2018年03月07日

There's a Lesson to Be Learnt 4 Bass and Drums

There's a Lesson to Be Learnt 3 Songwriting: ノエルかえる不恵留

ベースとドラムズ 
テリー「ファースト・アルバムのレッド・ツェッペリンとは違って、私たちが第一戦略で桁外れの成功を収めると言うことはまるでありませんでしたから、「よし、次回作はこれよりも良いものを創らなければならない、と言うことだ。」と言うことになったのです。議論の余地も無く、セカンド・アルバムは、ファースト・アルバムよりも良いと言うことは無かったのですけれど、サード・アルバムに於いては、メンバーの交替もあった分けですけれど、コリンとアンディは自分たちが歌を書く方法をより良く身に付けたと言うだけでなく、歌をどうレコーディングするかと言うことも分かって来たのです。最初の二枚のアルバムは、製作の方法・方向性に苦しんでいました。そうして変化の時が来たのです。最初の二枚のアルバムでは私たちはジョン・レッキーを使ったのですけれど、勿論、彼が音像をより大きくより良くしてくれたことは確かなのですが、あの当時の私たちは全員が未熟だったことは明らかです。常々、あの最初の二枚のアルバムでのドラムの音は少々不出来だと感じていました、と言って、誰に言えば良かったのでしょう? 内心では、「もっと活力のある音に出来たら良いのに」と思っていたのです。スティーブ・リリーホワイトを雇った理由の一つに私が覚えていることがあるのですが、それは、「このウルトラボックスのアルバムは僕にはとても良く聴こえるよ。このアルバムには活力がある、リリーホワイトがそれをやったんだよ。」と私が言ったことなのです。」 
コリン「あれが、ピーター・ゲイブリエル / フィル・コリンズのストーン・ルーム・サウンドの始まりだったんだよね。僕たちと一緒に、タウンハウス・スタジオのスタジオ・トゥーで始まったんだ。」 
テリー「あれがすべてを蘇生させたのです。それ以前の、最初の二枚のアルバムを録音した時には、「ドラムズを反響させない様にしないといけない、音を抑える為にマットレスを回りに敷詰めないといけない。」と言うのが常でした。私たちがアルバムのタイトルについて熟考し、『 Drums and Wires 』と言う題を検討している時に、アル・クラークが訪問して来て、『 Let There Be Drums 』と言ったのです。その方が更に良かったでしょう!」 

貴方たちお二人が、XTC の中で特別の関係をお持ちだったのは、ベースとドラムズだからなのですか?
コリン「テリーのこの右足と私のベースのボールには何かがあるのですね、それが十分に堅固なものを作り出すのですよ。テリーがバンドを脱退した後、私は何人かの他のドラマーと演奏しました、これはテリーも同意してくれると思うのですが、そのドラマーのほとんどは、技術的にはテリーよりも上で…、」 
テリー「間違いない。」 
コリン「けれど、同じ町で生まれて、それもお互いに一マイルの距離の家でその上に一月しか違っていないのだから、何かがあるのです。エヴァリー・ブラザーズのハーモニーが完璧なのに似ているのでしょうか。[ The Everly Brothers - Wikipedia ]」
テリー「私たち二人の父親はどちらもアーケルズのビールを呑んでいましたよ。[ Arkell's Brewery - Wikipedia ] 私の父はその醸造所の株を持っていたと思います。」 
コリン「その分を呑んだのかい? 僕の父も株を持っていたと思うよ!」 
テリー「私たちは四十五年間の間知り合いだったのだし、若い自分には、一緒に演奏の腕を上げて来たのです。私たちは、知り合う以前に、それぞれが一人前の演奏家だったのではありませんから。一緒に成長して、より高い段階のものを理解し、それを上手く使える様に一緒に頑張ったのです。」 
コリン「ベースとドラムの結合には堅固なものがあるのです。深みのある彼の右足が作り出すものには何かがあるのです。他のドラマーの足では、ちょっと足りないのです。」 

他のバンドについてはどうでしょう、XTC の後のバンドですが、例えば Dragon とか?
テリー「あれは、まあ、雇われ仕事ですよ。私は仕事をしなければならなかったのですから、傭兵ですね。特に難しい曲はありませんでした。ほとんどが、フロアドラムの四拍でしたから、彼らが受け容れる様なものを考え出すのに、曲芸的な技をしなければならないと言うことはありませんでした。最後まで、自分が他所者だと感じていました。」 

お話し下さったお二人の関係と言うことではなくて、創作への意欲と言う点で、XTC に何か特別のことがありましたか?  
コリン「私たちは全員が、何か違うことをしようと言う「虫」がお腹にいたのですね。そういう気質だったのです。何か違うことをして、しかもそれでチャートに入れたとしたら、素晴らしかったでしょう?」  

「 English Roundabout 」は、変わった拍子記号ですね。 
コリン「ええ、四分の五拍子です。意識的にしたのではないのです。次々に突進してくる自動車ですよ。つんのめる様な、ちゃんと割り切れることのないビートが、急き立てられる動きと言う印象を与えるだろうと、私は考えたのです。それは、四分の四拍子では得られないでしょう。本能的にそうしたのです。進んで、ジェスロ・タルの様にしようとした分けではありません。」 

テリー、貴方は変わった拍子や不自然なリズム・パターンに戸惑いませんでしたか? 
コリン「彼は、その前に「 Neon Shuffle 」を叩いていました。「 Neon Shuffle 」が出来れば、何でも出来ますよ。あれは、とても入り乱れてます。アンディは、普通でないことをひどく好んでいました。」 
テリー「それに、当時はラモーンズの影響が少なからずあったのです。彼らは、時速100マイル[ キロメーロル/時速にすれば約160キロ。 ]で演奏していました。スピードと言うのは、当時の課題の中でも最上位のものでした。」 
コリン「ラモーンズがスウィンドンに来た時、アンディはステージに上がって、ジョーイの前で踊っていましたよ。とても大きな影響があったのです。そうですね、ニューヨーク・ドールズと一緒ですね。私たちは、当時、何か違うことをすると言う傾向が強かったのです。なんとか多勢の中から抜け出そうとしている時、認められる唯一の方法がそれなのです。」 
[ ラモーンズがスウィンドンでライブを行ったのは、1977年5月31日。Brunel Rooms で。この日は、ラモーンズ単独ではなくて、トーキング・ヘッズも一緒。XTC は、ウォーム・アップを担当。たぶん、前座と言うことではないと思う。トーキング・ヘッズのメンバーとも初対面ではなかったのかと思う。 ] 
posted by ノエルかえる at 09:00| Comment(0) | Great Aspirations | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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