2017年08月31日

Andy Partridge / Wanner Chappell Music

 ワーナー・チャペル・ミュージックに登録されている、アンディ・パートリッジの歌は、 
アンディ・パートリッジ名義で、49曲。アンディ・パートリッジ/ピーター・ブレグヴァド名義で9曲。 
( 49曲の中には、ブレグヴァドとの共作も含まれている。 )
ブレグヴァド/パートリッジのものは、『 Gonwards 』のもの。「 Impeccable Dandy In White 」はない。

アンディ・パートリッジ名義のものは、『ファジー・ウォッブル』シリーズのもの。 
「All I Dream Of Is A Friend」「Autumn Comes Around」「Blue Beret」「Born Out Of Your Mouth」「Bumpercars」「Child Crusade」( 『The Bull with the Golden Guts』収録 )
「Dame Fortune」「Don't Let Us Bug Ya」「EPNS」「Everything」「Everything'll Be All Right」「Gangway, Electric Guitar Is Coming Through」
「Goodbye Humanosaurus」「GOOM」「Goosey Goosey」「Hey, It's Alan Burston!」「Howlin' Burston」「I Don't Want To Be Here」
「I'm Playing My Fano」「It's Snowing Angels」「Lightheaded」「Mechanical Planet」「Miller Time」「MOGO」
「Mopti Fake」( 『Jules Verne's Sketchbook』収録 )「My Train is Coming」「No One Here Available」( 『The Bull with the Golden Guts』収録 )「Obscene Procession」「Ocean's Daughter」「OMGO」
「Peck The Ground Like A Chicken」「Put It On Again」「Ra Ra for Red Rocking Horse」「Ridgeway Path」「Rocket」「Ship Trapped in the Ice」
「Space Wray」「Summer Hot As This」「That Wag」「The Art Song (Something Good With Your Life)」「Tunes」 

これは、どうなるのだろう? 『ファジー・ウォッブル』と『ゴンワーズ』の世界販売? 
その他の新曲は、まだ登録されてないのだろうか?  

Search | Warner/Chappell Music
posted by ノエルかえる at 10:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月30日

『 Mummer 』記念日

 1983年8月30日、 XTC は、アルバム『 Mummer 』をリリースする、今日は記念日。34年前。 
 日本盤は、9月21日に発売。 

Chalkhills: XTC: Mummer  

この日、スペースシャトル・チャレンジャー号が打ち上げられた。初めてのアフリカ系の宇宙飛行士が乗り込んでいた。Guion Bluford ガイオン・ブラフォードさん。 
イリナ・ユスポヴァ公女が亡くなった。 

9月29日には、ロンドン市長に初めての女性 Dame Mary Donaldson が就任。

この頃、ヒットしていたアルバムは、ビーチ・ボーイズの『 The Very Best Of The Beach Boys 』。 
ジャケットのアートワークは、パートリッジ好み? ( ここから『スカイラーキング』のアートワークを思い付いた? )
The Beach Boys - The Very Best Of The Beach Boys (Volume 1) at Discogs   


 この年のノーベル文学賞の受賞者は、イギリスの作家で詩人のウィリアム・ゴールディング William Golding 。 
 何となく、XTC 、それも『 Mummer 』と繋がる様な気も、、、
posted by ノエルかえる at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月28日

Shriekback Live 2017

 Shriekback は、アメリカでもツアーをする様。日本に来るかどうかは分からない。 
 それで、イギリスでのライブをCD化した様なのだけれど。入手方法が分からない。プライベート版の様に思えるけれど。 

Shriekback - Shriekback Live 2017 (File, Album) at Discogs 

 バリー・アンドリュースとマーティン・ベーカーとクレア・ハーストの『 The Fire Judge 』も入手してないままだけれど、、、 
 Shriekback のホームページは繋がらないままだし、、、
posted by ノエルかえる at 09:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月27日

ちょっとメモ: 山田岳『OSTINATI/オスティナーティ』

 ギタリストの山田岳さんのアルバム。ギター作品集。ジェームズ・テニーもアルヴィン・ルシエもあるけど、山根明季子さんのアコースティック・ギターの為の作品も。 

ALM RECORDS/Gaku Yamada【OSTINATI】  

山田岳 - Wikipedia 

このアルバムにはないけど、藤倉大の「 sparks 」の演奏:
https://www.youtube.com/watch?v=i4n1AFpNFYc
XTC みたい?
posted by ノエルかえる at 13:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月26日

Slapp Happy 「 Slow Moon's Rose 」訳

 Slapp Happy 『 Acnalbasac Noom 』の「 Slow Moon's Rose 」の訳。アンソニー・ムーアの歌、歌詞も。顔ジャケットの手書きデザインの歌詞を元にして。 

手書きデザインの歌詞をそのまま写すと: 
SLOW
MOON'S
ROSE
~ Now
That the slow
moon's rose / on a
silver trellis grows,
Where arctic rivers froze,
now that the ocean is frozen
in motion, snow morning
comes. And the birds on the
wing / have nothing left to
sing / blown in blue glass
like a schooner held
fast / on the ice.
Beside that river
where I picked,
the slow moons
rose -- I wached
the evening
--- Wither
with a
jewel at
the end of my
nose. Tell - tale
snails leave their
trails, running from
hunter's black blunder-
bus under the sun.   



銀の蔓の上に、遂に、遅咲きの 
月薔薇がふくらみだす。 
北極圏の川は凍りだす。 
遂に、海は動いていても凍っている、雪の朝がやって来る。 
広げた翼で飛んでいる鳥は、 
もう、歌う歌がなくなった。
海に落ちた草は、帆船の様に高速を保ったまま、氷の上を吹かれて行く。  

その遅咲きの月薔薇を摘んだ川の辺りで、私は、 
たった一つの宝石の所為で宵が萎えるのを、この鼻先で観察した。 
蝸牛は猟師の喇叭銃から逃れようとするけれど、 
陽の下に明らかに這った跡を残して、秘密を漏らしてしまう。 






意味は私には分からない。シューベルトの『冬の旅』の「春の夢」も思い浮かんだけど、 
Slow Moon's Rose / Frühlingstraum: ノエルかえる不恵留 
訳して見ると、『星の王子様』の感じも。 
それに、「 The Secret 」にも繋がっている様で、アルバム全体が一つの物語りなのか知ら??? 
posted by ノエルかえる at 14:36| Comment(0) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「 Grass 」記念日

 1986年8月26日、XTC は「 Grass 」をリリースする、今日は記念日。31年前。 

Chalkhills: Reel by Real: XTC: "Grass"  

この頃の出来事: 
21日に、アフリカのカメルーンのニオス湖で湖水爆発。約二千人が亡くなる。野生動物の被害も。 
Lake Nyos disaster - Wikipedia 

その頃ヒットしていたのは、Boris Gardiner の「 I Wanna Wake Up with You 」。 
ポール・マッカートニーのアルバム『 Press to Play 』のリリースが、25日。
posted by ノエルかえる at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月23日

『 English Settlement 』2016年版 デイブ・グレゴリーのノート

 Ape house から2016年にリリースされた、180gビニール盤ボックス・セット『 English Settlement 』に付けられた、ブックレットに載せられた、デイブ・グレゴリーのノート:  


1.  
 1981年6月2日火曜日、XTC は、カーディフ[ ウエールズの首都 ] のトップ・ランク Top Rank でイギリス本土最後のステージを行った。その時には誰も、それが最後になるとは気付いていなかった、けれど、兆候は至る所にあったのだ。3月30日にサンフランシスコで始まった一つ前のワールド・ツアーが終わったばかりだった。そのツアーで、バンドは、5月まで合衆国に留まっていた、しかも、( 幸いなことには短いものであった ) 南アメリカ大陸での公演も含んでいたのだ。その間、三日間だけ、病気でキャンセルをした、我々は疲労困憊していたのだ。バンドは、5月5日に、帰国の途に付いた、だが、二週間の休暇の後には、次の17日間のイギリス国内ツアーが始まった。 
[ カーディフのトップ・ランクは1982年に閉館。 ]
  
 件の全仕事は、アルバム『ブラック・シー』から最後の一滴を搾り取ることを目的に課せられたものだった。当の『ブラック・シー』は XTC に新しいファンをもたらした素晴らしいレコードである、ただ、富は別であった。そのアルバムの歌は、比較的、ステージでの再演が容易であったし、そのアルバムからのレパートリーは、結果、直に観客受けするものとなった。けれど、我々は、その歌の数々をやり過ぎたのだ、為に、止まることのない踏み車 ( 当時の我々の状況を象徴する言葉である ) に疲憊し始めていた。更には、我々は、少々の飽きの為に、早急に何か、何にしても、新しい新鮮なこれまでと違うことをしたいと感じていたのだ。 

 1981年は、アルバム『ブラック・シー』からの三枚目のシングル「サージャント・ロック・イズ・ゴーイング・トゥー・ヘルプ・ミー」の発売で始まったのだが、このシングルは、『トップ・オブ・ザ・ポップス』とBBCラジオ1の放送予定曲に含まれた御陰で、英国チャートの上位20位に入ることが出来たのだった。その時点では、我々の議論は、XTC の次に企画されているレコーディングのプロデュースを誰に任命するのが妥当であるか、と言うことに主に割かれていた。二月には、エンジニアのクリス・キムゼイ Chiris Kimsey と短い面談を行った。彼のそれまでのの仕事には、ローリング・ストーンの『エモーショナル・レスキュー』( トップチャートに入っていた。 )、エマーソン・レイク・アンド・パーマーの作品、テリー・レイド[ 『 Rogue Waves 』 ]、ピーター・フランプトン[『 Where I Should Be 』]等があり、彼の履歴は、その十年間に亘って成功を収めていると言う強い印象を与えた。彼は感じもよく、仕事に熱心で、私たちに好意的で、当時の我々が知己を得ている人の中では居ない類の人だったのだけれど、我々は機会を逃してしまったのだ。彼はストーンズの『タトゥー・ユー』のプロデュースの仕事を受けて、行ってしまった。結果、我々は三月にロンドンのタウンハウス・スタジオに戻ったのだ、兎も角は、新しいシングルを録音して、次のアルバムのリリースが準備出来るまでの糊口を得る為だった。 

 コリンとアンディは、それぞれ、新しいシングルの候補として、「ボール・アンド・チェイン」「パンチ・アンド・ジュディー」を既に書き上げていたし、ヴァージンレコード社は、クライブ・ランガー Clive Langer とアラン・ウィンスタンリー Alan Winstanley の助力を確実にしていた。直近のマッドネスとティアドロップ・エクスポローデスの成功を考慮してのことだ。だが、ランガーは、初日に責務を解いて貰っていた、仕事の完成はウィンスタンリーに任せて去って行ったのだ。我々は結果に満足していた、しかしながら、レコード会社は、「否」だった。少なくとも新しいアルバムが進捗するまでは、棚上げに決まったのだ。 

 新発売のシングルを宣伝もしないままに、ツアーのスケジュールは進められ、我々は、自分たちの判断で、三つの新曲をステージでのリストに載せることにした。その三曲とは、上演の為に練習したコリンのもう一つの新曲「イングリッシュ・ラウンドアバウト」とアンディの「スノーマン」、それに、前述した「ボール・アンド・チェイン」である。新しいアルバムは製作中であったのだが、そのアルバムに於いては、新しく手に入れた楽器が我々の音のパレットに新鮮な色をもたらしていたのであるから、その三曲は、どれもが、レコーディングではステージとは違った塗装が施されるであろうと思われていた。まず、スタジオに遣って来たのは、多音のシンセサイザー、シーケンシャル・サーキット・プロフィット5だった。アメリカツーまで後三日の時に、クリーブランドで入手したのだ。遂に、自分たちでプログラム出来る、そして、コードが弾けるキーボードを、我々は持つことができたのだ。 

 何日目かの夜、我々は、シカゴのパーク・ウエストで演奏したのだが、その時、バックステージに、ソングライター/プロデューサー/憧れの人の訪問を受けたのだ。その人の音楽は、その直前の数ヶ月に亘って私のソニー・ウォークマンをほぼ占領していたのだが、その人とは、トッド・ラングレンである。彼は、その夜、街でユートピアと共にショーを行っていたのだが、我々のステージの最後に間に合う様に駆け付けたのだ! 私にはそれが信じ難いことだった、けれども、彼は真正のファンの一人だったのだ。その時、私はこの出来事の将来に於いての意味を少しも理解していなかった。 
[ XTC がシカゴの Park West でステージを行ったのは、1981年4月7日。アメリカ・ツアーは、4月3日から。トッド・ラングレン/ユートピアの「 Camouflage Tour 」はその日、Chicago Auditorium で。4マイル程の距離。車で18分。 ]  

 アメリカツアーの助演をしてくれたバンドたちは、今から見れば、とても興味深い一種の見本市になっている。英国から我々に同行したのは、ヘイゼル・オコナー Hazel O'Connor と彼女のバンドだ。初日のウエスト・コーストthe West Coast では、スタン・[ カモフラージュ ]・リッジウェイ率いるウォール・オブ・ヴードゥー Wall of Voodoo 。ジュールズ・ホーランド Lools Holland と彼のバンド・ミリオネアズが五日間助演してくれたのだが、その五日間にはベネズエラでの二日も含まれている、その時には、無名のウェールズ人のベースの名手ピノ・パラディノがバンドに入っていた。そして、東海岸でのステージでは、四日間、ジョーン・ジェットと彼女のバンドが助演してくれた。ジョージア州のアテネでは、当地で人気のあった、R. E. M と言う名前のバンドが、ステージのオープニングを飾ってくれた。  
Hazel O'Connor - Wikipedia 
Wall of Voodoo - Wikipedia 
Jools Holland - Wikipedia 
Pino Palladino - Wikipedia 
Joan Jett - Wikipedia 
R.E.M. - Wikipedia  

 最後の全英ジグザグ経路ツアーが終わった[ 1981年6月2日 ]。バンドはスウィンドンに戻った。何よりも、休暇が必要だった。そうして、作曲して次のレコードを用意しなければならなかった。二ヶ月の間に、アンディは、15曲以上の曲を書き上げた。更に、コリンの5曲もあった。それはつまり、新しいアルバムは収録曲が不足している為に失敗に終わると言うことは有り得ない、と断言した様なものだった。演奏者として、私は、この大量の曲をある種の賜物と考えたのだ。それ故に、私の持つ知識、技術を最大限に提供して、歌が最高の水準に達する様にしようと、臍を固めたのだ。一方、プロデューサー探しは続行していた。我々のこの時以前の二枚のアルバムで共に働いた、スティーブ・リリーホワイトは、ダブリンの若いバンド、U2 と言うバンドだ、の仕事に入っていた。彼らの二枚目のアルバムだった[ 『 October 』 ]。我々は、有能なエンジニアが望ましいと決定したのだが、それは、スタジオに入る前にほとんどの曲は完全にアレンジされた上に修得済みなので、エンジニアの方が費用が安く上がるだろう、と言うことだった。 

 八月中旬に、地元のスタジオに我々は再度結集した。音楽全体を入念に練習し、新しい楽器を自分たちの手に十分に慣れさせた。私は、その時までに、新しいギター用アンプリファイアを購入していた。小さいけれど活き活きとしてよく響く1963年式の10インチのスピーカー二つが付いたフェンダー・スーパー・コンボ。[ Fender Super Reverb - Wikipedia ] 50ワットのマーシャル社のベース用アンプリファイアー、それはそれは耳が潰れる程大きい音だったのだが。[ Marshall JTM45 - Wikipedia ] 私は、常時、それを12インチスピーカー四つのH+H キャビネットを通して使っていた。最も重要なことであるが、私は、ついに、12弦のリッケンバッカーを見つけることが出来たのだ。過日、自身にこれを買うと約束していたものだ。子供の時、1964年だったが、ジョージ・ハリスンがビートルズの歌「 You Cant Do That 」で弾いているのを聴いて以来、その音色が私の耳から消えることはなかったのだ。他のギターだが、まず、先立つツアーで使用したギブソン・レスポール・カスタムがある。そして、1960年製ギブソン・ES-335、ギブソン・SGジュニア、ギブソン・ファイヤーバードだ。それらが、『ドラムズ』や『ブラック・シー』で使った馴染みのストラスキャスターとES335に加わったのだ。我々は、一挺の大きなサイズのアコースティック・ギターを所有していた。安価なネックがボルトで着けられているイタリアのエコー社のランジェルだ。それは、アルバムでは主にリズム・パートに使った。アンディは、BBCの土曜朝の子供番組『 Swapshop 』[ Multi-Coloured Swap Shop - Wikipedia ]で持っていたドイツのアントリア社[ Antoria - Wikipedia ]のアコースティック・ギターを早々に賞品として出品してしまっていた。( 選りに選ってそんな時に! ) そして、新しいヤマハのアコースティックを手にしたばかりだった。そのギターは、新しい曲の数々のかなりのものに直感をもたらしたのだ。メロディックでパストラルと言う面だ。そして、それ以前の彼の特徴だった刺々しい要素は影を潜めていたのだ。彼は、依然として、自身の1976年製アイバニーズ社のアーティストを弾いていた、それに加えて、私のギターをどれでもだ、勿論、私が使用していない時にだが。そのギターをマーシャル社の二段積み( half-stack )100ワットの2203MVアンプで鳴らしていた。コリンは、おそらく前年のツアーでスティングの演奏を見て聴いて感化されたのだろう、アイバニーズ社のフレットレス・ベースを新しく卸していた。要素として変化がなかったのは、ドラムズだ。テリー・チェンバースは、彼の実証済みで信頼している方法で行進を続けた。それ故、XTC の嘗ての音に繋がりを保持していたのだ。  

2.   
 12弦リッケンバッカーの発見は、私にとっては啓示であった。1976年製ステレオ配線、黒の360/12だ。[ Rickenbacker 360/12 - Wikipedia デイブ・グレゴリーのホームページの写真 ] 弾くのには厄介な代物。用意がたくさんあり、弦を張るのもその数が多い。だが、直ぐに私はこの楽器への愛着を感じたのだ。それがどんな種類の音楽であれ、音楽を作り出す為に要する努力と言うものは、徹頭徹尾、音楽への愛が動機になっての行為なのだ。それはバンドにとっても大当たりだった、気が付くと、私は、新曲の大半でこのリッケンバッカーを使っていたのだ。シンセサイザー・プロフィットの使用は、最小限に留めた。我々は、この楽器が熱くなると音が外れてしまう、と言うことに直ぐに気が付いたからだ。設計者がそれを認識していたことは明らかだ、「 re-tune 」と言うボタンがあって、音程を修正出来る様に設定されていたのだから。コリンのフレットレス・ベースと彼が使い慣れたエプソン・ニューポートは、双方共に、アップライトのドッグハウス・ベース[ ダブルベース ] よりも音を出し易く、アコースティックな音像と言う印象をより強めている。 

 ヴァージン社は、新しいアルバムのレコーディングに、以前のレコーディングの時よりも少々多くの時間を与えてくれていた。不鮮明な記憶だが、( 会社が所有していた ) マナー・スタジオを6週間占有出来たのだったと思う、その間に、我々はそこで作業が出来たわけだ。その時間を最大限に活用して、出来得るであろう二十曲と言う多数の曲を録音しようと、我々は決意していたのだ。それが、二枚組になるとしても、我々の決意は変わらなかったのだ。嬉しいことに、ヒュー・ハジャムがプロデューサー問題を解決してくれた、彼が、共同プロデューサ兼エンジニアとして、我々の元に戻ることを肯がったのだ。我々にとっては思いも掛けないことだった、と言うのも、その直前の彼の仕事、ジェネシスの『アバカブ』とポリスの『ゴースト・イン・ザ・マシーン』はチャートで秀でた業績を築きつつあり、彼は引く手数多だったのだ。マナー・スタジオでは、パジャムは、ハワード・グレイ Howard Gray と言う若い有望なエンジニアに補佐させた。グレイ自身は、数年後には、アポロ440と言うバンドの仕事で成功を手にした。 

 アンディ、コリンそれにテリーは、以前、XTC のファースト・シングルとファースト・アルバムの製作でジョン・レッキーと共に、マナー・スタジオで働いたことがあった、1977年のことだ。私は、1980年の夏にこの場所を訪問したことがあった。BBCのテレビ・ドキュメンタリーの撮影隊が、新しいシングル「タワー・オブ・ザ・ロンドン」をレコーディングする様子を記録する( と謳って ) と言うことだった。( 『 XTC At The Manor 』と言う番組。) 偶然なのだが、リチャード・ブロンソンは、彼の恒例のガーデン・パーティーをその週末を選んで館で行うことにしていた。自然と、撮影隊は催し物の多くをフィルムに収めることになったのだが、当然の成り行きとして、それは保存されて、都合良く彼の会社の宣伝になると言う結果になった。我々がその機会を逃した、と言うこともない。我々は、ブロンソンを引っぱり出して演技させ、くだらない短いシーンを撮影した、それが後日、「ジェネラル・アンド・メジャーズ」のプロモーション・ビデオに使用したものだ。 

 シップトン荘園 Shipton Manor は、起源を17世紀に遡る、総面積27エーカーの田舎の荘園領だった。リチャード・ブロンソンは、総額35,000ポンドと言う大金でそれを購入していたのだが、更に400,000ポンドを払って、館の修繕とレコーディング・スタジオへの改修を行った。館は、六つの主寝室、二つの浴室、撞球部屋、テレビジョンのあるラウンジ、食堂から成っていた。それに二階には四部屋の召使い部屋がある台所が付いていた。応接室は、大きくて広々とした暖炉が終日薪を燃やしているのが、何よりの特色だった。湿気があり隙間風が通り気味が悪いと言うのが大抵の古い家の性質なのだが、シップトンの館はそうではなく、暖かく心地が良かった。ある種の理想の家であり、そこに腰を降ろすと去り難くなるのだった。それぞれの持ち場には、愛想の好い魅力的な女給が配置されていて、食事は、間違いなく、オックスフォードシャーで一番だった。また、ワインセラーもそのコレクションの豊富さを誇っていた。午後四時を回る頃には、女給の一人がお盆に載せた紅茶と焼きたてのケーキ、それも毎日違うケーキを運んで来た。パーセリー女史のご好意だった。彼女は、1930年代に学校を卒業してからずっとこの館で働いて来た管理人なのだ。  

 バンドのレコーディングに掛かる費用には、衣食住も含めると、ブロンソンが考えていたことは明らかだ。ヒッピーの燻らせていた夢想を、彼は、現実の仕事の上で実行に移したのだ。 

 館からは草に覆われた長い堤を見下ろせたのだが、それはゆっくりと傾斜して人造湖へと下っていた。その湖には、鴨の家族と気性の荒い渡りの雁の番いが一組住んでいた。地所の南の方には、ゴーカートのコースがもう既に造られていた。カートは、スタジオのメンテナンス・エンジニアのトム・ニューマンが整備していた。母屋の右には、大きな古い栗の樹が立っていたのだが、その下には、暖炉に焼べる綺麗な薪が積み上げられていた。シングル「センシズ・ワーキング・オーバータイム」の裏ジャケットを飾る写真の中で、XTC の面々はこの栗の樹の下でポーズをとったのだ。[ Chalkhills: Reel by Real: XTC: "Senses Working Overtime"] アンディが抱きかかえている猫は、館に住んでいた動物たちの一匹だ。かわいい黒い猫で、スタンレイと名付けられていたが、いつも、スタジオのコントロール・ルームのパッチ・パネルの側でぐっすりと眠っているのが見受けられた。栗の樹の側には、一棟の鳩舎があって、白鳩と盛りの来たねずみ色鳩の棲家になっていた。ただ、動物たちの中で、最も我々に好かれていたのは、二頭の大きなアイリッシュ・ウルフハウンドだった。ブートレグとライティングだ。ふたりは、玄関ホールと台所の間の渡り廊下に居住権を得て、うずくまっていた。薄明るい時には、ふたりを踏み付けない様にするのには、大変な注意が要った。ふたりは決まって定期的に、足で引っ掻いて、埃や古くなった毛それに蚤のピョンを辺りの地面に落としていたのだが、ケーキが運ばれて来ると、呼ばれてコントロール・ルームに入って来た。ふたりは、従順で温厚な性質だった。満月の夜にでも、吠え頻ることもなかった。 

3.   
 スタジオは、母屋に繋げられて設けられていた。以前はスカッシュテニスのコートであった地所に新しく建てられたものだった。コントロール・ルームには、二台の24トラックのテープレコーダー、ステューダー A800 [ Studer - Wikipedia ] が備えられていた。それに、1970年代中頃にイーストレーク・オーディ社 [ Eastlake Audio ] によって導入された32チャンネルの [ analogmix.com ] ヘリオス Helios 制御盤があった。スタジオの端には、最近になって建て増しされた、本物の石を使った部屋があった。今では聴き間違い様もない1980年代のドラム・サウンドにとって必須の「間近の反響」を捕える為だった。メインスタジオには、ハモンド・オルガンの C3 [ Hammond organ - Wikipedia ] と、素晴らしいベーゼンドルファー社のグランド・ピアノが備えられていた。左端には木製の階段があり、そこから狭い作業歩廊に上がれた。歩廊は右端の「本物の石部屋」にまで伸びていたのだが、それは、マイクを天上近くに設置することを考慮してのことだった。

 我々は十月五日月曜日にスタジオ入りして、その日の内に、最初にレコーディングしようとリハーサルをして来た、アンディの「ダウン・イン・ザ・コクピット」のベーシック・トラックを作り終え、ヘッドホンのバランスを確かめた。火曜日は、この曲の作業を続行し、また、コリンの「フライ・オン・ザ・ウォール」にも取り掛かり、これらを仕上げた。それからの一週間と三四日は、このペースで作業を続けた。テリー・チェンバースは、平均して一日で二曲を仕上げていた。スウィンドンでの六週間のリハーサルの効果は明白だった。しかしながら、ヒュー・パジャムは、エコー社のアコースティック・ギターの音色には不満を持っていた。以前の二枚のアルバムに於いて、後ろで鳴らされ音を補強する役割を当てられていたのは大目に見ていたのだが。アンディの作品「ヨット・ダンス」と「ナックルダウン」を検討している時に、彼の堪忍袋はとうとう破れてしまったのだ。「我々が使用出来うるもっと良いもの」に取り替えるべきだと、彼は主張した。私は、急き立って、現金で400ポンドを持ちロンドンへと向かった。そして、美品の1973年製のマーティン社のD35を手にして戻った。それは、ブリッジにバーカスベリー[ Barcus Berry ]のトランデューサー[ ピック・アップ ] が付けられていて、レコーディングの後にあるであろうステージのライブでも使えるだろうと、私は考えていたのだ。ヒューは、マイクロフォンを設定すると、アンディにギターを持たせてスタジオに入れた。即座に、音の改善が明らかになった。それからの一日中を、アンディは、アコースティック・ギターの録り直しに費やした。 

 アコースティック・サウンドへの試行はある種の強迫観念気味になっていた。私の使い古したギブソンES-335 は、セミ・アコースティック仕様だったのだが、アンディは、そのアコースティックの音をスタジオのマイクで拾って、ピックアップの回路を電気信号になって通って来る音と混ぜると言うことを考えついて、それをいたく気に入っていた。この遣り方を、アンディは、「ジェイソン・アンド・ザ・アルゴナウト」と「イッツ・ニアリイ・アフリカ」で、自分のパートを録音した。パジャムは、弱いアコースティックの音をノイマン社のKM84 コンデンサー・マイクで拾っていた。ピックアップの回路の音は直接にレコーディング・コンソール・デスクに入力された。アルバムの巻頭の曲「ランナウェイズ」では、アンディの弾く12弦リッケンバッカーが目を引くものになっている。それもやはり、外のマイクで拾ったアコースティックの音と、アンプを通した音を混ぜているのだ。 

 我々は、アルバムのほとんどの曲にリッケンバッカーを使い、そのステレオの特性を最大限に利用した。「フライ・オン・ザ・ウォール」では、ブリッジに付けられたピックアップの澄んだ音をフェンダー・スーパー・アンプのヴィブラート・チェンネルに送信し、一方、ネックに付けられたピックアップの音は、私のファズ・ペダル、ビッグ・マフ[ Big Muff - Wikipedia ]を通してから、直接にコンソール・デスクに繋いだのだ。「ジェイソン・アンド・ザ・アルゴナウト」と「メルト・ザ・ガン」では、ネックのピックアップの音は、スーパー・アンプに送り、ブリッジの音は、イーブンタイド・ハーモナイザー [ Eventide, Inc - Wikipedia ] を通してコンソール・デスクに送った。同じ設定は、「センシズ・ウォーキング・オーバータイム」と「オール・オブ・ア・サドン( イッツ・トゥー・レイト )」でも使った。それに、シングルB面の「ティッシュ・タイガー」でもそうなのだが、この場合は、ブリッジとネックを反対に繋いでいる。「イングリッシュ・ラウンドアバウト」と「ボール・アンド・チェイン」と「スノーマン」では、フェンダーのアンプを使って、モノーラルで録音している。 

 私は、ベーゼンドルファー社のグランド・ピアノに強く惹かれた。スタジオが空いている時には、いつも座ってポロンポロンと鳴らしていた。スティービー・ワンダーやスティーリー・ダンの曲の和音をボイシング[ ボイシング - Wikipedia ]して色々試してみたりしたのだ。その間、私は、自分がバート・バカラックにでもなった様な気分でいた。そのピアノが出す音の世界は、私の家のアップライトのホンキー・トンクの音の世界とは、まるで違う宇宙の様だった。私は、このピアノをアルバムのどこかに使うところがあれば良いのにと思っていた。あまりに良い音で、私たちには使い様もなかったのだ。私は、自宅で、コリンの「ブレーム・ザ・ウエザー」に付けるピアノアレンジを仕上げていた。かなり良く出来ていて、シングルの候補になっていた。私は、それがシングルになるだろうと思っていたのが、残念なことに、結局は、第一弾シングルのB面になってしまった。これからは、もっとピアノに傾注しようと、その時に決心したのだ。  

 このノートを書くに当たって、おおよそ二十年ぶりにヴィニール盤に刻まれたオリジナルのこのアルバムを聴いてみたところ、私は、二つのことに驚かされた。一つは、アナログのマスターが供している豪華な程の暖かさだ。「マスター」が、その暖かな応接室に聴く人たちをそこに招き入れてくれるのだが、人々は心底歓待されていると感じるのだ。それは、1984年に「リマスター」され発売されたコンパクト・ディスクが聴衆に押しつけたデジタルの複製版とは、正反対だ。あれは、冷たく、耳障りで、平板で心浮き立つところがまるでないのだ。コンピューターの「パッケージング / 圧縮」については、私は話題にしたくはない。 

もう一つは、ドラムの音を録るのに、何れ程の注意が払われ精進が積まれたか、と言うことだ。実際、ミックスされた段階で、ギターの音に呼応すると言うことに関しては、ドラムの音は完璧なのだ。現在、スタジオの中で自分の楽器を最上の状態で録音すると言うことについて、この三十年の間に、私は幾分かは学んで来た、と自負はしている。けれども、当時に於いては、音像技術の点では、私はまだまだ未熟だったのだ。すなわち、このアルバムで聴くことの出来る、幾挺ものギターの音は、テクスチャーとして他の音と絶妙に混ぜ合わされているのだ。けれども、再度弾ける機会を与えてもらえるのなら、私は、自分の出す音ばかりでなく奏法についてももっと注意深くしたいと思っている。その上に、このアルバムでの私の演奏はヴォリュームが上げられ過ぎていると強く感じるのだ。 

 「 Fi 」を可能な限り「 Hi 」に保ちたいと希求していたので、ヒューは、ミックスダウンを二分の一インチのマスター・テープ[ 1/2″ Master Tape | Product Categories | ATR Magnetics ]に毎秒30インチの速度で行うことにしたのだ。そう決めたのは、ヴァージン社が我々にアルバムを二枚組で発表することを許したと聞いていたからだ。ミックスダウンは、1981年11月15日に最終的に完成した。それから、11月19日にマナー・スタジオを去るまで、我々は、ヒューと一緒に、編集をし、様々な曲順を試してみることに三日間を費やした。非常に生産的な六週間であった。そうして思うのだが、その六週間は我々が共に過ごした時間の中で最も幸福な時ではなかったろうか。1982年1月29日、「センシズ・ワーキング・オーバータイム」が全英ヒット40に入り、BBCラジオ1の放送リストに挙げられ、我々は、再度『トップ・オブ・ザ・ポップス』に出演した。それは、2月にアルバムが発売されるのに、ちょうど合っていたのだ。踏み車が、また、地面に下ろされ回り出したのだった。














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2017年08月22日

Slow Moon's Rose / Frühlingstraum

 さて、スラップ・ハッピーの『アクナルバサック・ヌーム』も、後は、「スロー・ムーンズ・ローズ」を遺すだけになった。 
 でも、この Slow Moon's Rose 。どんなイメージだろう。パッと頭に浮かぶのは、シューベルトの『冬の旅』の第11曲「春の夢」だけれど。 
 冬の冷え切った外気に晒された窓ガラスに、室内の水気が凍りついて結晶を結び、葉脈の様な模様を作るのだけれど。そこに満月の影が差して来ると、まるで丸い薔薇の花のように見える、と言うイメージ。 
 でも、slow と言う形容詞は、どう考えるか??? The Moon rises slowly. という文も含意している? 

シューベルトの「春の夢」( ミュラーの詩 )は、第三スタンザでそのイメージが登場: 
Doch an den Fensterscheiben
Wer malte die Blätter da?
Ihr lacht wohl über den Träumer,
Der Blumen im Winter sah?  

けれど、あの窓ガラスに 
誰が葉を書いたのか? 
お前たちは、たぶん、夢見る者を笑うだろう、 
冬に花の夢を見る者を。   

 「スロームーンズローズ」、慎重に考えよう。
posted by ノエルかえる at 21:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月21日

スティーブン・ウィルソンさんインタビュー

 YouTubeに公開されているインタビューが訳されていたので: 
(インタビュー訳)Steven Wilson - To The Bone Live Q&A Session ( ロック・ポップス ) - Prog Not Blog - Yahoo!ブログ 

Blu-ray に収録されている 85 minute documentary shot には、アンディ・パートリッジも登場するのだろうか??? YouTube のインタビューで見られるあの髪形の人は、アンディ・パートリッジではない様な気がするけれど、、、 
やっぱり、Blu-ray を購入すべきなのだろうか??  


posted by ノエルかえる at 18:42| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「 The Loving 」記念日

 1989年8月21日、XTC は、シングル「 The Loving 」をリリース、今日は記念日。28年前。 
( 日付は、Fujimoto『 クロノロジー 』に依る )  

Chalkhills: Reel by Real: XTC: "The Loving"  


この日、プラハの春鎮圧21周年のデモがプラハで行われる。
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2017年08月20日

ちょっとメモ : THE BEATLES LYRICS

 『 THE BEATLES LYRICS 名作誕生』( 書籍 )  
デイヴィス ハンター 
奥田 祐士 訳 
TAC出版  2017年7月刊  
THE BEATLES LYRICS 名作誕生 - Webcat Plus  

原書『 The Beatles lyrics : the stories behind the music, including the handwritten drafts of more than 100 classic Beatles songs 』 
Hunter Davies
New York Little, Brown and Company, 2015. c2014  
The Beatles lyrics : the stories behind the music, including the handwritten drafts of more than 100 classic Beatles songs (書籍, 2015) [WorldCat.org]  


posted by ノエルかえる at 13:31| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Slapp Happy 「 Charlie 'n Charlie 」訳

 Slapp Happy 『 Acnalbasac Noom 』の「 Charlie 'n Charlie 」の訳。ブレグヴァドの作詞、たぶん。作曲はムーア、たぶん。顔ジャケットの手書きデザインの歌詞を元にして。 

手書きデザインの歌詞をそのまま写すと: 
CHARLie
'N CHARLiE

are twins. You can
never tell where Charlie
ends & Charlie begins -------------
The search is on, Charlie looks
for Charlie in vain, no game,
'cos Charlie 'n Charlie are the
same.
Collecting driftwood down by the shore,
Charlie thought he'd open a store...
Across the sands / his first customer
approaching on his hands, ( tin cans ) ---
Charlie faced Charlie like a man.
I saw Charlie jump & holler / when Charlie
dropped a dollar down his collar ---------
" You spoiled my neck! It'll never be the
same again --- ( no blame ) -- 'cos your neck
& my neck are the same."




チャーリーとチャーリーはソーセージ。 
きみは分かんない、どこまでがチャーリーで 
どこからがチャーリーか。 
調査は継続、チャーリーはチャーリーを調べるの、
でもなんにも、途中でやめた。 
だって、チャーリーとチャーリーは同じだもの。 

海岸に降りて集めるのはリューボク。 
チャーリーは思ったの、お店を開けば 
好いじゃない、って。 
砂山越えて。チャーリーの最初のお客が 
接近中、手には、( ブリキ カン )。 
チャーリーはチャーリーを直視したの、男らしくね。 

ぼくは見たよ、チャーリーが飛び上がって叫んだの。 
チャーリーが1ドルコインをチャーリーの 
襟口に落したからね。 
「僕の首を駄目にした! 
もう元に戻らない、( そうだろう ) 
だって、君の首と僕の首は同じなんだから。」って。 
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2017年08月19日

XTC の日

 1979年8月19日、XTC が来日。20日から23日の間、東京、京都、大阪で公演。 

その頃のヒット曲、さだまさし「関白宣言」、ゴダイゴ「銀河鉄道999」、小林幸子「おもいで酒」、水谷豊「カリフォルニア・コレクション」等。  


 トーキング・ヘッズは、その一ヶ月程前、7月18日から22日まで、来日公演。大阪、東京、京都、福岡で。東京では二日公演。 
Talking Heads Concert History: 1979 
 当時から、トーキング・ヘッズの方が人気が高かったのか知ら? 

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2017年08月18日

トゥ・ザ・ボーン

 今日8月18日は、スティーブン・ウィルソンさんの新しいアルバム『トゥ・ザ・ボーン』の発売日。iTunesやタワーレコードでも試聴が出来る様になった。 
 さて、パートリッジの曲だけ、ダウンロードで購入するか? それとも、アルバムを購入するか? 



Steven Wilson - To The Bone (Track-by-Track) - YouTube
posted by ノエルかえる at 08:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

The Beatles 「 Yesterday 」訳

 ポール・ビートルの「 Yesterday 」。
元にしたのは、ビートルズのホームページの「 Songs 」
Yesterday | The Beatles 





乍ちの一日。私を捉えようとする紛糾は地平にも現れてなかった。 
目前の一日。紛糾は黙したまま私を捉えて離しもしない様だ。 
ああ。私は、乍ちのあの一日が、まだ、どこかに在ると思っている。 

忽然と、私は半身を失ってしまった、それまであるのが当然だった半身。 
私に覆い被さる陰が差しているのだ。 
ああ。日が変わる変わり目に、忽然と落ちて来たのだ。 

妹が行かなければならない理由、私には分からない、 
妹は言おうともしなかった。 
私は言ってはならない重大事を漏らしたのだ。 
ああ。私はあの一日を思い頻るばかりだ。 

乍ちの一日。恋は獲易い獲物だった。 
目前の一日。私には隠れ家が必要だ。  


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2017年08月17日

Kind of Blue / Drums and Wires / Colin Moulding

 8月17日、『カインド・オブ・ブルー』がリリースされた日で、『ドラムズアンドワイアーズ』がリリースされた日で、コリン・モールディングの誕生日。 

 『 Kind of Blue 』は、1959年のリリースで58年前。『 Drums and Wires 』は、その20年後の1979年のリリースで、38年前。 
 コリン・モールディングは、1955年の生まれで、62歳になる。 
 XTC は、この日( 1979 )、オーストラリアの Stage Door Tavern でステージ。

Chalkhills: XTC: Drums and Wires  

10日後の1979年8月27日、ルイス・フランシス・アルバート・ヴィクター・ニコラス・マウントバッテン伯爵( エディンバラ公フィリップ殿下の叔父 )が、アイルランドのスライゴ州でIRA暫定派に暗殺された。 
遺言により、葬儀への日本人の参列は固く拒まれた。 



 ビル・エヴァンスの誕生日は、8月16日。1929年生まれだから、生きていれば、88歳。米寿。『 Kind of Blue 』はエヴァンスが三十歳の時。『 Drums and Wires 』の時、モールディングは24歳、30歳の時の作品は『 25 O'Clock 』。


 ( T-Com の EP も、この日付でリリースなら良かったのに、 )  


追記: 
トーキング・ヘッズの三枚目のアルバム『 Fear of Music 』がリリースされたのは、二週間前の8月3日。
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2017年08月16日

パートリッジは明かした:First four chords to EARN ENOUGH

 Twitter 上に、パートリッジが書いた「 Earn Enough for Us 」の最初の四つのコード: 
https://twitter.com/xtcfans/status/897770109548343296 

First four chords to EARN ENOUGH are (notes)... GDGGDG - FCFGCF - GCDGCF - FCFGCF. Over to you.
posted by ノエルかえる at 20:39| Comment(0) | Skylarking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Slapp Happy 「 Half-Way There 」訳

 Slapp Happy 『 Acnalbasac Noom 』の「 Half-Way There 」の訳。ブレグヴァドの作詞、作曲も。顔ジャケットの手書きデザインの歌詞を元にして。 

手書きデザインの歌詞をそのまま写すと: 
HALF-WAY
THERE

He's only half-way
there, he's only half-
way there. Told
me my fortune was
enough for me --
that I would
rather be lying
lonely in the houses
that stand along
the river-side, wearing
nothing but the ruby
bequeathed to me
by him when he died.
He's only half-way there,
he's only half-way there.
One look at his visage will
tell you so -- all you need to know is
There in black & white, printed on his brow.
He has told me why when where but he never told
me how -- he's only half-way there, he's only half-way there. First time I turned and ran away from him -- I
could not begin to feel the feelings that I felt he felt then.
If he hadn't disappeared in spring that year I'd have sent
him back home again. He's only half-way there, he's only half-
wy there. A large courtege of mourners all agree that it was
really he -- huddled in a blanket, chewing on a ball-point pen. They
stood him up against the wall & set him off again around the
karmic wheel... big deal -- you can't get me that way. I read be-
tween the lines of the notice in the Times & this is what they say:
He's only half-way there, he's only half-way there, half-way there, etc.





彼はまだ往生してないの、逝ってないわ。 
言ったのよ、わたしの財産は十分だって、
それなら、わたし、川に沿って立ってる 
十二宮に、ひとりで、寝そべってたいわ、 
死んだ時遺してくれたルビーだけの裸で。 

彼はまだ往生してないの、逝ってないわ。 
彼の相貌を一目見れば、分かると思うの。 
額に白黒で印されたもので判別には十分。 
言ったのよ、なぜ、いつ、どこで、と言うことは、 
でも、どうやって、と言うことは、全然言わなかったの。 

彼はまだ往生してないの、逝ってないわ。 
最初、わたしは、踵を返して彼から逃げたの。 
あの頃、彼の苦痛にわたしが気付いているとの思いに考えが及べば良かったのに。 
あの年の春、彼が姿を消さなかったら、 
わたしは、かれを家に送り返してたわね。

彼はまだ往生してないの、逝ってないわ。 
会葬者の大行列の誰もが、認めたわ、 
毛布にくるまって、ボールペンに噛み付いているのが、彼だって。 
会葬者たちは、彼を壁に立て掛けたわ、そうして、回る輪廻へと 
彼を送り出したの、おっきな松板ね、わたしはそんな風にはしないでね。 

わたしはね、いつも、タイムス紙の訃報の行間を読むのよ、 
書いてあるのはね、こうよ: 
彼はまだ往生してないの、逝ってないわ。 
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2017年08月15日

Assumption of Mary / Psonic Psunspot

 『 Psonic Psunspot 』のリリースは、Fujimoto『クロノロジー』に依れば、1987年8月3日なのだけれど。 

 8月15日は、聖母被昇天の祝日で、『 Psonic Psunspot 』のジャケットのアートワークは、何となく、聖母の昇天を思わせるので。今年は30周年。8月5日リリースのピンク・フロイドの『 The Piper at the Gates of Dawn 』は50周年。 

 この日の前後の出来事: 
14日に、オーストラリアのカルト宗教団体 The Family が集団生活を行っていた施設に、警察が介入し、子供たちを解放した。 
The Family (Australian New Age group) - Wikipedia 
16日には、デトロイトで飛行機事故。5歳の女児一名が生き残った以外、156名が死亡。原因は操縦士が意図的に離陸警報装置を停止していた上に、フラップを出し忘れていたと言うこと。その為に、揚力を得られず、失速して墜落。 
ノースウエスト航空255便墜落事故 - Wikipedia 

 それから、19日には、イギリスのハンガーフォードで、一人の青年が16人を殺すと言う事件が起こった。 
Hungerford massacre - Wikipedia 
( ザ・スミスは、この事件を歌にしている。「 Stop Me If You Think You've Heard This One Before 」 )

「 Vanishing Girl 」  


 この頃なくなった人: 
岸信介、8月7日没。90歳。 
ルドルフ・ヘス、8月17日没。93歳。  


この頃ヒットしていた歌: 
「 La Bamba 」Los Lobos  
「 I Just Can't Stop Loving You 」Michael Jackson and Siedah Garrett  
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2017年08月12日

Crop Circle

 スウィンドン、このところは、最高気温は高くても20℃くらい、最低気温は9℃くらい、日没も8時半頃に。 

 それで、スウィンドン北部の Hannington ハニングトン(?) の麦畑に、クロップ・サークルが作られて。とっても綺麗なので。 

https://www.youtube.com/watch?v=mI9F0ZYmbeo 

XTC「 The Wheel and The Maypole 」を思い出しながら、
posted by ノエルかえる at 10:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月11日

live stone room

 2016年の『 English Settlement 』LPボックスに付けられていたブックレットのデイブ・グレゴリーのノートをのろのろと訳しているのだけれど、スタジオの叙述の部分、 
 live と言う語、以前にも、同様の文章があって訳した時にも、よく分からなくて、適当に語を当ててたと思うのだけど、「本物の」と言う意味も持ってて、その方が分かるな、と思ったので、 

 スタジオは、母屋に繋げられて設けられていた。以前はスカッシュテニスのコートであった地所に新しく建てられたものだった。コントロール・ルームには、二台の24トラックのテープレコーダー、ステューダー A800 [ https://en.wikipedia.org/wiki/Studer ] が備えられていた。それに、1970年代中頃にイーストレーク・オーディ社 [ http://www.eastlake-audio.co.uk ] によって導入された32チャンネルの [ http://www.analogmix.com/studio.html ] ヘリオス Helios 制御盤があった。スタジオの端には、最近になって建て増しされた、本物の石を使った部屋があった。今では聴き間違い様もない1980年代のドラム・サウンドにとって必須の「間近の反響」を捕える為だった。メインスタジオには、ハモンド・オルガンの C3 [ https://en.wikipedia.org/wiki/Hammond_organ ] と、素晴らしいベーゼンドルファー社のグランド・ピアノが備えられていた。左の木製の階段は狭い廊下に繋がっていて、その廊下は「本物の石部屋」に通じていたのだが、それは、マイクを天上近くに設置することを考慮してのことだった。

URL 部分は、面倒なので、リンクにしないでそのまま記入した、投稿後の表示でリンクになってるかどうかは分からない。 

最後の部分は、変なので、また考え直さないと、
追記: 左端には木製の階段があり、そこから狭い作業歩廊に上がれた。歩廊は右端の「本物の石部屋」にまで伸びていたのだが、それは、マイクを天上近くに設置することを考慮してのことだった。
に訂正。
posted by ノエルかえる at 11:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

「 Generals and Majors 」記念日

 1980年8月9日、XTC はシングル「 Generals and Majors 」をリリース、37年前。今日は記念日。 

Chalkhills: Reel by Real: XTC: "Generals and Majors"  
 Fujimoto『クロノロジー』には、8月29日にリリース、と。9日とあるのは、チョークヒルの記録。


 この頃、XTC は、ポリスのサポートで、ヨーロッパ・ツアー中。この日は、ベルギーの Werchter Festival に参加。 
Rock Werchter - Wikipedia
  8月29日には、スペインのバルセロナにある Plaza de Toros la Mounumental でステージで。 
 闘牛のアリーナがある施設の様。
La Monumental - Wikipedia  

ポリスのツアー: 
Zenyatta Mondatta Tour - Wikipedia 
ゼニャッタ・モンダッタ・ツアーには、1980年2月と1981年1月の日本公演も含まれているのだけど、XTC が前座で来れば良かったのかも、  


 その頃、発売されたヒット曲には、バーバラ・ストライサンドの「 Woman in Love 」が。
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2017年08月08日

Generals and Majors Video

 2016年の『 English Settlement 』LPボックスに付けられたデイブ・グレゴリーの『 Black Sea 』に関する部分から: 

1980年の夏にこの場所を訪問したことがあった。BBCのテレビ・ドキュメンタリーの撮影隊が、新しいシングル「タワー・オブ・ザ・ロンドン」をレコーディングする様子を記録する( と謳って ) と言うことだった。( 『 XTC At The Manor 』と言う番組。) 偶然なのだが、リチャード・ブロンソンは、彼の恒例のガーデン・パーティーをその週末を選んで館で行うことにしていた。自然と、撮影隊は催し物の多くをフィルムに収めることになったのだが、当然の成り行きとして、それは保存されて、都合良く彼の会社の宣伝になると言う結果になった。我々がその機会を逃した、と言うこともない。我々は、ブロンソンを引っぱり出して演技させ、くだらない短いシーンを撮影した、それが後日、「ジェネラル・アンド・メジャーズ」のプロモーション・ビデオに使用したものだ。  


 プロモーション・ビデオは、XTC の以降に沿ったものはまったくなかったのだけれど、、、 
 「 Generals and Majors 」のビデオについては、上のグレゴリーの証言から伺うと、担当した監督の意向さえなかったのでは、と思ってしまう。「 Generals and Majors 」は、アルバムの先行シングルであるのにも拘らず、それも第一弾、間に合わせの素材で適当に作られた、それも、ヴァージン社とブロンソン社長の宣伝に主眼を置いて、と言う感じ、、、
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2017年08月07日

Where Fortune Smiles

 アンディ・パートリッジが好きで影響を受けている、 John McLaughlin, John Surman, Dave Holland, Karl Berger, and Stu Martin の1971年発表のアルバム『 Where Fortune Smiles 』が、デイブ・グレゴリーさんのバンド Tin Spirits が所属するレーベル Esoteric Recordings からリイシューされる。 

Esoteric Recordings / Cherry Records : 
Where Fortune Smiles: Remastered Edition - Cherry Red Records 

Where Fortune Smiles - Wikipedia
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Their Satanic Majesties Request 50周年記念版

 ローリング・ストーンズの『 Their Satanic Majesties Request 』が50周年で、スペシャル版が出版されると言うことなので。 

 2013年に『 Shinding! 』と言う雑誌のインタビューで、アンディ・パートリッジが『 Their Satanic Majesties Request 』について話していたことを、再度投稿。 

http://noerukaerufueru.seesaa.net/article/322444549.html 
http://noerukaerufueru.seesaa.net/article/322535438.html 
http://noerukaerufueru.seesaa.net/article/323134748.html 
http://noerukaerufueru.seesaa.net/article/323320253.html 
http://noerukaerufueru.seesaa.net/article/323507309.html 
http://noerukaerufueru.seesaa.net/article/323872113.html 
http://noerukaerufueru.seesaa.net/article/323938558.html 
http://noerukaerufueru.seesaa.net/article/324069023.html 
http://noerukaerufueru.seesaa.net/article/324115034.html 




 そもそもは、友だちのブライアン・フォスター君のお兄さんがクリスマスのプレゼントに『サタニック・マジェスティーズ』を貰ったのが始まりなんだ。お兄さんは、あんまり気に入らなかったみたい。ちょっと変って思ってたんだ。だから、ブライアンは長い間僕に貸してくれて、僕は家に持って帰ったもの。何もかもが、初めてのものだったね。チラチラするジャケットカバーの見た目に始まって何もかもが。見本市で手に入るような人形に使ってあるチラチラ変化する細工を始めて見たときは、とてもワクワクさせられたんだ。

 僕は14歳になったばかりだったんだ。その年頃って、世界に向けて自分を開き、自分の中に何かを取り込もうとする頃だよね。僕はね、『サタニック』を取り込む用意ができていたんだと思うよ。

 今日は、インタビューのためにね、自分の頭の中のプレイヤーでこのアルバムをかけたんだ。本当にかける必要はないんだ。何時だって、どの部分も、自分の頭の中で鳴らすことが出来るのだからね。僕はね、ステレオの『サタニック』では何が聞けるのか確かめるために、わざわざ、ステレオの片方だけを出力させて再生してしまうと言う、悲しい野郎の一人なんだよ。片方を再生した後で、もう片方を再生するわけ。それを僕のコンピューターに取り込んでね、録音されているものの中のチャンネルを無効にしたり、位相を変えたりするんだ。そうすると、左チャンネル、右チャンネルに何があるか分かるわけ。このアルバムには、無数の層が重ねられていて、それは信じられないくらいなんだ。メロトロンの様々な音がぎりぎり一杯に詰め込まれているんだ。「 Citadel 」だけでも、一冊の本が書けるよね。あの歌には、メロトロンがあって、マンドリンがあって、サクソホーンがあって、フルートがあって、ストリングスがある。音響と言うものそのものだね。ローリング・ストーンズのメンバーとスタッフは、ものすごい量の仕事をこなさなければならなかったろうね。

 『サタニック』の音は、その二年前に、ストーンズは創り上げていたんだよね。「 Have you seen your Mother, Baby? 」のようなものだよ。あれは、ロサンゼルスでデイブ・ハッシンガー Dave Hassinger と録音したものだけど、そこで、ストーンズは音色の実験を始めているのが分かるよ。ディストーションとかトレモロとか、エコーの組み合わせとかね。次へ進む道標なんだね。

 ストーンズは、時代遅れになる前にヒッピー的な局面に飛び上がろうとしたんだろうと、正直な所、僕は思うんだ。ちょっと、慌てていたんだろうね。彼らは遅れて取り残されてしまったと言う思いが、ストーンズ陣営にはあったように思えるね。ちょっと可哀想。

 流行の楽器が一杯だよね。「シタールを手に入れちゃった! タブラを手に入れた! チベットから小さなハーモニュウムを入手したぞ!」って、ブライアン・ジョーンズは言ったのかなあ。モロッコで、アニータ・パレンバーグと破局した穴埋めに、ガラクタのような民族楽器で一杯の大きなトランクを持って帰ってね。「 Gomper 」や「 Sing This All Together 」では、エレクトリック・ギターはちょっと分が悪いものね。キースは悪いと思って、ブライアンがレコーディングした所には、彼の音量の大きいギターを入れようとはしなかったんだよね。

 このアルバムの、僕にとってのスターは、ニッキー・ホプキンスなんだ。公式なクレジットには、一曲か二曲でピアノを弾いているだけになっているけれど、実際は、全部の曲で弾いているよね。演奏に、花咲くようなロココ調の感じを出しているよね。ピアノがあまり上手くはなかったブライアン・ジョーンズでは決してないし、イアン・ステュワートでも絶対ないね。だって、ステュワートは、ブギウギでなければ弾けないもの。

 このアルバムは、A面の最後で、誰かがメロトロンの周りで何かいじくり回して、マイクロフォンにシューシュー言うノイズを入れているのだけど、それ、「 we wish you a merry christmas 」って言っているわけ、それで、「コズミック・クリスマス」と呼ばれるようになったのだけど、僕は数年後までは、それが分からなかったんだ。

 グリン・ジョーンズ Glyn Johns がエンジニアとしてクレジットされているね。ストーンズのメンバーは、彼とは気持ちよく仕事が出来たんだろうなあ。それは、僕ら XTC とヒュー・パジャムのようなものだと思うな。ずっと一緒で、マイクロフォンを一緒にセッティングして、いい音を創り出したんだよね。「この曲はお前に任せるぜ!」って言う光景が、容易に目に浮かぶんだ。レコード会社には気の毒だね、ちょっとだけだけど。会社の連中は、「なんだこりゃ、どれをシングルにするんだ!? えっ、お前ら!」って思っただろうからね。

 折り込みジャケットの迷路は、ちょっと酷いって、当時、僕は思ったんだ。何年かなんとかやり通そうとしたのだけど、とうとう出来なかった。
 一曲ごとに書いてもいいかな? 下書きはもうあるんだけど。





Sing This All Together
 キャンプファイヤーのようなアルバムの始まりだね。思うんだけど、僕は、無意識にこれをくすねて「 Towers of London 」に使ったんだなあ。それと、トム・ジョーンズ Tom Jones の「 Daughter of Darkness 」もね! ほんとうに面白いコードだなあ、( アコースティックギターで弾いてみる ) CからG、E♭、B♭。とっても変わったコード進行だよね。で、とってもモダン。何て呼べばいいんだろうね、このような曲を。開始部と終部は素晴らしくて、真中は、「誰でも皆んな楽しく弾く」って言うばかばかしいジャムになっているんだものね。The Hapshash & The Coloured Coat のアルバムは、基本的には、ワン・コードのジャムなんだけど、音的にはよく響いてはいないよね。[ デザイン・グループだけど、1967年と69年にサイケデリックの音楽アルバムを発表している。 ] この曲、普通は使わないような楽器を、いったいどれだけ詰め込んでいいるんだろう。東洋の楽器群、珍しいドラムや管楽器もたくさん。


Citadel
 ああ、これは、僕の大好きな歌なんだ! 初めて聴いた時、完璧に打ちのめされたんだ。この曲の中の荒々しさが大好きなんだ。だって、「ラブ、ピース、フラワーズ」の時代だったんだから、この曲は、とっても暴力的に聞こえたんだ。初めて聞いた頃、僕を虜にしていたのは、オープニングのコードのとこで高く鳴り響く音なんだ。当時、うちには、戸棚の上に金属の花瓶がいくつか置いてあったんだけどね、僕はね、それを曲に合わせて叩いていたんだ。音が似ていると言うだけじゃないよ、ぴったりと音程が合っていたんだから。残念なことに、その花瓶は安っぽいマザック Mazac のものだったけれどね。( あまり知られてない冶金製品だけど ) 金属だったんだ、それで、結局割れてしまって、鳴らなくなったけどね。僕は、母さんが割れ目に気がつかないように、割れ目を壁の方に向けたんだけどね。
 ミック・ジャガーは、普通は、作詞家としては評価されてないよね。でも、この歌では、ナチスに触れていて、歌に重々しい感じを出しているよね。「 You can hear the panzers come and call / you can hear their numbers called 」と言うところ、子供の僕をゾクゾクさせたんだ。それに「 Screaming people fly so fast / through their worlds of steel and glass 」というところは、禁断のナチのイメージがあるんだ。宇宙的な感じだね。すごいぞ、ミック!!
 『 White Music 』の時にはね、「 Citadel 」をカバーしようと思ったんだ。「 All Along the Watchtower 」とどっちにしようかな、と思ってたんだけどね。「 Citadel 」も「 All Along the Watchtower 」もどっちも叙事詩になってるねえ。僕は、コインを投げて、それで、「 All Along the Watchtower 」に決まったわけ。



In Another Land
 これは、ワイマンのソロ・シングルとして発売されたんですよねえ! スティーブ・マリオットが歌ってるのも聞けるのだけど、後から、ジャガーが被せてるからねえ。それにまたまた、ニッキー・ホプキンス。ハープシコードだね。僕は、ボーカルのトレモロが大好きなのさ。それに、ちょっとだけど、「 we heard the trumpets blow 」のところ、誰かが後ろで「ダ、ダ、ダー」って歌っているのが聞こえるよ。出費もほとんど無しなんて!! 僕は思うんだけど、他のストーンズのメンバーの誰よりもビルがスタジオに長く居たんだよね、きっと。それで、The End のアルバムをプロデュースしたんだ。[ 1965年から70年に活動したイギリスのバンド ] 「インディアン・ドラムがあるよ、そのみんなにマイクを仕掛けよう、そのまんま使おうよ。」って言ったのかなあ。マイクロフォンのセッティングが両方とも同じなんだね。それが、アルバム『サタニック・マジェスティーズ』の指紋のように The End の『 Introspection 』についているんだね。

2000 Man
 あのいびきが誰だか知ってる? 僕は、ブライアン・ジョーンズがヘッドフォンを着けたまま寝ている、と言うのに始まって、色々な話しを今まで聞いて来たけどね。「 2000 Man 」でのキース殿、僕には、その後の『 Beggars Banquet 』の時になるようなキース殿に聞こえるね。彼は、アコースティック・ギターを弾いているけど、本当にきれいに録音されているよね。こうだね、( ギターを取って、特徴あるリフを完璧に弾く。 ) 僕はね、何年もの間、「 random computer 」って何なのか分からなくて、悩んだんだ。ミックは、どうしてそんなものに関わったのかなあ? って言うか、そんなもの、何処に設置したんだろう? 「 random computer 」と言う言葉で、僕は、ブルース・ダーン Bruce Dern 主演の映画『 サイレント・ランニング Silent Running 』[ 1972年公開、ダグラス・トランブル監督 ]を思い出すんだ。ヒッピー的なSF映画だけどね。「 Citadel 」のような不穏なものはないよね。




Sing This All Together (See What Happens)
 ミックは本当に目立ちたかったんだね。「 Where's that joint? 」って言っているのは彼だよね。「俺は真に反逆児なんだ。」って言いたかったのかな。この曲について、僕が言えることはないなあ。「諸君、タクシー運転手を連れて来て、フルートを持たせてセッションに加えようぜ。」と言う、あの時代そのものなんだね。とってもいい部分は、「 Sing This All Togetger 」が囁くように繰り返されるとこだね。それと、もちろん、テルミンの「 We Wish You a Merry Christmas 」だよね。




She’s A Rainbow
 さてと、僕はアルバムを素早くひっくりかえすわけ。と、そこに、アルバムの最高潮の曲「 She's A Rainbow 」があるのですねえ。メロディがうぁっと盛り上がって、さぁっと退いて行くんですねえ。( ピアノのモチーフを歌ってみせる。 ) この歌で踊ったりしたら、ちょっと情けないことになるでしょうね。馬鹿踊りでも踊るのなら別だけどね。僕はアルバム版に馴染んでいるから、シングル版は詰まらなく聞こえるんだ。やあ、ここで、またまた、曲のヒーローはニッキー・ホプキンスになってしまってるねえ。ストーンズは、チューダー朝の愚連隊を演じているのかな? ( 笑い ) ミックは、「 Lady Jane 」の時と同じで、高級娼婦のことを言っているんだねえ。

The Lantern
 僕はこの歌が大好き、とっても不吉だねえ。「 Child of the Moon 」[ シングル「 Jumpin' Jack Flash 」のB面 ]のお姉さんになるね。長く続くオルガンの音や、エコーを深くかけてナベ太鼓のように聞こえるトムトムを使ったアレンジで、支離滅裂で不統一な感じになってるんだね。まるで夢見ているみたいだね。「 Have you seen Mother Baby 」から直通の適当にディストーションをかけたギターで終わるんだ。

Gomper
 コリン・ムールディングはね、メイクラブする時にかける曲の中で一番だ、って言っていたよ。で、その人が彼のおかみさんになったんだ。Gomper が誰なのか、あるいは、何なのか、僕にはさっぱり分からないね。鉛筆の先に付ける綿毛の生えた小人の一つかも。ラグとかカフタンとか装飾品や装身具のいろんな物がいっぱいで、何がどこにあるのか分からないような、インドかぶれのヒッピーの店にあるような物だよね。で、この歌はね、そういうごちゃごちゃな店を、耳で聴けるようにしたものなんだね。

2000 Light Years from Home
 僕は、当時、つまんないタイトルだなって思ったんだ。だって、「 2000 Man 」があるんだよ。どうして、「 10,000 Light Years from Home 」にしなかったんだ、って思ったんだ。ずっと、これは、駄目だと思ってたんだ。この曲で、バンドは、再度、SFの世界に入っているんだよね、アルデバラン星について歌っているんだからね。上にメロトロンのストリングスが被せてはあるんだけれどね、容易に、それを取払って、R&Bのズンズンチャに出来るよね。こんな音像を作るのに、音楽的才能なんて要らないね。音も簡単に取れるしね、シンセサイザーのピッチ・ホィールを使えば、即席サイケデリアの出来上がり、と言うわけだよね。トップ・オブ・ザ・ポップスのスタジオでプロモーション・フィルムを作ったんだよね。そのフィルムで、ジャガーはチベット僧の頭巾を被ってたね。たぶん、タブラやシタールを手に入れた同じ店で買ったんだろうね。この歌は、ストーンズの曲の中では、僕のお気に入りではないね。どんなLPアルバムにも、傑作となるのを邪魔する瑕疵があるもんだねえ。

On with the Show

 ストーンズはKinks になりたかったんだねえ! この歌は、「 Something Happened to me Yesterday 」のパート2だね。目立つのは、パラグアイの音楽の楽器として知られているハープだね。この時、ストーンズは二日酔いだったように聞こえるよね。メンバーは、ソーホーの基準で言えば、汚いバーから連れて来られたんだろうね。「連中はブライアンを放り出したぜ、連中が俺たちも放り出す前に行こうぜ。」とか言って。パーティーは終わった、って感じるね。今度この曲を聴く時にはね、ステレオの端の方に注意を向けるといいよ。会話が全部聞き取れるから。メンバーが二人のアメリカ人の女に話し掛けてるのが、本当のバーでの様に聞かれるからね。「ああ、そうさ、俺たちはバンドなんだ。」って。

 へんだよね、歌はどれもそれ以前に増して意欲的なんだよ、音作りもとても実験的。なのに、文字通りの二週間の内に、「俺たちは、もうこれをやらない。」って言うなんて。僕は、ストーンズがこのアルバムについて何も語らないのが分からないな。熱くて食べにくい焼きジャガみたいだね。何がストーンズをそうさせているんだろうね。パレード先頭の楽隊車の載せられて着飾らされたのが、恥ずかしいのかなあ。音楽的には、恥じるべきでは全くないのに。それは本当だよ。
posted by ノエルかえる at 08:37| Comment(0) | 注記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月05日

Swindon murder suspect arrested by police in America after national manhunt

 スウィンドン・アドヴァタイザーのニュースで。スウィンドンの人アンドリュー・ウォーレンさん、56歳、オックスフォード大学で働いていた人、がアメリカで殺人の容疑で逮捕、と。ノースウェスタン大学の微生物学の教授と共に、と言うこと。被害者は、26歳の美容師。ウォーレンさんは、イギリスのロンコット Longcot [ スウィンドンとオックスフォーとの中間 ]の家族から捜索願が7月25日に出されてたと言うこと、アメリカの警察はその数日前に出国して渡米していた、ということ。 
 何だか、全然分からない。 

 まあ、モノクローム・セットのアンディ・ウォーレンさんとは別人なのだろう。アンディ・パートリッジの幼馴染みで、XTC のローディーをしていた人も、Warren と言う姓だったけど、、、
posted by ノエルかえる at 23:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月02日

Andy Partridge was a volunteer cameraman.

 スウィンドンのケーブルテレビ、Swindon View Point 。70年代に、放送内容を後から文字にしてお知らせする番組があったのか知ら? 音楽番組『 Tune In 』に関係した人を表示しているのだけれど、アンディ・パートリッジが、ボランティアのカメラマンとしてクレジットされています。( 2分14秒のところで。 ) 「 Just in Case 」と言うのは、番組のコーナー? 曲名?   


'Tune In' to the 70s | Swindon Viewpoint
posted by ノエルかえる at 21:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

To the Bone Nowhere Now

 スティーブン・ウィルソンさんの新しいアルバム『 To The Bone 』。アンディ・パートリッジが二曲を提供した、と言うことだけしか分からなかったのですが、やっと、Wikipediaのページに、どの曲がそうなのかが書かれたので。 
 「 To the Bone 」「Nowhere Now 」の二曲。  

posted by ノエルかえる at 17:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月01日

ノンサッチのベース・パート

 Florian Decros さん、今度は、『 Nonsuch 』のベース・パートを譜面にしてチョークヒルへ寄稿。 

Florian Decros: Bass tabs of "Nonsuch" 


posted by ノエルかえる at 09:02| Comment(0) | Nonsuch | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする