2018年05月23日

English Settlement 2016 アンディ・ソング・ノート 3

「 No Thugs in Our House 」 
アンディ: 
 私の楽屋のパーティーでの演し物の一つは、ジョニー・ウインター・スタイルの「反逆の雄叫び」だったのだ。何れ程の大声で何れ程に声を伸ばせたのか? 不安定なPAシステムを数年間使った御陰で、私の肺は鞣し革の様に成ったのだった、それに、ステージの後のビールと少々の刺激があった。小さなジェットが離陸する音と殆ど変わりのない騒音を私は出し得たのだ、為に、世界中の更衣室を空にしてしまった。理由はよく分からないのだが、私はその叫び声を抑制させてこの歌に使うことを選んだのであった。その時には、これが相応しいと思ったのである、その理由を読者諸氏に語ることは出来ない。 

 音楽上のことでは、「 Summertime Blues 」をアコースティック・ギターで大きな音で掻き鳴らし速度を速めるとどうなるか、と言うことを考えていたのである。リハーサルでは、この歌は実に生彩を放っていたのだ。テリーのモータウン式パチンのフォービートで高くロブされて、デイブがフェンダーのリフでギャンギャン吠え立てて、コリンが咽喉をゴホゴホ言わせて打ち出すのである。不吉な小歌である、だが、間違いはない。これは、「瀟洒な」郊外の家庭へのホガース風訓話なのである[ 『放蕩一代記』放蕩一代記 - Wikipedia ]、自分たちの息子が右翼的フーリガンであることを知らない家庭である、彼らは息子が危険人物であることを自覚すべきなのである。我々は正したと私は考えている。良い家庭の人々と言うものは、全く以て非道な側面を秘密裏に持つ傾向がある、と言う極めて明らかな事を言うのである。一つの事実がこれを私に思い付かせたのではあるが、それは、バンドが使っていた弁護士の一人の助手の事なのである。一見では人好きのする礼儀正しい青年なのである。ある時その彼が私に告白したのである。土曜の午後に、強かに酔ってサッカーのグラウンドに傾れ込み血まみれの乱闘を始めるよりも楽しいものは何もない、出来ればそうする、と言ったのである。彼の週末は、少なくとも一人を病院に送らなければ終わらないのであった。彼が就いている高い地位の職では、「ばか」にブーイングは出来兼ねるのであった。 

 この不浄の騒乱劇の小品がシングルとして看做される筈のものだとされたのは、望外の喜びであった。無論、これは果無く消えてしまった。ではあるが、これは、束の間、ポロックの紙人形劇場のスリーブを纏い飛んだのである。私は、こうした素朴派のスタイルが真に好きなのである。それは変わらずにいる。つい先日、この様式の魅力的な歴史を纏めた、A. E. ウィルソン著作の『 Penny Plain And Twopence Coloured 』を一部手に入れたばかりなのである。[ Penny plain, twopence coloured; a history of the juvenile drama, (書籍, 1969) [WorldCat.org] ] 45回転シングルのスリーブの裏面にある詞書は、恰も、ヴィクトリア朝時代に広間で催されていた演し物の粗雑な一枚紙のリブレットを見る様ではないか。[ チョークヒルのアーカイブ: Chalkhills: Reel by Real: XTC: "No Thugs In Our House" ] 歌詞の「 Dad's a judge and knows exactly what the job of judging's all about 」では、謂わずもがな、リチャード・ブランソン、貴方を私は見ているのだ。 


デイブ:
 この曲は、私がロンドンからマーティンのギターを携えて帰って来たその夜に録音されたのでした。そうです、この驚嘆させられる楽器のマーティン・ギターのお披露目だったのです、少なくともテープの上ではですが。素晴らしいエディ・コクラン[ エディ・コクラン - Wikipedia ]風のイントロはアンディが奏でています。それに対して、テリーはモータウンの薫りのするビートで応えています。コリンは自分の1959年製P. ベースを使っています。仕上げには、何かノイズが必要だったのです。私は、ストラトキャスターの低音の二本の弦を使って暴漢風なギターのリフを考え出していました。しかも、ストラトキャスターを非常な大音量のマーシャルのベース用アンプに繋ぐのです。私たちは、ストラトキャスターとマーシャル・ベースアンプをストーン・ルームに設置して、ドラムのテイクを再生しながら、録音を始めたのです。何と言うことでしょう、大音量でそこには立っている事も聞くことも出来ない程でした。こうして、私は、ガラスのドアを密閉されたストーン・ルームで追加のバッキング・トラックを重ね録りしたのです。( 今に至って、私は、キドリントンとウッドストックの住民の皆様に眠らせなかった事を謝罪いたします。 ) それは、岩隗の様に巨大だったのです。酷い事に、それは、ミックスの段階で去勢されてしまいました。アルバムからは、三枚目で最後のシングルでした。 
posted by ノエルかえる at 10:00| Comment(0) | English Settlement | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。