2011年02月25日

Ermine Street とSequin

 「 Chalkhills and Children 」の Ermine Street 、私の拙訳で、エイミー街道としていたのを、アミン街道に訂正しました。
( 何かで、エイミー街道と書かれていた様に思っていたのですけど。 )

 訂正の際に、ふと思ったのですが、Ermine Street は古代ローマ、Sequin ( Zecchino ) は中世イタリアの都市国家のもので、イメージとしては結びつくようです。それも、現代的に言えば、グローバリズムの象徴としてイメージが出来ます。
 とは言いながら、アミン街道 ( アーミン ) は、パートリッジの故郷の道として、肯定的な面を持たされて、ゼッキーノは否定的な面を持たされています。パートリッジには、何か意図があるのか知ら?


 ともうひとつ、empty tyres も訂正。がらんどうのタイヤに。
 タイヤは、車輪を巻いている表面のゴムの部分を言うのですけれど、empty tyres は、その部分だけになったものを言います。中の車輪やチューブがない状態です。公園で、ブランコや跳び箱の遊具に使われる様になった状態です。古タイヤと言えば、想起し易いのだと思いますけれど。「古い」ことは問題にされてなく、「空っぽ」であることが問題なので、古タイヤを訳語に当てるのは適当でないと思います。何か良い言い方があればいいのですが。
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2011年02月24日

「 That's Really Super, Supergirl 」パートリッジのノート

 僕は面白いコードを見つけていたんだ。僕が音楽的に執着していたその和音は、昇向順に、B♭ - F - G - A - F - B♭ だった。僕は、その響きが悠然としたものに聞こえたんだ。でも、同時に、「モダン」にも思えた。ビーフハート・マジック・バンドが、ロマンティックになろうとしていたとすれば、使っていたかもしれない類いのコードだったんだ。また別のようにも考えたんだ。つまり、この和音は、空を飛んで行く響きで、大空に架かっている、ちょうど、…、超人的な、…、そう、スーパーガールのような響きだと。パーン!ビューン!バーン! 何とまあ! バットマンのパンツ。と言う訳で、歌が出来たんだ。僕が何らかの関係をスーパーガールと持っているとすれば、僕が超人的な人物でない為に、間髪入れずに捨てられると言う関係だ、と言うのは明らかなんだ。他人は、僕の考えがこれより先へ進んだと思うのだろうか? 否、それは無い! また一つ、捨てられ男の歌を僕は手にしたんだ。

スクリーンショット(2011-02-20 11.28.03).png



 僕がその後にこのコードを他の二つの歌に使ったことを見ても、僕はこのコードをとても気に入ったことは間違いないと思うんだ。『オレンジズレモンズ』の「 Garden of Earthy Delights 」、それに、短期だけだった FOX テレビの『 Wonderfalls 』のテーマソングがそれだよ。僕がデモを仕上げた時には、ややリズムアンドブルース的なハーモニカが終始鳴っていたんだ。僕は、この歌をB面のものと考えていたし、その頃、音楽的に前へ進む先を探していた僕には、この歌は後退したものに思えたものだから、アルバムの選に入るだろうとは考えてなかったんだ。ところが! トッドはこの歌が気に入ったんだ。実際、彼は、この歌は彼がシングルに選んだ歌の一つだと僕に言ったんだ。僕はこのことについては黙すよ、その時には、十分でなかったんだろうね。
 ユートピア・サウンドでの録音では、僕は、クリック・トラック ( 拍節を刻んでいるテープ ) のスネアドラム ( の音だろうか!?!?!? ) に合わせてリズムギターを弾いていたんだ。その理由と言うのは、まだ、プレイリーが来ていなかったからなんだけど。トッドとの協議で、僕は、スネアドラムのところに、タムラ ( モータウン・レコード ) か『イエロー・サブマリン』のビスケットのブリキ缶をカチャカチャ鳴らすような音を使いたい、と言ったんだ。彼は興奮して跳び上がったんだよ。それで、あっという間に、マルチトラックのテープを持って現れたんだ。それは、彼のバンド、ユートピアのアルバム『 Deface the Music 』のものだったんだ。トッドは、それをリールに装填して、卓上のチャンネル・フェーダーの摘みを上げたんだ。「こんな感じか?」とトッドは聞いたんだよ。「ああ、そうだ! これだ!」と僕は答えたよ。すると、トッドは、一つか二つ、摘みを叩いて、それを自分のフェアライトに入力したんだ。しかも、全部をバックビートにプログラミングして、同じ彼のアルバムの別のトラックから取った、タムラ風のブーン・バッ・バップ・ボップに繋いだんだ。可哀想なのは、プレイリーだったね。数週間後、彼は、その仕上がった録音にバスドラムとハイハットだけ ( スネアは無し ) のドラムズを演奏して加えると言う、とても出来そうにない仕事をしたんだ。とてもとても、細心の注意を要することなんだよ。でも、なんてこったい! プレイリーはそれをやってのけたんだ。
 デイブが、この歌で演奏したギターのソロは、彼の演奏の中で、僕が最も好きな二つのもののうちの一つなんだ。心に残るもう一つの演奏は、『 Nonsuch 』の「 That Wave 」だよ。正直に言って、デイブが演奏に使ったギターが、彼をとても高く浮揚させたんだと、僕は思う。そのギターは、ずっと彼の夢の楽器だったんだからね。エリック・クラプトンのサイケデリックなとんでももない装飾画のギブソン SG だったんだ。ユートピア・サウンドのコントロール室に入った時、僕たちを驚かせたことの最初のものがこのギターだったんだ。僕らが行く数年前に、トッドが買っていたんだ。ギターはスタンドに凭せかけてあった。弦はみな錆びていた。でも、罅割れた蛍光色のポスターカラーの渦に彩られて、まだ、煌めいて見えたんだよ。デイブは、トッドに懇願したんだ。もし、この楽器を鳴らしてもいいのだったら、自分の少年時代の夢の中で、他の何よりも望んでいたものが実現できると言ってね。彼は、自分のギターを、もう十分たくさん持っていたんだけれどね。トッドは、「結構」と言ったんだ。デイブは、このサイケなロゼッタストーンに重い責務を課せられると言う重大な局面で、見事な演奏をしたと、僕は思うんだ。首にストラップを掛けてそこに立つと、デイブは、正真正銘のポップ・スターに見えたし、そう聞こえたんだ。でも、ズボンは恰好わるかったね。
posted by ノエルかえる at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | Skylarking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月20日

「 Summer's Cauldron 」の編曲について

 新『スカイラーキング』のパートリッジのノートを、読んで思ったこと。

 XTC のアルバム制作は、持込まれた多くの歌を、スタジオで実際に突き合わせてみて、その呼応する関連性を探し出していく、たぶんに偶然性に委ねられた、音楽的な旅でもあったのですけれど、『 Skylarking 』では、ラングレンの意図が予め設けられていたために、寄り道の挙句の驚きの発見はなかったのだろうと思います。
 パートリッジにしろ、ムールディングにしろ、アルバム制作以前に、確固とした見通しはなかったでしょうから、今となっては、ラングレン作の『 Skylaking 』以外には、もう考えることは出来ないのだと思います。そして、ラングレン作『 Skylarking 』が、フランク・シナトラの『 Where are you ? 』に並ぶ不朽の名作に仕上げられたことは、否定は出来ないように思います。
 けれども、もし、ラングレンではなかったら、マイルス・デイヴィスの時代も地域も越えた傑作『 Kind of Blue 』に匹敵するものになっていた可能性があったのではないかと、私には思えます。その機会は、永遠に逃してしまったのではないかと。

 ムールディングも、そして、パートリッジさえも、ラングレンの編曲の能力は、並外れた天才的なものと言っています。 
 「 Summer's Cauldron 」の編曲を見て、彼の素晴らしさと、逃してしまったかもしれない可能性を考えてみました。

 冒頭の自然音で構成した音のタペストリーは、見事なものです。ラングレンの発案とすれば、やはり、彼の天才が伺える部分でしょう。異なる幾つかの自然音を、長さの違うループに収めて、一緒に再生し、複雑なリズム構成に仕立てると言う方法を、先行の作品に求めると、ピンク・フロイドの『 Dark Side of the Moon 』のB面開始の「 Money 」に見つけられます。しかし、このラングレンの作の方がずっと深みと広がりがあるように感じます。鳥や虫の声、虫の羽音がどんどんと拡張していくのを、犬の鳴き声が中央に一声入り、一瞬で世界が収斂し、歌へと引き継がれるという構成は、ラングレンの天才が可能にしたのでしょう。
 また、冒頭のモチーフにハーモニウムを選んだのも、夏の陽炎を思わせて、最良の選択だったと思います。
 しかし、歌にあった可能性をそのまま取り出せたかどうかは、確実には言えません。ラングレンの編曲の上手さの例に、パートリッジも「 Summer's Cauldron 」から「 Grass 」への繋ぎ方を挙げています。確かに、美しく無駄のない編曲です。私は、逆に、ここにこそ、ラングレンがこの歌の可能性を閉ざしてしまった部分があるように思うのです。
 「 Summer's Cauldron 」は、完成作を聴いても、終結部を持っていないように思えます。「 Grass 」に繋がらないまま終えてしまうと、中途半端に感じられるのではないでしょうか。それは、パートリッジのデモ ( 『 Fuzzy Warbles 2 』 ) を聴けば、より明らかだと思います。歌の旋律は、浮揚しただけで、何処かに行き着いてはいないのです。それが、パートリッジの魅力の一つなのですが。そのために、デモでは、歌詞を歌い終わった後、延々と演奏が続いています。
 ラングレンのしたように、終結部を「 Grass 」に委ねることで、作り上げて、完結させるのも一つの方法です。でも、それは、同時に、パートリッジの魅力を閉じてしまうことでもあったのだと思います。
 この歌を、アルバムの冒頭ではなくて、終結か、あるいは、A面の終わりに置いて、果てることのない漂流の感覚を出すことも出来たでしょう。また、その場合には、彼らが何かの偶然で見つけた音、それは私たちがこれまで聴いたことのなかった音響的体験になったでしょう、を聴くことができたのかもしれません。開始部分を『 Dark Side of the Moon 』から類似を見つけたことに倣えば、同じアルバムから「 The Great Gig in the Sky 」を一つの目安にして、想像が出来るのではないでしょうか。もっと、爆発的な拡散の美しさを作り出せたかもしれません。
 また、冒頭のハーモニウムは、適切だっと思いますが、途中のシタールはどうだったのか、と思います。歌詞のインカを考えれば、アルパを使った方がよかったのではないかと思うのです。
posted by ノエルかえる at 18:04| Comment(2) | TrackBack(0) | Skylarking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月18日

Snowman 訳

 パートリッジの「 Snowman 」。



拙訳です、




まだ冬にはならないのに、私は凍えている、冷え切っている。
このような感じ方、心地よいものでは決してないのだけれど。
ああ、私が知りたいのは、気の置けない友よ、
何故、あの女は私を恰も雪だるまのようにあしらうのか、と言うことなのだ。
あの女は、私を一寸も動けないようにしてしまったのだよ。
恰も私は、幾年も幾年も、
幾年も幾年も、ここに留まったままのように思えるのだよ。
私は、辛抱強く、万年雪の中で凍り漬けになって待っているという訳なのだよ。
その私から溶けて滴る雫があるとすれば、それは皆、涙なのだよ。涙、涙なのだよ。
あの女は、あまりにあまりに私を冷たくあしらうものだから、
それに耐えるのに、私は相当に高額な代価を支払わなければならない訳なのだよ。

まだ冬にはならないのに、私は震えている、悪寒がする。
愛を待っている、愛は届けられはしないのだけれど。
ああ、私が知りたいのは、年来の友よ、
何故、あの女は私を恰も雪だるまのようにあしらうのか、と言うことなのだ。
友よ、君は、私が寛大に過ぎると、言いたげだね。そうだろうね、
もし君が < 駄目っ子帽 > を作ったとしても、私はそれを被るのだろう。
私が見る所、 < 歓迎 > などと書かれたマットで、
足を拭きたがる傾向が人にはあるようだね。
まだ冬にはならないのに、私は凍えている、冷え切っている。
このような感じ方、心地よいものでは決してないのだけれど。
ああ、私が知りたいのは、気の置けない友よ、
何故、あの女は私を恰も雪だるまのようにあしらうのか、と言うことなのだ。
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2011年02月17日

dunce-cap

 パートリッジの「 Snowman 」の歌詞に出る、dunce-cap。

 おもに小学校で、学習が出来なかったり、いたずらしたりした生徒に被らせる、罰の帽子。円錐形の帽子。

2009-03-01-duncecap.jpg
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English Roundabout 訳

 ムールディングの「 English Roundabout 」。

 この歌のおかしみは、roundabout は、ロータリーなのですが、それを、出口もなくただ回っているだけのように思わせているところにあるのか知ら。



拙訳です




まわりには、余裕もなく急いでいる人たち。
それで、ぼくは、あちらにもこちらにもいられないで、目が回っちゃう。
< こうつうじゅうたい > につかまっちゃって、ぼくは、叫びそう。
「< ぐるりんえいこく >から出してよ!」
< ぐるりんえいこく > 出口なし。
どのクルマも鳴らしてる、「ビープ! ビープ!」
ひつじみたいに連なる人たち、「メーエ! メーエ!」。
ぼくのあたまは、いっぱいのライトとそうおんで回っちゃう、回っちゃう。
息と一緒にののしり言葉をはく人たち。
「俺は通りすがりなだけだ! 死んでしまいそうだ、まったく!」
なんとかなりそうにはない、もう決まってる、と、ぼくは思う。
ばかなことはやめてよね、
< ぐるりんえいこく > 、< ぐるりんえいこく > 出口なし。
どのクルマも鳴らしてる、単音で「ブルン! ブルン!」
でも、ぼくの耳には、つづく音「ブーーーン!」と聞こえる。
ヘッドライトでぼくは目がくらんじゃう。
こんなケイコウは、だんだん、ひどくなる。
クルマやバスは走ってる、はいきガスを吹き出して。
クルマのまどを開けると、ぼくは、息がつまっちゃう。
もうたくさん、ぼくは出ていきたいよ。
「< ぐるりんえいこく >から出してよ!」
< ぐるりんえいこく > 出口なし。
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2011年02月16日

Down in the Cockpit 訳

 パートリッジの「 Down in the Cockpit 」。

 パートリッジにいくつかある女性礼賛の歌の様です。

 言葉の仕掛けは、分からなかったので、そのまま読みました。内容は捉え難いので、私は理解は出来ていません。
 発音が他の歌とは違います。アメリカ黒人風でしょうか? 文体も?

 the Cockpit は、よく知られている意味の「操縦席」ではなく、「 a place where a battle or other conflict takes place. 」だと思います。
 また、 farmer は、第一義の「農民」ではないと思います。他には、「 One who has paid for the right to collect and retain certain revenues or profits. 」「 a person who looks after a child for a fixed sum. 」の意味がありますが、この歌の中では、「子守り」が適当ではないかと考えました。


拙訳です、



子守りか何かのように振る舞う男がいる。
その男、女性に< 貧相な雌牛 > のように扱われている。と、女が言う、
「これからは、もう少しましに世話してやろうね。」
とは言うものの、男は赤子そのままの様。
男は、女たちの親切と言う乳が必要だ。と、男が言う、
「俺はお前が許すだけ飲んでやるんだ。」
長い歴史の中で、男は規格化された。
それは不思議でもない、歴史を見れば常のこと。
女の方は、弱い性の振りをする智慧を得た。
さあ、闘技場に降り立ってみれば!
男は、闘技場から助け出してくれる女が必要だった!
闘技場に降り立ってみれば!
< 女王 >は< 城 >を獲ろうとしている。
< 凡兵 >の後から、城を獲得する。
< 女王 >は< 城 >を獲ろうとしている、遂に今!

女族は進化した。
そして世界に溢れ出した、新しい精神と共に。
その精神とは、支払った高い料金に見合うよりもっと多く手に入れる、だ。
「女族よ、かつて男がしたの同じ過ちをする勿れ、
さもないと、同じ落とし穴に落ちてしまい、
男と役割を変わってしまうぞ。」
歴史を見れば明らかなこと、
男は規格化された、不思議でもない、
歴史を見れば明らかなこと、
女は、弱い性の振りをする智慧を得た。
さあ、闘技場に降り立ってみれば!
男は、闘技場から助け出してくれる女が必要だった!
闘技場に降り立ってみれば!
< 女王 >は< 城 >を獲ろうとしている。
< 凡兵 >の後から、城を獲得する。
< 女王 >は< 城 >を獲ろうとしている、遂に今!
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2011年02月15日

It's Nearly Africa 訳

 パートリッジの「 It's Nearly Africa 」。
パートリッジの何曲もある自動車批判の歌の一つのようです。最期に出る肥満の男は、ハリストスが一般には痩身の男なのに対してなのでしょう。( 太った男に率いられた、終末とかハルマゲドンとかを唱える、特定の新興宗教団体を連想させているわけではないと思います。 )

 そのまま読んだだけです。




さあ、魂が自由であることを賛美しよう、どうするかと言えば、
偉大な真実にまっしぐらに進むのさ、背骨まで突き刺さる吹き矢みたいにね。
吹き矢は背骨まで突き刺さってブルンブルン震える、ブルンブルンって、自動車道の騒音じゃないんだ。
ブルンブルン、それは心の中で豹が唸っているんだ。
背骨を振わせているんだ、ブルンブルンと振わせているんだ。
さあ、行って、腐れ縁の知り合い達に宣言しよう、
さあ、行って、偽予言者や麻薬密売人達に宣言しよう。
「我々の身体にどんなふしだらな物も押し付けようとするな!!」と宣言しよう。
僕たちはこれまで、どんでもない災難と踊っていたんだ。
ああ、原始は終末になるだろうね、それは、アフリカに似ているかもしれない。
アフリカに似ているかも、いつの日かと思っていたのは、今日なんだ、
待ち望んでいた日は今日なんだ、今日なんだ。

さあ、未来計画は破棄しよう、どうするかと言えば、
指筆で、身体に太陽を描くのさ、
筆はくすぐって背骨を振わせる、ブルンブルンと振わせる。
さあ、失われた鎖の環を元に戻そう、
信頼こそが結びつけるものになるべきだったと、ぼくは思うんだ。
背骨を振わせているんだ、ブルンブルンと振わせているんだ。
さあ、行って、戦士達に宣言しよう、
さあ、行って、搾取する者たちや盲目的に狼狽する者たちに宣言しよう、
「我々の身体にどんなふしだらな物も押し付けようとするな!!」と宣言しよう。
僕たちはこれまで、どんでもない災難と踊っていたんだ。
ああ、原始は終末になるだろうね、それは、アフリカに似ているかもしれない。
アフリカに似ているかも、いつの日かと思っていたのは、今日なんだ、
待ち望んでいた日は今日なんだ、今日なんだ。

僕たちの時代の文明的な自動車が野蛮に走り回っている。
一体、誰が僕たちに車輪をもたらしたのだろう?
肥満の男が僕たちを間近の絶壁に向こうに
導こうとしているんだ!
あれは、人々が跪いているのを僕が見ているあの神と同じなの??    




2017年4月18日追記: 
shake your bag o'bones と言う所、backbone と間違っていた。訳を直さなければならない。 

posted by ノエルかえる at 14:08| Comment(0) | TrackBack(0) | English Settlement | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月13日

Leisure 訳

 パートリッジの「 Leisure 」。

 そのまま読んだだけです。

 aggression は、behind screen、face があるので、ポーカーの言葉かと思いました。
 the carpet は、教師や上司に、叱責されるために呼びつけられる時にも使いますが、ここでは、どういうことなのかよく分かりません。





見ての通り、科学はまたしても僕たちから仕事を取り上げたんだ。
科学者は、僕の持ち場にマイクロチップとか言うのを据えたんだ。
もうこの頃、僕は、先手を陰に隠してる。
そうすると、誰かさんの手がよくなるってわけ。
で、僕はと言えば、ずうっと酔っぱらってるんだ。
暇競争を見る休日みたいにね。
僕がおどけて言っていると君が言うのなら、きっぱり言おう、
僕は暇で息が詰まりそうなんだよ。
世間は、僕に働く術は教えてくれたさ、
でも、上手に怠ける仕方は、教えちゃくれないんだ。
僕は、失業手当全部をテレビゲームに使って、ひねもす一日過ごしてる。
アミューズメント・ヘブンってわけ、スイッチをはじいてね。
旋盤を使うのを止めて、僕の指は、
ちょこっとだけ動いて、ゴールを入れてるんだ。
サッカーのピッチに踏み入れる脚、使い方をもう忘れてしまったんだ。

世間は、僕が学校を卒業する前に失業させたんだ。
( 列に立っているだけでは、収入はないですよ。 )
だから、僕は、家の中をブラ歩きしてるんだ。
( どうして職業安定所に来ないんですか、廊下の待合い所は快適なのに。 )
ありもしない仕事を探して、
相談したり忠告されたりするのって、なんて無意味なんだ。
で、僕はと言えば、ずうっと酔っぱらってるんだ。
暇競争を見る休日みたいにね。
僕がおどけて言っていると君が言うのなら、きっぱり言おう、
僕は暇で息が詰まりそうなんだよ。
世間は、僕に働く術は教えてくれたさ、
でも、上手に怠ける仕方は、教えちゃくれないんだ。

骨のズイまで怠け者、ずっと日向ぼこ、これまで働くってこと考えたことある?
骨のズイまで怠け者、サン紙を隅から隅まで目を通し、仕事がないかと一抹の希望。
posted by ノエルかえる at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | English Settlement | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月10日

I would have made this instrumental / but the words got in the way

 パートリッジの「 No Language in Our Lungs 」。

 その歌詞の、I would have made this instrumental/ but the words got in the way の行。以前訳したものでは、どうも、上手くいっていないようです。
 歌詞は、「言葉がない。」で始まります。それを受けて、「自分は以前は意図することはすべて言えて、言葉を武器にしていた。」と続き、「ところが、失語症が自分にも感染して、何も言えなくなった。」と展開します。その後に、「 I would have made this instrumental/ but the words got in the way 」が来ます。
 なので、以前訳した時には、「遂には、発語不能が私にもうつってしまったのです。/私は、この曲を以前に作った筈なんです、/ところが、この曲に載せる歌詞が何処かに行ってしまったのです。」としてました。
 I would have made を過去の推量、made [ this instrumental ]. と捉えていました。

 そうではなくて、これを仮定法、make は使役で読むことが出来ることに気が付きました。
 また、in the way は、文字通りの意味で考えた方がいいことにも気が付きました。すなわち、「途上にある」の意味です。

私は、この曲をもうすこしでインストルメンタルにしてしまう所でした。
ところが、その途中で、私は歌詞を手に入れたのです。

と言う読み方です。
 これだと、とてもすっきりと、歌詞のストーリーの流れが把握出来ます。その部分だけを訂正してみました。

 13日追記

 I would have made this instrumental/ but the words got in the way 、なぜこのように、パートリッジは書いたのかも考えてみました。私のように、英語を直には理解出来ないものだけではなく、もしかしたら、英国人であっても、いくらかの人は歌詞の意味を取り違えるのではないか知らと思えるからです。in the one's way と言う慣用句は、妨げになっていることを表します。その意味で歌詞を読もうとすると、この行の意味が不分明になってしまいます。
 もし、I would have made this instrumental/ but the words got in the end 、と書いたら、誰にでも分かり易いのだと思います。
 パートリッジは、意図的に、in the way にしているのだと考えます。言葉は思っていることを中々正確には伝えられず、意図とは別の時には反対の意味に受け止められる、とパートリッジは語っていました。それを、歌詞の形で作ったのではないかと考えるのです。多くの人が、 in the way の意味を取り違えるだろうことを狙っていると言うことです。また同時に、言葉は、途中で動かなくなって、表出が出来ない、と言うことも、同時に表せているのだと思います。
 パートリッジの作詞の技巧的な面が伺える所でしょう。

 また、最初は気が付かなかったのですが、I would have made this instrumental/ but the words got in the end と言う行を、歌詞の最終行に置くことで、( その後にリフレインがありますが ) 一人称で語られてきた歌詞のストーリーの中に、別の歌の歌詞を導入する働きをしています。「結局歌詞を手に入れたのです。それが「…」なのです。」というふうに。それで、この歌は、単純に一人称の語りではなくて、立体的なものになります。しかも、導入された別の歌と言うのが、実は、そこまで語られてきた歌詞のストーリーであるのですから、与えられた箱の中を見ようと開けてみたら、そこにあったのは、箱の外だった、というような、不思議な構造になっているのです。


私たちの肺臓の中には、言葉が入ってはいないのです、
「言葉」、私たちが感じているこの世界を述べるための物なのにです。
思考の連絡路が無いのです、
観念の連結路が無いのです、
そう、視聴者の皆さんがお考えのこと、それを表明する方法が無いのです。
私たちの肺臓の中には、言葉が入ってはいないのです、
私たちの舌尖も舌根も、筋肉が無いのです、
「口舌」、私たちが思い描いている世界を述べるための力なのにです。
ああ、私たちは何も残せません、
何かが彫られた石だけを残すことになるのでしょうか、
骨になる前に何かを話す機会は無いのかもしれません。
嘗ては、私の口説の中に全世界を擁していると思っていたものです。
嘗ては、言いたいと思ったことは何でも話せた筈です。
私の手の中で「言葉」は剣となったかに思えたのです。それは束の間のことでした。
私の往路に立ちはだかるであろうどんな問題も薙ぎ倒せたのです。
私は自らを十字軍戦士になぞらえていました、
獅子の心を持ち、聖地を奪還する、そんな人物だと。
ところが、誰も本当に言おうとしていることが言えないのです、
遂には、発語不能が私にもうつってしまったのです。
それで私は、この曲をもうすこしでインストルメンタルにしてしまうところでした。
ところが、その途中で、この曲に載せる歌詞を遂に手に入れたのです。
それが、
「私たちの肺臓の中には、言葉が入ってはいないのです、
「言葉」、私たちが思い描いている世界を述べるための物なのにです。 」
なのです。
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「 The Meeting Place 」ムールディングのノート

 前半は、間違っているかと思いますけれど、



 レコードでは、アンディがこの早口のリフを演奏することになって、僕はとっても嬉しかったんだ。でも、それが彼をずっと苦しめることになったのは知っていたんだけど。人が旋律を弾いているところで、リフを演奏して感じることは、何かまるで違ったものになってしまった、と言うものなんだけど。それは、違うチューニングだからなんだ。誰もこれを弾けないのだから、この歌を越えるものはありそうもないのは確かだ、というのは、なんだか、とても変な感じだとぼくは思う。
 この歌は、Watch with Mother ( BBC で50年代から放送された子供番組 ) のオモチャの町の感覚があるんだ。あるいは、テレビの Magic Roundabout ( 63年にフランスで制作されてイギリスでヒットした子供番組 ) の感じ、または、広場の手回しオルガンの感じなんだ。それで、僕は、その風景の中に一組の恋人たちを描いてみたんだ。低い視点からの工場街と煙突の風景なんだ。ここで聞けるサイレンの音は、実際のスウィンドンの鉄道工場のサイレンを録音したものなんだ。その音は、その数年前まで、工員達を門を通って呼び入れるものだったんだ。だけれど、スウィンドン子のある人たちにとっては、僕もそのひとりなんだ、この音は嫌な感じが被さっているんだ。つまり、その音は、「遅刻だぞ」の意味で、肝っ玉が縮み上がってしまうというわけなんだ。この歌の恋人たちは、若くて無垢なものだから、搾取されて低賃金なんだ。でも、恋しているものだから、仕事の合間に、楽しい時を過ごしているんだよ。
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2011年02月08日

「 Grass 」ムールディングのノート

 原文は分かり難いので、意味を捉えてないかもしれません。



 その頃、僕は、オープンチューニングに関心があったんだ。素晴らしいでも普通ではない興味は、後でこっそり試せるものなんだ。でも、ごく普通の形式でオープンチューニングを弾いたとしても、きっと、何か違ったものが得られるとは思うけど。ところが、深くそして空間に満ちる響きを持つEコードと言うのは、それ自体に驚嘆させられるものがあるんだ。一つの音がすべての倍音を獲得すると、その素晴らしさに額をこすりつけ跪拝するばかりなんだ。その音響はあまりに長閑で、僕は、もしかすると、これは酔っぱらってのびている様子かもしれないと考えたんだ。でもその曲は僕を別の方へと導いていったんだ。まず、女の子を追っかけること。そして、「芝生入るべからず」の標識へと続き、そして、コート・ウォーター( 地元の景勝地 )。続いて、ボート遊びについて、僕は泳げもしないのに、よくボートを漕いで出たんだ。池はきっと9メートルの深さだったのにだよ、僕はどうかしてたんだ! 公園と言うのは、自然の現象なんだとぼくは思う。自然に感謝もしない、恋するそばかすだらけの少年はいないんだよ。
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2011年02月07日

shroud

 パートリッジの「 Rocket from a Bottle 」の歌詞にある shrouds。

nose-corn と同じ意味で、ロケットの先端部分のことです。
( もちろん、元々の語義は、死者を葬る時に遺体を包む布です。 )

 ロケットが、所定の高さに達した時に切り離す部分のことを言っているのだと思います。

 ですので、エロティックな意味もあるように思います。
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2011年02月06日

「 Summer's Cauldron 」パートリッジのノート

 新『 Skylarking 』に載せられていた、パートリッジ、ムールディングの各歌へのノート、

「 Summer's Cauldron 」の訳



 家には、朽ちかけの藤の家具がいくつかあったんだ。それは誰だかが家へ贈ってくれたものだったのだけど、庭に置いたままになっていたんだ。だから、どれも錆びた釘が飛び出していたんだ。座ったり立ったりする時には、十分に気をつけなければならなかったんだ。
 さて、暑い時には、僕はノートを持って出て、戸外で、その壊れた椅子のどれかに座り、足を壊れたテーブルに載せることにしていたんだ。ちょっとした漂流気分だったんだ。それで、あまりにたくさんの暑い日のイメージに頭が侵される前に、僕は一つの詩を形づくったんだ。「 Drowning in Summer Cauldron 」のような題名だったけれど。僕はその出来映えが好きだったんだ。実際には、次のアルバムには、僕たちは、詩ではなくて歌が必要だったのだけれどね。それで、少しばかり、その詩を変形させて形を整えて、歌詞にちょうどいいようにしたんだ。確か、そうだったんだ。
 それで僕は決めたんだ。音楽は、他でもない、唸るような音にしようと。虻や蜂、飛行機のような感じ。それに、熱い太陽の単音の音。しかも偶々、僕は、コードチェンジに最小の動き、E7sus からE7 への移行をする傾向があったんだ。そのコードチェンジは、ちょうど、陽炎のように思えたんだ。― それは素晴らしい始まり方だった。残りは直ぐに出来るように思えたんだ。バンドは、デイブの自宅、Dunsequintin で、急いでデモを作り上げたんだ。[ Fuzzy Warbles Vo. 2 を参照 ] デイブは、彼の4トラックレコーダーでそれを録音したんだ。それから、編集したものをプロデューサーのトッド・ラングレンへ郵便で送ったんだ。雛壇に上げられたその歌は、偉大な男に、採択されるのか、却下されるのか? ところが、トッドはそれを気に入ったばかりではなかったんだ。僕に電話をしてきて、「この歌は、アルバム全体のコンセプト、彼の言う所の「環」にあたる、「Life on a Day」を思いつかせたものでもあるし、また、アルバムの冒頭に来るべきだ。」と、はっきり言ったんだ。
 アメリカのレコーディングの文字通りの初日に、僕たちがしたのは、この歌そしてアルバムを開始する音響的な場面を構築することだったんだ。トッドの新しいオモチャ、フェアライト・サンプリング・シンセは、僕たちの想像力を掻き立てたんだ。僕たちは、虫、犬、その他の夏のスープを作り上げるものを精査したんだ。そして、熱に浮かされて焦ったように、自然の音の織物がアルバム全体に相応しいテンプレートになると考えたんだ。実際に、この歌だけではなく、他の歌にもこの技法を使ったんだ。「 The Meeting Place 」「 Dying 」のイントロ、それに、途中で放棄した「 Let make a Den 」がそう。その時には、いい考えだと思ったんだ。
 僕が思う、トッドの天才的な手腕は、「 Summer's Cauldron 」の終部に「 Grass 」を寄り添わせて、テーマ、調性、テンポに於いて、二つを結びつけている所にあると思うんだ。今では、他の方法は思いつかないんだ。ああ、このアルバムは、申し分がないのではないかい!
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2011年02月05日

Melt the Guns 訳

 パートリッジの「 Melt the Guns 」。

 銃の蔓延を、病気に重ねて歌ています。ために、病気に関わる語を多く使用しています。disease、germ、prevention、cure、epidemic、sterilize、race、plague 。
 歌詞の始の「 programmes of violence 」の、programmes には、germ が入っていると考えるのでしょうか? すると、violence には、virus が?

 ただ、この歌でもまだ、それらが十分に機能はしていないようにも感じます。

 訳すのには、なるべく、病気にイメージが重なるように努めました。


拙訳です、





娯楽と言う糖衣を着て、暴漢( 感冒 )のバングミが
人々の居間に病気を持込む。
周知のこと、人間が金属で造ったバイキンは、
確実な致死率で、人の墓場の鍵だということは。
「予防は治療に勝る。」
「腐った林檎は、傷んでない林檎に傷みをうつすもの。」
誰もが正気をしゃんと持つならば、同意してくれることは必ずだと、私は思う。
銃を溶かすと言うことに、銃を無くすと言うことに、同意してくれる筈と。
銃を溶かして、二度と火を吹かないようにするということに。
銃を溶かすと言うことに、銃を無くすと言うことに、同意してくれる筈と。
銃を溶かして、二度と銃を欲しがらなくすると言うことに。
だけど、子供たちが欲しがれば、母親たちは与えるだろう、
人を殺す者が英雄である限りはずっと。
だけど、ローマ・帝都が大火に見舞われていても、
現代のネロ達・メディアは嘘を撒き散らすのだろう。
「予防は治療に勝る。」
「腐った林檎は、傷んでない林檎に傷みをうつすもの。」
誰もが正気をしゃんと持つならば、同意してくれることは必ずだと、私は思う。
銃を溶かすと言うことに、銃を無くすと言うことに、同意してくれる筈と。
銃を溶かして、二度と火を吹かないようにするということに。
銃を溶かすと言うことに、銃を無くすと言うことに、同意してくれる筈と。
銃を溶かして、二度と銃を欲しがらなくすると言うことに。

私は、アメリカ正義連盟に向けて発言している。
そう、特に、A の連合国に向けて。
審判の日が来た時には、
A 連合国は、武器を携えて門に立ち、
厚顔にも、手を打って祈るのだ、
しかも、祈りの言葉に私の言葉を引用して。私は言ったものだ、、
天に居ます父よ、人々は、伝染病を一箇所に封じ込めたのです、
ついに、封じ込めたのです。
さあ祈りましょう、奴らが、他の人々をでなく、自分達だけを射殺して、
( 銃病の )流行の最終の消滅の一助になることを。
人々は、すでに、ピストル・ペストの原因を閉じ込めている。
じゆう( 自由 / 銃 ) の国、勇者の家に閉じ込めている。
耳を澄まして聞くならば、私達には聞こえるだろう、A 達が
墓から墓へ撃ち合っている音が。

A よ、銃を溶かすべきなのだ。
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the germ、the justice league of America、the U.S of A

 パートリッジの「」の歌詞にある、the germ と the justice league of America とthe U.S of A。

 the germ 、1850年に、イギリスで発刊された同名の雑誌があります。主幹は、William Michael Rossetti 。自然と人間の想像力に重点を置いた文芸誌。商業的には失敗したそうです。四号が出ただけで終刊。Dante Gabriel Rossetti は、William の弟で、雑誌にも参加していたと言うこと。
 ウィキペディアで見られる雑誌の挿画を見ると、パートリッジ好みの様にも思えます。

Germ.jpg


 また、『 the germ 』と言う題目の映画もあります。1923年のPatrick Sylvester McGeeney 監督のアメリカ映画。





 the justice league of America は、DC コミックのヒーローを集めて一種に登場させる漫画。

DC COMICS: JUSTICE LEAGUE OF AMERICA




 the U.S of A は、漫画出版社 Archie 社の漫画を、CBS が土曜の朝に、アニメーション・ショーにした番組もあります。それに、「 New Broom 」の歌詞に出ていた、Mr. A も思い出されますけれど。
posted by ノエルかえる at 12:20| Comment(0) | TrackBack(0) | English Settlement | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Great Fire of Rome

 パートリッジの「 Melt the Guns 」の歌詞にある、「 Rome burns 」。

 ローマ大火は、西暦64年7月19日に起こったもの。
タキトゥスによれば、五日間と半日燃え続けた大火。
 当時のローマ皇帝は、ネロ。
カッシウス・ディオ、ガイウス・スエトニウス・トランクィッルスによれば、大火を目にした皇帝は、帝都が炎上する美しさに感嘆して、衣裳を纏い舞台に上がって、叙事詩『イリアス陥落』を歌ったと言う。

 ガイウス・スエトニウス・トランクィッルスの『ネロの生涯』: Suetonius, The Lives of Twelve Caesars, Life of Nero, 38

Paulus uel Cossus uel Drusus moribus esto,
hos ante effigies maiorum pone tuorum,
praecedant ipsas illi te consule uirgas.

Viewing the conflagration from the tower of Maecenas121 and exulting, as he said, in "the beauty of the flames," he sang the whole of the "Sack of Ilium,"122 in his regular stage costume.

posted by ノエルかえる at 09:46| Comment(0) | TrackBack(0) | English Settlement | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月03日

All of a Sudden (It's Too Late) 訳

 パートリッジの「 All of a Sudden (It's Too Late) 」。

そのまま読んだだけです。

拙訳です。



分からない、僕には何か言えるだろうか?
人々がもう無くなろうとしているものこそを切望するのは何故なのか? について。
一日、また一日と、
伸びる恐怖と言う雑草は、人々の確信を圧死しようとしている。
人生と言うジグソーパズルに取り組んで、確かな部分を見つけた人がいたとしても、
どうしてだか、途中で無くしてしまう。
突然に、人々は食器棚に何もないことに気が付く。
突然に、人々は天国がないことに気が付く。
突然に、人々は太陽が冷えているのに気が付く。
突然に、人々は自分たちが年老いているのに気が付く。
突然に、人々は愛を失ってしまっているのに気が付く。
だけど、どうか、人を掻き分けたり押し退けたりするのはよそうよ。
もう、遅すぎるのだから、もう遅すぎる。
どんなに急いでも、もう、どうしたことか、門を閉めてしまっているのだから。

分からない、僕たちに何か出来るだろうか?
流れる砂を阻む試みは砂塵に帰している、というのに。
責任は自分で負うもの、
さあ、手を拡げて伸ばし、平衡が戻ったかどうかを確かめるんだ。
人生と言う花火、人はただ一度だけ火を点けるもの。
花火は、精確に立てて発射しなければならない。
突然に、人々は食器棚に何もないことに気が付く。
突然に、人々は天国がないことに気が付く。
突然に、人々は太陽が冷えているのに気が付く。
突然に、人々は自分たちが年老いているのに気が付く。
突然に、人々は愛を失ってしまっているのに気が付く。
だけど、どうか、人を掻き分けたり押し退けたりするのはよそうよ。
もう、遅すぎるのだから、もう遅すぎる。
どんなに急いでも、もう、どうしたことか、門を閉めてしまっているのだから。

愛は、貯め込んでおけるような、
スーツケースに詰め込んでおけるような、品物ではないんだ。
愛は作法なんだ、人は人に与えなければならないと言う作法なんだ。
突然に、人々は食器棚に何もないことに気が付く。
突然に、人々は天国がないことに気が付く。
突然に、人々は太陽が冷えているのに気が付く。
突然に、人々は自分たちが年老いているのに気が付く。
突然に、人々は愛を失ってしまっているのに気が付く。
だけど、どうか、人を掻き分けたり押し退けたりするのはよそうよ。
もう、遅すぎるのだから、もう遅すぎる。
どんなに急いでも、もう、どうしたことか、門を閉めてしまっているのだから。
posted by ノエルかえる at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | English Settlement | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月02日

No Thugs in Our House 訳

 パートリッジの「 No Thugs in Our House 」。
 この歌の歌詞については、以前にこのブログにも書いたので、歌詞の訳も書いているものだと思ていました。

2008年06月06日:蜂と蛞蝓と青い少年
2008年11月30日紙人形芝居「No Thugs in Our House」


 改めて、
拙訳です、
( 一行抜けていたので、訂正 )



昆虫の頭をした働く主婦、
蜂腰帯を洗濯紐に干している。
自分の書類に熱中の主人、
緩衝床を凝視しながらパイプを吸っている。
主人の万能糊のように粘着質の息が漏れ出ている。
夫婦の壁紙のような世界は叫び声でズタズタ。
青い服を着込んだ息子が鳴らす大音量の音楽が台所のドアから聞こえる。
息子グラハムは、その大音量の音楽の中で眠っている。
自分がしたいことが出来る世界を夢見て。
「うちに、暴漢はいませんよねえ、貴方。」
「私達は、それはちゃんと分かっているよ。
グラハムには、言い子でいるようにと約束させたのだからね、
我が家に、暴漢はいないんだよ、お前。」
「そうよね、私達は、ちゃんと分かっているのよね、
可愛いグラハムには約束させたのですものね。」

髭がまだ伸びない若い警察官、
調書を取ろうとする。
蹴られて重症になったアジア人のことを伝えて、
夫婦の朝食は味気がなくなる。
「これは、ご子息の札入れではありませんんか?」と警官が言うから。
「あの子はきっと、ビールを飲み過ぎて落としたんですわ。」
「まあ、お巡りさん、あなた、私達の可愛い天使ちゃんを逮捕しないですよね。」
息子グラハムは、その会話の間も眠っている。
自分がしたいことが出来る世界を夢見て。
「うちに、暴漢はいませんよねえ、貴方。」
「私達は、それはちゃんと分かっているよ。
グラハムには、言い子でいるようにと約束させたのだからね、
我が家に、暴漢はいないんだよ、お前。」
「そうよね、私達は、ちゃんと分かっているのよね、
可愛いグラハムには約束させたのですものね。」

夫婦は、グラハムの一番下の引き出しにあるパンフレットを読んだことがない。
夫婦は、グラハムの二の腕にある入れ墨を見たことがない。
夫婦は、グラハムが着けているのは子供会のバッジだと思っている。
夫婦は、グラハムが人を傷付けるなど考えもしない。

昆虫の頭をした働く主婦、蜂腰帯を洗濯紐に干している。
夫人は何かを歌っている。
「この頃ではよくあるありきたりの単純な事件、この揉め事はもう収まるわ。」
夫人の歌う短い歌は、こんな陽気な歌。
夫人の息子は無罪、
「グラハムが悪いわけないわ。」
「だって、パパは判事だし、裁判の仕事は何から何まで正確に知っているのですもの。」
息子グラハムは、母の歌を聞きながら眠っている。
自分がしたいことが出来る世界を夢見て。
「うちに、暴漢はいませんよねえ、貴方。」
「私達は、それはちゃんと分かっているよ。
グラハムには、言い子でいるようにと約束させたのだからね、
我が家に、暴漢はいないんだよ、お前。」
「そうよね、私達は、ちゃんと分かっているのよね、
可愛いグラハムには約束させたのですものね。」
posted by ノエルかえる at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | English Settlement | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今年のXTC

 XTC fan のツィッターに依ると、2009年にリリースされるとアナウンスされていた、『English Settlement』『Skylarking』『Oranges & Lemons』のリマスター版が、今年内にリリースされるかもしれないとのこと。
 加えて、『Rag & Bone Buffet』に発表後に発売されたものを加えたものも。

 『Skylarking』が、先日リリースされた、45回転ニ枚組ビニール盤と同じものかどうかは分かりません。


 2009年に予定されていたもので、実際にその歳にリリースされたのは、The Dukes of Stratosphear がAPE からだけだったかと思います。
posted by ノエルかえる at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

waspies

 パートリッジの歌「 No Thugs in Our House 」の歌詞にある、waspies 、女性が蜂のように細腰に見せるために着ける、胴を締め付ける下着です。


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posted by ノエルかえる at 13:48| Comment(0) | TrackBack(0) | English Settlement | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月01日

Runaways 訳

 ムールディングの「 Runaways 」。
 歌詞は、ムールディング自身の「 Making Plans for Nigel 」とパートリッジの「 No Thugs in Our House 」 の橋渡しのようにも思えます。
 「 haystack 」 は、飼用の干し草を固めて積んだものですが、湖水地方に Haystacks という丘があります。
 この歌も、「 Making Plans for Nigel 」と同様に、両親が子供へ呼びかける歌です。


拙訳です、



ああ、奔る、ああ、奔る、ああ、出奔者。
どうか家に帰って欲しい。
ああ、奔る、ああ、奔る、ああ、出奔者、
どうか家に帰って欲しい。
父さんは昂って君をぶってしまった。
でも、わびている。
どうか家に帰って欲しい。
母さんとのただの喧嘩だったんだ。
家庭内の諍いと言うものだったんだ。
どうか家に帰って欲しい。
ナイフを持って父さんを追い回す母さんを取り押えた君。
泣かないで、泣かないで欲しい。
諍いから逃れようと奔り出た君。
泣かないで、泣かないで欲しい。
君は、ネオンの灯火の中に消えてしまった。
母さんは泣いている、
父さんは泣いている、母さんは泣いている。ああ、

ああ、奔る、ああ、奔る、ああ、出奔者。
どうか家に帰って欲しい。
ああ、奔る、ああ、奔る、ああ、出奔者、
どうか家に帰って欲しい。
国道の街灯を一つ一つ通り過ぎると、
一つの街灯が積み草をベッドのように照らしていた。
どうか朝には家に帰って欲しい。
そうでないと、朝刊で君のことを知らせる記事を見つけることになる。
どうか家に帰って欲しい。
君のベッドの温もりに顔を埋めて泣き叫ぶ声を聞いた君。
泣かないで、泣かないで欲しい。
何も食べずにうつらうつらする君。
泣かないで、泣かないで欲しい。
もう、流す涙もないんだ。
母さんはわびている、父さんはわびている、母さんはわびている、ああ、
ああ、奔る、ああ、奔る、ああ、出奔者、
どうか家に帰って欲しい。
posted by ノエルかえる at 19:16| Comment(0) | TrackBack(0) | English Settlement | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする