2011年06月27日

the Beatles 「 Here Comes the Sun 」 訳

ああ、太陽が、
太陽が来るよ、だからもう、
大丈夫だと僕は思う。

ねえ君、
寒くて寄る辺もない冬がずっと続いているんだ。
ねえ君、
この土地が冬になってから、何年も経つように思えるんだ。

でも、太陽が、
太陽が来るよ、だからもう、
大丈夫だと僕は思う。

ねえ君、
大地の面に、咲きほころぶ笑みが戻ろうとしているんだ。
ねえ君、
この土地が冬になってから、何年も経つように思えるけれどもね。

太陽、太陽が来るよ、
太陽、太陽が来るよ。
太陽、太陽は来るんだ、
太陽、太陽は来るものなんだ。

ねえ君、
氷が少しずつだけど溶けているように、ぼくは思う。
ねえ君、
氷が透明になってから、何年も経つように思えるけれどもね。

ああ、でも、太陽は廻るものなんだ、
太陽は来る、だからもう、
好転するんだと僕は思う。



 the Beatles の lyric は、
Songs - The Beatles




蛇足:
二度繰り返される「 Little darling, it feels like years since it’s been here 」と
「 Little darling, it seems like years since it’s been clear 」。
since it’s been here 、[ it has been here ] の it は、the sun で、has been を経験の表現と見て、
太陽が一度ここに来て、それ以来、何年も経つ。
it’s been clear も、同様に、
ここが晴れ渡って以来、何年も経つ。
と読むのが一般的なのかもしれません。
ですが、
現在完了で、事象が継続している表現に取った方がいいのでは、と思いました。
It has been cold winter. It has been clean ice. と読んだのです。
太陽は、そこまで来ているのが見えるのですけれど、まだ来てはなく、冬が続いているからです。

この歌は、困難が今にも終わろうとしていることを確信していると言う、希望の歌だと思います。
posted by ノエルかえる at 16:33| Comment(4) | TrackBack(0) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月26日

1986年

 今年は大きな災害が起こった年で、それは長く記憶されることと思います。そして、その災害が起因して、原子力発電所の事故があった年だと。原子力発電所の事故は、これまでにも、スリーマイル、チェルノブイリと起こっていることです。けれども、文明にとって、福島の事故はより深刻なものかもしれないと思いもします。先の二つの事故は、作業の過程で、操作を誤ったための事故でした。福島の事故は、設置の前提となる自然状況に対しての見通しが不十分であったために起こった事故です。それはつまり、文明が自然現象に対して優位であると言う思い込みが、誰の目にも明らかに否定されたと言うことにもなるのではないかと思うからです。
 さて、ある方に頂いたコメントで気付いたことなのですが、『スカイラーキング』が製作、発表された1986年は、科学技術にとって、重大な失敗のあった年なのでした。一つは、先に触れたチェルノブイリ、四月二十六日ですから、レコーディングに入っている頃でしょう。もう一つは、スペースシャトル・チャレンジャー号の墜落事故です。それは、一月二十八日のこと。もちろん、技術上の事故はいつでもあることではあるのでしょうけれど。二つの事故は、多くの一般の人々にも深く記憶されるものなのですから。
 そして、そのことが、何か象徴的なことのように、今の私には感じられるようになっています。アポロ号の月着陸の1969年頃からの科学技術の「夢」と言う面が潰えてしまったことを表しているように思えるのです。その「夢」、日本でならば、70年の万国博覧会が最も端的に表しているものでしょう。
 その「夢」は、XTCがその範疇にいる、ロック・ミュージック、と言うよりも、エレクトリック・ギター・バンドの歌にも直接に関わっているものだと思います。電気コードの中で、増幅され、変調され、あるいはプリズムが取り出されたりするのですから。その夢から覚めた時、と言うふうにも考えられるのかもしれません。
 XTCは、『スカイラーキング』の直前までは、常に、大衆音楽の中にあって、最新鋭の機器を使って、未踏の領域に進もうとしているバンドに思えていました。『ビッグ・エクスプレス』は、そうした営為の結実であったと思います。ところが、『スカイラーキング』をレコーディングしたラングレンのスタジオは、全く時代遅れの六十年代的なものだったのです。(フェアライトと言う最新機器はありましたけれど)
 一方、XTCは、前年の85年に、六十年代の機器、楽器を使っての、サイケディリックの模倣を製作していました。
 XTCの前年の活動とラングレンのスタジオの実体は、偶然の符合なのだと思います。けれども、今では、それは偶然ではなく、必然であったと思えるようになりました。
 1986年は、ロック・ミュージックが終わった年なのかも知れません。『スカイラーキング』は、その記念碑、墓碑銘なのかも。
 ロック・ミュージックのことは、さておいて。1986年は、英国では、マーガレット・サッチャー政権が1979年以来の7年目であって、(パンク・ムーブメントとほぼ同じと言うのも時代の妙です。) 彼女が押し進める新自由主義の政策が古い英国の生活を消し去ろうとしている時でもありました。『スカイラーキング』は、図らずも、それを記録するものともなったのだと、私は思います。69年以降の「夢」の英国と言う射程ではなく、もっと長い時間を含んでいる英国のです。(ウィリアム・ウォルトン以降のイングランドかもしれませんけれど。) 工業を生み出した英国、戦後の復興の希望の中にあった英国、その英国が『スカイラーキング』の中に、横たわっているように思えます。
 科学技術の「夢」の終わりと、古い英国の終わりが重なっていると言うのも、何か象徴的に感じられます。『スカイラーキング』では、それが表裏一体のものとなっているのかもしれません。
 それが出来たのは、ラングレンのスタジオと言う六十年代の「夢」のままの装置であったからなのでしょう。
posted by ノエルかえる at 13:11| Comment(2) | TrackBack(0) | Skylarking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月24日

Answers On a Postcard

 Pugwash の「 Answers On a Postcard 」、iTunes でも販売。


iTunes

posted by ノエルかえる at 14:02| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月22日

summer solstice celebration

 スウィンドンに近い、Wiltshire のAvebury 村で行われる、夏至を祝う火祭り。「 Sacrificial Bonfire 」で歌われるのも、このような光景でしょうか。

 2010年の祭りの様子:





posted by ノエルかえる at 10:31| Comment(0) | TrackBack(0) | Skylarking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月19日

Mayor

 The Mayor of Simpleton って、The Mayor of Swindon の洒落だったのではないか知ら、もともと。
posted by ノエルかえる at 14:37| Comment(0) | TrackBack(0) | Oranges & Lemons | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月15日

Idea のドメイン

 Idea のドメインを、AFFILIATE SPECIALIST LTD と言う会社が買った様子。すでに、使用している。

 AFFILIATE SPECIALIST LTD は、ロンドンにあるインターネットの広告業の会社らしいけれど、詳細は不明。

 現在は、トップページがあるのみ。この会社が、XTCidea Records の名前で、何をするのかも不明。


 ただ、XTC、Idea とは、全く無関係の団体であることは明白なので、サイドバーのリンクの欄にに残しておいた、Idea の項は削除します。
 また、サイトが復活して、アルバム・ディテールやリリックのアーカイブが閲覧可能になることを期待していたのですが、www.xtcidearecords.co.uk/ のURL が人手に渡った以上、望みは、ほぼないと思いますから。



 それから、Barry Andrews のwebページも、同様に、全く別のものになっているので、リンク先をShriekback に変更します。
posted by ノエルかえる at 09:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月14日

it's hardly love all and

 パートリッジの「 Living Through Another Cuba 」の歌詞の、第二スタンザの「 it's hardly love all 」の行、
このスタンザでは、テニスの用語を使っていると思われるので、この love は、点数の零のことだと思います。
 ですので、私が以前訳したものは間違いだと。

 ただそれでも、意味が取り難いのですが、 love all をゲーム開始の意味と取るのか、点数がないと言う意味に取るのか、hardly との関係もあるので、悩みます。
 ただ、現実の問題として、当時、合衆国とソ連邦は、冷戦のままで、実際の核ミサイルの打ち合いは始めなかったことを考えると、「 it's hardly love all 」は、ゲーム開始は難しいの意味なのではないかと、推測します。

 そのように、歌詞の訳を訂正します。
posted by ノエルかえる at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | Black Sea | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Mechanics' Institutes

 『スカイラーキング』が製作発表された年には、スウィンドンでは、長い間操業していた鉄道工場が閉鎖された年でした。その最後のサイレンが『スカイラーキング』でも聞けるのですが。
 また、パートリッジは、本好きなのですが、イギリスには、Mechanics’ Institute と言う成人の労働者階級向けの教育機関があり、図書館を設置していたと言うことで、スウィンドンにもMechanics’ Institute 図書館があったのですが、それが閉鎖されたのも、1986年なのだそうです。
 イギリスでは、1986年は、社会が大きく変化した時なのかもしれません。同年に、BBC は、Domesday と言う、征服王ウィリアム一世が行った検地の土地台帳に因んだ名前のプロジェクトを開始して、全国の記録をしようとしたそうです。

 そんなことを考えると、『スカイラーキング』は、よりその意味合いが深まるように感じます。

Mechanics' Institutes - Wikipedia, the free encyclopedia


Mechanics' Institutes Swindon の内部の古い写真:

mechanics_reading_room.jpg
posted by ノエルかえる at 09:57| Comment(2) | TrackBack(0) | Skylarking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月12日

Burning Shed

 APE の商品、先に、ダウンロード版は、BandCamp で販売が始まっていましたけれど、ディスク版の販売を、Burning Shed が行うことになったようです。

Ape
posted by ノエルかえる at 09:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月08日

プロムス

 「 Sacrificial Bonfire 」ムールディングのノートを読んでの感想、
ほんとに、『 Skylarking 』がプロムスで取り上げられるといいなあ、と思いました。Ian Bostridge ( イアン・ボストリッジ ) と、Emma Kirkby ( エマ・カークビー ) が歌って、Eliot Gardiner ( エリオット・ガーディナー ) が指揮して。いいだろうなあ、
posted by ノエルかえる at 14:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「 Sacrificial Bonfire 」ムールディングのノート

 「 Sacrificial Bonfire 」ムールディングのノート




 僕は、どこへ通じているか何の道標もない路を辿っていたんだ。今になってさえ、当時のことについては、ほとんど、分からないままなんだ。それでも、僕は、この歌に使った和声が、何となく、先史時代のものに聞こえるとは思っていたんだ。最初に現れた人間の種類、どんな風だったのだろう、[ それに、どうして、貪欲になることを身に着けたのだろう。 ] そんなことを考えて、僕は、人間が類人猿 ( APE ) だった状態から、それほど離れてしまってはいないと言う考えを持つようになったんだ。けれども、人類は、どうやって人間を月に送ればいいかを、知っているんだよね。一方で、様々な面では、未だに、非文明的な状態に、人類はいるままなのだけれど。一体何が、人にあることを言わせしめてしまうのか、僕は知らない。だけれども、僕の心に浮かんだことを、直ぐに言ってしまうのが、ぼくは好きなんだ。だって、大抵の場合、僕がほんとうに言いたいと思っていることの神髄と言うのは、その最初に思いついたことの方が、より間違いないのだもの。たとえ、その言葉が、まるっきり、わけの分からないものだったとしてもね。
 トッドの編曲、歌の後半のものだけどね、アルバムを締めくくるものにしているね。本当に素晴らしい。アルバート・ホールのBBC プロムスの最終夜のエルガーの様だね。 ( The Proms:BBC が開催するクラシックのコンサート。夏の八週間に亘って、アルバート・ホールで開かれる。最終夜には、Edward Elgar の『威風堂々 Pomp and Circumstance』第一番が演奏される習慣。 ) アメリカ人が、それまで僕たちがして来たよりも、ずっとイギリス的に僕たちをしたんだね。そんなこと変だと思えるけど、でも、実際に起こったことなんだ。
posted by ノエルかえる at 09:36| Comment(0) | TrackBack(0) | Skylarking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月07日

「 Dying 」ムールディングのノート

 「 Dying 」ムールディングのノート



 当時、僕は、歳とって不自由な体の老人が隣に住んでいる、古い長屋に引っ越したんだ。そのことが、この歌に僕を駆り立てたんだと、思うよ。老人は、僕に話しをしてくれた。いつも、妻をロープを使ってベッドの上に持ち上げていて、ときには、背中に負ぶってベッドに連れて行くんだ、とか。夫人は、老齢でそれに病気だったからなんだけれど。そんな話しなんだ。僕が訪問した時には、いつも、窓の敷居に大きな猫がいたよ。それに、巨大な時計、もうほとんど時を刻まなくなっていたけれど。でも、そこから、時計の考えを得たんだよ。人は、考えの芽を得たら、広い場所で伸ばすものなんだよ。想像力のすることと言うのは、そう言うことなんだ。一つのことが他のものを連れて来るんだ。友だちになった老人は、猫を飼っていたんだ。モンティと呼んでいた。[ モントゴメリー元帥に因んだものだ。 ( Monty は元帥の愛称 ) ] それで僕は、「 cat and dog 」の行を思いついたんだよ。それで、子供たちが老人たちをからかっていた、そうしてなかったかな? それに、病院に行けば、老人たちは、大抵、口を開けているんだよね。息をしようと必死に藻掻いているように。そんなイメージが全部、この歌に入っているんだ。僕が自分の目で見なかったことを、何も含めなかった、とは思ってはいないよ。
 和声は、ほとんど、偶然に出来たんだ。二つのギターのパートがぶつかって、素晴らしいハーモニーを作り出したんだ。それで、僕は、そのハーモニーで曲を書いたんだ。僕が曲を作ることの出来る、唯一の方法なんだ、その偶然と言うのが。何も、事前に意図を持って用意してないんだ。物事を押し進めるのに、僕は偶然に頼っているんだよ。
 「チャートを駆け上がる曲」ではないけれどね、この「 Dying 」。でも、僕の一番好きな歌の一つだ。だって、小さな歌だもの。それに、僕は、些末なことを書くのが好きなんだ。
posted by ノエルかえる at 09:48| Comment(0) | TrackBack(0) | Skylarking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月03日

「 The Man Who Sailed Around His Soul 」パートリッジのノート

 僕は、カンの滔々と淀みのない「 One More Night 」( ドイツのバンド CAN の1972年発表のアルバム『 Ege Bamyasi 』に収録 )が好きなんだ、回転する棒のような7拍子で進んで行く音楽なんだ。それに、デイブ・ブルーベック ( Dave Brubeck : 1920年生まれ、ジャズ・ピアニスト ) の「 Unsequare Dance 」。極めて簡潔な音楽。僕は、この拍子で何か書きたいなと夢見ていたんだ。前へ突き進み続けて休みもしない、と言う音楽、僕はいつも追い求めていたんだ。冒険的な歌なんだ。どうしてこれを書かずにいられようか。あ、でも、どんな和声かと、僕に尋ねないで下さいね。僕は思い出せないんだ。だけど、それ以前には使ったことのない、指使いの組み合わせを、その時に見つけたんだよ。その和声は、僕を悠々と風の中に突き進ませたんだ。
 たぶん、僕の最初の子供が生まれたからなのか、あるいは、年齢の所為なのか、それが誰か分かるだろうか、ともかく、僕の人生の転換点で、人生を締めくくるような答えを求めていたように思う。歌詞はとても早く思いついたんだ。一種の構想の噴出だね。だけど、よくある題ではないだろうか? ビートニックの詩を思わせるね。[ 「人生は一対のオレンジ・ボンゴ」とか ] そうでなくて、スパイ小説の題、そうでなくて、ボビー・ダーリン ( Bobby Darin ) が「 Mack the Knife 」の後に出したかもしれない歌の題のようだ。現実のための、指標を書き入れた完全な地図なんだ。歌詞の要になるのは、ジャック・ケルアック ( Jack Kerouac : 1922年生まれの詩人 ) のある種の冷たさだね。それは、ブレヒト ( Bertolt Brecht : 1898-1956年。劇作家 ) の詩を土台のビスケットにして上に載る氷菓のようなんだ。そのブレヒトの詩には、ヘンリー・マンシーニがジョン・バリーのインストルメンタルを元にして、曲を付けていたと思うけど。その氷菓、ああ、美味しい! でも、僕が、トッドに送ったのは、そんなふうには全然聞こえなかったんだけれどね。全くだよ、僕のデモ・テイクはまだ練れていなかったんだ。油彩の肖像画ではなくて、まだまだ、胎児状態のぼやけた素描だったんだ。
 アメリカ合衆国へのジェット旅客機に飛びのる前の、僕とプロデューサー氏との数回の電話会談のある会話で、プロデューサー氏は、この歌の素描を、暫定的な候補曲にしている、出来れば歌詞を完成して欲しい、氏はこの旋律が気に入っているから、と言ったんだ。それで、ぼくはそうした。先に述べた「 Mack the Knife 」を、子供の頃毎日のようにラジオから漏れて来るのを聞いていた記憶を掘り起こして、フランク・レッサーの『 Guys and Dolls 』( 1950年初演のミュージカル )の中の「 Sit down your Rocking the Boat 」から旧約聖書の箴言を精製しようと努めたんだ。僕は、何気なしに、自分の書いた歌で一番のお気に入りになる歌を創ってしまったんだ。悪くとらないで下さいよ。僕は、自動的に、何でも自分の歌が好きになるわけではないんだ。本当です、そんなことはないんです。「 Sgt. Rock is going 」は、十分の二だけ。「 Complicated Games 」は、十分の四だけなんだ。この歌は、十分の十が好きなんだ。それで、僕が創った歌と言う子供たち、その全員の中には、少しばかり嫌なのや出来映えの良くないのは一つもない、と言うことはないんだ。
 さて話題を元に戻して。この歌の大部分はサンフランシスコで録音されたんだ。トッドの迅速だけど的を得た編曲、弦楽と管楽器隊も入れてね。デイブのジェームズ・ボンド風の単音のギターと僕のリード・ヴォーカルは、ウッドストックの小屋に戻って、録られたと、確かではないけど、そう覚えているんだ。歌っている時に何よりも頭に浮かんでいたのは、僕の長年の憧れの人である、ジャック・デイヴィス ( Jack Davis : 1924年生まれの漫画家 )が描いた、雑誌『 Yak Yak 』の創刊号の表紙のビートニックな風刺漫画の絵だったんだ。それは、僕を実存的深刻な場面に陥らないように助けてくれたと、僕は思う。僕は、あのコミック・ブックが大好きだったんだ。でも、でも、あの雑誌、何処かに行ってしまったよ、……、ああ、溜息が出ちゃうな。ああ、すいません、僕は何所まで話したか知ら?
 イギリスのテレビ放送で、『 The Tube 』と言うポップ・ミュージックの番組があったんだけど、僕らは一度も出演依頼を受けたことがなかったんだ。僕は思うのだけど、僕らはかっこ良くはないからね。番組が終わりそうになっていたある時、番組から僕に、『 The Pirisoner ( プリズナーNo.6 ) 』[ 皆さんは覚えているでしょう、60年代のパトリック・マクグーハン主演のスパイ・心理・スリラーものだよ。 ] の特集への出演依頼があったんだ。番組は、本物の『プリズナーNo.6』のロケーション場所、ポートメリオンに行って撮影をして、『プリズナーNo.6』の贋作を作ろうとしてたんだ。それに、たくさんのバンドも出ると言うものだった。番組の担当者は、毎週の放送に、ずっと出演依頼をしなかったことを謝って、あああ、それで、僕らにそのたくさんのバンドの中に含まれるのを承諾してくれないか、と言ったんだ。僕らは引き受けたよ。それで、僕らは、氷点下の厳しい状況でお尻を凍らせた、と言う訳。薄っぺらな夏の衣類以外は何も着ないでね。僕らは、僕の「 The Man who sailed around his soul 」とコリンの「 The Meeting Place 」を撮影したんだ。デイブの弟、デュークのE.I.E.I.Owen 、イアン・グレゴリーがプレイリーの代わりにドラムズ・キットに座ったんだ。その冷凍物は、ユーチューブで見ることが出来るね。僕らはひどい高熱を出したんだ、ねえ、海の男でも凍えるだろう。本当の話しなんだ。



 Yak Yak, Premier Issue (1961):

davis,j_yakyak_no1_1961.jpg
posted by ノエルかえる at 09:40| Comment(0) | TrackBack(0) | Skylarking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月02日

I was the master of all I surveyed

 パートリッジの「 Dear Madam Barnum 」の歌詞の「 I was the master of all I surveyed 」の行。

 William Cowper の『 The Solitude Of Alexander Selkirk 』の冒頭の行を踏まえたもの。

I am monarch of all I survey,
My right there is none to dispute,
From the center all round to the sea,
I am lord of the fowl and the brute.

 William Cowper ( ウィリアム・クーパー ) は、Berkhamsted に生まれた詩人。1731年生まれ、1800年没。ロマン派の先駆け。

 Berkhamsted は、ハートフォードシャー州にある町。


The Solitude of Alexander Selkirk - Wikisource


 アレキサンダー・セルカークは、1676年生まれの、スコットランドの水夫。遭難して、四年間無人島で暮らした。
posted by ノエルかえる at 10:06| Comment(0) | TrackBack(0) | Nonsuch | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする