2011年08月24日

ノエルかえる

 私を批判するブログがありましたので、
ロックミュージックの翻訳の真髄はアーチストの魂の叫びを伝えること: 洋楽歌詞和訳 〜わがままROCK'N ROLL直訳意訳対訳集〜

 某と言わずに、ノエルかえる不恵留と書いて頂いて構わないのですが。

 私は暇です。同時に、 XTC が『ホワイト・ミュージック』で登場して以来のファンです。私のアイデンティティーがあるとすれば、XTC を聞くことだけです、ほかには何もありません。ですので、インターネットを使うのも、 XTC の情報を得ることが主になっています。
 ですので、もちろん、ブログ『洋楽歌詞和訳 〜わがままROCK'N ROLL直訳意訳対訳集〜』も拝読しています。コメントも入れました。私に疑問があればそうしますから。「つまらぬちっぽけな誤訳」と思うものはコメントも入れないのですけれど。

 さて、上記の記事で、「Ball And Chain」を修正してある、とありますが、「Ball And Chain」を訂正したことはありません。訂正したものは、そのように記しています。 ( 誤記に気が付いた場合は、そのまま訂正して、特に記してはいませんけれど。 )
 「 Then She Appeared 」は、私としては自信のあるもので、読み解きながら、パートリッジの仕掛けは、これほどに手が込んでいるのか、と思い興奮を覚えたものです。ただ、敢えて言及しなかったことがあります。三人目の女性は、フランスを象徴するマリアンヌなのですが、この名前は、パートリッジの前妻の名前です。この歌は、実は、当時の妻へのラブ・ソングなのです。
 「 This is Pop? 」も割合によく出来たと思うのです。岡本太郎の「芸術は爆発だ!」に近い思いがあると考えられます。
 「 Living Through Another Cuba 」の訳も気に言っています。
「またもやのキューバ下で年を越す、ほれほれ!」またもやの ( キュー・バカで ) 年を越す、ほれほれ
 歌詞は、囃し歌の様に作られているのですから、巫山戯た感じを出さないと、と考えています。

 もちろん嫌われ者なので、他人に受け容れられようとは思いません。
 さて、その上、私はいわゆる「ロック」が嫌いです。「ロック」はなければ善かったと思います。音楽、歌謡にとって、「ロック」が寄与したものはほとんどないと思います。「ロック」は、アメリカ社会が産んだもので、メガ・チャーチと対を成す病巣だと考えます。もちろん、私は、「ライブ」には行きませんし、フェスティバルと言うものには気味の悪さを覚えます。
 
 さて、『洋楽歌詞和訳 〜わがままROCK'N ROLL直訳意訳対訳集〜』から、ヒントを得て、私が訂正したものは、まず、「 Rocket From A Bottle 」です。その中の shrouds と言う語。これを経帷子として、白い雲の比喩に訳していたのを、ロケットの先に訂正しました。その訂正の際、『洋楽歌詞和訳』にそう訳されていたからではなく、カタカナのままにしてあったので、何故「経帷子」にしないのか疑問に思い、shrouds の使用例を調べました。
http://noerukaerufueru.seesaa.net/article/153672137.html
 それから、「 No Language In Our Lungs 」、これは、歌の中で歌われている歌詞が the word だ、と言うこと、それは『洋楽歌詞和訳』で気が付きました。もちろん、「言葉が邪魔をする」の意味ではありません。

 私は、「ロック」が嫌いです。「ロックは魂の叫びだ!」と言うのにはうんざりします。そして、XTC が好きです。その歌の、旋律、歌詞を分解して、そして、より細かに分解すればそれだけ、精緻なものが見えて来るのに、興味をより駆り立てられて、飽くことがないのです。


 それから、アンディ・パートリッジ、コリン・ムールディングは、実際、「ロック」ミュージシャンなのか知ら? 
posted by ノエルかえる at 11:26| Comment(1) | TrackBack(0) | このブログについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする