2006年11月29日

『Black Sea』の画期性

 『Black Sea』。XTC にとって、画期的なアルバムです。そして、多くの聴衆に愛されているアルバムでもあります。私は、けれども、何によってこのアルバムが画期的なのかは、理解されることが少ないのではないか、と思ってしまいます。

 このアルバムは、ギター・アンサンブル(カルテット)の為の曲集になっています。それは、前作『Drums and Wires』もそうなのですが。前作では、オルガン奏者のアンドリューズがバンドから離れて、代わりに参加したグレゴリーがギター奏者だった為に、結果、ギター・アンサンブルになったのでした。けれども、『Black Sea』は、ギター・アンサンブルを、初めから想定して作られていると思います。
 インタビューの幾つかでは、当時は、グレゴリーは、まだメンバーに馴染んでいず、雇われ仕事の感覚だった、と言っています。けれども、このアルバムの中心は、グレゴリーなのではないでしょうか。彼のギターが要と思われます。
 それも画期の一つではあります。
 それにまた、グレゴリーのギターは、一曲ごとに音色を変えて、アルバムを色彩豊かにしています。前作までの、針金細工、あるいは、床に転がる小石のような物質感に雰囲気を加えていると思うのです。私が、画期的と思うことは、この雰囲気に関係しています。

 このアルバムは、リリーホワイトが制作を担当しました。彼の録音技術は、当時、高い評価を受けました。それは、ドラムズが非常に鮮明に録音されている、と言うものです。迫真的なドラムズは、確かに、素晴らしいです。けれども、それは、この録音の素晴らしさの一部ではないでしょうか。リリーホワイトの、このアルバムで見せた卓抜さは、空気感を捉えたことにあると思います。
 このアルバムの、最初の印象は、濃密さでした。今、聞き返しても、やはり、濃密さを感じます。けれども、彼らの演奏はカルテットで、それ以上の楽器が加えられてはないのです。濃密に思えるのは、そこにある空気が雰囲気を纏うことで、確かな実感を感じさせるからです。リリーホワイトの功績であると同時に、グレゴリーの功績です。
 空気感を持ったアルバムを制作した、ということが、XTC にとって画期的なのです。(もっとも、このようなアルバムを他のバンドは作ることが出来てないとも思いますが) 捉えられた空気は、もちろん、スタジオの空気です。このアルバムは、スタジオ作品なのです。そして、響きという意味で、acoustic な作品だとも言えるのではないでしょうか。
 パートリッジが、スタジオという楽器に気付いたのは、この時なのではないでしょうか。そして、彼は、この楽器の魅力に夢中になっていくのだと思います。このアルバムはステージでの彼らを捉えた、と一般に言われます。私は、反対に、このアルバムが、スタジオの音の魅力を余すところなく聴衆に届ける箱包みなのだと思うのです。パートリッジをスタジオに籠らせる契機となったアルバムなのかもしれません。

 そして、またひとつ、ムールディングの歌が少ないということに関心を払うと、このアルバムの性格が浮かぶのではないでしょうか。ムールディングは、まだ、前作の延長のソングライティングをしています。一方、パートリッジは、グレゴリーのギターを念頭にソングライティングを切り替えているのです。結果、ほとんどパートリッジの歌となっています。このことは、グレゴリーの嗜好がアルバムに反映されることになります。それは、前の時代のポップ・ミュージックへの敬意です。
 (これは、XTC にとっても画期的なことですが、ポップ・ミュージックにとっても画期的なことだと、私は思います。新しい流行を追うポップ・ミュージック(ビジネス)は、前の時代の音楽は忘れるようにしますから。)
 彼らは、『Black Sea』で、The Beatles の音楽の遺産を、自分たちの音楽の中に活かすことに成功します。それは、The Beatles の音楽が60年代に固有の過去のものではなく、現在にも生きている音楽だと証明することになったのです。The Beatles が、常にそこから学ぶことの出来る古典であると、『Black Sea』は、宣言したと言えないでしょうか。どんなにすぐれた音楽も、それを受継ぐものがなければ、古典とはなりません。この点に、『Black Sea』のもう一つの画期性があるのだと思います。


 『Black Sea』発表時は、XTC が最も盛んにステージを行っていた頃です。彼らは世界中を回っています。それまでのバンドや同期のバンドが訪れたことのない国にまでです。彼らは、ライブ・バンドとして絶頂期だったのでしょうか。そうではないと、私は思います。それは、このアルバムのタイトルにも滲んでいます。彼らは、すでに行き詰まっていたのではないでしょうか。『アナバシス』にたとえれば、勢いよくバビロンまで攻め挙っていったところで、主将のキュロスが死に、撤退を始めなければならなくなった、時期なのではないかと。
 
 
posted by ノエルかえる at 15:52| Comment(0) | TrackBack(0) | Black Sea | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月27日

This is Pop ?

 XTC を表す図柄は、幾つかあると思います。現在では、すぐにXTC を思い起こさせる図柄は、『オレンジズ アンド レモンズ』のカバー・アートなのでしょう。デビュー時の彼らを表す図柄は、シングル・レコード「This is pop ?」のカバー・アートでした。
 ハサミとコルク抜きと、曲がった釘でしょうか、彎曲した鋼鉄の棒が無地の机上に並べてあります。それらの三つの物が、それぞれXとTとCの文字に見立てられています。
 この、物が無造作に並べてある、という感じが、当時のXTC の感蝕でした。その物は、その上、冷たく見える鉄製で、しかも、どれも先が尖っています。パートリッジの言う、「時計仕掛けのオレンジ時代」の感触です。
 また、この図を見ていると、チョキチョキ、ギュギュ、カチンカチン、という音が聞こえそうな気もします。それも、また、当時の彼らの持っていた雰囲気に合っているのではないでしょうか。
 あるいは、シュールレアリズムを連想する方もあったかもしれませんが。
 
 楽曲は、押さえられて圧縮された感じのバース、上昇するブリッジ、弾けるコーラス、という構成です。これは、パートリッジの得意とするものなのでしょうか。後の、「Senses Working Overtime」「Across This Antheap」などに、引き継がれていきます。
 曲自体は、それほどよい出来ではないと思います。この曲と「Statue of Liberty」が、アルバム『White Music』完成後に、シングルに選ばれたのですが、双方とも、アルバムを代表するような曲ではないと思います。けれども、「This is Pop」というコーラスは、充分に人の耳を惹くでしょう。「Pop」という破裂音が、まるで、充満し切ったガスが、栓を吹飛ばし、瓶から放出するようです。カバー・アートの「Pop」の部分は、キャンディーと、炭酸飲料の缶の上面です。子供たちが、わざと缶を振って、泡を吹き出させて喜んでいる、というような曲です。バース部分のうねるような旋律は、後の、旋律を強いて捩じ曲げる力強さの片鱗かもしれません。(パートリッジは、圧政の下で重い現実に歪められている人びとのグロテスクさを、美に昇華するショスタゴービッチのpop 版?)
 「This is ・・」という言い方は、日常生活でよく使うのでしょうか。この歌でのコーラスは、叫びになっています。例えば、デモンストレーションで、スローガンを叫ぶにしても、「This is ・・」というのは、あまりないように思うのですが。けれども、この断定的な言い方が、物質的に感じられて、当時の彼らの音楽には合っていると思います。また、『吾輩ハ猫デ或ル』のような可笑しみもあるのではないでしょうか。

 歌詞には、「milk bar」と言う語が使ってあり、映画『時計仕掛けのオレンジ』の世界に設定されていることが分かります。ところで、日本で発表された時には、歌詞カードも添えられていたのですが、それは正式のものではなく、日本のレコード会社で作ったものです。歌詞は聞き取りで作られたものでしょう。「milk bar」の部分は、「nova (超新星)」となっており、超現実的かSF的な歌詞になっていました。

 この曲は、レッキー(Leckie)のアルバム制作の後、ランジ(Robert Lange)によって、新しく録音・制作がされました。仕上がりは、経験豊かなランジの方がよく出来ています。音が鮮やかです。バンドのメンバーも、何度も演奏を直されて、学んだことも多いようです。また、「A Hard Day's Night」のコードだということも、ランジの製作の方がよく分かります。けれども、私は、レッキー製作の方が好きです。チェンバースのたたらを踏むようなドラムズが聞こえ、勢いを感じるのです。
 

「This is Pop ?」のカバー・アートは、チョークヒルで見られます。
This is Pop? front cover




" A Clockwork Orange " IMDb

『時計仕掛けのオレンジ』(DVD) on Amazon

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2006年11月26日

アルバム題名『White Music』

 アルバムの題名は、『ホワイト・ミュージック』なのですが、日本で当初発売された時には、別に邦題が付けられました。『気楽にいこうぜ』です。それで、私は、長い間、原題を間違えていました。『With Music』とばかり思っていたのです。(オーストラリアのテレビ司会者は、『White Album』と言いましたけれど) アルバムのカバー・アートは、タイトルが見え難いデザインになっていますから。(私も、オーストラリアのテレビ司会者と同じく、the Beatles のアルバムタイトルが頭を掠めたのでしょう。『With the Beatles』です。)
 カバー・アートについては、また、当初は、私はその意図を捕らえられなかったのだということが、今、分かります。背景に、両端を黒く中央を白に分けた幕を使っています。メンバーは、その中央の白の部分に寄り集まっています。そして、メンバーの衣装は、パートリッジとムールディングが黒のシャツに白のパンツ。チェンバースが白のシャツに黒のパンツ。アンドリューズが黒づくめ。パートリッジは白の靴、ムールディングは黒い靴。
 白黒のコントラストを意図していたのです。それには気付かず、尻を突き出したパートリッジの奇態や、パンツに見える矢印ばかりが気になっていたのでした。矢印は、白いパンツには、黒い矢印が、前は下向き、後ろは上向きに、黒いシャツには、白い矢印が前に上向きに、配されていたのです。
 これは、『Coat of Many Cupboards』に所収の写真で分かります。
 パートリッジは、この頃、白黒のツートーンを好んでいたのだそうです。白黒のコントラストと矢印は、この頃の、彼らの近代構造物に近く思われる演奏を、表していたのでしょうか。

 いまだに、『White Music』という題名は、「白人の」という意味だと、いわれることがあります。
XTC ファンの間では、これが「ブラック・ジョーク」のつもりで『ブラック・ミュージック』としたかったのを、誤解されるというので、「ホワイト」に変えられたのだということは、周知のことなのですが。

 私は、いまでも、バック・カバー・アートの方が好きなのです。

 それから、クレジットに、ローディーのSteve Warren と、Jeff Fithhes の名前、それに、マネージャーの Ian Reid が記名されていることには注目です。当初の彼らは、一丸となっていたのかもしれません。
 また、「This Record must be played」とあるのも、次の『Go 2』に繋がるようで面白いです。


『Coat of Many Cupboards』 の写真は、チョークヒルで見られます。
unused White Music shots from Coat of Many Cupboards: チョークヒル


With the Beatles on Amazon
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2006年11月23日

アルバム『White Music』

 XTC を初めて聞いたのは、ラジオでの放送が耳に入った時です。ベットから転がり落ちるほど驚きました。大貫憲章さんが司会をしていたラジオ番組だったと思います。大貫さんは、「なんて喧しいんだ」というようなことを言われた、と覚えています。XTC のデビューは、パンク・ミュージックが知れ渡った後です。有名なピストルズは、もう活動していました。それでも、「喧しい」という印象を、それも、ロック・ミュージックの番組の司会者に与えたというのは、書いておく方がいいのではと思います。
 歌は、「Radio in Motion」だったのか知ら。

 その時の私の持った印象は、初期のピンク・フロイドのようだ、それも、硬質になったというのか、爆発しているピンク・フロイドというものでした。強烈な印象で、すぐに、アルバムを買いました。アルバムを手に取った時には、渋い感情を持ったことも、確かです。日に晒されて、色が落ちてしまったのでは、とカバー写真を見て思ったのです。アルバムタイトルは、うっすらとしか見えませんでしたから。でも、バックジャケットの写真は、とてもいいと思いました。ファッションとは無縁、と言うメンバーの様子が、鋭い感性を感じさせましたから。

 アルバムを聴いての印象は、ラジオでよりも、もっと強烈でした。「All Along the Watchtower」など、特にです。私は、ムールディングのファンなのですが、それは、このデビュー・アルバムからです。今、聞き返しますと、ムールディングの甲高い声の歌は、神経質で鋭く感じます。パートリッジの歌には、鈍い印象を持ちます。これは、若い頃とは違った印象なのでしょう。若い耳への印象は、パートリッジの打撃的なギターとアンドリューズの破天荒なオルガンが占めていたのだと思います。
 彼らの演奏を「喧しい」と思わせたのは、それまでのポップ・ミュージックとは断絶したところでの音楽だと感じさせたからかもしれません。パートリッジの、旋律に鋏を入れ裁断するようなギター奏法は、そのような印象を強めていたのではないでしょうか。
 もちろん、「This is Pop」に「A Hard Day's Night」のコードを使っているとか、「核武装したバレット」というコピーを作っていたり、と、実は断絶はしてなかったのですが。それらは、全く知らされていませんでした。
 何より、彼らの演奏の際立った特徴は、ドラムズ、ベース・ギター、ギター、オルガンが、同じリズムで演奏しない、ずれている、というものでした。そして、楽器の役割も、一般的なポップ・ミュージックのものとは、違っていました。歌なのですから、それを歌うボーカルが旋律をとるのは、他とは変わりません。けれども、その旋律に添う副旋律は、ベース・ギターが担っています。また、ドラムズも、拍を刻むのではなく、抑揚を持った旋律のように聞こえます。
 そして、切断するようなギターの音、それに、薄い金属板が撓むようなオルガンの音が合わさる彼らの演奏は、打撃の印象が強調されています。粒子が、空間内を反射しながら跳ね回っている、というような感じです。それは、エネルギーの様子をそのまま写したようでもあります。デビュー当時の彼らは、正に、エネルギーの音楽だったのではないでしょうか。
(打撃音が多いのは、楽器だけでなく、何でも叩いているということもあります。録音時には、スタジオ内の様々な物を叩いています、ロッカーなど)
 また、リズムのずれは、立体的な印象を与えます。彼らの演奏は、何かの感情をリズムと旋律に乗せて表出すると言うようには聞こえません。手触り感のある物体があるような感じを与えます。音の彫像なのです。それは、針金を組み合せて創られたような彫像です。空隙が見え、それが余計に、空間性を思わせます。
  彼らの歌は、恋の歌でもなければ、車や酒の快楽の歌でもありませんでした。DCコミックから持ち出した、擬音を振り回す愉快さでした。それは、空間を、それも固い空間を必要としていたのではないでしょうか。

 この『White Music』の彼らも、また、疾走しています。デビュー当時のビートルズが疾走していたように。でも、それは、ロンドンの趣きのある町並みの中を大勢の女の子たちに追いかけられてではありません。人気のない、ペンヒル団地ザ・バリーを無目的に疾走しているのです。壁や路面を叩きながら。そこは、彼らが育ったスウィンドンにある、都市計画で人工的に創られた高層ビルと工業団地の町です。コンクリートで閉ざされた町です。



Album detailes : Idea


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White Music on iTunes

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2006年11月22日

a Peckham rose

 「River of Orchids」の歌詞に、a Peckham roseと言う語があります。これが分かりません。薔薇の種類は、非常にたくさんあるので、その名前かとも思ったのですが、確認出来ません。
 ロンドンの西部地区に、ペッカムと言う地名があります。非常に古くから栄ていて、1980年に閉鎖されるまでは、西地区で最も有名なデパートがあった商業地区と言うことです。
 このペッカムに、Peckham Rye と言う地区があります。語感は似ているのですが。このペッカム・ライは、ウィリアム・ブレイクが、幼少の時に、天使が樹に鈴なりになっていると言う幻視を見たところと、知られています。「River of Orchids」も、幻視ではありますけれど。
 このペッカム・ライには、公園(Peckham Rye Park)があり、その薔薇園は有名なようです。パートリッジは、そこの薔薇をイメージしているのでしょうか。


Peckham:From Wikipedia



South London Areas : Wooster & Stock

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XTC の変遷

 XTC は、活動期間が長いバンドです。若いときから創作活動を初めて今に至るまで、その内容と形態ともに変遷があります。創作の技量が、経験を経るに従って、増しているのはもちろんです。また一方、表現される世界も変化しています。
 大雑把に、アルバムを、時代区分してみます。

1、ミロの時代
  (または、キュビズムの時代)
 『White Music』
 『Go 2』
 『Drums and Wires』

2、旅行記の時代
 (または、アナバシスの時代)
 『Black Sea』
 『English Settlement』

3、スィンドンの人びとの時代
 『Mummer』
 『The Big Express』
 『Skylarking』

4、後拾遺歌撰集
 『Oranges and Lemons』
(私見ですが、『Skylarking』録音時の「Dear God」は、こちらに収めた方がよいと)

5、ウイリアム・モリス製作、チョーサー集時代
 『Nonsuch』

6、現在、Apple時代?
 『Apple Box』

 ミロ時代の彼らは、自分たちの目前の現在だけを見ていたのが、モリスのチョーサー時代には、その現在を裏打ちしている歴史にも目を配り、風合いを大切にするようになったのかもしれません。


ミロ:美の巨人たち

Kelmscott Press
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2006年11月21日

The last Ballon (埋葬)

 丘にある墓地、そこに、ぼくは埋葬する。友人を、母を、子を。
 新しく掘られた穴は、湿った土の臭いを昇らせている。ぼくの眼には見えない、微細な生き物たちの棲み家から発せられている。棺は降ろされる。底に達した棺は、すでに影に入って見え難くなっている。そこで時が経てば、愛おしい者たちも微細な世界に移ってしまい、ぼくの眼には形もなくなるのだろうか。
 ぼくは、土をかぶせる。幾杯も繰り返して、土をかぶせる。ぼくの目には、涙が湧いてくる。睫にたまる涙は、視界を遮ってしまう。そして、まるで鏡のようになってしまった。周りは何も見えない。その鏡に映る、土をふり落としているぼくが見えるだけだ。
 一瞬、気が遠くなってしまった。すると、土が、ぼくの上に落ちて来た。幾杯もの土が、ぼくに降り掛かってくる。
 気を取り戻したぼくは、周囲が反転しているのに気が付いた。棺は、地中ではなく、空中にあった。仄めく気球に吊り下がり、空へと昇って行く。ぼくの涙の中に見た姿は、ぼくではなかった。気球から、エチオピア人が土を投げ下ろしている。

「落としまーーーす」
「皆様、お手を空にして下さいぃ!」
「私共、係員は自らの罪で重くなっておりまーす」
「私共をお捨てにならなければなりませーーん」
「土と一緒にお捨て下さーーいぃ」

 エチオピア人が、いや、ぼくが叫んでいた。
 
posted by ノエルかえる at 13:37| Comment(0) | TrackBack(0) | Apple Venus | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月19日

『Fossil Fuel』

 XTC は商業的に成功しなかったバンドと、よく言われます。確かに、彼らが大金を手に入れて裕福に暮らしている、と言うようなことはないようです。ロック・バンドを投機の対象と考えるのなら、成功しなかったと言うのは、正しく言われていることのようです。
 けれども、XTC は、デビュー以来、発表したアルバムすべてが、常時、カタログされている、と言うのも事実です。ディスコグラフィーがあると言うだけでなく、今でも、入手可能な状態にあります。実は、このようなバンドは少ない筈です。この点からすると、XTC は、商業的にさえも、成功していると言えないでしょうか。
 このように、アルバムは発売中なのですが、アンソロジーの『Fossil Fuel』(日本版) が廃盤になっています。
 『Fossil Fuel』は、シングル集、それもシングルA面集なのですけれど。デビューから、ヴァージンレコードを離れるまでの、ほぼ全活動期のシングルです。アンモナイトの化石のカバーアートも秀逸です。ブックレットには、すべてのシングルのカバーアートも一覧にされています。
 XTC を聴く初めとしては、格好のアルバムなのです。これがないのは、残念です。輸入版では、まだ、入手出来るようですけれど。
(思えば、ビートルズの青版・赤版もなくなっているのですね)
 XTC のレコード製作は、アルバムを作って、そこからシングルカット、と言うものではありません。まずシングルを作って、その経験を踏まえてアルバムへ進むと言うものです。ですので、特に初期のものは、シングルのものとアルバムのものは録音が違います。プロデューサーが違うものもあります。


『Fossil Fuel』 on Amazon

posted by ノエルかえる at 14:23| Comment(1) | TrackBack(0) | Other Recordings | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月18日

Standing In for Joe

 コリンの歌「Standing In for Joe」は、発売後すぐから、Steely Dan の歌「Barrytown」に似ていると、言われます。「Barrytown」は、アルバム『Pretzel Logic』に所収の歌です。
 似ています。歌詞に、standing と言う箇所もあります。
Barrytown on iTunes

 けれども、このSteely Dan の歌を、コリンが、無意識であっても、使っているとは思いません。
 「Standing In for Joe」は、もともと、バブル・ガム・ソングスを作ってアルバムにしようと言う計画のために用意された曲です。それで、どことなく聞いたような印象はあるのだと思いますけれど。
 この曲に聴かれる旋律は、その跳ね方にコリンの特徴が顕著です。アルバム『Wasp Star』に所収の他の二曲よりも、それまでのコリンの歌に近いものです。コリンの創作に違いないと思われます。
 コリンの歌作りは、既存の歌の研究からなされるということは、本人も言っています。ですから、この曲も、何かの歌を分解する中で作られたものかもしれません。けれども、その歌は、一般に、古いスタンダード・ナンバーです。Steely Dan のような“新しい”ものではないでしょう。
 私にも、この旋律の原型として思い当たる曲が一曲あります。The Beatles の「Tell me what you see」です。『Help』所収のもの。この愛らしいマッカートニーの小曲、その単純さが魅力になっている様子なども近しさを感じます。(バブル・ガムには相応しい) マッカートニーがときおり作るカントリー風の旋律です。辿れば、古いカントリー・ソングに受継がれている旋律の一端なのかもしれません。
 コリンの仕上げは、上々だと思います。カーボーイ風のコリンも素敵だと思うのですが。
posted by ノエルかえる at 21:13| Comment(0) | TrackBack(0) | Wasp Star | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月17日

Jimmy Durante

 XTC というバンド名は、ジミー・デュランテの言葉からなのは、知られています。
 ジミー・デュランテは、ラグタイムピアノの奏者で、また、喜劇俳優でもありました。生年は、1893年から1980年です。喜劇俳優としては、キートンの映画に出演して活躍しています。「Schnozzola (デカ鼻)」というニックネームで知られているそうです。
Red Hot Jazz Archive
こちらで、演奏も聴きことが出来ます。
 XTC の“モダン”な感覚、ドタバタ喜劇の感触は、こんなところにルーツがあるのでしょうか。思えば、私達が抱いているロックン・ロール・ミュージック、XTCもそれに分類されていますけれど、は、偏ったイメージなのかもしれません。このような、トム アンド ジェリー風のお騒がせ曲が、ロックン・ロール・ミュージックが持つ、もう一つの一面なのではないでしょうか。
posted by ノエルかえる at 13:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 注記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

The Last Balloon (子供)

 妻は穏やかな笑みを浮かべている。ぼくは、彼女の心が分からない。数日前までは、塞ぎ込んでいたのだから。妻は、バターパークを歩きながら、遊んでいる子供たちに柔和な眼差しを注いでいる。ぼくは、彼女の直ぐ後ろに付いている。
 ぼくら夫婦は、子供を亡くした。ぼくは自分の無力さを悔やんだ。子供には苦しみだけを与えたのではないかと、責めた。妻もそうなのだと、思っていたけれど。
 今朝、不意に、妻は遊園地へ行こうと言い出した。彼女は、迷うことなく、お猿の玩具を取り上げ手提げへ入れた。その手提げを下げた腕に、ぼくはそっと手を添えている。
 妻は何も言わずに公園の中を歩いていた。子供たちを眺めながら。一日中そうしているのだろうか、と僕が思い出したとき、彼女は振り向いて、ロンドン・アイに乗りましょう、と言った。
 ぼくらの籠は、ゆっくりと昇って行った。もう、日が傾き出していた。籠が円周の頂点に差し掛かろうとした時、妻が、あれを見て、と独り言のように言った。彼女の息が、ガラスを曇らせていた。ぼくは、彼女を理解出来ずに席を見つめていた。彼女の手提げがある。
 手提げの口が開き、お猿の玩具が飛び出して来た。歯を剥き出して笑う、そしてシンバルをけたたましく叩き出した。ぼくは驚いて妻の方を見たが、彼女は一心に空を見ている。そして、ぼくの手を引き、今度は大きな声で叫んだ、あれを!
 窓の外には、仄めく気球が浮かんでいた。そして、気球から吊り下がった籠には、ぼくらの子供が入っている。あの子は、とても健康そうに眠っている。桃色の頬が見える。

「お子様のみなさまー、ご乗船下さーい。」
「ぐっすりとお休みの間に昇ってしまいますよー」
「ほら、お坊ちゃま、お嬢ちゃまですよーー」

 お猿の玩具が叫んでいた。

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2006年11月16日

The last Balloon (女)

 懐かしい通りを歩く。幼いころ母と通った。今、歩道を打つ私の足音は、その響きも調子も、幼い私のものではないけれど。その余韻の中に、あの時が幻となって投影されているように思われる。
 歩道に上部を覗かせている窓が見える。母が働いていた縫製所だ。私は、母の遺灰をポケットに入れている。それをコートの上からつかんだ。
 近づくと、窓ガラスが割れているのに気が付いた。もう長い間使われていないようだ。残っているガラスは砂埃で曇っている。窓の前に立ち見下ろす。ガラスの割れた窓から暗い室内が見える。深い穴を覗くような気持ちだ。
 眼を凝らすと、まだ、ミシンがそのまま置かれているのが分かる。母が使っていたものだろうか。床に鋭く光るものがある。ガラスの破片が、どう回り込んだのか、陽光を反射しているのだ。宝石のようにも見える。母は、自分は決して着ることのないドレスを縫っていた。彼女は、そのドレスを身に着けたいと思っていたのだろうか、宝石も…
 視界の隅を黒い影がよぎった。首をまわすと、エチオピア人のような背の高い男が、角を曲がるところだった。私は、彼を追って角を曲がった。男は、暗い小路に、こちらを向いて立っていた。笑いかけている。チュシャ猫のように白い歯が浮いている。彼は付いて来いと言った。
 私は彼に従って、錆だらけの螺旋階段を登って行った。建物の屋上に着くと、そこには、仄めいている気球が待っていた。男は、見る間に小さくなった。毬ほどに。そして、飛び廻っている。気球の周りには、犇めく人影があり、それを導いているのだ。

「最終便離陸でございまーす。」
「奥方のみなさまー、ご乗船下さーい。」
「宝石、毛皮はご遠慮下さーい!」
「忌まわしい月日は、皆、お捨て下さ〜〜いぃ」
「落としまーーーーす」

 黒い毬が私の脇を抜けた。引き起こされた風が、ポケットから母の遺灰を吸出して撒き散らした。
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2006年11月15日

Sunny Jim

 パートリッジのカトゥーン好きは、よく知られていると思います。
「1000 Umbrellas」にさえも、カトゥーンの人物が登場します。「Sunny Jim」です。
 アメリカの穀物会社Force の宣伝に使われたカトゥーンです。

Wikipedia の説明でも、「1000 Umbrellas」に言及しています。
Sunny Jim

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Rael Brook shirts

 「Frivolous Tonight」の歌詞に出てくる Rael Brook shirts 、英国では、よく知られているワイシャツのメーカーなのですね。ちょっと高級な感じも。テレビのコマーシャルも英国人には馴染みのものなのだそうです。

 Rael Brook 社のwebページにも、取り上げられています。

Rael Brook Trivia




 歌詞の「hang out」は、「洗濯に出す」と言う意味。仕事に出かけるための正装のワイシャツは洗濯に出して、今夜は、楽にしようよ、と言う感じなのでは。


posted by ノエルかえる at 13:16| Comment(0) | TrackBack(0) | Apple Venus | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

the last Balloon : Montgolfier

 「ラストバルーン」を作った時、パートリッジの頭にあったイメージは、モンゴルフィエ兄弟の気球なのだそうです。そして、この気球のイメージが、ハープシコードの音を想起したのだそうです。

ウィキペデイアの説明:
Montgolfier brothers
(日本のものをリンクして送信すると認識されなくなるので、英語版)


the London Science Museum にあるもの
Colour engraving: Montgolfier Balloon


 この気球だと、下に籠がないのですね…

posted by ノエルかえる at 12:59| Comment(0) | TrackBack(0) | Apple Venus | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

The last Balloon (男)

 鮮やかな緑色の草が風に靡いている。ぼくが辿っている道が登る丘の斜面全体がその草の緑だ。ぼくは墓地へと向かっている。友人を弔うため。
 友人は、米国に旅行に行き、そこで銃で撃たれた。ホテルのレセプションでチェックをしている時、警察と窃盗団の銃撃戦が始まったという。伏せろ!と叫んだ警察の言葉が彼には理解出来なかった。呆然と突っ立ている彼の胸を銃弾は貫いた。

 丘を登る道は暗くなって来た。エチオピア人だろうか、背の高い真っ黒な男が前を歩いている。男は振り向いて、ぼくに付いて来いと行った。男に付いて丘の頂まで登ると、そこには、仄めいている気球が待っていた。周囲にたくさんの人影が。

「最終便離陸でございまーす。“恐怖”発の最終便でございまーす。」
「右の乗り場からお願いしまーす」

 先ほどのエチオピア人の背が縮んでいる。人影の中に入っても、いっそう黒い。影を誘導している。

「殿方のみなさまー、ご乗船下さーい!」
「爆発物、刃物はご遠慮下さーい。」
「前世のものはお捨て下さ〜〜いぃ。」
「落としまーーーーす」

 ぼくは、確かに見たと思う。犇めいている影の中に友人がいた。

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2006年11月14日

『XTCソング・ストーリーズ 』

 『XTCソング・ストーリーズ 』は、XTC の全曲に対するパートリッジ、ムールディングのコメントを、ネヴィル・ファーマーが聞き取ってまとめたものです。三人が、パートリッジのシェッドで、鼎談をしてテープに録ったものが元です。特に歌詞についてが話題の中心にはなっています。『Apple Venus』『Wasp Star』は、まだ、製作途中だったので、略式になっています。
 興味深いものです。これを読んで聴くと、各アルバムの印象も変わると思います。私自身も、これを読んで、『Skylarking』に、よりいっそうの陰影が付加されて、より強く胸に迫るようになりました。
 都内の区立図書館でしたら、蔵書しているところも多いです。日大芸術学部図書館にもありますけど。
『ソングストーリーズ』 紀伊国屋web書店にて

原書 紀伊国屋web書店にて



 イタリア語が読める方は、10ft.it のwebページに全訳がありますけど。

posted by ノエルかえる at 15:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 注記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『Mummer』は傑作?

 このブログを設けた理由の一つは、一般に流布しているXTC の評の中で、私が納得出来ないものを、明らかにしておきたい、ということがあります。
 その最大のものは、『 Mummer 』に関するものです。『 Mummer 』が、最も販売が振るわなかったアルバムだと言うことは、否めないでしょう。けれども、それが、そのまま、このアルバムの価値であるのではありません。
 実際、このアルバムをお好きな方も多いと思います。それにもかかわらず、何故か、評価さえも低いアルバムということになっています。CDのライナーノーツにさえ、散漫な、弱いアルバムと書かれてあったり…
 また、このアルバムでは、コリンが奮起して冴えている、という説明が一般です。これは、LP発売時のノートにも、そう書いてあったのではないか知ら。これも、肯じていいものでしょうか。
 まず、このアルバムの発表時、メンバーには、相当の自信があったことは、『ソング・ストーリズ』などで、知ることが出来ます。彼らは、自分たちが傑作を作り出したと思っていたのです。
 それが受け入れられなかったのは、事実ですが。

 このような評価の低さは、このアルバム制作時の彼らの災難事を、そのまま、アルバムの印象に投影しているからではないでしょうか。アルバム制作時、チェンバースが脱退し、制作が長引いたためプロヂューサーが交代し、ということがありました。
 けれども、彼らは、それを好機に変え、アルバムに新しい価値を加えているのです。Peter Phipps のドラムズは、チェンバースにはなかった繊細さを加えました。「Great Fire」は、Steve Nye が去った後書かれたものです。
 そして、何より、もっともらしく言われていることは、パートリッジのステージフライトの影響です。彼は精神が不安定になり、弱っていたというものです。
 それは、まったくの間違いだと主張出来ます。『 Mummer 』制作時のパートリッジは、XTC の全活動期を通じて、最も創作欲、創作力が充溢していた時です。アルバム『 Mummer 』を挟んで、多数のシングル曲が発表されています。このアルバムが、2枚、あるいは3枚組にもなり得たほどの量です。
 パートリッジの精神疾患は、彼の創作を滞らせたどころか、逆に、彼にそれまで縛りをかけていたポップ・ミュージックのタブーを忘れさせ、思う存分の創作に駆り立てたのです。
 小説家については、その書くということが一つの疾患である場合があると言われます。書かなければいられないというものです。例えば、ドストエフスキーのような。彼らは、尋常ではない量の書き物をしてしまいます。パートリッジも、これと同様なのではないでしょうか。彼は、歌を書かずにはいられないのです。
 パートリッジが、ステージを嫌う理由の一つもここにあると思います。ステージに立っていては、書くことが出来ないからです。ステージフライトは、彼に、常に書いていられる状況を提供してくれたのです。この理由が、また、完全な作品と、スケッチ(demo)とを発表したいという彼の心情の理由でもあると思います。

 『 Mummer 』は、極論すれば、XTC の最大傑作だと言えます。そこまで言わなくても、彼らの傑作の森の入口なのです。ここから、『The Big Express』『Skylarking』と、数年間の豊かな音楽世界が続くのですから。(The Dukes of Stratosphear も間にあります ) よく比較される The Beatles と較べても、この作品の両・質は凄まじいのではないでしょうか。The Beatles は、『SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND』の後、これ程に作品をものにしてはいないでしょう。

 ともかく、『 Mummer 』が、最重要作品であることは確かなのですから、評価が改まることを望んでいます。

 思えば、私が買ったビートルズのLP『リボルバー』のノートには、散漫なアルバムというようなことが書いてありました。それが、今では、一番人気のアルバムであったりしますから。
posted by ノエルかえる at 15:04| Comment(2) | TrackBack(0) | Mummer | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月13日

He has gone to another life.

 今、『Wasp Star』を聴きました。このアルバムを、こんなに悲しい気分で聴くことになろうとは思ってもいませんでした。「In Another Life」を涙を流しながら聴こうとは。
 幸福感に満ちたアルバムなのに。ながい苦難の末にやっと訪れた平坦な道で、互いの無事を喜び合い、笑い転げている二人。振り返ると、ながい険しい道が望めます。それへ向かって、腹の底からの大声を張り上げて、さよならを叫んでいる二人。そんな、感じを抱きながら聴いたアルバムだったのに。
 なんてXTC なアルバムだろう、とも思いました。とってもアンディな、ギターにドラムズ、そしてオルガン。とってもコリンな、ベースに、コーラス。XTC でないものは全部削ぎ落として、正にXTC だけが削り出されたアルバム。その削ぎ跡も生々しいのだけれど。
 そして、その裸形にされた音の佇まいの清々しさ。果てしのない開放感を味わったアルバムだったのに。

 コリンは往ってしまいました、けれども、帰ってくることもあるかもしれません…、その時はまた、このアルバムを歓喜を持って聴くことが出来るのでしょうけれど。


 『Wasp Star』は、『Apple Venus』と組になって、『Apple Box』を構成しています。『Apple Venus』が1で、『Wasp Star』が2です。
 ラングレンによって意図された『Skylarking』程ではないですけれど、この『Apple Box』も、ある円環が設けられているのではないでしょうか。パートリッジは、『Skylarking』の失敗からも学んでいるのではないかと思います。その円環を、自分の世界のものとしています。イングランドの土着の世界に持ってくることに成功していのです。
 『Apple Box』は、復活祭に始まって、メイ・ポール祭りに終わります。これは両方とも春の祭りです。生命の誕生を言祝ぎます。円環はこの誕生から誕生・再生へのものです。
 復活祭から始まり、と言っても、北欧の神オーディンまで登場するのですが、復活祭とも関係の深いグリーンマンの祭りを経て、これは夏かも、秋の収穫祭の祭りへと円環は進みます。
 そして、秋の後は、冬。これは死です。「The Last Balloon」で歌われる、気球の下の籠は、棺のイメージがあります。いったんは死んでしまった人間の復活。その解決は…
 『Wasp Star』は、「校庭」と言う回想で始まります。そして別の人生を夢見ることへと進み。空の雲の美しさを望んで、その時、ある永遠性に感づくのかも知れません。その高揚感は、メイ・ポールの眩暈に具現化されます。こうして、生命の円環が完成されます。
 『Apple Venus』は神話的で、『Wasp Star』はこの世的と言えるかも知れませんけれど。

 ともかく、生命の喜びに満ちた幸福感に溢れたアルバムなのは確かです。

 それなのに、今は、悲しく聴こえてしまいます…

posted by ノエルかえる at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | Wasp Star | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

コリンは行ってしまったのでしょうか

 ブログを作ったところに、コリンの音楽活動をやめるという報に接しました。消沈してます。
私は、コリンに惹かれて、XTC を聴いていたので。そして、今まで、私にとって、XTC は現在の音楽でしたから。
 このような日は、必ず来るものだと納得しようとしますが、悲しいことには変わりありません。
 今は、コリンの新しい生活の幸運を祈るだけですけど、もし出来るなら、また、歌を作っては欲しいものですが…
posted by ノエルかえる at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

このブログについて

(一度作って、表示が崩れていたので、再度、初めから作ってみました。)

 このブログは、XTC 好きの私が、XTC を聴く楽しみのために書いています。

 私は、XTC がデビュー以来、好きで聴いています。長い経歴の間には、彼らは音楽の形式を変化させてきました。それでも、好きでずっと聴いています。なぜでしょうか、自分でも分かりません。最初に、彼らの演奏を聴いたのは、スウィンドンに住んでいた訳でもないので、もちろんラジオでです。それは、偶然なのでしょうけれど。その後、ずっと彼らを好きで聴いているのは、何か理由があるのでしょうか。彼らに導かれて、私の音楽の好みも変化しているのでしょうか。それとも、離れた地域に暮らしていても、同じ時代に生きていて、共通の感覚を持っているのでしょうか。ただ、彼らの音楽が優れているからなのでしょうか。どれも、理由なようで、どれも理由でないようです。
 けれども、XTC は、私にとって、常に、現在のバンドです。新作を期待し続けています。間遠になっても、もうないかもしれないとしても、次の作品があるものと、信じています。パートリッジ、ムールディングの両人が亡くなるまでは。そして、私にとって、彼らの最高作は、常に最新作がそれなのです。



(かのこさんの助けを借りながら)


 付記:ノエルかえるは、ノエル・カワードからとって付けた名前です。イギリスの喜劇俳優で、作歌家でもありました。コール・ポーターと同様、ムールディングが傾倒していると言う作歌家です。ノエルがカタ仮名、かえるがひら仮名なので、不恵留は万葉仮名にしました。


Noel Coward from Wikipedia
posted by ノエルかえる at 13:15| Comment(2) | TrackBack(0) | このブログについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする