2007年09月27日

夏の夢

 緩い流れのままに、ぼくのボートは、川を漂っていた。夏の短い夜が終わった。星空を眺めていたぼくは、眠ったのかどうか覚えもない。ただ、いつの間にか星は消え、空は赤銅色へと変わっていた。
 セイレンの歌が聞こえるような気がした。その声に引寄せられるように、ボートは、小川がこの川へ注いでいるところへ乗上げた。そこには、片方だけの赤い靴、赤銅色の靴、が沈んでいて、流れ込む水にコポコポと音を上げていた。
 ぼくは、ボートを降り、叢の中を歩き回った。誰もいず、郭公が朝日に歓声で応えているばかり。ぼくは、靴の中で回る泡に、アフロディーテを幻したように思う。叢から見晴らすと、赤銅色が退いてゆき、ラヴェンダーの紫色が浮び上がるところだった。蜆蝶が舞い出した。
 ぼくは、高くなっていく日の下で、道に出て、町だと思われる方へ進んで行った。一人の少女が、駆けて来て追い越して行った。向こうから、号笛が聞こえる。工場が始まるのだろう。ぼくは働いたことがない。ぼくは、旅をして回り、手帳に詩を書留めるだけの者だから。さっきの少女も工場で働いているのか知ら。
 日が中天へ上がった。
 ぼくは、工場を覗いてみる。汽車を造っているらしい。男たちが鉄板を鎚で叩いている。平たかった鉄板は、次第に、湾曲していく。何になるのか、ぼくには分からない。ぼくの眼には、裏返された笠のように見える。千の笠が並んでいる。規則的な鎚の音は、工場の中で響き、音楽のように思える。あの銅製のオルガンの音のように。
 工場を後にしたぼくの耳には、まだ、金属の音が残っている。青く晴れわたった空の天蓋を軌道を描いて音の粒子が回っているよう。輝く太陽の周りを周回する、煌めく、また一つの、星のように。
 その音に疲れてぼくは町を離れた、川へと戻ろうと。町を離れかけると、古い長屋の前で人だかりがしてる。輪の外にいた男に訊くと、一人暮らしの老人が死んだ、と。男たちは、老人の亡骸を運び出していった。ぼくは、主のいなくなった長屋へ入ってみた。余分な家具などない住まい。寝台と、食台とがあるだけ。窓枠に時計があった。老人が、工場の退職記念に貰ったものだそうだ。彼の唯一の財産。空ろな部屋を、時計の音が抜けていく。
 川へと戻ると、少しだけ傾いた陽の下で、子供達が流れへ飛び込んでいるところだった。子供達は、心地良い冷たさの水の中で、泡だけを纏って遊んでいる。今朝、ぼくが幻したアフロディーテは、もう粉みじんで、セイレンの歌も聞こえない。それでも、子供達は、クリスマス・イブに聞く『人魚姫』の話に、今日の泡の音を思い出すかもしれない。
 町を振り返ると、何処から昇ったのか、一筋の煙が棚引いて、空と地を画していた。午後九時前では、まだ空は青い。ボートに足を懸けたぼくは、マルタからアレクサンドリアへの旅を思い出していた。

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2007年09月25日

ドナルド・エヴァンス

 ファジー・ウォッブル・シリーズは、切手の体裁のアートワークで統一されています。書簡集、というような意図か知ら。全くプライベートなものもあります。(電話の保留用の歌などもありますし)
 切手様の絵画、で思い付くのは、ドナルド・エヴァンス Donald Evansです。合衆国の画家、1945生まれ、1977年没。パートリッジが、彼の作品を参考にしたかどうかは判りません。けれども、美術には、造詣の深い彼ですから、知ってはいると思うのですが。

Donald Evans from artpool

『World of Donald Evans』 on Amazon.co
posted by ノエルかえる at 09:34| Comment(0) | TrackBack(0) | Fuzzy Warbles | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月24日

The Garden of Earthly Delights

 アルバム『Orangre and Lemons』の巻頭の歌は、「The Garden of Earthly Delights」。
 これは、15世紀のフランドルの画家、ヒエロニムス・ボスの三連からなる祭壇画の中央部分の絵と同じ題名です。あるいは、パートリッジは、この絵を念頭に置いていたのか知ら。日本では、『快楽の園』の題。『Tuin der lusten』(オランダ語)
 この絵は、今は、スペインのプラド美術館にあります。

 この絵は、風刺画でもあるのですから、パートリッジがこのアルバムの制作に当たって考えていた、童謡『Songs of Six pence』の諧謔とも通じるものがあるのかも知れません。


Hieronymus Bosch : WebMuseum, Paris




 また、この「The Garden of Earthly Delights」を題名にした小説があります。合衆国の作家、Joyce Carol Oates が1967年に発表したもの。『不思議の国』四部作の第一作。
on Amazon.co

posted by ノエルかえる at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | Oranges & Lemons | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Appels

 アルバムの題名、『Apple Venus』は、林檎のヴィーナスということなのでしょうけれど。この言葉は、『Nonsuch』の「Then she appeared」に出て来ます。

Then she appeared, apple venus on a half open shell

 そこで、apple venus の部分、英語でなくて仏語で読めば、「ヴィーナスを呼んだ」と言うふうに読めます。
 (もともと、英語の「appear」と仏語の「appeler」は、同じ源かも知れませんし。)
 パートリッジは、このような言葉遊びもするのか知ら。


と、思い付いたのは、ミカエル・レヴィナスの作品表を見ていて、『 Appels (11人の演奏家のための) 』という題の作品を見つけたからです。
 Michael Levinas は、メシアン門下の作曲家。そして、哲学者 エマニュエル・レヴュナスの息子。

posted by ノエルかえる at 13:09| Comment(0) | TrackBack(0) | Apple Venus | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月20日

Short'nin' Bread

 Todd Bernhardt さんの「 Song of the Week -- Andy's take 」から備忘。

 「Meccanik Dancing」には、下敷きになった歌があるとのこと。米国南部地方のフォーク・ソング「Short'nin' Bread」。

NIEHS KIDS' PAGES に掲載のメロディ

posted by ノエルかえる at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | Go 2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月17日

All Along the Watchtower

 パートリッジの音楽の特性は、反復にあります。それは、初期から今日まで変わらないのでしょう。けれども、初期に於いては、反復は、断絶と合わさっていたのではないでしょうか。
 その特性は、彼自身のペンの歌よりも、ディランの「All Along the Watchtower」で見る方が明らかだと思います。
 パートリッジは、ここで、旋律を裁断しています。旋律に載せられていた言葉は、意味を剥ぎ取られ、単に音と化しています。その音も、旋律にあった時の前後の音との繋がりを断たれて、粒子化しています。(現代音楽の手法で、歌曲に使われる歌詞の言葉を、音節毎に、あるいは、一音毎に切るということはありますけれど)    
 ここでパートリッジが行ったことは、特筆されることでしょう。一般に、ポピュラー歌謡の快感は、リズムの抑揚に乗ることにあるのですが、それは音が連なっている旋律があって起こることです。パートリッジは、それを排除したのです。彼は、「This is not Pop music !」と言ったことになります。
 私たちは、切られた旋律の断面を、パートリッジに見せられることになります。そこには、その音を存在させている構造が、柱や梁のように見えています。それは、その場に留まり続けるものです。それが反復の音になっています。この歌では、その部分は、ムールディングのベースギターとチェンバースのドラムズが担っています。
 パートリッジは、パーカーのビ・バップやこの歌でのようなダブを好んでいるようです。それは、音の組成を分解することに、面白さを覚えているからでしょうか。分解された個々の音は、簡略な反復になっています。螺子の螺旋のようにです。それがテーブルの上に散在しています。それぞれは、断絶して。このように、反復と断絶が合わさっています。
 そして、パートリッジは、その断絶を跳梁します。断絶の溝はとても深く、底は見えない暗闇なのですが。暗闇を飛び越える時の、背筋を走る戦慄はある種の快感を覚えさせます。


「All Along the Watchtower」 on iTunes music store

posted by ノエルかえる at 13:59| Comment(2) | TrackBack(0) | White Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月09日

Summer's Cauldron

 Todd Bernhardt さんのパートリッジとの9月2日付の対談は、「Summer's Cauldron」でした。この歌を選んだ理由は、夏だから、とか。それで、私も、『Skylarking』を聴きながら,午睡をしたりしました。

 パートリッジは、この歌は、歌詞から出来た言っています。その歌詞は、二つの部分、「drowning here in Summer's cauldron」と「Miss Moon lays down, Sir Sun stand up.」から成っているとも。
 けれども、何よりも、この歌のイメージの中心は、「赤銅」なのだと言っています。それが、夏を想起させる色だとパートリッジは感じているそうです。そしてその「赤銅」がオルガンを連想させ、パートリッジの頭中では、オルガンの音響は夏を表すものになっているようです。
 ラングレンは、オルガンをメロディカに替えることを提案して、完成版にはそれが使われているのだとのことです。オルガンは、「Season Cycle」に使われています。私は、これを聴くと、ムールディングの「In Loving memory of a Name」との繋がりを感じるのですが。ムールディングは墓地を逍遙していましたが、パートリッジは草地を歩いています。それから、また、ムールディングの「Bungalow」へ、これも夏の歌ですし。
 私は、この歌詞、そしてメロディからは、西脇順三郎の『Ambarvalia』中の詩を思い浮かべます。ヘレニックに感じるからでしょうか。『The Wind in the Willows』の「The Piper at the Gates of Dawn」の章にも、ギリシャの神が登場しますけれど。パートリッジの歌詞は、それに留まらず、インカまで登場して、より、神秘的な感があります。

 それから、「copper (赤銅)」を辞書で引くと、ベニシジミチョウも出て来ます。イングランドでは、夏によく見られる蝶なのでしょうか。日本だと、夏の蝶と言えば、揚羽蝶ですけれど。…、午睡中、蝶になった夢を…
 また、イギリスの人びとの好きなラベンダー、その香料を蒸留するのには、銅の大鍋を使うのだそうです。
 
posted by ノエルかえる at 15:15| Comment(0) | TrackBack(0) | Skylarking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする