2011年03月29日

the Hooter

 「 Meeting Place 」の冒頭に入れられている、工場のサイレンの音。スウィンドンの鉄道工場のものと言うことです。工場は、1986年の3月26日に操業を止めたと言うことで、その日の午後4時30分のサイレンが最後になりました。100年以上続いたスウィンドンの生活の一つが消えたと言うことです。
 『 Skylarking 』のレコーディングは、1986年の4月から始められています。このアルバム、そして、「 Meeting Place 」は、スゥインドンの一つの歴史の記念碑にもなっているのですね。


スウィンドン鉄道博物館の説明:
Swindon Heritage Trails
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2011年03月26日

「 Season Cycle 」パートリッジのノート

 ある時、バンド全員が自動車でロンドンのヴァージン社へ面談に行ったことがあるんだ。車でと言うのは、稀な事なのだけれどね、その時、僕がそれまで聴いたことのない、弱々しいけれども魅惑的な音楽を聴いたんだ。エンジンの唸りや他の乗り物が通り過ぎていく爆音の合間に覗き出て来る音楽は、魔法のような音と声の断片だったんだ。夢見るようで儚げな音楽だった。それで、僕は、「このテープは何なの?」とデイブに尋ねたんだ。デイブは、僕がおトボケのミッキー・マウス風に凍結状態になっているに違いないと思ったんだ。 ( 原文:taking the Mickey Riss. Riss は、ドナウ川の支流で、凍結することから、何かの系統が停止した状態を言う比喩に使われる。ミッキーは、後述に、グーフィが使われていて、それに合わせての言葉遊び。 ) 「パーチィ、君、これが誰だかは分かっているだろ。『スマイリー・スマイル』だよ。ビーチ・ボーイズじゃないか。これを聴いたことがないの?」と言ったんだ。実際の所、僕は本当に知らなかったんだ。僕は、ビーチ・ボーイズをシングルのバンドとして認識していたんだ。どういうアルバムを発表して来たかについては、まったく知識がなかったんだ。十代の頃、『 The Beach Boys Party 』のLPを借りたことがあるように覚えているんだけれど、ゆかいなグーフィのような「 Barbara Ann 」を繰り返し繰り返しかけただけだったんだ。それから、スウィンドンのレコード店で、『スマイリー・スマイル』の安っぽいジャケット・カバーを見たことはあるのだけれど、お金がなかったか、興味がわかなかったかで、買わなかったんだ。
 僕はその音楽全体にとても感激したんだ。〔 エンジン音が静粛な部分に被さっていたのに、それにも拘らずなんだよ。 〕 それから、数日も経たない内に、僕は、多声部の合唱と対位主声 ( counter vocals )、それに、抜けている部分、静寂な部分をも使って、歌を書くべきだと決意したんだ。屋根裏に新しく板を打ち付けて作った隅が、その当時の、僕の仕事場だったんだ。僕は、その歌を携えてそこへ登っていって、歌に取り組んだんだ。そして、早々に、自分の4トラックのカセットに録音したんだ。有難いことに、the chaps ( 1960年頃の男性コーラス・グループ ) もトッドも、この歌を気に入った。それで、僕らは始めたんだ。
 イントロは、ウッド・ストックで、今のオルガンに変えたんだ。オルガンは、トッドがフェアライトの中のサンプルに入れていた華麗なものだった。宗教的なものと世俗的なものを混ぜ合わせた、僕が望んでいたような音色のオルガンだったんだ。僕たちは、最良の応答唱部 ( answer vocal ) を考え出した。それをコリンとデイブは上手くこなしたんだ。勿論、プレイリーは、サンフランシスコの“宵” ( 原文 : soiree : 仏語 soir 夜 ) に、スウィング・ドラムズを付けて呉れたんだ。歌詞のある部分についてのトッドの、放射能レベルの皮肉から快復するのに、僕は随分と時間がかかったんだ。トッドは。「 baby and it's umbi-LIE-cal ( 歌詞は、the baby and its umbilical トッドの皮肉は「赤ん坊と嘘っこ臍の緒」と言う感じ? )」と言ったんだ。でも、万事はいい様に収まったんだ。僕は、『オズの魔法使い』の凝りに凝った難解な歌が好きなんだけれど、この「シーズン・サイクル」の歌詞で、僕はオズの領土に受け容れられたと思ったんだよ。
 歌の主題は、僕が幾度も立ち返っているもの、全てのものの誕生と死滅の円環についてのものだった。〔 ちょうどその時、僕が“父さん”になったことは読者もご存知のことかと。 〕 と言うのも、読者に対して胸襟を開かせてもらうと、僕は、自身が信仰を持たないことに苦しみ始めていたんだ。あるいは、読者はこう言う方を好むかもしれない。このアルバムに収録するための歌を書いている間、僕の中で、無神論が次第に大きくなっていたんだ。僕は、食事の度に、感謝の祈りを挙げると言う家庭で育ったんだ。父が海軍上がりだったからだと思う。それで、僕はずっと、神や天国それに地獄について思い悩む子供だった。そうして、ある暑い日の午後に、僕は、空の中に、翼を付けた仲間の一団と一緒に居る、顎髭の大きな人物を幻視してしまったんだ。僕が、このことについて、どんな集まりの中でも、黙秘したままだったのは、賢明なことだった。話していれば、人は、きっと、そこに聖廟を立ていたに違いないから。もう長年月の間、ペンヒルのラットン・クローズ ( Latton Close : スウィンドンの通りの名前 ) では、落書きにまみれるか、廃材にされるために毀たれている聖廟を、僕が見るということは、起こらないでいるよ。
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2011年03月22日

Sgt. Rock (Is Going To Help Me) 訳

 パートリッジの「 Sgt. Rock (Is Going To Help Me) 」。
 漫画の主人公を使った、漫画的な歌で、これといった意味もないものです。歌詞の言葉も、切れ切れなのは、漫画の吹き出しのようと言うことか知ら。
 この歌は、もてない男の歌ですが、後の、振られ男の歌「 That's Really Super, Supergirl 」も漫画の主人公を使っています。

拙訳です
( Idea のサイトはもう使えないので、Chalkhills のサイトの lyric を元にしてます。 )


大西洋の向こうの《海外援助隊》の被救援者名簿に僕は載せられてるんだ、
《女の子》について、介助や手助けが要る人間なんだ、僕。
それで、《お嬢さん》についての専門家が僕には要るんだ。
どんな風でもとにかく《悩殺美人》を、被救援者にくまなく行き渡らせる人が。

もし、僕が《あの人》のように屈強になれさえしたら、
そしたら、僕は、勝てるはずなんだ、
僕の、小さな戦い、《性の戦い》に。

ロック軍曹は、僕を助けてくれるだろう。
女の子を僕のものにしてくれるだろう。
女の子を列に並ばせるんだ。
そして、僕は女の子にVサインを振って見せるんだ。

僕は未知の領土に侵攻中なんだ。
《女の子》と言うのは、僕には無縁で異質なんだ。
それで、《キス》とかいろいろのことの専門家が僕には要るんだ。
もめごとになっても、平然としているような人が。

時には、《関係》は計画通りには行かないんだ。
ある種の《女の子》たちは、冷淡になるんだ。
《無男》国でね。



2011年9月9日追記:
最後の行の「some girls, can make themselves so cold
a no-mans land.」のno-man's land 、
緩衝地帯の意味です。両軍の緩衝地帯。

なので訂正:

時には、《関係》は計画通りには行かないんだ。
ある種の《女の子》たちは、《緩衝地帯》を設けて、
《膠着》状態にするんだ。

ですけれど、私は、no-man's land が同性愛の女の子を示唆する気もしています。
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2011年03月21日

Burning With Optimism's Flames 訳

 パートリッジの「 Burning With Optimism's Flames 」。

 歓びの歌。使われている語は、その後、何度も使うようになるものだと思います。「 Mermaid Smiled 」「 Omnibus 」「 I'd Like That 」などが、この系譜の歌か知ら。
 


 言葉について:
「 the cat who got the cream 」のところ、
「 like the cat that got the cream 」と言う慣用表現があるのですが、( self-satisfied, having achieved one's objective ) チェシャ猫も登場するので、表現の内容でなく言葉そのままに使って、イメージを作っているのだと思います。

 optimism、pessimism、それぞれ、楽観主義、悲観主義と言う言葉はとりませんでした。どちらも、語源はラテン語で、optimum、pessimus、で、最善のもの、最悪のものと言う意味です。日本語でも、楽観、悲観は、世界を善いものと捉えるか、悪いものと捉えるかの世界観が、言葉の元の意味ですけれど、私たちが普段この言葉を使う時には、心配があるかないかのように使っているので、それと混同を避けるために、取りませんでした。


拙訳です
( Idea のサイトはもう使えないので、Chalkhills のサイトの lyric を元にしてます。 )




これまで一度も、彼女が色付いて照り映えるのを見たことはなかったのに、
ところが今、まるでオーロかなにかのように、
あらゆる色の輝きを投げかけているんだ。
彼女の頭に生じた輝きは、次第に大きくなり、
大地にまで達して、辺りを包み込んでしまおうとしている、
まるで、ナバホ族の毛布のように。

これまで一度も、彼女が声を挙げて歌っているのを聞いたことはなかったのに、
ところが今、まるで銅で出来た風鈴のように、
優しい響きで歌っているんだ。
すると、驚いたことに、その響きで泉が湧き出したんだ。
その様子は、達成感で自己満足げに舌舐めずりをして、
従姉妹のチェシャ猫のようにほくそ笑んでいる姿に見えるんだ。
彼女は、自分が輝く方法を見つけた、と言い切っているんだ。
そう、今、彼女は微笑むことがすべてなんだ、彼女は夜を追い出したんだ。

「私は至高の炎で燃えているの、ずっとずっと」と彼女は言うんだ。
「私は、罪も恥も焼き捨てるのよ、何もかも」と彼女は言うんだ。
「全てが最善のものと言う思いが私を燃やすの、」と彼女は言うんだ。
「燃え上がっているの。」と彼女は言うんだ。

そうして、私もまた微笑んでいるのが分かるんだ。
私は、幼年期に戻ってしまったようだから。
そして、私も彼女から、
火打石について教えを受けたんだ。すると、
全世界を整えて、手際もよく、自分の小さな指の周りに巻付けられたんだ。

私も、もう、ほくそ笑むのを止められない。
私は、きっと、勝利しつつあるんだ。
全ては最悪のものとと言う考えは投げ捨てよう、
空中へ投げ捨てよう、嫌な考えは激しく回って、
床に当たって潰れてしまうだろう。そして、もう二度とは、
おしゃべり鵲にするように、安っぽく光る
甘言で、私を惹きつけることはないだろう。

ああ、今、あらゆる鳥あらゆる蜂が、火に薪を焼べている、それも私のために。
ああ、閉じていた扉の全てが開いて、炎をもっと燃やそうと、煽っている。

私は、もう大丈夫だと思う。
私は、今、夜を昼に変えようとしているんだ。
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2011年03月20日

Paper and Iron (Notes and Coins) 訳

 パートリッジの「 Paper and Iron (Notes and Coins) 」。

 もしかしたら、パートリッジの「働けど働けど、じっと手を見る」の歌は、これが初めか知ら。「 Love on a Farmboy's Wages 」「 Earn Enough for Us 」に続く歌。
 でも、この歌は、ビジネス批判と、教会批判が一緒になってます。


( Idea のサイトはもう使えないので、Chalkhills のサイトの lyric を元にしてます。 )




拙訳です



紙と鉄、それではエデンの園は買えやしない、なのに、
僕は、紙と鉄を求めて働くんだ、紙と鉄、
それは、身嗜みよくネクタイを締めるのには役立つんだ、だから、
僕は、紙と鉄を求めて働くんだ、紙と鉄、
それは、ユニコーンとライオンを生かすのには役立つんだ。

僕は、子供たちが餓えないように、日々祈っている。
日曜午後の伝統の肉御膳に、焙り鳥の薄切りさえないようなら、
僕は、もう四分の一ペニーのために残業しよう。

僕は、紙幣と硬貨を我家に持ち帰るんだ、毎週に。
僕はもっと価値ある人間なんだ、と聞かされている、だけど、
教会は説教するんだ、もう片方の頬を出しなさい、と。
もう片方の頬を打たれなさい、と。
紙と鉄、それではエデンの園は買えやしない。

僕は、家族に頼られているのは分かっている、だから、
不平は言えないんだ。工場は僕に食い扶持を呉れる筈、それに、
僕の手に噛み付いて血を流させたりはしない筈。

僕は、紙幣と硬貨を我家に持ち帰るんだ、毎週に。
僕はこの現世を受け継いだ、と聞かされている、だけど、
教会は説教するんだ、従順なままでいなさい、と。
ずっと従順でいなさい、と。だけど、
僕には、まだ、矜持が残っているんだ。
誰にだって、僕の財布の中身を見られたくはないんだ。

ああ、大勢の中に和して控えめにしていて、
それで、一体、誰のための黄金時代なんだろう、
一体、誰のための黄金時代なんだろう。
ああ、僕は、黄金の檻か何かを夢見ているのではないのだろうか。
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Sunday Roast

 パートリッジの「 Paper and Iron (Notes and Coins) 」の歌詞に出る、the Sunday carving 。
the Sunday Roast の肉が薄切りにされたもの。

 英国 ( おおよそ全土 ) の伝統的な、日曜午後の食事。ローストされた肉と、ジャガイモ、ヨークシャー・プディング、詰め物、とグレイビーソースが揃ったもの。

 代表的な例、ウィキペディアから、

http://en.wikipedia.org/wiki/File:Traditional.Sunday.Roast-01.jpg

800px-Traditional.Sunday.Roast-01.jpg
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2011年03月19日

Towers Of London 訳

 パートリッジの「 Towers Of London 」。

 歴史絵巻のような歌。ナーシー・ライム のようでも。
 この歌の歌い手は、テムズ川か知ら。

言葉のメモ、
 never never は、つけで買うこと。
 navvies は、運河の工事に使われた雑夫のこと、ということ。
 Bridges of muscles は、Bascule bridge を含意していると思いました。

それから、Towers Of London と、tower が複数形になっているのは、タワーブリッジの塔が二本だからだと。

( Idea のサイトはもう使えないので、Chalkhills のサイトの lyric を元にしてます。 )


拙訳です。



倫敦市に聳える塔橋の二本の塔、お前は、
自分が建設された時に、
落死する雑夫に気が付きはしたのかい。
倫敦市に聳える塔橋の二本の塔、お前は、
自分が建設された時に、
何方様かの賭博場《ヘル》にあったヴィクトリア女王の宝石に気が付きはしたのかい?

真新しい地下鉄へと続く金の歩道を、
儀仗近衛兵が令夫人達の傍らを歩んでいる。ところが、その貴人達を取り巻く
霧は、付け買い人夫の汗だった。人夫が大釘を打ち込む
線路は、人夫達にとってだけの空、地面へと続いている。

高々と長々と架けられた鋼筋の跳ね橋を、
ステプネイ出身の豪商が令夫人達の傍らを歩んでいる。ところが、その貴人達を取り巻く
雨は、付け買い人夫の涙だった。テムズ岸辺に住まわされた人夫達は、
その橋が、ダブリンの方には向いていない、
と言って泣いている。

倫敦市に聳える塔橋の二本の塔、お前が、
絵画に描かれているのを、私は、ずっと見て来た。
版画に刷られているのを、私は、ずっと見て来た。
子供たちが白墨で歩道に引いた線のようにはっきりと、
雑夫達の面に映えているのを、私は、ずっと見ている。

ああ、ロンディウム。
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2011年03月14日

Love at First Sight 訳

 ムールディングの「 Love at First Sight 」。
かなりの年配の者が、若い少女に語ると言う歌。「 Wonderland 」へ続くのでしょうか。

 「 make a slip 」、細い男の子を捉まえる、とも読めますが、少女自身が細身になる、の方をとりました。


拙訳です



見るといい、恋人等を。皆狂い出している。
眦を決して、恋物語を追っている。そう見えるだろう。
眠れぬ夜が続くことになろうに。
幾人かは恋に破れ、幾人かは成就するものなのだ。

一見は即ち艶聞。
人は何を望んでいるのやら、
一顧は即ち惚薬。

試すといい、恋人等の渇望度を。
思いにあるのは一つだけ。そう分かるだろう。
なるといい、細身の乙女に。もしかしたら、何時までも細いかもしれない。
散弾銃よろしく、ウエディングベルの響きを辺り一面に撒き散らすのだ。

一見は即ち恋慕。
人は何を望んでいるのやら、
一顧は即ち恍惚。

席を起つや否や、
因循な少年も餌に飛びつくもの。
目を逸らせる所はない、視線は即ち捉えるもの。

一見は即ち恋慕。
人は何を望んでいるのやら、
一顧は即ち恍惚。

乙女よ、お相手に身を委ねるのだ。
されば、汝の自堕落はなされるだろう。
汝の純潔は生贄となるだろう。
だが、一角にも達してない少年は楽しんだだけに違いない。
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2011年03月12日

「 1000 Umbrellas 」パートリッジのノート

 傘について、何か動かし難いサイケデリックな観念があるんだ。傘は、雨に対して小言ばかり言う中産階級の人間が反社会的な武器に選ぶものでもあるのだけれど、山高帽を被ったモグラ大臣に愛されているものでもあり、それに、人を突いて郵便局に退けさせることに良心の呵責なんか持っていない、可笑しな常軌を逸した貴婦人にとっても、お気に入りのものなんだ。『シュルブールの雨傘』から『メリー・ポピンズ』の魔法のこうもり傘まで、傘が夢見心地にさせるものだと言う“証明書”は、濡れていたって、効力には問題ないんだ。
 僕はコードをちゃんとは覚えてないんだ。それで、下の三本の弦だけを押さえて、セブンスの三角形のような感じなんだけれどね、それで、他の三本の弦は開放弦のまま鳴らしておいて、いろいろ動かしてみたんだ。すると、高いC♯の位置あたりからどんどん下げていくと、その音の動きは、とても気持ちのいい響きがすることを発見したんだ。その音をどう表現したらいいだろう、それは、落ちる、まだ落ちる、…、永遠に落下するようなもの、と言えばいいだろうか? そうだね、もし、これを読む読者が英国に暮らしているとすれば、この音は、よくある雨のものだと思うだろうね。( ああ、テレビのコメディのズボンとか、“生活水準”も、この音が何の音かと言う問いの答えになるのかもしれない。 ) 楽しかったデュークスの『 25 O' clock 』セッションの紫の“霞”がまだ懸かっていて、僕は、この歌を、アコースティック・ギターと弦楽四重奏だけで録音することを思い描いていたんだ。でも、ありきたりの弦楽四重奏では駄目なんだ。徹底的にバロック( 歪んだ真珠 )で、極細の金糸、極薄の泡、極軽の羽毛の重みで撓んでいるもので、金箔を嵌められたアイスクリームの刻み目、言い換えれば、まったくサイケデリックな“プ”ばかなものでなければならなかったんだ。さて、僕が知っている人物の中で、そんな編曲が出来るのは誰? 「もしもし、やぁデイブ、…、ところで、今日の午後何か予定はあるの?」
 その後の三四週間は、僕は僕をデイブの家の「お茶の時間」にご“招待”して、“工事の進み具合”を点検していたんだ。僕は、デイブがそれまでに弦楽を編曲したかどうかなんて考えなかったんだ。でも、シロップが紅茶の底深く落ちていく間に、デイブは、上手くやってのけたんだ。毎週ね、編曲がふさわしい方向で進んでいれば、賞賛したものだし、「よくない」と言える別の面がないか、考えたものなんだ。そうして、とうとう、デイブは、完璧なウェディングケーキを仕上げたんだ。この歌に関しての何もかもをデイブ自身が記事に書いて、それをこれを読んでいる読者に提供できれば、デイブにとってもよかっただろうと、ぼくは思うんだ。でも、不運なことに、このライナー・ノートに関わることをデイブは断ったんだよ。だから、読者は、僕の文章を受け入れる他はないんだ。
 歌詞の中でサニー・ジムに触れられて、僕はこの上なく嬉しいんだ。サニー・ジムは、シリアルの Force Wheat Flakes のマスコットなんだ。母は、時々、ある種の反対療法として、それを僕に買ってくれたんだ。と言うのは、僕の家庭では、普段は、安い砂糖のかかったシリアルを食べていたんだよ。それで、この銘柄の上質なシリアルを貰えると言うのは、ある時期、特別のことだったんだ。僕は、シリアルの箱を積み上げて朝食の席に座り、両親を見ないようにしていたものなんだ。そして、うっとりして、農場を越えて賞讃の中へ跳び上がるサニーと、彼のかつらに深紅のジャケットを見詰めていたんだ。「 Force は、サニーを高く揚げる食品。」と言う文句を読んだ僕の幼い頭の中では、サニーは、誰よりも何よりも優れたジャンパーになったんだ。一兆の塩湖でさえ、サニーと彼の杖には、ものの数ではないと思っていたんだ。サニー・ジムは、ある種の伝説的スーパーヒーローの周波を発していた。それは、何年も僕を貫いていたんだ。サニー・ジムの周波はとても深く僕の中に入り込んでいたんだ。それで、地元の店が Forece を置くようになった時、僕はもう大人になっていたんだけど、僕はたくさんのシリアルの箱を買ったんだ。おまけを集めるためだけにね。それで、僕は、サニー・ジムの小さな人形を手に入れたわけなんだ。サニー・ジムを手に入れて、全部を並べることが出来ると、シムの呪いは、嬉しいことに、僕に取り憑いたんだ。実際、そのことを考えると、僕の人生のすべての過程、それに僕が考えて来た全てのことは、学校へ行く前の急いでいる時に、シリアルの箱の表や裏で見たことで形成されたように思えるんだ。
 完成された録音は、厳密には、四重奏ではないんだ。トッドのマルチ・トラックを使って、奏者は、何箇所かで重ね取りをして音を厚くしているんだよ。でも、それが正解だった。サニーも、きっと、認めてくれると思うんだ。
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2011年03月08日

The Beatles 「 Come together 」訳

 ついでに、Beatles の「 Come Together 」
の一番だけ。

 joo-joo eyeballs 、いろいろ説明もあるのですが、言葉でなくて、見た目で読んでみました。


ヤツ、やって来る、きたないひらたい屋上に。
そんで、ゆっくり演るんだ。
ヤツ、joo-joo ( 丸メガネ ) の目、一個は驚くことに回るんだ。
そんで、髪は膝までのばしてる。
ヤツ、ペテン師みたいなものさ、やりたい放題だ。



追記:
ニ番も。この歌は、選挙の応援ソングを耳にして、思いついたと言うことなので、
「come together right now over me」の行は、その感じを取りました。

ヤツ、ピカピカ靴は脱いだ、フットボールみたいに爪先が詰ってたから。
そんで、指を使って、コカ・コーラを吹き上げる。
ヤツ、言う、「オレオマエ、知ってる。オマエオレ、知ってる。」
ボクがキミに言えるのは、キミはもう、自由だ、ってこと。

「さあ、皆さん、ご一緒に! 今なのです! 変革の時なのでーす!」


最追記:
三番と四番も。
Ono も、mojo も、joo-joo と同じ、見た目、言葉でなくて図のように。


ヤツ、ソウゾウしい、ブカブカのゴム長が鳴るんだ。
ヤツ、食器棚を捨てた、支柱を一本折ったから。
そんで、受け台は膝に敷いてるんだ。
キミがカレの肘掛け椅子に座ったら、カレの病気がうつるかも。

「さあ、皆さん、ご一緒に! 今なのです! 私に任せて下さーい!」

ヤツ、盆をまわす、予兆があったんだ。
ヤツ、泥水を汲んで来る、蛇口で漉すんだ。
ヤツ、言う、「イチとイチとイチはオマエ“さん”」
ヤツ、ハンサムになった、見えなくなったから。

「さあ、皆さん、ご一緒に! 今なのです! 私を議会に送り出して下さーい!」
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The Beatles 「 Norwegian Wood (This Bird Has Flown) 」訳

 ちょっと読んでみただけです。

 Norwegian 、でも、アルバム『 Rubber Soul 』で、あとにある「 Nowhere Man 」と繋げてみました。



ぼく、ある日、メエ( 女枝 )さんに会った。
そうじゃなくって、メエさんがぼくに会った。
メエさん、自分のヘア( 部屋 )をぼくに見せた。
( おや、ちょっといっぱいすぎないか、ノルウェイの樹の香( きのか ) )

メエさん、ぼくに泊まっててと頼んだ。
それで、どこでも座るように案内した。
それで、ぼくは見回した。
でも、椅子は一脚もなかった。

ぼく、じゅうたんに座って、神妙にして、
メエさんのお饗応をうけた。
ぼくたち二人は二時まで話した。その時、メエさんは言った。
「寝る時間」

メエさん、朝は仕事、とぼくに言った。
そうして、笑い出した。
ぼく、仕事はない、とメエさんに言った。
ぼく、ノロノロと風呂に行った、そのまま寝た。

ぼくが目が覚めた時、ぼくはひとりになっていた。
鳥は飛んでいってしまっていた。
それで、ぼくは火を点けた。
( おや、ちょっといっぱいすぎないか、どこでもない国の樹の香 )









追記:

 これは全くの蛇足です。

 この歌の、wood について、複数形でないので森ではない、と言うような説明がなされているのを見ます。それには、ちょっと、首を傾げてしまいます。「森」と言う意味で使用する場合でも、単数を使うことはあります。
 元々、この wood と言う語は、nature ( 性質 ) が wood ( 木質 ) と言う意味です。何かの製品、例えば、家屋、家具が、stone ( 石製 ) か wood ( 木製 ) かと言うことを言うので、その場合は、「材木」と言う意味になる、ということなのです。それは、そのまま、土地についても言えることで、その土地が、 wood ( 木質 ) か stone ( 石質 ) か sand ( 砂質 ) かを区別する様に働いていて、その場合は、「森」の意味になります。
 ですので、この語単独で、「材木」であるか「森」であるかの区別はつかないと思います。文章の中で、他の語との関係で、意味が確定されていくのですから。
 この歌の場合、Norwegian という形容詞があるので、それから、意味が限定されていきます。 Norwegian sea の場合、広大で境もない海のある部分が、ノルウェイ国の領海であることを示すのに使われていると思われます。これと同じ用法が、「森」と言う概念にも使えるかと言えば、それは疑問です。ですから、Norwegian wood と言う場合は、ノルウェイ産の材木と、捉える方が妥当だと思われます。( ちょっと飛躍過ぎですが )

 では、Norwegian wood をノルウェイの木材として、正しいかどうかと言えば、必ずしもではないと思います。書き手が、通常文法に従って書いていると言う保証などないのですし。
 一つには、good ( 品物と言う意味もある ) と韻を踏んで wood を使っているので、材木の意味が強いようにも思われます。けれども、一方では、bird との縁語になっていて、森の意味を持つようにも思います。
 レノンが、何か意図して使っているとすれば、Norwegian wood と言う語で、イメージが多方面に広がることをではないかと思います。
 現在では、当時、ノルウェイ産の材木を壁板に使うことが流行っていたと言う証言があるので、それを取って、具体的なイメージを翻訳に入れることも可能だとは思います。けれども、その場合でも、bird との関係を消してしまうような訳はいいとは言えないと思います。

 発表当時、これを、「ノルウェイの森」としたのは、一つの慧眼だったのではないかと思うのです。
posted by ノエルかえる at 09:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月06日

Generals and Majors 訳

 ムールディングの「 Generals and Majors 」。
ギルバートとサリヴァンの『 The Pirates of Penzance 』の中の早口歌「 Major-General's Song 」が頭にあって、Major-General ( 少将 ) と言う語をひっくり返して、分けた、と言う可笑し味もあるのかもしれません。
( 先日から、Idea のサイトが接続できなくなったので、チョークヒルズのサイトのlyric を元にしました。 )

拙訳です



将軍たちに少佐たち、ってね、
いつだって、戦場からそんな
離れたとこにいいないんだ、だって、戦場ではうっとりしちゃうもんだからね。
でも、自分たちだけの社交場に出たり入ったりして、
将軍たちと少佐たちは、全然、戦場にはやってこないんだけどね、
でも、勝利が決まったら、来るんだ。

将軍たちと少佐たち、
戦争がないと、つまらないみたいだ。( って、戦争ないことないけど。 )

将軍たちと少佐たち、
することがないので、気持ちがふさぐってことは、これまでなかったみたいだ。

将軍たちと少佐たちに召集だよ、
将軍たちと少佐たちは、あちこちにいるからね。
将軍たちと少佐たちに召集だよ、
お待ちかねの第三次世界大戦が起こりそうなんだ。

将軍たちに少佐たち、ってね、
いつだって、下士官からそんな
離れたとこにいないんだ、だって、自分たちが上の位になるのだからね。
それで、自分たちだけの社交場に出たり入ったりして、
将軍たちと少佐たちは、全然、下士官のとこには来ないんだけどね。
でも、戦争に勝つか負けるかすれば、来るんだ。

将軍たちに少佐たち、ってね、
いちどだって、目立たなくてやだな、て思ったことないみたいだ。
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2011年03月04日

BIg BIg Train 『 Far Skies Deep Time 』

 グレゴリーが、ギターで参加している Big BIg Train の『 Far Skies Deep Time 』が到着。
5曲を収録、全編で40分あまりのEP。


  簡単な感想:
 暖炉の側で、長い物語を聞く為の音楽。ゆっくりした長い歩幅での逍遥のようなメロディ。薪から上がる炎の、規則的だけれど、熱による上昇気流や、煙突や窓から時に吹き込む風で、思わぬ変化をするリズム。そのような感じ。
 ’70年代始めの頃へのノスタルジーで、その良質で柔和な部分をエッセンス化した感じ。

 グレゴリーが手伝った、Pugwash が、とても良質な歌を作るバンドであるのと同様に、この BIg Big Train も、とても良質なバンド。
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「 Ballet for a Rainy Day 」パートリッジのノート

 この歌のことを考えると、いつも、ある鮮烈な思い出を僕に思い起こさせるんだ。この歌は、それはもう他でもなく、誰でも手にしたことがあるだろう、安っぽい子供のぬり絵に関わるものなんだ。簡単な線だけの絵に、ちょっとだけ先を水に浸けた筆を当てて、輪郭線をなぞると、見えていなかった絵具が紙に滲み出ていって、絵が描けてしまうというものだよ。僕は、筆で色を着けることで絵を駄目にするのが、大抵だったんだ。それで、このぬり絵のやり方は、僕が色を着けることで絵を台無しにしていたことを、はっきりと分からせてくれたんだ。それらのぬり絵は、僕の幼い目には、魔法の様に思えたんだ。母は、時々、僕に一冊のぬり絵帳を買ってくれたものだった。スウィンドンの商店街にある、古い煉瓦作りのヴィクトリア・マーケットで、母は買っていたんだよ。母が買ってくれるのは、仕事へ急いで出掛ける為に、おばあちゃんの家に僕を置いて行く時に、僕がいい子でいた時だったんだ。 [ 僕は、ほとんど何時も、無茶苦茶に泣いていた。…、捨てられ児を見る様だった。 ] 外に遊びに出られない雨の日に、そのぬり絵帳のページを埋めていったものだったよ。外で土砂降りの雨が町を側溝に流し込みそうになっていると言う時に、絵が僕の生活に遣って来たんだ。なんて素晴らしい偶然の一致なのだろう。……、僕が描いたのも、本当に、激しく降る雨だったんだ。
 ジュリー・アンドリュース風に、この歌には、たくさんの大好きなものが入っているんだ。まず、金属製の絵具箱。( 僕が、初めてエリカと一緒の生活を始めたとき、彼女が〈アリス・イン・ワンダーランド〉のお絵描きセットを持っているのを知ったんだ。エリカは、幼い頃のイギリス旅行の時に、それを買っていたんだそう。僕も、その何種類かあるセットの、正に同じものを子供の時からずっと持ち続けていたんだ。それは、常時、僕のお気に入りの物だったんだよ。なんていう偶然の一致だろう、大陸を越えて二人が同じものをだよ。 ) この歌に、僕は、僕の幼い頭に浮かぶ、雨の日のあらゆる魅力的な破片の数々を“移植”したんだ。ジャムの硝子瓶、清明な水を入れてもいいよね。官能的な筆捌き。眩しい雨具。戸外の八百屋の陳列棚で濡れている果物。雨の為に縮こまっている屋根、見た目だと、まるで人間の様に見えるんだ。そんな色々な物だよ。 僕は、この歌の歌詞がよく出来たと、自信があるんだ。追い求めていたけれど、いつも手に出来なかったものを、僕は見出したんだよ。
 他のいくつかの歌と同じで、この歌も、リズムに関しては、デーブ・クラーク・ファイブの「 Bits and Pieces 」、スライ・アンド・ロビーの「 Don't stop the Music 」の型に基づいているんだ。その釣られやすいドラムの調子に、テリーと僕は強く感銘を覚えたんだ。僕たちが、それを初めて聞いたのは’81年だったのだけど、友人でオランダ人の Hans De Vente が、マナー・スタジオでかけたんだよ。それ以来、このドラム・スタイルは、僕らの曲の内のかなりの数の曲に、“感染”しているんだ。この歌もその一つだ。撥ねるようなバックビートに加えて、僕がデモの時に入れた、ハイハットは、この歌の要なんだよ。水たまりにバシャンと落ちる足がわかるでしょう。プレイリーはこれを理解したんだよ。それで、サンフランシスコで完成された彼の演奏では、彼は少し捻りを加えているんだ。僕が、プレイリーが演奏したその日にも、きっと雨が降っていたんだと思っているって、他人にも分かるだろうか。
 いつも、ピアノを弾くことに不平を言っているのだけれど、デイブは、僕の捉えどころのないギターのコードをちゃんとした調整に変えて、見事な演奏をしたんだ。それに、コリンは、ものの見事に、レコードの溝にぴったり合ってるんだよ、それも、その溝に入って行く途中でも、彼のパッカー・スタイルのマッキントッシュ・レインコートには皺も付けなかったんだよ。僕が、二つの雨の歌をこのアルバムに入れる候補として書いたことを、自分ではちゃんと覚えていなかった、なんてことはないんだ。[ この歌と「 1000 unbrellas 」だけど。 ] ところが、トッドは、一つだけでは、取り上げなかったんだ。トッドは、両方を取り上げて、自分の実験室で、この二つの歌を縫い合わせたんだ。今では、この二つを繋がらない状態で考えることは難しいね。完璧な雨の組み合わせだよね。
posted by ノエルかえる at 20:55| Comment(2) | TrackBack(0) | Skylarking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする