2018年04月30日

ちょっと思ったこと

 4月17日に、シーサーは、マイブログをリニューアルしたのだけれど。そうしたら、編集ページが崩れてしまう様になって、キャッシュを削除するだけでは改善もされないので。 ( 端末を新しくして、OSもブラウザも最新のものにすれば良いのだろうけど、、、 )
 とりあえずは、入力は出来るのだけれど。でも、少し思ってしまう。ブログの第一の目的は、自分自身の為のノートなので。自分の所有の端末が故障した時にも安心だし、と言う風に思ってもいたし。実際、ブログだと、後から探すのも楽だったし。 
 でも、例えば、シーサーがサービスを止めてしまった時には、どうすれば良いのだろう、と思ってしまう。記事の大半は、端末に残してはいるのだけれど。「注記」に入れている、パートリッジのTwitterのコメントは、このブログに入れているだけなので、でも、今から、それを別にコピーするのも面倒だなあ、と思う。 
 それに、新聞記事で、「短命のデジタル媒体」と言う記事を読むと、それも合わせて、これで良いのかなあ、と思ってしまう。自分は、元々、ワープロ機が普及した時にも、手書きのノートの方が訂正・推敲した跡が自分でもわかってその方がいいと思ってたのだけど、もう端末でタイプするだけになってるし。XTC の歌詞も、『スカイラーキング』だけは、ノートを作って残しているけど。どうしようかなあ。( 自分のものが後まで残って欲しいと思っているわけでは、もちろんなくて。 ) 
 そうなんだよなあ、CDよりもビニール盤の方が長く残るのだなあ。ストリームなどに提供されている音源はどうなのだろう? 
 それで、XTC については、自分が十代半ばの頃登場して、すぐに夢中になって、幸運にも彼らは長く活動して、更に幸運にも、彼らの仕事は日本のレコード会社からずっと配給されて、これまで、レコード、CDで楽しめていたのだけれど。私個人については、運良く生きていても、もう数十年を楽しめれば良いので。出来る限り、これまでの彼らの12枚のアルバムを楽しむのだろうけれど。( 八十代になっても、何かの機器で媒体を再生して聴き、楽しんだりするだろうか?) その間、また媒体が変わっても、そこにXTC の歌が入っていてくれたらいいのだけれど。 
 でも、XTC の歌は、私個人の人生以降も、出来れば残って欲しいと思う。それで、出来れば、デイブ・グレゴリーさんが音楽を譜面に残して、どこかに纏めて残してくれると良いのだけれど。歌詞は、パートリッジのノートを何所かに保管して欲しいし、モールディングの歌詞もノートがあるのならば、残して欲しい。モールディングの日記もあるのだろうか? ( あ、紙にと言うことだけれど。 )  
 まあ、XTC の歌が古典として残すべき作品なのかどうかは、私には分からない。私は、十代の中頃偶々彼らの登場に会って感化されたのだから、外から評価することはとても出来ないから。 

 以前にも、同じ様なことを書いた気もするけど、最近、物をよく忘れるし、、、


追記:それで、この記事を一旦投稿して、ブログを見たのだけれど、更新されない、、、 早速、不具合??? うううんん?? 
何か間違った??
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2018年04月29日

竹本住大夫三の訃報

 義太夫の七代目竹本住大夫さんの訃報。 

この「文楽 - Bunraku Puppet Theater」と言うYouTubeのチャンネルは、公式のものなのかしら?? 

文楽「寿式三番叟」 - 竹本住大夫 - Bunraku Puppet 
https://www.youtube.com/watch?v=MwDF20YqH1c 

posted by ノエルかえる at 20:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月28日

The Trio

 4月27日は、『 Nonsuch 』がイギリスでリリースされた日なのだけれど、11:23 - 2018年4月27日 付けのTwitterで、Big Big Train の Greg Spawton さんは、「 One of my top ten all-time favourite albums. Jaw-droppingly good. 」と書いている。 
全時代を通じて選ぶ、私の愛好する十のアルバムの内の一つ。口がぽかんと開いたままになる美しさ。
https://twitter.com/bigbigtrain/status/989933072891240448  


 デイブ・グレゴリーさんのバンド、Tin Spirits を配給するレーベール、Esteric Recording は、リイシューが主な事業でもあるのだけれど、イギリスの Dawn Records ( 1969 - 1975 ) がリリースしていた、John Surman ジョン・サーマン、Barre Phillips バール・フィリップス、Stu Martin ステュ・マーティンのトリオの録音、『 The Trio 』を再版する。 

The Trio - The Trio (Vinyl, LP, Album) at Discogs 

The Trio: Incantation, The Dawn Recordings 1970 - 1971, 2 Disc Edition - Cherry Red Records 


posted by ノエルかえる at 12:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月27日

Beatles for Sale

 4月26日付けのTwitterでは、パートリッジは影響を受けたレコードを列挙しているのだけど、 
興味を惹いたのは、 
「 All Beatles album except BEATLES FOR SALE and LET IT BE 」と書いていること。
どうしてだろう? 影響は受けてない、と言うことか知ら? 音楽上の着想はそこからは得てないと言うこと、、、 

 他には、「 DEVO -SATISFACTION 」も。同時代のものは、これだけではないか知ら??? 



posted by ノエルかえる at 21:29| Comment(0) | 注記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月26日

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」7

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」6 






ベルナール「( 笑いながら ) 成る程。それは、お休みの日のトリビア・クイズ合戦の一つでしたね、確か、イデア[ APE House の前の XTC 自身のレーベル ]で二年程前にしましたよね?」
パートリッジ「その通り! そうなのです、ベースはフランジャーを通して音を出していました。「ビョルン・ボルグ、ビョルン・ボルグ、ビョルン・ボルグ」と鳴っているのです。兎も角、テリーは、時々、嫌気が差したものだから、私が歌を始める切っ掛けと決めていたイントロのドラムのロールを早目に入れていました。でも、私は歌い出そうとはしませんでした。だって、私自身はとっても楽しんでいたのですから。」 
ベルナール「( 笑いながら ) それは本当に可笑しいですね。私は、この歌のライブの様々な録音を持っていますが、それを聴いて、あのロールは彼がただロールをしようと叩いていたのだ、と思っていましたから。」
パートリッジ「ええ。テリーは決めていた合図をしたのです。通常、手順は次の様になっていたのです。私が、次第次第にマイクロフォンに近づいて行くのです、テリーがそれを見ています、そして、私が定位置に着いたことが分かると、つまり、音楽が十分に鮮度を上げたと言う時、あるいは、歌を歌う安定した状態に落ち着いた時ですが、テリーが合図のロールを鳴らすのです。ですが、時には、彼は待つのが嫌になるのです。それで、ロールを鳴らすのです。ところが、私はマイクロフォンの近くにはいないのです。ですから、「駄目だ。まだお前は待たなければならない。私はお楽しみ中なのだ!」と言うことになるのです。 
 アルバムの録音の時のことも覚えていますよ。カウンティング・トラック[ メトロノームの様な役割のテープ ]を使わなくてはいけませんでした。小節数を数えるのです。何小節かの後、私は歌い始めたのです。 
 兎も角、この歌は、ライブでは安堵を感じる歌でした。穏やかに演奏出来ますし、自分自身に没入出来ますから。デイブが、アルペジオは全部弾いてくれましたしね。つまりですね、「ああ、僕は気持いい長い休息が出来るぞ、五分間は歌わなくて良い、忘我状態でいられるんだ。」と言うことなのです。 
 それが、何時でも私が望んでいたことなのです。私は、一度だって、歌手でありたいとは思ってなかったのです。」 
ベルナール「ええ! 本当ですか?」
パートリッジ「そうです! 前任者が辞めたので歌手の職を得たのですよ。」 
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2018年04月25日

Performance

 パートリッジが、14:56 - 2018年4月24日付けのTwitter のコメントで、ジャガーの最高の歌詞と書いているのは、1970年8月公開のイギリス映画『 Performance 』の中の歌。「 Memo from Turner 」。ミック・ジャガーはこの映画に出演。 Donald Cammell と Nicolas Roeg の二人が監督をした犯罪映画。 
https://twitter.com/xtcfans/status/988899591331418112

Performance (film) - Wikipedia 

Memo from Turner - Wikipedia
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2018年04月24日

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」6

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」5  





ベルナール「バンドの他のメンバーから反対はなかったですか? 「これは退屈だ、曲のほとんどがたった二音じゃないか、ええ?」等と言われなかったですか?」
パートリッジ「そうですね。彼らに説明する必要に迫られました。こう言ったのです。「いいかい。夢の様な物を創り出すんだ。」 今は、アルバム版のものを話題にしているのだと思いますけれど、ステージのライブで演奏した時はですね、時々、夢見るイントロは5分かそれ以上になることがよくあったのです。私はそれが大好きだったのです! これをライブで演奏するのが好きでした。没入出来るからです。「 Jason and Argonauts 」の中間部と似ています。歌の趣向に沿って、一つの光景を創り出そうとしているのです。「 Battery Brides 」の場合、電子的天国、あるいはそれに似たものを創り出そうとしていたのです。 
 他のメンバーは、よく不平を言っていましたよ。ステージが終わった時に、「まったく! 「 Battery Brides 」で、君が歌い始めるつもりがまるでないんじゃないかと思ったよ。」と言うのです。貴方には明かしておきましょう。私は、これを弾くことである種のゾーンに自分を送り込んでいたのです。イントロをほんの僅かに変化させながら繰り返し繰り返し弾くことで、催眠状態になっていたのです。 
 この曲は、ライブではメンバー以外の助けが要った何曲かの中の一曲です。シンセサイザーでGの音を鳴らしていました。それをカセット・テープに入れていたのです。それは10分程のものでした。ミキシング・デスクの担当者、スティーブですけれど、いつも彼がそのカセット・テープを入れて、再生させ、それを弱音から次第に音量を上げて行っていたのです。つまり、ステージの私たちにGのドローンがフェード・アップしたのを耳に入れさせ、10分間を演奏していい時間が始まったと知らせるのです。」 
ベルナール「デイブ・グレゴリーさんがバンドに加入した時には、彼が、バリー・アンドリューズさんのピアノとオルガンをギターに書き換える方法を考え出したのでしょうけれど、貴方は何か助言をしたのですか?」
パートリッジ「アルバムでは、バリーは、テリー・ライリー[ アメリカの作曲家。ミニマル・ミュージック。 ]にちょっと似たことをしてました。電子回路の基板の様な音です。「どう? 僕は電子回路の上の図形を弾いているんだよ、それがまるで音楽であるかの様にね、まあ、音楽の様な別の物かも、」とバリーは言っていました。デイブは、それを、何と言うか、理解して変換させなければいけなかったのです。それはデイブを苛つかせる様な音形でした、でも、彼はアルペジオが大好きでしたからね、バリーの電子回路音形を、ギターで同等のものに上手く変えたのです。」 
ベルナール「彼一人で考えたのですか? ほんのちょっと演奏の練習をしただけで、どうすべきか考え出せたのですか?」
パートリッジ「そうです! 彼は素敵な短いアルペジオのパターンとメロディを寄与してくれました。それだから、私はすっかり忘我状態に没入出来たのです。可哀想なテリーとコリンは、いつも、2音だけ出してましたね、「ビョルン・ボルグ」パターンですよ、…、」 [ ビョルン・ボルグ - Wikipedia ]
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2018年04月22日

きょうは

 きょうは、『原子心母』を聴いて、『 Let It Be, Naked 』を聴いて。 
その後は、ヴェーベルンのカンタータを聴こうと思っていたのだけど、 
YouTubeで、フランスの大学生が演奏する『原子心母』、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団がシャトレ座で演奏した『原子心母』を見たら、それで終わった。 
 ピンク・フロイドは、『原子心母』で牛だから、XTC は『イングリッシュ・セトルメント』で馬。 

 あ、忘れてた、ビル・エヴァンスのノルウェーのモルデでのステージもYouTubeで見たのだった。 モルデ、Molde と言う所がノルウェーにはあるんだ。モールディングと関係あるか知ら???? 

 あ、あ、Scatter Me TC&I は、毎日、3回から5回はYouTube で見てる。
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「 Great Fire 」記念日

 1983年4月22日、XTC は、シングル「 Great Fire 」をリリース。今日は記念日。35年前。 
Chalkhills: Reel by Real: XTC: "Great Fire" 

歌詞の訳: 
Great Fire 訳: ノエルかえる不恵留  


 この日、ソビエト連邦のクルスク原子力発電所で、燃料棒の装填が上手くいかず、原子炉が停止した。大きな事故にはならなかった様。チェルノブイリの事故は、3年後の1986年4月26日。 

 この日、アメリカのジャズ・ピアニスト、アール・ハインズ Earl Hines が死去。現代ジャズピアノの基礎を築いた人。さらに、現代ジャズの和声を築いた人。1903年12月28日生れ、享年79。 
Earl Hines - Wikipedia 


 それから、セルバンテス忌。ドン・キホーテを書いた Miguel de Cervantes が亡くなった日。没後402年。 


 それと、8日前の4月14日に、デビッド・ボウイの『 Let's Dance 』がリリースされている。 
 それと、一週間前の4月15日に、東京ディズニーランドがオープン。 


この記事の内容は、昨年のと同じ。
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2018年04月21日

Philip Larkin 「 Home is so Sad 」訳

 フィリップ・ラーキンの「 Home is so Sad 」の訳。1964年の詩集『 The Whitsun Weddings 』に所収。「 Home is so Sad 」が書かれたのは、1958年12月。 

 五行ずつ二スタンザの短い詩。「 Home is so sad 」「 That vase 」と言う碁石の様な簡潔な文に挟まれた四つの文。緻密な組子細工の様な詩は、コリン・モールディングの歌詞を思わせる。この詩は、モールディングの「 Dying 」を思い出させる。 


元にしたのは、poets.org の:
Home is so Sad by Philip Larkin - Poems | Academy of American Poets 

ラーキン協会のエッセイ: 
Philip Larkin – Home is so Sad 


The Whitsun Weddings - Wikipedia





いえってかなりかなしい。歩いて行くのにぴったりちょうどいい 
靴型の様に、最後の人にぴったりそぐう形になって、打ち捨てら 
れたまま、そうしていれば、戻って来たくさせるって。けれども 
気に入ってくれる人をみんな掠め取られて、褪せて、 
生気がなくなって、泥棒を外に押し返すことも出来 

なくて、嬉々として調度品のこれはこここれはここでなければと 
思い描いてた初めのと同じ様に戻すことも出来なくて、物はばら 
ばらに落ちて散乱したまま。それでも覗いた人にも推察は出来る 
だろう。落ちてる写真を食器具類を手に取って見て、 
ピアノのスツールにさしこまれた楽譜。かのかびん。  


Home is so sad. It stays as it was left,
Shaped to the comfort of the last to go
As if to win them back. Instead, bereft
Of anyone to please, it withers so,
Having no heart to put aside the theft

And turn again to what it started as,
A joyous shot at how things ought to be,
Long fallen wide. You can see how it was:
Look at the pictures and the cutlery.
The music in the piano stool. That vase.





last は、「最後の」と言う意味もあるけど、「靴型」の意味もあるので、それを使った。  





4月22日、訂正: 
気に入ってくれる人が一人もいなくなって、褪せて、 

気に入ってくれる人をみんな掠め取られて、褪せて、
posted by ノエルかえる at 14:06| Comment(0) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」5

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」4: ノエルかえる不恵留 





ベルナール「この歌が出来た経緯をお話し下さい。」
パートリッジ「私はドロ−ンがとても好きなのです。それでですね、ギターでハーモニクスを出していたのだったと思います、上手くハーモニクスが出た場合はですね、それも、オクターブ離れた音が出れば、それで基本的には荘厳なGの和音になるのです、それはハーモニクスで得られたものです。フランジャーを使ってハーモニクスを出していたのだったと覚えています。フランジャーは、その少し前に買っていたものです。コーラス・フランジャー・ペダルです。そこで、「この音は夢の様だ。電子的な天国か何かの様に思える。」と思ったのです。ちょっとした忘我状態になりました。そこで、私は、他の人たちが催眠状態で忘我の域にある場合を考え始めたのです。特に、オーワースのレジにいる女の子が夢見ている状態はどんなだろうと思ったのです。変な夢を見ているのだろうと思ったのです。オーワースにしろ、他の大型量販店にしろ、そこに行って見ると良いですよ。レジの女の子たちは、何もない空中をぼんやり見上げて、結婚とか恋愛とかを想像しているのですからね。」 
ベルナール「女の子たちが夢想しているのは、夜になったら…、」
パートリッジ「ええ。今晩のことを考えているのですよ。「ああ、あの人、魅力的じゃない?」と思ったりもね。そうして、彼女たちは、お客の貴方が何を買っているのかも見てはいないのです。耳を澄ませて、ビーと言う小さな信号音を聴いているのです。ロマンスの夢を見て、心ここに有らずなのです。そうした光景を丸ごと捉えて、私は、「ふうん、彼女たちは養鶏ケージの鷄の様だな。彼女たちはスーパーマーケット、お店に居るのだけれど、それは、罠にかかってレジスターと一緒に小さな檻に入れられているのに、ぼーっと甘い夢を見ている様なものだ。」と思ったのです。それで、面白がって、「 Battery Brides 」と設定したのです。彼女たちは、ボーイブレンド、かっこ好い彼氏を夢見ているのです。その夜には彼に会いに行こうとしているのです。そうして、お客には一顧だにしないのです。そこで、「そうだ、今作りかけている風変わりなハーモニクスの夢の様な曲は、婚礼を夢見ている彼女たちの頭の中で流れている音楽に似ているのではないか?」と私は思ったのです。 
 でもですね、本当に、私は一度だって「花嫁」になりたいとは思ったことはありませんよ。それはお分かりですよね。( 暫く黙る ) ほとんどね。( くすくす笑う ) 相手がファビオだったらね。[ Fabio Lanzoni イタリア系モデル。1980年代、恋愛小説のカバーに多用された。 ]」 
ベルナール「( 笑いながら ) もしかしたら、彼は貴方を選んでいたかも知れませんねえ。そうすると、貴方には選択の余地はなかったでしょうね。」
パートリッジ「選択の余地はないですよ、彼の髪はとても素敵ですからね。 
 それでですね、この歌は滑稽感を出しているのです。そう思いますよ。でも、実は、ハーモニクスを試している間に出来たのです。それに、私は、反復する歌が大好きなのです。ドローン[ 持続低音 ] と反復音型が楽しくて大好きなのです。反復するメロディは様々な音形を私に思い付かせます。そうして思い付いた音形を反復するメロディに被せて行くのです。反復するメロディと言うのは、そうですね、その上でスケートが出来ると言う状況に似ているか知ら。氷の表面の様なものなのです! 反復するドローン [持続低音 ] の上では、難しさもなく目を見張る様なアクロバットを演じることが出来るのです。」  
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2018年04月17日

「 King for a Day 」記念日

 XTC は、1989年4月17日、シングル「 King for a Day 」をリリース。今日は記念日。29年前。 

Chalkhills: Reel by Real: XTC: "King for a Day"  

歌詞の訳: 
King for a day 訳: ノエルかえる不恵留  

シングルのアートワークは、ギヨーム・ド・ティール Guillaume de Tyr の『 Histoire d'Outremer 海の向こうの歴史』から、エルサレム包囲戦の挿絵。
Siege of Jerusalem.jpg - Wikipedia 

Histoire de la Terre d'Outremer, par Guillaume de Tyr. | Gallica


プロモーション・ビデオは、Tony Kaye が監督で、1989年4月14日、ロンドンのWest Way Studios で撮影。 
mvdbase.com - XTC - "King for a day"  


その二日前の4月15日に、胡耀邦が亡くなる。そうして、天安門事件が起こる。 

この年には、1月に昭和天皇も亡くなっているし、4月には、日本の皇族の生まれで朝鮮の李王室に嫁いだ李方子( 梨本宮方子 ) も亡くなっているし( 4月30日 )、朝鮮王室の王女から日本の宗家( 宗武志 )に嫁いだ徳恵翁主も亡くなっている( 4月21日 )。 


この記事の内容は、昨年のと同じ。
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2018年04月16日

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」4

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」3: ノエルかえる不恵留 





ベルナール「ああ、そういうことにはとても同情します。以前、同様の環境に居たことがありますから。苛立たせますからね。」
パートリッジ「ええ、本当に嫌なことです。朝起きてですね、何か食べ物をと思ったのに、自分のバン、シリアルを他の者たちがこっそり食べ、ミルクもオレンジジュースも全部飲んでいるのですから。それから、スタジオに入るのです。すると、彼らは大抵もう働いていました。それも、自分たちの食べ物をそこらじゅうに散らかしているのです。そこで言うわけですよ。「何奴が僕のココ・ポップスを全部喰ったんだ?」 それがまた、物笑いの種になるのです。( 拗ねた声で ) 「オッホー、あいつ、ココ・ポップスを無くしたんだってさあ、」 彼らは、自分たちが食料については無精で買いに行こうとしないと言う事実に、注意を向けると言うことを決してしようとしなかったのです。「やった、食べ物があるぞ! 食べてしまおう!」なんですよ。誰がそれを買ったかを考えもしないのです。 
 でも、それが若者が共同で暮らすと言うことなのですね。そうでしょう? 卵に「アンディの卵」と書かなければならないのです。( 笑う ) ハリーが、今、大学でそう言う状態になっていますよ。シェアハウスに住んでいるのですけれど、鉛筆で「ハリーの卵」と書いてます。」 
ベルナール「( 笑う ) そうした環境では、ルームメイトの見ている前で、食べ物全部を舐めておくのが良いです。」
パートリッジ「( 笑う ) 成る程! 鼻に指を突っ込んで、それを食べ物全部に擦り付けて置くのですね。」 
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2018年04月15日

きょうは

 今日は、『 Mummer 』とメシアン全集から『 Turangalîla 』『 Vingt Regards sur l'Enfant-Jésus 』、とビル・エヴァンス『 Waltz for Debby 』を聴いた。
posted by ノエルかえる at 20:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

HOW BIG THE SPACE

 パートリッジの4月11日付け、4月13日付けのTwitterのコメントに依れば、ソロアルバムのマスタリングは終わった様子。アートワークも出来ている様。ワーナー/チャペルからの配給になるのだと思うけれど。ビニール盤になるのか? 
 上は11日付けのコメントから、けれども、13日付けには、「 I'm fed up with being an orchestral arranger for today 」とある。これは、彼自身がオーケストラのアレンジをその日一日掛りでしていた、と言うことなのだろうけれど、ソロアルバムのマスタリングが終わっているとすれば、何の為のオーケストラ編曲なのだろう?  

 それから、13日付けでは、ブラーのグレアム・コクソンとの共作の話し。 
 それから、14日付けでは、スティーブン・ウィルソンさんのサラウンド・シリーズ、次の作品が進行していると書いている。それに、ウィルソンさんとの共作「 HOW BIG THE SPACE 」のことも、これ、レコード・ストア・デイの為にウィルソンさんがリリースした12インチビニール盤なのだけれど、未発表だった「 HOW BIG THE SPACE 」をレコードにしたものの様。入手出来るのかどうか??? 
'How Big The Space' exclusive release for Record Store Day 2018 - Steven Wilson 


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2018年04月14日

William Carlos Williams「 The Late Singer 」 訳

 ウイリアム・カーロス・ウイリアムスの「 The Late Singer 」 の訳。 

 1921年の詩集『 Sour Grapes 』の第一歌。 
元にしたのは、ウィキソースの: 
The Late Singer - Wikisource, the free online library 


Here it is spring again
and I still a young man!
I am late at my singing.
The sparrow with the black rain on his breast
has been at his cadenzas for two weeks past:
What is it that is dragging at my heart?
The grass by the back door
is stiff with sap.
The old maples are opening
their branches of brown and yellow moth-flowers.
A moon hangs in the blue
in the early afternoons over the marshes.
I am late at my singing.  




さあ、また春だ。 
それに、僕はまだ若者! 
歌いながら僕は、夜更かしする。 
胸に黒い雨滴を散らした様なウタスズメが、 
この二週間、ずっとこのカデンツァを歌っている。 
「 What is it that is dragging at my heart? /
わたしの心を探っている、これは何? 」
裏戸の側の草は生気に満ちて 
ピンと立つ。 
楓の老木が茶色の 
枝々を広げ、黄色のヤママユガが来る。 
午後もまだ早い時刻に、湿地帯の上の 
青い空に月が掛かっている。 
僕は夜遅くまで歌って過ごす。 




ウタスズメ:The sparrow with the black rain on his breast :
ウタスズメ - Wikipedia

黄色のヤママユガ yellow moth-flowers : 
Dryocampa rubicunda - Wikipedia  

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ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」3

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」2: ノエルかえる不恵留  




ベルナール「当時、皆さんはご一緒に暮らしていたのですか?」
パートリッジ「ええ。『 The Young Ones 』[ The Young Ones (TV series) - Wikipedia ]の様でしたよ。私たちは、… 」 
ベルナール「( 大笑いして ) 貴方はどのキャラクターですか? ヴィブですか?[ ヴィブは、精神病気質でパンク好きの医大生。赤毛でパンク風に髪を逆立てて尖らせている。額には星形の金属の鋲を四つ着けている。 ]」
パートリッジ「( 笑いながら ) ううん、多分違うと思うけど、、実際には、ネイルでしょう。いや、リックですね、きっとそうです。[ リックは典型的な一人っ子タイプ。社会学の学生。下手な詩を書いている。 ] 私はとんでもなく無作法で、己惚れていますから。テリーがヴィブだったと私は思うのですけれどね。( ヴィブの声を真似て ) 「とってもメタル!」、あるいは、バリー・アンドリュースがヴィブですね。コリンがネイルでしょう。( くすくす笑う ) [ ネイルは平和学を学んでいる。憂鬱症で平和主義者、草食主義のヒッピー。 ]」 
ベルナール「( まだ笑いながら ) それで、彼はやっぱり他のメンバーに髪を切られるのですね、」
パートリッジ「( 夢中になって ) いやあ、本当そう。 
 ああ、厄介なアルバムでした。アルバム全体が面倒を抱えていました。バリーが抜けようとしていましたからね。発表当時でもそれが分かりますよね。バリーは大量の歌を持ち込んで来たのです。コリンと私は、全く困惑しましたよ、彼がバンドをハイジャックするのではと思ったのです。彼の歌は、まるで違う方向を採っていました。私はです、私たち XTC は前作『 White Music 』と連続性のあるアルバムを創らなければならない、突然に90°回ってはいけないし何所か別の方へ方向転換してはいけない、と堅く信じていました。「これではこの二年を費やして獲得した聴衆を失ってしまう。」と思ったのです。 
 それで、相当の緊張関係でした。発火しかけていたのです。でも、私とバリーの間では、底意地の悪い態度に留まっていたのです。お分かりになるでしょうかね。例えば、バリーがキーボードか何かをオーバー・ダヴィングしている時には、彼は本当に私をスタジオから閉め出したのです。( 笑う ) 彼は、私は曲に何を望んでいるかと言うことを彼に対して私が説明するのを望んではいませんでした。彼は、自分が望むままに弾きたかったのです。」 
ベルナール「アルバムを一緒に出した、と言うのは既知の事実です。貴方たちは話し合いを持たれたのですか? 矛を収めたのですか?」
パートリッジ「ああ、矛は埋めましたよ。でも、それをまた掘り出して、「おい、このへんてこな古い遺骸を見ろよ!」と言う様な類いではないですよ。そんなことはしてはいけませんよ、と言うのはですね、引き上げるとまだ悪臭を放ちますからね。正直に言ってそうですよ。( 笑う ) 
 まあね、私たちは部屋を借りて一緒に暮らしていました、セント・ジョンズ・ウッド St. John's Wood [ St John's Wood - Wikipedia] にです。綺麗な家でした。多分、今では百万ポンドはするでしょう。[ インタビューが行われた2007年当時のレートだと、2億3000万くらい。最近のロンドンは地価がとても上がっているからもっとかもしれない。 ] ( 元のマネージャーの )イアン・リードがどうやって借りることが出来たのか、私には分かりません。私たちは地階に住んでいました。豪華で本当に美しい家でした。それぞれに寝室があって、共同のキッチンがありました。それに、共同のラウンジ室、それに調度品。でも、直ぐにごみ箱になってしまいましたよ。何所にでも、ビールの空き缶があるのです。『 The Young Ones 』のセットそのままでした。食料を買い込んで来るのは、私ただ一人でした。他の者たちは、それを盗むのです。」 
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2018年04月12日

ユーリーズナイト

 今日は、ユーリーズナイト。 Юрьева ночь
だから、『ゴンワーズ』。
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The Carpenters 「 Super Star 」訳

 頭の中で、カーペンターズの「ろおおんがごおお、あど、そふぁらうええ」と言うのが繰り返されて、なんだったかしら、と思い出せないし、こう言うのはインターネット検索で簡単に出るからと検索してみたら、「スーパースター」で、曲はレオン・ラッセルで歌詞はボニー・ブラムレットということで、元は「グルーピー」と言うことで、カーペンターズが歌うので、リチャード・カーペンターが歌詞を一箇所「sleep」を「be」に変えたそうで、

 それで、もう少し変えた方が良いかなあ、と思って。「 before the second show 」だと、幕間の休憩時間に・・という感じだから。 
 アメリカの女性が、故郷を離れ都会に住んでいたのだけれど、恋人か夫と別れて独りになった時に、少女の頃に夢中になったイギリスから来たアイドルを思い出し、アイドルと恋人を重ねながら悲しむと言う感じが良いかなあ、と思って。 

元にしたのは、Googleの検索   


ずっと昔ね、それも、遠い故郷でのことね、わたしは 
貴方の虜になったわ、それは二度目のワールド・ツアーの前のこと。 
貴方のギター、今でも聴こえる、とても感傷的ね、そう、はっきりと聴こえるわ。 
でも、現実にはいないのよ、貴方は、ラジオなの。 

覚えている? 「 I love you, Baby 」って言ったの、貴方がわたしに言ったのよ。 
「 I'll be coming back this way again 」って言ったのよ、貴方。 
「 Baby, baby, baby, baby, oh baby 」って歌ったの、 
「 I love you, I realy do 」って言ったのよ。

ずっと一人でいるって、とっても辛いことね、わたしは  
貴方と一緒にいるのを待つなんて、もう出来そうにないの。 
何と唱えたら、貴方を呼び戻せるのか知ら? 
貴方に戻って来て欲しいの、もう一度、哀愁のギターを聴かせて欲しいの。  



追記、訂正: 
第1ヴァースは、Long ago...、第2ヴァースは、Loneliness... と頭韻を踏んでいるので、 
第2ヴァースの一行目、一人でいるって、とっても辛いことね、 を
→ 
ずっと一人でいるって、とっても辛いことね、わたしは  に訂正。 

追追記、訂正: 
コーラス部分、
Don't you remember, you told me 「you loved me baby?」
You said 「 you'd be coming back this way again baby 」
Baby, baby, baby, baby, oh baby
I love you, I really do  
「」の部分だけを、歌の歌詞の様に訳していたけれど、 
その後の「 Baby, baby, baby, baby, oh baby 」「 I love you, I really do 」もそうだと思うので、訂正。 
貴方、貴方、貴方、、、貴方、 
わたしは愛しているの、本当よ。 
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2018年04月11日

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」2

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」1: ノエルかえる不恵留


ベルナール「ちょうどその頃、トーキング・ヘッズと一緒にライブ・ツアーをしていたのですか?」
パートリッジ「ううん( 少し考える )…、そうです。」
ベルナール「そうですか、共通の関係があったのですね。イーノさんは、もうトーキング・ヘッズのプロデュースをしていたのですか?」
パートリッジ「いえ。まだです。ですが、イーノは、「 King's Lead Hat 」と言う歌を書いてました。あれは、トーキング・ヘッズ Talking Heads のアナグラムなのです。彼らを賞讃する歌なのは明らかです。 
 私たちはヴァージン社のサイモン・ドレイパーの事務所で会合を持ちました。彼は、とても穏やかにこう言いましたよ。「そうですね。本心、貴方たちは自分たちだけで十分なアイデアを持っていると私は思いますよ。おそらくは、貴方たちに私は必要ないでしょう。」 座ったままで、製作には関係しない様に自分自身を説得してる様でした。会合の終りには、「成る程ね、多分彼の言う通りなのだろう、自分たち自身で十分なアイデアをもう持っているんだろう、ジョンにエンジニアリングの席に着いてもらうことになるのだろう」と私たちは思っていました。」 
[ イーノがプロデュースした『 More Songs About Building and Food 』は、1978年3月から4月に製作。『 Go 2 』は同年8月から9月に製作。ミーティングがあったのは、2月の終り頃か? ]
ベルナール「そうですか。クレジットには、レッキーさんはプロデュースとあります。彼の役割には、エンジニア以上のものがあったのですか?」
パートリッジ「ええ。事情が込み入っているのですね。と言うのはですね、私たちバンドがプロデューサーを持つ時にはです、私個人は、彼らをプロデューサーであると考えてないのです。各プロデューサー、それぞれの事情があることは私も分かってはいるのですが、私は、プロデューサー/エンジニアよりも、エンジニア/プロデューサーを選ぶ傾向にあるのです。私が言っている事がお分かりになるか知ら。理由はですね、私たちは莫大な量の楽想を持っていますし、レコードがどう完成して欲しいか、凡そは分かっているからなのです。私については、確かにそうなのです。コリンの場合は、私程確かではないですね。彼は、スタジオでもっと試して見ることが好きでしたから。予め分かっていなかった何か素晴らしいものを、スタジオの試行で探そうとするのです。私は、スタジオに入った時には、もう出来上がっているのです。それで、ジョンは、エンジニア/プロデューサー派でした。試行をするのにはうってつけの人物だったのです。どんな思い付きでも彼に投げつけて構わないのです、それがどんなに常軌を逸したものでもです。彼は、「うん、やってみよう」と言うのですから。 
 でもそれが、このアルバムを事情が込み入ったものにしてしまいました。バリーと私が酷い口論をしていましたからね。私たちは党派争いに陥っていました。」 
posted by ノエルかえる at 09:00| Comment(0) | Go 2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月10日

ベルナール、パートリッジ対談「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」1

 トッド・バーンハートさんのアンディ・パートリッジへのインタビュー、「 Battery Brides (Andy Paints Brian) 」について。 

 元は、2007年4月22日に、MySpace に公開されたもの。今は、チョークヒルのアーカイブに保存。 
Chalkhills: XTCFans: Andy's Take: "Battery Brides"  

 Todd Bernhardt 、読み方は、トッド・バーンハートなのだけれど、「ベルナール」と記していたので、そのまま。


ベルナール「30年ほど前のことを思い出して頂いて、「 Battery Brides 」の事を話して下さい。この歌に関して伺いたいのは、正規版以後のライブの版なのですが、と言うのも…」
パートリッジ「ああ、ライブ版の方が良いと、私は思いますよ。」 
ベルナール「私もそう思います。この歌を創り上げようとしてた時よりも、楽想がしっかりとしているからです。」
パートリッジ「そうですね。デイブと一緒にステージで演奏する様になった時に至るまで、この歌は、まだ、成長を続けていたのです。この歌が、私がこう成って欲しいと言う形にはまだ至ってなかったのです。ですけれど、『 Go 2 』録音の時には、この歌が出来たばかりの歌でしたから。この歌を十分に発展させる時間が本当になかったのです。」
ベルナール「そうなのですか。私は、スタジオ用に簡潔にしたのだ、と思っていました。プロデューサーのジョン・レッキーさんが、曲を短くして焦点を絞ったのだとばかり思ってました。」
パートリッジ「いいえ。出来上がったばかりだったのです。出来て直ぐですから、音の高さもちゃんと決められてなかったのです。調性が私にとっては、中間に当たっていたのです。ですから、もっと高い音、甲高い大きな声で歌うか、それとも、低い声にするか、どちらかにするべきだったのです。」
ベルナール「それで、ヴォーカル部のメロディーを1オクターブ内に収めることに決めたのは、どういう理由からなのですか?」 
[ ここの質問の文、原文は、「 So that's why you decided to do the vocals in octaves? 」 ]  
[ A♭とCの間の6音だけを使っている。 ]
パートリッジ「ああ、この歌は素早く書いたのです。レコーディングの直前でした。アルバム用の曲を書くのに二週間しかなかったのですよ。テープの速度を少し遅くしたのだったと覚えているのですが、多分そうだと思います。それで、私は音程を上手く取れたのです。私にとっては、歌い難い音程だったのです。高い一音が大きな声で出せなかったのです。それで、「それなら、静かな発声にしよう」と思ったのです。そうすると、その歌い方は、ブライアン・イーノがしている彼の最高のシド・バレット風の声を思い起こさせたのです。それが、副題が「 Andy Paints Brian 」になった理由なのです。まあ、イギリス独特の低くて深い声が良いな、とちょっと認めたと言う分けですかね。それから、「 Andy paints ・・ 」と言う言い方、アンディ・ウォホールが何かを描く、と言う言い方に似ているでしょう。それで、「 Andy Paints Brian 」と言うのが、ちょっと面白かったのです。」
ベルナール「ブライアン・イーノさんにプロデュースを頼もうとしたのは、何か、特別の理由があったのですか?」
パートリッジ「ええ。彼にアルバムをプロデュースして貰えないかと依頼はしました。私たちのステージを見に何度か来られていましたから。私は彼を見ていません。ステージでは、私は眼鏡を掛けませんから、それに、客席は暗いですから見分けられないのです。また、彼は楽屋にはいらっしゃることはありませんでした。私は、後になって、彼がステージを見に来たと知ったのです。最近見た中で、一緒に演奏してみたいと思った、唯一のバンドだ、と彼は言って、私たちを嬉しがらせていました。「ああ、嬉しいなあ、」と思ったのです。ロキシー・ミュージックは、初期に於いては素晴らしいアイデアを持っていたバンドですからね。 
 ジョンは良い仕事をしてました。ジョン・レッキーです。でも、「もし、ブライアン・イーノがしたらどうなる?」と思ったのです。『 Go 2 』にはロキシー性と同系のものがありますからね、彼がそれをどうしただろうかと思うのです。それに実際、『 Before and After Science 』は傑作ですからね。」
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2018年04月08日

Dreams And Their Meaning

 スウィンドンにある、リチャード・ジェフリーズ博物館で、『 Dreams And Their Meaning 』と題名を付けられた展覧会が催されているそう。
 眠っていてみた夢を描いた芸術作品を集めて展示していると言うこと。 
 主催者は、Alexandra Moulding アレクサンドラ・モールディング。多分、コリン・モールディングの子息リー・モールディングの夫人。 

Dreams And Their Meaning | Swindon Viewpoint 

 リチャード・ジェフリーズ博物館のホームページでは、案内がないのだけど、 
Richard Jefferies Museum  


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2018年04月07日

Cecil Taylor

 セシル・テイラーの訃報。4月5日死去、享年89。
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2018年04月06日

The Dark Side of the Moon / Now & Then

 『 The Dark Side of the Moon 』と『 Now & Then 』は、ほとんど同じ頃にリリースだったんだ。
1973年、『 The Dark Side of the Moon 』は3月1日、『 Now & Then 』は5月1日。 
 双方とも、方やアビーロード・スタジオ、方やA&M スタジオの最新設備を使ったのだろうから。『 The Dark Side of the Moon 』は、レコーディング期間が1972年6月から73年1月まで、とクレジットがあるけれど、『 Now & Then 』の方は詳しくは分からない、1972年から73年と言うことだけど。 
 音の感触と言うことでは、似たところがあるかも。
posted by ノエルかえる at 21:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月03日

About DIY 4-Track EP

 下のブログに掲載されていた、EP『 Great Aspirations 』の各曲についてのコリン・モールディングのコメント。このインタビューがこの記事の筆者がしたものか、いくつかのラジオか何かのものを纏めたものなのかは分からない。 
MAKING PLANS - XTC's Colin Moulding And Terry Chambers Ponder Live Shows After DIY 4-Track EP - An Ideal For Living 
公開の日付は、2018年3月2日。 


 「 Kenny 」、このEPでは唯一ギターを使って作曲された歌であるけれど、この歌は、運動場を失うことになったアカデミー・スクールを指弾するものである。 
 「私は学校の管理人の息子でした、それですから、大きな運動場を自由に使っていたのです、それに、その運動場こそが私の想像力を養ってくれたのです。」とモールディングは明かす。「現代の幼い子供たちの問題は彼らが何かの課題に熱中することがないと言うことだと私は思うのです。子供たちは通りの角でぼんやり待っているだけなのです。」 

 モールディングは、子供たちの親たちが地区の学校が上級の学園[ アカデミー ]になると言う案に惑わされているが、実はまやかしの目論見書を売り付けられようとしているのだ、と主張している。 

 「人々は、もっと大きなもっと良質なものを得るべきだと考えていますけれど。とは言っても、アカデミーは、学校のひとつなのです。運動場がなくなれば、学校と言うものの美しさのすべて、それに、子供たちを育む雰囲気と言うものが無くなるのです。私は、それはあまりに均衡を欠いた取り引きだと思います。」 

 モールディングは、この歌はフィリップ・ラーキンの詩「 The Whitsun Wedding 」に触発されたと言っている。 

 「誰かがクリケットをしに遣って来る行がありますよね。列車から運動場が見えるのです。列車から、と言うことが詩の行を引き起こしているのです。私は、列車の動きに似たこのギターのリフを思い付きました。一つのことが次のことを導き連れて来るのです。― 思考の鎖ですね。」 


 「 Comrades of Pop 」も同様に若者のことを念頭に書かれているのだけれど、それは全く違った視点からのものである。 
 パートリッジへの当て付けだと誤解している者もいるのだが、モールディングは、若いバンドへレコード・ビジネスの危険を警告しているのだ、と言っている。 

 「私はキャリアの終りに差し掛かっています。それで、音楽産業に入ろうとしている若いポップ人たち全員に緊急に連絡を取って、決してしてはならないことは守銭奴とは関わり合いになると言うことだ、と言いたいのです。そうでないと、守銭奴たちは若い彼らを惨めな状態にしますから。」と、モールディングは沁み沁みと言う。 

 「君たちの味方だと言う人たちは、必ずしも味方ではないのです。レコード会社を考えて見ると、支払いの係が複雑でどうなっているのか分からない場合は特にそうなのです。」 

 レコード会社はバンドがレコードを作り続ける為には何でもする、バンドの負債を消す為に金を貸し付けることまでもする、とモールディングは強調します。 

 けれども、裏面を見れば、負債はレコード会社に移動しただけだとすぐに分かる。そうして、低いロイヤリティーで良いと言う、厳格な履行の権利を得るのだ。 

 「それが私たちに本当に起こったのです。」とモールディングは悲痛に言う。 
 「私たちは前のマネージャーとの裁判にお金が要ったのです、それで、ヴァージン社がそのお金を出していたのです。会社だけが弁護士費用を出すことが出来たものですから。 
 私たちは、会社は本当に私たちの味方なのだろうかと疑い始めたのです。と言うのも、巨額な請求書が私たちの元に届き続けたからです。訴訟が片付く様には全く見えなかったのです。十分に注意深くなくてはなりません。」 

 モールディングは、元マネージャー、イアン・リードとの裁判から生じた思わぬ結果にも触れる。結局は、バンドは仕事道具を置いてストライキをすることになったのだ。ストライキに依って、自分たち自身をヴァージン・レコード社の契約から解放しようとしたのだ。 

 リードとの裁判に資金を提供する見返りに、ヴァージン社は、バンドのレコードの売り上げから相当のロイヤリティーを得たのだ。XTC はヴァージンに約3,000万ポンドの利益を齎している筈だと見積もっているのにも関わらず、利益を得るのに汲々としていたのだ。[ 1992年当時のレートは、1ポンド240円くらいなので、72億円と言うことか?] 

 最後の一撃は1992年に起こった。横暴にも、シングル「 Wrapped In Grey 」をヴァージン社は早急に取り止めてしまったのだ。パートリッジは、柩の中で息を止めさせらられ様としている赤ん坊に喩えている。バンドは六年の間仕事から手を退き、結局は、ヴァージン社は契約を終了させた。 

 「 Greatness 」の中で、モールディングは、彼が感嘆している偉大な才人たちに讃辞を贈っている。それには、ポール・マッカートニー、アレフレッド・ヒッチコック、スティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ガーシュインがいる。 

 しかしながら、そこには驚く様な結末が待っている。彼は、今では「切望する」と言うのは旧弊と看做され「苦境を藻掻きながら進みたくはない」と公言する様になっている、と嘆いている。 

 中心部では、歌は平凡さを論評することへ変わっている。偉大さへ向けて懸命に努力することをしないことへの論評だ。 

 モールディンは言う、「現代は誰もが何らかの賞讃を得ると言う世界なのです。二三度の強烈な批判があっても傷つくことはないと思います。それは、偉業を成し遂げるのに向けて、人を鍛え上げるのです。」 

 もしも音楽に合いさえすれば、歌詞にもっと多くの人たちを入れることが出来ただろうと、明かしている。 

 「私は多分もう百の名前を挙げることも出来たでしょう。ですが、それは韻律に合わないのです。例えば、デヴィッド・リーン David Lean も入れたかったのです。でも、それもぴったりと来ませんでした。」 

 「聴かれた方は、第2ヴァースにアメリカ人、第1ヴァースにはイギリス人が挙げられているのに気が付くでしょう。[ 第1ヴァース: チャーチル、ヒッチコック。第2ヴァース: スピルバーグ、ガーシュイン。 ] 」と言って、モールディングは笑う。「バランスを取った方がいいだろうと考えたのです。と言うのはつまり、私でさえ、書いている時には商業的な配慮があると言うことですね。」 

 インタビュアーである私は、モールディング氏に現在の音楽シーンで活躍する[ 若い ]人の中で彼が讃辞を贈るのは誰かと尋ねる機会を得ることが出来たのだが、彼は、一時、言葉を失った。 

 「先日、やはりこのことについて私に尋ねた方がありました。ですが、私が本当に強い印象を受けたと言えるレコードは一枚もないのです。」 また、彼は次の様に説明する。「何か良いものがあるとすれば、それは、音楽産業の周辺部にあるのが常ですよ。」 

 暫く黙った後、モールディングは、[ 彼自身が参加している ] 2016年のアリソン・セコンズ Allyson Seconds のアルバム『 Little World 』を挙げた後、1988年のラーズ The La's のアルバムを思い付く。 
[ Allyson Seconds − Little World : https://www.youtube.com/watch?v=-6CAJPx30FQ ]

 また一方で、モールディングは、エド・シーラン Ed Sheeran やアデル Adele の様なヒットチャートの常連たちには関心を持っていない。 

 「この歌は、全体的に、そんなに真剣に受け取るものはありませんよ。縁者のことをビールで酔いながらみっともなく泣いて偲んでいるというものです。私の嗜好から言えば、不安( キルケゴール用語の ) と悲嘆がこの歌には多過ぎます。私は、楽観が好きなのです。それが死についての歌であっても、楽観を入れた方が好きですね。」 

 「 Scatter me 」が私たちを首尾よく連れて行く所は他でもない、彼が直面している彼自身の限られた命なのだ。 
 ( ビデオを参照のこと: https://www.youtube.com/watch?v=Zkh_0ejs12Y ) 

 モールディングは、この歌はウォンテージとスウィンドンの間の草丘を歩いていて思い付いたのだと言う。彼は日課の様にその草丘に沿って歩いていると言う。 

 「歩いていて、小さな祠の側を通り過ぎたり、あるいは、地面にめり込んだ小さな十字架の側を通ることがありますよね。直ぐ側には、花や写真が添えられています。すると、ここには誰かの遺灰が撒かれたのだろうな、と思うでしょう。」とモールディングは説明する。 

 「マッギネス・フリント McGuinness Flint の「 When I'm Dead and Gone 」と言う歌もありますよね、その歌詞には、「 you want to leave some happy woman living on 」とあります。[ When I'm Dead and Gone - Wikipedia ] 昔、私はそれが素晴らしい感情だと思っていました、その感情が私に留まっていたのです。それが、最終的に私の歌の一つになったとしても、驚くことはありません。」  
posted by ノエルかえる at 10:00| Comment(0) | Great Aspirations | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

XTC 最後のライブ記念日

 1982年4月3日、XTC はアメリカ・サンディアゴの California Theatre で最後のステージ。今日は記念日。36年前。 
 Pat Mastelotto さんは、次の日のチケットを買っていた為、ライブを見逃す。
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2018年04月02日

Easter Theatre 記念日

 1999年4月2日、XTC はシングル「 Easter Theatre 」をリリース、今日は記念日。19年前。
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2018年04月01日

Philip Larkin 「 The Whitsun Weddings 」訳

 フィリップ・ラーキンの「 The Whitsun Weddings 」の訳 
「聖霊降臨節の婚礼」  

元にしたのは、Poetry Foundationの : 
The Whitsun Weddings by Philip Larkin | Poetry Foundation 





あの年の聖霊降臨節、僕は遅くなって出掛けようとしていた、 
それでも、 
一時二十分にはまだだった、土曜日で陽光がいっぱいだった、 
四分の三が空席の僕が乗り込んだ車輛が押し出された、 
上げ下げ窓は全部が卸されて、座席は全部が温かく、 
急かされる気がしてたのはまるっきりなくなった。僕たちは、 
走り抜ける、家並の裏手、横切る、とある大通りが 
車窓を暗くする、匂いを嗅ぐ、魚の様な蓼の様な、そうして、 
川が視界に拡がる、一様でゆっくり動いている、 
そこで、空とリンカーンシャーと水が出会う。 

午後の間中は何マイルかの内陸、思いのほかの暑気で 
しびれた、 
一度速度をずっと抑えたカーブがあったけれど、僕たちは南に向いたまま。 
広い農場が過ぎた、影の短い牛がいた、それから、 
運河も過ぎた、工場から出た泡が漂っていた。 
一棟だけ離れた温室が閃いた。生け垣が見えなくなって 
また視界に現れた。時々、草の薫りがして、 
ボタンで留められた座席シーツの嫌な匂いと代わった。 
そうして次の町、新開の別段特筆することもない町が、 
近づいて来た、と、大量の解体された車も見えて来た。 

最初は、その騒々しさが何なのか、僕には分からなかった。 
それは、僕たちが止まる各駅ごとに起こるのだけれど、 
結婚式の騒ぎだったのだ。陽光が 
屋内で行われてこその感興を台無しにしているし、 
長くて冷たいプラットフォームは叫び声や笛の音を小さくしている。 
僕は、駅のポーターが郵便配達員とふざけているのだと思っていた。 
それで、読書を続けていた。ところが、列車が動き出すと、 
少女たちの前を通り過ぎたのだ。ポマードで固めた髪、 
最新のファッションを真似たヒールにベール、みんなもじもじして、 
それでもにこにこして、私たちの乗っている列車を見詰めていた。 

少女たちは手を振り続けていたけれど、 
それはまるで、 
終わったことをそうしてまだ続かせている様だった。 感激した僕は、 
次の駅では、もっと素早く首を覗かせて、もっと興味を持って 
今度はすべてを見た。それも違った側面から。 
父親たちがいる、スーツを着て太いベルトを締め、 
そうして額には深い皺がある。 母親たち、騒々しくて太っている。 
一人のおじさんが卑猥な語を叫んでいる。あとは、 
パーマをかけた、ナイロンの手袋を当てた、模造ジュエリーを着けた少女たち、 
そのレモン色、モーブ色、金オレンジ色は、 

他の者たちから少女たちを際立たせている。 
そう、カフェから始まって、 
中庭奥の宴会ホール、それから万国旗で飾られたバスの 
団体客用別館と続いた、結婚式の日々は 
終りを迎えようとしていた。ホームの至る所で 
新婚夫婦が乗り込んだ。残った者たちはあたりに立っている。 
最後の紙吹雪と忠告が投げられて、 
僕たちの列車が動き出して初めて、人々の顔には 
今こそ出発なのだと気が付いた表情が見えた。子供たちは 
列車が遅いのに不機嫌だった。父親たちは、 

これ程に上手くいったこと、全体に茶番劇的なことを覚えてはいない。 
女たちは秘密を結んでいる、 
好都合な葬儀と同様に。 
少女たちと言えば、その間も、ハンドバックを握りしめて、きつく、 
一人の修道士を見詰めている、こっそりと。到頭、 
人々が離れて、その人々が見送っていた者たち全部が乗り込んで、 
僕たちの列車はロンドンへと疾駆した、蒸気の塊をあちらこちらに振りながら。 
到頭、田園は細かく区割りされ建物で一杯の土地になり、 
道はポプラ並木が長い影を落とすのに十分な幹線道路になった、そうして、 
五十分も経てば、 

帽子も席に落ち着いて、「恥ずかしくって死ぬかと思った」 
と言うのには十分だった。 
十二組の結婚生活が始まった。 
ぴったりと脇を合わせて座り、新婚夫婦たちは、風景をながめていた。 
― 何所かのオデオンを過ぎた、冷却塔を過ぎた、 
助走してクリケットの投球をする人を過ぎた、それでも、 
実際に会うことはない他人たちについて考えることはなかったし、 
この一時間に自分たちの人生が丸ごと入っていると思い至ることもなかった。 
僕は、陽光の下に拡がるロンドンのことを思った、 
小麦畑の様に真四角になった郵便区画で整えられた町を思い描いていた。 

もう、僕たちの列車は到着するところだった。光るレールの継目を 
踏み列車は、疾走して行った。 
停車している個室寝台車を通り越すと、苔で黒ずんだ壁が 
近づいて来て、もうほとんど到着、この 
一期一会の相客との旅は終わる。すると、抑えられていたものが 
跳ね立って打ちまけられるだろう、 
変換されつつある力が、それに丸ごと加えられるからだ。
僕たちの列車はまた速度を緩めた、きついブレーキがしっかり掛かると、 
何か降っていると言う感覚が身中に拡がった。まるで、強いけれど短時間の俄雨が、 
何所か見えない所に行って、一日中の雨になった様に思えた。  




That Whitsun, I was late getting away:

Not till about

One-twenty on the sunlit Saturday

Did my three-quarters-empty train pull out,

All windows down, all cushions hot, all sense

Of being in a hurry gone. We ran

Behind the backs of houses, crossed a street

Of blinding windscreens, smelt the fish-dock; thence

The river's level drifting breadth began,

Where sky and Lincolnshire and water meet.

All afternoon, through the tall heat that slept

For miles inland,

A slow and stopping curve southwards we kept.

Wide farms went by, short-shadowed cattle, and

Canals with floatings of industrial froth;

A hothouse flashed uniquely: hedges dipped

And rose: and now and then a smell of grass

Displaced the reek of buttoned carriage-cloth

Until the next town, new and nondescript,

Approached with acres of dismantled cars.

At first, I didn't notice what a noise

The weddings made

Each station that we stopped at: sun destroys

The interest of what's happening in the shade,

And down the long cool platforms whoops and skirls

I took for porters larking with the mails,

And went on reading. Once we started, though,

We passed them, grinning and pomaded, girls

In parodies of fashion, heels and veils,

All posed irresolutely, watching us go,

As if out on the end of an event

Waving goodbye

To something that survived it. Struck, I leant

More promptly out next time, more curiously,

And saw it all again in different terms:

The fathers with broad belts under their suits

And seamy foreheads; mothers loud and fat;

An uncle shouting smut; and then the perms,

The nylon gloves and jewellery-substitutes,

The lemons, mauves, and olive-ochres that

Marked off the girls unreally from the rest.

Yes, from cafes

And banquet-halls up yards, and bunting-dressed

Coach-party annexes, the wedding-days

Were coming to an end. All down the line

Fresh couples climbed aboard: the rest stood round;

The last confetti and advice were thrown,

And, as we moved, each face seemed to define

Just what it saw departing: children frowned

At something dull; fathers had never known

Success so huge and wholly farcical;

The women shared

The secret like a happy funeral;

While girls, gripping their handbags tighter, stared

At a religious wounding. Free at last,

And loaded with the sum of all they saw,

We hurried towards London, shuffling gouts of steam.

Now fields were building-plots and poplars cast

Long shadows over major roads, and for

Some fifty minutes, that in time would seem

Just long enough to settle hats and say

I nearly died,
A dozen marriages got under way.

They watched the landscape, sitting side by side

- An Odeon went past, a cooling tower,

And someone running up to bowl - and none

Thought of the others they would never meet

Or how their lives would all contain this hour.

I thought of London spread out in the sun,

Its postal districts packed like squares of wheat:

There we were aimed. And as we raced across

Bright knots of rail

Past standing Pullmans, walls of blackened moss

Came close, and it was nearly done, this frail

Travelling coincidence; and what it held

Stood ready to be loosed with all the power

That being changed can give. We slowed again,

And as the tightened brakes took hold, there swelled

A sense of falling, like an arrow-shower

Sent out of sight, somewhere becoming rain.

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のんさっち宮殿の成層耳公爵

 4月1日は、The Dukes of Stratosphear の最初のEP『 25 O'Clock 』がリリースされた日であり、XTC の『 Nonsuch 』が日本で先行発売された日。 
 『 25 O'Clock 』は1985年4月1日に、『 Nonsuch 』は1992年4月1日にリリース。 
 今日は記念日。 

 『 Nonsuch 』のイギリスでのリリースは、4月27日。

 1985年には、ブッチ・モリス Butch Morris の『 Current Trends In Racism 』がリリースされている。( 1986年かも? ) 
 このアルバムのセッションには、ブランドン・ロスもジョン・ゾーンも参加している。 
Butch Morris - Current Trends In Racism In Modern America (Vinyl, LP, Album) at Discogs  

 1992年には、フィリップ・グラスが交響曲第一番を作曲。 

posted by ノエルかえる at 01:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする