2010年08月29日

You and the Clouds Will Still Be Beautiful 訳

 パートリッジの「 You and the Cloud will still be Beautiful 」。
will still be Beau・・、ill - ill be - be と繰り返すところ、大きな抑揚の中で、細かなうねりを作るようです。これは全体にあるようです。

 歌詞は、『 English Settlement 』の「 Knuckle Down 」のように、争いを否定するような内容に、前半は思えますけれど、最後の連に至ると、夫婦の歌のようです。喧嘩が治まって睦まじい夫婦に戻るのかどうかは不確かですけれど。

 全体には、天気に関わる言葉を使って歌詞を作っているようです。

 the stars 、星ですけれど、運勢の意味も。
 wether 、去勢された雄羊、あるいは山羊。国歌にとっての国民? ここは、whether の間違いのようにも思えるのですが、たぶん、間違いではなくて、この語を使っているのだと思います。英国の中央部に Wetherby と言う町があります。イングランドとスコットランドの境に近く、そのために闘いの場になったこともあるそうです。また、第二次世界大戦では、ヒットラー軍との攻防の拠点でもあったと言うことです。そう言う闘いの場所と言うイメージと、weather と言う語との類似を利用した言葉遊びのように思います。
 『 Wetherby 』と言う、David Hare 監督の作品があります。1985年の作品。
http://www.imdb.com/title/tt0090310/
 hail 、歓迎すると言う動詞の意味と、雹と言う名詞の意味があり、それを両方使う言葉遊びだと思います。
 


拙訳です、



これまではね、朝、起きると僕は、
界隈を歩き回っていたものなんだよ。
世界がちゃんとあるかどうか確かめるためにそうしていたんだ。
これまではね、夜、戸締まりをすると僕は、
星回りにも目を向けたものなんだよ。
星辰が夜の間ちゃんと回っているかどうか確かめるためにそうしていたんだ。

理由があるんだ、
人々が、傷付け合い、侮蔑し合い、蹴飛ばし合い、そして喧嘩するのを見てたからね。
国々が、オテン( wether )を廻って戦争をしているのを見てたからね、
オテンは右なのか左なのか、オテンは間違っているのか正しいのかと言って戦っていたんだ。
それを考えると、頭の中で嵐が起こって、
人はもっと深く苦境に陥ることは分かっているんだ。
けれども、オテンキについては申し分は無しなんだ。
君と雲はいつまでも綺麗なままだよ。
お天気は上々、
君と雲はいつまでも綺麗なままだよ。

それから僕は、世界の至る所にある潜伏した戦車に攻め込まれた都市、
ちょうどトロイのような都市を、平和の海へと導くんだ。
けれどももちろん、都市を溺れ死にさせたりは全体しないよ。
それからまた、世界の至る所にある赤旗を掲げた群衆が嵐のように押し寄せた牢獄で、
ちょうどバスティーユのような牢獄で、僕は、
首領を歓呼するんだ、首領は飛び降りて来るんだ、
首領は霰が降るように飛び降りて来るんだ。

僕は、これまでにも、人々が稲妻を
夏の日に導き落とすのを見たことがある。
それに僕は、国々が、ただ単に巫山戯て、
石ころや陶器の破片を入れた雪つぶてを投げつけるのを見たことがあるんだ。
それを思うと、頭の中で雨は豪雨になって、
人は真面目に戻って、きっと、お巫山戯は止めることは分かっているんだ。
けれども、オテンキについては申し分は無しなんだ。
君と雲はいつまでも綺麗なままだよ。
お天気は上々、
君と雲はいつまでも綺麗なままだよ。
だから、雨よ、もっと降れ!

そして、僕たち夫婦二人は、受け皿が飛んでいるのを見てるんだ、
紅茶茶碗も飛んでいる、料理皿も飛んでいる。
僕たちは、愛し合う者たちの道を歩いていて、
ときどき、側溝に落ち込んでしまうからね。
そんなことを思うと、君の頭の中で雷が起こって、
ゴロゴロと轟いていることは僕にも分かっているんだ。
けれども、オテンキについては申し分は無しなんだ。
君と雲はいつまでも綺麗なままだよ。
お天気は上々、
君と雲はいつまでも綺麗なままだよ。

だから、雨よ降れ、降れ、
雨よ降れ!
posted by ノエルかえる at 15:25| Comment(0) | TrackBack(0) | Wasp Star | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Shall I Compare Thee To A Summer's Day?

パートリッジの「 You and the Cloud will still be beautiful 」の歌詞に、Down to a summer's day と言う表現があります。これ、シェークスピアのソネット18 番に「 Shall I compare thee to a summers day ?」と言うのがあり、内容がなんとなく、添うかなと思いまして、、

Shall I compare thee to a summer's day?
Thou art more lovely and more temperate:
Rough winds do shake the darling buds of May,
And summer's lease hath all too short a date,
Sometime too hot the eye of heaven shines,
And often is his gold complexion dimmed,
And every fair from fair sometime declines,
By chance, or nature's changing course, untrimmed.
But thy eternal summer shall not fade,
Nor lose possession of that fair thou ow'st,
Nor shall death brag thou wand'rest in his shade,
When in eternal lines to time thou grow'st.
So long as men can breathe or eyes can see,
So long lives this, and this gives life to thee.


あなたを夏の日に喩えましょうか?
いや、あなたは、もっと愛らしくもっと優しい。
五月の間中、荒々しい風が花芽を揺らすものです。
それに、夏は余りにも早く去ってしまいます。
時には、空の瞳はあまりに熱く輝きもし、
なのに、太陽の黄金の顔は、しばしば曇るのです。
どんな立派なものも、滅びるものなのです。
偶然か、人が調性は出来ない自然の変化の過程の為かはあるでしょうけど。
だけど、あなたの永遠の夏は消え去らない。
あなた自身の美しさは保ったままだ。
死があなたの影の中で逍遙しているなんてことはないんだ。
永遠に滅びない詩の中で、あなたはいつまでも成長するんだ。
人間が息をしその瞳が見える限りはずっと、
この詩は生き続けて、あなたに命を与え続けるのだ。
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2010年08月24日

Garden of Earthly Delights

 「 Garden of Earthly Delights 」と言う題名の歌が他にも。

 1968年発表のThe United States of America のアルバム『 The United States of America 』に収められている歌。A面四曲目。
Joseph Byrd 、Dorothy Moskowitz の作。
 サイケディリック。

http://en.wikipedia.org/wiki/The_United_States_of_America_(album)
posted by ノエルかえる at 18:30| Comment(0) | TrackBack(0) | Oranges & Lemons | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月22日

長谷川潾二郎

 テレビの『日曜美術館』を点けていると、長谷川潾二郎 ( りんじろう ) を紹介していました。
その絵を見ていると、絵本『もじゃもじゃペーター』も出て来たのですけれど、ムールディングの歌を思い浮かんでしまいました。
 絵の持つ、陶磁器のような硬質な表面と、ギリシャ建築の列柱のような等質な空間性、そのようなものが似た感覚に思えたのか知ら。
 「 Wake up 」のアートワークも、そういえば、似たような雰囲気です。

 あまりに日常的なものから、永遠を思わせる形象を聞き取る/見出すことが同じなのかもしれません。

1012-2.jpg

長谷川潾二郎画集,静かな奇譚
posted by ノエルかえる at 20:57| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月16日

Wounded Horse 訳

 パートリッジの「 Wounded Horse 」。そのまま読んだだけですけれど。
 ムールディングの「 Standing In for Joe 」の続きのようにも思えます。言葉としては、「 The Disappointed 」を思わせるところも。言葉も馬に関係する語を使っている中で、ship が出るのは唐突に思えますが、paddle と言う語も、パートリッジはよく使っています。

 bite one's tongue は、「 make a desperate effort to avoid saying something ( 言いたいことを必死に堪える )」なのですが、それも含意しているのかもしれませんけれど、失神した馬が舌を口から出している様子の描写だと思います。

 You'd been riding another man は、エロティックな意味なのだと。


拙訳です。

俺は膝ががくがくして倒れてしまったんだ、
まるで、一撃を浴びた馬のように。
そうして初めて、俺は分かったんだ、
お前はもうずっと他の男と関係していたって。

俺はふらつきながら何週も回っていたんだ、
負け馬が回るコースを。
そうして初めて、俺は分かったんだ、
お前はもうずっと他の男と関係していたって。

仲間は皆言ったんだ、
もう一度鞍に登れば、
何もかもが上手くいくって、
分かっているじゃないか、と。
仲間は皆言ったんだ、
舟は漕ぎさえすれば沈みはしない、と。
ところが、俺の舟ときたら、
明けることない夜に漂って行っちまったんだ。

俺は舌を噛み出したんだ、
まるで、傷を負った馬のように。
そうして初めて、俺は分かったんだ、
お前はもうずっと他の男と関係していたって。
仲間は皆言ったんだ、
もう一度鞍に登れば、
何もかもが上手くいくって、
分かっているじゃないか、と。
( まるでお伽噺の中のように )
仲間は皆言ったんだ、
舟は漕ぎさえすれば沈みはしない、と。
ところが、俺の舟ときたら、
明けることない夜に漂って行っちまったんだ。
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2010年08月08日

Bike Ride to the Moon 訳

 Sir John Johns の「 Bike Ride to the Moon 」。

そのまま読んだだけです。

 月の塵に、雨を止めると言う神話かなにかあるのか知ら??
 the man in the moon は、月の姿が人間の顔に見えるので。

拙訳です:


さあ、押し出してお呉れ!
楽しい自転車の月旅行に出発だ。
だれが何処から出発してもいいんだよ!
楽しい自転車月旅行にはね。

ぼくらふたりは、ジェーンおばちゃんに月チーズを持って帰ろう。
それから、アルフレッドおいちゃんには、魔法の月のチリ。
それで、可哀想なおいちゃんの頭に降る雨を止めるんだ。
おいちゃん寝てるかもしれないけど ( おいちゃんたら、仕方ないなぁ )

ポット一杯のお茶を持って行っていけないなんて、そんなことはないよ。
楽しい自転車月旅行なのにさ、お茶はいるよね。
ぼくたちふたりには、エンジェルフォードケーキもいるよね。
楽しい自転車月旅行なんだからさ。

テントも持っていこう、だって夜は寒いからね。
寝袋は二人で使ってもいいよ、そうしてもいいかなぁ?
それでさ、空想の月面男からきみを守る
ゆかいな仲間にぼくはなるんだ。( ぼくがどんな人間か、見ておいてよ! )

月へ向かってまっしぐらさ、振りかえるなんて出来ないよ。
楽しい自転車月旅行がはじまったらね。
何か積み忘れたものあるかな?
楽しい自転車月旅行にいるもので?

ぼくらの自転車、クロームメッキなんだけど、星々と同じで瞬いている。
ところが、とつぜん、思いだした。忘れたものがある。
もう、ちっとだって上に行けなくなった。
だって、尖ったスプートニクがタイヤをペチャンコにしたんだもん。
posted by ノエルかえる at 18:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 25 O'Clock | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月03日

『 Powers 』 感想

 A. J. Partridge 『 Powers 』を一通り聴いての感想。

 印象づけられるのは、打楽器の音、それも柔らかなアタックのロール音。それから、管の音、それも楽音ではなくて、吹き込む息を聴かせようと意図された管。弦の音、それもやはり楽音ではなくて、ギターやヴァイオリンであれば駒の上を、ピアノであれば蓋を開いて直接に弦を引っ掻いたような音。
 このような音は、芯を欠いた暈のような印象を与えます。ぼんやりとした筆致です。たっぷりの水分で画紙の上で色が滲み広がり、筆跡と言うものは消え去ってしまったかのようです。色の際も定かではありません、どこまで色があるのか、目を凝らせば、それだけ余計に分からなくなるようです。
 このような印象、パートリッジのこれまでの作品とは正反対の特徴です。
 パートリッジの音楽は、これまでの『 Orpheus the Lowdown 』にしても、『 Through the Hill 』にしても、際立って明快な輪郭線を持っていて、物質感を強く持つものでした。
 音楽を大きく二つの特徴で分けるとすれば、バッハのような伽藍を思わせる構築感のあるものと、ベートーベンのような塊を思わせる物質感のあるものに分けられるのですが、パートリッジの音楽は、そのベートーベン的な塊の音でした。XTC のもう一人のソングライター、ムールディングはバッハ的な線の組み合わせの音でした。ですから、パートリッジが、『 Take away 』を制作した時にも、ムールディングの構築された線を切断することで、ムールディングの歌が内包していた空間を物質が凝集している塊に変化させていたのでした。
( 蛇足を付け加えれば、パートリッジの歌は、ベートーベン的な、苦悩から歓喜という定則を踏んでいます。 )

 このように違うのは、パートリッジの内在的な変化と言うのではなく、やはり、Richard M. Powers の作品に感化されてと言う外在的な理由からでしょうか。ただ、パワーズの絵も、サイケデリック・ソングと同様に、幼年期少年期のパートリッジの心を捉えていた中心のものであり、彼の根幹となったものかもしれませんけれど。

 私はパワーズを知らなかったのですが、バイオグラフィを見ると、通俗な読み物 ( 主にSF ) に挿画を描いていた人ということですが、キュビズムやシュールレアリズムに感化を受けて、後年には、コラージュ作品も創ったりしたそうです。作品目録を見ると、私はあまりSF小説作品を知らないので、知っている作家ばかりが目につくということもありますが、J. G. バラードの作品が多いように思えました。
 パワーズは芸術本流の画家であったわけではないので、キュビズムにしてもコラージュにしても、方法論、芸術観を思索しながら制作したのではないのでしょう。とは言っても、そのスタイルをただファッションのように利用しただけと言うのでもないように思えます。芸術とはほど遠い日常的な生活の中であっても、何かを形象させようとすれば、越境的な思念も用いざるを得ないのだと思います。それは、パートリッジとも共通しているのではないでしょうか。
 バラードの小説は、私の知る限りでは、ウェルズのような驚異に焦点を当てるものではなくて、理解出来ない謎、知ることの出来ない知識に幻惑されて、自身と言う視座を失うことを主題にしているように思います。世界の果てを知ることが出来ない、そもそも果てと言うものがあるのかどうかさえも分からない、そんな考えに捕われている間に、自分自身を見失ってしまうと言う感じです。
 今回のパートリッジの『 Powers 』は、そのような主題にとても上手く合っているように思いました。

 12のトラックが終わった後、2分に近い沈黙があります。その間にも、何か共鳴してなっている音があるように思えて、私は耳をそばだててしまいます。そうしていると、私自身も、自分と言う視座を失ってしまいそうな気がします。


 CD装丁の裏の言葉:

 それは60年代始めの頃だ。英国のある内気な少年が、毎週決まって、町の図書館に通っていたんだ。少年は、いつも、三冊の空想科学小説の本を借りていた。でも、読むのではない、全く読まないのだ。ただただ、表紙を見詰めていたんだ。…
 そして、少年はいなくなった。
posted by ノエルかえる at 23:28| Comment(2) | TrackBack(0) | Other Recordings | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月01日

Church of Women 訳

 7月29日に、「XTC church of women 歌詞 訳」という検索がありました。『 Wasp Star 』の歌詞を順に読んでいる途中なので、少しばかり後に、と思ったのですが、コンピューターのフォルダの中に、以前に訳したものが残っていましたので、そのまま写します。改めての検討などはしていませんので。

拙訳です。




ひとつの嘘のためにまたひとつの嘘
ひとつの真のためにまたひとつの真(まこと)

女人の会堂、
乳から造られる。
女人はそれを慈しみ酪へ変える。
女人の会堂、
あなたは讃えるほかない、
笑おうとも、喚こうとも、口籠ろうとも、
男であれば。
女人は男と同じ所は何もない。
男の心の縁まわりは樋口(ひぐち)ばかり。
私は屈してしまっている、けれども、
躯は振れて、跪拝(きはい)をしたがる。
女人の会堂に、
息が吹き込まれる、
そして、私は目が回る。
跪拝したい、
女人の会堂で跪拝したい。


女人の会堂、
寄進を行っている、
慈愛と供与。
女人の会堂、
奇跡を起こす、
生命あるものを蘇生させる。
男であれば、
男はしないだろう。
男の念の枠は苦悩で囲まれている。
私はわたしの”山”に登り、道を説く。
跪拝を。
女人の会堂に、
息が吹き込まれる、
そして、私は目が回る。
跪拝したい、
女人の会堂で跪拝したい。
ひとつの嘘のためにまたひとつの嘘
ひとつの真のためにまたひとつの真
私に、女人の会堂を返してほしい、
壁、扉、
床、蓋。
聖餅と葡萄酒は口にすまい。
神話は読み替える。
革(あらた)めるのだ、
一片の麺麭と接吻を増やす、
そして、愛し、食さなくては、永遠に。
posted by ノエルかえる at 17:17| Comment(0) | TrackBack(0) | Wasp Star | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Standing In for Joe 訳

 ムールディングの「 Standing In for Joe 」。

 歌詞は、とても平明に思えます。あまりに平明なので、私の分からない何処かに仕掛けがあるのではないかと考えるのですが、分かりません。平明であることの魅力を追求した歌詞かもしれません。
 ただ、ジョーの台詞の部分と、歌詞の語り手の部分が不分明に重ね合わせてあって、そこは、二重の意味になっていて面白いと思います。
 言葉としては、友人の妻を tender ( 看護する )はずが、その妻の tender ( 優しい ) 魅力に惹かれると言う遊びが面白いです。

 メロディは、「 Tell Me What You See 」風、伴奏には、「 She said She said 」風な感じと、ビートルライクな歌ですけれど、それは、パートリッジの「 My Brown Guitar 」への呼応か知ら。でも、わたしは、フガフガ言うハーモニカ( アコーディオン? )が好きです。


拙訳です。





僕は立ち竦んでいるんだ、、、
僕は、ジョーの代わりを務めているんだ。

ある時、ジョーは僕を呼び出して言ったんだ。
「一つ頼まれてくれないか?
私が町を離れている間、
妻には介添えがいるんだ、
妻はそれは不安定でね、
夜には、妻が安心して健やかに眠れるよう、
君にそうっと見守っていて欲しいんだ。
さて、他のことは分かるだろう。」
( それからどうなったか皆さんは分かるでしょう )
と言うわけで、ジョーの靴はあまりに僕にぴったりなんだ、
僕はジョーの代わりを務めているんだ。
ジョーは言ったんだ。
「私たちは長年の友人だ、
君は、私の一生を通じて信用を置いている
ただ一人の男だよ。」
その台詞が僕の頭の中を駆け巡っているんだ。
夜の帳が降りて、
僕はジョーの部屋の灯りを消した、
そうしたら、一体誰がジョーの奥さんの儚気な魅力に抗える?
というわけで、筋書きは進んで行って、
ジョーを演じる僕は、ジョーの役目の全部をしてしまう、ってことになったんだ。
僕はジョーの代役を演じているんだ、、、
愛は河に似て、
誰も流れを塞き止められないんだ、
僕はジョーの代わりを、、、
posted by ノエルかえる at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | Wasp Star | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする