2020年05月30日

バーンハートさんの「 Red 」についてのインタビュー、適当に続き

 前の続き、目が疲れたからやめたところまで 





パートリッジ「ほんの僅か、二回もはなかったかもしれないと思います。ショックだったのは、彼はそのことについて誰にも話していなかった、と言う事実なのです。彼は、突然、サックスを持ってきたのです。ステージのリハーサルはしたと思います。でも、キーボードでリハーサルをした筈です、、、あるいは、リハーサルをする必要はなかったか、、スタジオからロードへ直接行きましたからね。そう言うことです。兎も角、彼は誰ともサックスを使うことについて話し合ってなかったのです。まあ、彼がキーボードを持ってきていたのなら、「この曲とこの曲では、キーボードを使わないつもりだからね、サックスを吹くんだ。」と言うことになっていたでしょうけれど。」 
バーンハート「それはちょっと理解しかねる話しなのですが。」
パートリッジ「ずっと昔のことですからね、30年くらいですか。先にも言いましたけれど、私はある面では、スリルを感じていたのです。「やったね、サキソフォンじゃないか!」と思っていたのです。バリーのサックスは、最高の時には、アルバート・アイラーの音の様でしたよ。けれども、最低の時では、ハリケーンの中でか、ガード下でサックスの吹き方を練習してる様に聞こえましたね。私の中のある面は、「冗談じゃないぞ、まるっきりレコードと違うじゃないか!」と思っていました。」 
バーンハート「キーボードは、音響空間を満たすことが出来ますからね。」
パートリッジ「ええ、一度に一音しか出せないサクソフォンとは反対ですよね。 
 それでも、「やったぜ、彼はサクソフォンを持ち込んだぞ、途端に、全ての曲が「まるっきり」違ったものに聴こえるぞ。」と思ったのをよく覚えています。それで、今でも私は、誰かがその時の彼がサクソフォンを吹いたツアーを録音したものでブートレグを出さないだろうか、と思っているのです。私は、まだ一度も、彼がサクソフォンを演奏した録音を聞いたことがないからです。本当に、バリーはサクソフォンを吹いたのですよ。」 
バーンハート「この記事を読んで、誰かが反応すると面白いのですが。」
パートリッジ「それでと、私の汚れたノート[ 原文:dusty parchent ]に戻ると…」 
バーンハート「それは、カントリーのシンガーですか?」
パートリッジ「( 一声笑う )、ダスティ・パーチメントですか? ははあ、メンフィスで一アルバムを一枚出しているのですかね? 飾り気がまるでない音のレコードなのでしょうね。」 
バーンハート「( 笑いながら )、リヴァーブなんか全然かかってないですよ。」
パートリッジ「アルバムを代表する曲は、「 Dead Sea Scroll Over Beethoven 」ですね。歌詞は、「 Hail, Hail Rock and Scroll 」かな? 
 ご存知かなと思うのですが、私たちは、この歌はアビー・ロードの第二スタジオで録音したのです。アルバムの殆どは、第三スタジオで録音しました。施設の中では一番小さいスタジオです。まあ、兎に角、アビー・ロード・スタジオに入った時に、私はジョン・レッキーにこう言ったのです。「さて、この歌だけど、ほんとに姦しいものにしたいんだ。大騒ぎじゃないと駄目だ」。するとジョンは「第二スタジオが借りれれば…」と、それで私が、「第二スタジオって?」と尋ねたのです。その時には、私は、ビートルズの詳細を知らなかったのです。私はですね、当時では、ビートルズのフォブフォーは、正面に四つのドアがある、ちょうど私たちが使ったスタジオくらいの大きさの、大きな家に住んでいるのだと思っていたのです。[ 映画『 Help! 』の中の一場面。 ] 
 それで、ジョンが答えました、「ビートルズがレコーディングに使ったスタジオだよ。話が通ればいいんだけどねえ。連絡はしょっちゅうしているんだけどね」。彼は、以前はアビー・ロード・スタジオ付きのエンジニアだったのです。それから、「第二スタジオが二、三日でも使えないか聞いてみよう、あそこはもっと広いからもっとたくさんの間接音用のマイクを設置出来るからね。そうすると、もっとライブっぽく、もっとエキサイティングな音になるから」と言ったのです。 
 それで、私たちはそうしました。荷物をまとめて第二スタジオに移動して、暫くそこにいたのです。勿論、そこがビートルズがレコーディングをしたところだと言うことが、私にはピンとこなかったのです。でも、エンジニアの内の誰か、「何かの装置を操作する」人なのですが、エンジニア達がその装置をなんと呼んでいたか思い出せませんが、あちこち歩き回ってマイクを設置したのはその人なのですが、金物屋が着る様な短い茶色のコートを着てましたけれど、その人が、マイクを設置しながら、「これがビートルズのハルモニウムだ。このパーカッションはビートルズのどの曲で使われたんだ」と言っていましたよ。 
 正直に言って、その時の私は感銘を受けませんでした。私にとっては、ビートルズは過去の遺物だったのです。もっと後になって、ビートルズのことをより深く理解したのだと思います。ソングライティングのことをより自覚して分かってくる様になった時なのです、その時に、私自身がどれだけ多くのものをビートルズに負っていたのかに気が付いたのです。そうなると、ビートルズの歴史と彼らの技術面にもっと興味を持つ様になったのです。ですが、『 Go2 』を制作しているときでは、ビートルズは過去のものでした。私は興味を持ってなかったのです。何と怒れる若者だったのでしょう、私は。」 
バーンハート「年齢的には当然のことではないでしょうか?」
パートリッジ「その歳で、どれだけ怒っている乙女だったのでしょう、私は! 分別のある余裕のある大人の男になるまでには…」 




追記( 5月31日 ):これを読んで思ったこと、アルバート・アイラー( 1970年死亡 )とビートルズの活動期間はほぼ同じなのだけれど、1978年の頃二十歳過ぎの青年には、ビートルズは過去で、アルバート・アイラーは現在だったんだなあ、と。 
と、ポップ・グループは、まだデビュー前だったと思うけど、XTC がフリー・スタイルのサクソフォンを加えた編成になっていたら、どうなってたかなあ? 

と、アルバート・アイラーは、1970年11月に、自由の女神像近くで入水自殺したのだけれど、XTC の「 Statue of Liberty 」は、多分、全然関係ない。  

訂正:( 5月31日 ): 
私たちは、アビー・ロードの第二スタジオで録音したのです。

私たちは、この歌はアビー・ロードの第二スタジオで録音したのです。


まあ、兎に角、その第二スタジオに入った時に、私はジョン・レッキーにこう言ったのです。 

まあ、兎に角、アビー・ロード・スタジオに入った時に、私はジョン・レッキーにこう言ったのです。  


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posted by ノエルかえる at 13:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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