 』がイギリスでリリースされた日なのだけれど、11:23 - 2018年4月27日 付けのTwitterで、Big Big Train の Greg Spawton さんは、「 One of my top ten all-time favourite albums. Jaw-droppingly good. 」と書いている。 
全時代を通じて選ぶ、私の愛好する十のアルバムの内の一つ。口がぽかんと開いたままになる美しさ。
https://twitter.com/bigbigtrain/status/989933072891240448  


 デイブ・グレゴリーさんのバンド、Tin Spirits を配給するレーベール、Esteric Recording は、リイシューが主な事業でもあるのだけれど、イギリスの Dawn Records ( 1969 - 1975 ) がリリースしていた、John Surman ジョン・サーマン、Barre Phillips バール・フィリップス、Stu Martin ステュ・マーティンのトリオの録音、『 The Trio 』を再版する。 

The Trio - The Trio (Vinyl, LP, Album) at Discogs 

The Trio: Incantation, The Dawn Recordings 1970 - 1971, 2 Disc Edition - Cherry Red Records 


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2018年04月27日

Beatles for Sale

 4月26日付けのTwitterでは、パートリッジは影響を受けたレコードを列挙しているのだけど、 
興味を惹いたのは、 
「 All Beatles album except BEATLES FOR SALE and LET IT BE 」と書いていること。
どうしてだろう? 影響は受けてない、と言うことか知ら? 音楽上の着想はそこからは得てないと言うこと、、、 

 他には、「 DEVO -SATISFACTION 」も。同時代のものは、これだけではないか知ら??? 



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2018年04月26日

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」7

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」6 






ベルナール「( 笑いながら ) 成る程。それは、お休みの日のトリビア・クイズ合戦の一つでしたね、確か、イデア[ APE House の前の XTC 自身のレーベル ]で二年程前にしましたよね?」
パートリッジ「その通り! そうなのです、ベースはフランジャーを通して音を出していました。「ビョルン・ボルグ、ビョルン・ボルグ、ビョルン・ボルグ」と鳴っているのです。兎も角、テリーは、時々、嫌気が差したものだから、私が歌を始める切っ掛けと決めていたイントロのドラムのロールを早目に入れていました。でも、私は歌い出そうとはしませんでした。だって、私自身はとっても楽しんでいたのですから。」 
ベルナール「( 笑いながら ) それは本当に可笑しいですね。私は、この歌のライブの様々な録音を持っていますが、それを聴いて、あのロールは彼がただロールをしようと叩いていたのだ、と思っていましたから。」
パートリッジ「ええ。テリーは決めていた合図をしたのです。通常、手順は次の様になっていたのです。私が、次第次第にマイクロフォンに近づいて行くのです、テリーがそれを見ています、そして、私が定位置に着いたことが分かると、つまり、音楽が十分に鮮度を上げたと言う時、あるいは、歌を歌う安定した状態に落ち着いた時ですが、テリーが合図のロールを鳴らすのです。ですが、時には、彼は待つのが嫌になるのです。それで、ロールを鳴らすのです。ところが、私はマイクロフォンの近くにはいないのです。ですから、「駄目だ。まだお前は待たなければならない。私はお楽しみ中なのだ!」と言うことになるのです。 
 アルバムの録音の時のことも覚えていますよ。カウンティング・トラック[ メトロノームの様な役割のテープ ]を使わなくてはいけませんでした。小節数を数えるのです。何小節かの後、私は歌い始めたのです。 
 兎も角、この歌は、ライブでは安堵を感じる歌でした。穏やかに演奏出来ますし、自分自身に没入出来ますから。デイブが、アルペジオは全部弾いてくれましたしね。つまりですね、「ああ、僕は気持いい長い休息が出来るぞ、五分間は歌わなくて良い、忘我状態でいられるんだ。」と言うことなのです。 
 それが、何時でも私が望んでいたことなのです。私は、一度だって、歌手でありたいとは思ってなかったのです。」 
ベルナール「ええ! 本当ですか?」
パートリッジ「そうです! 前任者が辞めたので歌手の職を得たのですよ。」 
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2018年04月25日

Performance

 パートリッジが、14:56 - 2018年4月24日付けのTwitter のコメントで、ジャガーの最高の歌詞と書いているのは、1970年8月公開のイギリス映画『 Performance 』の中の歌。「 Memo from Turner 」。ミック・ジャガーはこの映画に出演。 Donald Cammell と Nicolas Roeg の二人が監督をした犯罪映画。 
https://twitter.com/xtcfans/status/988899591331418112

Performance (film) - Wikipedia 

Memo from Turner - Wikipedia
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2018年04月24日

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」6

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」5  





ベルナール「バンドの他のメンバーから反対はなかったですか? 「これは退屈だ、曲のほとんどがたった二音じゃないか、ええ?」等と言われなかったですか?」
パートリッジ「そうですね。彼らに説明する必要に迫られました。こう言ったのです。「いいかい。夢の様な物を創り出すんだ。」 今は、アルバム版のものを話題にしているのだと思いますけれど、ステージのライブで演奏した時はですね、時々、夢見るイントロは5分かそれ以上になることがよくあったのです。私はそれが大好きだったのです! これをライブで演奏するのが好きでした。没入出来るからです。「 Jason and Argonauts 」の中間部と似ています。歌の趣向に沿って、一つの光景を創り出そうとしているのです。「 Battery Brides 」の場合、電子的天国、あるいはそれに似たものを創り出そうとしていたのです。 
 他のメンバーは、よく不平を言っていましたよ。ステージが終わった時に、「まったく! 「 Battery Brides 」で、君が歌い始めるつもりがまるでないんじゃないかと思ったよ。」と言うのです。貴方には明かしておきましょう。私は、これを弾くことである種のゾーンに自分を送り込んでいたのです。イントロをほんの僅かに変化させながら繰り返し繰り返し弾くことで、催眠状態になっていたのです。 
 この曲は、ライブではメンバー以外の助けが要った何曲かの中の一曲です。シンセサイザーでGの音を鳴らしていました。それをカセット・テープに入れていたのです。それは10分程のものでした。ミキシング・デスクの担当者、スティーブですけれど、いつも彼がそのカセット・テープを入れて、再生させ、それを弱音から次第に音量を上げて行っていたのです。つまり、ステージの私たちにGのドローンがフェード・アップしたのを耳に入れさせ、10分間を演奏していい時間が始まったと知らせるのです。」 
ベルナール「デイブ・グレゴリーさんがバンドに加入した時には、彼が、バリー・アンドリューズさんのピアノとオルガンをギターに書き換える方法を考え出したのでしょうけれど、貴方は何か助言をしたのですか?」
パートリッジ「アルバムでは、バリーは、テリー・ライリー[ アメリカの作曲家。ミニマル・ミュージック。 ]にちょっと似たことをしてました。電子回路の基板の様な音です。「どう? 僕は電子回路の上の図形を弾いているんだよ、それがまるで音楽であるかの様にね、まあ、音楽の様な別の物かも、」とバリーは言っていました。デイブは、それを、何と言うか、理解して変換させなければいけなかったのです。それはデイブを苛つかせる様な音形でした、でも、彼はアルペジオが大好きでしたからね、バリーの電子回路音形を、ギターで同等のものに上手く変えたのです。」 
ベルナール「彼一人で考えたのですか? ほんのちょっと演奏の練習をしただけで、どうすべきか考え出せたのですか?」
パートリッジ「そうです! 彼は素敵な短いアルペジオのパターンとメロディを寄与してくれました。それだから、私はすっかり忘我状態に没入出来たのです。可哀想なテリーとコリンは、いつも、2音だけ出してましたね、「ビョルン・ボルグ」パターンですよ、…、」 [ ビョルン・ボルグ - Wikipedia ]
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2018年04月22日

きょうは

 きょうは、『原子心母』を聴いて、『 Let It Be, Naked 』を聴いて。 
その後は、ヴェーベルンのカンタータを聴こうと思っていたのだけど、 
YouTubeで、フランスの大学生が演奏する『原子心母』、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団がシャトレ座で演奏した『原子心母』を見たら、それで終わった。 
 ピンク・フロイドは、『原子心母』で牛だから、XTC は『イングリッシュ・セトルメント』で馬。 

 あ、忘れてた、ビル・エヴァンスのノルウェーのモルデでのステージもYouTubeで見たのだった。 モルデ、Molde と言う所がノルウェーにはあるんだ。モールディングと関係あるか知ら???? 

 あ、あ、Scatter Me TC&I は、毎日、3回から5回はYouTube で見てる。
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「 Great Fire 」記念日

 1983年4月22日、XTC は、シングル「 Great Fire 」をリリース。今日は記念日。35年前。 
Chalkhills: Reel by Real: XTC: "Great Fire" 

歌詞の訳: 
Great Fire 訳: ノエルかえる不恵留  


 この日、ソビエト連邦のクルスク原子力発電所で、燃料棒の装填が上手くいかず、原子炉が停止した。大きな事故にはならなかった様。チェルノブイリの事故は、3年後の1986年4月26日。 

 この日、アメリカのジャズ・ピアニスト、アール・ハインズ Earl Hines が死去。現代ジャズピアノの基礎を築いた人。さらに、現代ジャズの和声を築いた人。1903年12月28日生れ、享年79。 
Earl Hines - Wikipedia 


 それから、セルバンテス忌。ドン・キホーテを書いた Miguel de Cervantes が亡くなった日。没後402年。 


 それと、8日前の4月14日に、デビッド・ボウイの『 Let's Dance 』がリリースされている。 
 それと、一週間前の4月15日に、東京ディズニーランドがオープン。 


この記事の内容は、昨年のと同じ。
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2018年04月21日

Philip Larkin 「 Home is so Sad 」訳

 フィリップ・ラーキンの「 Home is so Sad 」の訳。1964年の詩集『 The Whitsun Weddings 』に所収。「 Home is so Sad 」が書かれたのは、1958年12月。 

 五行ずつ二スタンザの短い詩。「 Home is so sad 」「 That vase 」と言う碁石の様な簡潔な文に挟まれた四つの文。緻密な組子細工の様な詩は、コリン・モールディングの歌詞を思わせる。この詩は、モールディングの「 Dying 」を思い出させる。 


元にしたのは、poets.org の:
Home is so Sad by Philip Larkin - Poems | Academy of American Poets 

ラーキン協会のエッセイ: 
Philip Larkin – Home is so Sad 


The Whitsun Weddings - Wikipedia





いえってかなりかなしい。歩いて行くのにぴったりちょうどいい 
靴型の様に、最後の人にぴったりそぐう形になって、打ち捨てら 
れたまま、そうしていれば、戻って来たくさせるって。けれども 
気に入ってくれる人をみんな掠め取られて、褪せて、 
生気がなくなって、泥棒を外に押し返すことも出来 

なくて、嬉々として調度品のこれはこここれはここでなければと 
思い描いてた初めのと同じ様に戻すことも出来なくて、物はばら 
ばらに落ちて散乱したまま。それでも覗いた人にも推察は出来る 
だろう。落ちてる写真を食器具類を手に取って見て、 
ピアノのスツールにさしこまれた楽譜。かのかびん。  


Home is so sad. It stays as it was left,
Shaped to the comfort of the last to go
As if to win them back. Instead, bereft
Of anyone to please, it withers so,
Having no heart to put aside the theft

And turn again to what it started as,
A joyous shot at how things ought to be,
Long fallen wide. You can see how it was:
Look at the pictures and the cutlery.
The music in the piano stool. That vase.





last は、「最後の」と言う意味もあるけど、「靴型」の意味もあるので、それを使った。  





4月22日、訂正: 
気に入ってくれる人が一人もいなくなって、褪せて、 

気に入ってくれる人をみんな掠め取られて、褪せて、
posted by ノエルかえる at 14:06| Comment(0) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」5

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」4: ノエルかえる不恵留 





ベルナール「この歌が出来た経緯をお話し下さい。」
パートリッジ「私はドロ−ンがとても好きなのです。それでですね、ギターでハーモニクスを出していたのだったと思います、上手くハーモニクスが出た場合はですね、それも、オクターブ離れた音が出れば、それで基本的には荘厳なGの和音になるのです、それはハーモニクスで得られたものです。フランジャーを使ってハーモニクスを出していたのだったと覚えています。フランジャーは、その少し前に買っていたものです。コーラス・フランジャー・ペダルです。そこで、「この音は夢の様だ。電子的な天国か何かの様に思える。」と思ったのです。ちょっとした忘我状態になりました。そこで、私は、他の人たちが催眠状態で忘我の域にある場合を考え始めたのです。特に、オーワースのレジにいる女の子が夢見ている状態はどんなだろうと思ったのです。変な夢を見ているのだろうと思ったのです。オーワースにしろ、他の大型量販店にしろ、そこに行って見ると良いですよ。レジの女の子たちは、何もない空中をぼんやり見上げて、結婚とか恋愛とかを想像しているのですからね。」 
ベルナール「女の子たちが夢想しているのは、夜になったら…、」
パートリッジ「ええ。今晩のことを考えているのですよ。「ああ、あの人、魅力的じゃない?」と思ったりもね。そうして、彼女たちは、お客の貴方が何を買っているのかも見てはいないのです。耳を澄ませて、ビーと言う小さな信号音を聴いているのです。ロマンスの夢を見て、心ここに有らずなのです。そうした光景を丸ごと捉えて、私は、「ふうん、彼女たちは養鶏ケージの鷄の様だな。彼女たちはスーパーマーケット、お店に居るのだけれど、それは、罠にかかってレジスターと一緒に小さな檻に入れられているのに、ぼーっと甘い夢を見ている様なものだ。」と思ったのです。それで、面白がって、「 Battery Brides 」と設定したのです。彼女たちは、ボーイブレンド、かっこ好い彼氏を夢見ているのです。その夜には彼に会いに行こうとしているのです。そうして、お客には一顧だにしないのです。そこで、「そうだ、今作りかけている風変わりなハーモニクスの夢の様な曲は、婚礼を夢見ている彼女たちの頭の中で流れている音楽に似ているのではないか?」と私は思ったのです。 
 でもですね、本当に、私は一度だって「花嫁」になりたいとは思ったことはありませんよ。それはお分かりですよね。( 暫く黙る ) ほとんどね。( くすくす笑う ) 相手がファビオだったらね。[ Fabio Lanzoni イタリア系モデル。1980年代、恋愛小説のカバーに多用された。 ]」 
ベルナール「( 笑いながら ) もしかしたら、彼は貴方を選んでいたかも知れませんねえ。そうすると、貴方には選択の余地はなかったでしょうね。」
パートリッジ「選択の余地はないですよ、彼の髪はとても素敵ですからね。 
 それでですね、この歌は滑稽感を出しているのです。そう思いますよ。でも、実は、ハーモニクスを試している間に出来たのです。それに、私は、反復する歌が大好きなのです。ドローン[ 持続低音 ] と反復音型が楽しくて大好きなのです。反復するメロディは様々な音形を私に思い付かせます。そうして思い付いた音形を反復するメロディに被せて行くのです。反復するメロディと言うのは、そうですね、その上でスケートが出来ると言う状況に似ているか知ら。氷の表面の様なものなのです! 反復するドローン [持続低音 ] の上では、難しさもなく目を見張る様なアクロバットを演じることが出来るのです。」  
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2018年04月17日

「 King for a Day 」記念日

 XTC は、1989年4月17日、シングル「 King for a Day 」をリリース。今日は記念日。29年前。 

Chalkhills: Reel by Real: XTC: "King for a Day"  

歌詞の訳: 
King for a day 訳: ノエルかえる不恵留  

シングルのアートワークは、ギヨーム・ド・ティール Guillaume de Tyr の『 Histoire d'Outremer 海の向こうの歴史』から、エルサレム包囲戦の挿絵。
Siege of Jerusalem.jpg - Wikipedia 

Histoire de la Terre d'Outremer, par Guillaume de Tyr. | Gallica


プロモーション・ビデオは、Tony Kaye が監督で、1989年4月14日、ロンドンのWest Way Studios で撮影。 
mvdbase.com - XTC - "King for a day"  


その二日前の4月15日に、胡耀邦が亡くなる。そうして、天安門事件が起こる。 

この年には、1月に昭和天皇も亡くなっているし、4月には、日本の皇族の生まれで朝鮮の李王室に嫁いだ李方子( 梨本宮方子 ) も亡くなっているし( 4月30日 )、朝鮮王室の王女から日本の宗家( 宗武志 )に嫁いだ徳恵翁主も亡くなっている( 4月21日 )。 


この記事の内容は、昨年のと同じ。
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2018年04月16日

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」4

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」3: ノエルかえる不恵留 





ベルナール「ああ、そういうことにはとても同情します。以前、同様の環境に居たことがありますから。苛立たせますからね。」
パートリッジ「ええ、本当に嫌なことです。朝起きてですね、何か食べ物をと思ったのに、自分のバン、シリアルを他の者たちがこっそり食べ、ミルクもオレンジジュースも全部飲んでいるのですから。それから、スタジオに入るのです。すると、彼らは大抵もう働いていました。それも、自分たちの食べ物をそこらじゅうに散らかしているのです。そこで言うわけですよ。「何奴が僕のココ・ポップスを全部喰ったんだ?」 それがまた、物笑いの種になるのです。( 拗ねた声で ) 「オッホー、あいつ、ココ・ポップスを無くしたんだってさあ、」 彼らは、自分たちが食料については無精で買いに行こうとしないと言う事実に、注意を向けると言うことを決してしようとしなかったのです。「やった、食べ物があるぞ! 食べてしまおう!」なんですよ。誰がそれを買ったかを考えもしないのです。 
 でも、それが若者が共同で暮らすと言うことなのですね。そうでしょう? 卵に「アンディの卵」と書かなければならないのです。( 笑う ) ハリーが、今、大学でそう言う状態になっていますよ。シェアハウスに住んでいるのですけれど、鉛筆で「ハリーの卵」と書いてます。」 
ベルナール「( 笑う ) そうした環境では、ルームメイトの見ている前で、食べ物全部を舐めておくのが良いです。」
パートリッジ「( 笑う ) 成る程! 鼻に指を突っ込んで、それを食べ物全部に擦り付けて置くのですね。」 
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2018年04月15日

きょうは

 今日は、『 Mummer 』とメシアン全集から『 Turangalîla 』『 Vingt Regards sur l'Enfant-Jésus 』、とビル・エヴァンス『 Waltz for Debby 』を聴いた。
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HOW BIG THE SPACE

 パートリッジの4月11日付け、4月13日付けのTwitterのコメントに依れば、ソロアルバムのマスタリングは終わった様子。アートワークも出来ている様。ワーナー/チャペルからの配給になるのだと思うけれど。ビニール盤になるのか? 
 上は11日付けのコメントから、けれども、13日付けには、「 I'm fed up with being an orchestral arranger for today 」とある。これは、彼自身がオーケストラのアレンジをその日一日掛りでしていた、と言うことなのだろうけれど、ソロアルバムのマスタリングが終わっているとすれば、何の為のオーケストラ編曲なのだろう?  

 それから、13日付けでは、ブラーのグレアム・コクソンとの共作の話し。 
 それから、14日付けでは、スティーブン・ウィルソンさんのサラウンド・シリーズ、次の作品が進行していると書いている。それに、ウィルソンさんとの共作「 HOW BIG THE SPACE 」のことも、これ、レコード・ストア・デイの為にウィルソンさんがリリースした12インチビニール盤なのだけれど、未発表だった「 HOW BIG THE SPACE 」をレコードにしたものの様。入手出来るのかどうか??? 
'How Big The Space' exclusive release for Record Store Day 2018 - Steven Wilson 


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2018年04月14日

William Carlos Williams「 The Late Singer 」 訳

 ウイリアム・カーロス・ウイリアムスの「 The Late Singer 」 の訳。 

 1921年の詩集『 Sour Grapes 』の第一歌。 
元にしたのは、ウィキソースの: 
The Late Singer - Wikisource, the free online library 


Here it is spring again
and I still a young man!
I am late at my singing.
The sparrow with the black rain on his breast
has been at his cadenzas for two weeks past:
What is it that is dragging at my heart?
The grass by the back door
is stiff with sap.
The old maples are opening
their branches of brown and yellow moth-flowers.
A moon hangs in the blue
in the early afternoons over the marshes.
I am late at my singing.  




さあ、また春だ。 
それに、僕はまだ若者! 
歌いながら僕は、夜更かしする。 
胸に黒い雨滴を散らした様なウタスズメが、 
この二週間、ずっとこのカデンツァを歌っている。 
「 What is it that is dragging at my heart? /
わたしの心を探っている、これは何? 」
裏戸の側の草は生気に満ちて 
ピンと立つ。 
楓の老木が茶色の 
枝々を広げ、黄色のヤママユガが来る。 
午後もまだ早い時刻に、湿地帯の上の 
青い空に月が掛かっている。 
僕は夜遅くまで歌って過ごす。 




ウタスズメ:The sparrow with the black rain on his breast :
ウタスズメ - Wikipedia

黄色のヤママユガ yellow moth-flowers : 
Dryocampa rubicunda - Wikipedia  

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ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」3

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」2: ノエルかえる不恵留  




ベルナール「当時、皆さんはご一緒に暮らしていたのですか?」
パートリッジ「ええ。『 The Young Ones 』[ The Young Ones (TV series) - Wikipedia ]の様でしたよ。私たちは、… 」 
ベルナール「( 大笑いして ) 貴方はどのキャラクターですか? ヴィブですか?[ ヴィブは、精神病気質でパンク好きの医大生。赤毛でパンク風に髪を逆立てて尖らせている。額には星形の金属の鋲を四つ着けている。 ]」
パートリッジ「( 笑いながら ) ううん、多分違うと思うけど、、実際には、ネイルでしょう。いや、リックですね、きっとそうです。[ リックは典型的な一人っ子タイプ。社会学の学生。下手な詩を書いている。 ] 私はとんでもなく無作法で、己惚れていますから。テリーがヴィブだったと私は思うのですけれどね。( ヴィブの声を真似て ) 「とってもメタル!」、あるいは、バリー・アンドリュースがヴィブですね。コリンがネイルでしょう。( くすくす笑う ) [ ネイルは平和学を学んでいる。憂鬱症で平和主義者、草食主義のヒッピー。 ]」 
ベルナール「( まだ笑いながら ) それで、彼はやっぱり他のメンバーに髪を切られるのですね、」
パートリッジ「( 夢中になって ) いやあ、本当そう。 
 ああ、厄介なアルバムでした。アルバム全体が面倒を抱えていました。バリーが抜けようとしていましたからね。発表当時でもそれが分かりますよね。バリーは大量の歌を持ち込んで来たのです。コリンと私は、全く困惑しましたよ、彼がバンドをハイジャックするのではと思ったのです。彼の歌は、まるで違う方向を採っていました。私はです、私たち XTC は前作『 White Music 』と連続性のあるアルバムを創らなければならない、突然に90°回ってはいけないし何所か別の方へ方向転換してはいけない、と堅く信じていました。「これではこの二年を費やして獲得した聴衆を失ってしまう。」と思ったのです。 
 それで、相当の緊張関係でした。発火しかけていたのです。でも、私とバリーの間では、底意地の悪い態度に留まっていたのです。お分かりになるでしょうかね。例えば、バリーがキーボードか何かをオーバー・ダヴィングしている時には、彼は本当に私をスタジオから閉め出したのです。( 笑う ) 彼は、私は曲に何を望んでいるかと言うことを彼に対して私が説明するのを望んではいませんでした。彼は、自分が望むままに弾きたかったのです。」 
ベルナール「アルバムを一緒に出した、と言うのは既知の事実です。貴方たちは話し合いを持たれたのですか? 矛を収めたのですか?」
パートリッジ「ああ、矛は埋めましたよ。でも、それをまた掘り出して、「おい、このへんてこな古い遺骸を見ろよ!」と言う様な類いではないですよ。そんなことはしてはいけませんよ、と言うのはですね、引き上げるとまだ悪臭を放ちますからね。正直に言ってそうですよ。( 笑う ) 
 まあね、私たちは部屋を借りて一緒に暮らしていました、セント・ジョンズ・ウッド St. John's Wood [ St John's Wood - Wikipedia] にです。綺麗な家でした。多分、今では百万ポンドはするでしょう。[ インタビューが行われた2007年当時のレートだと、2億3000万くらい。最近のロンドンは地価がとても上がっているからもっとかもしれない。 ] ( 元のマネージャーの )イアン・リードがどうやって借りることが出来たのか、私には分かりません。私たちは地階に住んでいました。豪華で本当に美しい家でした。それぞれに寝室があって、共同のキッチンがありました。それに、共同のラウンジ室、それに調度品。でも、直ぐにごみ箱になってしまいましたよ。何所にでも、ビールの空き缶があるのです。『 The Young Ones 』のセットそのままでした。食料を買い込んで来るのは、私ただ一人でした。他の者たちは、それを盗むのです。」 
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2018年04月12日

ユーリーズナイト

 今日は、ユーリーズナイト。 Юрьева ночь
だから、『ゴンワーズ』。
posted by ノエルかえる at 21:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

The Carpenters 「 Super Star 」訳

 頭の中で、カーペンターズの「ろおおんがごおお、あど、そふぁらうええ」と言うのが繰り返されて、なんだったかしら、と思い出せないし、こう言うのはインターネット検索で簡単に出るからと検索してみたら、「スーパースター」で、曲はレオン・ラッセルで歌詞はボニー・ブラムレットということで、元は「グルーピー」と言うことで、カーペンターズが歌うので、リチャード・カーペンターが歌詞を一箇所「sleep」を「be」に変えたそうで、

 それで、もう少し変えた方が良いかなあ、と思って。「 before the second show 」だと、幕間の休憩時間に・・という感じだから。 
 アメリカの女性が、故郷を離れ都会に住んでいたのだけれど、恋人か夫と別れて独りになった時に、少女の頃に夢中になったイギリスから来たアイドルを思い出し、アイドルと恋人を重ねながら悲しむと言う感じが良いかなあ、と思って。 

元にしたのは、Googleの検索   


ずっと昔ね、それも、遠い故郷でのことね、わたしは 
貴方の虜になったわ、それは二度目のワールド・ツアーの前のこと。 
貴方のギター、今でも聴こえる、とても感傷的ね、そう、はっきりと聴こえるわ。 
でも、現実にはいないのよ、貴方は、ラジオなの。 

覚えている? 「 I love you, Baby 」って言ったの、貴方がわたしに言ったのよ。 
「 I'll be coming back this way again 」って言ったのよ、貴方。 
「 Baby, baby, baby, baby, oh baby 」って歌ったの、 
「 I love you, I realy do 」って言ったのよ。

ずっと一人でいるって、とっても辛いことね、わたしは  
貴方と一緒にいるのを待つなんて、もう出来そうにないの。 
何と唱えたら、貴方を呼び戻せるのか知ら? 
貴方に戻って来て欲しいの、もう一度、哀愁のギターを聴かせて欲しいの。  



追記、訂正: 
第1ヴァースは、Long ago...、第2ヴァースは、Loneliness... と頭韻を踏んでいるので、 
第2ヴァースの一行目、一人でいるって、とっても辛いことね、 を
→ 
ずっと一人でいるって、とっても辛いことね、わたしは  に訂正。 

追追記、訂正: 
コーラス部分、
Don't you remember, you told me 「you loved me baby?」
You said 「 you'd be coming back this way again baby 」
Baby, baby, baby, baby, oh baby
I love you, I really do  
「」の部分だけを、歌の歌詞の様に訳していたけれど、 
その後の「 Baby, baby, baby, baby, oh baby 」「 I love you, I really do 」もそうだと思うので、訂正。 
貴方、貴方、貴方、、、貴方、 
わたしは愛しているの、本当よ。 
posted by ノエルかえる at 00:00| Comment(4) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月11日

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」2

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」1: ノエルかえる不恵留


ベルナール「ちょうどその頃、トーキング・ヘッズと一緒にライブ・ツアーをしていたのですか?」
パートリッジ「ううん( 少し考える )…、そうです。」
ベルナール「そうですか、共通の関係があったのですね。イーノさんは、もうトーキング・ヘッズのプロデュースをしていたのですか?」
パートリッジ「いえ。まだです。ですが、イーノは、「 King's Lead Hat 」と言う歌を書いてました。あれは、トーキング・ヘッズ Talking Heads のアナグラムなのです。彼らを賞讃する歌なのは明らかです。 
 私たちはヴァージン社のサイモン・ドレイパーの事務所で会合を持ちました。彼は、とても穏やかにこう言いましたよ。「そうですね。本心、貴方たちは自分たちだけで十分なアイデアを持っていると私は思いますよ。おそらくは、貴方たちに私は必要ないでしょう。」 座ったままで、製作には関係しない様に自分自身を説得してる様でした。会合の終りには、「成る程ね、多分彼の言う通りなのだろう、自分たち自身で十分なアイデアをもう持っているんだろう、ジョンにエンジニアリングの席に着いてもらうことになるのだろう」と私たちは思っていました。」 
[ イーノがプロデュースした『 More Songs About Building and Food 』は、1978年3月から4月に製作。『 Go 2 』は同年8月から9月に製作。ミーティングがあったのは、2月の終り頃か? ]
ベルナール「そうですか。クレジットには、レッキーさんはプロデュースとあります。彼の役割には、エンジニア以上のものがあったのですか?」
パートリッジ「ええ。事情が込み入っているのですね。と言うのはですね、私たちバンドがプロデューサーを持つ時にはです、私個人は、彼らをプロデューサーであると考えてないのです。各プロデューサー、それぞれの事情があることは私も分かってはいるのですが、私は、プロデューサー/エンジニアよりも、エンジニア/プロデューサーを選ぶ傾向にあるのです。私が言っている事がお分かりになるか知ら。理由はですね、私たちは莫大な量の楽想を持っていますし、レコードがどう完成して欲しいか、凡そは分かっているからなのです。私については、確かにそうなのです。コリンの場合は、私程確かではないですね。彼は、スタジオでもっと試して見ることが好きでしたから。予め分かっていなかった何か素晴らしいものを、スタジオの試行で探そうとするのです。私は、スタジオに入った時には、もう出来上がっているのです。それで、ジョンは、エンジニア/プロデューサー派でした。試行をするのにはうってつけの人物だったのです。どんな思い付きでも彼に投げつけて構わないのです、それがどんなに常軌を逸したものでもです。彼は、「うん、やってみよう」と言うのですから。 
 でもそれが、このアルバムを事情が込み入ったものにしてしまいました。バリーと私が酷い口論をしていましたからね。私たちは党派争いに陥っていました。」 
posted by ノエルかえる at 09:00| Comment(0) | Go 2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月10日

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」1

 トッド・バーンハートさんのアンディ・パートリッジへのインタビュー、「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」について。 

 元は、2007年4月22日に、MySpace に公開されたもの。今は、チョークヒルのアーカイブに保存。 
Chalkhills: XTCFans: Andy's Take: "Battery Brides"  

 Todd Bernhardt 、読み方は、トッド・バーンハートなのだけれど、「ベルナール」と記していたので、そのまま。


ベルナール「30年ほど前のことを思い出して頂いて、「 Battery Brides 」の事を話して下さい。この歌に関して伺いたいのは、正規版以後のライブの版なのですが、と言うのも…」
パートリッジ「ああ、ライブ版の方が良いと、私は思いますよ。」 
ベルナール「私もそう思います。この歌を創り上げようとしてた時よりも、楽想がしっかりとしているからです。」
パートリッジ「そうですね。デイブと一緒にステージで演奏する様になった時に至るまで、この歌は、まだ、成長を続けていたのです。この歌が、私がこう成って欲しいと言う形にはまだ至ってなかったのです。ですけれど、『 Go 2 』録音の時には、この歌が出来たばかりの歌でしたから。この歌を十分に発展させる時間が本当になかったのです。」
ベルナール「そうなのですか。私は、スタジオ用に簡潔にしたのだ、と思っていました。プロデューサーのジョン・レッキーさんが、曲を短くして焦点を絞ったのだとばかり思ってました。」
パートリッジ「いいえ。出来上がったばかりだったのです。出来て直ぐですから、音の高さもちゃんと決められてなかったのです。調性が私にとっては、中間に当たっていたのです。ですから、もっと高い音、甲高い大きな声で歌うか、それとも、低い声にするか、どちらかにするべきだったのです。」
ベルナール「それで、ヴォーカル部のメロディーを1オクターブ内に収めることに決めたのは、どういう理由からなのですか?」 
[ ここの質問の文、原文は、「 So that's why you decided to do the vocals in octaves? 」 ]  
[ A♭とCの間の6音だけを使っている。 ]
パートリッジ「ああ、この歌は素早く書いたのです。レコーディングの直前でした。アルバム用の曲を書くのに二週間しかなかったのですよ。テープの速度を少し遅くしたのだったと覚えているのですが、多分そうだと思います。それで、私は音程を上手く取れたのです。私にとっては、歌い難い音程だったのです。高い一音が大きな声で出せなかったのです。それで、「それなら、静かな発声にしよう」と思ったのです。そうすると、その歌い方は、ブライアン・イーノがしている彼の最高のシド・バレット風の声を思い起こさせたのです。それが、副題が「 Andy Paints Brian 」になった理由なのです。まあ、イギリス独特の低くて深い声が良いな、とちょっと認めたと言う分けですかね。それから、「 Andy paints ・・ 」と言う言い方、アンディ・ウォホールが何かを描く、と言う言い方に似ているでしょう。それで、「 Andy Paints Brian 」と言うのが、ちょっと面白かったのです。」
ベルナール「ブライアン・イーノさんにプロデュースを頼もうとしたのは、何か、特別の理由があったのですか?」
パートリッジ「ええ。彼にアルバムをプロデュースして貰えないかと依頼はしました。私たちのステージを見に何度か来られていましたから。私は彼を見ていません。ステージでは、私は眼鏡を掛けませんから、それに、客席は暗いですから見分けられないのです。また、彼は楽屋にはいらっしゃることはありませんでした。私は、後になって、彼がステージを見に来たと知ったのです。最近見た中で、一緒に演奏してみたいと思った、唯一のバンドだ、と彼は言って、私たちを嬉しがらせていました。「ああ、嬉しいなあ、」と思ったのです。ロキシー・ミュージックは、初期に於いては素晴らしいアイデアを持っていたバンドですからね。 
 ジョンは良い仕事をしてました。ジョン・レッキーです。でも、「もし、ブライアン・イーノがしたらどうなる?」と思ったのです。『 Go 2 』にはロキシー性と同系のものがありますからね、彼がそれをどうしただろうかと思うのです。それに実際、『 Before and After Science 』は傑作ですからね。」
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2018年04月08日

Dreams And Their Meaning

 スウィンドンにある、リチャード・ジェフリーズ博物館で、『 Dreams And Their Meaning 』と題名を付けられた展覧会が催されているそう。
 眠っていてみた夢を描いた芸術作品を集めて展示していると言うこと。 
 主催者は、Alexandra Moulding アレクサンドラ・モールディング。多分、コリン・モールディングの子息リー・モールディングの夫人。 

Dreams And Their Meaning | Swindon Viewpoint 

 リチャード・ジェフリーズ博物館のホームページでは、案内がないのだけど、 
Richard Jefferies Museum  


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2018年04月07日

Cecil Taylor

 セシル・テイラーの訃報。4月5日死去、享年89。
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2018年04月06日

The Dark Side of the Moon / Now & Then

 『 The Dark Side of the Moon 』と『 Now & Then 』は、ほとんど同じ頃にリリースだったんだ。
1973年、『 The Dark Side of the Moon 』は3月1日、『 Now & Then 』は5月1日。 
 双方とも、方やアビーロード・スタジオ、方やA&M スタジオの最新設備を使ったのだろうから。『 The Dark Side of the Moon 』は、レコーディング期間が1972年6月から73年1月まで、とクレジットがあるけれど、『 Now & Then 』の方は詳しくは分からない、1972年から73年と言うことだけど。 
 音の感触と言うことでは、似たところがあるかも。
posted by ノエルかえる at 21:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月03日

About DIY 4-Track EP

 下のブログに掲載されていた、EP『 Great Aspirations 』の各曲についてのコリン・モールディングのコメント。このインタビューがこの記事の筆者がしたものか、いくつかのラジオか何かのものを纏めたものなのかは分からない。 
MAKING PLANS - XTC's Colin Moulding And Terry Chambers Ponder Live Shows After DIY 4-Track EP - An Ideal For Living 
公開の日付は、2018年3月2日。 


 「 Kenny 」、このEPでは唯一ギターを使って作曲された歌であるけれど、この歌は、運動場を失うことになったアカデミー・スクールを指弾するものである。 
 「私は学校の管理人の息子でした、それですから、大きな運動場を自由に使っていたのです、それに、その運動場こそが私の想像力を養ってくれたのです。」とモールディングは明かす。「現代の幼い子供たちの問題は彼らが何かの課題に熱中することがないと言うことだと私は思うのです。子供たちは通りの角でぼんやり待っているだけなのです。」 

 モールディングは、子供たちの親たちが地区の学校が上級の学園[ アカデミー ]になると言う案に惑わされているが、実はまやかしの目論見書を売り付けられようとしているのだ、と主張している。 

 「人々は、もっと大きなもっと良質なものを得るべきだと考えていますけれど。とは言っても、アカデミーは、学校のひとつなのです。運動場がなくなれば、学校と言うものの美しさのすべて、それに、子供たちを育む雰囲気と言うものが無くなるのです。私は、それはあまりに均衡を欠いた取り引きだと思います。」 

 モールディングは、この歌はフィリップ・ラーキンの詩「 The Whitsun Wedding 」に触発されたと言っている。 

 「誰かがクリケットをしに遣って来る行がありますよね。列車から運動場が見えるのです。列車から、と言うことが詩の行を引き起こしているのです。私は、列車の動きに似たこのギターのリフを思い付きました。一つのことが次のことを導き連れて来るのです。― 思考の鎖ですね。」 


 「 Comrades of Pop 」も同様に若者のことを念頭に書かれているのだけれど、それは全く違った視点からのものである。 
 パートリッジへの当て付けだと誤解している者もいるのだが、モールディングは、若いバンドへレコード・ビジネスの危険を警告しているのだ、と言っている。 

 「私はキャリアの終りに差し掛かっています。それで、音楽産業に入ろうとしている若いポップ人たち全員に緊急に連絡を取って、決してしてはならないことは守銭奴とは関わり合いになると言うことだ、と言いたいのです。そうでないと、守銭奴たちは若い彼らを惨めな状態にしますから。」と、モールディングは沁み沁みと言う。 

 「君たちの味方だと言う人たちは、必ずしも味方ではないのです。レコード会社を考えて見ると、支払いの係が複雑でどうなっているのか分からない場合は特にそうなのです。」 

 レコード会社はバンドがレコードを作り続ける為には何でもする、バンドの負債を消す為に金を貸し付けることまでもする、とモールディングは強調します。 

 けれども、裏面を見れば、負債はレコード会社に移動しただけだとすぐに分かる。そうして、低いロイヤリティーで良いと言う、厳格な履行の権利を得るのだ。 

 「それが私たちに本当に起こったのです。」とモールディングは悲痛に言う。 
 「私たちは前のマネージャーとの裁判にお金が要ったのです、それで、ヴァージン社がそのお金を出していたのです。会社だけが弁護士費用を出すことが出来たものですから。 
 私たちは、会社は本当に私たちの味方なのだろうかと疑い始めたのです。と言うのも、巨額な請求書が私たちの元に届き続けたからです。訴訟が片付く様には全く見えなかったのです。十分に注意深くなくてはなりません。」 

 モールディングは、元マネージャー、イアン・リードとの裁判から生じた思わぬ結果にも触れる。結局は、バンドは仕事道具を置いてストライキをすることになったのだ。ストライキに依って、自分たち自身をヴァージン・レコード社の契約から解放しようとしたのだ。 

 リードとの裁判に資金を提供する見返りに、ヴァージン社は、バンドのレコードの売り上げから相当のロイヤリティーを得たのだ。XTC はヴァージンに約3,000万ポンドの利益を齎している筈だと見積もっているのにも関わらず、利益を得るのに汲々としていたのだ。[ 1992年当時のレートは、1ポンド240円くらいなので、72億円と言うことか?] 

 最後の一撃は1992年に起こった。横暴にも、シングル「 Wrapped In Grey 」をヴァージン社は早急に取り止めてしまったのだ。パートリッジは、柩の中で息を止めさせらられ様としている赤ん坊に喩えている。バンドは六年の間仕事から手を退き、結局は、ヴァージン社は契約を終了させた。 

 「 Greatness 」の中で、モールディングは、彼が感嘆している偉大な才人たちに讃辞を贈っている。それには、ポール・マッカートニー、アレフレッド・ヒッチコック、スティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ガーシュインがいる。 

 しかしながら、そこには驚く様な結末が待っている。彼は、今では「切望する」と言うのは旧弊と看做され「苦境を藻掻きながら進みたくはない」と公言する様になっている、と嘆いている。 

 中心部では、歌は平凡さを論評することへ変わっている。偉大さへ向けて懸命に努力することをしないことへの論評だ。 

 モールディンは言う、「現代は誰もが何らかの賞讃を得ると言う世界なのです。二三度の強烈な批判があっても傷つくことはないと思います。それは、偉業を成し遂げるのに向けて、人を鍛え上げるのです。」 

 もしも音楽に合いさえすれば、歌詞にもっと多くの人たちを入れることが出来ただろうと、明かしている。 

 「私は多分もう百の名前を挙げることも出来たでしょう。ですが、それは韻律に合わないのです。例えば、デヴィッド・リーン David Lean も入れたかったのです。でも、それもぴったりと来ませんでした。」 

 「聴かれた方は、第2ヴァースにアメリカ人、第1ヴァースにはイギリス人が挙げられているのに気が付くでしょう。[ 第1ヴァース: チャーチル、ヒッチコック。第2ヴァース: スピルバーグ、ガーシュイン。 ] 」と言って、モールディングは笑う。「バランスを取った方がいいだろうと考えたのです。と言うのはつまり、私でさえ、書いている時には商業的な配慮があると言うことですね。」 

 インタビュアーである私は、モールディング氏に現在の音楽シーンで活躍する[ 若い ]人の中で彼が讃辞を贈るのは誰かと尋ねる機会を得ることが出来たのだが、彼は、一時、言葉を失った。 

 「先日、やはりこのことについて私に尋ねた方がありました。ですが、私が本当に強い印象を受けたと言えるレコードは一枚もないのです。」 また、彼は次の様に説明する。「何か良いものがあるとすれば、それは、音楽産業の周辺部にあるのが常ですよ。」 

 暫く黙った後、モールディングは、[ 彼自身が参加している ] 2016年のアリソン・セコンズ Allyson Seconds のアルバム『 Little World 』を挙げた後、1988年のラーズ The La's のアルバムを思い付く。 
[ Allyson Seconds − Little World : https://www.youtube.com/watch?v=-6CAJPx30FQ ]

 また一方で、モールディングは、エド・シーラン Ed Sheeran やアデル Adele の様なヒットチャートの常連たちには関心を持っていない。 

 「この歌は、全体的に、そんなに真剣に受け取るものはありませんよ。縁者のことをビールで酔いながらみっともなく泣いて偲んでいるというものです。私の嗜好から言えば、不安( キルケゴール用語の ) と悲嘆がこの歌には多過ぎます。私は、楽観が好きなのです。それが死についての歌であっても、楽観を入れた方が好きですね。」 

 「 Scatter me 」が私たちを首尾よく連れて行く所は他でもない、彼が直面している彼自身の限られた命なのだ。 
 ( ビデオを参照のこと: https://www.youtube.com/watch?v=Zkh_0ejs12Y ) 

 モールディングは、この歌はウォンテージとスウィンドンの間の草丘を歩いていて思い付いたのだと言う。彼は日課の様にその草丘に沿って歩いていると言う。 

 「歩いていて、小さな祠の側を通り過ぎたり、あるいは、地面にめり込んだ小さな十字架の側を通ることがありますよね。直ぐ側には、花や写真が添えられています。すると、ここには誰かの遺灰が撒かれたのだろうな、と思うでしょう。」とモールディングは説明する。 

 「マッギネス・フリント McGuinness Flint の「 When I'm Dead and Gone 」と言う歌もありますよね、その歌詞には、「 you want to leave some happy woman living on 」とあります。[ When I'm Dead and Gone - Wikipedia ] 昔、私はそれが素晴らしい感情だと思っていました、その感情が私に留まっていたのです。それが、最終的に私の歌の一つになったとしても、驚くことはありません。」  
posted by ノエルかえる at 10:00| Comment(0) | Great Aspirations | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

XTC 最後のライブ記念日

 1982年4月3日、XTC はアメリカ・サンディアゴの California Theatre で最後のステージ。今日は記念日。36年前。 
 Pat Mastelotto さんは、次の日のチケットを買っていた為、ライブを見逃す。
posted by ノエルかえる at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月02日

Easter Theatre 記念日

 1999年4月2日、XTC はシングル「 Easter Theatre 」をリリース、今日は記念日。19年前。
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2018年04月01日

Philip Larkin 「 The Whitsun Weddings 」訳

 フィリップ・ラーキンの「 The Whitsun Weddings 」の訳 
「聖霊降臨節の婚礼」  

元にしたのは、Poetry Foundationの : 
The Whitsun Weddings by Philip Larkin | Poetry Foundation 





あの年の聖霊降臨節、僕は遅くなって出掛けようとしていた、 
それでも、 
一時二十分にはまだだった、土曜日で陽光がいっぱいだった、 
四分の三が空席の僕が乗り込んだ車輛が押し出された、 
上げ下げ窓は全部が卸されて、座席は全部が温かく、 
急かされる気がしてたのはまるっきりなくなった。僕たちは、 
走り抜ける、家並の裏手、横切る、とある大通りが 
車窓を暗くする、匂いを嗅ぐ、魚の様な蓼の様な、そうして、 
川が視界に拡がる、一様でゆっくり動いている、 
そこで、空とリンカーンシャーと水が出会う。 

午後の間中は何マイルかの内陸、思いのほかの暑気で 
しびれた、 
一度速度をずっと抑えたカーブがあったけれど、僕たちは南に向いたまま。 
広い農場が過ぎた、影の短い牛がいた、それから、 
運河も過ぎた、工場から出た泡が漂っていた。 
一棟だけ離れた温室が閃いた。生け垣が見えなくなって 
また視界に現れた。時々、草の薫りがして、 
ボタンで留められた座席シーツの嫌な匂いと代わった。 
そうして次の町、新開の別段特筆することもない町が、 
近づいて来た、と、大量の解体された車も見えて来た。 

最初は、その騒々しさが何なのか、僕には分からなかった。 
それは、僕たちが止まる各駅ごとに起こるのだけれど、 
結婚式の騒ぎだったのだ。陽光が 
屋内で行われてこその感興を台無しにしているし、 
長くて冷たいプラットフォームは叫び声や笛の音を小さくしている。 
僕は、駅のポーターが郵便配達員とふざけているのだと思っていた。 
それで、読書を続けていた。ところが、列車が動き出すと、 
少女たちの前を通り過ぎたのだ。ポマードで固めた髪、 
最新のファッションを真似たヒールにベール、みんなもじもじして、 
それでもにこにこして、私たちの乗っている列車を見詰めていた。 

少女たちは手を振り続けていたけれど、 
それはまるで、 
終わったことをそうしてまだ続かせている様だった。 感激した僕は、 
次の駅では、もっと素早く首を覗かせて、もっと興味を持って 
今度はすべてを見た。それも違った側面から。 
父親たちがいる、スーツを着て太いベルトを締め、 
そうして額には深い皺がある。 母親たち、騒々しくて太っている。 
一人のおじさんが卑猥な語を叫んでいる。あとは、 
パーマをかけた、ナイロンの手袋を当てた、模造ジュエリーを着けた少女たち、 
そのレモン色、モーブ色、金オレンジ色は、 

他の者たちから少女たちを際立たせている。 
そう、カフェから始まって、 
中庭奥の宴会ホール、それから万国旗で飾られたバスの 
団体客用別館と続いた、結婚式の日々は 
終りを迎えようとしていた。ホームの至る所で 
新婚夫婦が乗り込んだ。残った者たちはあたりに立っている。 
最後の紙吹雪と忠告が投げられて、 
僕たちの列車が動き出して初めて、人々の顔には 
今こそ出発なのだと気が付いた表情が見えた。子供たちは 
列車が遅いのに不機嫌だった。父親たちは、 

これ程に上手くいったこと、全体に茶番劇的なことを覚えてはいない。 
女たちは秘密を結んでいる、 
好都合な葬儀と同様に。 
少女たちと言えば、その間も、ハンドバックを握りしめて、きつく、 
一人の修道士を見詰めている、こっそりと。到頭、 
人々が離れて、その人々が見送っていた者たち全部が乗り込んで、 
僕たちの列車はロンドンへと疾駆した、蒸気の塊をあちらこちらに振りながら。 
到頭、田園は細かく区割りされ建物で一杯の土地になり、 
道はポプラ並木が長い影を落とすのに十分な幹線道路になった、そうして、 
五十分も経てば、 

帽子も席に落ち着いて、「恥ずかしくって死ぬかと思った」 
と言うのには十分だった。 
十二組の結婚生活が始まった。 
ぴったりと脇を合わせて座り、新婚夫婦たちは、風景をながめていた。 
― 何所かのオデオンを過ぎた、冷却塔を過ぎた、 
助走してクリケットの投球をする人を過ぎた、それでも、 
実際に会うことはない他人たちについて考えることはなかったし、 
この一時間に自分たちの人生が丸ごと入っていると思い至ることもなかった。 
僕は、陽光の下に拡がるロンドンのことを思った、 
小麦畑の様に真四角になった郵便区画で整えられた町を思い描いていた。 

もう、僕たちの列車は到着するところだった。光るレールの継目を 
踏み列車は、疾走して行った。 
停車している個室寝台車を通り越すと、苔で黒ずんだ壁が 
近づいて来て、もうほとんど到着、この 
一期一会の相客との旅は終わる。すると、抑えられていたものが 
跳ね立って打ちまけられるだろう、 
変換されつつある力が、それに丸ごと加えられるからだ。
僕たちの列車はまた速度を緩めた、きついブレーキがしっかり掛かると、 
何か降っていると言う感覚が身中に拡がった。まるで、強いけれど短時間の俄雨が、 
何所か見えない所に行って、一日中の雨になった様に思えた。  




That Whitsun, I was late getting away:

Not till about

One-twenty on the sunlit Saturday

Did my three-quarters-empty train pull out,

All windows down, all cushions hot, all sense

Of being in a hurry gone. We ran

Behind the backs of houses, crossed a street

Of blinding windscreens, smelt the fish-dock; thence

The river's level drifting breadth began,

Where sky and Lincolnshire and water meet.

All afternoon, through the tall heat that slept

For miles inland,

A slow and stopping curve southwards we kept.

Wide farms went by, short-shadowed cattle, and

Canals with floatings of industrial froth;

A hothouse flashed uniquely: hedges dipped

And rose: and now and then a smell of grass

Displaced the reek of buttoned carriage-cloth

Until the next town, new and nondescript,

Approached with acres of dismantled cars.

At first, I didn't notice what a noise

The weddings made

Each station that we stopped at: sun destroys

The interest of what's happening in the shade,

And down the long cool platforms whoops and skirls

I took for porters larking with the mails,

And went on reading. Once we started, though,

We passed them, grinning and pomaded, girls

In parodies of fashion, heels and veils,

All posed irresolutely, watching us go,

As if out on the end of an event

Waving goodbye

To something that survived it. Struck, I leant

More promptly out next time, more curiously,

And saw it all again in different terms:

The fathers with broad belts under their suits

And seamy foreheads; mothers loud and fat;

An uncle shouting smut; and then the perms,

The nylon gloves and jewellery-substitutes,

The lemons, mauves, and olive-ochres that

Marked off the girls unreally from the rest.

Yes, from cafes

And banquet-halls up yards, and bunting-dressed

Coach-party annexes, the wedding-days

Were coming to an end. All down the line

Fresh couples climbed aboard: the rest stood round;

The last confetti and advice were thrown,

And, as we moved, each face seemed to define

Just what it saw departing: children frowned

At something dull; fathers had never known

Success so huge and wholly farcical;

The women shared

The secret like a happy funeral;

While girls, gripping their handbags tighter, stared

At a religious wounding. Free at last,

And loaded with the sum of all they saw,

We hurried towards London, shuffling gouts of steam.

Now fields were building-plots and poplars cast

Long shadows over major roads, and for

Some fifty minutes, that in time would seem

Just long enough to settle hats and say

I nearly died,
A dozen marriages got under way.

They watched the landscape, sitting side by side

- An Odeon went past, a cooling tower,

And someone running up to bowl - and none

Thought of the others they would never meet

Or how their lives would all contain this hour.

I thought of London spread out in the sun,

Its postal districts packed like squares of wheat:

There we were aimed. And as we raced across

Bright knots of rail

Past standing Pullmans, walls of blackened moss

Came close, and it was nearly done, this frail

Travelling coincidence; and what it held

Stood ready to be loosed with all the power

That being changed can give. We slowed again,

And as the tightened brakes took hold, there swelled

A sense of falling, like an arrow-shower

Sent out of sight, somewhere becoming rain.

posted by ノエルかえる at 17:03| Comment(0) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

のんさっち宮殿の成層耳公爵

 4月1日は、The Dukes of Stratosphear の最初のEP『 25 O'Clock 』がリリースされた日であり、XTC の『 Nonsuch 』が日本で先行発売された日。 
 『 25 O'Clock 』は1985年4月1日に、『 Nonsuch 』は1992年4月1日にリリース。 
 今日は記念日。 

 『 Nonsuch 』のイギリスでのリリースは、4月27日。

 1985年には、ブッチ・モリス Butch Morris の『 Current Trends In Racism 』がリリースされている。( 1986年かも? ) 
 このアルバムのセッションには、ブランドン・ロスもジョン・ゾーンも参加している。 
Butch Morris - Current Trends In Racism In Modern America (Vinyl, LP, Album) at Discogs  

 1992年には、フィリップ・グラスが交響曲第一番を作曲。 

posted by ノエルかえる at 01:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月31日

The Beatles 「 All you need is love 」訳

 ビートルズの「 All you need is love 」。 
元にしたのは、ビートルズのホームページの「 songs 」:
All You Need Is Love | The Beatles  



すき、すき、すき、
すき、すき、すき、
すき、すき、すき 

そもそもが為果せない様に出来てるのだからやり様がないだろう、 
そもそもが歌わせない様に出来てるのだから歌い様がないだろう、 
一言もないね、でも、正々堂々な振る舞い方は身に付けられるよ、 
屈託なくね。 

そもそもが作らせない様に出来てるのだから作り様がないだろう、 
そもそもが貯させない様に出来てるのだから貯め様がないだろう、 
一手もないね、でも、合わせる様にする仕方は身に付けられるよ、 
大体さ。 

畢竟、君に欠けてるのは、好きになること、 
他でもない、君に欠けてるのは、好きになること、 
全く以て、君に欠けているのは、好きになること、 
好きになることが、君がすれば良いことなんだ。 

そもそもが知られない様に出来ているのだから知り様がないだろう、 
そのそもが見せられない様に出来てるのだから見ようが無いだろう、 
君がそこに居る様にはなってなかったのだから、席はないよね、 
それで良いだろう。

畢竟、君に欠けてるのは、好きになること、 
他でもない、君に欠けてるのは、好きになること、 
全く以て、君に欠けているのは、好きになること、 
好きになることが、君がすれば良いことなんだ。 







蛇足: 
この歌の歌詞は、基本的にはポピュラー・ソングの典型に入るのだと思う。 
「僕は頭も悪い、スポーツも出来ない、不器用で何も作れない、それに醜男。でも、僕は正直者だし、誰よりも愛情が豊かなんだ。」と言う内容。 
それを、少しだけ逸脱しているのが、この歌の面白さなのではないだろうか? 



追記: 
上の様に訳したのだけれど、元の歌詞のだらだらした締まりのない感じは、次のように訳した方が近いかもしれない: 
どうしても出来そうにないのなら、そりゃ、出来させない様になってるのさ、 
どうしても歌えそうにないのなら、そりゃ、歌わせない様になってるのさ、 
べつにいいよ、でも、正々堂々とするのは出来る様になるよ、 
気にするな。 



追追記: 
ちょっと解説の様な: 
 この歌、ロンドだと思う。ヴァースのみと取っても良いのではないかと思う。「 All you need is love 」と言うリフレインは付くけれど。 
 「 Straw berry Fields Forever 」の場合は、ヴァースとコーラスの関係が、歌詞の上でも不分明で、私には、その歌のフォニー[ 声 ] が単声なのか、多声なのかが判別出来ないままなのだけれど。 
 この「 All You Need is Love 」はそう言うこともない。単声だととっても良いだろうし、ヴァースは単声、コーラスはコロス[ 群衆 ] ととっても良いだろう。コロスととっても、ヴァースのフォニーを含めたコロスと考えられるし。コロスがヴァースのフォニーに呼び掛けているとしても、そのフォニーの立場に立ったものだから、内容的にはほとんど同一化してると思う。 

 それで、そのヴァースは、カプレットが基本。カプレットに一行が付けられていると言う構成。
第1ヴァースを例にとると: 
「 There's nothing you can do that can't be done. 」「 Nothing you can sing that can't be sung. 」がカプレット、対。 ( ただ、do と song だと対句と言う程でもないけれど。 ) 
 それで、この各行の構成も: 
a「 There's nothing you can 」ーa'「 can't be done 」と言う構成。
a と a' は、能動と受動とになっていて、反転と言うか変化させられていて、そこが妙味。 
そこで、that の役割りなのだけど、それは、付けられたもう一行との関係から分かるもの。 
もう一行は、「 Nothing you can say but you can learn how to play the game. 」なのだけれど、taht に当たるのは、but 。それで、but と反対に近い意味に採るのが良いかと。つまり、順接の接続詞の様な。 
 まあそれで、第2ヴァースの make と save も対なのだから。対になる様な意味に採らないと。
make を「作る」とするならば、save は、「貯める」かなと思う。 

 それで、リフレイン。これ、「 Hey Jude 」の様に永遠に繰り返しても良かったのに。
posted by ノエルかえる at 00:00| Comment(2) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月29日

HARMONY FOR ELEPHANTS

 デイブ・グレゴリーさんは、野生の象の為のチャリティーのアルバムに参加。アルバムの最後の曲、Andy Neveさんの「 Speak For Me 」に参加。 

Harmony For Elephants: Various Artists, A Charity Album - Cherry Red Records  

Various - Harmony For Elephants (CD, Album) at Discogs 



posted by ノエルかえる at 18:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする