2019年04月30日

パートリッジのtweet:7:23 - 2019年4月29日

https://twitter.com/xtcfans/status/1122868975078191105 
「 Stuck in waiting on a phone call from a doctor's surgery. I hate just 'twiddling'. No, I don't own a mobile, i'm old school.
Still, finished up a song lyric that has been bugging me for years. 」 
診療所からの一本の電話の知らせを待っていてどこにも出られない。私は「親指ツツツ」は嫌いだ。携帯は持っていない。守旧派なのだ。だが、その間に歌詞を一つ仕上げた。何年も盗聴されていると言うものだ。 


 ソロ・アルバムは完成されているのか? これから製作なのか??? 



追記: 
まあでも、深刻な病状だったら、出先で、それも側に他人がいる様な状況ではなくて、自宅で、ショックで倒れてもいい様に椅子に座って電話を受けた方がいいかも。
posted by ノエルかえる at 13:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年版『 Black Sea 』ノート:アンディー・パートリッジ 2 Work Under Pressure

 2017年版『 Black Sea 』に付けられたノート。アンディー・パートリッジのもの:  
その2、「 WORK UNDER PRESSURE」 





 アルバムには、最初、ちょっと失敗があったんだよ。ヒュー・パジャムがいなくて、ドラムの「おうち」のタウンハウスも使えなかったの。プロデューサーのスティーブ・リリーホワイトとだけと作業を始めなければならなかったの、それも、ふるいフィリップス/フォノグラムのスタジオでだよ。スタジオはロンドンのマーブル・アーチの近くにあったよ。 
 ぼくたちは、そこでほとんどライブで演奏したんだ。スティーブのためにだよ。曲とどう取り組めばいいのか、スティーブに自分の考えをまとめてもらったの。ぜんぶ通してやったんだ。「 Towers of London 」は完成されてレコーディングもしたんだ、でも、いきいきとしてないと言うので、捨てられてしまったの。それから、「 Cuba 」「 Ban the Bomb 」「 Smokeless 」「 Sgt. Rock 」もマルチトラック形式で録音したよ。でも、なにかがちゃんとしてなかったんだよ、ええと…、うすっぺらでからからに聴こえたんだ。 
 そうしてから、ヒュー・パジャムが来てタウンハウスが使える様になったんだ。それで、ぼくらは、にこにこしながら移って、最初から始めたの。パチン、バン、ポン、アア! ずっとよかったよ。 
 ぼくは、そのころね、ヴィクトリア朝時代のロンドンをこしらえた人たちのことを本で読んでいたの。「 Navvies 人夫 」って言うんだよ。Navigational Engineers [ 運河工夫の意味 ]を短く言ったものなの。それでね、そのことの歌も一曲書いていたの。「 Towers of London 」だよ。ぼくは、そんな田舎もんたちとアイルランドの赤貧から逃げ出してきた人たちの困難と奮闘に興味しんしんだったの。その人たちが、今のぼくたちの大都市を築き上げ、地下を掘っていったんだよ。ぼくは、潜水夫が、その人たちにぴったりのシンボルだと考えたの。橋やトンネルの工事に潜水夫は活躍したからね。それでね、その人たちの仕事って、文字通り「 Work under pressure 圧力の下で働く 」だもの。そう言うことなの。それでアルバムのタイトルにしたの。 
 スウィンドン在住の絵を描く人、ケン・ホワイトさんに連絡をしたの。ケン・ホワイトさんは、ビートルズの歌詞集のイラストを描いた人で、タウンハウスの外壁にトロンプ・ルイユ/だまし絵を描いた人だよ。ぼくたちが潜水服を着てその前に立つのに合う様に、背景幕を作ってくれる様にお願いしたんだ。陰気なヴィクトリア朝時代の人夫の一団のポートレイトだよ。アルバムのカバーにしようと思っていたの。  



posted by ノエルかえる at 10:00| Comment(0) | Black Sea | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月29日

The Beatles 「 I'm Only Sleeping / I’m So Tired / I’ve Got A Feeling 」訳

 ビートルズのジョン・レノンの歌、「I'm Only Sleeping 」「 I’m So Tired 」を一つにして、それに「 I’ve Got A Feeling 」のレノンの部分を加えて訳してみました。( 最後に、マッカートニーの「 I’ve Got A Feelin 」と言う行だけは付けてます。 )

元にしたのは、ビートルズのホームページの Songs:
I'm Only Sleeping | The Beatles
I'm So Tired | The Beatles
I've Got A Feeling | The Beatles





誰もに辛い一年があった、
誰もに嬉い一時があった。 
誰もが枕を濡らして寝たことがあった、 
誰もが輝く陽を顔に浴たことがあった。 
 

目を覚ますと、まだ朝早くて、 
ぼくは、頭を上げたけど、口は大きく開いたまま。 
夢の真っ只中、まだ途中で、 
ぼくが、潜り込んだベッドは、夢のせせらぎへ浮かび上がる、 
だから、おこさないで、ぼくを揺さぶらないで、 
そのままにしておいて、ぼくは寝てるだけだから。 

疲れている、私はずっと、瞬きする間も寝てないのだ、
疲れている、私の精神は、明滅状態になっているのだ。
どうだろう、立ち上がって、自分で飲み物を用意した方が良いのだろうか。
出来ない、とても出来ない。
疲れている、自分が何をすれば良いか、私はまるで分からない。
疲れている、私は全神経を君に向けているからだ。
どうだろう、君を呼べば良かったのだろうか、でも、
君がいつも何をするかは分かってるから。 


誰にも良い一年があった、 
誰にも髪が抜ける思いの時があった。 
誰もが緒を締めて勇み出た時があった。 
誰もが地団駄を踏んだ時があった。 


ぼくはなまけもの、とみんなは思っているみたい。 
ぼくはそれでいいんだ、みんなが可笑しい、とぼくは思うから、 
どこでもあんなスピードで走り回ってるなんて、 
いつか、そんな急がなくて良かった、と気づくよ、 
だから、ぼくの大事な一日を駄目にしないで、ぼくは夢の空なんだ、 
そんなこと言わなくても、ただ、ぼくは寝てるだけだから。 

世間が活動しているのを窓から目に留めて、 
よこたわって天井を見つめてね、眠くなるのを 
時間をかけて、ぼくは待つんだ。  

私は君に大袈裟に言っていると、君は言うが、 
私は至って真面目だ、この事態は私を害しているのだ。 
私が眠れないのを、思案を止められないのを、君は知っている、 
三週間になるのも、私が発狂しそうなのも、君は知っている。 
私が落ち着いた僅かの間に手に入れたものは、 
全て君に渡していることも、君は分かっている筈だ。 


誰にも良い一年があった、 
誰もに辛い一時があった。 
誰もが枕を濡らして寝たことがあった、 
誰もが輝く陽を顔に浴たことがあった。 
誰にも良い一年があった、
誰にも髪が抜ける思いの時があった。 
誰もが緒を締めて勇み出た時があった、 
誰もが地団駄を踏んだ時があった。 
  

世間が活動しているのを窓から目に留めて、 
ぼくは時間をかけて…


疲れている、私は急き立てられている様に感じる、 
それでもとても疲れている、タバコをもう一本吸いたい、 
吸ったら、ウォルター・ローリー卿を罵るのだ。 
本当に馬鹿な奴だ。 
 

そんな感じがする、 
そうしようと思う、
そんな感じがする。
  







これに、ジョン・レノンの「 Watching the Wheels 」も加えれば良いのかもしれない。 


追記: 
「 I've Got A Feeling 」の「 Evrybody had a wet dream 」のところ、
a wet dream は淫夢だと思うのだけれど、歌詞は全て対になってて、良いことと悪いことが合わせてあるので、 
「Ev'rybody saw the sun shine,」が陽のイメージならば、「 Evrybody had a wet dream 」は陰のイメージだと思うので、
posted by ノエルかえる at 12:01| Comment(2) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月28日

2017年版『 Black Sea 』ノート:アンディー・パートリッジ 1

 2017年版『 Black Sea 』に付けられたノート。アンディー・パートリッジのもの:  
その1、「 TIGRES IN TUNELAND 」 

 はてさて、一時期、ぼくたちはニュー・ウェーブの「頭脳派」と言われていたみたい。七ストーンのへなへな虚弱児ってわけ[ ストーンは体重の単位、約6.3キロ、44キロぐらい。 ]。倒されて顔が砂まみれって類なんだな。そんな見方なんだけど、ぼくらがこのアルバムのリングに足を踏み入れると、変わっていったよ。ツアーとサウンド・バトルの連続は、ぼくらをバトルにふさわしい様に強くしたよ。ぼくらはもうノリノリで、ツアー用の筋肉は最高に隆盛だったよ。筋肉モリモリで、うるさい声だったんで、よくある「〜リスト」の本で、どこかに『世界のやかましいバンドトップ・テン』と言うのがあって、ぼくらは入っていたよ( でも、だれがやかましさを測るの? )。ザ・フーやブラック・サバスと一緒で、誇り高い無法者の証しだったよ。   
 ぼくらは77年と同じ音に色のないバンドのままではなかったかも、でも、やっぱり、二色ぐらいだったんだよ。さっぷうけいな黒と白だけ、でも、ちょっと、赤と青が塗られているかも、どうかな? まだまだ、スタジオの音のパレットを全部使うことを、ぼくたちはしようとしなかったんだ。それは、もっと後になってだよ。あの頃に、ぼくたちが書いて録音していたのはぜんぶ、ライブ・マシーンのためのものだったよ。全身にしっかり油を塗られたモレク神だね[ 古代カナン地域の神、子供を生贄に捧げていたと言われている。 モレク - Wikipedia ]。二本のチョキチョキ・ギターとベースとドラムで出来てるんだよ。キーボードで色付けするのは、まだ、ほんのチョットにしてたんだ。ライブで出す感じはね、レコードそのままにしたかったんだ。その反対も同じだよ、レコードもライブの感じにしたかったんだ。手にしているものだけを見る、って言うことかな。 
 『 Tigers In Tuneland 』が、もともとぼくが考えていた、タイトルだよ。でも、それはぴったりこなかったんだ。ぼくたちは、もっと「お品」のあるものが良かったんだ。  




補足:
Working Title は、これまで、Tigers In Tune World と言われていた。例えば、チョークヒルのデータにはそう書いてある。 

「七ストーンのへなへな虚弱児ってわけ」のところ、原文は、the weedy seven stone weaklings 。
この表現に関して、the weedy seven stone という言い方は、ナーシー・ライム「 Old King Cole 」を基にした、イギリスの劇作家でコメディアン Ken Campbell の戯曲『 Old King Cole 』( 1972 ) のなかに、「 On my left at a weedy seven stone, in the Army Surplus droopy drawers is Baron Wadd 」と言う表現がある。 
seven stone weaklings という言い方は、イギリスの画家 David Hockney の版画『 A Rake’s Progress 』シリーズの中の一枚の題名に使われている。
テート・ギャラリー所蔵:‘3a. The Seven Stone Weakling’, David Hockney, 1961-3 | Tate

posted by ノエルかえる at 10:00| Comment(0) | Black Sea | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月27日

ちょっとメモ: リーム、ルセ

 『レクイエム・シュトローフェン』   
ヴォルフガング、リーム作曲。マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団。
既に70年以上の歴史を持つドイツの国際的な現代音楽祭ムジカ・ヴィヴァより委嘱、初演されたヴォルフガング・リーム畢生の大作レクイエムのライヴCD。
https://www.youtube.com/watch?v=LCnz4nYHvkU

 『ルイ・クープラン: 新しい組曲集』   
演奏:クリストフ・ルセ   
フィルハーモニー・ド・パリの音楽博物館が所蔵している古楽器を演奏。 


posted by ノエルかえる at 13:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「 Life begins at the Hop 」40周年 / メシアン忌・『 Nonsuch 』記念日

 きょうは、「 Life begins at the Hop 」記念日で、『 Nonsuch 』記念日で、メシアン忌。


 「 Life begins at the Hop 」は、40周年。


 『 Nonsuch 』は、27周年。メシアン没後27年。
 

追記: 
Wikipedia で、1992 in British music を見ると、 
Alun Hoddinott - Symphony No.9 'Vision of Eternity' と
Jonathan Harvey - Inquest of Love. が。 

アラン・ホディノット は、ウェールズ人で、初めて世界的に認められた作曲家と言うこと。1929年生まれ、2008年没。 
アラン・ホディノット - Wikipedia  

ジョナサン・ハーヴェイは、オペラ『ワーグナーの夢 Wagner Dream 』で知られている人。1939年生れ、2012年没。『 Inquest of Love 』は、最初のオペラ?? 
Jonathan Harvey Composer


2017年の記事のまま
posted by ノエルかえる at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月26日

Yahoo! ジャパン

 Yahoo!は、辞書のサービスも止めるそう。翻訳は昨年止めたのだっけ?
posted by ノエルかえる at 08:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月24日

バーンハートさんのテリー・チェンバースへのインタビュー パート2 の4

バーンハートさんのテリー・チェンバースへのインタビュー パート2 の3: ノエルかえる不恵留





バーンハート「成る程。では、いくつかの歌についても話して下さいますか。本当に、私は貴方の頭の中に入ってみたいと思っていますよ。それに、ファンは、もちろん私もファンの一人ですけれど、曲に取り組む時に、貴方がどうやって理解していくのかに、とても興味があると思うのです。」 
チェンバース「リハーサルについては、私たちは、いつも、一日を予約していました。それで、私はといえば、全くの白紙状態が常でした( 笑う )。私は、本当に何の考えも持たずに、ただそこに行くだけでした。全方位に開かれた視座を持って臨むというだけです( 笑う )。特に、下拵えも何もない時には、そうでした。大抵は、アンディーがコードをいくつかボロンと鳴らして聞かせたのです。後になると、アンディーもコリンも、それにデイブも、ああ、もちろんデイブの加入はまだ少し後ですけれどね、兎も角、後になると、一緒に始める前に、皆それぞれ自宅で既に始めていて、何某かのものを作って来たのですが。それで、私は曲を聴く最後のメンバーということになっていました。曲作りがどれだけ進展しているのかを見ようという積もりは私にはありませんでした。二人のギター奏者が一緒にいたわけですけれど、彼らは、周りで大きな音を立てて欲しくはなかったのです。私は、隅に座ってタンバリンを叩いたり枕を打っていたりするようなことは、決してしませんでした。そうすれば、私は彼らを苛立たせることになっていたでしょう( 笑う )。 そうすれば、進展は愚図愚図と遅れて、状況は劇的に悪化していたことでしょう。私の取る最善の方法は、おそらく、彼らが、曲がバンドで合わせるのに十分な程に仕上がったと看做すまで、「ほら、こんな感じになるんだ」と言うまでは、離れていることだったのです。それから、私が、それに必要なものを付け加えていったのです。アンディーはこんな風にいっていました。「これにはアフリカ的な感じが欲しい。」「自分が沈むボートにいると思ってくれ。」とか、そんな風にでしたね( 笑う )。 」 
バーンハート「初期のアルバムの頃には、巡業の時に、まあ大抵は、貴方達は同じ部屋にいたのでしょうから、その時に多くの歌を推敲していったのだと思うのですが、あるいは、サウンドチェックの時とかですけれど。」 
チェンバース「そんなことは殆んどなかったと思いますよ。巡業の移動中に出来たものは殆んどないです。本当です。その時間に何をしていたか、理解しないといけませんね。アンディーは、いつも、公演旅行はさっさと終えて家に帰りたがっていました、本当にそうなのです。歌作りは、彼の寝室か、裏庭、その辺りに限定していましたよ。そこで、伸び伸びして、本を読んで、そうして自分の作品を書いていたのです。「 On the Road Again 」的な歌はないですね。[ 「 On the Road Again 」と言う題名の歌は、ボブ・ディラン、ラヴィン・スプーンフル、キャンド・ヒート等にある。 ] 何曲か、ツアー中に出来た歌があるかもしれません。そう言う時は、彼らは、「頭の中のノートに書き留めておこう。」と言うのです。実際に、移動中のバスの中で書いていたと言うことはなかったと思いますよ。」   




パート2はここまでにします。
誤訳、疑問点を指摘して下さると、助かります。 


posted by ノエルかえる at 09:00| Comment(0) | English Settlement | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月22日

「 Great Fire 」記念日

 1983年4月22日、XTC は、シングル「 Great Fire 」をリリース。今日は記念日。36年前。 
Chalkhills: Reel by Real: XTC: "Great Fire" 

歌詞の訳: 
Great Fire 訳: ノエルかえる不恵留  


 この日、ソビエト連邦のクルスク原子力発電所で、燃料棒の装填が上手くいかず、原子炉が停止した。大きな事故にはならなかった様。チェルノブイリの事故は、3年後の1986年4月26日。 

 この日、アメリカのジャズ・ピアニスト、アール・ハインズ Earl Hines が死去。現代ジャズピアノの基礎を築いた人。さらに、現代ジャズの和声を築いた人。1903年12月28日生れ、享年79。 
Earl Hines - Wikipedia 


 それから、セルバンテス忌。ドン・キホーテを書いた Miguel de Cervantes が亡くなった日。没後403年。 


 それと、8日前の4月14日に、デビッド・ボウイの『 Let's Dance 』がリリースされている。 
 それと、一週間前の4月15日に、東京ディズニーランドがオープン。 


この記事の内容は、昨年のと同じ。 

2019年4月15日、パリのノートルダム大聖堂が火災に遭い、尖塔を焼失。 

追記: 
1879年4月23日、アメリカのインディアナ州のノートルダム大学の黄金のドームが火事で焼け落ちる。 

posted by ノエルかえる at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月21日

Alive

 きょうは、ベーム指揮ウィーンフィルのブラームス二番を聴いて、YouTubeで、Big BIg Train の新しい歌「 Alive 」を見た。 
「 Galaxy Express 999 」を思い出した。 

https://www.youtube.com/watch?v=Qh6tPwd4GNA 



posted by ノエルかえる at 20:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Warren Vaché ‎『 Iridescence 』

 ウォーレン・バシェ Warren Vaché ‎のアルバム『 Iridescence 』、1981年。

Warren Vaché - Iridescence (Vinyl, LP, Album) | Discogs

 ジャケットのアートワークが『 Apple Venus 』と似ているから。( 前にメモしたかな? 検索してもない様だけど、 )
孔雀の羽、でも、『 Apple Venus 』とは上下が反対。 

 ウォーレン・バシェは、アメリカのトランペット奏者、ジャズ音楽家、1951年生まれ。お父さんも同じ名前で、ジャズ・ベーシストで評論家。おとうさんは、Sr. で息子は Jr. 。
posted by ノエルかえる at 10:54| Comment(0) | Apple Venus | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月20日

バーンハートさんのテリー・チェンバースへのインタビュー パート2 の3

バーンハートさんのテリー・チェンバースへのインタビュー パート2 の2: ノエルかえる不恵留





バーンハート「バリー・アンドリュースさんがバンドに入って来た時というのは、どんな感じでしたか?」 
チェンバース「アンドリュースは、バンドの他の者たちよりも少しばかりパンクでしたね。彼の物の見方というのは、ロンドン風の見方だったのです。そうですね、私たちがロンドンに背を向けていたと言うことは実際にはないですよ。流行はロンドンで始まっていたからです。それで、「うん、この男の面は正しい方向に向けられてるな。」と私たちは思ったのです。ちょっと、革ジャンを着たラモーンズのイメージもありました。私たちと言えば…、そうですねえ、正直に言って、どんなイメージもなかったですね( 笑う )。その頃です、私たちがやっとベルボトムパンツなしでいるようになったのは…、正直に言わなければなりませんね、その頃になってやっと、私たちはベルボトムパンツを捨てたのです。その頃は、ツナギを着てたのだったと思います。ちょっとだけですけれど、新しい局面に出た、と言うことだったのでしょうね。それなのに、アンドリュースは、レザージャケットを着て、ジーンズの膝には穴が空いていて、ズックで、ジョーイ・ラモーン風だったのです。 
 今思えば、アンドリュースはギター・プレイヤーになれば良かったのでしょう。それはですね、彼と言う人は、…( 笑う )、彼はいつもはっきりとしたイメージを持っていたからですよ。キーボードは、彼がステージで飛び回るのに制限を与えていましたからね。彼はですね、ステージに膝から落ちて、そのまま、ステージ上をツツーと滑っていきたいと考えていたのです( 笑う )。でも、セミアコースティックのアップライト・ピアノでは不可能でしょう。ステージ上で掲げたり投げ下ろしたりするのは、いくらなんでも重いですよね。そのことは、私でも貴方に教えられますよ。 」 
バーンハート「ははあ、貴方もきっと一緒に担がされたのですね。」 
チェンバース「そうです。その時には、誰もがトイレに行きたいと言い出すのです。「僕は行かなくちゃ、もう破裂する!」と言ってですね( 笑う )。私がドラムを選ぶ前に、父が言っていたことが正しかったと言うことの、一つですね。父は、あの時、将来に何が起こるか見通していたのですね( 笑う )。[ 父親風の喋り方で ]「まったくな、それがどんなに重いか父さんには分かっているんだ。」」
バーンハート「( しばらく笑う ) 正にその通りですね。お父様は、貴方の幸福をお考えになっていたのですね。」 
チェンバース「ええ。」
バーンハート「それから、貴方たちは独特なサウンドを作り上げていったのですね、そうして、『 3DEP 』を…」 
チェンバース「ええ。そうなったのはアンドリュースの影響がややあって…、いや、アンドリュースのキーボードによってそうなったものが多々あります。癖のあるキーボードです。例えば、エルヴィス・コステロのバンドに付き物だった様な独特なキーボードの音ですね。あれは、正にあの当時の時代の音ですね。当時は、二つのうちのどちらかだったのです。一つは、正調パンク、ピストルズとかダムドとかクラッシュといったバンド達ですね、それらはギター中心のバンドだったのです。もう一つは、パンクとは少し距離を置いたバンドたちです、私たちもそうでしたけれど、エルヴィス・コステロとかストラングラーズとかです、こうしたバンドにはキーボードがあったのです。当時はこの二つの選択肢があったのです、ギター・バンドか、ギターにキーボードがあるバンドか、と言うだけです、僅か二つの選択肢があっただけなのです。」
バーンハート「そうですね。でも、少しだけメロディックになりますね。」 
チェンバース「そうですねえ、少し説明させてください。当時はですね、もし、バンドがそれまでにキーボード・プレイヤーを持っていたらですね、そのプレイヤーをお払い箱にしていたのです。それがまかり通っていました、許されていたのです。と言うのも、キーボード・プレイヤーがいると、パンクぽくなかったのです。キーボードが弾ける程の知性があれば、本物のパンクではない、と言うことですね。( 笑う ) 「おいおい、待てよ、この男、正式な音楽教育を受けているのに違うないぞ!」と言うことになるのです。反対に、ピストルズの様なギター中心のバンドは、煽り立てるだけで、音が合っているのかどうかなどはお構いなしのことがままありました。キーボード・プレイヤーがいると、曲については、あれこれ注意しますからね。」
バーンハート「アンドリュースさんの際立った音に加えて、パートリッジさんの不協和音を入れるギターは本当に独特でした。そして、貴方とモールディングさんは、切れ目がはっきりと入っている、引き締まったリズム・セクションになっていました。ストップ・スタートが沢山あるのですね、それに、アクセント[ 強弱の差 ]も多いですね。」 
チェンバース「ええ。今思うとですね、あれは、アンディがああいう曲を書いていた、というだけだなのでしょうね。曲を注意深く聴いて下さると分かるでしょうけれど、あの様なリズム・セクションは実際に彼のギターに依っているのです。そうですねえ、「スタートとストップがぴったりと合わせられれば、タイトなバンドだということだ。」と言われてますから、実際、優れたバンドの多くはそれが出来ますよね、それが私たちの頭の隅にあったと言うことなのだと、今になると分かりますね。まあ、ある程度まではそう言うことだったのでしょう。バスドラムと同時にシンバルを叩いて瞬時に抑える、ご存知ですよね、それはよく知られた仕方ですね、( シンバルのチョーキングを口で真似る。) あるいはですね、バスドラムと同時に、閉じたハイハットを叩くのです。こうした奏法が、楽句の終わりに引き締まった感じをもたらすのです。「より鋭く締まっていれば、それだけ曲が良くなる」と言うことですね。 
 アンディは、曲をすっきりとさせたがっていたのです。今思うとですね、彼は、楽器が発する音については、一つの音が他の音と重なるのが嫌だったのでしょう。ちょっと整理された感じになるのです。ところで、あの当時、私たちは「 Dance Band 」と言う曲があったのですけれど[ Dance Band はモールディングの曲。 ]。何だか皮肉ですね、本当に。と言うのはですね、私たちが、ダンス・バンドになることはまずないことでしたから。まあ、聴衆が「痙攣」的なものに夢中ならば違うでしょうけれど。聴衆があの様な曲でどうやって踊るのか、私には分かりません。」
バーンハート「でも、パートリッジさんは、どの時期でも、「踊れる」曲を書こうとしていたのですよね? 例えば「 Spinning Top 」とか…」 
チェンバース「ええ。そうでしたね。彼はあれで聴衆は踊れると思っている様に見えましたね。私自身は…、彼がそう考えていたことが理解出来ないですけれど、」
バーンハート「「 Neon Shuffle 」も、ダンス曲を意識した…、」 
チェンバース「ええ、そうですね。「 Neon Shuffle 」はダンス曲だと、私も思います。「 Neon Shuffle 」を注意深く聴いて見て下さい。リズムに関してですけれど、「 Neon Shuffle 」は、フォー・トップス Four Tops [ アメリカのR&Bのコーラス・グループ:Four Tops - Wikipedia ] の歌に基づいていると、私は思うのです、フォー・トップスの歌のリズムを速くしたものではないでしょうか。そう考えると、私にもこの曲が理解出来ますね。もう少し考えを進めるのならば、スピードアップしたモータウン[ Motown - Wikipedia ]のリズムだと思います。」
バーンハート「それは興味深いですね。」 
チェンバース「基本的に、ビートにスネア・ドラムを叩くと言うものですね。」
バーンハート「四倍の速さと言うことは除いて、そうですね。」 
チェンバース「ええ、正にその通りですね。フォー・トップスの歌と「 Neon Shuffle 」が同じだと言う考えを飲み込もうとすれば、きっと相当痛い思いをしなければならないでしょうね、私はそう感じますが( 笑う )。でも、そのままを私がお話ししましょう。「 Neon Shuffle 」はフォー・トップスの歌に基づいているのです。こう言う感じで作っていったのです。例えば、古いチェット・アトキンス Chet Atkins [ Chet Atkins - Wikipedia ] の歌を取り挙げてですね。それからですね( 笑いながら話す )、それから何が出来るか研究するのですよ、逆向きに演奏してみる、輪唱してみる、とかしてですね、何か他のことが私たちに出来ないか、試してみるのです。 
 ちょっと別の面を話しましょう、いつも、アンディは、何らかのアイデアを持っていたのです。「ううん、考えてくれ、ここ、必要なのはもう少し…」とか言っていました。どう言う例がいいでしょうか、そうですね、例えば「 Millions 」です。あの歌には、中国的な雰囲気が必要なのです。歌が中国についてのものですから。そう言う訳ですから、小さなシンバルを使うことになって、しかも、小さな音を繊細なタッチで鳴らす様になって、と言うことなのです。こうして、歌の各パートを一つの全体にまとめる様になっていったのです。何を歌っているのか考える様になって、始め理解していたよりももっと深く歌を理解する様になっていったのです。 
 「 Millions 」の頃から、アンディーはもっといい歌を書く様になり始めたのだと、私は思います。速い歌か、遅い歌かと言うだけでなくなったのです、内容を持つ様になったのです。主題です。それから、もっと後の歌になると、『 English Settlement 』の頃だと、聴衆の皆さんは、例えば、「 Senses Working Overtime 」の様な巧妙に造られた歌を見出せる様になったのです。それは、初期のものよりもずっと精緻に造られています。聴き甲斐が出て来ました。少しは知恵も得たでしょうし、見聞が広がったでしょうし、題目について深く考える様になったのでしょう。」



posted by ノエルかえる at 17:00| Comment(0) | English Settlement | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月19日

IF LIFE WAS LONG ENOUGH

 パートリッジのtweetから: 12:38 - 2019年4月16日付け
いつまでも生きられるのなら何をしたいか。 18を挙げているけど、その中の二つ。 


3- Write an opera. the subject would be the interdependent/destructive relationship between Cortez and Moctezuma.
https://twitter.com/xtcfans/status/1118237625716965376 

オペラを書く。主題は、エルナン・コルテスとモクテスマ2世との関係に於ける相互依存と断絶。
( 『 Wasp Star 』からの続きということになるのか知ら??? )


14 - An album of solo electric guitar improvisation. It would upset most XTC fans, as MONSTRANCE and POWERS did, but it's deep in me to do this. Many evenings I sit and 'noodle' and think now and then, Wow, if people could hear this? Not ALWAYS mind. 
https://twitter.com/xtcfans/status/1118245770711449600 

エレクトリック・ギターの即興でソロ・アルバムを作る。『 Monstarance 』『 Powers 』がそうだった様に、ほとんどのXTC ファンを狼狽させるだろう。けれど、それは、私の内奥の希望だ。大抵の夜、私は座って、「ヌードル( 即興 )」をする。それで、時々、これをファンが聴いたら?と考える。いつも気にするわけでない。
posted by ノエルかえる at 22:25| Comment(0) | 注記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月17日

Church Of Women

 ノートルダム大聖堂の罹災を悼み、再建を祈念して: 

Church Of Women ( XTC cover )
https://www.youtube.com/watch?v=GQ1Srm5ou6Q
XTanbuさんのトルコ風アレンジで  


posted by ノエルかえる at 16:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

バーンハートさんのテリー・チェンバースへのインタビュー パート2 の2

バーンハートさんのテリー・チェンバースへのインタビュー パート2 の1: ノエルかえる不恵留





バーンハート「カバーはしたのですか?」 
チェンバース「ええ、カバーをしましたよ。」 
バーンハート「どう言う歌をカバーそたのです?」 
チェンバース「ちょっと考えさせてください、…、ああ、先日、誰かが、パートリッジの演目のひとつが「 Fireball XL-5 」だったと思い出させてくれました。私たちはあの歌を編曲してやってました。」 
バーンハート「ええ、ボックス・セットに収められています。」 
チェンバース「あれがですか? へえ、それは気になりますね。と言うのも、先日、ある人と話をしたのですけれど、その歌は全く録音されることのなかった歌だと言っていましたから。じゃあ、その人の言うのは間違っていた分けですね。他の歌のカバーは? ( 暫く言い淀む ) ああ、困った質問をしますねえ。私たちがしたカバーについては、アンディーがもっといい答えをしてくれると想いますよ。何曲か有名曲をしたでしょう、( 黙り込む ) ああ、そうそう、「 All Along the Wactchtower 」はしましたね。ファースト・アルバムでしました、ね、カバーの一つです。」 
バーンハート「カバーをするときには、「 Watchtower 」でした様に、大幅な編曲をしたのですか?」 
チェンバース「そうですね、「 Fireball XL5 」の場合は違います。それ程、アレンジ出来る余地はないと思いますよ。レゲーでやってみるとかすれば別でしょうけれど。でもそうすれば、歌の価値を全く損なってしまうでしょうね、私の意見ですが。ただ、「 Fireball XL5 」を演奏すると言うことが、キーボードを入れることへの言い訳になったのですね。少し後になって、実際にキーボードが入ったのです。カートナー Cartner がその頃にバンドを抜けたのです。それで、私たちは、ジョン・パーキンス John Perkins を加えたのです、彼はキーボード・プレイヤーでした。その時に、キーボード・パートが私たちの編成の中に入ってきたのです。それでですね、「 Fireball XL5 」はキーボード志向の曲ですから、今、私の記憶から漏れていたのですね。その後、パーキンスもバンドを去りました。彼とアンディーの間には、音楽上の方向性の違いがあったのです。それで、結局、バリー・アンドリューズと一緒にすることになったのです。」 
バーンハート「カートナーさんが辞めたのはなぜでしょう?」 
チェンバース「カートナーは結婚したのです。コリンもその頃結婚したのですけれどね。カートナーの妻は彼にプレッシャーを加えていました。「今は正業の時間よ、住宅ローンもあるでしょう。バンドは、あなたが一生追い求めるものだけど、仕事の後よ。」と言ってですね。彼女が何を言いたいか分かりますか? 妻と住宅ローン、そうでなくて、バンド、どちらを取るのか、と言うことですね。カートナーは正業と住宅ローンを取ることに決めたのです。それで、ジョン・パーキンスと交代したのです。パーキンスはキーボード・プレイヤーだったので、それまでとは違う方向性を持つことになりました。私は、その頃、アンディーはギター・プレイヤーばかりと言うのに飽き飽きしてたのだ、と思います。「ねえ、どうして、こう言う面を試してみないんだ?」と言っていましたから。コリンと私は、それについてはただ呑気に構えていました。 
 けれど結局、パーキンスのキーボードはアンディーにとってはブライアン・イーノ性が足りないのだ、と言うことがはっきりして来たのです。あまり実験的でなかったのです。正統なワーリッツァ Wurlitzer ピアノの音でした。アンディーは、もっと冒険的なアートっぽいものを望んでいたのです。そう言う分けで、アンドリュースが入って来たのです。」 
バーンハート「成る程。そこのところをお話ください。私が伺いたいのは、音楽の方向性がその頃目に見えて変わっていると言うところです。私は、貴方達がスティーブ・ハッチンスさんと作ったデモを聴いたことがあるのですが、それと『 White Music 』とでは、とても大きな開きがあります。この変化は、貴方達が知らない間に効力を発揮するような何かがあったのか、それとも、「このままでは上手くいかない、何か新しいことをしなくてはならない」と話し合って起こした変化だったのか、どちらなのでしょう?」 
チェンバース「そうですね、私は、自然な推移だったのだ、と思います。各員がそれぞれの楽器の腕前を上げていましたから。バンドの総合体として向上していたのだと思います。それはつまりですね、各員が先行のミュージシャンの影響を持ち寄って一つにまとめていた状態から、次第に「自分たち」自身に成って行きつつあった、と言うことです。私たちは、私たち自身のサウンドを開発し始めていたのです。私は思うのですが、そのような「自身」のあるミュージシャンへ成長するのには3、4年は掛かるのでしょうね。あるいは、私たちが習得していくのが遅かったのかもしれませんね( 笑う )。当時、まだ、他のミュージシャンに影響されてましたから。私たちは、まだ、他のバンドを注視していましたし、曲を聴いていました、周囲のもの全てから影響を受けていたのです。それらすべてが、音楽の中に入り始めていました。」   



posted by ノエルかえる at 10:00| Comment(0) | English Settlement | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「 King for a Day 」記念日、30周年

 XTC は、1989年4月17日、シングル「 King for a Day 」をリリース。今日は記念日。今年は30周年。 

Chalkhills: Reel by Real: XTC: "King for a Day"  

歌詞の訳: 
King for a day 訳: ノエルかえる不恵留  

シングルのアートワークは、ギヨーム・ド・ティール Guillaume de Tyr の『 Histoire d'Outremer 海の向こうの歴史』から、エルサレム包囲戦の挿絵。
Siege of Jerusalem.jpg - Wikipedia 

Histoire de la Terre d'Outremer, par Guillaume de Tyr. | Gallica


プロモーション・ビデオは、Tony Kaye が監督で、1989年4月14日、ロンドンのWest Way Studios で撮影。 
mvdbase.com - XTC - "King for a day"  


その二日前の4月15日に、胡耀邦が亡くなる。そうして、天安門事件が起こる。 

この年には、1月に昭和天皇も亡くなっているし、4月には、日本の皇族の生まれで朝鮮の李王室に嫁いだ李方子( 梨本宮方子 ) も亡くなっているし( 4月30日 )、朝鮮王室の王女から日本の宗家( 宗武志 )に嫁いだ徳恵翁主も亡くなっている( 4月21日 )。 


この記事の内容は、昨年のと同じ。
posted by ノエルかえる at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月16日

Great Fire

2 で、ノートルダム大聖堂が燃えて尖塔が落ちるのを、ぼんやり見てた。
posted by ノエルかえる at 13:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月14日

Shop

 パートリッジの 12:49 - 2019年4月13日 のtweet: 
https://twitter.com/xtcfans/status/1117152861278879744
「Getting old. What do I miss?
Neighbourhood record store, where you could browse and meet like minded people who would recommend stuff to hear.
Bookshops, what happened to them? Same thing.
Let's face it....shops!?!?!
Fuck this online crap. I want to see it, smell it, weigh it etc」 

年取った僕が、何が無くなって残念がっているかと言うと、店内を回ってあれこれ見たり、お勧めを紹介しようと用意出来てる人と話すことの出来る、近所のレコード店、それに同じ様に出来る本屋、一体どうなったんだろう。包み隠さず言えば…、お店! 一体どうなった? くだらないオンライン。僕は、本やレコードを見たいし、匂いを嗅ぎたいし、手に取って品定めしたい。 

posted by ノエルかえる at 13:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月13日

William Carlos Williams「 The Widow's Lament in Spring 」訳

 ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの「 The Widow's Lament in Spring 」の訳。 
元にしたのは、ウィキソースの: 
The Widow's Lament in Spring - Wikisource, the free online library



悲しみはわたしの持ち物の庭、 
新しく萌えた草が 
燃やされた様に照り映えて、 
映える様子は 
この年ずっとわたしをぴったりと取り囲んでいた 
冷たい炎に似ているけれど、違う。 
三十五年間、 
わたしは夫と一緒に暮らしていた。 
今日、杏子の木は真っ白 
いっぱいに花が咲いている。 
いっぱいの花が桜の枝々を満たしている、 
いっぱいの花が、ある茂みは黄に 
ある茂みは赤の色にしている、 
けれども、わたしの心の中の哀しみは、 
強くなっていく、以前には 
いっぱいの花はわたしの喜びだったのに、 
その度合いよりも増して哀しい、 
今日、わたしは花を目に止めて、 
自分が背を向けて忘れていたのに気が付いた。 
今日、息子が 
遠くの 
草原の 
鬱蒼とした森に接したところに 
白い花を着けた樹を見た、とわたしに教えてくれた。 
もしもできるなら、 
そこに行って、 
その花に身を預けて  
そばの沼に沈んでしまいたいと、わたしは思った。  







Sorrow is my own yard
where the new grass
flames as it has flamed
often before but not
with the cold fire
that closes round me this year.
Thirtyfive years
I lived with my husband.
The plumtree is white today
with masses of flowers.
Masses of flowers
load the cherry branches
and color some bushes
yellow and some red
but the grief in my heart
is stronger than they
for though they were my joy
formerly, today I notice them
and turned away forgetting.
Today my son told me
that in the meadows,
at the edge of the heavy woods
in the distance, he saw
trees of white flowers.
I feel that I would like
to go there
and fall into those flowers
and sink into the marsh near them.








ちょっと、モールディングの「 Scatter me 」を想いました。   


posted by ノエルかえる at 13:43| Comment(0) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月12日

レスター・スクエア

 って、ソロアルバム出していたの? 
https://lestersquare.bandcamp.com
posted by ノエルかえる at 15:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

バーンハートさんのテリー・チェンバースへのインタビュー パート2 の1

 トッド・バーンハートさんのテリー・チェンバースへのインタビュー。
 タイトルは、「 Senses Working Over Time (or, How Terry Chambers learned to stop worrying about XTC and love the drums again) 」。 
 デビューの頃。

Chalkhills: "Senses Working Over Time", July 5, 2002

バーンハートさんのテリー・チェンバースへのインタビュー パート1 の1: ノエルかえる不恵留





バーンハート「それで、貴方達は練習を始めて、それから、私は思うのですが、人前で…、」 
チェンバース「ああ、それには暫く間がありました。まず、取り組まなければならなかった問題は、どう言う種類の曲を自分たちは演奏するのか、言うことでした。それから、その他諸々についてもです。」 
バーンハート「どの歌をと、皆さんが考えていた時のことですが、その場合、兎に角、演奏してみたのですか? それとも、最初にそれらの歌について皆さんで話し合われたのですか? そうですね、誰かが新しい歌をグループに持ち込んできた時には、「これが私が考えて来た歌だ、どうしてそう考えたかはこう言う理由だ。」と言ったのか、「さあ、これを試してみよう、それぞれがどう演奏するか見てみよう。」と言ったのかと言うことですが。」 
チェンバース「オリジナルについては、殆どがアンディの考えたものでした。コリンは当時あまり書いてはいませんでした。まだ、自分たちの拙い演奏を鍛え上げていた最中だったのです。いつも、アンディが何かを弾き始めてました。でも、彼が「さあ、皆んな、腰を下ろして集中してこれを聴いてどう思うか言ってくれ、」の様なことを明確に言ったことはないです。確か、彼はあれこれ弾いていて不意に新しい曲を始めたのだった、と覚えています。それで、私たちはそれに従いて行って、曲を捉えたのでした。実際には、「さあ、僕はこれを始める、で、君らは、そこがポイントだと思うか、もう十分だと思ったら、演奏に加わってくれ。」と言っていたでしょう( 笑う )。まあ、当時、アンディはテンポは出来ていました。コードの構成は何となくでした。それで、私たちはそれに合わせてボロンとやっていたのです。それで、テンポがどうであるかに拘わらず、暫くは続けて演奏したのです。ある見方をすれば、何とか基本的な形にはなっていた、と言うことですね。それで、構成に少しは自信が出来たので、もっと面白いものを作ろうと始めたのです。「コーラスをもっと「アップ」にしょう」と言ったり、「ブリッジかソロを入れよう」と言ったりしていたものです。その時になって、私たちは、歌に構成を持たせ始めていたのです。私が思い出す限り、歌はその様にして作られていきました。アンディーとコリンは違う様に思っているでしょうね。兎に角、私が思い出せるのはそうなのです。アンディーとコリンが何を考えているかは、私には分かりません( 笑う )。」
バーンハート「( 笑う ) それですね、カートナー Cartner さんが、スターパークとザ・ヘリウム・キッズの両方で一緒だったのですよね。」 
チェンバース「ええ、その通りです。」
バーンハート「それで、その頃にはシンガーもいたのですよね?」 
チェンバース「ええ、ステーヴ・ハッチンス Steve Hutchins という人物です。アンディは、自分がヴォーカルの面では少々適性に欠けていると感じていたのでしょう。当時、アンディにはガールフレンドがいたのですけれど、その彼女が、知り合いに南ロンドンの歌手がいると言ったのです。それがハッチンスだったのです。私たちは、「それはちょっと地理的に問題がある。」と思いました。私たちが住んでいる所から、おおよそ80マイル離れているのですから。私たちはお互いに5マイルの範囲内に住んでいました。練習をしようと思った時、全員が15分か半時間で来られたのです。ところが、その人物の場合、練習をしようと思っても、例えば週末などに、予め決めておかなければなりませんでした。何故かと言えば、私たちがロンドンに行くか、彼が私たちのところに来るかしなければならなかったからです、それに加えて、当時はまだ、私たちは皆が、仕事を持っていましたから。 
 それで、彼はショー・ビジネスにいくらかの縁故関係を持っている人物だと言うことに惹かれたので、私たちは彼を入れることに決めたのです。「だね、この男を入れておいて、それで、デモが出来たら、この男がそれを然るべき筋に渡すだろう。」と私たちは考えたのです。何よりもです、彼はロンドンに住んでいるのですから。私たち三人の田舎者よりも、彼にはそれがずっと容易なのです。私たちと言えば、髪に藁くずが載っている様な人間ですからね。少なくても、彼は同じ言葉をしゃべっていたのですから。ロンドン人と私たちとでは言葉が違うのです。直ぐにまるっきり違っていると分かりますからね。( 笑う )
 ですから、二つの目論見があったのです。ヴォーカリストを入れると言うこと。それから、デモが出来た時には、彼が、ロンドンのいくつかの戸を開くだろうと言うこと、です。これは頭に入れておいて下さい。私たちのオリジナル曲を演奏する所は、スウィンドンには本当に全くなかったのです。あると言えば二箇所あったのですが、他の所は、エルビスとかそのあたりのもの、当時に流行っていた、ビージーズとか、いろいろ際限なくあるでしょうが、そう言うもののカバーを演奏している所だったのです。ディスコももう伝わっていましたよ。その類いのもの( ディスコビートを口で真似る )をするのでなければ、本当にどこにも演奏する所はなかったのです。」



バーンハートさんのテリー・チェンバースへのインタビュー パート2 の2: ノエルかえる不恵留
バーンハートさんのテリー・チェンバースへのインタビュー パート2 の3: ノエルかえる不恵留
バーンハートさんのテリー・チェンバースへのインタビュー パート2 の4: ノエルかえる不恵留



posted by ノエルかえる at 09:20| Comment(0) | English Settlement | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月09日

The Vox V271 Apollo IV Bass

 フェイスブックのTC&I 公開グループへ Egidio Sabbadini さんが投稿してるのを見たのですけれど。 
そのコメントによれば、コリン・モールディングさんは、ストラングラーズのジャン・ジャック・バーネルさんから、セッションに参加したお礼に、ベースギター、The Vox V271 Apollo IV Bass を贈られたそう。 
 Egidio Sabbadini さんは、そのベース・ギターの写真を投稿されていたので。 

 『 Oranges and Lemons 』の時には、The Vox Apollo を使っていた様に思う。それ以前のバーネルさんのソロの仕事で、と言うことなのだろうけれど。レコードになっているのか? チョークヒルの資料では、モールディングさんが参加したバーネルさんのアルバムは挙げられてないのだけれど。 

The VOX Showroom - Vox V271 Apollo IV Bass Guitar



追記: 
Ian Edmundson さんの質問「Now the question for Colin Moulding .... what came out of the Burnel sessions?」に、コリンは「nothing Ian...because it never happened..c」と答えているから、セッションは作品には至らなかったか、あるいは、セッション自体が取りやめになったのかなのだろう、、

追追記:
ではなくて、ベースは、T Bone Burnett さんから贈られたもの、と言うこと。
posted by ノエルかえる at 10:13| Comment(0) | 注記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月08日

Colin's "Three of the Best" Live from Swindon

 Facebook のTC&I 公開グループのKieron Bowker さんの投稿「 Tune in Next Sunday! Colin's "Three of the Best" Live from Swindon 」はどう言うことだろう? 
 コリンは、「 Well that my fab 3 for this sunday..ha ha ..cheers..c 」とコメントしているけど、、、

 Youtubeにある、コリンの好きな動画を話す、と言うこと?
posted by ノエルかえる at 09:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」9

ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」1: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」2: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」3: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」4: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」5: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」6: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」7: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」8: ノエルかえる不恵留





バーンハート「終部ですが、様相の違う様々なパートが一つにされています。後の作品では、貴方は好んでこのようなことをするのですが、私は、この歌の終部が、そのような方法の最初期の一つではないかと思うのです。」
パートリッジ「ええ。色んなものを坩堝に投げ入れるのです。そうすると、それらは衝突したり擦れ違ったりするのです。それが、もう、大好きなのです! それにお気付きでしょうけれど、エコーのかかった、リヴァーブのかかった高い声が、終部にあるでしょう。今思うと、あれは、ラサ・デイヴィス Raisa Davies になろうとした、無意識の試みなのだと思います。レイ・デイヴィスの妻だった人で、ロシア人です。キンクスのシングルでは、高い声のパートは、全部彼女が歌っていますよね。「 Waterloo Sunset 」も、高い幽霊っぽい声は、彼女です。」 
バーンハート「成る程! 「 Death of a Clown 」もそうですか?」
パートリッジ「たぶん。同じ頃ものですからね。私は無意識に彼女を自分たちの歌に入れようとしたのだと、思います。というのは、私は、ロンドンの歌を書こうとしていた分けですから。「 Waterloo Sunset 」は、古今のロンドンを歌った歌の中でも傑作の一つです。」 
バーンハート「ええ、それはもう、そうに違いありません。」
パートリッジ「私の脳の奥の小さな悪魔がこう言ったのです。( 明らかにアメリカ人である様に聞こえる、小悪魔の声で )「ほら、ラサ・デイヴィスのヴォーカル・メロディーを入れなよ! ほらったら。掛け過ぎなくらいのリヴァーブ! ほらったら。しなよ、しなよ、おかま野郎! やっちゃえ!」( 笑う ) 私の可愛い悪魔ですよ。 
 ああ! この歌はですね、ドラムに編集をしているのですよ。たぶん、編集をしたのは、テリーの全仕事の内で唯一です。私は、きっと唯一だと思いますよ。」 
バーンハート「本当ですか? どこです?」
パートリッジ「短いブレイクダウンの所ですよ。「 Londinium 」部分の前でしょう。終部に入る合図のあそこで、大きなロールがあります[ 4分30秒あたり ]。テリーは、他の部分は完璧だったのに、ロールをしくじったのです。それで、他のテイクから切り取ってこなければいけませんでした。それで、その別のテイクは、ロールのテンポが完全には合っていなかった様に覚えています。僅かに遅いか、速いか…」 
バーンハート「クリックを使っていないからですね。」
パートリッジ「その通りです。それで、ちょっとイカサマをしなくてはいけませんでした。他のテープに違うテンポで複写して、編集して挿入したのです。それで、合っているのです。そういう分けで、私たちは、完璧なテイクを得られたのです。」 
バーンハート「驚いています。その時には、ロールを打たなかったのですね。それでも、最後まで演奏して録音したのですね。それも、全員で一緒に演奏して録音していたのですね。」
パートリッジ「ええ。私たちは、一緒にもう一度録音しました。実際、少し遅くしてロールを入れたのを録音して、顕微鏡サイズでスピードを上げて、もう一本のテープに複写して、オリジナルのテープに編集して入れたのだった、と覚えています。 
 兎も角、あれが編集をした唯一のものだと思います。私がまだ若かった時には、ビートルズのレコーディングは、たくさんの編集があるのだと言うことを知らなかったのです。」 
バーンハート「そうですか。リンゴのテンポは良くないと、貴方は考えていましたね。」
パートリッジ「( 笑う )、ええ。「リンゴは世界最高のドラマーですか?」「リンゴはビートルズの中でも一番のドラマーじゃないのに。」」 
バーンハート「ジョン・レノンは、そんなことを言う様に、残酷なところがありますよね。」
パートリッジ「ああ、痛烈な皮肉ですよね。大抵の人がレノンを好きになっただろうとは、私は思いませんよ。実際に、レノンに会ったならばですね。 
 でも、これは覚えておいて下さい。テリーは全仕事を通して、編集を必要とする様なドラマーではなかったのです。彼がしくじった時にはですね、「よし、もう一回やろう」と言うだけですから。編集は必要なかったのです。」 
バーンハート「驚いています。私自身のレコーディングの経験からそう言うのですが。私たちは、まず、ドラムのテイクを完成することに努力を傾けます。他の奏者はそれに合わせるのです。出来るだけ合わせる様にするのです。でも、兎に角、ドラムが最初でした。それで、他の奏者が間違ったなら、後から編集して入れたのです。なのにです、貴方がたは、一緒に演奏して、全部のパートを一緒に録音しようとしていたのですね。」
パートリッジ「ええ。実際、『 English Settlement 』までそうしていました。いくつかは、ライブで録音しました。いくつかは、オーバーダビングしました。『 Mummer 』の頃には、段々、ライブで録ることが減っていきました。でも、最初の五枚のアルバムはでは、かなりの曲が、スタジオでのライブ録音です。何もかもそうです。そう言う音だったのです。レコードから聴こえる音が、恰もステージでの音の様に聴こえる様にしたかったのです。また、その反対も同様です、ステージの音がレコードと同じに聴こえる様にしたかったのです。」 



おわり、 
誤訳、疑問点を指摘して下さると、助かります。 


追記:「 兎も角、あれが編集をした唯一のものだと思います。私がまだ若かった時には、ビートルズのレコーディングは、たくさんの編集があるのだと言うことを知らなかったのです。」が抜けていたので追加。 

posted by ノエルかえる at 00:00| Comment(0) | Black Sea | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月07日

Mayor of S

 今のスウィンドンの市長は、Junab Ali ( ジュナバリ )さん。バングラデシュ出身、45歳(?)、労働党。市内で4軒のレストランを経営されてたそう。去年から市長。 
 パートリッジがカレーを食べに行くのは、アリさんのお店か? 

市長の服装、chain of office を着けたアリさんの写真: 
https://www.rotary-ribi.org/clubs/page.php?PgID=728873&ClubID=625


追記: 
ロンドン市長も、2016年から、パキスタン系のサディック・カーン Sadiq Khan さん。 

イギリスはEUから離脱した後、イスラム国になるのかも。 

posted by ノエルかえる at 09:48| Comment(0) | Oranges & Lemons | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月03日

ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」8

ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」7: ノエルかえる不恵留





バーンハート「ブリッジ部分では、キーボードもありますね、そう聴こえます。」
パートリッジ「ああ! あれは小さな単音のコルグです。あの頃持っていたのです。」 
バーンハート「ギター・ベースの歌なのに、どうしてそうしようと思ったのですか? 他はギターだけですよね。」
パートリッジ「まるで違った感触の音が欲しかったのです。今思うと、当時の私は、坑道を思い描いていて、滴る水滴のイメージを音にしようと思ったのでしょう。それで、私たちはこの音を選んだのです。電子的な雫の様ですよね。それで、デイブがこの短いメロディを考え出したのです。」 
バーンハート「それで、あなたは、どの機種のギターを弾いているのですか?」
パートリッジ「アイバニーズだと思いますよ。もしかしたら、「 The Paul 」かもしれません[ ギブソンのレス・ポール ]。暫く後で、ツアー中のニュージーランドで盗まれました。ニュージーランドの誰かが、私の「 The Paul 」を持っているのでしょうね。その二つのギターの内のどちらかですよ。」 
バーンハート「それから、終わりの部分で、…」
パートリッジ「転調しています。終部で転調すると言う、XTC では数曲しかない歌のうちの一つです。レコーディングの最中に、デイブが私にこう言ったのです。「自分で分かってる? 君が考えついたこのギターのメロディーだけど、本当に巧妙なんだよ。二つの調性に属しているんだよ。」 でも、全くの偶然なのです。二つの調性に合う様に意図したものではなかったのです。ただ、そうなったのです。」 
[ XTC の音楽の特徴の一つ、複調性。 ] 
バーンハート「ああ、その終わりの部分のあなたのギターのベンディング・パターンについて伺いたかったのです。あれは、最初から考えていたことなのですか? それとも、歌の終部の余ったところに、後から加えたものなのですか?」
パートリッジ「書いている間に思い付いたものです。書いている間に、インド風の音が欲しくなったのです。「レイン[ ビートルズの曲 ] 」の中の程度のインド風ですよ。シタールか何かそんな感じの音が欲しくなったのです。 
 歌の最初は F コードで始まります。でも、Gを鳴らしっぱなしにしておくのです。そうすると、大きく響く壮大な感じになるのです。それから、歌が進むと、コードはGに上がっていくのですが、オープンGの弦は鳴らしっぱなしのままです。そうすると、「レイン」のドローンぽい感じになるのです。それが、私がして見たかったことなのです。 
 実際に、アウトロのところは、「レイン」に似ている様に聴こえます。ジョン・レノンが死んだ翌日の夜に、私たちはリバプールでライブをしていて、この歌の最後を「レイン」にすることになったのは、貴方もご存知でしょう。」 
バーンハート「はい、その話しを読んだことがあります。貴方たちは、この歌の終わりから「レイン」へと続けたのでしたね。」
パートリッジ「ええ。アウトロでの「 Londinium 」と歌うのを止めて、「 Rain 」のヴァースを二つ演奏することに決めたのです。私の目からは涙が流れ出しました。でも、誰も気が付きませんでしたよ。バケツの水を浴びたほど汗をかいていましたからね。ジョンが撃たれた翌日でした。私たちはツアーに出ていたのです。ガソリン・スタンドに立ち寄って、何か食べ物と新聞を買おうとしたのです。それで、「えええ! この新聞を見ろよ! 見出しを見て見ろよ! 「 Lennon’s been shot 」だって!」と言うことになった分けです。しかも、私たちは、リバプールで公演をするための移動の最中だったのです。不思議なことに、ライブでは、昔からよく知っていると言う雰囲気になりました。 
 私たちが「 Rain 」の一節をちぎり盗ったと非難する人は一人もいませんでした。私たちがちぎり盗ったとは、私は今も思っていません。でも、私たちの音響の面に於いて、一つの足掛かりだったと言うことは確かでしょう。」 
バーンハート「コードをGに進行させたと言うのは、興味深いです。オープンGは鳴り続けているのですから、それは、和声の解決になりますからね。」
パートリッジ「ええ。それからです、ベンディング奏法のギターのメロディーには、Bの音も入っています、F和音だと、それは未解決に聴こえます。それで、G和音に進行すると、ベンディング奏法のギターのメロディーは、そっくりそのままなのに、不思議なことに解決して聞こえるのです。繰り返しますが、あれは、私が未熟だったからだと、今は思っています。それが正しいと思ったのです、生意気にもですね。音楽の理論は知らなかったのです。「ああ、同じフレーズを繰り返すつもりだ。G和音にすれば、解決した様に聴こえるよ。」とは言えなかったのです。基づいている理論は何もなかったのです。それは確実ですよ。「わあ、これは良いよ。ここでは、このキーにしとこうよ。」と言うだけだったのです。」 
バーンハート「時には、それこそが必要なのですね?」
パートリッジ「それがちゃんと機能するのでしたらね、上手くいくのです。」  

posted by ノエルかえる at 09:00| Comment(0) | Black Sea | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

XTC 最後のライブ記念日

 1982年4月3日、XTC はアメリカ・サンディアゴの California Theatre で最後のステージ。今日は記念日。36年前。 
 Pat Mastelotto さんは、次の日のチケットを買っていた為、ライブを見逃す。  


記事は去年のまま。
posted by ノエルかえる at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月01日

のんさっち宮殿の成層耳公爵

 4月1日は、The Dukes of Stratosphear の最初のEP『 25 O'Clock 』がリリースされた日であり、XTC の『 Nonsuch 』が日本で先行発売された日。 
 『 25 O'Clock 』は1985年4月1日に、『 Nonsuch 』は1992年4月1日にリリース。 
 今日は記念日。 

 『 Nonsuch 』のイギリスでのリリースは、4月27日。

 1985年には、ブッチ・モリス Butch Morris の『 Current Trends In Racism 』がリリースされている。( 1986年かも? ) 
 このアルバムのセッションには、ブランドン・ロスもジョン・ゾーンも参加している。 
Butch Morris - Current Trends In Racism In Modern America (Vinyl, LP, Album) at Discogs  

 1992年には、フィリップ・グラスが交響曲第一番を作曲。 

( ここまでの記事は去年のまま )

 1985年4月には、Prince の『 Around the World in a Day 』、フレディー・マーキュリーの『 Mr. Bad Guy 』がリリースされている。 
『 Around the World in a Day 』はUS チャート1位になっている。

 1992年4月には、The Cure の『 Wish 』がリリースされ、UK チャート1位になっている。
posted by ノエルかえる at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする