2018年02月23日

There's a Lesson to Be Learnt 2 Making Plans for Nigel

There's a Lesson to Be Learnt 1 XTC: On th road and in the studio: ノエルかえる不恵留

メイキング・プランツ・フォー・ナイジェル 
貴方たちは、他のグループ・バンドと競い合ったのですか? 
コリン「そうですね、今思えばですが、私たちは注目される時を逃してしまったと考えていたのです、と言うのは、ザ・ストラングラーズ The Stranglers [ The Stranglers - Wikipedia ] がいましたし、ザ・ジャム The Jam が『 Top of the Pops 』に定期的に出演していましたから。」 
テリー「レコード会社は、「これにはシングル曲がない。」といつも言っていましたよ。レコード会社が積極的だったのは、全くシングルだけだったのです。私たちは自身をシングル・バンドだと意識的に考えたことは一度もなかったのです。シングルは、アルバムからの使者であり、アルバムに必要な部分の一つだったのです。」 
コリン「「 Nigel 」が出来た時には、「神様、ありがとう」と私たちは思いましたよ。レコード会社は、確かにそう思っていました。何度も言ってましたよ、「諸君、もう二枚のアルバムを頼むよ。我々は成功を収めるだろう。」と。」  

「 Making Plans for Nigel 」は首にぶら下がった重荷だと考えたことが一度でもありますか?
コリン「あれは、私に家を一軒買って呉れましたよ。何が言えるでしょうか? 一般の人たちの間にヒットして嬉しいと言うだけです、貴方には物足りない答えかも知れませんね。その時に戻るのは難しいです。「僕はもうヒットを出した、これ以上を期待しないで!」と言うことだったか知ら。毎週出れば良いですよね、でもそれでは、テレビ番組の『 $64,000 Question 』ですよ[ The $64,000 Question - Wikipedia ]。どうやればヒットを出せるか? 何が大衆に受けるのかは、誰にも分かりません。寝室に入って、「よし、僕は誰でもが好きになる様なヒット曲を書くぞ」と自分に言い聞かせたとしても、上手くいくことは決してないでしょうね。」 

実際、この曲を成功させているのはある奇妙さです。ドラムズは型破りですし、歌われている情感は、「 I love you 」ではないのです、誰も思ってもいなかったテーマです。
コリン「それ以後のことも考えてみて下さい、あの地点に行けそうには一度もなりませんでしたよ。あれは、事故だったのです。」 
テリー「「 Senses Working Overtime 」はそれと似ていましたね。私には、あの曲がシングルに相応しいとは思えませんでした。会社がシングルで出そうとしていると言った時には、私は「呆れた! 幸運あれ。」と思いました。私はあの歌が大好きでした、でも、シングルになるとは思えなかったのです。」 
コリン「私は、「プログ・ロックだ、プログ的な要素が全部ある。」と思いましたね。」 
テリー「アンディはアコースティック・ギターを持って現れたのだったよね。私は、「アコースティック・ギターって、僕たちはスティ―ラーズ・ホイール Stealers Wheel [ Stealers Wheel - Wikipedia ] の時代に戻るって言うことか?」と思ったんだよ。それでも、「ナイジェル」と同様に、『 Top of the Pops 』に出演させてくれたね。」 
コリン「それに、開始部分に中世風ドラム。聴衆には「ワン、トゥ、スリー、フォー、ファイブ」が受けたんだよね。それで、他の部分にも聴き進むことになるんだ、あのドラムは人々をちょっとした旅に連れて行ったんだよね。君こそが人々を誘ったとすれば、素晴らしいことじゃない。」 
テリー「ポップスの世界にですと、ホーランド=ドジャー=ホーランド Holland–Dozier–Holland が居ます[ モータウンのソングライティング・プロデュース・チーム Holland–Dozier–Holland - Wikipedia ]。人々を惹き付ける曲をトラックで出荷出来ると言う単位で大量生産していたのです。彼らは、魔法のフォーミュラに乗り込んでいたのです。彼らが触れるものは、全てが金に変わりました。」 
コリン「でも、ブリル・ビルディング Brill Building [ ニューヨークにあるビルディング。音楽出版社が多く入っていた。1950年代から60年代が最盛期だった。 Brill Building - Wikipedia ] の人たちが書いたものは、誰でもがカバー出来たのです。それとは反対に、「 Nigel 」はとても風変わりでした。それをカバーする誰かを思い浮かべることは出来ないでしょう。ロビー・ウィリアムズ [ テイク・ザットの元メンバー。Robbie Williams - Wikipedia  テイク・ザット脱退後の1997年のシングル。] が挑戦したのですけれど、ドラムスがあの奏法ですから、彼らは正しいドラムスが出来なかったのです。 」 
テリー「私はブロンディーと一緒にツアーしたときのことを覚えています。クレム・バークが「 Nigel 」のリズムを演奏しようと試みていました。彼は、全部を滅茶苦茶にしてました。」 

ドラム・パターンについて話して下さい。 
コリン「私が考えついたのは、ビートではなくて、アクセント[ 強勢 ] です。コードとメロディーと歌詞は出来ていたのです。それをバンドに持ち込みました。いつも、私は全部をダウン・ストロークで弾いていました。アコースティック・ギターで、私が出来るのはそれだけですから。皆んなが、「そのアクセントは採用しよう、それを使ってどう出来るか考えてみよう。」と言いました。アンディは、ディーヴォがやった「 (I Can't Get No) Satisfaction [ (I Can't Get No) Satisfaction - Wikipedia ] 」が好きでしたから、リズムを保持しながら複雑に入り組んだ様なものを思い起こさせる事は出来ないだろうかと考えていたのでした。それには、どんなドラムズを入れるべきか、そして、どのような間を置くべきか? 私たちは、ハイハットで開始することにしたのです。」 
テリー「通常では、ドラマーは、歌が進んでいる間、テンポを保つだけです。そこで打つべきだと感じる所で、自動的にハイハットなりスネアなりバス・ドラムなりを打つのですね。今なら、私はこう言うでしょう。「ちょっと待って、ハイハットで四拍を打つのでなくて、八拍か十六拍打ってみようか。」 これだと、終りが少し高すぎるかも知れないよ、ここで下げてみたらどうだろう? 君は、この歌をもっと良くしようと推敲を始めると良いよ。」 
コリン「私たちのリハーサルは、バトン・リレーの様なものでした。一人があるアイデアを思い付いて、他の者が、「いいね、でも、こうしたらどう?」と言うのです。そうしたら、また他の者がバトンをもっと遠くへ持って行くのです。アンディは、常々、「 Making Plans for Nigel 」のビートは彼が思い付いたものだと言っていますけれど、それは正確ではないと私は思いますね。リハーサルはバトン・リレーで、何のアイデアも他の誰かが不意に行った言葉に取り替えられるのです。アンディはよくこう言っていました、「トムで何か出来ない?」、するとテリーが「これならどう?」と答えていたのです。」 
posted by ノエルかえる at 11:00| Comment(0) | Great Aspirations | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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