2017年04月22日

Slapp Happy 「 Michelangelo 」訳

 スラップ・ハッピーの「ミケランジェロ」。ピータ・ブレグヴァドとアンソニー・ムーアの共作。 
アルバム『 Casablanca Moon 』に収録。 Slapp Happy (album) - Wikipedia
 顔ジャケットの歌詞カードを元に。 

 「 rhymes 」と言う語、ルネサンス期だから、マドリガルにしました。 あ、ミケランジェロ・ブオナローティのことだと。ミケランジェロ・ブオナローティ - Wikipedia  





背中を下にして横たわり、天上に絵を描く…、 
彼は黒を使わない、絶対に、自分の感性に合った色だけを使う。 
烏賊墨色の地の上に、聖人たちの肖像を描く、 
彼の粘着性は、彼の絵と同じで、卵白糊の粘り強さ。 
働いて、精を出して働いて、道楽などしない、 
絵具とバチカン・キャンティで表現する。 
彼の趣味は解剖だと、噂が広まっている。 
彼が身体を完璧に知り尽くしているのは、間違いない。 
十四行書けば、それがソネットを形成する、 
それに、マドリガレにも、ブオナローティは、取り組んでいる。
彼が通りを通った時、悪道に襲われた、 
シーツを被せられ打たれた彼は、蹌踉めきながら街を回り、 
教会へ倒れ込んだ、 その時、彼は一つの構想を身籠っていたから、 
悪道に罵られながらも、その構想を追い続けた。 
彼の全作品は、誰もが観るべきだ。 
最寄りの美術館の学芸員に尋ねてごらん、 
教皇は電話中、ブオナローティに掛けているところ、
でも彼は家に居ない、ちょっと没頭している、 
また始めた、絵具と筆を振り続けている、 
一心不乱だ、恍惚の中で、仕上げようとしている。  




He delineates saints on a sepia ground,
His temper like his paints is albumen bound.
Work & toil well he ain't no dilettante,
he conceives in oil & vatican chianti.
The rumour's out, his hobby is dissection,
& there ain't no doubt he knows the body to perfection.
Fourteen lines, that's what makes a sonnet
& it even rhymes - Buonarroti's working on it.
Through the streets, stricken by the urchins,
Wrapped in sheet, round the town he's lurching.
Lurching to the church, heavy with a vision,
Continuing his search though they come with their derision.
All his works, you just gotta see 'em -
Ask the clerks at your neighborhood museum
Pope's on the phone, calling Buonarroti
But he's not home, he's gone a little potty.
He's off again, waving paints & brushes -
Round the bend, to wind up in the rushes.

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2017年03月25日

The Beatles 「 Julia 」訳

 ジョン・ビートルの「 Julia 」。 

 内容をとても掴み難い歌だ。一つには、歌の構造が複雑だと言うこと。もう一つには、構造の複雑さとも関わっているけれど、他人の詩からの引用が挿入されていると言うこと。挿入されている詩行は、しかも、ジョン・ビートルによって、改作されてもいるので。 
 使われているのは、ハリール・ジブラーンの作品「 Sand and Foam 」から取られた行。ジブラーンは、1883年、レバノン生まれの、キリスト教徒。1960年代の、「ニューエイジ」の時代に、サブカルチャーの人たちに広く読まれた詩人。 
 「 Sand and Foam 」は、1926年の作品。全部で114篇の散文詩。ジョン・ビートルが取った、行は、35編目。それと、29編目の「 Our mind is a sponge; our heart is a stream. 」も、mind とheart と言う語を並べて使うと言うことで、利用している。 
 それなので、まず、ジブラーンの「 Sand and Foam 」の35編目までを前に置いて、ビートルズの「 julia」をその後に続けてみる。 

 さて、歌の構造の複雑さ。この歌、本来は、ヴァースとブリッジだけなのだと思う。そこに、「 Half of what I say is meaningless, / But I say it just to reach you, Julia, 」と言う行と、「 When I cannot sing my heart, / I can only speak my mind, Julia 」と言う行が挿入されているので。これは、小節数からすれば、ブリッジなのかも知れない、( ブリッジの機能は果たして無いと思うけれど ) あるいは、コーラスなのかも知れない ( コーラスにもなってないと思うけれど )。
 それだから、本来は、ヴァースの後ろに付けるものなのだと思う。本来後ろにあるコーラスをヴァースの前に持って来て、劇的効果を狙うことはあるけれど、それに似ているのかも知れない。
 ただ、繋ぎ方が、まるで切って付けた様に唐突なので、ある種のコラージュの様に、複数の時間の同時性を表現するものなのかも知れない。 
 本来のヴァースは、「 Julia / Julia, ocean child, calls me. / So I sing a song of love, Julia / Julia seashell eyes, / Windy smile, calls me. / So I sing a song of love, Julia. 」だと思う。
 そうして、この歌の感触だけれど、後年の「 Beautiful Boys 」と同じだと思う。つまり、子守唄なのだと。歌われているのは、ジョン・レノンの最初の子供、Julian Lennon なのだと思う。それも、「 Julia 」と言う名前は、ローマ神話でのローマ建国の祖の一人であるユリウスの女性形であって、それは、ローマ神話の最高神、ユピテルをも連想させるものでもある。だから、子供を得た、レノンが、汎宇宙的、汎時間的な感覚を覚えながら、我が子に歌っている様に、私には思える。 
 と言う理由で、ジブラーンからの引用部分での、Julia と言う名前は、ユピテルの呼格だと読んで、そう書いた。( 実際には、ユリアがユピテルの呼格ではないと思うけど。 ) 
 それと、ヴァース部分の Julia も、ジュリアと読むのではなくて、神話を連想させる様に、ユリアにした。
 歌詞は、歌われている順ではなくて、次のように、引用部分はヴァースの後ろにある様にした。

Julia

Julia, ocean child, calls me.
So I sing a song of love, Julia

Julia seashell eyes,

Windy smile, calls me.

So I sing a song of love, Julia.

Half of what I say is meaningless,

But I say it just to reach you, Julia,

Her hair of floating sky is shimmering,

Glimmering,

In the sun.

Julia,
Julia, morning moon, touch me.

So I sing a song of love, Julia

When I cannot sing my heart,

I can only speak my mind, Julia


Julia sleeping sand,
silent cloud, touch me.
So I sing a song of love, Julia.

Mmm calls me.

So I sing a song of love for Julia,
Julia, Julia.   



元にしたのは、ビートルズのホームページの「 Songs 」 :
Julia | The Beatles

Alan W. Pollack's Notes on "Julia"  

それから、ハリール・ジブラーンの「 Sand and Foam 」は、グーテンベルグ・プロジェクト、オーストラリアの
Sand and Foam by Kahlil Gibran   



僕は、この渚を歩き続けるんだ、永遠に。 
高砂子と泡潮海の間を。 
潮流は僕の足跡を消し流すだろう。 
疾風は渚の泡を吹き飛ばすだろう。 
けれども、海と渚はきっと残る。 
永遠に。   

ある時、僕は、霞を手に掴んだ。 
そして、手をひらいて見ると、霞は一匹の蚯蚓だった。 
僕は、また、手を閉じて、また、開いてみた。すると、一羽の鳥になっていた。 
そして、また、閉じて、また、開いた。今度は、手の窪に、人が立っていて、悲しげな顔で上を見上げていた。 
僕は、また、閉じて、また開いた。今度は何もなく、霞だけだった。 
それでも、この上ない甘美な歌を、僕は聴いたんだ。 

ほんの昨日のことだった。僕は、自分を、生命界の中で何の周期もなく震えている一つの破片だと考えていた。 
ところが、今、僕は、僕自身が一つの界であり、しかも、その僕の中で、すべての生命が周期的な破片となって動いているのだ、と言うことが、分かっているんだ。 

目を覚ませている人々が、僕に、こう言うんだ。「君と君が住んでいる世界、でも結局それらは、涯の無い海の涯の無い渚にある、一粒の砂に過ぎないよ。」 
それに対して、眠って夢を見ている僕は、彼等に、こう言うんだ。「僕が、その涯の無い海なんだ。だから、全世界は、僕の海岸の砂の粒々なんだよ。」 

たった一度だけ、僕は、言葉を失ったことがある。それは、ある人が僕にこう聞いたときなんだ。「君は、誰なの?」 

神が最初に考えたのは、天使だった。 
神が最初に発した言葉は、人間だった。 

百万年前では、僕たちは、ただひらひらして漂い回るだけの生き物だった。そして、何か切望していたのだ。そんな僕たちに、海と森の風は、言い表す術を呉れていたのだ。 
現在、僕たちが生きている、このつい最近の音だけで、どうすれば、そんな古代を表現出来ると言うのだろう? 

スフィンクスは一度だけ喋ったことがある。スフィンクスは、こう言った。「一握りの砂は、砂漠だ。砂漠は、一握りの砂だ。さあ、私たち皆を、もう一度、無言にしてくれ。」  
僕は、スフィンクスが話すのを聞いた。けれども、分からなかった。 

私は長くエジプトの塵の中に横たわっていた。黙って、季節の移り変わりも知らずに。 
そうしていると、太陽が私を産んだ。私は、立ち上がり、ナイルの土手を歩いた。 
昼には歌い、夜には夢を見た。 
そして今また、太陽は、私の上、一千フィートの高さで、光を放っている。それで、私はまた、エジプトの塵の中に横たわった。 
けれども、驚異と謎には目を留めよ! 
私を引き寄せる、その他でもない太陽は、私を粉々にすることは出来ない。 
私はまだ直立している、ナイルの土手の上を歩いている足を確かめる。 

心に確かに留めておくことは、邂逅の一つの様式。 

心からきれいに払うことは、解放の一つの様式。 

私たちは、無数の恒星の動きから、時間を計る。ところが、彼の人たちは、小さなポケットにある小さな機械で時間を計る。さあ、教えてくれ。私たちと彼の人たちが、同じ場所で、同じ時間に、どうすれば、会えると言うのかを。 

宇宙とは、銀河の窓からそこを見下ろす人から見た、太陽と地球との間にある空間のことではない。

人間とは、光りの河である。それは、非・永遠から永遠へと流れているのだ。 

天空に住んでいる魂は、苦しんでいるからと言って、人を羨むのではないのか? 

聖都に向かう路で、僕は、別の巡礼者に会った。僕は尋ねた。「本当に、この路は聖都への路なのですか?」 
その人は答えた。「付いて来なさい。一日と一夜で、聖都に着くだろう。」 
僕は、その人に付いて行った。僕たちは、何日も、何夜も歩いた。それでも、聖都には着かなかった。 
僕が驚いたのは、その人が怒りだした、と言うことだった。僕を間違った道に導いてしまった、と怒るのだ。 

神よ、兎を私の餌食にするよりも、むしろ、私をライオンの餌食にして下さい。 

人ひとりは、夜の路を省いて、夜明けに到着することは出来ないものだ。 

僕の家が僕にこう言う。「わたしをすてていかないで。だって、ここにはあなたのかこが今ものこっているのだから。」 
それから、路が僕にこう言う。「さあ、わたしについてきて。だって、わたしはあなたのみらいなのだから。」 
それから、僕の家と路に僕はこう言う。「僕には過去はない。それに、僕には未来もない。僕が家に留まるならば、僕は留まることを続けると言うことだ。僕が路を行くのならば、僕は行くことを続けると言うことだ。愛と死だけが、すべての事共を変えるのだろう。」 

羽毛で眠る人々の夢が、大地で眠る人々の夢よりも、美しくないと言うのならば、私は、人生の正当性への信心を失わずにいられるだろうか? 
可笑しなことに、ある喜びへの欲求は、私の苦悩の一部なのだ。 

僕は、七度、自分の魂に嫌気が差したことがある。 
一度目は、高みに達しようとした時に、怖じ気を見せた時。 
二度目は、腰の立たない人を前にして、足を引き摺って見せた時。 
三度目は、困難と容易を選ぶのに、容易の方を選んだ時。 
四度目は、罪を犯した時、他の人もしていると、自分を安心させた時。 
五度目は、弱さから慎み深いのに、自分の忍耐は自分の力のおかげだと考えた時。 
六度目は、ある顔の醜さを見下した時。しかも、それは自分の仮面だとは知らないのだ。
それから、七度目は、讃美歌を歌い、それが美徳だと考えた時。 

完全な真実について、私は無知である。けれども、私は、無知であるから、謙虚であるのだ。その点に、私の誉れと称賛がある。 

人間の想像力と功績の間では、人は、ただ、切望しながら行きつ戻りつしているだけなのだろう。 

天国はそこにある。ドアの後ろにある。隣りの部屋にある。けれど、僕は、鍵を無くしてしまった。たぶん、置き忘れただけだと思うけど。 

君は目が見えない、僕は耳が聞こえず声が出ない。だから、手で触れ合って、分かり合おう。 

人間である意義は、何を達成したかではなく、その人が実現を切望しているものにこそある。 

私たちのある人たちはインクに似て、ある人たちは紙に似ている。 
だから、私たちの中のある人たちの黒さが無ければ、他のある人たちは唖になってしまう。 
そして、私たちの中のある人たちの白さが無ければ、他のある人たちは盲いになってしまう。

私に耳を下さい、そうすれば、私は貴方に声を上げよう。

私たちの思いはスポンジだ。私たちの心は川だ。 
私たちの多くが、流れるのよりも、吸い取る事を選ぶのは、不思議ではない。  

名付けようも無い恩恵を待ち望んでいる時、何故起こったのか分からない事を嘆いている時、君は、本当に、今よりも大きい自分へ向かって、成長しつつあるすべてのものと一緒に、成長しているのだ。 

人が幻想に酔い痴れている時、その儚い顕現をまさにワインだと思う。 

君はワインを飲めば酔うだろう。僕は、飲めば、前に飲んだワインの酔いから醒めるのだ。  

自分のカップが空だったら、僕は、諦めている。でも、カップに半分入っていると、僕は、半分しか入っていない事に怒りだすのだ。 

その人の本質は、その人が君に明かして見せたものではなくて、明かせなかったものにある。だから、君がその人を理解したいならば、その人の言う事に耳をかさないで、言わなかった事を注意しなければ。 

僕が言う事の半分は意味が無い。それはつまり、僕が明かさなかったもう半分が、君に届いている、と言うことなんだね。




ユリア、 
ユリアが、「うなばらのこ」、と僕を名付ける、 
それなら、僕は、愛の唄を歌おう。 
ユリア、 
貝殻の瞳で、 
「どこまでもたなびくほほえみ」と、僕を名付ける、 
それなら、僕は、愛の唄を歌おう、ユリア。 

「私が喋る事柄の半ばは、意味を欠く、 
ただ、意味を欠いた事柄を話す事で、貴方に近づき得るのだ、ユピテル。」 

虚空に棚引く彼女の髪は、 
陽光に、 
揺らめいて、仄めいている。 

ユリア、 
ユリア、毎の朝の月が、僕を感動させる、 
それなら、僕は、愛の唄を歌おう。 

「私が己の心情を謡えなくとも、 
思慮を語ることは出来よう、ユピテル。」 

ユリア、 
眠りこんでいる砂や、何も語らない雲が、僕を感動させる、 
それなら、僕は、愛の唄を歌おう。  
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2017年03月04日

Sand and Foam

 ハリール・ジブラーン Kahill Gibran の詩「 Sand and Foam 」。ジブラーンは、レバノン出身の詩人。1833年生れ、1931年没。キリスト教徒、マロン派( 正教だから、ハリストス教徒? )。少年の時にアメリカへ移住。 
 詩は、英語で。主流の文学よりも、カウンター・カルチャーで好まれた様。デヴィッド・ボウイもアルバム『 The Man Who Sold the World 』の中の「 The Width of a Circle 」で、ジブラーンの詩「 A Tear and a Smile 」を踏まえているそう。 
 それで、ビートルズでも、ジョン・レノンが、「 Julia 」で、ジブラーンの詩「 Sand and Foam 」から引用しているので。

 「 Sand and Foam 」は、散文詩なのかな? スタンザと考えていいのか、よくわからないけれど、114片から構成されている長編詩。語数は、7,512語。 
 「 Julia 」で、ジョン・レノンが使っているのは、35番目の片。 
Half of what I say is meaningless; but I say it so that the other half may reach you. 
この辺は、この一行だけ。( 一行だけの片がたくさんある。 ) 
 レノンは、Half of what I say is meaningless, / But I say it just to reach you, Julia, Julia / Julia, ocean child, calls me. と少し変化させて使っている。「 ocean child 」と言うのも、ジブラーンの詩での主人公が、海岸にいるので、そのまま使っているのだと思う。 


 それで、「 Sand and Foam 」の冒頭の片 ( スタンザ? ) だけを。これは、散文詩でなくて、行替えのある詩。 
元にしたのは、グーテンベルグ・プロジェクト・オーストラリアのもの: 
Sand and Foam by Kahlil Gibran  



I AM FOREVER walking upon these shores,

Betwixt the sand and the foam,

The high tide will erase my foot-prints,

And the wind will blow away the foam.

But the sea and the shore will remain

Forever. 


僕は、この渚を歩き続けるんだ、永遠に。 
高砂子と泡潮海の間を。 
潮流は僕の足跡を消し流すだろう。 
疾風は渚の泡を吹き飛ばすだろう。 
けれども、海と渚はきっと残る。 
永遠に。
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2017年02月25日

Joyce 「 Chamber Music 」の20 訳

 ジェイムズ・ジョイスの詩「 Chamber Music 室内楽 」の20 。( 「室内楽」は全部で、36篇。第5篇は、シド・バレットが曲を付けている。 ) 

 第20篇は、XTC / コリン・モールディングの「 Grass 」を思わせるので。  
コリン・モールディングは、『 The Big Express 』製作後から『 Skylarking 』製作前の間に、パートリッジからシド・バレットを聴かされて、感化されたそうだから。それで、『 Skylarking 』の彼の歌は、バレット風なのだけれど、もしかしたら、バレットが曲を付けたジェイムズ・ジョイスの「室内楽」にも目を通していたのかもしれない。『 Skylarking 』の彼のどの歌も、「室内楽」の詩に通じている様にも思えるから。「室内楽」も、『 Skylarking 』も、パルナシアニスムな感じがする。

元にしたのは、Wikisource のもの :  
Chamber Music - Wikisource, the free online library  





僕は思うんだ、僕ら、 
深い松の森に寝そべったら、どうだろうって。 
濃い涼しい影の中、 
真昼に、ね。 

寝そべるのには、素敵だよ、 
キスするのには、素敵だよ、 
松の巨樹の森林は、 
「孤絶境域」になるんだ! 

君のキスが降りてだんだん近づくと、 
どんどんよい薫りがつよくなる、 
君の乱れた柔かい 
髪といっしょになって。 

松の森に、 
真昼に、 
さあ、僕といっしょに 
行こう、愛しい君。  



西脇順三郎の訳 :
暗い松林の中で 
 僕達は横つてみたい、 
正午の時間に 
 深い涼しい影の仲で。 

そこで横はるとは、どんなに美はしいことか、 
 接吻はうるはしきことよ 
大きな松の林が 
 寺院の通廊のやうになるところまで。  

落ち来る君の接吻は 
 愈々美はしいものになるだろう 
君の髪の 
 柔かい混乱と共に。  

オー、松林へ、 
 日の正午に、 
僕と一緒に来たまへ 
 美はしい恋人よ、サー行かう。    




蛇足: 
「 wood 」と言う語が使われているけれど、ここでは、勿論、「森」。 
ビートルズの「 Norwegian Wood (This Bird Has Flown) 」のことで、
「woods」だったら、「森」だけれど、単数だから、「材木」だ言う、説明を、まだ見かけるけれど、そういうことはない。 
wood でも、woods でも、森の意味がある。 
Norwegian と言う形容詞、ノルウェー製の/ ノルウェーで産出された、が付いているので、「材木」の意味になる。
posted by ノエルかえる at 12:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月18日

The Beatles, Wings 「 Hold Me Tight 」訳

 ポール・ビートルとポール・マッカートニーの「 Hold Me Tight 」。同名の歌。ビートルズの時のは、1963年の作品。ウィングスのは、1973年の作品。 
 ( アンディ・パートリッジの「 Hold Me Daddy 」は、1989年の作品。 ) 

それぞれ、ウィングスのホームページ、ビートルズのホームページを元にしました、 

Hold Me Tight | PaulMcCartney.com 

Hold Me Tight | The Beatles  





ウィングス 
僕は待っていたんだ、君、これまでずっと、 
僕をつらまえて、しっかりと、 
僕を受け容れて、そうしたら、僕はしっかり出来る。 

僕をつらまえて、しっかり、僕をつかまえて。 
僕をつらまえて、しっかり、僕を抱きしめて、ちゃんと。
僕をつらまえて、しっかり、僕を抱き込んで、きつく。 
僕をつらまえて、しっかり、僕を抱きしめて、ちゃんと。 
僕をつらまえて、しっかり、つかまえて、きつく、そばにいて、ぴったり。 
今晩は、僕は、君を他にはやらないよ、 
蝋燭の灯りの夜、 
僕を抱擁して、きっと、そうして。 


ビートルズ 
とうとう、叶った、ておもう、 
ぎゅっとして、 
ぼくが意中のひと、て言って、 
そうしたら、もう、
ぼくは孤独者でなくなるよ。 

ぎゅっとして、そう、きょう、きょうだよ、
きみが、きみが、ぎゅっとして、ね、ね、ね、 

ぎゅっとして、 
ぼくがきみに夢中なの、とめないで、 
きょう、きょうだよ、 
ぼくはきみだけを、抱擁するんだ。 

ぎゅっとして、そう、きょう、きょうだよ、 
きみが、きみが、ぎゅっとして、ね、ね、ね、 

ぎゅっとするってこと、それは、 
きょうは、二人切り、てこと。 
とうとう、叶った、ておもう、 
ぎゅっとして。 

ぎゅっとして、そう、きょう、きょうだよ、
きみが、きみが、ぎゅっとして、ね、ね、ね、   

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2017年02月10日

Television 「 Marquee Moon 」訳

 テレビジョンが、アルバム『 Marquee Moon 』をリリースして、40周年と言うことで。1977年2月8日にリリース。  

 アルバム・タイトルと同題の歌「 Marquee Moon 」を訳して見ました。
元にしたのは、インターネット上の歌詞サイトのものなので、正確かどうかは分からないけれど。 

the Marquee Moon は、固有名詞の様に思えるけれど、普通名詞の様に読んでみました。 



覚えている、
闇が二つ折りになる様、
思い出せる、
稲妻が稲妻に当たる様。 
耳を峙てた、 
雨音に、 
聞えていた、 
別の音。 

蜂の巣の中のいきものが唇を窄める、私が主役の夜、 
死が一瞬口付ける、いきものに取り囲まれる。 
私は立っている、 
月を載せた、劇場入口の庇屋根の下、
待っている。  

お願いした、 
録音してくれ。 
尋ねた、 
変じゃないか。 
言った、「何を言う、若造、お前は嬉しそうでないな、 
まあ、でも、御陰さまで、悲しそうでもないな。」 

蜂の巣の中のいきものが唇を窄める、私が主役の夜、 
死が一瞬口付ける、いきものに取り囲まれる。 
私は立っている、 
月を載せた、劇場入口の庇屋根の下、
踏み出せない。 

キャデラック、 
墓場から掘り出された代物、 
側に着けた。 
皆が言う、「乗れ。」、乗ろうと、 
車は、パタパタ音を立てて、墓場に戻った、 
私はと言えば、また、出た。 

蜂の巣の中のいきものが唇を窄める、私が主役の夜、 
死が一瞬口付ける、いきものに取り囲まれる。 
私は立っている、 
月を載せた、劇場入口の庇屋根の下、
もう、待たない。  
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2017年02月04日

Stevie Smith 「 Tender Only to One 」訳

 イギリスの詩人 Stevie Smith スティーヴィー・スミスの「 Tender Only to One 」訳。 

 スティーヴィー・スミス は、1902年生まれ、1971年没の人。 
Stevie Smith - Wikipedia

 Tender Only to One は、女の子の遊びで、「彼は私を愛してる、愛してない、」と花びらをむしるものなのだけど。その時の言葉、「 Tender Only to One 」を日本語にしようとすれば、どういえば良いのか見当もつかなくて。 
 スティーヴィー・スミスの詩は、ナーシー・ライムの様なのだけど。言葉は平易だけど、私には、意味が取り難くて、、、 
 とりあえず、訳して見たけど、、、  

元にしたのは、Poetry Foundation の: 
Tender Only to One by Stevie Smith | Poetry Foundation

「どっちかよ、 
ただしくおいてね、」 
花びらが揺れる、
と、私の指が弄ぶ、 
あなたなの? それとも、あなたなの? それとも、あなたなの? 

「どっちかよ、」 
その人の名前、わたしは知らない。 
花びらの合図に、 
側の人たちは目を伏せる、
わたしの愛の所為だと思ってるのね。 

「どっちかよ、」 
この花びらには、答えの手がかりがある、 
表面に出てるの、 
花びらは、よおく、知ってるの。 
聞いてるわたしが、誰だか、って。 

「どっちかよ、」 
最後の花びらは、末期の息。 
氷の様な経帷子を通して、
はっきり聞こえる。 
「彼は、彼の名前は、死。」   




Tender only to one   
Tender and true   
The petals swing   
To my fingering
Is it you, or you, or you?

Tender only to one
I do not know his name
And the friends who fall   
To the petals’ call
May think my love to blame.

Tender only to one   
This petal holds a clue   
The face it shows
But too well knows   
Who I am tender to.

Tender only to one,
Last petal’s latest breath
Cries out aloud
From the icy shroud
His name, his name is Death.
posted by ノエルかえる at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月28日

Alfred Williams 「 The furnaceman 」訳

 XTC の『 English Settlement 』と言うアルバム・タイトルは、アルフレッド・ウイリアムスの『Villages of the White Horse』から取られたのだと思うのだけれど。 
 そのアルフレッド・ウイリアムスの詩「 The furnaceman 」。 
 スウィンドンの鉄道工場の鋳鉄をする蒸気ハンマーの職工を描いたものらしい。死後も未発表だったらしく、書かれたのは、1926年と推定されていると言うこと。 

 スタンザが三つ。それも、第一スタンザが10行、第二スタンザが20行、第三スタンザが30行と、加算的なのは、興味深い。たぶん、ヘクサメトロス ( 六歩格 ) なのだと思う。英語の詩は、五歩格、四歩格が多いそうだけど。脚韻も、原則二行が同じ韻で、進む様だけれど( カプレット couplet 的? )、それも、繰り返すことはなくて、変化し続ける感じ。独特な詩形なのだと思うのだけれど。 

 XTC の『 The Big Express 』にも通じるのかと思って、

元にしたのは、 the Alfred Williams Heritage Society の: 
www.alfredwilliams.org.uk - the official website of the Alfred Williams Heritage Society   



それが何処であっても構わないのだけれど、火夫を見て、人が最初にすることは、 
火夫の仕事について何でも聞いてみることだ。そして、彼の奮闘振りを讃えるのだ。
それから、彼の「徒弟期間」について尋ねる。何処の出身かを尋ねる。 
サンダーランド出身なのは確かだ。シェフィールドの者もいる。ウェールズの者も。
察した風な目配せをして、火夫は、錫の椀を口に持って行く。 
「南で生まれた、こいつらは、良い所があまりない。
俺が北部で技術を身に付けたとき、 俺は怖じけはしなかったんだ、
一月で、こいつらが一年でするよりも、もっと多くの仕事をしていたんだ。
こいつらは、畑を耕して麦を踏むのには、十分だ。 
だが、炉を見たことがなかったんだ。火をかんかんに熾せないんだ。」 

骨ばかりの腕と手で、ひょろひょろと柱の様に伸びて六フィートばかりの長身で、 
煤だらけ。それでも、この訳知りの火夫は生身の人間なのだ。 
大きい鼻。のっぺりした面。房になった巻き毛。小さい耳。丸い顎。 
狭い額。薄い頬も窪んでいるので、細い顎は骨が突出している。 
神経質そうな口。格好の良い唇は煙草が染みになっている。 
長い首。精彩のない顔色。深く皺の寄った狡猾そうな目。 
熱で火脹れし、土で汚れて、黒くなっている、 
それが、火夫の仕事が作った顔。頑丈な労働者の顔だ。 
火夫はいつも自分の持ち場にいる、日が変わろうと、どの時刻にでも。 
無帽で、上半身も裸、ずっと、竃の炎の前にいる。 
腰にぶら下がった布巾は、彼の細やかな美術作品あるいは装飾だ。いや、 
その布巾は、彼の腰に蛇の様に巻き付いている、脇にぶら下がっている。 
彼の落ち窪んだ頬から落ちる汗、滴る鼻水を拭い落とすのだ、 
そして、汗と鼻水は、川の様に流れて行く。 
熊手、シャベル、操作棒と取り替えながら、火夫の手はいつも塞がっている。 
竃を燃え立たせ、星の様に、輝かせているのだ。 
彼は、熱が竃の扉を通して刺す様な痛みを自分に与えてくるのが好きなのだ。 
黄色の熱塊の膨張を見るのが好きなのだ。竃が唸るのを聴くのが好きなのだ。 
火夫の嬉しげな視線は竃に向けられている、そして、喜びで煌めいている。 
炎は保たれている、すべてが上手く行っていると、分かっているからだ。 

まずは、ガラガラ、チリンチリンと鳴る首長の注入器で、重い鋳塊が入れられる。 
誰が考えたよりも速く、鉄の扉が持ち上げられる。 
用意万端の十二本の手は、手掛かりも無い重い塊を、招き入れようとしている。
そして、開いた隙間から、中の空洞へ放り込む。 
重い扉がまた閉まる、鋳塊は中だ。 
渦を巻く炎が鋳塊を取り巻いて包むと、休むことのない仕事が始まる。 
直ぐ様、黒く煌めく埃が、床から集められる。 
そして、ドアに沿った小さな口、その何れもを、鳴らない様にした。 
そして、冷たい隙間風が入らない様に、突然の冷気が、 
鉄あるいは鋼鉄の、鋳塊の真ん中に、当たらない様になる。
さて、火夫の敏捷な手で、竃の操作棒が忙しく動かされる。 
注意深く、棒を差し込み、中で石炭を掻き回す。 
さて、割れて崩れるのが上手く作用して、石炭は同じ高さに均される。 
後ろに少し傾いている、そこはちょうど、竃の円蓋の下になる。 
重い通風調節弁を上げる、二目盛りかそれくらいだ。 
そして、火室の中の固い焼塊を砕いて下に出す。 
そして、蒸気を管の束に直接に導いて通す。 
そして、竃を、本物の火山の様な、黄色の炎に燃え立たせる。
時々、鍛鉄工の助手たちが、カタカタ鳴る首長の注入器を引き寄せて、 
鉛色の金属をぐるりと回し、また、下ろす。 
やがて、鋳塊は、隅々まで熱せられる。 
そして、真昼の太陽の様に眩しくなる、そして、正に噴出しそうになる。 
通風調節弁が全開して行く。熱は出るに任される。 
外側が、少し、冷えて固まる。すると、打つのにちょうど良くなる。
直ぐに、扉が上がる、軋む音を立てながら、首長の注入器が振り向けられる。 
パチパチ、シューシュー鳴る鋳塊が出て来る。そして、遠く隅々まで明るくなる。 
重いハンマーが力を貯めて、前へ後ろへ動く。 
噴出で、広い土台が揺れて震える。 
次から次へ、熱が遣って来る。毎日、毎日、 
火夫の厳しい仕事は続く。 − 火夫は自らの命を流し出す。 





Where'er you find a furnaceman, the first thing, when you meet,
Just tackle him about his trade, and praise him for his heat,
Then ask about his 'prenticeship, and from what part he hails -
He's sure to come from Sunderland, from Sheffield, or from Wales;
He'll give a knowing wink, and raise the pewter to his mouth:
"These fellows aint a lot of good that's born about the South;
When I was working up the North, - I say it without fear -
We turned more stuff out in a month than they do in a year;
They're good enough to plough the farm, and trample out the wheat,
But they've never seen a furnace, and they can't draw out a heat."

Long, lank, and lean as any post, with skinny arms and hands -

Six feet of grimy flesh and blood, the knowing fireman stands;

Large-nosed, fair-featured, curling locks, small ears, and rounded chin,

A narrow forehead, lantern jaws, with hollow cheeks and thin,

Mouth sensitive, with shapely lips stained with the weed and dyed,

Long neck, a brown and withered face, deep-wrinkled, artful-eyed,

Blackened and blistered with the heat, and grimy with the soil -

The very feature of his trade, a sturdy son of toil.

Day after day he's in his place, and every hour the same,

Bare-headed, naked to the waist, before the furnace flame,

His wiper at this middle hung, with little art or pride,

Or, serpent-like, about his wrist, or dangling at his side,

To brush the perspiration off that, like a river, flows

Out of the hollows of his cheeks, or trickles down his nose.

He's always busy with the rake, the shovel, or the bar;

He'll work the flaming furnace up as radiant as a star;

He likes to feel the twingeing heat strike through the open door,

And watch the yellow mass expand, and hear the furnace roar;

His merry eyes will cast about and twinkle with delight,

For then he knows the heat is safe, that everything is right.

First by the rattling, clinking crane the heavy ingot's brought,

The iron door is hoisted up as quick as any thought,

A dozen ready hands are near the ponderous mass to guide,

And shove it through the open rift to the hollow place inside;

Down goes the heavy door again, and shuts the ingot in,

The curling flames have wrapped it round, the steady toils begin.

Forthwith the black and gleaming dust is gathered from the floor,

To stop each little gaping clink, and lay along the door,

That no cold draught may enter in and strike a sudden chill

Into the centre of the mass - the iron or the steel.

Now by the fireman's ready hand the furnace bar is plied,

Careful he thrusts the pointer in and stirs the coals inside,

Now, with the ravel's useful aid, levels the fuel down,

A little sloping to the rear, and well below the crown;

Raises the heavy damper up, a couple of points, or so,

And breaks the solid clinker in the fire-box down below;

Admits the vapour underneath straight through the hollow pile,

And fires the yellow furnace up in true Vulcanic style.

From time to time the forger's mates invoke the rattling crane,

And turn the livid metal round, and lower it again,

Till, by-and-by, the solid mass is heated through and through,

And dazzling as the noon-day sun, and fit to take the blow.

Down goes the damper overhead, the heat's allowed to soak,

To somewhat chill the outer part, and fit it for the stroke;

Now presently the door is raised, the creaking crane's applied,

Out comes the spluttering, hissing mass, and lightens far and wide,

The ponderous hammer gathers strength and travels to and fro,

Until the deep foundations quake and shiver with the blow;

Another and another heat's supplied; day after day

The fireman's steady toil proceeds - he sweats his life away.

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2017年01月21日

The Beatles 「 Misery 」訳

 ビートルズの「 Misery 」。 
 ポール・マッカートニーとジョン・レノンの共作と言うこと。たぶん、ジョン・レノンが主な作者だと思うけれど。 
 ヴァース部分は、五音でモータウン的なのだけど、ブリッジ部分は全音を使っての下降で、ドイツ・リード的、でも、そう聴こえるのは、ジョージ・マーティンのピアノの所為かも。 
 歌詞については、一人称 I の世界を一人称 I の視点で見て、一人称 I の語りで語る、私小説的な書き方。( 視点・行為者と語り手が同一で私である、と言う意味で。 ) それで、ヒロインが三人称になっているのが、注目点の一つだけど。それは、二人称にすれば、いかにも舞台上の台詞的で、聴衆に仮構性を印象付けるのだけど、三人称にすれば、切迫性があって事実めいて聞こえるからかも。そういう技巧的な手法は、いかにも、ポール・マッカートニー的なのだけれど。でも、この場合、ヒロインが主人公からの呼び掛けに応答することがない、と言う設定なのでは、とも思えるので。それだと、直感的で、ジョン・レノン的だと思う。それに、ヴァース部分、頭に強拍を持って来てリズムを作ってるのも、レノン的だと思う。 

 それで、基本的には、ラブソングなのだと思うけれど、そうでない様な気分も伺えて。愛する人を不条理な理由で亡くしてしまった人の悲嘆と言う面がある様に感じるので。 
 それで、突然に、母を亡くして孤児になってしまった少年の嘆き、の様に、訳して見た。たしか、ジョン・レノンは、少年の時に、母を交通事故でなくしていたと思うので。 

元にしたのは、ビートルズのホームページの Songs
Misery | The Beatles 

Alan W. Pollack's Notes on "Misery"  

ヴァース/ヴァース/ブリッジ 
ヴァース/ブリッジ/ヴァースの構成だけど、
ヴァースは基本2行で、最後の1行がフックと言うか、コーラス的に、
それで、その行を第一ヴァースの前に置いて、コーラスから入る感じにしてある。 



「この世界、いつもおいらにむごいんだ、無情!」 

おいらはもう一人前のおとこさ、
泣いたりしないんだ。 
「この世界、いつもおいらにむごいんだ、無情!」 

おいらかあさんをなくしたんだ、
もう会えやしないんだ。 
「これから、暗々の旅の空になるんだ、無情!」

おいらきっと思い出すよ、かあさんとの暮らし、
かあさんはわかってなかったのか、かあさんは一人しかいないって。 

かあさんを生きかえらせてよ。
だれにもわかるだろ、
かあさんがいないと、おいらひどい暮らしさ、無情! 

おいらきっと思い出すよ、かあさんとの暮らし、
かあさんも思い出すかな、ひとりむすこが心残りかな。 

posted by ノエルかえる at 17:27| Comment(4) | TrackBack(0) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月07日

Phillip Larkin 「 Here 」訳

 フィリップ・ラーキンの「 Here 」。1961年に書かれた詩で、1964年2月に出版された詩集『 The Whitsun Weddings 』に収められた。詩集の巻頭の詩。 

 この詩も、各8行の四つのスタンザで、rhyme 的。なので、XTC の歌にも近い様な気が。それよりなにより、テーマが、戦後の新興住宅なので、XTC の初期、『 White Music 』『 Go 2 』『 Drums and Wires 』 に繋がる様な。それに、最後の第四スタンザでは、土着なものに帰着しているので、それも、XTC の変遷を思わせるようで。  


元にしたのは、allinfo.org.uk のもの: 
Level Up: English Literature  


第一スタンザでは、強弱格を利用して、列車での移動を読者にイメージさせる様にしているそうだけど、それを日本語に移すことは、私には無理なので。  





東へ逸れて行く、だんだんと。たくさんの工業的な仄灯りから離れて行く。 
それに、北へ向かう夜通しの運輸から離れて行く。だんだんと、田園を抜けて。 
薊だけがぽさぽさと生えてるだけなのに、それでも、牧草地と呼ばれている所を抜けて。 
時々、聴き取り難い名前の駅に止まる。駅は、夜明け前に働く労働者たちを 
隠している。 だんだんと、人里離れて行く。 
空ばかり。案山子。積まれた干し草。兎。雉子。 
曲がりくねった川。水は留まっているようにゆっくり。 
湧き上がった雲は金色。鴎の足跡のある干潟は赫々。 

そうして、列車は速度を上げて、突然、大きな町に。ここにはある。 
円屋根の建物。彫像。尖塔。数珠繋ぎの起重機。 
端に穀粒が散らばっている通り。平舟でいっぱいの運河。 
拓かれたばかりの団地の住人たち。彼らは、
何マイルも真っ直ぐで退屈な道を、平べったい面のトロリーで音も無く運ばれて来る。 
彼らは、一面ガラスの回転ドアを押して入って行く。欲しいものに向かって。 
手頃な値段のスーツ。赤い台所着。流行の靴。アイスキャンディー。 
電気ミキサー。電気トースター。電気洗濯機。電気乾燥機。 

大量生産の、都会的だけど単純な、住宅群。
そこには、セールスマンと親戚が来るだけ。
それも、有る決められた時に限ってのこと。そうでない時には、
魚臭い船が通りに曳き上げられている。長閑だ。奴隷博物館がある。 
タトゥーの店。領事館。頭にスカーフを被った厳格な奥様たち。 
家の直ぐ向こうは、ローン中で、境は半分だけ造られたまま。 
それで、麦畑が見える。麦は直に生け垣程の高さになって、闇がりを作る。 
幾つかの村が点在している。世間から離れている。 

寂しさが露わになる。ここでは、静寂と暑さは、
そのままだ。ここでは、葉々は、いつの間にか厚くなる。 
名も無い雑草が花を着け、見逃されていた水脈が湧き上がる。 
いっぱいに照らされた空気が上昇する。 
そして、ポピーの咲く、青っぽい中間色の場所の向こうに、 
小石が浜を成していて、そこで、突然に陸地は終わる。ここには、境はない。 
私は、太陽と対峙する。口は閉ざす。誰も近づけない。  






Swerving east, from rich industrial shadows

And traffic all night north; swerving through fields 

Too thin and thistled to be called meadows, 

And now and then a harsh-named halt, that shields 

Workmen at dawn; swerving to solitude 

Of skies and scarecrows, haystacks, hares and pheasants, 

And the widening river s slow presence, 

The piled gold clouds, the shining gull-marked mud,

Gathers to the surprise of a large town: 

Here domes and statues, spires and cranes cluster 

Beside grain-scattered streets, barge-crowded water, 

And residents from raw estates, brought down 

The dead straight miles by stealing flat-faced trolleys, 

Push through plate-glass swing doors to their desires− 

Cheap suits, red kitchen-ware, sharp shoes, iced lollies, 

Electric mixers, toasters, washers, driers− 



A cut-price crowd, urban yet simple, dwelling 

Where only salesmen and relations come

Within a terminate and fishy-smelling 

Pastoral of ships up streets, the slave museum, 

Tattoo-shops, consulates, grim head-scarfed wives; 

And out beyond its mortgaged half-built edges 

Fast-shadowed wheat-fields, running high as hedges, 

Isolate villages, where removed lives

Loneliness clarifies. Here silence stands 

Like heat. Here leaves unnoticed thicken, 

Hidden weeds flower, neglected waters quicken,

Luminously-peopled air ascends; 

And past the poppies bluish neutral distance 

Ends the land suddenly beyond a beach 
Of shapes and shingle.
Here is unfenced existence: 

Facing the sun, untalkative, out of reach.


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2016年12月25日

フィリップ・ラーキン「 The Mower 」訳

 フィリップ・ラーキンの1979年6月12日に書かれた詩。「芝刈り機」 

元にしたのは、Poetry Foundation の。 

The Mower by Philip Larkin | Poetry Foundation 

The Mower - Wikipedia 





The mower stalled, twice; kneeling, I found   
A hedgehog jammed up against the blades,   
Killed. It had been in the long grass.

I had seen it before, and even fed it, once.   
Now I had mauled its unobtrusive world   
Unmendably. Burial was no help:

Next morning I got up and it did not.
The first day after a death, the new absence   
Is always the same; we should be careful

Of each other, we should be kind   
While there is still time.   



芝刈り機が動かなくなった、動いてまた止まった。私は、
屈んで見た。はりねずみが歯に挟まっていた。
斬り殺していた。伸びた芝の中にいたのだ。 

はりねずみを前にも見たことがある、私は、飼っていたことさえある。
ところが、私は、はりねずみのひっそり閑とした生活を壊した、
修復は出来ない。墓など、何の慰めにもならない。 

翌朝、私は、起きた。はりねずみは起きない。 
死んだ日の次の最初の朝、真新しい不在。 
でも、いつもと変わらない朝。もっと気を付けるべきだった。 

お互いに、気を配らなくては、 
生きている間。
posted by ノエルかえる at 11:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月13日

Philip Larkin 「 Days 」訳

 フィリップ・ラーキン Philip Larkin の「 Days 」。 
10行の詩。 
 でも、まるで歌謡の歌詞でもある様。第一スタンザは、ヴァースの様だし。しかも、最初の四行はまさにヴァースで、終わりの二行は、フックか、コーラスの様。第二スタンザは、ブリッジになりそう。やっぱり、コーラスかな?? 
 それで、全く日常語ばかりで、文も平易なのに、それでも、意味が捉え難い。まるで、マッカートニーの歌詞。でも、この短さだと、ラモーンズの歌詞みたい。 

元にしたのは、Poety Foundation の。
Days by Philip Larkin | Poetry Foundation  

Days (poem) - Wikipedia
「 Days 」1953年の作品。 


What are days for?
Days are where we live.   
They come, they wake us   
Time and time over.
They are to be happy in:   
Where can we live but days?

Ah, solving that question
Brings the priest and the doctor   
In their long coats
Running over the fields.   




そも、日々とは、なん? 
日々と言うのは、私たちが生活してること。 
日々は来る、日々は私たちを起こす。 
時に次ぎ、に次ぎ、ひきりなし。
日々は、自足するだろう。でも、
日々がなくて、私たちは生活出来るのか? 

ああ、この難しい問題の答え、
司祭が持って来る、それから、医者が持って来る、
長いコートに入れて、
田園を駆け抜けて、持って来る。   

posted by ノエルかえる at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月27日

the Beatles 「 Hey Jude 」訳

 ポール・ビートルの「 Hey Jude 」。 

 結局、推察するのに十分な手掛かりは見つからなかったので。適当に、、、    

構成は、ヴァース/ヴァース/ブリッジ/ヴァース/ブリッジ  
元にしたのは、ビートルズのホームページの「 Songs 」:
Hey Jude | The Beatles

Alan W. Pollack's Notes on "Hey Jude"

Hey Jude | The Beatles Bible  

マッカートニーが元にした、ジョン・アイアランド John Ireland ( 1879-1962 ) の典礼合唱曲「 Te Deum 」
Te Deum Laudamus in F major (Ireland, John) - IMSLP/ペトルッチ楽譜ライブラリー: パブリックドメインの無料楽譜 

アトラスが歌われている、シューベルトの歌曲集『白鳥の歌』の第八曲「アトラス」 
Schwanengesang, D.957 (Schubert, Franz) - IMSLP/ペトルッチ楽譜ライブラリー: パブリックドメインの無料楽譜 
歌詞は、ハイネ: 
Ich unglückseliger Atlas! eine Welt,
Die ganze Welt der Schmerzen muß ich tragen.
Ich trage Unerträgliches, und brechen
Will mir das Herz im Leibe.


Du stolzes Herz, du hast es ja gewollt!
Du wolltest glücklich sein, unendlich glücklich
Oder unendlich elend, stolzes Herz,
Und jetzo bist du elend.


僕は不幸なアトラス、世界を
苦しみだらけの全世界を抱えてなければならない。
僕は耐えられない程のものを抱えて、
身中の心臓は破裂しそうだ。 

誇り高い心、君がそれを望んだのだ。君が、
幸福でありたいと、永遠に幸福でありたいと、
そうでないなら、底なしに惨めになりたいと、望んだのだ。 
だから、今、君は惨めなのだ。  




Hey Jude

おやまあ、ジュード、恋の病いに臥せったりして。 
悲し気な歌は片付けなさい。それだけでも、ましになるから。
肝心なのはね、君の関心の中心に彼女を置くことだよ。 
そうすれば、恋の病いも快方に向かって行くものだよ。 

いいんだ、ジュード、不安に思うことはないんだよ。
外に出てあの娘に会うことは、生まれた時から決まってたんだよ。
君があの娘を深く理解出来たその時に、 
恋の病いは快方に向かい始めるからね。 

まさか、何かの劫罰だと思っているのかい? ちがうよ、
ジュード、この文句を繰り返し歌うんだ。 
「アトラスの様に、世界を肩に負うもんじゃない。」 
いいかい、分かるだろう、
自分の世界を無味乾燥にして、乙に清ましている人、
愚かに見えないかい? 

どうだい、ジュード、しっかりするんだ。
彼女はそこにいる、さあ、行って抱きしめるんだ。 
肝心なのはね、君の関心の中心に彼女を置くことだよ。 
そうすれば、恋の病いも快方に向かって行くものだよ。 

さあさあ、力まないで、張り詰めないで、
落ち着いて、ジュード、歌い始めるんだ。 
まさか、伴奏者を待っているのかい? 
分からないのかな? 君一人しかいないんだよ。 
さあ、楽章は君の肩に載っているんだからね。    


2017年1月9日、追記 
トマス・ハーディーに『日陰者ジュード Jude the Obscure 』という小説がある。
1895年に書籍として出版されたもの。 
貧民のジュードが向学心を抱いて進学しようとするけれど挫折して若くして死ぬ、と言うあらすじ。 

Jude the Obscure - Wikipedia 

 何か関係があるかも知れない。 それから、ジュードは、十二使徒のタダイの別名。
posted by ノエルかえる at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月02日

John Greenleaf Whittier「Telling the Bees 」訳

 The Big Big Train の「 Telling the Bees 」にインスパイアを与えた、John Greenleaf Whittier ジョン・グリーンホーフ・ホイッティアの「 Telling the Bees 」を訳して見ました。 

John Greenleaf Whittier、1807年生まれ、1892年没のアメリカの詩人。敬虔なクェーカー教徒。 
John Greenleaf Whittier - Wikipedia, the free encyclopedia  


[ XTC も、『スカイラーキング』では、クェーカー教の神父の衣装を着ていたけど。 ] 


元にしたのは、ウィキソースのもの :
The Atlantic Monthly/Volume 1/Number 6/Telling the Bees - Wikisource, the free online library   
1858年4月刊行の雑誌『 The Atlantic Monthly 』、Volume 1、Number 6 に掲載されたもの。 






ここで当ってた。今、僕が通っている小径が
丘を越えて行くんだ。 そうしたら、 
古い堤に割れ目があるのに、君は気付くだろう、 
そこから、浅い小川に飛び石があるのが見えるだろう。 

一軒の家があるよ。門が朱に塗られている。 
ポプラが高く聳えている。 
細長い牛小屋と囲われた放牧場。 
白い角が塀壁の上に覘いたり隠れたりする。 

そして、陽差しの中に蜜蜂の巣箱が並べられている。
その下、小川の 
縁には、野草が茂り、素朴な花々が咲いている、 
菫や水仙、野薔薇に撫子。 

一年が過ぎたところだ。亀の歩みの様に、 
難儀に鈍い歩みで。 
今、去年と同じ野薔薇が咲き、同じ太陽が輝く。 
そして、小川は去年と同じ調べを奏でている。 

そよぐ風の中には、同じ白詰草の甘い香りが入っている。 
六月の温かい太陽は、その 
炎の翼を樹々に搦めている。 
そうして、陽は、いつまでもフェーンサイド農場にいる。 

僕を包み込む陽光の衣が、どれだけ 
愛情の隠ったものなのか、僕は、今、思い知る。 
僕は、草の毬を振り落とし、髪を梳かす、
それから、小川のほとりで、額と喉を冷やそう。 

一年中、焦がれているもの、 
あの小さな朱の門と、その側の井戸の撥ね釣瓶、
あれを、橅の樹を通して見下ろしたのは、 
一月前、それっきりだった。 

今、僕は見ている。葉々を抜けて、 
斜めに降り注ぐ光の雨。 
そして、彼女の窓ガラスに映える夕焼け、 
庇の下の彼女が植えた薔薇の花叢、それらのすべてを僕は見ている。 

一月前と何も変わらない。 
家も樹々も同じだ。 
牛小屋の破風、戸の側の蔦、 
何も変わらない。ただ、蜜蜂の巣箱は違う。 

庭垣の下、可愛い小間使いの女の子が、 
歌いながら、巣箱の前を 
物憂く行ったり来たりしている、 
黒い布をどの巣箱にも掛けて行く。 

僕は、それを聴いて震えた。夏の 
太陽は、その中に雪の寒さを隠していたんだ。 
女の子が、蜂に語り聞かせていたこと、それを僕は分かってしまった。 
一人の人が、僕たち誰もが行くことになっている旅へと、行ってしまった、と。 

僕は独り言ちた。 
「メアリーは、今日死んだ人に涙を流している。 
たぶん、目も見えない彼女の祖父は、眠ってしまったのだろう、 
彼の苦難と苦痛の歳月は去ってしまったんだ。」 

ところが、戸口の敷居で、メアリーの犬が鼻を鳴らしている、 
その先には、老人の杖と顎がある。 
老人は、そこに座っていた。女の子は、まだ、 
歌っている。こっそり出たり入ったりしている蜂に教えている。 

女の子の歌う歌は、まだ続いていた、 
それが僕の耳に聞こえた。 
「かわいいはちさん、おうちにいてね、もうとんでいかないでね、
メアリーおくさまはしんでしまったの、いってしまったの。」

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2016年07月09日

Big Big Train 「 Telling the Bees 」訳

 Big Big Train のアルバム『 Folklore 』の最後の歌、「 Telling the Bees 」の訳。 

Telling the Bees | Big Big Train 


 「 Telling the Bees 」は、蜂飼いが自分の人生の節目となる様な出来事を蜂に知らせていた、と言うヨーロッパの伝承だそう。 
Telling the bees - Wikipedia, the free encyclopedia 
 それから、デビッド・ロンドン David Longdon さんは、アメリカの詩人 John Greenleaf Whittier ( 1807年生まれ、1892年没 )の詩「 Telling the Bees 」を踏まえているそう。1860年出版の詩集『 Home Ballads 』に所収。初出は1858年の雑誌『 The Atlantic Monthly/Volume 1/Number 6 』に。 
Telling the Bees - Poetry Foundation

The Atlantic Monthly/Volume 1/Number 6/Telling the Bees - Wikisource, the free online library






あの時、母さんは言った、「言っておくよ、お前…、 
父さんは行ってしまった。 
さあ、お前の番が来たんだよ。 
お前が、蜂に報告しなければならないんだ。父さんが死んだ、ってね。 
蜂の巣に黒い布を掛けて知らせるんだよ。 」 

そうして、今、私が蜂飼いになっている。 
何年かが過ぎた。ある日、
ジェニーが私の目を捉えた。
私は彼女に歩み寄って、キスしてくれと言った。
彼女の唇には、蜂蜜の甘さがあった。 

蜂に報告、蜂に報告。 

あの丘陵群の様に、あの巨石群の様に、馴染み深く、
蜂への報告は、私のこゝろの奥底にある様に感じる。 

蜂は、私たちの婚礼の日も、
知らされた、 
新婚の寝台に野花の花輪を
飾って、知らせたのだ。 
それから、二年過ぎて、私たちは息子を授かった、 
蜂は、私たちの過ぎ来し方を、その都度、知らせられているのだ。 

蜂に報告、蜂に報告。 

あの丘陵群の様に、あの巨石群の様に、馴染み深く、
蜂への報告は、私のこゝろの奥底にある様に感じる。  

報告には、喜びもある、 
胸の奥深くの悲しみもある、 
幸せの涙、悲しみの涙、 
涙は流れるままに…、 

蜂に報告、蜂に報告。
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2016年06月03日

The Beatles 「 Maxwell's Silver Hammer 」訳

 ポール・ビートルの「 Maxwell's Silver Hammer 」。 

 私には、この歌詞を訳すのは無理そうなので。歌詞の何所かに構成を読み解く鍵があるのだろうけれど。
三つのヴァース。三つのコーラス。
 各ヴァースに二つの文章、その各文章には二つの事柄が叙述されているので、全部で十二の事柄があるのだけれど。それらの事柄が、関係あるのか、関係ないのか分からない様に並べられている。もしかしたら、雑誌新聞などから、任意に十二の文章を切り出して、それを並べて、韻を踏ませて、あたかもストーリーがある様に組み立てたのかも知れない。 
 なので、訳すのにも、各文の文体を変えてみた。本当は十二の文体を使えばいいのだろうけれど。元の歌詞の文体は、ずっと同じに思えるけれど。 
 兎に角、歌のテーマは、物事が、思いも掛けず突然に、暗転すると言うことなので。 

元にしたのは、ビートルズのホームページの「 Songs 」:
Maxwell's Silver Hammer | The Beatles 
Alan W. Pollack's Notes on "Maxwell's Silver Hammer" 
Maxwell's Silver Hammer | The Beatles Bible  

ポール・ビートルが影響を受けたアルフレッド・ジャリのこと:The Beatles「 Maxwell's silver hammer 」のこと 2: ノエルかえる不恵留 
1968年、ビートルズの周辺で実際起こった殺人事件について:The Beatles「 Maxwell's silver hammer 」のこと 8 『 Up Against It 』: ノエルかえる不恵留  
過激なフェミニスト、ヴァレリー・ソラナスの芸術家アンディ・ウォーホル殺人未遂事件について:The Beatles「 Maxwell's silver hammer 」のこと 11: ノエルかえる不恵留





 「マックスウェルのシルバー・ハンマーは、当時の私の「比喩」だったのです。物事が、出し抜けに悪くなって行く時に、この言葉を使っていました。そう言うことは屢々起こるものだと、その頃、私は気が付き始めていたのです。私は、こうした事態を象徴する何かが必要だと思っていたのです。そうです、何か、架空の人物にそうした事態を表象させることが、私には必要だったのです。それが、銀のハンマーを持ったマックスウェルだったのです。何故、銀だったのか、私にも分かりません。ただ、マックスウェルのハンマーよりも、響きが好いように思えたのです。音律的に、silver が入ることが必要だったのです。今でも、私たち ( ポールとリンダ? ) は、思いも寄らない事があると、この表現を使うのです。」  


ジョアンは、不思議好きな娘だった。
家に居ても、形而過学を研究していた。
毎夜深夜にも、試験管を手に、一人きりで、
、、、 
マックスウェル・エディソン、
医学部専攻学生。
彼女ヘ電話カケル。
「ジョアン、ぼく、きみと映画に行きたいんだけど。」
彼女が出掛けようとした、その時、
ドアにノックの音が一つ。
ゴムン、ゴムン。
マックスウェルの銀の鎚降臨、( 彼女 )の頭の上。
カアン、カアン。 
マックスウェルの銀の鎚、( 彼女 )は死んでいる、と確認。  

さて、一方、その頃大学では、
マックスウェルは大失態を演じてました、
教官はどうにか嫌な事態だけは避けたいと思っていたのですが。
彼女ハM君へユフ、ソノ侭ト、
ソノ時、既ニ、講義ハ終了シテイタ。
彼、後方ニ控エ、
書イテイタ、五十回。「我、有るまじきは
、、、」 
彼女がこの学生に背を向けた、その時、
彼は後方から忍び出る。
ゴムン、ゴムン。
マックスウェルの銀の鎚降臨、( 彼女 )の頭の上。
カアン、カアン。 
マックスウェルの銀の鎚、( 彼女 )は死んでいる、と確認。  

警官三十一号ハユフ、
「我等ハ卑猥ナ輩を捕縛セシ。」
マックスウェルはひとりで立ち竦んでいるのです。
讃画を描いているのです。
一枚、一枚、、、、 
ローズとヴァレリー。 
展覧会場で叫んでいる、
そう、この人は形式から自由になるのよ、と言っている。
審査員、肯ンゼズ、
彼ハ彼等ヘソノ旨告ゲル、
、、、 
言葉が唇を離れようとした、その時、
後ろで物音が一つ。
ゴムン、ゴムン。
マックスウェルの銀の鎚降臨、( 彼 )の頭の上。
カアン、カアン。 
マックスウェルの銀の鎚、( 彼 )は死んでいる、と確認。  

銀の鎚、 
ジョアンとマックスウェルは、確かに、死んでいる。
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2016年05月29日

The Beatles 「 Rocky Raccoon 」訳

 ええと、「マックスウェルズ・シルバー・ハンマー」の訳は難しくて捗らないので、「ロッキー・ラクーン」を。 
 ポール・ビートルの歌。 

 この歌、舞台に設定されているのが、ダコタのブラック・ヒルで、主人公には、Raccoon アライグマと言う名前が付けられているのだけれど。ブラック・ヒルは先住民族スー族が神聖な土地として崇めていて、それをアメリカ政府も保証していたのに、金鉱が見つかると武力で略奪した土地で、アライグマは、スー族が神の宿る動物とみなしていた動物。そうすると、ポール・ビートルは、この歌に、そうした歴史を含意させたのではないだろうか。
 それから、もう一人の主人公は、名前が三つある。Magill とLil と、Nancy。これが、ひとつは主人公にとっての名前、ひとつが自分自身の名前、ひとつが一般の人にとっての名前、と言う構造も興味深いのだけれど。これがマルガリータとアナスタシア、という復活を暗示する聖女の名前であり、Lily 百合は、キリストの復活を指す言葉で、歌詞の中の言葉、revival に関わる様に設定されているのにも、注目しないといけない。
 仇役のダニエルは、『ダニエル書』のダニエルだろうけど、それが、この歌とどう噛み合うかは、分からないのだけれど。

元にしたのは、ビートルズのホームページの「 Songs 」:
Rocky Raccoon | The Beatles 
Alan W. Pollack's Notes on "Rocky Raccoon" 
Rocky Raccoon | The Beatles Bible  

Black Hills - Wikipedia, the free encyclopedia




話そう。名前は明かさないが、ダコタのブラック・マウンティン・ヒルの何処か、
若いあらいぐまロッキーが住んでいた。
ある日、ロッキーの妻が他の男と駆け落ちた。
ロッキーの眉間を打つ出来事だった。思いもしないことだった。
言った。「あの男をとらまえる。」
その後のある日、ロッキーはかちで町へと降りた。
鄙びた宿に部屋を取った。
ロッキーがしたことと言えば、ギデオン・バイブルに気が付いた、と言うだけ。
銃を用意して来ていた。
ロッキーは、仇の足を両方とも打ち砕くつもりだった。
あの男が自分の夢の数々を砕いた、とロッキーは思っていた。
自分にとって最高の女を盗んだのだから。
女の名前はマギル、自分ではリルと名乗っていたが、
誰もがその女はナンシーだと承知していた。
折しも、女と情夫、男はダンと名乗っていた、その二人は、
隣りの部屋で「踊り場」を演じていた。
ロッキーは蹴り入った。にっと歯を出した。
言った。「ダニー坊や、「見せ場」だ。」
だが、ダニエルは強者だった、素早く抜くと放った。
すると、ロッキーは隅に崩れ落ちた。
折しも、医者が来た、酒の匂いを放っていた、
よろよろと進み、卓に凭れ掛かった。
言った。「ロッキー、かたきに会ったか、」
ロッキーは言った。「せんせい、ただの「かすり」だ。」
「治る、治るさ。せんせい、おれはすぐに治るさ。」
そうして、あらいぐまロッキーは自分の部屋へ引き取った。
部屋には、ギデオン・バイブルだけがあった。
ギデオンは立ち去ったのだ。そして、バイブルを置いて行った。
恩恵でロッキーの蘇生を助けようとしたのに相違ない。
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2016年04月16日

Noël Coward「 World Weary 」訳

 ノエル・カワード Noël Coward の「 World Weary 」。

「 World Weary 」は、カワードが1928年に書いたミュージカル『 This Year of Grace 』の中の一曲。 

 でも、訳すのに使ったのは、1955年、アメリカのテレビ番組で歌ったもの。歌詞もインターネット上にあったものを参照して。 

World Weary - Wikipedia, the free encyclopedia 

This Year of Grace - Wikipedia, the free encyclopedia  





疲弊して鬱した気分の時には、放って置いて
呉れたら嬉しい、私は一人で、 
陽に浴した場所を夢見ているのだ、そんな日は、
一日、電話からも離れている。 
ビルディングがどんどん高くなっている様に思える
のは、空がほとんど見えないからだ。
どこか、遠望の効く静かな場所がないものだろうか、
その地所の何処にいても、
微睡むことの出来ような。 単調な寝息で。 

大都会に住んで、私は、世界に倦んでいる、飽いている、
大都会はあまりに物侘しい、
何もかもが灰色か暗褐色に見える。私は思い知った。
澄んだ青の海、
広く枝を張る大樹、
ピレネーから飛び出した鳥の視界、それを私は望むのだ。
月が昇るのを眺め、
膨れた赫灼の太陽が沈むのを眺め、
風が吹き渡り魅惑的な景色の空を過ぎ去る雲を観察したいのだ。
ところが、都会の街路を歩くと、行き当たるどの者も、私に嫌気を起こさせる。
私は、世界に倦んでいる、飽いている、
都会の操り人形には辟易しているのだ。
私は、たった今、自然に戻り、寛ぎたいのだ。

大都会に住んで、私は、世界に倦んでいる、飽いている、
大都会はあまりに物侘しい、
何もかもが灰色か暗褐色に見える。私は思い知った。
犂を引いた馬、それに、鷄、
情深くモーと鳴く牛が一頭、
「働く」と言う動詞が、
まるで似付かわしくない名詞「田舎」、それを私は望むのだ。
広々と開けた土地を見たくて、私は、焦燥感に駆られている。
熱心に私に追従する者たちはそこにはいない、私は、
彼らのまるで間抜けな顔に辟易している。
私は、世界に倦んでいる、飽いている、それだから、
私は、この線路に口付けしたい程だ、
たった今、自然へと戻って行きたい、
そこでは、きっと、地平線が見えるだろう、
私は、たった今、自然に戻り、寛ぎたいのだ。  

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2016年04月09日

The Beatles 「 Two of Us 」訳

 ポール・ビートルの「 Two of Us 」。 
 ヴァース/ ヴァース / ブリッジ / ヴァース の構成。( ヴァースの終部にフック。 ) 
 ヴァース部分は、二人の人物の応答になっている。Two of us と語り出す人物と、You and me と語り出す人物。
 曲全体の構成は、「 We can Work it Out 」と同じ。「 We can Work it Out 」はDメジャー、 Two of Us 」はGメジャーだけれど。「 We can Work it Out 」の系譜と言うか、発展、その後の様な感じ。けれども、私は、「 We can Work it Out 」のヴァース部分でのナラティブを一人の人物に訳していたけれど。再考すると、「 We can Work it Out 」のヴァースも二人の人物の応答に考えられる。 

元にしたのは、ビートルズのオフィシャル・サイトの「 Songs 」: 
Two Of Us | The Beatles 
Alan W. Pollack's Notes on "Two Of Us" 
Two Of Us | The Beatles Bible 


 歌詞の言葉で意味が分かり難い所: 
burning matches : 1643年のイングランド内戦の時の、議会派が丘の上に火の点いたままの火縄を置いていて国王派を欺いて退却した、と言う故事。
Battle of Lansdowne - Wikipedia, the free encyclopedia

lifting latches : リヴァプールの俗語で、パブで馴染みになって、見晴らしの良い席に通される様になったときの事。 

chasing paper : paper chase 兎狩りごっこ。子供の遊び。森でウサギになった子が、目印の紙を置いて隠れて、猟犬になった子が追い掛けると言う遊び。 
Paper Chase (game) - Wikipedia, the free encyclopedia 

 それから、直接は関係ないけれど、「 Writing letters on my wall 」の行、
wall には、イギリスでは、立羽蝶の意味もある。それも備忘しておく。 
UK Butterflies - Wall - Lasiommata megera  


 そうして、『 A hard day's write 』のリンダ・マッカートニーの証言: 
子供の時、私は迷子になるのが好きだったの。よく、父さんに、さあ、迷子になりましょう、って言っていたわ。でも、本当の迷子にはならなかったみたいね。結局は、何処にでも標識があって、ニューヨークであれ何処であれ、住んでいる所に導いてくれるのね。それでね、私がポールと一緒にイングランドに引っ越した時だけど、( 娘の ) マーシャを後ろに載せて、自動車で、ロンドンから出て行ったのね。高速道路に乗ると直ぐに、「迷子になっちゃいましょう ( 失踪の意味も )」と私は言ったの。それで、標識なんか全然見ずにドライブを続けたの。それで、この歌の「 two of us going nowhere 」と言う行が出来たのね。ポールが「 Two of Us 」を書いたのはその頃ね。あれは、私たちのことなの。私たちは、どこか森の様な所に自動車を止めたの。私は自動車を降りてあたりを歩いたわ。その間、ポールは自動車の中に居て、曲を書き始めたの。それから、絵葉書のことも歌に書かれているわね。あの頃、私たちは、お互いに絵葉書を送り合っていたのよ。 




女「ねえ、あなた、 
わたしたちふたりは、どこにも通じていない自動車道路ね、 
でも、それもどこかのどなた様かが、財を注ぎ込んでつくったものなのでしょうねえ。」 
男「ああ、お前、 
お前と私は、日曜時間のゆっくりした速さで自動車旅行をしてるだけさ、 
中々着きそうにはないけれどね、それでもね、我が家へと帰る道にはいるんだよ。」 

女と男「わたしたち、 
私たち、我が家へと帰る路を辿っている、 
結局は、我が家へ帰ることになる。」 

女「ねえ、あなた、 
わたしたちふたりは、いつまでも配達中の絵葉書ね。 
でも、わたしは、その絵葉書、わたしのお部屋の壁に押しつけて書いたのよ。」 
男「ああ、お前、 
お前と私は、火縄を点けたままにしておいた、そうして周囲を欺くんだよ、 
ほら、それが閾を越える許しだったんだ、我が家へと続く道が展望出来るよ。」

男、独白「お前と私には、幾つもの思い出がある。 
それは、今目前に延びている道よりも、まだ、先にまで残っていく思い出さ。」

女「ねえ、あなた、 
わたしたちふたりは、ずっと外に出しっぱなしのレインコートね。 
もう、天気になって陽が差しているのに、空っぽのレインコートが立ってるの。」 
男「ああ、お前、 
お前と私は、兎狩りごっこを遊んで、印の紙を追っているのだよ、 
堂々巡りで、何所か別の所へ抜ける分けではない、最後には、我が家へ戻るんだよ。」
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2016年03月19日

Philip Larkin「 At Grass 」訳

 パートリッジにも影響を与えている詩人 Philip Larkin の「 At Grass 」。ムールディングの「 Grass 」に接するところもある様に感じます。 
 訳して見ましたけれど、この詩の全体の二重性を盛り込むことは、私には出来ません。例えば、第五スタンザの grooms と言う語、「厩務員」と言う意味と、「花婿」と言う意味があり、それは、聖書の言葉とも関連するのだろうけれど、ああ、第三スタンザの Numbers も聖書と関連があるかもしれないし、、、 
 第三スタンザは、後藤明生によれば、それまでのスタンザと違って、強弱弱強格 choriamb で、馬の動きを暗示しているのだそう。そこは、パカ、パカ、と歯切れのいい様に努めたのですが。 



元にしたのは、All Poetry :
At Grass by Philip Larkin - Famous poems, famous poets. - All Poetry   





視覚では、とても、あの涼し気な陰に 
隠れている、彼らを、見て取れない。けれども、 
風が吹いて、尻尾をそれから胴を、陰から追い立てると、
わかった。一頭が草の先を齧りあたりを動き回っている、 
− もう一頭はながめている −  
でも、立ち止まると、また、見わけられなくなる。  

まだほんの十五年前だ、たぶん、 
レースは二十四回で事足りた、それで、
彼らは伝説になった。柔らかな陽の午後に、 
カップ・レースと ステイク・レースとハンディキャップ・レースが行われて、 
活気を失っていたクラッシック・レースの六月に、誂え向きに、 
彼らの名前が、花を添えたのだ。 

スタートの勝負服。空の色と好対照。 
群衆と傘の群れ。場外に、 
空の車の隊列。そして、熱気。 
そして、千切れた草が散る。すると、人々の喚声が、 
少しも和らがないで伸び続ける。静かになる時、 
通りでは、新聞の緊急割り込み記事が出てるのだ。 

様々な思い出は、蝿の様に、彼らの耳をうるさがせるのだろうか? 
頭を振る。夕闇が情景を一色に染めて行く。 
一夏、一夏と、何かが気付かない内になくなる、
スターティング・ゲート、群衆、喚声、何もかもがなくなった。 
何もかもなくなった、でも、苦しむことのない草地はある。 
年鑑に載せられて、彼らの名前は生きている。でも、彼らは、 

自分たちの名前を捨てて、久しく、のんびりと立ち尽くしていたり、 
愉しいと思えば、走り出す。 
けれども、ゴールに走り込む彼らを見る双眼鏡はひとつもなく、 
おせっかいなストップ・ウォッチが予報することもない。 
厩務員たちがいるだけ。それに厩務員の見習い。 
夕方になると、馬勒を持って遣って来る。  

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2016年03月06日

Philip Larkin「 Cut Grass 」訳

 フィリップ・ラーキン Philip Larkin には、 grass と言う語を使ったタイトルの詩が二つある。一つは、1950年1月3日の「 At Grass 」、詩集『 The Less Deceived 』に所収。もうひとつは、詩集『 High Windows 』に収められた、1970年6月3日に書かれた「 Cut Grass 」。 

 調べていると、雑誌『英語青年』1979年03号に、後藤明生が「 At Grass 」について書いたものがあることを知った。 

 それで、後藤明生がどう書いているかを知りたいから、「 At Grass 」は次にして、「 Cut Grass 」を。 
六月がテーマの詩で、若い生命が中心なのだけれど、老いと死も合わせて書かれていて、私には、XTC 『 Skylarking 』のムールディングの歌が連想される。 

元にしたのは、All Poetry の : 
Cut Grass by Philip Larkin - Famous poems, famous poets. - All Poetry





切られた草が萎えて倒れる、その時、
一度にどっさり、鎌で刈られた茎が、吐く、
吐息はあっという間。 
での、その死は、長い長い間がかかる、そう、 

草が死ぬのには、世界が白くなっている間が要る、 
そう、六月の若葉の季節の間、 
栗の花が、
生け垣に雪の様に白い花を散らせている間が、 

それに、四月のアン女王のレースの白い花がなくなった、 
小径に、ライラックが白い花を垂らしている間、 
それに、空高く聳えた白い雲が、 
夏の速度で動いている、あの時間が掛かる。 


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2016年02月27日

The Beatles 「 Helter Skelter 」訳

 ポール・ビートルの「 Helter Skelter 」。 

 歌詞の内容はとても分かり難い。ヘルター・スケルターはイギリス英語では、螺旋状の滑り台の意味。それで、マッカートニーには、その滑り台のイメージで、ローマ帝国の盛衰を表象したと言うこと。特に、死をテーマにしているらしい。それを手掛かりにして訳してみました。
 でも、やっぱり、「 You may be a lover,
 / But you ain't no dancer. 」の行は分からない。それで、語のスペルを変えて見るとかもして見て、lover を rover に。それなら、放浪者になって、何となくイメージを結ぶけど。では、dancer は? cancer 癌 ? それは変かなあ、と。l とd を反対にしてみたら、dover と lancer。ウシノシタ ( カレイの一種 ) と槍騎兵。それなら、古代ローマ帝国とのイメージも繋がるかも、と思ったり。
( あ、a lover、この行で、愛人と言う意味は浮かんで来ないと思う。愛好家、でも何の?? ) 
 それで、you が何なのかが問題。最初は、ヘルター・スケルターを指しているのかとも思ったのだけど。この歌詞が一人称の語りとして、語り掛ける相手を設定していると考えるのか、どうかも確信が持てないし。時制が現在形だけと言うのも何なのだろう? と思うし。おはなし時制??? 
 ともかく、マザーグース的な雰囲気にはしたいと思ったし。 

それで、下の様な訳。 
元にしたのは、ビートルズのホームページの「 Songs 」: 
Helter Skelter | The Beatles 
Alan W. Pollack's Notes on "Helter Skelter" 





すべりだいのそこに着いたら、てっぺんにもどろうとしたの、ぼく、
でも、足がとまって、そこで、ころんで、滑りだしたの、ぼく、
奈落におちたら、また、あえるかもね、冥府のおうさま、
わーい、わーい、わーい、わーい。 

ねえ、冥府のおうさま、ぼくにいてほしいの? そうでないの? 
ぼく、とっても速くおちてるけど、まだまだ、ずっとうえだよ。 

おしえて、おしえて、
さあさあ、おしえて、
冥府のおうさまったら、おどりの愛好家なんだろうけど、
ぜったい、ぜったい、舞踏家ではないよ。 

わあ、これはまるで、ぐるぐるすべり台。
ぐるぐるすべり台。
ぐるぐるすべり台。 
わーい。 

ねえ、冥府のおうさま、ぼくに到着してほしいの? 
ぼく、とっても速くおちてるけど、おうさまを突き抜けてしまうかなあ? 
おしえて、おしえて。 
冥府のおうさまったら、うしのしたかもしれないけど、
ぜったい、ぜったい、槍騎兵ではないよ。 

ほら、ぐるぐるすべり台。 
わあー、 

ほら見てよ、死神がきたよ。 







追記: 
この歌、「 The Fool on the Hill 」「 Mother Nature's son 」と一連の、( 当時の ) 現代文明の崩壊の予感、警鐘の歌なのかも知れない。そして、先の「 The Fool on the Hill 」「 Mother Nature's son 」と違って、希望がないように思える。バベルの塔も連想させるし。
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2016年02月25日

Helter skelter

 「 Helter-skelter 」と言う語が、一般によく知られた歌に使われた、最初のものは、ディズニー映画『バンビ』( 1942年 )の中の歌「四月の歌 Little April Shower 」なのかも知れない。作詞は、Larry Morey ラリー・モーレー。 
 Disney Song Lyrics と言うサイトのものを元にしたけれど、オフィシャルサイトなのかどうか分からない。 

 Helter-skelter が使われている部分は、終わりの方で、 
Gay little roundelay
Song of the rainy day
How I love to hear your patter
Pretty little pitter-patter
Helter-skelter when you pelter
Troubles always seem to scatter のところ。 




ぽたり、ぽたり、ぽとり、
可愛らしい四月のにわか雨さんったら、 
君がそこいらじゅうに落ちるとき、
叩いて音を出すんだね。 

ぽたり、ぽたり、ぽとり、
可愛らしい四月のにわか雨さんったら、
君が出すそのきれいな音、
いったい、なにと比べられるだろうねえ、 
きれいな音だよ、 
きれいな音だよ、 
ぽたり、ぽたり、ぽとり。 

ぽたり、ぽたり、ぽとり、
お空が曇ってくるとね、 
君の可愛らしい曲が、 
今を色いっぱいにするんだよ。

ぽたり、ぽたり、ぽとり、
お空が曇ってくるとね、 
君は、歌と一緒に、きゅうに現れるんだ、 
きれいなメロディと一緒にね。 

お空が曇ってくると、
君は、可愛らしい歌を歌いながら、きゅうに現れるんだ。 

陽気な可愛い輪舞曲だよ、 
雨の日のための歌だね、
僕は、君の早口を聴くのが大好きさ、 
可愛い、ぴちゃぴちゃ早口が大好きさ、 
でも、どしゃ降りになると、こまるんだ、 
頭が尻尾のてんやわんや、みんなを追い払ってしまうよ。


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2016年02月20日

The Beatles「 Mother Nature's son 」訳

 ポール・ビートルの「 Mother Nature's son 」。 

 「 The Fool on the Hill 」に繋がる歌だと、思います。もしかしたら、the Fool と、Mother Nature's son は同一人物かも。
 それで、nature は、ラテン語の nascor ( 生まれる ) から出来た語なので、それで、神格化されている様なので、産神と訳してみました。 

元にしたのは、ビートルズのホームページの「 Songs 」: 
Mother Nature's Son | The Beatles 
Alan W. Pollack's Notes on "Mother Nature's Son" 


質素な農村の人間として、ぼくは、
儲けられた、産神の息子なのだ。 
一日中座っているだけのぼく、そして、みんなに向けて歌うんだ。 
山肌を落ち流れる水筋の側に座るぼく、そして、母が現れるのを待っている。 
そして、母が飛び去る時の、音楽の様な美しい音に耳を澄ますんだ。 
母は、ぼくを見つけるよ、ぼくの住む草原の中にいるぼく、
産神の息子を見つけるんだ。 
雛菊の花群を揺さぶるぼく、そして、太陽の下、ゆっくりな歌を歌うんだ。 
ぼくは、産神の息子。 




追記: 
Sit beside a mountain stream, see her waters rise. の行、
ここの rise 、私は、水位が上がると言う意味には取りません。源を発するの意味だと思います。 
山の水流の脇に座り、その水が湧いて出るのを見る。 なのだと思います。
その様子を神格化して女神/母神の姿のイメージとして、上の様な訳にしました。
Find me in my field of grass は、その母神への呼掛けなのだと思いますが、
平叙文にして上の様な訳にしました。 

追追記: 
それで、次のように訂正してみました。  


質素な農村の人間として、ぼくは、
儲けられた、産神の息子なのだ。 
一日中座っているだけのぼく、そして、みんなに向けて歌うんだ。 
山肌を落ち流れる水筋の側に座るぼく、そして、母が現れるのを待っている。 ( 母は湧く水の姿 ) 
そして、母が飛び去る時の、音楽の様な美しい音に耳を澄ますんだ。 ( 母は渡る風の姿 ) 
母は、ぼくを見つけるよ、ぼくの住む草原の中にいるぼく、
産神の息子を見つけるんだ。 
雛菊の花群を揺さぶるぼく、そして、太陽の下、ゆっくりな歌を歌うんだ。 
ぼくは、産神の息子。 
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Philip Larkin 「 The Tree 」訳

 アンディ・パートリッジにも、影響を与えている詩人、フィリップ・ラーキン Philip Larkin の詩「 The Tree 」。1968年5月に初出。 
 この詩などは、パートリッジの「 The Everyday Story of Smalltown 」「 Season Cycle 」「 Easter Theatre 」に繋がるように思える。 


The Tree

The trees are coming into leaf
Like something almost being said;
The recent buds relax and spread,
Their greenness is a kind of grief.

Is it that they are born again
And we grow old? No, they die too,
Their yearly trick of looking new
Is written down in rings of grain.

Yet still the unresting castles thresh
In fullgrown thickness every May.
Last year is dead, they seem to say,
Begin afresh, afresh, afresh.  




樹が葉を着けようとしている。 
そして、まるで、この様に言っているかの様だ。 
「新しい芽が和らぎ開く、 
葉々の緑は、ある意味、悲しみだ。」 

「葉々はまた新しく生まれる。
だが、私たち樹は、老いるだけなのか?」 いや、葉々も死ぬのだ。 
葉々が新しく見える妙技は、
種に印された環に書かれているのだ。 

それで、こうして今でも、毎年五月には、 
目一杯に生い茂った樹冠は、絶え間なくそよぐのだ。 
葉々はこう言っているかの様だ。「去年のは死んだ、 
新しくなるのだ、新しくなるのだ、新しくなる。」  


元にしたのは、All Poetry の:
The Trees by Philip Larkin - Famous poems, famous poets. - All Poetry 

Poetry archive.org には、ラーキン本人の朗読の音声がある:
The Trees | poetryarchive.org
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2016年02月13日

Rupert Brooke 「 The Dance : a song 」 訳

 詩人イエーツにイングランドで最もハンサムな詩人と言われた Rupert Brooke ルパート・ブルックの「 The Dance 」。 
 ルパート・ブルックは、1887年生まれ、1915年没の詩人。亡くなったのは、第一次世界大戦中。海軍将校として従軍中、ギリシャのスキロス島近くで敗血症で死亡した。 



The Dance ( a song )    1915年


As the Wind, and as the Wind,

In a corner of the way,

Goes stepping, stands twirling,

Invisibly, comes whirling,

Bows before, and skips behind,

In a grave, an endless play−



So my Heart, and so my Heart,

Following where your feet have gone,

Stirs dust of old dreams there;

He turns a toe; he gleams there,

Treading you a dance apart.

But you see not. You pass on.




踊り ( ある歌 )

風となって、風となって、 
道の片隅で、 
蹈鞴を踏みながら、一つ所をまわり、 
目に見えない渦になる、 
前へ屈み、後ろへ飛び退る。 
それは、墓場で、終わることのない踊り。 

愛しい人、愛しい人、 
あなたの足の動きを追って、 
昔日の夢の埃が舞い上がっている、 
埃は爪先を上げ、きらめく、 
あなたは孤高に踊っている。 
けれど、あなたを見ることは出来ない、あなたは死んでいる。  




元にしたのは、ウィキソース:『 The Collected Poems of Rupert Brooke 』 
The Collected Poems of Rupert Brooke: With a Memoir/Appendix - Wikisource, the free online library
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2016年02月06日

The Beatles 「 Ob-La-Di, Ob-La-Da 」訳

 ポール・ビートルの「 Ob-La-Di, Ob-La-Da 」。 

ヴァース/コーラス。ヴァース/コーラス。ヴァース/コーラス/ブリッジの構成。 

 面白いところ、第一ヴァースで barrow 、第二ヴァースで trolley と押し車が大きくなる所。
 Obladi, Oblada, bra, Lala は意味はないと思うのですが。ナイジェリアのコンガ奏者 Jimmy Scott-Emuakpor の口癖だったと言うことですが。bra, Lala は、bla-bla-bla と同じ意味にとってもいいかなと思って。日本語だと、・・・。  


元にしたのは、ビートルズのホームページの「 Songs 」:
Ob-La-Di, Ob-La-Da | The Beatles 
Alan W. Pollack's Notes on "Ob-La-Di, Ob-La-Da"





ダズモンドは広場の市で猫車を押してまわってますよ、
モリーは楽団の歌手なんです。 
ダズモンドはモリーに言いますよ、「ぼく、きみの顔すき」、
モリーは、ダズモンドの手を握って、言いますよ、
「オブラディ・オブラダ、人生は続く、てんてんてん、
ララー、彼らの人生は続くのよ。」 

ダズモンドはトロッコを駆って宝石店に乗り付けますよ、
二十カラットの金の指輪を買うんです。 
それから、モリーが待ってる戸口に取って返すんです。 
ダスモンドがモリーに指輪を渡すと、モリーは歌います、 
「オブラディ・オブラダ、人生は続く、てんてんてん、
ララー、彼らの人生は続くのよ。」 

二年も経つと、 
二人はもう、家、我が家を作ってたんですよ。
ダズモンドとモリー夫妻、ジョーンズ家の
お庭では、子供二人が走ってますよ。 
広場の市では、それからもずっと幸せですよ、
ダズモンドは子供たちに手伝わせてるのです。 
モリーはうちに居て、顔をきれいにしてるのですよ、
それで夜には、今でも、楽団で歌ってるのです。 

二年も経つと、 
二人はもう、家、我が家を作ってたんですよ。
ダズモンドとモリー夫妻、ジョーンズ家の
お庭では、子供二人が走ってますよ。  
広場の市では、それからもずっと幸せですよ、 
モリーは子供たちに手伝わせているのです。 
ダズモンドはうちに居て、顔をきれいにしてるのですよ、 
それで夜には、モリーはバンドの歌手になるのです。   






2016年11月5日追記 
デズモンドとモリーは、動物学者のデズモンド・モリス Desmond Morris だろうか?
posted by ノエルかえる at 13:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月25日

Auld Lang Syne

 1月25日は、スコットランドの詩人 Robert Burns ロバート・バーンズの誕生日なので、スウィンドンでも、幾つものレストラン等で、彼の誕生日を祝ったコースが供されるよう。バーンズとスウィンドンの関係は、分からないけれど。ビールが飲めればいいのかも。 

 それで、ロバート・バーンズのよく知られた「 Auld Lang Syne 」。日本では、「蛍の光」になったもの。スコットランド語は分からないので、ウィキソースの英語訳を元にして。 

Auld Lang Syne (Burns / Wikisource) - Wikisource, the free online library 





昔の馴染みは忘れられるものだろうか? 
二度と思い出されることはないのだろうか? 
昔の馴染み、 
懐かしい日々は? 

君、あの懐かしい日々があるのだから、
あの日々があるのだから、
また、友情の一献を飲もうじゃないか。 
あの日々を思って。 

君は、きっと、君の大杯を取るだろう、
私も、間違えず、私の大杯を取ることにしよう。
あの日々があるのだから、
私たちは、友情の一献を飲み干そう。 

私たち二人は、幾つもの小丘を駆け抜けて、
美しい雛菊を手折ったものだ。 
あの懐かしい日から、幾年月、
私たちは二人は、彷徨い続け、足も草臥れ切った。 

私たち二人は、浅瀬で水を跳ね駆け回り、
日の出から晩餐の時まで遊んだものだ。 
あの懐かしい日から、幾歳月、 
今や、二人の間には、広大な海が波を逆立てている。 

ほら、ここに、信義に厚い私の手がある、
君の手を差し出したまえ、
さあ、私たちは、友情の一献を飲み干そう、
あの日々を思って。
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2016年01月23日

The Beatles 「 The Fool on the Hill 」訳

 ポール・ビートルの「 The Fool on the Hill 」。 

 ヴァース/コーラス、ヴァース/コーラス。コーラス、コーラスの構成なのだろうか? ヴァースとコーラスは分かれてない様だけれど。 
 歌詞を見れば、9行/9行/7行/7行の四つのスタンザ。ただ、最初の二つの冒頭の二行は、三行分あるので、[ 3+7行/3+7行 ]。[ 7行/7行 ]の様に見える。ソネットの一種だろうか??? 

元にしたのは、ビートルズのホームページの Songs :
The Fool On The Hill | The Beatles 
Alan W. Pollack's Notes on "The Fool On The Hill"  





丘の上で孤立して、日に日を重ね、 
ぽかんと口を開いたあの男は、微動だにしない。 
この男と知己になろうとする者は、ひとりもいない、
大抵の人は、この男を阿呆と思ってる。 
この男は返答もしない、 
けど、この丘の上の阿呆、
太陽が沈みつつあるのを分かっている、 
この男のかしらにある二つの目は、 
世界が急激に向こうへ向きつつあるのを見ている。

頭が雲の中にあっても、洋々と、
千の声を持つあの男は、耳を全く聾するように喋り続ける。 
この男に耳を傾ける者は、ひとりもいない、 
この男の発した音だとは微塵も思わない。
この男は合図もしない、 
けど、この丘の上の阿呆、
太陽が沈みつつあるのを分かっている、 
この男のかしらにある二つの目は、 
世界が急激に向こうへ向きつつあるのを見ている。 

この男に好感を抱く者は、ひとりもいない、
大抵の人は、この男のしたいことが分かっている。 
この男は感情を見せない、 
けど、この丘の上の阿呆、
太陽が沈みつつあるのを分かっている、 
この男のかしらにある二つの目は、 
世界が急激に向こうへ向きつつあるのを見ている。 

この男は人々の声に耳を傾けない、
この男は、人々が愚かだと分かっている。 
人々はこの男を嫌う、 
けど、この丘の上の阿呆、
太陽が沈みつつあるのを分かっている、 
この男のかしらにある二つの目は、 
世界が急激に向こうへ向きつつあるのを見ている。







追記: なくてもいい蛇足、 
 この歌は、一般に、滅びを予感する歌だと思う。それをどのように取るのかは、聴き手の自由だけど。ビートルズと言うバンドが崩壊しようとしているのを感じ取っているとか。 
 ただ、これ以降のマッカートニーの歌を考えれば、急激に発展していく機械文明、工業化社会への警鐘と考えるのが、適当なのではないかと思う。それだから、リコーダーの様な、素朴な楽器を選んでいるのではないだろうか?
posted by ノエルかえる at 16:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月15日

The Beatles 「 With a Little Help from My Friends 」訳

 ビートルズの「 With a Little Help from My Friends 」。レノンとマッカートニーの共作。 
 ヴァース / コーラス / ヴァース / コーラス / ブリッジ / ヴァースの構成。 

 歌詞は、少し複雑な構成。ビリー・シアーズと言う架空の人物が登場する物語りなのだけれど、その物語りの中で、シアーズが語る物語り ( 歌 ) があるので、フィクションが二重になっている。 
 第一ヴァースは、ビリー・シアーズが舞台に上がって観客に口上を述べる部分。最初のコーラスは、シアーズの独白。そして、第二ヴァースから、シアーズが歌う歌になっている。「歌」が始まってからのコーラスは、シアーズの独白でもありながら、「歌」の登場人物の台詞でもある。 
 面白いのは、ヴァースのメロディは、同じまま、第一ヴァースがシアーズの口上で、後の二つのヴァースが「歌」だと言うこと。それに、「歌」の部分は、主人公と友達の掛け合いの台詞なのだけれど、その順番が、「歌」の最初になる第二ヴァースでは、主人公/友達たちの順番なのに、ブリッジで、順番が逆転して、友達たち/主人公になって、その後の、第三ヴァースもそのままだと言うこと。  


元にしたのは、ビートルズのホームページの「 Songs 」: 
With A Little Help From My Friends | The Beatles  

Alan W. Pollack's Notes on "With A Little Help From Friends"  




ビリー・シアーズが登場、口上を述べる。
「ご来場の皆様方、
わたくしめが調子を外して歌いましたなら、どうなさるでしょう、
席を立って、わたくしめをお見限りになるでしょうか? 
わたくしめ、調子を外さず歌いますように、相務めます。
どうか、ご静聴下さいませ。 」 

ビリー・シアーズ、舞台袖で独り言ちる。
「ああ、バンドの仲間たちがちょっと後押ししてくれるから、なんとか遣り果せるさ。
うん、バンドの仲間たちがちょっと後押ししてくれるから、高い声も出るさ。
うん、バンドの仲間たちが後押ししてくれるから、頑張ってみるさ。 」 

エレクトリック・ギターが朗々とファンファーレを奏でて、歌が始まる。
ビリー・シアーズ演じる主人公の少年のソロと、
バンドの仲間たち演じる友人たちの合唱。
主人公「恋人が行っちゃたら、ぼく、どうしよう。」 
合唱「ひとりになるかもって、気がかりなの?」
主人公「一日がおわると、どんな気分になるかなあ。」 
合唱「孤立無援だから、悲しいのかい?」

合唱「だれかにいて欲しいのかい?」
主人公「大切に思える人がいて欲しいんだ。」 
合唱「だれでもいいのかい?」
主人公「いや、大好きなあのひとにいて欲しいんだ。」 

合唱「もしかして、ひとめぼれを信じてるんだ?」
主人公「そうさ、絶対さ、いつもそうなるよ。」 
合唱「明りが消えたら、どうなるの?」
主人公「どうなんだろう、でも、ひとめぼれって、打ち上げ花火のようだからね。」 

ビリー・シアーズ、舞台袖で独り言ちる。
「ああ、バンドの仲間たちがちょっと後押ししてくれたから、なんとか遣り果せたね。」  






I know it's mine. のとこ、ちょっと分かりません。 
mine には、打ち上げ花火の意味もあるから、それを取りました。 
a love at first sight は一瞬の出来事、the light は光り、 
それだけ用意されているとしたら、どのような語が選ばれているかは、見当がついて来ます。 
暗い夜空の花火なのだと。
posted by ノエルかえる at 03:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月09日

The Beatles 「 Eleanor Rigby 」訳

 ポール・ビートルの「 Eleanor Rigby 」、 

 元にしたのは、ビートルズのホームページの「 Songs 」:
Eleanor Rigby | The Beatles 

Alan W. Pollack's Notes on "Eleanor Rigby"  






孤立した民衆のその誰もにも注意を注ぐべきなのだ。 

結婚式を終えたばかりの教会で、 
米を拾うのを常としているエリナ・リグビー、
この女は自らの境遇に目を閉ざして生きている。 
戸の側に置いた壷の中にしまってある
「顔」を被り、窓辺に佇んでいるエリナ・リグビー、
ところで、それは誰の顔なのだ? 

孤立した民衆、 
彼らは、一体、何処の出なのだ? 
彼らは、一体、何処に棲むのだ? 

誰も聴かないだろう説教を
ひもすがら書いているマッケンジー神父、 
この神父をほとんど誰も訪れない。 
夜には、自分の靴下をかがっているのには注目される。 
誰も教会には来ないと言うのに、 
何を気に掛けると言うのだ? 

エリナ・リグビーと言う女、教会で死んだのだが、 
ただ名前だけを記された墓に葬られた、
誰も詣でない墓だ。 
墓場から歩いて戻りながら、 
手から泥を払うマッケンジー神父、 
誰一人、神父に救われたものはいない。 

孤立した民衆、 
そのひとり、ひとりは、どこから来たのだ? 
そのひとり、ひとりは、何者だったのだ?  





蛇足の説明: 

 歌は、ヴァースが三つの構成。一つ目のヴァースは、エリナ・リグビ−がどう言う人かを説明し、二つ目は、マッケンジー神父がどう言う人かを説明し、三つ目は、二人が関係した事件を歌う。 

 それで、インターネット検索で、訳してあるのを見て見ると、What is it の代名詞( 疑問代名詞 ) を wait と関係づけて訳してあるのが多い様に思えました。でも、それは、違っていると思います。理由の一つは、文の構成場、代名詞は直前の名詞、このヴァースの場合 face 、を指していると言うこともあるのですが、もっと重要なことがあります。 
 一つ目のヴァースでの中心になる語が、「 face 」なのです。重要なイメージは、ドアの側の壷に「顔」を取って置いてある、と言うことなのです。それを際立たせる様に、「 face 」と言う語は、第一ヴァースの第一行の「 Eleanor Rigby picks up the rice in the church 」の「 rice 」と脚韻を踏んでいます。このことが、重要なことなのです。 
 そして、中心になる語を韻で結んであるのは、第二ヴァースでも同じで、「 Father McKenzie writing the words of a sermon 」の「 sermon 」と「 Look at him working, darning his socks in the night 」の「 socks 」と、こちらは頭韻で結んであります。 
 面白いのは、拾って壷に入れただろう「米」が「顔」に変化していることで、それは、マッカートニーの巧みさなのかもしれません。 
 それと、第三ヴァースは、リグビーとマッケンジーとの間に起こった事件なのですけれど、この歌の発展したものが、「マックスウェルの銀の鎚」だとすれば、この歌でも、殺人事件が起こっていたのかもしれません。
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2015年12月11日

The Beatles 「 You won't see me」 訳

 ポール・ビートルの「 You won't see me 」。 
 ヴァース/ヴァース/ブリッジ、の構成。それで、ヴァースは三つ。第一ヴァース/第二ヴァース/ブリッジ。それから、第三ヴァース/ブリッジで、第三ヴァース/ブリッジは二度繰り返し。 

 歌詞で気になるところは、各ヴァースの終わりから三行目、フックの前の行、
第一ヴァースでは、And I will lose my mind 、 
第二ヴァースでは、But I can turn ooh away 、 
第三ヴァースでは、And I just can't ooh go on 、 
これは、大体同じ意味。君が会ってくれないつもりのようなので、気が気でなくて、上の空で、何持てにつかない、ということ。 


元にしたのは、ビートルズのホームページの「 Songs 」: 
You Won't See Me | The Beatles  





ぼくがきみに電話すると、話し中。 
もうたくさん、きみは年甲斐もないよ。 
めったに見つけられない時間を逃してしまった。
きみはぼくに会わないつもりなのでは、と思うと、
ぼくは気が気でないんだ。
きみはぼくに会わないつもりなの。 

ぼくはきみが、いったいどうして、隠れたがっているのかわからない。 
それで、ぼくはきみに連絡も取れないんだ、手立てが無いんだもの。 
ぼくは、じっと待ってるつもりはないよ、言いたいのは一言だけだけど。 
きみはぼくに会わないつもりなのでは、と思うと、 
ぼくは気も漫ろになり勝ちなんだ。 
きみはぼくに会わないつもりなの。 

時々、きみはぼくの話しを聞こうとさえしない。 
ぼくの何が悪かったかわかってたら、心配も解決したのかも。 

たった二三日だけれど、その二三日は涙に明暮れているんだ。 
きみのいないこの二三日は、二三年に感じているんだ。 
きみが行ってしまってからの時間、そんなに長く、ぼくは感じてるんだ。 
きみはぼくに会わないつもりなのでは、と思うと、
ぼくは何も手に付かない。
きみはぼくに会わないつもりなの。  




追記: 
この歌は、失恋の歌ではない。二三日会えないので苛立っているのを歌っている。 
たぶん、主人公は失恋するとは思っていない。ハッピーエンドを予想してる。
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2015年12月05日

The Beatles 「 Help! 」訳

 これは、goigoi さんのブログ『やさしいThe Beatles入門』に投稿したものなのだけれど。 
やさしいThe Beatles入門 : 続々々々・「Help!」 

 ジョン・ビートルの「 Help! 」。 

 歌詞で、私が気になるところは、二ヶ所。
 ひとつは、「 Now I find I've changed my mind, I've opened up the doors. 」の行。
Now I find I've changed my mind, とI've opened up the doors. の二つの節は、コンマを挟んでの順接や並置ではないと思う。このコンマはセミコロンの様に引用符の役割をしていて、後ろの I've opened up the doors. は、前の節の語 my mind を説明しているのだと思う。 
 もうひとつは、「 And I do appreciate you being 'round, 」の行。 
appreciate の、この行での意味は、「 full understand 」と言うだけの意味だと思う。一般には、「あなたのご好意は身にしみて分かります。( それなので、感謝するという意味になるのだろうけど )」と言う場合に使うのだろうけれど。ここでは、単に、「よく分かっている。」と言う意味で使っているのだと。 

 歌詞は、助けを求めると言う内容で、それも任意の人物、通り掛った人なら誰でもではなく、特定の人物に対して( 誰かさん someone と伏せてあるけど、 ) 助けを求めている、と言うもの。基本的には、恋歌で、恋人に対して助けを求めているのだろうけど、それをもっとレノンの内面の問題に捉えたり、ポールかジョージ・マーティンに音楽上の助けを求めていると、読み取るのは、それぞれの受け手の問題なのかと。 

元にしたのは、ビートルズのホームページの「 Songs 」: 
Help! | The Beatles 
Alan W. Pollack's Notes on "Help!" 




おたすけ! 誰か来てよ。
おたすけ! 誰でもいいわけじゃない。 
おたすけ! 一廉の人物じゃないと、って分かってるでしょ。 
おたすけ!

今よりも、ぼくは、ずっと溌剌、ずっと血気盛んだった、
それで、ひとの助けなんか金輪際要らなかったんだ。
ところが、そんな時代は過ぎて、何だか自信がないんだよ。 
僕には前途が開けてるって、考えは変えたんだよ、自覚してるんだ。 

君に僕が助けられるかい? 僕はもうぐったりなんだけど。
君がすぐ周りにいるってことは、ちゃんと分かってるんだ。 
僕をちゃんと立たせてくれるかい? 
お願いだから、助けてよ。 

僕の生活は、もう、何もかもが変わってしまった。 
僕自身は、もうろうと霞の中に見えなくなってしまったみたいだ。 
反対に、時々は、周りのすべてが不安定に思える時もある。 
こんなこと思ったこともないけど、君に助けてもらわなくては。
posted by ノエルかえる at 08:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月04日

The Beatles 「 The Night Before 」訳

 ポール・ビートルの「 The Night Before 」。

 元にしたのは、ビートルズのホームページの「 Songs 」:
The Night Before | The Beatles 
Alan W. Pollack's Notes on "The Night Before" 

ぼくらは、「じゃあまた」って言った。
きみのどちらの瞳にも、愛してるって書いてあった。
でも、今日、きみがもう心変わりしてたって、ぼくは気がついたんだ。 

これまでの夜と同じ様に、ぼくと接してよ。
きみは、ずっと、嘘をついてたの? 
それとも、ぼくがとんでもなく間抜けだったの? 

ぼくがきみを抱き寄せる時、きみはいつも本気だったのに、 
これまでの夜と同じ様に、ぼくと接してよ。 
昨日の夜が、ぼくがきみを思い出すよすがとなるの、
そんな、これまでのことを思い出すと、泣きたくなるよ。
posted by ノエルかえる at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月28日

The Beatles 「 Baby's in black 」訳

 ビートルズの「 Baby's in black 」。 
 コーラス/ヴァース/コーラス/ヴァース/ブリッジ/コーラスの構成。ブリッジがコーラスに繋がっているというのは、珍しいのか知ら。歌がコーラスから始まっているから、それでいいのだろうけど。 

歌詞の訳。レノンとマッカートニーの共作で、どの部分がどちらのかは分からないけれど。
元にしたのは、
ビートルズのホームページの「 Songs 」: 
Baby's In Black | The Beatles 
Alan W. Pollack's Notes on "Baby's In Black"  


「ああ、ふう、どうすればいいんだ? 
あの娘は黒を纏って、だから、ぼくは留紺に染まる。 
ああ、教えてよ、ぼくはどうしたらいいんだ?」 

その女は別の男のことを考えている。故に、女は黒を纏っている。 
だが、その男が帰ってくことはない。女は、常に黒を纏うのだ。 

「ああ、ふう、どうすればいいんだ? 
あの娘は黒を纏って、だから、ぼくは留紺に染まる。 
ああ、教えてよ、ぼくはどうしたらいいんだ?」  

私はその女のことを思う。だが、女はあの男のことだけを思うのだ。 
もちろん、あの女があの男を思うなど、
無思慮と言うものだ。 

「ああ、あの娘が自分の間違いに気がつくのに、 
いったい、どれくらいかかるのだろう?」 

「ああ、ふう、どうすればいいんだ? 
あの娘は黒を纏って、だから、ぼくは留紺に染まる。 
ああ、教えてよ、ぼくはどうしたらいいんだ?」 






補足: 
a whim は、この歌では、「 a sudden desire or change of mind, 」の意味ではなくて、
「 done without thinking seriously about the consequences 」の意味。
若気の至りとは、少し違うと思うのだけれど。
posted by ノエルかえる at 10:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月21日

An Exile

 詩人サミュエル・テイラー・コールリッジ Samuel Taylor Coleridge は、患っていたリュウマチ熱とその痛みの緩和の為に使用していた阿片の中毒の治療目的で、パートリッジの生まれ故郷であるマルタに転地していました。一時は少し健康になった様だけど、孤独感の所為で、阿片中毒はひどくなったと言うこと。 

 その時の詩が、「 An Exile 」。1805年。 
( サミュエル・テイラー・コールリッジは、1772年生まれ1834年没の人。 ) 

Friend, Lover, Husband, Sister, Brother!
 
Dear names close in upon each other!
 
Alas! poor Fancy's bitter-sweet--
 
Our names, and but our names can meet.  

異境住まい

友人、恋人、愛妻、姉上、兄様、
親しげな呼掛けが、引き合いながら、寄って行く。
けど、力及ばない追慕は、甘く苦い。 
知っている幾つもの名前。その名前だけが出迎える。  



 1833年には、「 Epitaph 」と言う詩もあります。 
8行の詩だけれど、その中に、この一行が、 

O, lift one thought in prayer for S. T. C.;  

 S. T. C. は、Samuel Taylor Coleridge の略だけれど、、、
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2015年11月13日

The Beatles「 And I Love Her 」訳

 ポール・ビートルの「 And I love her 」。 
 ヴァース/ヴァース/ブリッジ/ヴァースの構成。三つ目のヴァースは二回繰り返し。歌詞は、告解のスタイル。主人公の少年は、神様を前にのろけ話しをする。ブリッジと三つ目の繰り返されるヴァースに使われている語を見れば、告解のスタイルと言うことは分かる。( 代名詞の You は、神様。 ) 
 神様を前にのろけ話し、と言うのは、大胆と言うか、ある意味、冒涜的。それで思い出すのは、『禁じられた遊び』。あの映画の音楽は、イエペスのアコースティック・ギターだった。もしかしたら、マッカートニーは意図していたかも知れない。『禁じられた遊び』では、無知であるから純真なのだけれど、その同じ無知の為に残忍であるから、余計に悲惨な印象を齎してしまう。「 And I love her 」の主人公の少年は純真に恋をしているだけなのだけれど、それが却って、醜い欲望に見えてしまうという歌だ。( 天に神様が居るのと同じ様に、地上の自分の恋も永遠だと言うのは、あまりに不遜なのだろう。この歌は、ジョン・レノンのキリスト発言よりも前だと思うけれど。 ) 
 アコースティック・ギターのアルペジオを軸にした歌と言えば、 XTC の「 Dear God 」もそうなのだけれど、あれも、33歳の大人が純真な3歳の子供の振りをして「もっと酒が飲みたい」と歌うことで醜怪さを際立たせているのだけれど。パートリッジは、「 And I love her 」も踏まえていたかも知れない。アコースティック・ギターの静かなアルペジオと言う、教会音楽を思わせる音楽に、恋や酒と言った余りに卑俗な欲望を載せるのだ。 

元にしたのは、ビートルズのホームページの「 Songs 」。 
And I Love Her | The Beatles 

Alan W. Pollack's Notes on "And I Love Her" 



自分の愛情のすべてをあの娘に注ぐんです、
それが僕のすることのすべてなんです、神様。
神様、もし、あの娘をご覧になっていらしゃったら、
きっと、慈しまれたに違いありません。 
僕はあの娘に恋してるんです。 

あの娘は僕に何でもしてくれるんです、
それもやさしくです。 
恋人がする様なキス、
あの娘は、それを僕にしてくれるんです。 
だから、僕はあの娘が好きなんです。 

僕たちの愛の様な愛、
それが絶えるなんてないんです。 
神様、 
お側に居る限り、あの恋は絶えないんです。 

輝きは、きらめく星にあるんです、そして、
翳りは、空にあるんです。 
僕の愛が終わることがないってことは、 
僕には分かっていることなんです。 
だって、僕はあの娘を愛しているんだから。
posted by ノエルかえる at 12:12| Comment(4) | TrackBack(0) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月07日

The Beatles「 All My Loving 」訳

 ポール・ビートルの「 All My Loving 」。 
 ヴァース、ヴァース・コーラス・ブリッジ。ブリッジには歌詞がなくてギター・ソロ。 

 『1+』発売されたけど、「 All My Loving 」は、収録されてない。No.1ヒットにならなかったのか知ら???? 

元にしたのは、ビートルズのホームページの「 Songs 」。
All My Loving | The Beatles 

Alan W. Pollack's Notes on "All My Loving" 



投稿に使う名前は、新しいブログを別に作らないと使えない様なので、 




両目ともちゃんと瞑ってよ、そしたら、ぼく、キスするから、
あしたには、目を開けても、きみを見られないだろうけどね。 
きみへの気持ちは変わらないって、肝に銘じておいてね。 
遠くにいる間、ぼく、
まいにち、手紙を書くから、そして、
ありったけの愛を手紙に込めて、投函するからね。 

そこにありもしないきみの唇、それでも、ぼく、まいにち、
その唇にキスしたつもりになるんだ、きっとそうだよ、 
それで、いつか本当のきみの唇にキスできる日を待ち望むんだ。 
遠くにいる間、ぼく、
まいにち、手紙を書くから、そして、
ありったけの愛を手紙に込めて、投函するからね。 

「ありったけの愛をこめて 
この手紙を送ります、草々。」
「ありったけの愛をこめて、 
愛するきみへ、頓首。」  



歌詞だけ読むと、出征兵士の哀歌の様にも思えます。Zero fighter パイロットの映画の主題歌にしてもいいかも。まあ、「木綿のハンカチーフ」を思い出したりもしたけれど。
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2015年11月01日

The Beatles 「 I saw her standing there 」訳

 ポール・ビートルの「 I saw her standing there 」。ビートルズのデビュー・アルバムの第一曲目。1、2、3、4の掛声で始まる歌。 
 ロンド形式。ヴァース/ヴァース/ブリッジ。 

元にしたのは、ビートルズのホームページの「 Songs 」。
I Saw Her Standing There | The Beatles 

Alan W. Pollack's Notes on "I Saw Her Standing There" 



彼女、十七になったばかりだったんだ。 
そうだったんだよ。 
そこに立っているだけの彼女に気がついた時、
僕の目にどう映ったか、もう、他は目に入らなくなったんだ。 
そうなんだよ、他の子と踊るなんて出来なかったよ。 

そうして、彼女は僕と目を合わせたんだ。 
分からない筈もないよね、 
間もなく、僕が彼女に恋するのに決まってるんだ。 
僕は気がついたよ、彼女はただ立っているだけ、
他の男と踊ろうとはしなかったんだ。 

部屋を横切って行く時、僕の心臓はバクバク鳴ったよ。 
それで、僕は、僕の手で彼女の手を握ったんだ。 

僕らは、一晩中踊ったんだ。 
僕らは、互いに固く抱き合ったんだ。 
瞬く間もなかったよ、僕が彼女に恋するのには。 
これからもう、他の子とは踊らないさ。 
だって、僕は、彼女が立って待っているのが分かったんだから。 

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2015年10月12日

The Beatles 「 Getting Better 」訳

 ポール・ビートルの「 Getting Better 」。ポールは、G••• / B••• と言う音が好きなのか知ら。 

 この歌、構造的にも特異。まず、コーラスが一行だけ歌われて、ヴァースに移行するのだけれど、かなり力任せな展開。全体にヴァースとコーラスが緊張状態にある。 
 それから、ヴァースは、三つあるのだけれど、それぞれ、違っている。三つは、
1、「I used to get mad at my school,
The teachers that taught me weren't cool.
You're holding me down,
Turning me 'round,
Filling me up with your rules.」
2、「Me used to be angry young man,
Me hiding me head in the sand.
You gave me the word,
I finally heard
You're doing the best that I can.」
3,、「I used to be cruel to my woman,
I beat her and kept her apart from the things
that she loved.
Man, I was mean, but I'm changing my scene,
And I'm doing the best that I can.」。 

1と2のヴァースは、歩格は同じだけど、1には、レスポンスのコーラスが付くし。3のヴァースは、歩格が違っていて、だからなのか、ハリスンがタンブラを入れて、印象を変えている。
 この複雑な構造は、歌詞の楽観主義と悲観主義が交差しているのを反映しているのか知ら。 

追記:( 忘れてた、 ) 各ヴァース、最初の二行が過去の暗面で、後の3行が現在の明面。三つ目のヴァースは、崩れていて、四行目の後半と五行目が明面だけど。

元にしたのは、ビートルズのホームページの「 Songs 」。
( ビートルズのホームページの歌詞には、レスポンスのコーラスは書かれていない。 
それから、2番目のヴァースの最後の行は、You're doing the best that I can.  
大抵の歌詞は、I'm doing the best that I can. になっているけど。 ) 

Getting Better | The Beatles 
Alan W. Pollack's Notes on "Getting Better"




たぶん、良くなっていくんだ。

僕は、ずっと、学校に恨みを抱いていたんだ、
僕を教えた教師たちは詰まらない連中だったから。 
でも、そんな僕を、君は落ち着かせてくれた、
考えを変えてくれたんだ、 
君のルールは僕を満足させてくれるんだ。 

良くなっていくのだろうと、僕だって、認める他ないさ。 
ほんの少しずつだけど、いつも前より良くなっているんだ。 
良くなっていくのだろうと、確かに、僕も思うんだ。 
君が僕の恋人になったのだから、良くなっていくんだ。 

僕は、ずっと、世間知らずの不満家だった、 
頭だけ砂に隠す駝鳥そのものだったんだ。 
でも、そんな僕に、君は言葉を掛けてくれた、 
ちゃんとわかったよ、
君は僕がわかる様に、最善を尽くしているんだね。 

僕は、ずっと、恋人に意地悪だったんだ、 
殴りつけるし、彼女が大切にしてるものを遠くにやったりしたんだ。
それが男だと思ってた、
卑劣な人間だったんだ。でも、住む世界を、僕は変えた。 
僕が出来る最善を尽くすことにしたんだ。 

良くなっていくのだろうと、僕だって、認める他ないさ。 
ほんの少しずつだけど、いつも前より良くなっているんだ。 
良くなっていくのだろうと、確かに、僕も思うんだ。 
君が僕の恋人になったのだから、良くなっていくんだ。   
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2015年10月07日

フィリップ・ラーキン「 Annus Mirabilis 」訳

 詩人のフィリップ・ラーキン Philip Larkin は、1922年8月生まれで、1985年12月に63歳で亡くなった人だから、XTC も、もしかしたら聞いていたかも知れない。ジャズ好きなのは知られているけれど。「 Making Plants for Nigel 」は、新聞の見出しにも引用されたくらいだから、ラジオで聞いて、コリン・ムールディング君はなかなかいい歌詞を書くなあ、と思ってくれていたかも。 

 ラーキンの詩の中に、the Beatles が登場するものがある。1967年6月16日に書かれ、1974年に出版された詩集『 High Windows 』に収められた、「 Annus Mirabilis 」。( ジョン・ドライデン John Dryden( 1631年 - 1700年 ) に、ロンドン大火を描いた同名の詩がある。 ) ( 近藤譲のピアノ曲「 High Windows 」は、ラーキンの詩から着想されたものだった様な? ) 


 それで、「 Annus Mirabilis 」を訳してみた。 
元にしたのは、『 All Poetry 』のライブラリー:Annus Mirabilis by Philip Larkin - Famous poems, famous poets. - All Poetry 

素晴らしい年 


性的な交渉と言う事象は、
一千九百六十三年に始まったのだ。 
( 私にとってはそれでも遅過ぎたのだが ) 
それは、『チャタレイ』の発禁の終了と
ビートルズのファースト・LPの間のことだった。 

それまであったことと言えば、 
ある種の取り引きか、
指輪をめぐる争いか、
十六歳に始まる羞恥、だけだった。 
そして、性的な交渉はあらゆるものに及んだ。 

そうすると、一遍に、喧嘩と言うものがなくなった。
誰もが同じことを感じたのだ。 
誰も彼もの人生が、あの眩しい 
クイズ番組の様になった。 
失うものは全くないゲームだ。 

それからの人生は、一千九百六十三年より 
良いと言うことは一度もなかった。 
( とは言っても、私には遅過ぎたのだけれど ) 
それは、『チャタレイ』の発禁の終了と 
ビートルズのファースト・LP の間のことだった。
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2015年10月02日

The Beatles 「 For No One 」訳

 ポール・ビートルの「 For No One 」。ストーリーに重点を置いて訳してみました。 
元にしたのは、ビートルズのホームページの「 Songs 」:
For No One | The Beatles 


そう、思いもかけず突然に、君だけの一日がやってくる、
そして、彼女の心遣いがまだ残っているのに気が付くから、 
君は心を痛めるんだ。 
そう、彼女がもう君と一緒に居たくはないと言う日が来た。 

彼女は起き上がる、
彼女は化粧をする、
彼女は自分だけの都合に合わせるから、急ごうとはしない。
彼女はもう君と一緒に出掛けようとはしないんだ。 

君は彼女の瞳を覗き込むけれど、そこに愛の兆しは見えない、 
残っているのは涙、でも、それも君のためではないんだ。 
もっと長く続いて欲しい恋だったのに。 

そう、君は彼女に一緒に居て欲しいし、
それどころか、居ないと困るだろう。 
だから、彼女が君への愛情はもうなくなったと言っても、
君は信じない、君が居ないと彼女は困ると思っている。 

君は家に残る、 
彼女は出て行く、 
そして、彼女は他人にこう言う、「ずっと昔恋人がいたけど、もういなくなったわ。」
彼女はもう君がいなくても構わないんだ。 

切り替わる様に日付が変わる、 
君は切られた様に苦しむ、 
彼女が嘗て言ったことすべてを思い出し頭を一杯にするという日になるだろう。 
君は、彼女を忘れようとしないんだ。 

君は彼女の瞳を覗き込むけれど、そこに愛の兆しは見えない、 
残っているのは涙、でも、それも君のためではないんだ。 
もっと長く続いて欲しい恋だったのに。
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2015年09月16日

The Beatles 「 Drive My Car 」訳

 ポール・ビートルの「 Drive My Car 」。これ、歌詞の内容は、ジョン・ビートルの「 Norwegian Wood (This Bird Has Flown) 」に呼応するものかなと思うけれど。 

元にしたのは、ビートルズのホームページの「 Songs 」: Drive My Car | The Beatles 

何になりたいんだって、ある女の子に聞いたんだ、
たら、見てわかんない? 
ゆうめいになりたいのよ、映画スターもいいな、
でも、当面、あなたと何かしましょうか。 

そうね、わたしの自動車運転しなさいな、 
そう、わたしはスターになるんだからさ。
ね、運転しなさいな、もしかして、わたしあなたに恋するかも。 

僕は将来を嘱望されているんだよって、言ったんだ、
たら、でしょうね、って。
働きづめで小銭を貯めるのも、とっても結構ね、
でも、もっと楽しい時を見せてあげられるわよ。 

ほら、わたしの自動車運転しなさい、
ほんとよ、わたしはスターになるの、
ね、運転しなさい、もしかして、わたしあなたを好きになるかも。 
ビビー、ビビー、

それじゃあ、今すぐ出発しようかって、言ったんだ、
たら、ちょっと待って、これ言わなくちゃ、
クルマはないのよ、それがなやみの種なの、
でも、運転手は見つけたわ、それが手始めね。

さあ、クルマを出して! 



 それで、ビートルズのホームページは更新されていて、『 1 』のデラックス版(?) が告知されていた。
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2015年08月27日

The Beatles 「 I'm A Loser 」訳

 ジョン・ビートルの「 I'm A Loser 」。

元にしたのは、ビートルズのホームページの「 Songs 」:
I'm A Loser | The Beatles 

Alan W. Pollack's Notes on "I'm A Loser" 





ぼくは敗者、敗者なんだ。 
見た目とは違うんだ。 

ぼくが勝った恋もある、負けた恋も、
その中で、どうしても、棒消しに出来ない恋があるんだ。
そう、あの人は、百万に一人の女性だった。 
結局は、彼女が勝つって、気が付くべきだったんだよ。 

ぼくは敗者、直ぐ側にいた人を失った。

ぼくは大笑いしてるし、道化の様にふるまってる。
でも、これは上辺の仮面、その下で、顰め面を被ってる。 
ぼくの涙は、空から降る雨、そのものなんだ。 
ぼくが泣くのは、彼女を偲んで、それとも、自分を憐れんで? 

何の報いで、こんな悲運に見舞われるのだろう? 
立ち去るのが遅過ぎたのは、よく分かってるんだ。 
「高ぶりは滅びに先立ち、誇る心は倒れに先立つ。」は本当。 
きみに注意をしておくよ、きみもそうならないようにね。 

ぼくは敗者、見た目とは違うんだ。







「高ぶりは滅びに先立ち、誇る心は倒れに先立つ。」は、ウィキソースの『箴言』16章18節を使いました: 
箴言(口語訳) - Wikisource
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2015年08月04日

The Beatles「 Golden Slumbers 」訳

 やはり、最初に気になるのは、there was a way と言う句。その way に付けられている冠詞が不定冠詞 a だと言うこと。明らかに、 コーラスの二行目の awake と音韻的な関係にあるのだろうけれど。 
 もし子供の頃に通いなれた道と言うのであれば、冠詞は、定冠詞 the である筈。実際に、「 The Long and Winding Road 」では、 the なのだから。 
 記憶が不確かだから、ここかも、と言うことがあるかもしれない。あるいは、帰途に使った道がいくつかあって、その何れでも構わない、と言うことかも知れない。それに、御伽噺のように、いつかは分からないけど昔々何所かは分からないけどある所のある道、と言うことなのかも知れないけれど。または、読者がそれぞれ思い浮かべる任意の道と言うことでいいのかも知れない。 
 それなら、「以前、一本の道が在った」と訳せばいいのだろうけれど。 
 でも、また少し違った想像力を働かせると、子供だから道でないところを道のように通っていた、と言うこともある、と思え出して。 
 追記: それに、way は=道と言う確定した意味を持つ言葉ではなくて、ある方向へ向かうと言うような漠然とした概念の言葉だから、そのような曖昧さを訳す時にも持たせられればいいのだと思うけれど。

 それで、この歌は、ポール・ビートルが、16世紀の詩人トーマス・デッカー Thomas Dekker がウィリアム・ホートン William Houghton と共に書いた戯曲『 Patient Grissel 』の中で使われる詩を引用して作ったと言うこと。
 なので、ヴァース部分で子守唄を歌おうと言う情景が語られて、コーラス部分は、その歌われる子守唄、と言う構成だということで。 
 追記: それから、「値千金の眠り」としたのは、死者の瞼に硬貨を置く風習を連想したから。それは、次の行に、rise と言う語が使ってあって、それが、復活、昇天を思わせるので。

 元にしたのは、ビートルズのホームページの「 Songs 」。
Golden Slumbers | The Beatles 



ほら、あそこが、帰り道に辿ったところだよ、
そう、家に帰るのに道のかわりに通ったよね、 
眠りなよ、利かん坊、泣くのはおよしよ、
そうすれば、子守唄を歌ってあげよう。 

「値千金の眠りがお前の目をふたぐ、
お前が頭を起こすと、微笑みが目を覚まさせる。
眠るんだ、利かん坊、泣くのを止めるんだ、
そうすれば、子守唄を歌ってやろう。」 

ほら、あそこが、帰り道に辿ったところだよ、
そう、家に帰るのに道のかわりに通ったよね、 
眠りなよ、利かん坊、泣くのはおよしよ、
そうすれば、子守唄を歌ってあげよう。 
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2015年08月03日

The Beatles 「 I'll Follow The Sun 」訳 改訂

 と言うわけで、この「 I'll Follow The Sun 」を「 She's Leaving Home 」に繋がる歌として、訳してみました。 
The Beatles 「 I'll Follow The Sun 」訳: ノエルかえる不恵留 




その日の内に、パパは、わたしがもういなくなったことに気がつく、
なんてことがあるかも、それはきっと雨の日よ。わたしは太陽に就いて行くつもり。
遠い未来には、パパは、私がもう一人前だったことに気がつく、
かも、でも、もう明日が雨になるわ、わたしは太陽に就いて行くつもりなの。 

とうとう、その時が来たわ、
大好きなパパ、わたしは行かなくては。
でも、わたしは、頼みの人がいなくなるわ、
それも、いつかは、パパはわかるでしょうね。 

わたしがいなくなったこと、パパは、その日のうちにわかるでしょうね、
でも、明日は雨になるのよ、わたしは、太陽に就いて行くの。
そう、明日は雨よ、わたしはね、太陽に就いて行こうと思うのよ。
ああ、時間だわ、
行かなくては、パパ、、
でもでも、頼みの人がいなくなってしまう、
わかるわよね、ねえ、
わたしがいなくなったて、パパ、その日のうちにわかるわよね、
ああ、明日は雨だわ、だから、わたし、行くの。
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2015年08月02日

The Beatles 「 I'll Follow The Sun 」訳

 ポール・ビートルの歌。最初は長めの二音の句がゆっくりと少し上がりながら繰り返されて、それが解けるように速くなって、音階を上がって行く。それは、決心をしているのだけれど、いつまでも躊躇している心情を良く現していると思う。 
 それで、この歌は、早くに書かれていたのだけれど、レザー・ジャンパーの自分たちには不似合いだと言うことで、ずっと取り上げなかったということ。どうして、不似合いだと思ったのか、と考えてみて、この歌、一人称の語りなのだけれど、その語り手は、女性だからかも知れない、と思った。歌詞に使われている言葉の中に女性の歌だという確証はないのだけれど。ただ、「太陽に就いて行く」と言うところ、男性名詞の「太陽」に就いて行く「月」は、女性名詞だから、、、でも、英語では名詞に性がきっとあるのでもないので、、、
 でも、訳して見ると、女性の歌とした方が、すっきりするように思う。 
 言葉では、my love とa friend は同じ者を指しているのだけれど、それで、男性から女性の恋人を friend とは言うだろうから、男性が語り手だと言うのが、一般的なのだとは思うけど。


元にしたのは、ビートルズのホームページの「 Songs 」 
I'll Follow The Sun | The Beatles 
Alan W. Pollack's Notes on "I'll Follow The Sun" 
ノルウェーでは、「 I Don't Want to Spoil the Party 」をB面にして、シングルになったそう。



その日の内に、貴方は、わたしがもういなくなったことに気がつく、
なんてことがあるかも、それはきっと雨の日よ。わたしは太陽に就いて行くつもり。
遠い未来には、貴方は、私がひとりぼっちだったことに気がつく、
かも、でも、もう明日が雨になるわ、わたしは太陽に就いて行くつもりなの。 

とうとう、その時が来たわ、
愛しい人、わたしは行かなくては。
でも、わたしは、頼みの人がいなくなるわ、
それも、いつかは、貴方はわかるでしょうね。 

わたしがいなくなったこと、貴方は、その日のうちにわかるでしょうね、
でも、明日は雨になるのよ、わたしは、太陽に就いて行くの。
そう、明日は雨よ、わたしはね、太陽に就いて行こうと思うのよ。
ああ、時間だわ、
行かなくては、貴方、、
でもでも、頼みの人がいなくなってしまう、
わかるわよね、ねえ、
わたしがいなくなったて、貴方、その日のうちにわかるわよね、
ああ、明日は雨だわ、だから、わたし、行くの。  





8月3日追記: 
この歌の主人公を少女として、その上、これを男女間の問題ではなくて ( そのように確定される言葉も無いので ) 親子の間の出来事、家でを決意しつつ実行に移せないでいる様子、と取ると、後の「 She's Leaving Home 」に繋がるように思う。 
 と言うのも、「 you'll know I was the one 」が気になるから。もし、家出を考えている少女の心情とすれば、the one と言うのは、「私はもう自立した一人の女なの。」と言う意味に取れる。その方が分かりやすいのではないだろうか。男女間の問題で、私は( 貴方にとって ) 唯一の者だった、と言うのは難しいのではないか知ら。 
 なので、後、家出を考えている少女の語りということで、訳し直そうと思う。 

The Beatles 「 I'll Follow The Sun 」訳 改訂: ノエルかえる不恵留
posted by ノエルかえる at 21:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月19日

ビートルズ「Glass Onion 」訳

 ジョン・ビートルの「 Glass Onion 」。 

元にしたのは、ビートルズのホームページの「 Songs 」。
Glass Onion | The Beatles  



ヴァースだけの歌詞。 


ストロベリー・フィールドのことは、ぼく、話したんだ、
じゃあ、あそこには本当のことはなにもない、ってもうわかってるんだね。
きみが考えそうなほかの場所もあるよ、
なにもかもが、たえず、移ろっているんだよ、そこではね。
裏地のある頭を変にするターバンを透かして見るとね、
他の階層のことがわかるものなんだね、じゃあ、
もう片方のタマネギ片眼鏡で見ると、どうかなあ? 

ウオラスと人間のぼくのことも、話したんだ、
じゃあ、ぼくらがピチピチのTシャツ着てる、ってもうわかってるんだね。 
手がかりがもうひとつあるよ、
ウオラスはポウル。
キャスト・アイロン・ショアに住んで、
レディ・マドンナは、キチキチの生計を立ててるんだ。
タマネギ片眼鏡で見るとね、どうかなあ? 

ヒルのフールのことも、ぼく、話したんだ、
じゃあ、あの人まだあそこにいる、って教えとくからね。 
きみが考えそうなほかの場所もあるよ。 
しっかり聞いてね。 
海に穴を開けてね、
鳩尾を作ろうとしてるんだよ。
タマネギ片眼鏡で見ると、どうかなあ?  


how the other half lives ( 成句 ): 歌詞だと live と複数になっているのが気になるけど。
成句の場合は:used to allude to the way of life of a different group in society 
Jacob Riis の写真集『 How the Other Half Lives 』( 1888年 )のタイトルから使われるようになった語。 
すると、bent backed tulips は写真用語??? 
それで、この題名は、ラブレーのパンダグリュエルから取られたと言うことだけれど、何処の箇所か、分かりません。
追記:パンダグリュエル 28章に「 Mais il fait beaucoup meilleur deçà, et y a meilleur air. Là commençai penser qu’il est bien vrai ce que l’on dit, que la moitié du monde ne sait comment l’autre vit. 」と言う箇所。( 確実かどうか分からない。 )
それで、成句でなければ、other half は、妻か夫か、パートナーのことだけど。

cast iron shore: リバプールのマージ川沿いの地名。

dovetail:蟻ほぞ継ぎと言う工法だけど。蟻ほぞは、鳩尾ともいうので。
それで、水が流れる樋を造るのかなあ、と思うのだけど、鳩尾、みずおち、って読むので、面白いから、そのまま使おうと思って。 

追記:
書くのを忘れてたので、
we're as close as can be の close は、ここでは、親密の意味ではなくて、服がぴったりの意味だと思います。
ぴったりと言うか、きついくらい。 
それと、dovetail joint 、ここは、「 Fixing a Hole 」と「 Yellow Submarine 」を合わせて触れているのだと思いますが、「 Yellow Submarine 」は、ドノヴァンが手伝った、と言うことを言っているのかも知れない、と思いました。
posted by ノエルかえる at 15:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月04日

the Beatles「 Nowhere Man 」訳

 ジョン・ビートルの「 Nowhere Man 」、訳してみました。 
元にしたのは、ビートルズのホームページの「 SONGS 」
Nowhere Man | The Beatles


あれはもうまるっきり行き詰まった男だな、
八方塞がりの土壷にはまって、
使いようのない曲を書いてる、誰も聴かないのに。 

方法論の一つも持たずに、
どうしたいかも分からないままでいる。
どうも、ぼくやきみに似てはしないだろうか? 

「やあ、煮詰まり君、聞いてくれるかい、
何を見落としているか、君は分かってないんだよ。
煮詰まり君、世の中と言うのは、君が使えるものなんだよ。」

あれはもうまるっきりの盲人だな、
望むものしか見ないんだ。
「煮詰まり君、ぼくたちがまるっきり見えないのかい?」 

「煮詰まり君、大丈夫だよ、
ちょっと休むといいよ、急ぐ必要もないから、
そのままにして置こう、そうしたら、
誰かが来て、助けてくれるものだから。」   



追記:2015年12月21日 
大きな間違いに気が付いたので、後日訂正しようと思う。  


訂正:2016年1月4日  

訂正部分: 
「やあ、煮詰まり君、聞いてくれるかい、
何を見落としているか、君は分かってないんだよ。
煮詰まり君、世の中と言うのは、君が使えるものなんだよ。」

「やあ、煮詰まり君、聞いてくれるかい、
何を見落としているか、君は分かってないんだよ。
煮詰まり君、世の中は君の思い通りなんて、大間違いさ。」  





全体: 
あれはもうまるっきり行き詰まった男だな、
八方塞がりの土壷にはまって、
使いようのない曲を書いてる、誰も聴かないのに。 

方法論の一つも持たずに、
どうしたいかも分からないままでいる。
どうも、ぼくやきみに似てはしないだろうか? 

「やあ、煮詰まり君、聞いてくれるかい、
何を見落としているか、君は分かってないんだよ。
煮詰まり君、世の中は君の思い通りなんて、大間違いさ。」

あれはもうまるっきりの盲人だな、
望むものしか見ないんだ。
「煮詰まり君、ぼくたちがまるっきり見えないのかい?」 

「煮詰まり君、大丈夫だよ、
ちょっと休むといいよ、急ぐ必要もないから、
そのままにして置こう、そうしたら、
誰かが来て、助けてくれるものだから。」
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2015年07月02日

Come Into The Woods

 6月24日に、スウィンドン・ビューポイントの番組を見て、備忘した、アルフレッド・ウィリアムスの短い詩「 Come Into The Woods 」を訳してみました。 
Come Into The Woods: ノエルかえる不恵留

元にしたのは、
www.alfredwilliams.org.uk - the official website of the Alfred Williams Heritage Society 

森に入る、野鳥が鳴いている、
白山査子の香りが風に載せられる、
雲雀は空で、そして、羊の鈴も鳴り続ける、
若々しい喜びが躍り出て、老いた悲しみは退いて行く。 

楡と樫の枝々が差し上げられて、
蒼穹へ触れる、そして、それが水面に映っている、
周囲には、穏やかな牛がいて、静かに食んでいる、
そして、榛の楉は、微風に揺れ撓っている。 

上の大枝では、鳩が、呟くように鳴く、
花鷄は柔らかな、鶸は心地好い声、
新緑の生け垣では、鶇が囀ずっている、
足元には、立金花がびっしりと咲いている。

若い農夫は口笛を吹き、鍬を捗らせる、
恋人のことを話し、仲間のことを語る、
上には暖かい陽があって、南風が吹いている、
小川の側には、花々が開き出している。 

ああ、エデンの泉、どんな水が湧いて出るのか? 
どれほど喜び勇んだ奔流が私を越えて噴き上るのか? 
何と言う力が私の監獄の呪縛を破ったのか? 
私の魂に人間の香りを吹き込んだのは何なのか? 

都市の振動する鼓動の中では起こらない、
群衆の感情を失った吐息の中では起こらない、
紺碧の翼を持つ悲心の天使たちが舞い、
天上の香りを放つ歌が漂うようなことは、 

ああ、これだ! 自然の女神の、花で飾られ陽を浴びている庭、
空から青く織り上げられた幡の下で、
神は、被造物それぞれに、一個の幸福を植え込んでおられた、
音を聞き取れる感覚、美しさに見惚れる瞳がそれなのだ。 

山林の中の静寂と音楽を奏でるような溢流、
それは、樹々に取り囲まれた、軽やかな吟遊詩人なのだ、
そして美しい草原、健やかさを齎す海からの、
蛇の様にうねる風が、時にそよぎ、時に吹き上げる。 

ああ、私たち人間の魂だけが、この輪から切り離されている、
それも私たちの始祖からそうなのだ、争いに明け暮れているのだ、
自然の女神の恩寵を失い、ああ、田園生活の
深い喜びと一体となることを切望しているのだ。
posted by ノエルかえる at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 薬師 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする