2019年06月14日

バーンハートさんのテリー・チェンバースへのインタビュー パート3 の6

バーンハートさんのテリー・チェンバースへのインタビュー パート3 の5: ノエルかえる不恵留





バーンハート「先程は、演奏技術について少しばかりのお話しをして頂いたのですが、同時に、何曲かについても話して下さいました。そこでですが、強拍のない所で、ハイハットを使うことが多い時がありました。「んと」の所ですね。パートリッジさんは、「豆スープ Pea soup : ハイハットを開けたまま叩いて直ぐに閉じる奏法 」と言う呼称を好んでいましたが。それが最初に聴かれるのが、「 Meccanic Dancing 」だと思うのです。その次に聞かれるは、「 Helicopter 」です。それから、「 Generals and Majors 」と続きます。」 
チェンバース「ああ、「 Meccanic Dancing 」はアンディーの「ダンス曲」の一つですよ。とっても踊り向きです! 今でもうんざりしますね( 笑う )、でも実際にアンディーが踊るところを見ると分かりますよ、あれがダンス曲だと言うことに納得されるでしょうね。アンディーが踊るのを見た後では、貴方は屹度こう言うでしょうね。「おお、この曲はなんて踊りやすいんだ! 但し、誰もがアンディーの踊り方で踊ることが出来ると言う条件付きだがね。若し、アンディーが世界中の者を彼の様に踊れる様にすることが出来たならば、彼はヒット曲を作れるだろうに!」 ( 笑う )。今、アンディーが踊っているところを頭に描いてしまいましたよ。何と言っても、時々踊っていましたからね、アンディーと言う人は。アンディーと言う人間は、周りをよく笑わせていたのです。ただ、彼の踊りのテクニックは、これは断言出来ますが、抱腹絶倒ものなのです。何と言うのでしょうね、彼が生まれてから此の方、誰かにダンスを教わったとすれば、その教師は誰だろうかと考えるとですね、私に思い浮かぶのは、ジョン・クリーズ John Cleese [ ジョン・クリーズ - Wikipedia] ですよ。( 笑う )。 
 そうなんですよ、アンディーは、彼流のダンスをブームにしたかったのです。「マッシュド・ポテト」を書くことが出来ればね、屹度そうしていたでしょう。[ Mashed Potato : 1962年に大流行したダンス。ジェイムス・ブラウンの「 Mashed Potatoes 」のヒットで流行した。Mashed Potato (dance) - Wikipedia ]」 
バーンハート「( しばらく笑う )、お話しを続けて下さい。それは、パートリッジさんが「ちょっとこうしてくれ」と言われたことなのですか? それとも、このテクニックを使っている他の曲に、貴方自身が魅了されていたからなのですか? それとも…、」 
チェンバース「そうですね、あの曲の当時ですが、二度ほどのドイツとヨーロッパのツアーを終えたばかりの時でしたから、ちょっとヨーロッパ風味があるのではないかと、思います。ドイツでは、あの様な機械的なディスコが出始めていたのです。一つ思い浮かぶのは、カン Can ですね。ドイツのバンドですが、アンディーには大きな影響を与えています。カンは、とても機械的ですよね。ドイツのディスコ曲の多くはとても規律正しいのです、とてもドイツ的ですよね、他にもっと良い言い方がないので。正確なのです。曲が始まって、かっきり三分で終わります、そう言うものなのです。三分と言うのは、ラジオで放送される時間なのです。それに、イーノとボウイがドイツでたくさんの仕事をしてましたし、ケルンでは何か新しいシーンが進行中の様でしたので。そう言うものに、アンディーは興味津々だったのです。 
 私は思うのですが、いくつかの曲、その一例が「 Meccanic Dancing 」ですけれど、それらは多分、ヨーロッパで聴いたものの結果なのでしょう。商業的な見地から、これらの曲を作っていったのではないです。聴かれれば、「商業的な自殺だ。」と言われるでしょうからね( 笑う )、でも、ヨーロッパの影響は見て取れると思いますよ。」 
バーンハート「成る程そうですか。もう一つ、この「 Meccanic Dancing 」の時期に於いての奏法で私が気が付いたことがあるのですが、それは、後になって、貴方の奏法で他より以上に目に付く様になるものなのですが、ある一つのパターンを取ると、そのパターンから全く離れることなく、曲全部をそれで押し通してしまうのです。」 
チェンバース「そうですね。それもまた同じことなのです。間を空けると言うことから起こっているのです。レコーディングを少しばかり経験して来たのですが、アンディーは、最初に自分自身どうするかを正確に把握していなくても、間を取ったドラムのパターンを演奏して録音しておけば、レコーディングの後の段階になって、思い付いた楽想を加える余地があるのだと言うことを経験から学んで来たのです。もし私がドラムのフィルを演奏して、曲のどこかでそれを先に録音してしまっていたら、後になってアンディーが他の考えを思い付いたとしても、それを入れる余地はあまり無いと言うことになるのです。そう言う次第で、ある特定のパターンに決まってしまったのです。アンディーはよくこう言っていましたよ。「この曲をやろう。で、ちょっと空きを残しておこう。後で何かする代を残しておくんだ。」 実際には、それはステージで答えが出されましたね。その幾つかを集めてスタジオに持ち込んだのです。「思い付いたものはやってみよう」と言う遣り方でした。 
 曲の大枠は出来ていたのですし、歌詞も出来ていました。でも、アンディーは、どうしても、二、三の選択肢を決めないままで取って置きたがっていたのです。選択肢は、制約を掛けることで残せたのです。それが私のドラムがしていたことなのです。私は、「制約」と言いましたが、言葉の最善の意味で使っている積りです。この曲を録音するのに、「バン−カシャン~ドン」をずっとしていたならばですね、アンディーは、必ずや、あちらこちらを取り除こうとしたでしょうからね。そう言うことはしなかったのです、そうではなくて、アンディーは、いつもこう言っていました。「そうだなあ、アイデアはあるんだよ、ここでキーボードを使って見るとかね、でも、キーボードがピッタリと来るかどうかは分からない、だからね、これだけは録音しておこうよ、僕がこうしたいと言うリズムだけは分かっているんだ。それでねえ、ちょっとだけ後からパーカッションを入れる余地を残して置かなくっちゃね、曲のどこかのリズム・セクションでシャッフルが要るかもしれないだろ。」 そう言う進め方だったのです。今思うと、その進め方だから上手く行ったのでしょうね。そうですね、私に関しては、兎も角も、上手く行ったのです。その時には、「ああ、まあ、それなら受け入れられるわ。」と私は思ったものでした。」 






バーンハートさんのテリー・チェンバースへのインタビュー パート3、ここまでにします。 
誤訳、疑問点を指摘して下さると助かります。  



posted by ノエルかえる at 09:00| Comment(0) | English Settlement | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする