2019年06月30日

Wallace Stevens 「 The Man With Blue Guitar 」の4訳

Wallace Stevens 「 The Man With Blue Guitar 」の3訳: ノエルかえる不恵留





それでは、そのままのメロディーは生きていると言うことなのか? 
メロディーは、青いギターの上に進む道を採っている。 

一本の弦の上に百万の人がいて、 
このメロディーに、その百万の人の様式がすべてあると、言うのか? 

正しい様式も、間違った様式も、すべてが、 
弱い様式も、強い様式も、すべてがあると? 

感受性が、猛った様に、巧妙に細工された様に、 
秋の風に乗る蝿の様に、鳴く。 

だからやはろ、そのままのメロディーは生きているんだ、 
この青いギターから出る部分なる音は生きているんだ。  





W
So that's life, then: things as they are?
It picks its way on the blue guitar.

A million people on one string?
And all their manner in the thing,

And all their manner, right and wrong,
And all their manner, weak and strong?

The feelings crazily, craftily call,
Like a buzzing of flies in autumn air,

And that's life, then: things as they are,
This buzzing of the blue guitar.
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2019年06月27日

ちょっとメモ:藤倉大『ざわざわ』

 藤倉大の作品集、『ざわざわ』。ソニーミュージックからリリース。

https://www.daifujikura.com

https://www.youtube.com/watch?v=Ztnvo9qgqrg
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2019年06月26日

バーンハート、パートリッジ対談「 All Along the Watchtower 」2

バーンハート、パートリッジ対談「 All Along the Watchtower 」1: ノエルかえる不恵留





バーンハート「生意気な若造と言うことですね。」
パートリッジ「そう生意気なのですよ。でもね、しょっちゅう生意気と言うのにですよ、その本人たちは、「生意気」のスペルを知らないと来ているのです。( 笑う ) The insolvency. The solvency of youth. と書けないのですから。 
 それでです、私たちはこの曲をよくライブで演奏していました。細かいことは省いてですね、どちらをカバーするかは、コインを投げて決めることにしたのです、結果、「 Wachtower 」になったのです。あの当時では、私は、ディランの原曲には馴染みがなかったのです。カバーした後からは聴いていますけどね、あの時では、知っていたのは、ヘンドリックスのカバーだけだったのです。」 
バーンハート「そうですか、ヘンドリックスの方がよく知られていますからね。」
パートリッジ「ディランが書いたものだと言うことは、特にディランのファンではない私でも知っていました。でも、当時の私は、ドノヴァンの方が好きだったのです。ディランの原曲がどの様だったかを、私は知らないでいました。」 
バーンハート「今でもドノヴァンがお好きですか? [ ドノヴァン - Wikipedia ] 私もですが、貴方もマーティン・スコセッシ製作のドキュメンタリーをご覧になったと言うのは聞いています。ディランに対する見方が変わったかと… [ 『 No Direction Home ( 2005 )』"American Masters" No Direction Home: Bob Dylan (TV Episode 2005) - IMDb ] 」
パートリッジ「ドキュメンタリーを見て、私は、以前よりも彼を高く評価する様になりました。それに、彼は有能でそれにお洒落な人だと分かりました。スーツがものすごく似合っていたのです。もっと、スーツを着ていれば良かったのにと思いますよ。でも、ドノヴァンはいつでもこざっぱりとしていたと思います。ドノヴァンがディランの信奉者の一人だと言うのは明らかでしょうけど、でも、ディランの体に Pop な頭[ head ]を載せていたのが、ドノヴァンです。簡明で分かりやすい Pop な見出し[ head ]が付いているのですね。 
 まあ、兎も角、「All Along the Watchtower」に決めたのです。それで、当時、私は、ダブ・レゲエの空間性が大好きだったのです。しょっちゅうダブを耳にしていました。それで、「どうして、「この美の原理を使わないんだ? 録音したものを文字通りばらして、そこから取った断片を集めて戻して一つにしているだけじゃないか? よし、僕たちは、曲の中に「間」を入れてみよう」と思っていたのです。 
 それで、方法を考え出したのです。それは、自分が歌いながらダブの様なことをすると言うものでした。この様なことをしていたのです、聞いて下さい、( 詰まる様なヴォーカル・スタイルを歌ってみせる )。誰か別の人がボタンを押してるか、コントロール摘みを回している様でしょう。そうですね、マイクロフォンに故障がある様にも聞こえますね。 
 それと、私は、ギターを弾こうとはしませんでした。ギターはたくさんある「間」を潰してしまうでしょうからね、意図してギターを弾かなかったのです。」 
バーンハート「それが、この歌で貴方がギターを弾かなかった理由なのですか?」
パートリッジ「加えて、私は、ギターとハーモニカを同時に演奏することが出来なかったからです。」 
バーンハート「その時までに、ハーモニカはどれくらい経験があったのですか? いつ始めたのでしょう?」
パートリッジ「ギターとほとんど同時ですよ。実際、ドノヴァンかディランが首にホルダーを掛けているのを見たことがあったのです。それで、駆け出しの頃の仕事で得た自分のお金でハーモニカを買ったのです。でも、もちろん、ホルダーに付けてブルースっぽくハーモニカを吹くなんてことは出来ないですよ、プッと言ったりブォーッと言ったりするだけです。喘息のアコーディオンの様ですよ。( 笑う )」 
バーンハート「それだと、遣り方も、月並みで陳腐になったでしょうね。」
パートリッジ「まるっきり月並みですよ。「フォークがしたいのかい、じゃあ、これだ。」と言う感じですね。ハーモニカを当てて、悲哀を込めて喘いでいると言うだけですね。調は合っているのですけれどね。調を外しちゃいけませんよ。 
 私は、ドノヴァンとかではなくて、ブルースのハーモニカを聴く様になったのですが、その時には、「ええ、この人たちは音をベンディングさせてるぞ、火を点ける様だし、音が太いぞ。」と思ったものです。当時、私は、そうしたハーモニカ奏者たちの多くがアンプリファイアを通していると言うことが分かっていなかったのです。小さなマイクをぴったりくっ付けているのですよね、それで、実際、音が歪んで叫ぶ様になっているのですよね。それでどうしたか、ですね。悲哀を込めて吹くのではなくて、もっと、吸う様にしたのです。口をすぼめて小さな穴を作って、空気の流れを制限するのです。それで音をベンディングするのです。それでとても上手く行きました。」 
バーンハート「成る程ですね。私は、ずっと、貴方は独特なハーモニカ奏者だと思って来ていました。このことについては、以前お話しして頂いたのですが、私は、貴方はハーモニカをギターの遣り方で演奏する人だと思っています。ファジー・ウォッブルズ・シリーズの中の「 Reing of Blows 」等がその例ですが、貴方は、ハーモニカのソロを採っているのですが、ガンガン演っていますよね、それで、その遣り方は、ギター・ヒーローが長いソロを採る様なのです。」
パートリッジ「( 笑う ) 『 Play in a Day 』の方法と言うことですね。[ Bert Weedon の書いたギターの教則本。1957年出版 The Official Bert Weedon Website - Play in a Day ]」  
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2019年06月25日

「ジョニー・サンダースと共演」記念日

 1977年6月25日、XTC は、ウェールズのランドリッドにある Grand Pavillion での Johnny Thunders and the Heartbreakers の公演で前座を務める。
 パートリッジにとっては、憧れのジョニー・サンダースとの共演ということ? 

 42年前、今日は記念日。 


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2019年06月24日

「 Wonderland 」記念日

  1983年6月24日、 XTC は、シングル「 Wonderland 」をリリース。アルバムからの先行シングル。36年前。今日は記念日。  
Chalkhills: Reel by Real: XTC: "Wonderland" 
ジャケットのアートワークは、誰が描いたんだろう? 

この頃にヒットしていた歌は、ポリスの「 Every Breath You Take 」。 

翌25日に、アルゼンチンの作曲家、アルベルト・ヒナステラ Alberto Ginastera が亡くなっている。1916年4月11日生まれ。EL&Pのアルバム『 Brain Salad Surgery 』の中の「 Toccata 」は彼の作曲。 
( 去年も同じことを書いたけれど。 )  


1983年3月17日に、フランスのテレビ放送の番組『 Les enfants du rock 』で放送された、ビデオクリップ: 
スタジオ内で演奏してる風景( 当て振りだけど )。ビートルズの『ヘルプ!』の中のショットみたい。カラーだと良かったけど。
https://www.youtube.com/watch?v=HdkjeBYakE8 

ドラムは、ピータ・フィップスさん。

やっぱり、次のサラウンドは、『 Mummer 』が好いなあ、 


以前書いたのをそのまま。  


それで、ジャケットのアートワーク、 
Clyde Norman Provonsha という人らしい。1911年生まれで2006年に亡くなった、ハドソン川沿いのパリセイド生まれのアメリカの人。 
元の絵は、エデンのイブの絵ということらしい。 

Clyde Norman Provonsha - Artist, Fine Art Prices, Auction Records for Clyde Norman Provonsha

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2019年06月23日

The Beatles 「 Here, There And Everywhere 」訳

 ビートルズの「 Here, There And Everywhere 」。 

 構成は、イントロがあって、三つのヴァース、一つのブリッジ、それにアウトロ。ブリッジは、第三ヴァースにくっ付いていて、メロディーは繋がる様に。 

 歌詞の内容は、相当に難解。マッカートニーらしいと言うか。ナレーションは一つだと思うけれど、第一ヴァース、第二ヴァースと、微妙に視点がずらされている。 
 第一ヴァースで here 、第二ヴァースで there と、( たぶん ) 全く次元の違う世界を描いて、第三ヴァースでその両方を止揚する everywhere という、弁証法的(?) な。

 ただ甘い恋の歌にも読める。それで済ませても構わないのだろう。でも、絶望的な希求の歌にも読める。そう読んでも誤読だとは思えない。 
 ハンター・デイヴィスの『ザ・ビートルズ・リリックス 名作誕生』には、バロネス・オルツイの『べにはこべ』の12章「一枚の紙片」の中の詩に言及されていたけれど、関係はないのだろうけれど。でも、どことなく、ロココ風な感じもするから、マリー・ワントワネットを連想してもいいのかも。 

 『べにはこべ』の中のその詩の村岡花子の訳は: 
あちらだ、こちらだ  
 ぼくらはさがす、 
ここにお出でのフランス人は 
 のこるくまなく探してまわる。 
天にいなけりゃ − 地獄にか? 
 姿を消したる、べにはこべ   




元にしたのは、ビートルズのホームページの「 Songs 」:
Here, There And Everywhere | The Beatles

https://www.youtube.com/watch?v=xdcSFVXd3MU





少しでも幸せに暮らしたい、僕は 
だから、恋人に「現存」して欲しいんだ。 

此岸では、過ぎ去る一年のその日その日を、僕は 
彼女の手の合図で変えている。 
誰も打ち消せない、特別なものがあるのだと、彼岸には。 

彼岸では、僕の両手で彼女の髪を搔き上げる、 
僕たち二人とも、そんなことがあれば素敵だと思う。 
そう「大切な人」が言うのに、彼女は「大切な人」がいることも分からない。 

彼女に「遍在」して欲しい、僕は、 
そばに彼女がいれば、煩いはなくなると分かっている。 
でも、彼女を愛するには、彼女が「遍在」しないと。 

愛すると言うのは、共に生きると知ったから、 
二人、それぞれ、恋する相手は死なないと信じて、僕は 
彼女を見つめ続ける、僕がずっと彼岸にいれる様に願って。 

僕は彼岸にいようと決めた、 
「遍在」しようと、
此岸にも、彼岸にも、どこにでもいるんだ。   

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2019年06月22日

The summer solstice 2019 at Avebury

 今日は夏至、スウィンドン近郊のエーヴベリーの遺跡でも、夏至のお祭りが。 

エーヴベリー - Wikipedia

 ストーンヘイジはもっと南。 

 なので、今日は『スカイラーキング』。
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2019年06月21日

バーンハート、パートリッジ対談「 All Along the Watchtower 」1

 トッド・バーンハートさんのアンディ・パートリッジへのインタビュー、「 All Along the Watchtower 」について。 
2007年6月3日に、MySpace の公開されたもの。今はもうありません。チョークヒルのアーカイブに保存されています。 

Chalkhills: XTCFans: Andy's Take: "All Along the Watchtower"





バーンハート「「All Along the Watchtower」について話して下さい。XTC がカバーした本当に唯一の歌ですから。」
パートリッジ「私たちがカバーとして録音するのは、「All Along the Watchtower」にならなかったかもしれないと言うことは、貴方もよくご存知かと思いますが?」 
バーンハート「ええ。『 Song Stories 』で読みましたから。ストーンズの歌とこの歌と、どちらかを選ぼうとしていたのですよね。」
パートリッジ「ええ。「 Citadel 」です、ストーンズの歌です。それについては、雑誌 Mojo ための批評記事を書き上げたばかりなのです。[ Their Satanic Majesties Request 50周年記念版: ノエルかえる不恵留 ]Mojo は、多くの人のそれぞれの好きなストーンズの歌についての記事を掲載しているところなのです。ストーンズの歌については、私は好きな歌があまりにもたくさんあります。でも、この歌は、私の心の中で、特別な位置を占めているのです。」 
バーンハート「何故ですか?」
パートリッジ「とても大きな感銘、影響を私に与えたのです。「 Citadel 」は、ストーンズの『 Their Satanic Majesties Request 』に入っています。それで、私の友人の一人で、何故だか( くすくす笑う )、ちょっとミック・ジャガーに似ていたのです、厚い唇をしていて、まとまりの悪いふさふさの髪のおかっぱでしたけど、子供の時にはしょっちゅう遊びに来ていたのです。彼と私は、海賊ラジオ局ごっこをよくやっていたのです。二人は、お気に入りのレコードを持ち寄っていたのです。それに、私は当時、グルンディッヒのテープ・レコーダーを持っていたのです。[ グルンディッヒ - Wikipedia ] それは、「モンキーを描こう」コンテストに優勝して得たお金で買ったものでした。それで、自分たちがやった「放送」をそのまま録音していたのです。好きな曲をかけて、その曲の間に、ばかばかしいDJの様なことを喋ると言うのが私たち「放送番組」でした( 笑う )。 
 それである時に、友人の彼が、兄さんのアルバムを一枚持って来たのです。そこで私は「 Citadel 」を聴いたのです。「なんて、ファンタスティックなんだ!」と思いましたね。聴いたこともない様な無茶苦茶な曲だと思いました。ストーンズは、サイケデリアそのままをすることは出来なかったのです、それが、私がこのアルバムを好きな理由なのです。それは、素晴らしい作品で、見事な失敗なのです。バラをはじめ花々は、明らかにプラスティックなのです。( くすくす笑う ) 見た雰囲気はあまりよくないですよね。メンバーは何だか不機嫌の様です。それに、薬、効き目の弱い植物由来のものより、危険だと、貴方も感じるでしょうね。 
 けれども、「 Citadel 」を聴いた時、私は本当に感動したのです。私の心に刻みつけられたのは、その歌詞なのです。何度も繰り返して聴いて、聞き取ることが出来たのです。その歌詞は、SF的なものでした。例えば、「 Screaming people fly so fast / In their shiny metal cars / Through the woods of steel and glass. 」と言う行などがそうです。私はなんて夢幻的なんだろうと思いました。その歌詞が、ギターが奏でている未来都市の音、そしてメロトロン、小さなフィンガー・シンバル、フィードバック、と言った鋼の様な音、それらは他に代え様のない音なのですが、それらの音全部と完全に溶け合っているのです。 
 ところで、小学校の頃の私は、読むのがひどく遅かったのです。課題で、何か本を読まなくてはいけないとなると、私は本当に苦々しく思っていたものです。例えば、『 Lorna Doone [ 1893年の小説、作者はブラックモア。Lorna Doone - Wikipedia ]』の様なものだったり、プレスター・ジョンの伝説[ プレスター・ジョン - Wikipedia ]についての本だったりですね、そう言うのが課題になっていました。忘れてしまいましたけれどね。兎も角、私は自分がどうしようもなく愚鈍だと言うことに気が付いたのです。と同時に、大部の書籍というものに恐れを抱く様になったのです。私が難読症か何か、学習障害を患っていたかどうかは分かりません。わかっているのは、小学校では、読むことが出来る様になったのは、同学年で私が最後だった、と言うことなのです。読書に障害があると言うことは、明々白々でした。」 
バーンハート「でも、今はそうではないですよね。」
パートリッジ「ええ。でも、今でも絵の方が好きですよ。今でもやはり、絵のところに喘ぎながら這い上がって、一休みが出来る様な本が好きなのです。本の中の絵は小さな島ですね。それでですね、その頃、友人とラジオ局ごっこをしてた頃ですが、自分の意思で本を読みことを始めていたのです。それが、SFだったのです。信じられないペースでSFの本を吸収していっていたのです。ですから、「 Citadel 」の歌詞のSF的本質は、ちゃんと私には理解できたのです。おかしな話に思われるでしょうが、「All Along the Watchtower」の歌詞の内容を私が好きなのも、同じ理由からなのです。両方の歌の主題が似ているからなのです。片方に遠くの都市の中で安逸に暮らしている特別の人がいて、もう片方に武装した下層民がいて見張り塔から壁を超えて都市を注視しているのです、そう言う主題です。登場人物は、二つの歌の設定を行ったり来たりします、挨拶し合ったりするのです。中世の砦であり、個人の砦であり、未来の砦なのですけれど。両方の歌の歌詞の設定が、私から見ると、同じ景観の中にあるのです。それで、この様に考えたのです。「この二つの歌のどちらか一つをカバーしたら良いんじゃないだろうか、だって、どちらも保守派を代表する人の歌な分けだし。徹底的に斬新なアレンジでやって、僕らが保守派にちっとも畏敬の念を抱いてないことを見せつけたら、つまり、彼らが作ったものを取り上げて、それを完全に粉々にして、しかも、その粉々になったものを僕たちの遣り方で一つにまとめて全然別のものにすることが出来ると、見せつけたら、騒動になると思うな。」」   




バーンハート、パートリッジ対談「 All Along the Watchtower 」2: ノエルかえる不恵留
バーンハート、パートリッジ対談「 All Along the Watchtower 」3: ノエルかえる不恵留
バーンハート、パートリッジ対談「 All Along the Watchtower 」4: ノエルかえる不恵留

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2019年06月18日

X(@xtcfans)さん | Twitter

 アンディーが使っていた、@xtcfans のアカウント、他の人が使い始めた??? 

@motionbandhq とリンクされてる、「2019年6月に登録」と。

https://twitter.com/xtcfans
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2019年06月15日

さてとてと

 アンディー・パートリッジは、彼がtweetを止めてからほぼ一月経つのだけれど、「このTシャツを買わない様に」等と告示する機会を失って、どうなのだろう。tweetは止めたけれど、毎晩iMacの前に座って「XTC」検索はして、YouTubeのXTC の歌のビデオに付いた新しいコメントを見つけては憤慨すると言うこと等は、続けているのだろうか。それとも、無聊に酒を飲んでいるのだろうか。そうではなくて、作品制作に忙しくて、インターネットなど見てもいないのだろうか。 

 それで、テリー・チェンバースへのバーンハートさんのインタビューは、先のパート3の終わりとしたところから、そのまま会話は続いているのだけれど、プロデューサーに触れると『Drums and Wires』の事へも話題が進むので、あそこで止めたのだけれど。 
 それで、そのままパート4には進まずに、バーンハートさんの他のインタビューを読んでいこうかと思っている。『White Music』の「Radios in Motion」とか「All Along the Watchtower 」とか、『The Big Express』のものとか。あるいは、モールディングの「Frivolous Tonight」とか。 



 それと、テリー・チェンバースへのインタビュー、ブログ『世界最高のバンドXTCよ永遠なれ!!!』はもちろん参照しているのだけれど。Miko さんは、勘違いもあって。気になるところは、例えば、 
「I'd hate to think that people think we went into a big thing with rhythms perhaps in the same way that Devo did -- I think they really looked at it. I don't think we looked at it to the extent that they did.」のところ、 
チェンバースの趣旨は、自分たち XTC は、Devo の後追い、模倣をしていたのではない、と言う事なのだけれど、
彼女は、「Devoがやったみたいに、XTCがこの曲でリズムを深く掘り下げて考え抜いて作ったと思われるのは嫌ですね。Devoは本当に研究したと思うんですが。 僕らはそれほど深く考え抜いたわけでは無かったと思う。」としている。
http://long-live-xtc.seesaa.net/article/374937569.html?seesaa_related=category

また、「As things became a little bit more experimental for Andy, playing an empty drum pattern allowed him the room to put some ideas on top later in the recording process, if he wasn't sure of exactly what he wanted to put down himself.」のところ、
ここは、『Go2』の時点の話しで、『White Music』でレコーディングを経験したので、アンディーは手順を覚えて、オプションをいくつか作って、どうするかはゆっくり考えて、後から重ねて録音する様になった、と言う趣旨なのだけれど、 
彼女は、「アンディが音楽に対して、もう少し実験的な事をやり始めたので、録音プロセスの最初の段階ではアンディ自身が何をしていいかわからなくても、僕がスカスカのドラムパターンをプレイさえしておけば、後の方で色々アイデアを付け加えられたんです。」としている。
experimental の意味を勘違いしてるのだろうけど。
http://long-live-xtc.seesaa.net/article/375218793.html?seesaa_related=category


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2019年06月14日

バーンハートさんのテリー・チェンバースへのインタビュー パート3 の6

バーンハートさんのテリー・チェンバースへのインタビュー パート3 の5: ノエルかえる不恵留





バーンハート「先程は、演奏技術について少しばかりのお話しをして頂いたのですが、同時に、何曲かについても話して下さいました。そこでですが、強拍のない所で、ハイハットを使うことが多い時がありました。「んと」の所ですね。パートリッジさんは、「豆スープ Pea soup : ハイハットを開けたまま叩いて直ぐに閉じる奏法 」と言う呼称を好んでいましたが。それが最初に聴かれるのが、「 Meccanic Dancing 」だと思うのです。その次に聞かれるは、「 Helicopter 」です。それから、「 Generals and Majors 」と続きます。」 
チェンバース「ああ、「 Meccanic Dancing 」はアンディーの「ダンス曲」の一つですよ。とっても踊り向きです! 今でもうんざりしますね( 笑う )、でも実際にアンディーが踊るところを見ると分かりますよ、あれがダンス曲だと言うことに納得されるでしょうね。アンディーが踊るのを見た後では、貴方は屹度こう言うでしょうね。「おお、この曲はなんて踊りやすいんだ! 但し、誰もがアンディーの踊り方で踊ることが出来ると言う条件付きだがね。若し、アンディーが世界中の者を彼の様に踊れる様にすることが出来たならば、彼はヒット曲を作れるだろうに!」 ( 笑う )。今、アンディーが踊っているところを頭に描いてしまいましたよ。何と言っても、時々踊っていましたからね、アンディーと言う人は。アンディーと言う人間は、周りをよく笑わせていたのです。ただ、彼の踊りのテクニックは、これは断言出来ますが、抱腹絶倒ものなのです。何と言うのでしょうね、彼が生まれてから此の方、誰かにダンスを教わったとすれば、その教師は誰だろうかと考えるとですね、私に思い浮かぶのは、ジョン・クリーズ John Cleese [ ジョン・クリーズ - Wikipedia] ですよ。( 笑う )。 
 そうなんですよ、アンディーは、彼流のダンスをブームにしたかったのです。「マッシュド・ポテト」を書くことが出来ればね、屹度そうしていたでしょう。[ Mashed Potato : 1962年に大流行したダンス。ジェイムス・ブラウンの「 Mashed Potatoes 」のヒットで流行した。Mashed Potato (dance) - Wikipedia ]」 
バーンハート「( しばらく笑う )、お話しを続けて下さい。それは、パートリッジさんが「ちょっとこうしてくれ」と言われたことなのですか? それとも、このテクニックを使っている他の曲に、貴方自身が魅了されていたからなのですか? それとも…、」 
チェンバース「そうですね、あの曲の当時ですが、二度ほどのドイツとヨーロッパのツアーを終えたばかりの時でしたから、ちょっとヨーロッパ風味があるのではないかと、思います。ドイツでは、あの様な機械的なディスコが出始めていたのです。一つ思い浮かぶのは、カン Can ですね。ドイツのバンドですが、アンディーには大きな影響を与えています。カンは、とても機械的ですよね。ドイツのディスコ曲の多くはとても規律正しいのです、とてもドイツ的ですよね、他にもっと良い言い方がないので。正確なのです。曲が始まって、かっきり三分で終わります、そう言うものなのです。三分と言うのは、ラジオで放送される時間なのです。それに、イーノとボウイがドイツでたくさんの仕事をしてましたし、ケルンでは何か新しいシーンが進行中の様でしたので。そう言うものに、アンディーは興味津々だったのです。 
 私は思うのですが、いくつかの曲、その一例が「 Meccanic Dancing 」ですけれど、それらは多分、ヨーロッパで聴いたものの結果なのでしょう。商業的な見地から、これらの曲を作っていったのではないです。聴かれれば、「商業的な自殺だ。」と言われるでしょうからね( 笑う )、でも、ヨーロッパの影響は見て取れると思いますよ。」 
バーンハート「成る程そうですか。もう一つ、この「 Meccanic Dancing 」の時期に於いての奏法で私が気が付いたことがあるのですが、それは、後になって、貴方の奏法で他より以上に目に付く様になるものなのですが、ある一つのパターンを取ると、そのパターンから全く離れることなく、曲全部をそれで押し通してしまうのです。」 
チェンバース「そうですね。それもまた同じことなのです。間を空けると言うことから起こっているのです。レコーディングを少しばかり経験して来たのですが、アンディーは、最初に自分自身どうするかを正確に把握していなくても、間を取ったドラムのパターンを演奏して録音しておけば、レコーディングの後の段階になって、思い付いた楽想を加える余地があるのだと言うことを経験から学んで来たのです。もし私がドラムのフィルを演奏して、曲のどこかでそれを先に録音してしまっていたら、後になってアンディーが他の考えを思い付いたとしても、それを入れる余地はあまり無いと言うことになるのです。そう言う次第で、ある特定のパターンに決まってしまったのです。アンディーはよくこう言っていましたよ。「この曲をやろう。で、ちょっと空きを残しておこう。後で何かする代を残しておくんだ。」 実際には、それはステージで答えが出されましたね。その幾つかを集めてスタジオに持ち込んだのです。「思い付いたものはやってみよう」と言う遣り方でした。 
 曲の大枠は出来ていたのですし、歌詞も出来ていました。でも、アンディーは、どうしても、二、三の選択肢を決めないままで取って置きたがっていたのです。選択肢は、制約を掛けることで残せたのです。それが私のドラムがしていたことなのです。私は、「制約」と言いましたが、言葉の最善の意味で使っている積りです。この曲を録音するのに、「バン−カシャン~ドン」をずっとしていたならばですね、アンディーは、必ずや、あちらこちらを取り除こうとしたでしょうからね。そう言うことはしなかったのです、そうではなくて、アンディーは、いつもこう言っていました。「そうだなあ、アイデアはあるんだよ、ここでキーボードを使って見るとかね、でも、キーボードがピッタリと来るかどうかは分からない、だからね、これだけは録音しておこうよ、僕がこうしたいと言うリズムだけは分かっているんだ。それでねえ、ちょっとだけ後からパーカッションを入れる余地を残して置かなくっちゃね、曲のどこかのリズム・セクションでシャッフルが要るかもしれないだろ。」 そう言う進め方だったのです。今思うと、その進め方だから上手く行ったのでしょうね。そうですね、私に関しては、兎も角も、上手く行ったのです。その時には、「ああ、まあ、それなら受け入れられるわ。」と私は思ったものでした。」 






バーンハートさんのテリー・チェンバースへのインタビュー パート3、ここまでにします。 
誤訳、疑問点を指摘して下さると助かります。  



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2019年06月12日

Areni Agbabian 『 Bloom 』

 カリフォルニアのヴォーカリスト、Areni Agbabian のアルバム『 Bloom 』がECMからリリース。 

https://www.ecmrecords.com/catalogue/1534926181  

 アレニ・アグバビアンは、アルバニア系の人。 

 アルバムのジャケットのアートワークの写真、大きな松毬。 

https://www.youtube.com/watch?v=P0nzE9tWNJQ
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2019年06月11日

Tala' al Badru 'Alayna

 スウィンドンのスプリング・フェスティバルで、Sarah Yaseen さんが、「 Tala' al Badru 'Alayna 」を歌ったそうで。 

 「 Tala' al Badru 'Alayna 」は、イスラムの伝統的な詩。 
 Sarah Yaseen さんは、イギリスに住まわれてるのだと思うけど。 

 


http://sarahyaseen.com
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2019年06月10日

バーンハートさんのテリー・チェンバースへのインタビュー パート3 の5

バーンハートさんのテリー・チェンバースへのインタビュー パート3 の4: ノエルかえる不恵留





バーンハート「パートリッジさんは、アメリカのバンドが大好きでしたからね。」 
チェンバース「そうです。実際、アンディーは、コリンや私よりも、ずっと大きくアメリカのバンドに影響されているでしょう。アンディーと言う人は、何と言うか、私にはよく分からないのですが、アメリカのものに接する機会が多かったように思うのですが。貴方はご存知ですか?」 
バーンハート「ええ。そうですね、彼はレコード店で働いていたのですよね、違いますか?」 
チェンバース「おや、彼がレコード店で働いていたかどうかは知らないですよ。私が知っているのは、当時彼は絵を描くような仕事をしてましたよね、何と言うのでしょうね、ラベルを描くとかそう言うような類ですね。それを何と呼ぶのか知らないのですが。」 
バーンハート「グラフィック・デザイナーでしょうね。」 
チェンバース「ああ、そう言うのですね。彼はアメリカものに夢中でしたね、そう覚えています。それに、アンディーはカレッジに行っていましたから、そこの友人たちはアメリカからの輸入ものに大変に影響されていたのだと思います。もう夢中でしてね、コリンや私に、屡々、アメリカのものを紹介していましたよ。それで到頭、ウェールズの町外れで、ジョニー・サンダース Johnny Thunders の前座を務めることになったのです、本当ですよ。ニューヨーク・ドールズではありませんでした。ジョニー・サンダースがギタリストになっていた、ハートブレイカー Heartbreakers です。彼と、ニューヨーク・ドールズのドラマーだった、ジェリー・ノーランがいました。他のメンバーは、今はもう忘れてしまいました。ハートブレイカーの前座をやったのです。パンク時代ですね( 皮肉っぽく言う )。ウェールズのランドリッドの外れででした。[ 1977年6月25日に、ランドリッドの Grand Pavillionでライブがあった。About Us | Wales | Pavilion Mid Wales ] 記憶が正しければ、他から隔絶した場所で、どうしようもなかったですよ。彼らと私たちの時間の無駄でした。それに彼らの金を無駄にしてしまったのです。」 
バーンハート「( しばらく笑う ) そうですか。では、モールディングさんが貴方についての思い出話しをされたのを、ここで私が話して貴方を驚かせるのを勘弁してくださいね。ウェールズについて話されたことがあるのです。まだ若い頃、ヴァージン社と契約をされる前のことです。 XTC は、ウェールズの「谷間の華やかな場所の一つ」の場所で演奏したそうなのですが、Cuma Pioneer Club とかそういう名前のクラブです。モールディングさんの話しでは、本物の労働者のクラブだったそうで、大酒飲みが大勢いたそうです。それでですね、一セットが終わった後、貴方は、いかにもロック・スターの様な行為をされたそうですね。ドラム・スティックを客席に放り投げたのだそうですが。」 
チェンバース「ああ、貴方はクラブを思い違いしている様ですよ。Tonypandy Worker’s Club だったと思います。それで私は、ある男性の…」 
バーンハート「ええ、話しの続きはですね、貴方は何が起こったかを知らないままステージを降りられたのですね、すると、クラブの支配人が、突然に貴方を更衣室へ押し込んだというのです。実は、貴方は、ある偉丈夫の炭鉱夫のビールの杯を割ってしまっていたのですね、その男は機嫌を損ねて、楽屋の方へ押し進んで行って、貴方に…」 
チェンバース「ええ、本当の話しです。その男と取り巻きが遣って来て、「ドラマーを出せ」と叫んでいました( 笑う )。」 
バーンハート「( 笑う ) それでモールディングさんの話しでは、…」 
チェンバース「あの陸でなし達はですね、彼らもですよ、私を外へ出そうとしたのです、同じ様に「ドラマーを出せ」と言ってですね( 笑う )。あわや、私を押し出そうとしたのです、なんて連中だ。」 
バーンハート「モールディングさんは、「私たちは最後まで彼を出しはしませんでした。でも、そうしようと思わなかった、と言うことはないと思います。」と話されていましたよ。」 
チェンバース「( 笑う ) チェッですね。連中は、貴方が一緒に塹壕にいたいと思う様な者達でしょうかねえ、貴方を一緒に缶詰にしましょうか。あの日に、私は、バンドの他のメンバーの性格と言うのをちょっとばかり知ることになりましたね。それをお話ししますよ( 笑う )。」 
バーンハート「それでも、モールディングさんの話しでは、最後には貴方は出て行って、その男と話して、友人になったそうですね。貴方が一杯ビールを奢ったそうです。」 
チェンバース「ええ。凡そそう言うことだったと思います。場を鎮めたのだったと思います。」 
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2019年06月09日

Grand Tour

 Big Big Train の『 Grand Tour 』を聴く。素晴らしい。また新しい領域に入った様。 

 私は自動車では音楽は聴かないのだけど。車載のプレイヤーで流しながら、アウトストラーダを走ったら、気持ちいいかも。 
それよりも、まず思ったのは、アマルフィとトゥブロヴニクに行きたい、ということ。
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2019年06月07日

Paper wasp アシナガバチ

 6月6日は、トーマス・マンの誕生日だった。1875年6月6日生まれ。亡くなったのは、1955年8月12日だから、コリン・モールディングが生まれる5日前。
 それで、6月7日は、ビザンチン皇帝テオドシウス2世がアエリア・エウドキアと結婚した日。421年。アエリア・エアウドキアは、古代ギリシャ世界とキリスト教信仰を結びつけた人。 


それで、XTC の「We're All Light 」。 


ああ、アシナガバチは、英語では、paper wasp と言うんだ。
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バーンハートさんのテリー・チェンバースへのインタビュー パート3 の4

バーンハートさんのテリー・チェンバースへのインタビュー パート3 の3: ノエルかえる不恵留





バーンハート「( しばらく笑う )、私は思うのですが、すべてのドラマーは、受けた様々な影響のすべてからとったスープの様なものでしょう、それは一般的な場合ですね、貴方の場合、その影響のすべてを入れて混ぜてしまっているのでしょう、でも、結局は、何か違うものになっているのですね、そう思います。そして肝心なことは、貴方の場合、多々見受けられるのですが、材料の味が、まだ、そのまま出ていると言うことなのです。それがですね、私にとっては幸いなことであったのだと思うのです。と言うのはですね、貴方を手本にドラムを叩いていると、そうした「間の取り方」であったり「様々なドラム奏法、流派」であったりが聴き取れたと言うことです。それはどうしてかと言えば、私自身が、ビル・ブルフォードやカール・パーカーそれに初期のフィル・コリンズを聴いて育ったからなのですが…」 
チェンバース「そうですか、私の場合は、結局は、彼らを聴くのを止めてしまいましたけれど。「わかった、僕は彼らの様にとんでもなく上手くは絶対に成れない、もう、自分の道を行くことにしよう」と、その時に思ったのですよ。( 笑う )。それに、「僕ら彼らから引き出すことが出来るものはもう全部学んだんだから。」とも思いました。( 笑う )。私が彼らに追いつくと言うことは一度も起こりませんでしたね。「よし、この奏法を克服したぞ」と私が思う度にですね、彼らは新しいアルバムを出すのですが、そこでは、さらに新しいレヴェルの奏法を使っているのですから。私は決して彼らに勝つことはなかったですね。( 笑う )」 
バーンハート「( 笑いながら ) 仰ることはわかります。こう言って慰めになるかどうか分かりませんが、1980年のブルフォードさんのインタビューの記事を私は覚えているのです。ちょうど、キング・クリムゾンが再結成した時ですね。アルバム『 Discipline 』を発表した時です。記者たちは、ブラフォードさんに、その当時の時点で、興味を持って聴いているアルバムを五枚挙げて欲しいと尋ねていたのです。その五枚のうちの一枚が、『 Drums and Wires 』でした。」 
チェンバース「( 驚いて、言い淀む ) 冗談でしょう。」 
バーンハート「いいえ、冗談は言ってません全然。」 
チェンバース「君…、それは何だか、自分で自分の耳に息を吹きかけてこそばゆい思いをしている様ですよ。如何言う単語を使えばいいのでしょう…、ええと、「信じられない!」」 
バーンハート「( 笑いながら ) サッカーのターンアラウンド・キックの様でしたか? [ ボールを取って前に進む時、不意に振り返って蹴るプレー。チェンバースから見れば、常に背中を見せて前へ進んでいたブルフォードが突然振り向いてボールを蹴って来た、と言うイメージ。 ]」 
チェンバース「そうですねえ、なんと言うか…、彼の方、あの一流の人物について語る資格など私にはありませんよ! あのお偉いお方は生き神様ですよ! つまりですね、彼がギリシャ人だったら、確実に神になった人と言うことです。」 
バーンハート「先ほど、その様なドラマーたちが実際に演奏するのを見て、貴方は気持ちが挫かれてしまった、と話されたのですが、それは私も同じ様な思いをしました。その様な演奏を見ると、一方では、自分もと思ってとても奮起するのですが、一方では、ドラムスティックを二度と持ちたくなくなるのです。」 
チェンバース「怯んでしまうのです! 私はとても幸運でした。ドラマーがアラン・ホワイトに交代する前のイエスのライブを観たのです、ブルフォードがイエスで演奏していたのです。三枚目のアルバム『 The Yes Album 』から四枚目の『 Fragile 』に亘っての頃です。」 
バーンハート「私は、イエスで演奏するブルフォードさんを観たことは一度もありません。特別なものだったでしょうね。」 
チェンバース「君、それはそうでしょう。それで、最初に観た時には、キーボードがトニー・ケイでした。二度目では、リック・ウェイクマンに変わっていました、『 Fragile 』を演っていたのですね。それで、何を言えばいいでしょう? [ トニー・ケイは1971年3月リリースの『 The Yes Album 』に参加した後、ツアーにも参加して、1971年7月に脱退。ウェイクマンは、同年8月の 『 Fragile 』のリハーサルから参加。]」 
バーンハート「ええ。名立たる編成ですね。」 
チェンバース「ああああ、何と言うか、私はいまだに彼ら Yes のCDを買っているのですよ。私の妻は、その手のものは全く嫌いですけれどね。妻はマイケル・ボルトン Michael Bolton [ マイケル・ボルトン - Wikipedia ]を好んで聴いています( 笑う )。まあ、私はですね、ビールを二、三本持って、ソファに深々と座って、そう言ったものをプレイヤーにかけるのです。私だけの世界に浸ると言うわけです。まあ、雑音は入るでしょうけれど、基本的に私の世界ですね。Yes が好きと言うだけなのです。今でも好きです。今でもですよ。70年代のアルバムが、私にとっては、今でもやはり、気を惹くものなのです。 
 実際、これまで私はイギリスの音楽の影響だけを話して来ましたけれど、影響を受けたのには、アメリカのバンドもいます。そこは公平に言わなければなりませんね。例えば、グランド・ファンク・レイルロードとかエドガー・ウィンター Edgar Winter 等です。「 Framkenstein 」は、常時、ターンテーブルに載っています。[ Frankenstein (instrumental) - Wikipedia ] グランド・ファンクのライブ・レコードなどは、カイがいつも聴いていますね。あのドラムのソロですが…、名前は、何でしたっけ? ブレウスター? ブレワー?」 
バーンハート「ドン・ブリューワー Don Brewer だったと思います。」 
チェンバース「そう、間違ってはないですよね。本当に素晴らしい。あれも、三人編成でしたね。[ グランド・ファンク・レイルロードの『 Live Album 』( 1970年 ) は、三人編成で録音されている。Live Album (Grand Funk Railroad album) - Wikipedia ]」 
バーンハート「ええ。それに、歌うドラマーでもあります。」 
チェンバース「なんてアルバムなんでしょうね。素晴らしい。ジェイムス・ギャング[ James Gang - Wikipedia ]も大好きなのですよ。たくさんあるバンドの名前を思い出そうとしているのですけれど、すみません、多くを忘れてしまっています。でも、好きな、影響を受けたアメリカのバンドもたくさんあったことは確かです。モントローズ、サミーヘイガーがいたバンドですね、彼はギタリストですが、でも素晴らしいのです。ニューヨーク・ドールズ、ルー・リード、…、」 
バーンハート「成る程。そう言ったアメリカのバンドは、貴方たちの初期の頃に大きな影響があったのですね。」 
チェンバース「ええ。」 

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2019年06月03日

バーンハートさんのテリー・チェンバースへのインタビュー パート3 の3

バーンハートさんのテリー・チェンバースへのインタビュー パート3 の2: ノエルかえる不恵留





バーンハート「その通りですね。そうすると、私には二つの設問が投げ掛けられるように思われます。一つは、ダブル・キックが XTC の音楽に於いて上手く機能するのかどうか、と言う設問です。おそらくは、「不可」でしょう。もう一つの設問は、一方で貴方自身はダブル・キックを使うことに興味を持っていたのではないか、と言う設問です。おそらくは、「是認」でしょう、違うでしょうか?」 
チェンバース「ええ、そうでしょうね。アンディーは顔を顰めたでしょうね、そう思います。アンディーはドラム・キットが大きくなるのを良しとしなかったからです。ご存知でしたか? ( 笑う ) パーカッションには、こまごましたガラクタがたくさんあると、アンディーはいたく喜んでいました。それとか、微妙な感じの出せるもの、小さなシンバルとか、二個一組のロト・トムとかが好きでしたね。一方で、バス・ドラムが大きくなっていくことは望んではいませんでした。ドラム・キットと台座がどうしようもなく嵩張るのが嫌だったのですね。まあ、アンディーはドラム・キットがステージで占める空間を抑えたかったのだと思いますよ。( 笑う ) 「後生だからさ、もう持っているものだけで間に合わせろよ。」と言ってましたね。」 
バーンハート「( しばらく笑う ) 全くそうですね。彼のドラムズに関する全般の考え方について、私に話してくれたのですが、その中で彼がよく言っていたことの一つに、彼は努めて間隙を見つける様にしている、と言うことでした。その間隙を活かすのだと言うのです。その事は、 XTC の曲を聴けば明らかです。それで詰まり、貴方は、ドラミングに…、」 
チェンバース「ええ。」 
バーンハート「間隙を残すのですね、そこに、パートリッジさんのギターかヴォーカルが入るのです。貴方がフォービートを叩いているのに対して、彼は、細かい三連符を入れるのですよね、それがヴォーカルだったりギターだったり、他の楽器だったりはしますけれど。そう言うのは、ダブル・キックのバス・ドラムに合わせて入れようとすると、相当の困難さがあっただろうと思います。」 
チェンバース「ええ、全般的に、貴方の言われること、そのどれもに同意します。つまりですねえ、私と言うのは、アンディーを良く見せるのに専心して叩いていたのです。( 笑う )、それは違いますけれどね。でも、貴方の言われることは、全くその通りです。例えば、そう、先程では、ドラマーのサイモン・カーク Simon Kirke [ Simon Kirke - Wikipedia ]について言及するのを忘れていたのですが、ご存知ですよね、フリーやバッド・カンパニーで活躍した人ですが。」 
バーンハート「勿論、知っています。」 
チェンバース「[ 音楽の構造での ]空間ということでは、彼は後進のドラマーに大きな影響を与えていた、と私は思いますよ。私のドラミングではそうした空間性は聴き取れないかと思いますが。でも、意識下では彼のドラムがあったのです。貴方が、間隙や切れ間を置いておくと言い出された時、私の頭に最初に浮かんだのは、彼なのです、本当に。」 
バーンハート「私は、貴方のドラミングにしっかりとそれを聴き取れます。」 
チェンバース「そうですか?」 
バーンハート「ええ。素晴らしいことが一つあるのですが、それは、そうですねえ、私はずっと貴方のドラムを手本に演奏して来ているのです、XTC のアルバムをカバーしているのです、おそらく、他のどのドラマーよりも XTC の曲を多く演奏していると思います、それですから、素晴らしいことというのは、また、ちょっと可笑しなことでもあるのですが、お分りいただけるでしょうか、今私がここに座って貴方とドラムングについて語り合うということなのです。」 
チェンバース「( 笑う ) ええ。」 
バーンハート「貴方の影響はとても大きなものなので、貴方のドラミングの幾つかはもう私にとっては内面化している様に思えるのです。」 
チェンバース「トッド君、君に必要なのは、私という中継者を飛ばして、先に私が話したドラマー達を注意深く聴くことですよ。( 笑う )」 
バーンハート「それは、もうしました。」 
チェンバース「何か繋がりを見つけましたか? と言うのはですね、私がしたこと、私が必死に得ようとしたことと言うのは、その繋がりを見つけると言うことだったからです。貴方が結局見つけたものと言うのは、私が先に話したドラマー達すべての混淆なのですよ。「繋がり」は私をどこへ連れて行ったか、それは神のみぞ知ると言うことでしょうか、ああ、一つ言えますね、大地の底へ連れて行ったのです。( 笑う )、文字通りですね。私は、私のドラム奏法を辺境の植民地の貴方の頭に叩き込んだと言うわけですね。嘗ては、我が国がそこに人々を送り込んだのですが、私もまだ同じことをしたと言うことですね。[ 貴方:バーンハートさんはアメリカ人。 ]」  


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2019年06月01日

Wallace Stevens 「 The Man With Blue Guitar 」の3訳

Wallace Stevens 「 The Man With Blue Guitar 」の2訳: ノエルかえる不恵留





ああ、けれど、男が自分に弾く時は違う、 
それは、自分の心臓に短剣を打ち込むことであり、 

脳を台の上に置き、 
きつい色をつまみ出すことであり、 

自分の思想をドアに斜に釘付けることであり、 
すると、その思想の羽はグンと広がって、雨になり雪になるのだけれど、 

自分の脈つ命を打つことであり、ハイホーと、
ピクッと動かし、ドクッと動かし、本物にすることであり、 

金属の弦をジャンジャン掻いて、
青いギターから残酷な青を喧しく鳴らすことであり…





III
Ah, but to play man number one,
To drive the dagger in his heart,

To lay his brain upon the board
And pick the acrid colors out,

To nail his thought across the door,
Its wings spread wide to rain and snow,

To strike his living hi and ho,
To tick it, tock it, turn it true,

To bang from it a savage blue,
Jangling the metal of the strings….



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