2016年02月07日

Live at the Locarno

 Swindnon Viewpoint スウィンドン・ヴューポイントに、1979年3月6日に、ロカルノ・ホールと呼ばれていたスウィンドン・タウン・ホールで行われたライブの中から、「 Making Plants for Nigel 」の演奏の様子を撮影したものが公開されていた。 
 1979年3月6日の前日の3月5日に、デイブ・グレゴリーが正式に XTC のメンバーになっている。それから、10日に、シングル「 Life begins at the Hop 」をレコーディング。 
 デイブ・グレゴリーが正式にメンバーになってのツアーは、3月18日からのイギリス・ツアー。 


XTC 'Making Plans for Nigel' Live | Swindon Viewpoint 

追記:日付は、ヴューポイントのものなのだけれど、本当に、1979年3月6日なのか、確証を私は持っていません。モールディングの髪形から、1979年だと言うことは確実だけれど、「ナイジェル」がこの時、完成されていたかどうか分からないし。  


追追記・訂正: 
Fujimoto さんから、間違いを指摘して頂いた。 
このビデオは、スウィンドン・ヴューポイントが1979年5月13日に、ブリストルにある Locarno で、撮影して、11月に放送したものではないか、と言うこと。 
XTC が「 Nigel 」を最初に録音したのは、BBC ラジオの番組『 Kid 』の為に、5月22日に行ったセッションで。
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2016年01月06日

Nigel と言う名前

 「 Making Plans for Nigel 」の主人公の Nigel ナイジェルと言う名前、モールディング ( ムールディング ) は、それを選んだ理由を明らかにはしていない。インスピレーションで浮かんだだけと言うように述べていることもある。 
 けれども、この歌には、Nigel でなければいけない理由もある様に思われる。発表されたのは、1979年、歌われている時代設定は、その時の現代、1980年前後、だ。ナイジェルと言う少年は、学校を終えて社会に出ようとしているのだから、年齢は、16歳から19歳くらいの十代後半だと思う。
 ナイジェルと言う名前は、イギリスでは中世から使われ始めたそうなのだけれど、広く使われる様になったのは、コナン・ドイルの小説『 Sir Nigel 』が出版された1906年以降の様。記録では、イギリス全国にナイジェルと言うギブン・ネームは、1840年に一人で、それ以降、1900年頃まであまり変わらず、1910年代に、24人になって、それ以降は、またそれぐらい。ところが、1950年には、1943人に爆発的に増えて、さらに、1960年に、4383人に増えている。そして、もっとも多くこのギブン・ネームを付けられた子供が多かったのは、1963年で、5529 人だ。その後はまた減っている。 
 1979年だと、18歳だったのは、1961年生まれ。1963年生まれは、16歳。イギリスだと、学校を終えて社会に出るのは、16歳の方が適当なのかも。 

 つまり、この歌は、主人公の名前をナイジェルにすることで、時代が特定されると言うことなのだ。モールディング( ムールディング ) が、意図的に上の様に考えて名前を選んだのか、直感で選んだのかは分からない。けれども、この名前を選んだと言うことは、この歌を傑作にするひとつの大きな理由になっているのは間違いないと思う。 

 それから、ナイジェルと言う名前は、1963年に爆圧的に増えたと言っても、やはり、少ない名前なのだから。「 Making Plans for Nigel 」は、主人公の親( 母親か、父親か、 ) が一人で一方的に語るだけの構成なのだけれど、この少ない名前を使うことで、歌の印象は、特定の誰かを設定しているかのように思われるので、とてもプライベートなものになる。もし、トムとかジョーとかの名前を使ってしまうと、抽象的で生活感は希薄になると思う。それで、プライベートな感じを持つと同時に、強い生活感が切実に感じられて、歌の訴求力はとても強いものになっているのだろう。
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2015年07月05日

Making all his Nowhere plans for nobody

 ビートルズの「 Nowhere Man」、「 Making all his Nowhere plans for nobody 」と言う行が気になります。 
 ムールディングは、そもそもビートルズを知らなかったと言うことですけれど、『ドラムズアンドワイアーズ』前には、知った筈だし。making plans と言う句と、N の付く語を組み合わせたのは、関係があるのか知ら。
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2015年06月16日

スティーブン・ウィルソン版『ドラムス・アンド・ワイアーズ』レビュー

 『 Drums and Wires 』5.1 サラウンド版のレビュー記事。オーディオの観点からのレビュー。XTC の作品と言うよりも、スティーブン・ウィルソンのエンジニアリングを高く評価している記事です。 

SACDラボ♪♪_XTC/Drums & Wires Blu-ray 
「サラウンド・ファンなら「このサラウンドは違う」と思うのではないでしょうか。」と。
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2015年03月16日

Song Notes 2014 「 Life Begins at the Hop 」

コリン: 
 この曲は、バンドに提出したぼくの歌の中ではじめてシングルになったもの、なんと言っても、ぼくにとっては、特別なんだ。この曲が、ぼくたちが最初にタウンハウスで録音したものだと思うの。きっとそうだと思う、スタジオ1で、ガラス張りのドラム・ブースだったよ。ブクブクのポップだよね、でも、あの頃、ぼくは、どうしても、「ヘンテコ」でなくなりたかったんだもの。それで、ぼくが出来る唯一の方法で「ヘンテコ」に反抗したんだよ。ぼくは持ってるだけの印象的なメロディを陽の光の下に出したんだけど、みんなの想像力を捉えることはまだ出来なかったね。それは、ナイジェルがしたんだ。まだまだ、ぼくはシングルを書くと言うことについて、学ばなければならないことがあったんだよね。それは、印象的なメロディばかりではなかったんだ。ある要素があるんだよね、それは、前もって計画を立てられないんだ。それでも、得たものもあったんだ。まだ成功はしてないけれど、自分の方法で曲を創り出せると言うことを、この曲は、ぼくに証して見せてくれたんだ。ぼくが思うのには、成功するには、人は何者かにならなくてはいけないんだよね。
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2015年03月13日

Song Notes 2014 「 Complicated Game 」

アンディ: 
 この曲は、元々はアルバム『 Go 2 』のために書いたもので、この曲を発表するのには時宜を得ていないと考えたので、取って置いたものだ。このアルバム『 Drums and Wires 』に、どうして取り上げることになったのか、今となっては、分からない。兎も角、入っているのだ。私たちは、この曲を片付けなければならなかったのだ。 
 基本的には、「すべてについての虚しさ」の歌である。作歌に当たっての主な問題は、どうやって、主題を十分なだけ大きく拡張するかと言うことであった。髪を分けると言った個人的な問題から惑星の配置をどうするかと言う神が考えることと思われることにまで拡げて行くのだ。壮大になって行く必要があったのだ。あるいは、微小になって行くのか、、、 
 基本的には、曲の編成は、ギターとベースとドラムズである。しかしながら、興味深い要素が混ぜられているのである。それは、コリンの電気髭剃りである。ある時、「この曲は、ぼくの髭剃りの音を思い出させるんだけど」とコリンが言ったのだ。すると、スティーブは、コリンを録音室に送り込み、機械的にも逸脱したと思え、音楽的にも逸脱したと思える小さな器機を捉えたのだ。テープを回して見ると、いやはや、その音は、ほぼ、そうほぼ、Gの音を出していた。私たちは、ほんの僅かテープの速度を変えるだけだった、それで完璧に合ったのだ。そうして、その音が混ぜられた。聴き手は、もう一挺のギターの音と間違うかも知れないが、あれは、髭剃りなのである。 
 ミドル8の歌詞にあるトムとジョーとは何者かと訝しがった方もいるかもしれない。それは、レコーディング時に、テーブルの上に開いていた音楽雑誌に載っていた名前の中で最初に目に入ったものだったのだ。トム・ロビンソンとジョー・ストラマーである。 
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2015年03月11日

Song Notes 2014 「 Scissor Man 」

アンディ: 
 1845年以降であれば、私たちの誰でもが、何時と言うこともなく、ハインリッヒ・ホフマンの『もじゃもじゃペーター』を読んだことが、読まないまでも見たことはあるのでは、と思う。この子供向けの「改善」の物語り集は、幼い時の私を恐がらせもし、面白がらせもした。物語りの中には、飢えで死ぬ話し、焼き殺される話し、子供の指しゃぶりをする指に不気味な仕立て屋「ハサミ男」が巨大な鋏で指幅ほどの切り込みを巧みに入れる話しがあった。 
 この曲は、まず、音から思い付いたのだと思う。この曲のコードの中にある、ヴィクトリア朝のミュージック・ホールの空間が、その時代の暗い何かを私に指し示したのだ。その何かとは、私の中で子供時代から眠っているものだったのだ。 
 「悪」があまりに僅かの報いしか受けていないと考える人にとっては、ハサミ男はひとつの警句であろうかと考えると、この物語りは大人にとっての改善物語りであると言える。囚人となった犯罪者やごろつきが首刈り人の訪問を受けると考えるのは、慰みにはなるのだろうか? 
 この曲が、DJのジョン・ピールのお気に入りだったことは明らかだ。この曲の終わりの部分は、定められた範囲内で即興を許されていたので、ステージで演奏するのには、いつも喜びを感じていた。レコーディングの際、この終わりの部分で私たちが多くのことをしたとは覚えていない。スティーブと共に、ミキシング・デスクで、音を入れたり抜いたりのダブの手法で作ったのだ。その手法は、当時、私が偏愛していたものだ。その偏愛は病気と言っていい程のもので、直ぐに、私は、アルバム『 Takeaway / Lure of Salvage 』を作ってやっと満足を得たのだ。 
 ハサミ男については、W. H. オーデン Wysten Hugh Auden が書いたもので、十分であろう。 
[ W. H. オーデンには、「 The Two ( または、The Witnesses と言う題名 )」と言う詩がある。その中に、scissor man が出て来る。 ]  


W. H. Auden 「 The Two 」: ノエルかえる不恵留  

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2015年03月09日

Song Notes 2014 「 Outside World 」

アンディ: 
 活力に満ち溢れたパンク・マラソンに於ける、この曲でのロケット噴射の如き突発的なステージへの登場は、聴衆に受け容れられた。そのノイズとスピードの比率の具合の故である。しかしながら、超現実的な歌詞は、私たちを聞きに来た聴衆の中の、額に皺を寄せモヒカン・カットにしている者の数人の眉毛を逆立たせたのだろう。無論、歌の主人公である「彼女」は、私である。宏漠とした禍々しい世界から逃れたがっているのは、この小生なのである。巡業を重ねる度に、私は、より多くのその禍々しい世界を見たのだ。そして、世界と私は何の繋がりもないことは確かであった。 
 デイブの太く甘い深みのあるギブソンの音は、この曲のどこにでも、ヘルニアの如くはみだしている。そのデイブの後ろで、私とコリンとテリーは、厳密にタイミングを合わせて、激しく打ち鳴らしているのだ。
 巷間に広まっている噂を鎮めなければならないだろう。歌詞の「 drape her in a newspaper and her with a poison pen 」の行は、ヴァージン社のA&Rマンであるサイモン・ドレイパー Simon Draper を中傷するための比喩ではない。彼とは、アル・クラーク Al Clark と共に、良好な仲であったのだ。二人は、バンドの事実上の「父さん」であった。 
 今日この曲を聴いてみて、私は気が付いたことがある。この曲は、Dr.フィールグッドの簡潔なR+Bの弾き方に負うところが少なくないのである。私たちはフィールグッドのファンであったのだ。 
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2015年03月06日

Song Notes 2014 「 That is the Way 」

コリン: 
 この曲がどうやって出来たのか、ぜんぜん、わからないですよ。ぼくは、ただ、あるコード進行を研究してただけなの。ちょっとした歌詞の思いつきがあったんだ。それは、親が子供を管理することなんだけど。( 当時のぼくは、そのテーマをよく使ってたしね。 ) [ おじいさんか何かが ]礼儀についてガミガミと叱りつけることと、ほら話しって、何だか似てるなあ、って思って。だって、次から次へ話しが移るんだけど、結局、同じ一つのことなんだよね。でも、みんなが驚喜したのはね、ディック・カッセル Dick Cuthell が吹くホーンが曲にほんとに豪華な感じを付けてくれた時なんだ。[ ここの文、rive - raving の意味の多様性を使った洒落の様な表現だと思います。 ] あれは、ほんとうに、その場で演奏したものをそのまま録音したものなんだ。こんな瞬間が、『ドラムズアンドワイアーズ』を魅力的にしたのだし、こんな風に、時には、原案をすっかり忘れて演奏すると、ワクワクするものなんだよ。ともかく、この曲は、アルバム全部のなかで、ぼくの一番好きな曲なの。ホーンのメロディの活き活きしてることったら、そう、バート・バカラックとハル・デヴィッド組の曲みたいではない? それか、何かそんな曲、だれか知ってるか知ら、、、  


アンディ: 
 ナイジェル一家物語りのもう一つの別の場面である。この崩壊飛散したファンク風の歌詞には、私自身の口から出たかも知れない、あるいは、デイブの口かも知れないしテリーの口かも知れない、もっと言えば、私たちの世代の誰からでも出かねないような言葉がある。コリンは、私たちの親世代の行動の規範を純化して私たちの元へ持ち込んだのだ。 
 ヴァージン社がこの曲に興味を持ち、シングルになる可能性があったことを、私は、覚えている。それで、スティーブとヒューは、それで十分ではあるが短い小品であった原曲を編集して、若干程長くしたのだ。 
 このノートを書いていて、私が常にコリンの曲にブラスを入れる様に提案していたことを思い出した。そのどの曲についても、何故だかの理由は分からない。件のブラス・パートを演奏しているハーブ・ヘルプレス・アンド・ヒズ・マリジュアナ・ブラス・バンドとは、フリューゲルホーンの第一人者であるディック・カッセルである。彼は、スティーブの友人の一人であり、また、多いに薦める人物であった。笑いの絶えないセッションであったことを、私は、覚えている。
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2015年03月04日

Song Notes 2014 「 Millions 」

アンディ: 
 アルバム『 Go2 』のセッションの時、バリー・アンドリュースは、「 Things Fall to Bits 」と言う題名の曲を作っていた。オリエント風に作られたモダンな曲であったけれど、短命に終わってしまった。使い捨てであった。この曲に提供するために、私は、「トワンキー未亡人 widow Twanky 」風のギターのメロディを作っていた。直ぐにも中国人を連想させる「華」印の様な物だった。[ widow Twanky は、パントマイム劇『アラジン Aladdin 』の登場人物。『アラジン』は、アラビアン・ナイトを借用した劇。主人公のアラジンは女優が演じる。トワンキーはアラジンの母。トワンキーは男優が演じる。 ] 
 私たちは、「 Bits 」をアルバムには取り上げなかった。それで、私は、そのギターのメロディを、また後に使うこともあるのかと考えて、取って置いた。良いメロディを捨ててしまうことは決してないのだ、私の場合。1978年の終わり頃、私は、中国に偏執的に取り憑かれていた。中国の全てにだ。輸入衣料を買い、チョップ・スティック( 箸 ) を使いブリキの椀で食べ物を食べ、等々、その様な生活を送っていた。そして、無邪気にも、中国についての歌を書こうと決心した。一体全体、私が彼の地の何を知っていたと言うのだろうか。私が知りえたものと言えば、ロンドンのジェラード・ストリート Gerrard Street [ ロンドン市内にある中華街 ] を徘徊して得たものに過ぎなかった。それでなければ、私の地元の中国人ウェイターに「ロックンロール」ギターを教えて得たものだ。( 本当の話しである。 ) であるので、良いにしても悪いにしても、私自身の未熟さの故なのだ。 
 十年後には、テレビで天安門広場で虐殺が繰り広げられるのを見て、私の中国熱は醒めてしまった。その土地を見たいと言う望みもまるっきりなくなってしまった。 
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2015年03月02日

Song Notes 2014 「 Real by Reel 」

アンディ: 

 さて、これは、まあ、ある種の偏執狂の歌である。アメリカ国家安全保障局はそのように看做している。( ほら、手を振って、彼らが見ているから。 ) このぼてっとしたスカの一品は、勢いよく前進する。そこで、私たちのステージのよいオープニングとなったのだ。当時、私は、この曲をシングルにと考えていた。ディック・ジェームズのDJM スタジオでさらに磨きをかけたのにも拘らず、この曲は、ヴァージン社の目に叶う程には、輝かなかったのだ。 
 この曲でのデイブのソロは、彼の最良の演奏の一つで、ビバップのフレージングに由来している面が少しはあるのではと、私は考えている。 
 Mr. Partridge 名義で発表した『 Takeaway / Lure of Salvage 』は、ダブのアルバムであるが、このアルバムに、私とジョン・レッキーは、この曲も持ち込んでダブ化したのだが、それは、映画『 エイリアン Alien 』を観た後の夜のことであった。私たちは、スタジオに戻ると、この曲を分解し、「 Steam Fist Futurist 」と題名を付け替えたのだが、その映画の暗い「イライラ」なサウンド・トラックに影響されたのだ。[ 『 Alien 』は英国では1979年9月に公開。『 Takeaway 』は、1979年10月10日水曜日に製作となっている。9月21日まではイギリス・ツアー。そのあとはテレビ出演など。『エイリアン』の音楽は、ジェリー・ゴールドスミス Jerry Goldsmith 。 ]
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2015年02月27日

Song Notes 2014 「 Roads Girdle the Globe 」

アンディ: 

 スウィンドンのマンチェスター通り12にあるアパートの、壁全部をオレンジのつや出しに塗られた私の部屋で、夜遅くまで起きていた私は、テレビを点けて、フィンランドの映画を見ていた。1970年のリスト・ジャルヴァ Risto Jarva 監督作品『 Gas in the Venis ( 原題:Bensaa Suonissa ) 』だ。[ Bensaa suonissa (1970) - IMDb] このラリーを扱った映画は、私に、自動車に対する人間の非理性的な愛情について考えさせた。また、人類がこの惑星を生贄にして、自動車に適応させようとしているのではないかと、思ったのだ。そこで、私は、この「自動車宗団」の為の讃歌を書こうと決意したのだ。 
 この曲は、XTC の曲の中では、その耳障りなコード[ クラスター・コード ]とメロディに於いて最もキャプテン・ビーフハーツ・マジック・バンドの音に近いものである。願わくば、聴き手の諸氏には、この音で、死者も出る様な多重衝突事故の際、この鋼鉄の獣のシャーシーが放つ軋音を喚起されたい。奇妙な事ではあるが、後年、デイブ・ステュアートとバーバラ・ガスキンがこの曲をレコーディングしている。彼らのヴァージョンは、私の耳には、リムジンの豪華なインテリアの自動車の様に聴こえる。それは、私たちのものとは、全く相容れないものではある。だが、それはそれで素晴らしいのだ。私たちは、自動車の外側を造ったのだが、彼らは、内側を造ったのだ。 
 私は、白と黒の縞模様のフェンダー・ブロンコを弾いて、自分が分担した喧しい音を出していたのだと思う。今日に至っても、「このコードは何であるか?」と自問している。 
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2015年02月25日

Song Notes 2014 「 Ten Feet Tall 」

コリン : 

 デイブがぼくに、この曲を自分で取り下げて、ぼくのソロ作品にしたらどうかと、言った時、ぼくはとても驚いたんだ。今思えば、どうして、そんなに驚いたかと言えば、ぼくは自然ななりゆきでそうなったことだけをしていただけだったのだから。自然に、メロディックな感覚になっていたんだよね。それで、この曲が頚羽を立てたのは、アルバムの曲の中ではずいぶんとアメリカ的な音をしていて、ちょっとでもウエスト・コースト的なものは、ぼくたち、あの頃とても嫌っていたから、窮地に立たされたからなんだ。ぼくは、今でもね、この曲は異彩を放っていてアルバムの中に入る価値があると思っているんだ。この曲は、こんなスタイルも出来るって、「ヘンテコ」だけじゃないって言う、確かな証拠なんだよね。ぼくたちは、この曲で、「ヘンテコ」のレッテルを確実に葬り去ったんだ。合衆国では、シングルになったよ。 


アンディ: 

 コリンはすっかり大人になっていて、アコースティックな歌を書いて来た。この歌は、アコースティックなままにすることが適当だと思われていたのだが。この歌は、あの時、バンド内でかなりの動揺を引き起こしたことを、今でも私は思い出せる。この曲は「適当な時期」なのか、あるいは、アコースティックではしないのか、と言うことについて論議する十分な時間を、私たちは持ってはいなかった。あまりに多くのファンを遠ざけてしまうのではないか、と言う懸念はあったのだが。  
 これを聴いたことのある諸氏は、「 stopping there 」の言葉に首を傾げたこともあるだろう。あれは、苛立っているデイブなのだ。また、この曲を通してあの愛すべきアルペジオを奏でているのもデイブである。あのアルペジオ、私が決して修得することのことの出来なかったものなのだ。私は、短音のコードを弾いている、「簡単」大尽なのである。 
 暫く経つと、この曲は、バンド内では、非礼なことに、コリンの元同僚の巨根に因んで「 Tenfoot's Tool 」と呼ばれる様になった。率直に言って、芸術に敬意を払わない者は居るものなのだ。
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2015年02月23日

Song Notes 2014 「 When You're Near Me I Have Difficulty 」

 私は万事に於いて奥手だった。三つ程を例に挙げるならば、読書と楽器の演奏と恋だ。この小曲は、最後に挙げた遅発に鼓吹されたものだ。誰か女性が側に来ると起こってしまうと言う初心な戸惑いだったのだ。その中でも、十三歳の頃、私が逆上せ上がった、ヴァネッサと言う名前の少女のことが曲の導引になったのだろうと、思う。 
 ヘッドホンで聴いて思い出したことがある。この曲には、絶妙なコード進行があるのだ。しかしながら、その名称について、私に問わないで欲しいのだ。その理由は自明の筈だ。 
 ステージでのこと。この曲は、歌い演奏するには厄介なものだった。演奏の技量が要ると言うのではない。終部を繰り返して歌っていると、私は酸素が欠乏して意識を失ったからだ。私たちは、レコーディングの際には、分けてレコーディングすることで、その問題を解決した。私は息をすることが出来たのだ。 
 更に一つ。イントロでの音を外したギターのことだけれど。私は、サラウンド版に編集する際には、あれを出来るのなら誤摩化して音程を上げる様に、スティーブ・ウィルソンに頼んだのだ。彼は、即座に答えた、「心配無用。既に調性済み。」と。ウィルソンも、その不覚の失敗を曲から取り除くことは出来なかった。このアルバムの曲は、どれも、あまりに迅速にレコーディングされた為に、チューニングは、ぞんざいにされたのだ。
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2015年02月13日

Song Notes 2014 「 Day In Day Out 」

コリン:  

 モノトニー( 単調 ) がこの曲の主眼なのですよ。[ 原文は、Monotony is the name of the game here. これは、ゲームのモノポリー Monopoly game の洒落。 ] 仕事で同じことを延々と繰り返す退屈さですね。ぼくの兄さんは、ぼくたちの町にあるガラード社[ 業務用の高級レコード・プレイヤーを製造する会社。Garrard ]の工場で働いていたんだ。それがきっとこの小曲の要因だと思うんだ。ヘンリー・フォードさんは、天才だったんだよね。可能な限り早く自動車を作る製造方法を考え出したのだからね。でも、彼の製造方法は、どうしても人間のプシュケーを地獄に落とすことになるんだよねえ。それで、時計をじっと見ることになるし、スカートをやらしい目で見ることになるんだよね。ぼくが言い表したかったのは、時間が少しでの早く経つ様にと人がしていることのぜんぶなんだ。 


アンディ: 

 この工場生活の破壊的な倦怠感についての歌はには、機械的な感じが必要であったので、風変わりなテンポのギターのメロディを考え出したのだ。そのギターのリフは、他の三人の断然とした重たい足どりとは、軋みあう様なものだったのだ。数えて見ると、普通の四分の四拍子のところを、3拍子を三回に四拍子を一回のパターンで弾いている。それは上手くいった。けれども、一体どうやって、私はこれを思い付いたのか、分からない。 
 ちっさなコルギー嬢が、後ろで呻き声を上げている。電子的な監督が人の首に息を吹き掛けて不平を言う様な音だ。ギター・ソロは、私だけれども、意図的に「外し」てある。欲求不満を表す為だ。このアルバムのコリンの曲のうち、この曲を私は最も気に入っている。また、この曲は、アダム・アントのプロデューサーであり、時にバンドのメンバーであった、クリス・ヒューズ Chris Hughes をして、「私には、XTC は、まるでプログラミングしているかのように、ギターとドラムを演奏している様に聴こえる、…、だが、しかし、彼らはプログラミングなどしていないのだ。」と言わしめたのだ。
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2015年02月11日

Song Notes 2014 「 Helicopter 」

アンディ: 
 子供の頃、自分の意志で読んでいたものと言えば、「教育」的な読み物、『 Look and Learn 』だけだった。正直に言えば、実際に読んでいるよりも、その陶然とする程に美しいイラストに見入っていたのだ。それは、また、別の話になるのだけれど。兎も角、ある時、その雑誌は、レゴ・ブロックのシリーズを掲載していた。それも、イラストは、私が最も好きだったフランク・ハンプソン Frank [ Dare ] Hampson だったのだ。その絵は、二人の少年がジェット・パックを背負い、レゴ・タウンの上を飛んでいるものだった。そのイメージは、何年も私の中に留まっていた。そのイメージの煌めきが、この曲の歌詞の背後にあるのだろうと、私は感じている。 
 私は、性を少年から女性へ変えて、お尻から吹き出すジェットの代わりにプロペラを付けてみたのだ。でも、「 looking out across our Lego land 」と言う行は残った。このように、自分からずっと離れないものと言うものがあるのだ。 
 リハーサルの最中に、この曲はディスコ調にしようと直ぐに決まった。私たちは、全員が、ドラムに垂れる「豆スープ」の雫が好きだったのだ。[ Pea soup sound : ハイハットを開けたまま叩いて直ぐに閉じる奏法 ] それに、ステージのサウンド・チェックでは、大抵の場合、私たちは、シック [ Chic : 1977年から活動したファンク・バンド。 ] の曲を延々と繰り返していたものだ。こっそり忍び込んで少しでも「オイ!」が聴けると期待していた、窮屈な真新しいズボンを穿いた田舎者のパンク少年たちにとって、極めて遺憾なことではあった。  


5月7日訂正:
Lrgo land → Lego land
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2015年02月09日

Song Notes 2014 「 Making Plans for Nigel 」

コリン:
 みんなは、いつも、「どうして、ナイジェル?」と尋ねるのですよね。学校時代から飛び出して来たことばだ、と言うことは確かなのですけど。学校にナイジェルと言う子が居たのです。学校で自分が何と呼ばれていたかは、子供時代にはとても重要なのなのですよね。ぼくは、「 Mouldy Cheese 黴っぽいチーズ君 」と呼ばれていて、そのことを痛感したのです。ちょっと変わった名前をしていたら、きっといじめられるのですよね。実際は、ぼくはいじめられなかったのですけれど、ぼくの性質で、そういうことに同情を感じていたのです。ナイジェルは、いじめられていたから、ぼくの歌になったのではないか知ら、そう思うのですけれど。
 この歌で面白かったところのひとつは、ナイジェルのキャラクターを作り上げたことなのだけど、でも、一方で、ナイジェルについてはあまりたくさんのことは言ってないの、それは、聴く人を引き付けるためなのです。ぼくは、わざと、ナイジェルを謎のままにしたのです。ブリティッシュ・スティールは、ちょっとした悪戯心で使ったのです。ブリティッシュ・レイランド [ 1968年設立のイギリスの自動車会社。1986年に名前をローバー・グループ改称した後も業績は振わず、2005年には消滅。 ] になったかも知れないんですよ。思っても見なかったことは、労働組合の代表がぼくに電話をかけて来て、訴訟に加わらないかと言って来たことなんです。ブリティッシュ・スティールは、適当に選んだ会社だって、代表の人に信じてもらうのは、とっても大変でした。 
 「ナイジェル」は、XTC の歌のなかで一番カバーされている曲ですよね。コードも簡単で簡単な歌なのです。でも、その基本構造の上に、人々を引き付ける何かがあるのです。ちょっと謎があるのですよね、ぼくは、そう思うのだけど。でも、この曲がこんな風にお金を残してくれるなんて、思いもしなかったんだ。ねえ、意識下のものがどんなものを自分にくれるかなんて、分かりはしないですよね。それに、一番大きく注目をしなくてはならないのは、この曲が用語の一つになった、と言うことなんです。新聞が、ナイジェルとか makes と言う語があると、この曲を引用した見出しを出す様になったのです。「ナイジェル・ラウソンが財務省で計画を作成中 Nigel Lawson is making plans at the Exchequr 」とか「ナイジェル・マンセルが次回の大事なレースの為に思案中 Nigel Mansell is making plans for his next big race 」とかです。新聞の記者たちが、ぼくの歌を知っていて、それを使ったとしたら、ほんとうにゾクッとしますねえ。 


アンディ: 
 コリンが最初にこの可愛らしくて素敵な小曲をバンドに持って来た時のことだけれど、彼は、これをナイロン弦のアコースティック・ギターでのろのろと掻き鳴らしてみせた。喫驚仰天。バンドはこれをどうしたらいいのだろうか? いい曲だけれど、ジュリー・フェリックスとスピナーズが一つ袋に入っているようなのをそのままにしておけないのは分かっていた。[ Julie Felix : 1938年アメリカ生まれで、イギリスで活動しているフォーク歌手。スピナーズ The Spinners : 1958年から活動したリヴァプールのバンド。 ] 
 私たちは、直ぐに、元のゆっくりした駆け足のテンポを二倍にすることに決めた。デイブがコード進行を引き受けた。テリーは、ディーヴォに似た「逆さまに」再構築したドラム・パターンで、私のギターの反復するリフにぴったりと合わせた。また、コリンのベースは、トムトムの原始的な鼓動と呼応していた。とても上手く噛み合っていた。 
 この曲のレコーディンの時には、ナイジェル君が工場( あの頃、運命が私達全員を工場に招き入れたことは確かだろう。 )にいる様に聴こえる為に、私たちは、新しいミニ・コルグ700 シンセサイザーで出来たパーカッシブな電子音のビーと言う音とホワイト・ノイズのぶつかる様な音を加えた。付言すると、トップ・オブ・ザ・ポップスで、当て振りをした時に、テリーは、ドラム缶とピンク・フロイド・サイズの銅鑼をめった打ちにしたのだけれど、それは、どれだけ私たちが信用されるのかを見るためだった。BBCは、目を瞬たきもしなかった。おそらく、これが本来の楽器だと考えていたのだろう。ハハ。 
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2015年02月06日

2014年のノート、デイブ・グレゴリー 4

 セッションのハイライトをいくつか列挙して見ましょう。まずは、「 Day in, Day out 」です。アンディの機械的なリフが曲を駆動させています。それに、かれの「ドリルで刳り抜く様な」ソロも見逃せません。それから「 When you're near me I have Difficulty 」です。これを創り出せたことは至上の喜びです。まるっきり外れた音のイントロも、私たちはそのまま残したのです。それから「 Ten Feet Tall 」です。この曲では、私とアンディの二人によるエレクトリック・ギターのソロがあります。最初の四小節がアンディで、後の四小節が私です。これらのセッションには、私の古いES-335[ ギブソン・エレクトリック・スパニッシュ-335 ] を使いましたが、直接にレコーディング・コンソールに繋いだのです。何年も後になってなのですが、その私の古いギブソンのエレクトリック・スパニッシュは、クリエイション the Creation のエディー・フィリプス Eddie Phillips [ 1942年ロンドン生まれのギタリスト。最初にヴァイオリンの弓でギターを弾いた人。ピート・タウンゼントやジミー・ペイジに影響を与えたと言われる人。クリエイションは、1966年から68年に活動したバンド。 ] の所有していたものだったと言うことが分かったのです。それについては、YouTube と言うタイムカプセルに感謝している次第です。エディー・フィリプスは、フィードバック奏法とヴァイオリンの弓を使う奏法を1960年代半ばに開拓したことで有名な方です。悲しいことに、それが彼のギターだと見分ける為の特徴のほとんどは失われてしまいました。と言うのは、1980年代に、私はそのギターを修理に出したのですが、私はその時、それがエディー・フィリプスのギターだったと言うことを知らなかったのです。 
 「 Roads Girdle the Globe 」は四人揃ってライブ式で録音しました。一回で成功しました。ヴォーカルは後から加えたのです。ちょうど夕食に時間に、温厚な広報担当のアル・クラークを含んだヴァージン社の一行が遣って来たのですが、夕食の後に、石張りのスタジオに集められて、「ボーボ、ボボ、ボー」のバッキング・ヴォーカルを作ったのでした。スティーブとヒューが録音したものを編集する準備をしていた時に、私はコントロール・ルームに居たのを覚えています。私は、その時、コリンの「ソロ」のような常軌を逸したベースを聴いたのです。それは、ある意味魔法でした。コリンのそのベースは、「 Roads Girdle the Globe 」を、私たちがしたすべての中で、私の最も好きな曲にしてしまっているのです。 
 「 Real by Reel 」のソロ・ギターは、コントロール・デスクに直接繋いだES-335 で弾いているのですが、「 Ten Feet Tall 」のセッションと同じ時に録音したものです。「 Real by Reel 」の音階は、スティーリー・ダンのギタリスト、デニー・ダイアス Denny Dias [ 1946年生まれの、アメリカのギタリスト。 ] から借用したものです。ダイアスは、私がずっと好きでいるギタリストの一人です。彼の弾く、スティーリー・ダンのアルバム『 Pretzel Logic 』の中の曲「 Parker's Band 」のイントロが今でも好きなのです。「 Real by Rell 」は、後になって、ステージでの一番好きな曲になりました。「 MIllions 」は、素敵なプル・オフのギター・リフの曲で、ベースには、TCエレクトロック社のベルフランジャーが使われているは確かだと、私は思っています。その装置はヒューのお気に入りだったのです。「 MIllions 」を弾くのは楽しかったです。それに、素晴らしい雰囲気がある曲です。「 Scissor Man 」には、私のストラトキャスターで弾くリフの二重録音が使われています。今となっては、それが悩みの種なのですけれど。この曲の編集の時には、全員の手が「制御卓の上に」載せられていました。特に、終わりの部分のダブの部分です。スティーブにヒューの手が全部必要だったのです。それに、テープ・オペレーターのジョージ・チェンバースは、フェイドアウトに合わせて、ディレイとフランジャー効果を入れる決定的な瞬間を掴もうと、デスクの裏側に潜り込んでいました。「 Complicated Game 」は、その後のない最後の曲なのですが、アンディのヴォーカルと、歪んだソロ・ギターは、後から重ね録りしたものです。ソロ・ギターは、ヴォリュームを最大限にして弾いています。彼は、テンポやキーを正しく知る為のバッキング・トラック無しで弾いているのです。耳を保護する為のヘッドフォンを着けて、スティーブが「演奏開始」の合図を送るのを待っていたのです。テープは回されていて、マイクのチャンネルも開いていました。結果はと言えば、あの轟音は、ほんの一回で成功したのです。 
 ワイアーズについては、多くを述べました。では、ドラムズについては、どうでしょう。私は、あの魔法の石造りの部屋がテリーの中に太古の穴居人を憑依させたのではないかと、思っています。すべての曲で、彼は、本当に見事な演奏をしています。けれども、特に、「 Making Plans for NIgel 」と「 Roads girdle the Globe 」と「 Real by Reel 」と「 MIllions 」、それに加えて、ボーナス・トラックの「 Chain of Command 」「 Limelight 」が素晴らしいです。デヴィッド・ボウイの『 Sound of Vison 』がテリーに強い影響を与えているのではないかと、私は思うのですが。アンディは、このアルバムから何曲かを取り出して、翌年の実験的なダブのアルバム『 Takeaway 』の元にしています。スティーブとヒューの次の仕事は、ピーター・ゲイブリエルのサード・アルバム( 通称『 Melt 』 ) でした。同じスタジオで録音されたのです。フィル・コリンズは、石造りのライブ・ルームにドラムを据えました。そうして、1980年代のドラムズの音が確立されたのです。 
 『 Drums and Wires 』は、XTC を取り巻く流れを変えたのです。ほぼ全世界の音楽新聞から賞讃を得ることが出来たのでした。それは、私たちを安堵させたのです。「 Making Plans for Nigel 」がイギリスのトップ20に入って、突然に、私たちは、人気者になったのです。その結果、ツアーは延ばされて、私たちのステージは、活力と筋肉と汗の展示になってしまったのです。次の年代、80年代が始まろうとしていました。アメリカは、私たちを手招いていたのです。私たちは、世界へ飛び立つ準備が出来ていたのです。 

2014年4月 デイブ・グレゴリー  



YouTube で見られる The Creation の1966年のシングル「 Painter Man 」の演奏の中の、ES-335 のアップシーン: 
スクリーンショット 2015-02-02 15.06.04.jpg  

デイブ・グレゴリーさんのホームページのギター・コレクションのページ:
1963 Gibson ES-335TDC 
そこに書かれている、グレゴリーさんがES-335 を入手した経緯:
 1977年に、私は、パートン[ ウィトルシャー北部の村、スウィンドン中心部から6キロくらい ] の実家に戻って、ホワイト・アロー社で小荷物配達の仕事をしていました。六ヶ月間お金を貯めて、新しいギターを買うのに十分な資金を拵えたのです。1978年の1月、このギターは、メロディー・メーカーの広告に出ました。それで、私は電話をしたのです。そうして、私のプジョー404を東へ向けたのです。ロンドンでそれを買う為にです。その人は、ロンドンのチズウィックの薄暗い家に居ました。ギターを私に見せて、売ってくれたのです。 

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2015年02月04日

2014年のノート、デイブ・グレゴリー 3

 自分の演奏スタイルを、XTC の新しい歌に合わせるのは、ちょっとした挑戦でした。私の音楽上の生い立ちの始まりは、1960年代のブリティッシュ・ビート・グループなのです。最初にギターを取って演奏したのは、ヘンドリック / クラプトンの「 blues boom 」からヘビー・ロックへ変わる時期でした。それに、私は、カントリー・ウェスタンのグループでも演奏していました。また、サイケデリアやプログレッシブ・ロックもちょっと齧ってみたのです。1970年代で、私の一番のお気に入りのバンドは、スティーリー・ダンでした。いつも、素晴らしいスティーリー・ダンのソングライター・チームは、最高のプレイヤーを雇っていました。私は、いつの日か、そんなミュージシャンたちの技を身に付けることを夢見ていました。けれども、どう考えても、決して出来ないだろうことは、分かっていました。また、アンディには、ギタリストとして、絶大な感服を抱いていたのです。アンディの演奏スタイルは、私がそれまでに見たり聴いたりしたことのある他の誰にも似ていなかったのです。刺々しくてリズミック、エネルギーに充ち満ちていました。でも、同時に、メロディ的な繊細さも併せ持っているのです。それに、不協和音を使うのに躊躇していませんでした。実際、彼は、不協和音を上手く使っていました。彼は、古いスクール・ロックン・ロールの雰囲気がするものを忌み嫌っていました。それに、その頃の大抵のギタリストが陥りやすいブルースを元にした陳腐な常套のフレーズも嫌っていました。私の襟は、装飾過多に思えたのです。私は、歌をずっと詳しく聴き始めました。そうして、歌本来の性質を変えてしまうのでなく、高めていくには、何を加えればいいかを考えたのです。 
 タウンハウスのセッションは、とても楽しく進みました。書かれた曲は十分な程にありましたし、リハーサルもしていたので、絶対に一分でも無駄にしないようにしなければなりませんでした。私たちが取りかかった曲、全部を録音したいと思っていたからです。一つのレコーディングが済まなければ、次のには取りかからない、と言う不文律があったのです。まずは、ベーシック・トラックから始めたのですが、スタジオで、四人が一緒に演奏したのです。大抵は、一日に二曲か三曲をレコーディングしたのです。その録音したトラックを取り替えたか修正したことについては、私は、覚えていません。テイクはそれはたくさんありましたから。時には、調律を合わせたりとかタイミングを合わせたりとかですね。マスター・テープを聴けば、修正が行われたことは明らかに分かるのですけれどね。 
 当時、私は四挺のギターを所有していました。その全部を、セッションの様々な場面で使いました。ほとんどのベーシック・トラックでは、1963年製のストラトキャスターを使っています。それから、ニ挺のギブソン・ギターを持っていました。1965年製SGスタンダードと古くて痛んだ1963年製のES-335 です。もう一つは、安物のアコースティック・ギター、エーコ社のランジェル Eko Ranger です。アンプは、1962年後期のフェンダー・テルモラックスで、ATC の12インチのスピーカーが一個付いたセルマーのキャビネットに繋いで使ったのです。スタジオには、メサ・ブーギー Mesa Boogie のコンボがありました。それに、素晴らしいミュージックマン社の210/ 65 もあったのです。でも、それは修理に出されていることが多かったです。私たちの小さな単音のシンセサイザーコルグ700S は、存在感を持っていました。アンディは、それでヘリコプターのノイズ、音楽的なクラゲ、その他、このアルバムのあちこちにあるエキゾチックな装飾音を作ったのです。 
 スティーブ・リリーホワイトは、ギター重ね録りにとても熱心でした。そうして、音を増強するのですが、明らかに、私のベーシック・トラックはその対象になっていました。けれども、私は、レコードになった自分のギターの音に聴き惚れると言うことは決してありませんでした。それは、アンディのエキセントリックな音ととても上手く混ぜられていて醸し出された音感なのでした。その音感がアルバムの個性の大部分を担っていたのは確かです。そのように私が喜ばなかったのは、思うに、私の経験のなさの為の未熟さがあったからでしょう。それでも、アルバム自体の魅力に資するものがあったとすれば、よかったと思います。 
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2015年02月02日

2014年のノート、デイブ・グレゴリー 2

 「 Life Begin at the Hop 」は、イギリスでは、3月4日にリリースされました。二週間後に、私たちは、BBCテレビの番組『 Top of the Pops 』に出演して、お披露目したのです。私にとっては、全生涯のクリスマスが一度に遣って来た感じだったのです。そうして、大まかに言えば、力強い私たちのシングルは、力強い登場をすると、チャートから転げ落ちて行ったのです。でも、それは問題ではありませんでした。イギリスのポップスの地図に、私たちは、正式に書き込まれたのですから。肝心なのは、せっかくついた弾みを、次を待っている間に失ってしまわないことだったのです。ですから、私たちは、スティーブそれにヒューと一緒に、タウンハウスに戻ったのです。そして、ヴァージン社の A&R 部が次のシングルに選んだ、「 Making Plans for Nigel 」を録音したのです。 
 この時のセッションは、6月7日から9日の週末[ 木、金、土曜日 ]が予約されていました。私たちは、通路よりも下にある小さなスタジオ2に陣取りました。そこだと、石造りのライブ区画がコントロール・ルームの真ん前に来ると言う利点があったのです。ドラムズにとっては、完璧な環境でした。アンディは、このスタジオ2が、次のアルバムのための理想的な空間になると断じたのです。テリー・チェンバースは、水を得た魚のようでした。毎夜の様に、「 Nigel 」をステージで演奏していましたから、私たちは、しっかりとリハーサルが出来ていたのです。ですから、セッションは、手を止めることも、問題もなく、真直ぐ前に進みました。とても楽しいセッションでした。その週末の仕事に、私たちは、力を出し尽くしたのです。 
 ヴァージン社は、リリース出来る新しいシングルが出来たのに満足して、アルバムを制作するためにタウンハウス・スタジオを予約したのです。私たちは、スタジオ2の使用を強く要求しました。その結果、13日間を連続して予約することが出来たのです。レコーディングは、6月18日に始まる予定でした。十三日間で、十三曲の新曲を録音、編集し順序を決めるのです。そこで、スウィンドンに戻って、地元のスタジオチューダー Tudor で本格的にリハーサルを始めたのです。このスタジオは、シャウ・リッジ地区 Shaw Ridge にあり、直前に納屋から改造されたものだったのです。私は、スティーブ・ウォーレンに、午後のリハーサルを私のために録音してくれないかと頼んだのです。そうすれば、私は、それを自宅に持ち帰って、聴くことが出来るのです。そうして、曲を覚えるのを早くしようと思ったのです。スタジオでの録音が始まるのは、間近に迫っていたのですから。今回のコンピレーション・アルバムに収録するのに何か相応しいものはないかと、色々と探していて、そのウォーレンが作ったカセット・テープを見つけたのです。そのテープを編集したものが、今回の CD /DVD に付録として入っているのです。このテープは、図らずも、私たちのリハーサルの仕方のスナップ・ショットになっているのです。アイデアが浮かぶまで、そのアイデアは偶然かも知れないし意図的にかも知れないのですが、何度も何度も曲を通して演奏すると言う遣り方でした。それは、家庭用録音機が出る前のことでした。まだ、デモを作ってなかったのです。この遣り方は、当時、大抵のバンドがしていたものなのです。「一つ鎌の飯を喰う」です。[ 原文は、get one s shit together なので、少し違うのですが。 ]そして、バンドが一丸となるのです。
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2015年01月30日

2014年のノート、デイブ・グレゴリー 1

 『 Drums and Wires 』2014年サラウンド版に付けられたブックレットに掲載のノート。デイブ・グレゴリーのもの。その1。 






 1979年1月、 XTC に加入する様に求めるアンディ・パートリッッジの電話で少々驚いている私がいたのです。キーボード奏者バリー・アンドリューズは、ミック・エイブラハムズ Mick Abrahams [ ジェスロ・タルの最初のギタリスト。ジェスロ・タルのファースト・アルバム発表後にバンドを脱退。 ] 張りの行為に出て、12月の短いアメリカ・ツアーの後、バンドを辞めていました。アンディは、私に彼の代わりになることを求めていたのです。私がキーボード奏者でないことが問題ではないのは、明らかでした。つまり、成功の大きな玉がやっと回り出したのなら、重要なのは、回り続けることなのです。何がと言うことは問題にはならないのです。ギターが回さざるを得なかったのです。 
 私は、その時ちょうど、初めてのローンを組んだばかりだったのです。債務を負ったわけですから、早急に職を決めなければならなかったのですが、それも、確実な仕事で決まった収入がある職業であるべきだったのです。ですけれど、考えるには、10分で十分でした。「その日を掴め [ Carpe diem : ホラティウスの『 Carmina 歌集 』第一巻第11歌の中の行。http://la.wikisource.org/wiki/Carmina_(Horatius)/Liber_I/Carmen_XI ] 」だったのです。一年をそれに掛けようと思ったのです。 
 当時、バンドは、地方のクラブのオーナーがマネージメントを担っていました。リハーサルのための常設のスタジオはどこにもありませんでした。オーナーは、クラブの地下室で練習をさせていたのです。そこは、湿っぽくて惨めな程寒い場所でした。ですけれど、私たちは、少なくても、そこでだれにも邪魔されずに全員で演奏することが出来ました。アンディとコリンは、まず二人の間で、骨格だけの新しい歌を持ちよって暗記するのです。それから、その歌が、私とテリー・チェンバースを含めた四人の間に持って来られるのです。そのようにしていました。そうして、色々と試してみて、カセットに録音するのです。それを家に持ち帰って聴いて、もっと展開したものを持ってくるために、そうしていたのです。新しいシングルが求められていました。それで、スウィンドンのタウン・ホールの小さな部屋を予約したのです。そこには、4トラックの録音設備があったのです。私たちの音響技師スティーブ・ウォーレンがコントロール・デスクに着いて、四曲を録音したのです。「 Life Begins at the Hop 」「 When You're near Me I have Difficulty」「 Cheap Perfume 」「 Outside World 」でした。それをヴァージン社のA&R 部門に送りました。会社は、コリンの「 Life Begins at the Hop 」を選びました。それが最もチャートで成功しそうだと考えたのです。
 予約されていたスタジオは、ロンドンのシェパーズ・ブッシュにあるヴァージン社の新しいタウンハウス・スタジオでした。私たちは、3月9日に、スタジオ1に出向いて、二日間でレコーディングをしたのです。そこで、初めて、制作者チームと会いました。24歳のスティーブ・リリーホワイト、彼は、ウルトラボックス Ultravox やスージーアンドザバンシーズ Siouxsie & The Banshees やメンバーズ The Members [ 1976年から活動したイギリスのパンク・バンド。79年にはヴァージン社からアルバムをリリース。メンバーには、スティーブ・リリーホワイトの兄弟のエイドリアン・リリーホワイト Adrian がドラムズとして参加していた。 ] と仕事をしたばかりでした、その彼がプロデューサーだったのです。それから、アドヴィジョン・スタジオ Advision Studios から移籍して来たばかりのヒュー・パジャムがエンジニアでした。彼らは、朗らかで親近感の持てるタイプでした。最初から、気が合ったのです。 
 セッションについては、覚えていることはあまりありません。ただ、それまで私が使ったことのあるどんなスタジオよりも遥かに豪華なスタジオだったと言うことは、覚えています。すべてがガラス張りのパネル。鮮やかな緑のカーペットが敷詰められている。全体が「新しさ」の雰囲気を醸し出していたのです。ドラムのブース、そこはライブ区画でもあるのですが、部屋の後ろ、ガラスの向こうに床を少し高く設えてありました。コントロール・ルームには、当時最高水準のソリッド・ステート・ロジック社( SSL )のレコーディング制御卓が据えられていて、膨大な数の外付けのエフェクト装置がありました。スティーブとヒューは、その時以上に幸せだったことはないのではないでしょうか。私が、「 Hop 」で弾いたリフは曲にモータウン風の感じを付けるものでした。ですから、澄み透ったパーカッシブな音が要ったのです。私たちは、私のフェンダー・ストラトキャスターを借りて来た銀パネルのフェンダー社のヴァイブロソニック・リヴァーブ・アンプ Fender Vibrosonic Reverb に繋ぐことに決めたのです。このアンプは、私が持ち込んで来たトレモラックス Tremolux よりも、ずっと澄んだ儚い感じの音が出たのです。私は、その結果に過度に興奮はしなかったのですが、私たちが使うことができた装備では望み得る最高のものだったでしょう。 
 写真撮影もありました。私がバンドと一緒にする初めての写真撮影です。ロンドンで3月12日月曜日に予定されていました。写真家は、ペニー・スミス Pennie Smith さんでした。彼女の週刊誌での黒っぽい写真を、私は何年も素晴らしいと思っていたのでした。その彼女が私の写真を撮るなんて思ってもいませんでした。そうして、私たちは、日曜日もスタジオに居たのですが、その時に、私の憧れのバンド、Dr.フィールグッド Dr. Feelgood に会いました。ドクターは、私たちの後、スタジオ1を使って、シングル「 As long as the Prince is Right 」を製作したのです。それに、私たちは、リー・ブリロー Lee Brilleaux [ Dr.・フィールグッドのシンガー ]さんと仲良くなったことも覚えています。アンディは、ジョッピー・メイヨ Gypie Mayo [ Dr.・フィールグッドのギタリスト ] にギター・ソロのヒントを貰っていました。 
 シングルは、編集されて完成しました。もう四曲をスウィンドンでデモを作り、次回作候補として、ヴァージン社に送りました。その四曲のデモから、私たちの飛躍となるシングル「 Making Plans for Nigel 」が生まれるのですが、それがリリースされるのは、数ヶ月後のことでした。その時点では、私は、まだ、XTC のステージには出ていませんでしたけれど、新しいシングルを喧伝するためのツアーはもう計画されていて、その中には私も含まれていたのです。21日間のツアーは、4月18日に、エセックスから始まりました。そして、アイルランドにも、マンチェスターのグラナダ・スタジオにも行きました。グラナダ・スタジオでは、ニュース番組『 What's on 』のために、新曲の当て振りの撮影もしたのです。このツアーは、バンドの他のメンバーにとっては、国中を回る辛い仕事のもう一つであったのですが、私にとっては、素晴らしい時だったのです。「 Life Begin at the Hop 」も含めて新曲四曲をステージのセット・リストに入れていました。後になって、新しいアルバムに入れられた曲です。もう三曲は、「 Outside World 」「 Roads Girdle the Globe 」「 Making Plans for Nigel 」でした。新しいメンバーになったバンドのレヴューは好評不評様々でした。それでも、私は確信がありました。もう少し頑張れば、もう少しギターが多い曲にすれば、きっと無視は出来ない存在になるだろうと思ったのです。 
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2015年01月28日

2014年のノート、コリン・モールディング

 『 Drums and Wires 』2014年サラウンド版に付けられたブックレットに掲載のノート。コリン・モールディングのもの。  





 みんながブリストル・テンプル・ミーズ駅で乗換えるようなことが、ぼくに起こったんだ。[ ブリストルの駅、ターミナルになっている。鉄道からバス、フェリーへの乗り換え地点。 ] ピューンと鳴るオルガンといっしょにバリーは出ていって、ギターの巨匠デイブが仲間になって、なんだかんだの挙句に、きみはとうとう本当のヒットを書いたんだよ!と言われてしまったんだ。魂がったよ。そんなこと、だれが予想しただろう? 曲は、ぼくから流れ出たんだけれどね。 

 とつぜん、ぼくがリードを歌って、バンドの最前に出たんだ。何だか変だったね。ぼくたちのビデオ全編に、ぼくがバンドの顔として出ているんだもの。リード・シンガーになるとね、ビデオでは、王女様にキスされるってことを知ったんだ、それはちょっといいね。アンディは、ぼくが鉄の手で統治するカリギュラだったと言っているけど ( 通常の勤務体制に戻る前の話しだけどね、 )、ぼくは、他でもない、慈悲深いクラウディウスだったと言いたいなあ。ぼくは、どうしようかなんて何も考えていなかったんだ。そんなこと出来ないよ。でも、続いている間、二年間だったけど、リード・シンガーなのを楽しんだよ、本当に、ワインを飲んだんだ、しっかりと。でも、今思うと、手綱は他に任せて、ぼくは、バンドの音をすこしでも良くする奴、て言う、ぼくに似つかわしい位置にいた方がしあわせだったんだ。 

 だけど、この時期に、バンドが次の段階に行くためには必要な土台がしっかりと出来たんだ。でも、ぼくは、バンドの中にいくつかの違った作歌のグループがあった方が、バンドが強力になるって、ほんとに思っている。モンティ・パイソンは、二つのグループがあったよね。ビートルズには、ジョージがいたでしょう。ぼくは、自分がリーダーのバンドを持ちたいと思ったことなんてないんだ。XTC が、ぼくのバンドだったんだよ。一人の作者が冷めかけたら、もう一人がそれを補う必要があるんだよね。だから、ぼくたちは、強力になったんだと思うんだ。 

 「私は見渡すかぎりの土地の王だ。[ 原文:" king of all I sueveyed "。これは、ウィリアム・クーパー William Cowper の『 The Solitude Of Alexander Selkirk 』 の中の行を使っての表現] 」と言うぼくの統治期間の間はずっと、バンドは、プロデューサーのスティーブ・リリーホワイトの行き届いた庇護の下にあったんだ。スティーブは、ぼくたちをミキシング・デスクに寄り掛からせてくれたし、とっても注意深く、スイッチを入れたり切ったりしたんだ。スティーブは XTC にとって、完璧なプロデューサーだった、と言う見方もあるよ。そうしなきゃいけないように仕向けるんだけど、独裁的ではないんだ。何か新しいアイデアが出て来ると、それにとっても熱心になるんだけれど、でも、バンドが成功する様にちょっとは注意してるんだ。音が爆発する様なやり方をするヒュー・パジャムと、直感的なやり方をするスティーブが成功するのに、必要なことと言えば、いい曲を扱うと言うことだけだったんだ。それで、たまたま、ぼくたちも、調子が出て来たところだったんだ。 
 とっても楽しい時間だっと覚えているよ。仲が良かったんだ。新しい仲間が出来て、僕らはみんな、元気がよくて、やる気満々だったんだ。 

 タウンハウスは、あの時、出来上がったばかりだったんだ。アンディとぼくが、数週間前に見た時には、スタジオ2は、まだ、針金だらけだった。でも、すぐに住みかになってしまった。ぼくの頭の中で、あの場所と結びついているものと言えば、何人かずつに別れていたグループのどれもがしていた、楽しい冗談、冷やかしあい、気晴し、嘲り笑い、そんなものだけど。忘れてはいけないのは、僕らの足跡を辿ってみれば、「ビッグ・ドラム・サウンド」を鍛造したのは、スタジオ2だって言うこと。
 あの時、僕たちがテープに録ったものと言うのは、後になってぼくたちがレコーディングの時にしていたことと較べれば、ずっとずっと、偶然に任されていたと思うんだ。そう言うやり方が、スタジオでのぼくらをずっと興奮気味にさせていたんだけど、当然、失敗は多過ぎで、いっぱいのアウトテイクが捨てられてしまったんだ。それで、録ったものを使えるか使えないかは、どうしても決めなくてはならなかったんだ、で、もし、使えないのなら、もう、次の曲に行くしかなかったんだ。そうそう、ぼくは、こうしたやり方が恋しいなあ、ある意味ではだけど。当時、レコーディングの費用が高額だったのは、疑いようもないのだから、どうしようとしているのかちゃんと分かってなければいけないのだけれど、でも、やっぱり、どうなるか分からないと言うのは楽しかったんだ。 

 あの時は、レコーディングの時、誰かが間違えると、ぼくたちは、はじめに戻って最初からやり直したんだよ。労を惜しまないことと言ったら、信じられないことだね。 
 それに、ぼくたちは、スタジオの中でしっかりと意思伝達が出来ていたんだ。たいていは、部屋の中で向かい合って、お互いを見ていたのだけれど。相手の手を見て、何をしようとしているのか分かったんだ。そのやりかただと、一緒に演奏するのがずっと容易になり、結合力を高まったんだ。とは言っても、自分が演奏を台無しにしてしまう奴にはなるんではないかと、少しは不安だったんだけど。録音されたテープから失敗部分を切り離すことは完全には出来なかったので、間違ったところをやり直すのは簡単ではないんだ。それで、誰かが間違えると、他の誰かが、「ああ、気にすんな、「赤ランプ恐怖症」なんだよ。」と言って、スタジオのドアの上でどこまでも照らしているライトを指差したんだ。他の言い方をすれば、ステージ恐怖症だけどね。 

 そうして、ぼくたちは、初めて全国ネットのテレビを経験した。『トップ・オブ・ザ・ポップス』とかそうした番組だけど。あれが、ある意味、始まりだったのではないかなあ。 
 あの時、ああ、あの時なんだ。ええと、、、 委員さんに手を振って合図されて門を通って、それから、BBCの楽屋に入って、それから、クリップボートを持ってそこらを歩き回っている女性から、「メイキャップをお願いします、」と言われて、それから、家族全員が家でテレビを見るってことになって。でも、その時、今、メイキャップしてるけど、これ以上よくなりはしないのに、と、ぼくは思ったんだ。
 チッコリー・チップ Chicory Tip [ 1967年から活動したイギリスのバンド。 ]とか、モット・ザ・フープルとか、スレイド Slade [ 1966年から活動したイギリスのバンド ] とか、それに、T・レックスとか、そんなバンドが出ていた番組、何年も自分が見ていた番組なんだ、なのに、突然、僕たちの番になったんだ。「ナイジェル」がそこに上がって行って、上がって上がって、止まらない様に思えたんだけど。とうとう、そこに行ったんだよ。僕たちの瞬間がやって来たんだ。ウェールズの山間の町々、労働者のクラブ、そんなところを回りに回って、実りの無い努力を延々して来て、突然に、すべてが、実を結んだんだ。ぼくは、とっても誇らしくて、泣き出しそうに感じたんだ。
 そうして、ぼくたちは初めてチャートに入ったんだ。『 D&W 』は、始まりだったんだ。ぼくは、このことを取るに足りないことだと、片付けてしまったりはしないよ。ぼくが思うところでは、ぼくたちが「ヘンテコ」というレッテルをとうとう剥がすことができた瞬間だったんだよ。ぼくは、ずっと、「ヘンテコ」というのを忘れてもらいたいと思っていたんだ。このアルバムは、ぼくたちがもっと成長して、大人になっていく、その始まりだったんだ。それ以来、とても長い旅は、まだ続いているけれど。 

2014年6月 
コリン・モールディング  
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2015年01月26日

2014年のノート、アンディ・パートリッッジ

 『 Drums and Wires 』2014年サラウンド版に付けられたブックレットに掲載のノート。アンディ・パートリッッジのもの。




 1979年。その年に、私たちは再び出発した。兎も角、そう感じたのだ。キーボード奏者で XTC「サウンド」の主要な要素を創り出していた、バリー・アンドリューズが、自分のオルガンを脇に抱えて、さっさと行進調でバンドから立ち去ったのは、少し前だった。その様子と言ったら、「 Statue of Liberty 」のプロモーション・ビデオの終わりのところ、そのままだった。寸分違わず、あのようにしたのだ、その様子が、私の記憶に焼き付けられている。とは言っても、彼が居なくなり、私たちには、別の奏者が直ぐにも必要だった。 
 私たちが知っている人物でなければならなかった。その時以前から親しくしている人物で、それも、調和出来て、その上、腕のいいミュージシャンでなければならなかったのだ。実際のところ、候補者は一人しか居なかった。それは、私たちの地元の男、デイブ・グレゴリーだった。私は、バリーがバンドを去る前どころか、彼がバンドに入る前から、デイブを知っていた。だから、そうなる他にはなかったのだ。 
 このレコードは、「ファースト・アルバム」と言う感じを持たせさせる。と言うのも、あの時、私たちは、真新しいスタジオ屋舎に入ったのだし、それも、新しいメンバーで新曲を携えてだったし、それに、まったく初めてのプロデューサーだったのだから。だから、私たちは、一刻も早く始めたがっていたのだ。デイブが本来キーボード奏者ではない、と言うことは問題ではなかった。私たちは、キーボード奏者を求めてはなかったのだ。彼は、素晴らしいギタリストで、スウィンドンでは経験豊かなミュージシャンだった。それに、私たちは、それが自分たちに合っているのだと分かっていた。XTC は、ギター三昧になろうとしていたのだ。ギターと新しく見出したドラムの大きな音、あの時、私たちは、それで、完全無欠な機械を創り出し、その機械を正しく作動させようとしていたのだ。 
 新しいプロデューサーは、彼がドラムとギターの音を良くすることが出来ると言うだけの理由で選ばれた。私は、ヴァージン社に、エルヴィスのシングル「 Jailhouse Rock 」の様な爆発するドラムの音を創り出せる方法を知っている者が要るのだと、要求していた。私たちは、その頃のバンドが皆んなしていたような、乾涸びた音、絨毯が敷かれた部屋での音から逃げ出さなくてはならなかった。当時、私は、スージー・アンド・ザ・バンシーズのレコードを聴いたことがあって、そのドラムズの音が気に入っていた。それは、私の頭の中にある音と近いものだったのだ。少し調べるだけで、スティーブ・リリーホワイトと言う名前が分かった。かれは、若くて、私たちと同じ年代の人間だった。スティーブは乗り気で、しかも、彼と同様に才能のあるエンジニアのヒュー・パジャムを伴って遣って来た。私たちは、彼らと新しいスタジオを一編に試してみることになった。コリンのシングルの候補になっていた「 Life Begins at the Hop 」をレコーディングしたのだ。
 オーディションには、全員が合格し、スタジオも何もかも検査を通った。さあ、アルバムを作ろうと言うことになった。 


タイトル、カバー・アート 

 バンドのグラフィックなデザインにも、新鮮な出発を思わさせるものが求められていた。最初の二枚のアルバムの白黒の拘束着を引き剥がすには、原色になると言うのが、取り得る唯一の道だった。 
 新発見の小舟が、ドスンドスン、ビィーンビィーン言いながら進んで行く様をどうにか思わせるようなタイトルでなければならないと、私たち全員が思っていた。けれども、ドスンドスンとビィーンビィーンの二つをどう繋げればいいのかは分からなかった。 
 当時、私とコリンは、まだ、子供マンガを読んでいた。習慣だったのだ。コリンは、アルバム『 White Music 』の時には、子供マンガを扱った歌まで作っていたのだ。そのタイトルは、「 Rage and Fury [ It's Only 6p ] 」。言うまでもなく、レコーディングされることはなかった。 
 兎に角、ある日、スタジオで雑誌『ビーノ』を読み耽っていた時のこと、私は、『わんぱくデニスとグナッシャー』にざっと目を通していたのだけれど、ある一コマが、私の目を捉えたのだ。それは、デニスの飼犬、グナッシャーがドラム・キットに座って強く叩いているところだった。グナッシャーの頭の上には、大きく擬音語が書かれていた。それは、「ブーム・ダダ・ブーム」だった。 
 ああ、それは完璧だった。色彩豊かだった。画面的にも直感に訴えるもので、すべてを要約しているタイトルになりそうだった。問題は、その絵の権利の所有者だった。それは、訴訟好きとの評判の、スコットランドのダンディーのDC トマソン社なのだった。私たちが何かし始める前から、答えは「ノー」だった。まったく。 
 それで、グナッシャーの絵の代わりにと、私は、それまでの数年間の間私たちが使っていた、走り書きした様な XTC の文字のロゴを元に、スケッチを始めたのだった。それは、裏地や肌を見せる為に洋服に施される切れ込みを図像上に施そうとしているものだった。そうすれば、現代的なものと古風なものが均等に見えるだろうと、私は思った。ちょうど、1920年代の香水の広告に窺える未来像の様な。色々と考えている内に、ほんの僅かのものを加えるだけで、この三つの文字は顔に見えると言う考えが閃いた。その顔は、急いで明日に逃去りながら、振り返って肩越しにこちらを見ているかの様だった。私たちはそれを選ぶつもりだったが、デニスとグナッシャーの色調を望んだのだ。 
 たいていはタウンハウス・スタジオの娯楽室でしていた会議を幾つか経た後、私たちは、美術担当のジル・マンフォードとアイデアを篩いにかけた。マンフォードは、マチスの作品『 Jazz 』に倣って、色紙の切り絵でロゴの顔を作ることに決定した。その遣り方だと、未来と過去が表裏一体の感じを出すことが出来ると思ったのだ。 
 バンドとヴァージン社は、出来映えに喜んだ。それに、アメリカのロッカー、トートーも喜んだのだ。トートーは、図々しくも、数年後にこのアイデアを盗用した。私たちのこのカバー・アートは、「ベスト・オブ・アルバム・スリーブ」と言う類いの本に、決まって取り上げられる。最終的には、視覚的に人の心を掴めて良かったと思う。 
 タイトルについては、アルバムは何であるのか、何から出来ているのかを言って、悪い理由があるだろうか、と思い至った。即ち、『 Drums and Wires 』。 
 追記:ロック・アンド・ロール名所巡りをする人たちへ。オリジナル・アルバムのインサイドの写真は、ロンドンのサウス・バンクにあるロイヤル・ナショナル・シアターのエレベーターの前で撮られたのだ。  


Jill Mumford ホームページ: http://www.jillmumford.co.uk 

アンリ・マティス『 Jazz 』: http://en.wikipedia.org/wiki/Jazz_(Henri_Matisse) 

ロイヤル・ナショナル・シアター : http://www.nationaltheatre.org.uk  
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2015年01月23日

ベルナール、パートリッジ対談「 Complicated Game 」10

ベルナール「終わりの部分についても話して下さい。」
パートリッジ「私はエコーの類いが好きなのです。終わりの部分で、ダブの雰囲気を出していますからね。」
ベルナール「ステージでも演奏していますよね、エコーに手子摺りながらですけれど。そうですよね。」
パートリッジ「ええ、その通りです。私が楽しみながら演奏していたのが、聴いても分かるでしょう。」
ベルナール「それで、貴方は、ダブ・ミュージックをかなりたくさん聴いていたのですね。同じことを、「 Scissor Man 」のステージ演奏でもしていますから。それは、EP版「 Love on a Farmboy's Wages 」に入っていて、「 Cut it Out 」と言う題名に変えられていますけれど。」
パートリッジ「ええ。それで、すぐ後に、アルバム『 Takeaway 』も出来たのです。使用した曲は、すべて、最初の三枚のアルバムのものです。」
ベルナール「でも、あのEPのB面の「 Cut it Out 」では、エコーとリズムを活かしてますし、スキャットもしていますよね、それは、この「 Complicated Game 」と同じです。」
パートリッジ「ええ、私はあの「 Cut it Out 」が好きなのですよ。と言うか、好きでした。今でも、エコーは重要だと考えています。それに、好きです。今日も、使用しなかった『 Monstrance 』の音源をミキシングしていたのですけれど…、」
ベルナール「モンスタランスでも、同様のことをしている箇所がありますね。注目点ですよ。幾つかの曲で、貴方は、自分と対峙して、とても美しい演奏をしているのです。」
パートリッジ「ありがとう。( 笑う ) 一人で好い演奏をしているのですね。」
ベルナール「( 笑いながら ) 違いますよ。貴方は、私が言った「 against 」の意味はお分かりの筈ですよ。」
[ 原文では、playing with oneself と言う言い方をしているので。with oneself を自分と共に、と言う意味と、自分ひとりで、と言う意味に使い分けてジョークにしている。]
パートリッジ「ええ。自分と共演するのですね。すごく好いものになりますね。」  



おわり  




誤訳、疑問点を指摘して下さると、助かります。
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2015年01月21日

ベルナール、パートリッジ対談「 Complicated Game 」9

ベルナール「そのことも話して下さい。私は、モールディングさんとチェンバースさんが作り出しているパターンが大好きなのです。」
パートリッジ「バス・ドラムですか? バス・ドラムのパターンは一般的なものではないですね。二人がどうやってあれを考え出したのかは、私は知りません。でも、この欠点だらけの感じの全部が私は好きなのです。」
ベルナール「それを、私も、指摘しようと思っていたのです。貴方は、もっと通常通りのものを期待していたのではありませんか。でも、あのつっかえるような感じが、曲を独特なものにしています。」
パートリッジ「一方で、テリーは、素敵なハイ・ハットを叩いているのです。ハイ・ハットは、ずっと同じで続きます。そのハイ・ハットの音は、私のプリング・オフのギターの様ですね。強く叩いてないのです。強く−柔らく、強く−柔らく、とするところを、ずっと、ん−ん−ん−ん−ん−ん、と叩いているのです。かなり機械的ですよね。でも、歌に合っているように思えます。そうして、テリーは、軽く叩くだけの二連打の素晴らしいバス・ドラムを入れているのです。」
ベルナール「一方、スネア・ドラムは、とても普通ですよね。モールディングさんとチェンバースさんのお二人は、リハーサルの時に考え出したのでしょうか、貴方は覚えていますか? それとも…、」
パートリッジ「いいえ、覚えてはいません。私たちが、外に出てサンドイッチを買うとかそんなことをしている間も、二人は一緒に考えているのです。そうでなければ、「おい、モールディング、俺と一緒に来い。」とテリーは言って、コリンを引っ張って行って、一緒に座るのです。実際、レコーディンの間、コリンは、たいていは、石造りの部屋にテリーと一緒に座っていました。それはですね、コリンは、足を見て、ドラムを感じ取るのが好きなのです。ベース・アンプは別の部屋に置かれているのです。それなのに、コリンは、テリーと一緒に居て、演奏をしたものなのです。」
ベルナール「当時、彼ら二人は、心底からのパートナーだったのですね。音楽上のパートナーのことですけれど。」
パートリッジ「ええ、ええ。固く結びついたプレイヤーでした。でも、リズム・セクションはそうでなければいけませんね。」
ベルナール「二人の間には、結束があったのですね。二人は、自分たちをバンドの中の一つのチームだと看做していたのですね。」
パートリッジ「その通りです。」
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2015年01月19日

ベルナール、パートリッジ対談「 Complicated Game 」8

ベルナール「ところで、そのグレゴリーさんなのですが、この曲では彼は何をしているのですか?」
パートリッジ「デイブは、この曲では、とっても大人しくしているのです。私のより1オクターブ低いものを弾いているのではないか知ら。」
ベルナール「グレゴリーさんも、プリング・オフをしているのですか? それとも、普通に弾いているのですか?」
パートリッジ「普通に弾いていると思いますよ。今日、レコードを聴いたのですけれどね。ミックスで、すっかり混合されてますね。デイブは、1オクターブ下を弾いているように感じました。デイブがキーボードを弾いたかどうかは、はっきり覚えていません。たぶん、弾いてないと思うのですけれど。」
ベルナール「ええ、私も、ギターだけのように聴こえます。」
パートリッジ「ひとつ、明かしましょうね。あのドローンの様な音は、コリンの電気シェーバーで作られたのです。コリンはシェーバーをスタジオに持って来ていて、そこでひげ剃りをしていたのだと思います。それで、「ああ! その音は、この曲の調性に近いのじゃない? それを使ったらどうだろう。」と言うことになったのだったかと思います。それで、コリンは、シェーバーを持ってヴォーカルの区画に入ったのです。それで、スタッフがマイクをセットしました。でも、テープの速度を少し変える必要はありました。少しだけ♭にしたり少しだけ♯にしたりして調整したのです。そうして、コリンのシェーバーを演奏させたのです。」
ベルナール「( 笑いながら ) 私はCDに記載されているクレジットで探しましたけれど、どこにも、モールディングさんの「シェーバー」はありませんでしたよ。」
パートリッジ「( 笑う ) その通りです。でも、コリンは、この曲ではシェーバーを演奏しているのです。ベースギターと同じくらいしっかりしていて、いい出来ですよ。」
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2015年01月16日

ベルナール、パートリッジ対談「 Complicated Game 」7

ベルナール「そうなのですか? でもどうしてなのですか? 何か意図があってのことなのですか?」
パートリッジ「意図があってそうしたのです。このソロ・ギターが曲を打ち抜けて行くようにしたい、と思ったのです。私は、どこかで、キャプテン・ビーフハードがアルバム『 Trout Mask 』でヘッドホンを着けずにヴォーカル・パートを録音した、と読んだことがあったのです。スタジオのスタッフは、コントロール・ルームから、ビーフハートに向けて、曲の始まりを合図して知らせたのです。その合図で、ビーフハートは歌い始めたのです。 
 キャプテンがそれで良かったのなら、私もそれでいいだろう、と思ったのです。それで、「ねえ、僕は、この曲でソロ・ギターを取りたいんだけど、他の伴奏を聴きたくないんだ。開始のところを合図して呉れないか。」と言ったのです。そうして、自分のアンプを11まで上げました。ギターをアンプに繋いで、MXR フランジャーを付けたのです。MXR は出力を絞ると、フランジ効果はしなくなるのですが、その代わりに、ギターの音の周囲に金属的な暈が掛かる感じになるのです。それで、私のこのギター・ソロが、基本的に、金属的な音になっている分けなのです。 
 それで、皆んながコントロール・ルームに居ました。プロデューサーのスティーブ・リリーホワイトが座っていて、バンドの他のメンバーは、リリーホワイトの後ろに腕組みをして立っていました。そうして、私を注視していたのです。リリーホワイトが合図をしました。「オーケイ」の様なものです。そうして、私は、この調性のない決まった拍のないソロをぶつけたのです。デイブは、大笑いしました。自分の足を叩いて、笑い転げたのです。」
ベルナール「でも、グレゴリーさんは貴方を嘲笑ったのでしょうか、彼はこのソロを気に入ったのではないのですか?」
パートリッジ「デイブはこのソロが好きでしたよ。それに、曲のテンポを分からないまま、一体全体どうなっているのか知らないまま、演奏すると言う私のアイデアを気に入っていました。私は、曲に対応してないのです。私は、ただ、「滅茶苦茶な雑音」を作っていただけなのです。それがソロ・パートになったのです。演奏し終えて、コントロール・ルームを見上げた時のことをよく覚えています。デイブは、ヒステリー状態でした。それで、上手くいったんだ、と、私は思ったのです。」
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2015年01月14日

ベルナール、パートリッジ対談「 Complicated Game 」6

ベルナール「私はCDでそうクレジットされているのを見たことがありません。ビニール盤でもありません。けれども、『 Drums and Wires 』のビニール盤は多くのヴァージョンがありますから。」
パートリッジ「私は、そのことを先週まで忘れていたのです。先週、私は、クリスマスの買い物をするので、バースに居たのです。それで、バースの大型書店ウォーターストーンズ Waterstones に行ったのです。『 History of New Wave and Punk 』と言う類いの本が少し置いてありました。そのうちの一冊は、「棚の次の本を買う前に貴方が聴いておくべき百曲」と言う類いの本でした。( 笑う ) それは、アルバムを扱った本でした。それで、私たちのアルバムも二枚が載せられていたのです。『 Skylarking 』と『 Drums and Wires 』だったと思います。ちょっと、立ち読みしてやろうと思ったのです。 
 私は、『 Drums and Wires 』のところを見てみたのです。記事の大部分は、「 Complicated Game 」がどれ程に素晴らしいかと言うことに費やされていました。そして、コリンがそれを書いて演じていることに驚嘆を禁じ得ないと書いてあったのです。私は、その瞬間まで、あの嫌な出来事を何年も忘れていたのです。ところが、その本の、何ページかあるその章は、事実上、コリンの「 Complicated Game 」は非常に卓越している、この様な曲は私は決して作らなかったし、コリンのような人に相応しい、と語っていたのです。」
ベルナール「( 訝しげにしながら ) それはとんでもない! 誰がその記事を書いたにしても、馬鹿げています。この曲は、明らかに、貴方の歌ですから。」
パートリッジ「ええ、ええ。けれども、私が言うように、何かの理由で、ヴァージン社は、この曲をコリンのものだと考えたのです。それで、そうクレジットされたのです。ですから、世界のあちこちには、その本の記事を書いた人のように、コリンの曲だと考えている人が、当然まだ居るのです。はあん、ふうん。」
ベルナール「( 笑いながら ) 信じられないです。可笑しいですよ。兎に角、私が思うのには、アルバム『 Drums and Wires 』での、貴方とモールディングさんの歌との間のコントラストはとてもはっきりしていますから。」
パートリッジ「ええ、私もそう思いますよ。私たち二人の間のコントラストは、アルバム『 Go 2 』から見て取れると思うのですけれどね。
 よし、と。私は何処にいるかと言えば、貴方は、この曲でのソロ・ギターが分かりますか?」
ベルナール「ええ、あれは貴方ですね、そうでしょう?」
パートリッジ「はい、そうです。伴奏のトラックを聴かずにソロ・ギターを弾いたのです。」  






 私は、イギリス版( おまけのEP付き ) を買ったのだけれど、クレジットは、コリン・ムールディングになっていた。当時、私は、声は違うようだから、別の人が売ったたのだろうけれど、曲調も『 Go 2 』の最後の「 I am the Audience 」に通じるようだし、ムールディングの曲だと思っていた。
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2015年01月12日

ベルナール、パートリッジ対談「 Complicated Game 」5

ベルナール「それで、歌詞は、そのコードから思い付いたのですか?」
パートリッジ「私はコードから歌詞が生まれた、と思っています。そのテンションに由来しているのです。それに、ちょっとした秘密があるのですけれど、それをどうしてもお知りになりたいのなら、お話ししましょう。私が、アルバム『 Big Express 』へ入れる歌を探していた時のことなのですが、その時には、ギターをオープンEのチューニングにしていたのですけれどね、この二つのコードを弾いてみたのです。そうして、「 This World Over 」が出来上がったのです。( 笑う ) 同じコードなのですよ。チューニングが違うだけなのです。」
ベルナール「( 笑いながら ) なる程。貴方が盗作をしようとする時には、自分の曲を盗むかもしれないのですね。」
パートリッジ「ええ。私は盗作されても平気です。( 笑う )」
ベルナール「それで、貴方は、その弦を引っ張って…、」
パートリッジ「それに、とても小さな自分に聞こえるだけの音で始める必要があります。途切れ途切れの囁きのような感じなのです。
 レコーディングの時、この歌はとても歌うのが難しいと気が付いたのです。実際、私の声は、ぼろぼろでした。」
ベルナール「それは、ツアーのためですか?」
パートリッジ「ツアーとリハーサルです。そのまま、スタジオに直行したのですから。そして、アルバムの曲を歌ったのです。何か病気に罹っていたかどうかは分かりません。でも、この曲を大きな声で歌おうと始めた時に、私の声は、割れてぼろぼろだったのです。」
ベルナール「でも、それはそれで、この歌にはぴったりの方法だったのでは、と、私は思うのですが。」
パートリッジ「その声は、破れかぶれのように聴こえさせますね。でも、それは、意図的ではないのです。私の声が本当に使い物にならなくなっていたからなのです。もう一度は歌えないだろうと私自身が思っている歌の一つですね。たぶん、使われているのは、一回目の録音か二回目の録音でしょう。でも、もう一度出来るとは思えませんね。とは言っても、貴方の言われる通り、虚しさと自暴自棄の感じを出させていますね。 
 私が怒り心頭に発したことはですね、アルバムが出た時に、この歌のクレジットが、コリンになっていたことなのです。」
ベルナール「本当ですか?」
パートリッジ「んんん、んんん。そうなのです。オリジナルのビニール盤です。それに、CDになっても、たぶん同じだったと…、」
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2015年01月09日

ベルナール、パートリッジ対談「 Complicated Game 」4

ベルナール「では、「 They were arrows in a very bad aim 」と言う行は、どう言う意味なのですか?」
パートリッジ「それはですね、マネージメント会社、レコード会社、それに、企業集団は、自分たちがしたいようにするのであって、アーティストがしたいようにするのではない、と言うことです。
 でも、この行は、上手くはいかなかったと思いました。「十分に言い尽くせてないぞ、後で書き直そう。」と考えていたのです。でも、結局そうしなかったのは、ご存知ですよね。」
ベルナール「歌の冒頭に話しを戻します。デモ・テイクのギターですが、掻き鳴らしていますよね。でも、完成されたレコードでは、タッピング奏法で弾いているように聞こえます。」
パートリッジ「「タップ・イントゥー・アメリカ」!!」[ モキュメンタリ―の『 This is Spinal Tap 』( 1984年 )のことか? ]
ベルナール「エディー・ヴァン・へイレン Eddie Van Halen になろうとしていたのですか?」
パートリッジ「( 笑う ) まさか、タッピングでなくて、栓を閉めるような仕方で弾いているのです。[ 原文は、 tap と faucet を使っている。faucet は、英国語では tap と同じ意味で使うので。 ] 素晴らしい音です。音の流れの栓を開けたり閉めたりするように、弦を撫でるのです。 
 そのテンションが好きなのです。弦を引っ張っているのです。叩いているのではないのです。」
ベルナール「本当ですか? 驚きました。」
パートリッジ「私の手が捉えられるだけの弦を全部引っ張っているのです[ プリング・オフ ]。たぶん、四本の弦です。この曲のコードを知りたい人には、私は、最初の二つのコードを教えることが出来ますよ。オクターブの所で、上の四弦を押さえるのです。基本的には、G6 ですね。」
ベルナール「オクターブと言うのは何でしょう? 第12フレットのことですか? あの、私がドラマーなのをお忘れないようにお願いします。」
パートリッジ「( 笑う ) そうです。それから、音を下げて行きます。E弦[ 6弦 ]とA弦[ 5弦 ]を押さえたまま、DとGの音の所まで下げるのです[ 10フレット? ]。上の四弦をバレー奏法で押さえたままなのですが、この二つの音は半音下がるのです。これがコードチェンジなのです。とてもいいテンションです。[ 原文:Then, a tone down, you cover the E string and the A string at the position so they register a D and a G. Then, you keep the barred top four strings the same, but move those two notes down a semi-tone. That's the change. 私にはこの説明が分かりません。半音の降下になっている? faucet することで半音下がるというのか? 10フレットではなくて、11フレットだと、D♯ーG♯で半音の降下になるので、そういうことか?]他のことをやろうとして、しくじってこれになったのです。でも、「ああ、これはとてもいい。それに、緊張感がある。好きだな。どっちつかずで緊張感がある。これは完璧だ。」と思ったのです。」
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2015年01月07日

ベルナール、パートリッジ対談「 Complicated Game 」3

ベルナール「それに、この歌では、循環論法が使ってあります、それも、私は好きなのです。最初は、語り手自身のことから始まって、女の子と彼女の髪のこと、友人の投票のこと、そして神のことになります。それで、次には誰が神に尋ねるのでしょう? 語り手なのですか? そうですね、語り手に戻って来ます。話しが進んでいるだけでなくて、環を廻って元に戻って来るのです。
 では、ブリッジ部分の歌詞について、話して下さい。」
パートリッジ「当時、私は、自分の音楽と言う職業にむなしさを感じていたのです。私はこの道に行きたかったのに、他の人たちが私をあの道に引っ張って行ったのです。そして、私はこれがしたかったのに、他の人たちは、「いや、いや、あれをしなくてはならない。」と言うのです。そのようになるとは考えていませんでした。それで、私は、「これは誰か別の人間に起こっていることなのか?」と思い出したのです。私の同時代人たち、彼らにも同じ様なことが起こっているのではないか知ら、と思ったのです。それで、二三の名前が必要になったのです。それも、短い名前が好かったのです。「よし、その名前の人物に「誰か」になって貰おう」と思ったのです。覚えていますよ、『メロディ・メーカー』誌を開くと、トム・ロビンソン Tom Robinson とジョー・ストラマー Joe Strummer の記事があったのです。 
 それで、「素晴らしいじゃないか、短い名前が二つある。トムとジョー、とても平凡に聞こえる。」と思ったのです。そうですね、ジョー・ソープとか、ジョー・パブリックとか、トム・トム・パイパーズ・サンとかですね。とても平凡な名前なのですよ。それで、「これでいいぞ、似た様な状況にある人たちだから。それに、彼らも同じ様な状況であちこちへと振り回されて失望しているだろうな。」と思ったのです。 
 それに、あの二人には変わった所もありますからね。ジョー・ストラマーは、中流家庭と言うより上流家庭の出で、パブリック・スクールを卒業していますし。コカインによる心臓発作で死んでいます。一方のトム・ロビンソンは、ゲイの活動家なのに、結婚もして子供も儲けているのですからね。」
ベルナール「それは、また、ややこしいゲームですねえ。」
パートリッジ「( 笑う ) 本当に。誰がそんなことを考えたでしょうねえ。その二人の人物を誰かが注目して、彼らのスナップ・ショットを撮っていたとしても、その写真が何処へ行くのか、彼らの背後の事情がどうなのか、彼らがどのように変わって行くのか、写真は結局彼らにとってどうなるのかなんて、考えなかったでしょうね。ああ、神様、複雑怪奇なゲームです。」
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2015年01月05日

ベルナール、パートリッジ対談「 Complicated Game 」2

ベルナール「なるほど。ですけれど、同時に、興味深いこともおっしゃいました。むなしさがのっぴきならないものだと言われました。」
パートリッジ「ええ。」
ベルナール「それはつまり、むなしさは、肯定的な役割があるということなのですか。」
パートリッジ「肯定的であることがあるでしょう。」
ベルナール「どのようにですか?」
パートリッジ「私たちは、何もかにもについて、考え過ぎること、いろいろとし過ぎることが、時々ありますよね。気持ちを楽にして、人生が私たちをなすままにしていれば、もっと良くなるだろうと、私は思うのです。そうしても、結局は、似た様な結果になるでしょう、それも、自分で自分の顔をひっきりなしに殴ることもないのですから。ですから、むなしさは、肯定的な役割をするのです。」
ベルナール「私は、この歌での、歌詞の作り方が好きです。」
パートリッジ「歌詞は、ほんとうに些細な事柄から作られています。指をここに置くか、あそこに置くか、と言った様な、取るに足りない様な物事ですよね。私が言いたかったのは、中国で蝶々がくしゃみをすると、様々なことが継起して最後には、チリでハリケーンが起こる、と言う様なことなのです。[ バタフライ効果 ] この曲で、私たちは、フラクタルの世界へと入り込んだわけですよ。( 笑う ) 本の小さな行動がどれだけ重要な結果をもららすか、自分では知りようもないと言うことなのです。それがとんでもない重要なことになるのか、まったく無益になるのか? 分からないのですよ。投票用紙に付けるちっちゃな丸、右派にすべきだったのか左派にすべきだったのか? この人物にすべきだったのか、あの人物にすべきだったのか、分からないのです。 
 そうですね、あの当時、私はむなしさを感じ始めていたのだと思います。バンドに居て、ツアー行程からは抜け出せなくて、それに、自分の活動予定にいっさい関われないでいる、と言うことに関係があるに違いないでしょうね。実際、自分が何をするかについて、私は何の指示も出せなかったのですから。」
ベルナール「それは興味深いですね。あの当時だと、バンドは上向きの軌道を…、」
パートリッジ「ええ、一般的な認識では、上向き軌道ですよ。」
ベルナール「けれども、貴方は、ベールの下に気が付き始めていたのですね。」
パートリッジ「私はですね、汚い覆いの下を見てしまう傾向にあるのです。それに、覆いの下にある不潔なものもですね。そうですね、「僕はこの踏み車から降りることができない。誰も踏み車から僕を降ろしてくれないんだ。」と言う感じでした。それで、私は、むなしさを感じ始めていたのです。自分の小さな手の動きにむなしさを覚えました。それに、髪の毛が無くなっていくことに。それに、選挙にもむなしさを感じていましたし、神や宗教にもむなしさを感じ始めていました。「僕が関係するかどうかなんて、どうでもいいんだ。物事は何かほかのことで変わって行くんだ。誰かが変えるんだ!」と思ってしまったのです。むなしさと人間の持つ気分の相互作用で起こるメニスカスの所為ではなかったかと、今では思いますね。[ メニスカス meniscus : 液体とそれを入れる容器の間で起こる表面張力に依って、液体の表面が三日月型に彎曲する現象。 ]」
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2014年12月26日

ベルナール、パートリッジ対談「 Complicated Game 」1

 アンディ・パートリッッジとトッド・ベルナール Todd Bernhardt さんの対談、「 Complicated Game 」について。
 2008年1月6日にMySpace に公開のもの。MySpace にはもうありません。今は、チョークヒルのアーカイブにあります。 
Chalkhills: XTCFans: Andy's Take: "Complicated Game"  





ベルナール「さて、この曲についてですけれど、『 Fuzzy Warbles 1 』にデモ・テイクがあります。それから始めましょう。それは、大体、貴方の歌とエレクトリック・ギターだけです。歌詞は、もぐもぐ言っているだけで、まだ作っている最中のようです。メロディ・ラインは、既に出来ています。ギターのパートもほとんど出来ています。でも、ブリッジ部分は違っています。デモ・テイクは、ほぼ全曲が出来ているようです。貴方は、歌の構造は出来上がっていると考えたので、それを録音しておこうと思われたのですね。」
パートリッジ「ええ、それに、この歌には、フォーク調のところがありますね。ディラン・エスキュです。何と言うか、フィタル・ディラン Fetal Dylan の曲のようですね。そんな名前のバンドはありませんでしたけど。」
ベルナール「パンク・バンドには、うってつけの名前です!」
パートリッジ「( 笑いながら ) フィタル・ディラン! 映画では、誰がその役を演じれば良いでしょうね? 思いもしない誰かですよ。フィタル・ディラン役:Mr.ティー!」
ベルナール「( 笑いながら ) 歌詞に注意をしてみますと、まだ、作っている最中なのですね。けれども、各行の終わりに「 left 」と「 right 」と言う語を使いたがっているのは分かります。それに、「 same 」と「 complicated geme 」と言う語もです。詩をどうすべきかは分かっているのですね。」
パートリッジ「これが私の調査研究の仕方なのですよ、お分かりでしょうけれど。」
ベルナール「ちょっと先に進んで、ブリッジ部分の話しをしましょう。スタジオ版と較べると、長調で、とても楽しげです。」
パートリッジ「ええ、他の部分も長調なのですけれど、緊張感がある様に、音に間隔を置いているのです。例えば、AとFの音では、緊張感があるでしょう。ニルヴァーナ [ 1965年から活動していたイギリスのプログレッシブ・バンドではなく、1987年から活動していたアメリカのオルタナティブ・バンドなのだと。 ] がよく使っているものですね。 
 私は、あの時、この歌がどうして出て来たのかを考えていたのです。どうしようもないむなしさについての歌です。むなしさと言うものが、どれほどに強力でのっぴきならないものかと言う歌です。」
ベルナール「どう言う意味ですか?」
パートリッジ「私たちの生活の大部分、むしろ、本当の所、全部なのでしょうけれど、自身が携わることが出来ないものに制御されているのです。私たちは、自分たちが携わっていると思っています、でも、それは、自分自身をそう思う様に騙しているのです。」
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2014年12月24日

ベルナール、パートリッジ対談「 Scissor Man 」8

ベルナール「もう一つ伺いたいことがあるのです。一つ一つのヴァージョンを順を追って聴いていくと、貴方は、歌詞をだんだんはっきりと発音しなくなっているように思えるのですけれど、どうなのでしょう?」
パートリッジ「ああ、あまり重要なことではないと思います。聴衆は歌を知っているのですから。ですから、歌を解体して楽しむことが大切なのです。そうです、解体して、何か新しいものを創り出そうとするのです。 
 私が出す声は、パーカッション的なノイズ、あるいは、キャッと言ったりキーと言ったりするだけになりました。あれは、「アンディの楽しみ」だったのです。楽しみがなかったら、私は、もっと早くにツアーを止めていたでしょうね。自分自身の為の楽しみを持たなければならないのです。聴衆は歌を知っています。聴衆は、私がジュリー・アンドリュースの様に歌うのを望んではいませんよ。( 笑う )」
ベルナール「( 笑いながら ) でもですね、貴方がジュリー・アンドリュースが歌うことを念頭に置いたら、いいアレンジが出来たかもしれませんね。」
パートリッジ「( 笑いながら ) 何と言うか、それを聴いてみたいですねえ。」 


おわり  




誤訳、疑問点を指摘して下さると、助かります。
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2014年12月22日

ベルナール、パートリッジ対談「 Scissor Man 」7

ベルナール「この曲は、アルバム・ヴァージョンでは、ステレオの分離度がすさまじいですね。」
パートリッジ「ヘッドホンで聴けば、私は左側で弾いています。デイブは右側。それから、デイブのギターには、スラップバック・エコー [ ディレイ ] が少し使ってあると思います。そのエコーで、デイブの音像は立体音響空間全体に投射されているのです。」
ベルナール「ドラムズに関しては、ハイハットは右チャンネルだけの様に思えます。」
パートリッジ「ずっと右です。そうなんです。それに気が付いて、奇妙だと思ったのです。あの頃は、私は、ミキシングとかそういうことには、あまり、注意を払ってはいなかったのです。年を経るごとに、どんどんと、スタジオにいることに魅了されて行ったのです。今、「これはまあ、ハイハットをずっと右にして置くと言うのは、なんて急進的なんだ、」と思っていますよ。 
 覚え書きがあります。そこには、「バリー・アンドリューズのXTC がこの曲を演奏するのをどうしても聴いてみたかった。」と書いてあるのです。」
ベルナール「ほんとにそうですね。」
パートリッジ「この曲は、もしかしたら、ずっと頭の中にあったのではないかと思うのです。バリーがバンドを去る前に、出来上がってたのではないかと思うのです。」
ベルナール「それで、何時この曲を書かれたかを、私は尋ねたのです。けれども、冒頭に、貴方は、後になって出来た歌だと思うと言われました。けれども、今言われた、バリー・アンドリューズのことを考えると、もっと前に書いたのだと思われませんか?」
パートリッジ「そこなのですよ。私は、自己矛盾しているのです。」
ベルナール「( 笑いながら ) ハハ! 分かりました。」
パートリッジ「私のことが分かったのですね。私は、よく間違えるのです。もっと前にだったのか、後にだったのか、まるで、思い出せないのです。前か後かと言えるのは、たぶん、この二三週間に起こった出来事についてだけでしょう。」
ベルナール「ええ、そうですね。ところで、アルバムについての話しに戻りますが、アルバム制作には、僅かの時間しか与えられなかったのですよね。」
パートリッジ「ええ。「さて。ツアーは終わった。当社は、君らには、五週間後にスタジオが取ってある。だから、三週間で曲を書いて、10日間リハーサルをして、スタジオに来なくてはならないからな。」と言うことでした。」
[ 『 Go 2 』のツアーは、1979年5月14日、ドーセットでのステージが最後。バリー・アンドリューズは、1月の合衆国・カナダ・ツアーでバンドを辞めて、カナダのアルバータでのステージが最後。デイブ・グレゴリーは、4月18日からのイギリス・アイルランド・ツアーから参加。レコーディングは、まず、「 Life begins at the Hop 」が3月10日に行われている。その後、6月7日から9日に「 Making plans for Nigel 」。アルバムは、6月18日から30日の間にレコーディング。 ]
ベルナール「それでは、この歌を実際に製作する前には、一ヶ月程、この歌をギターでいろいろと試してみたかも知れないのですね。」
パートリッジ「たぶんそうですね。それに、この曲は、スタジオではあっという間に済まされたのです。アルバム『ドラムズアンドワイアーズ』では、「がんばれナイジェル」にほとんどの時間を費やしたのです。三分の一の時間を使いました。残った二週間か三週間を残りの曲の為に使ったのです。そして、二週間をミックスに使いました。
 ですから、早く書いていたとしても、一週目か、二週目か、三週目かの違いだけだと思います。今から見れば、その時間は短縮されて、もう一緒くたですね。」
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2014年12月19日

ベルナール、パートリッジ対談「 Scissor Man 」6

ベルナール「 ヘッドホンでと質問したのは、ハーモナイザーのような装置を使う際、時には、そのことが、演奏に何か新しいものを引き起こすことがあるからです。例えば、俳優であれば、役をずっと練習して来た後であっても、メーキャップをして衣装を着けると、人格が変わってしまうものです。突然に、そうした装置が新しい段階に待ち上げてしまうのではないかと思うのです。」
パートリッジ「貴方の言われることは分かります。けれども、この曲の場合は、そうではありませんでした。ミキシングの時に、装置が使われたのです。と言うのはですね、音がまるっきり消されている箇所も二三あるのです。そのようなことは、どれも、コントロール・デスクの上で行われたことなのです。」
ベルナール「終わりの部分ですけれど、3分40秒前の辺りです。私には、一旦、ドラムが止まっているように思えます。そして直ぐに戻って来ますけれど、その時には、キック・ドラムに、何かのエフェクトが使われているように思えます。それがキックドラムの音から離れないのです。」
パートリッジ「たぶん、リヴァーブだと思います。気が付いていました。今朝、レコードを再生してヘッドホンで聴いたのです。ベースはリヴァーブがかかっています。一般的ではないですね、まったく。一般的には、リヴァーブは、ミックスに翳りを与えるものです。でも、コリンのするスライドやその他のことは、ちゃんと聴こえるでしょう。リヴァーブの中に入れられているのにね。まるで、リヴァーブを脱ぎ捨てたようです。 
 あの頃の私は、ダブ的なものへの興味が覚めかけていたのだと思います。『 Drums and Wires 』の曲を何曲か持ち込んで、アルバム『 Takeaway 』を作りました。それで、私のダブへの欲求は満たされたのでしょう。「よおし、もうこれからは、ダブのまわりをうろつかなくてもいいぞ。」と思ったのです。そうですね、この「 Scissor man 」は、私のダブへの耽溺の時代に於ける、丘の上の舟なのでしょうね。」
ベルナール「曲のほとんどの部分を通じて鳴っている、深いベースの音のことも教えて下さい。あれは、何で作ってあるのですか?」
パートリッジ「ああ、あれは、ミニコルグ氏です。私たちの小さなコルグ・シンセサイザーは、大抵、スタジオのミキシング・デスクの左の棚に置いてあったのです。いつも置きっ放しだったのです。それで、誰かが、ギターやベースやドラムズでは出せない音を思い付いたら、「さあ、コルグを出して。どう言う音か説明してみてくれ。」と言うことになったのです。それで、あの深い鳴り響く様なオクターブ低い音が出来たのです。」
ベルナール「ステージでは、グレゴリーさんがそれを上手く出していました。それで、キーボードのパートの高い音を出しているのと、同じ機種だと思うのですが?」
パートリッジ「ああ、口笛のような音のですね、そうです。小さな小言を言う様な音ですね。まるで、何か罵っているスプートニクのような音です。( 笑う ) ご機嫌の悪いスプートニクです。」
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2014年12月17日

ベルナール、パートリッジ対談「 Scissor Man 」5

ベルナール「仰ることは分かります。では、ベースとドラムのパートについても話して下さい。パートのすべてに亘って、モールディングさんとチェンバースさんとご一緒に考えられたかどうか、覚えていますか?」
パートリッジ「すみませんね、ほとんど覚えていません。あのドスン・ボン・チャ、をどうやって考え出したのか分からないのです。そうですねえ、このことは、貴方と前に話しましたけれど、コリンとテリーはテレパシーの様なものを持っていたのです。お互いが、テレパシーを発して、それを受け取るのです。それで、この曲のアレンジメントは、そんなテレパシーの泡がブクブク沸き立って、水面まで昇って行ったと言うものなのだと思います。」
ベルナール「本当に素晴らしいものがあります。例えば、モールディングさんのスライド、それに、コリンさんとチェンバースさんが一緒に強勢を置くちょっとしたアクセント。貴方の言われる通り、素晴らしい「鍔迫り合い」があります。[ 原文は、push and pull なので、意味が違うかもしれません。 ]」
パートリッジ「とても風変わりなドラム・パターンです。このドラム・パターンを演奏したことがありますか? とっても妙ちくりんです。」
ベルナール「ええ、全くその通りです。私は、テリー・チェンバースさんが出来たことは私にも出来ると思いますから、「 Cut it Out 」も演奏出来るでしょう。「 Cut it Out 」は、たぶん、 XTC のヴァージョンの中で、もっと速いものだと思います。けれども、チェンバースさんには、いつも、その正確さと持久力で驚かされるのです。あの速度を保つことは、とても辛いものです。技術的なことは特にはないのです。けれども、チェンバースさんがしている様な遣り方で、あれを正確に演奏するのは、簡単ではありません。」
パートリッジ「ああ、私は、「 Cut it out 」を、もう何年も聴いていないのですよ。」
ベルナール「そうですか、チェンバースさんは、「 Living through Another Cuba 」と同じハイ・ハットのパターンを叩いています。それに、アクセントにロート・トムを叩いています。猛烈なバス・ドラムと一緒に…、」
パートリッジ「ああ、あのバス・ドラムのパターンは、何と言うのでしょうかね。ディスコのようなパターンなのですけれど。でも、少し、ジャマイカ的な感じもあるのです。何と言っていたか、思い出せません。アンビエント・ステップ・ビリー Ambient Step a billy だったか知ら。( 笑う ) 兎も角、床には、四つのバス・ドラムがありました。」
ベルナール「( 笑いながら ) そうでしょうね。」
パートリッジ「この曲は、私たちがスタジオでは急拵えで仕上げたものですけれど、ステージでは、モンスターに成長して行きました。プロデューサーのスティーブ・リリーホワイトが「これに使える機械があるのだけれど、知っているかい?」と言ったのです。イーブンタイド Eventide 社のハーモナイザーのことでした。[ デヴィッド・ボウイやフランク・ザッパも使っていた、H910 Harmonizer のことか。 ]  
 スティーブが、「テリー、ちょっと、シンバルを叩いてみてくれないか?」と言い、テリーが叩きました。すると、スティーブは、シンバルの音が段々と小さくなって行く所で、ハーモナイザーの摘みを回したのです。そうして、テリーがやった、あのシンバルの凄まじい音が出来たのです。シンバルの音には、このハーモナイザーが当てられ、音を変えられたのです。」
ベルナール「チェンバースさんはそれが気に入っていたのでしょうね。」
パートリッジ「テリーはそれが好きだったと思いますよ。スティーブ・リリーホワイトは好きでした。まるで、今週のエフェクトはこれです、と言う感じでした。「僕らが発見したこの新効果を聴いてみろよ!」と言う感じでしたね。」
ベルナール「そうなのですか。それで、レコーディングの時には、そうした効果をヘッドホンで聴きながらレコーディングしたのですか? それとも、レコーディングが終わったものに、あとから、効果を適用したのですか?」
パートリッジ「たぶん、後になって、摘みを回したのだと思いますよ。ミキシング作業中に、機械を使用出来るようにしなければなりませんでしたから。ステージでは、ハーモナイザーをセット出来たとは思わないのですけれど。どうするのか、スタッフは全然知らなかったのですから。それでも、私たちは、この曲をステージで演奏したのです。ほとんど即興でしたからね。アルバムのは、とても不器用な即興ですけれどね。」
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2014年12月15日

ベルナール、パートリッジ対談「 Scissor Man 」4

ベルナール「それでは、話しをスタジオでのことに戻しましょう。この曲は、きっと、皆んなで一緒にアレンジをしたのでしょうね。」
パートリッジ「ええ。私には、この歌は、まるでゴシック的な機械に聞こえますけれどね。ティム・バートン Tim Burton の様な人が作ったものですよ。あの人がティム・バートンになる前の、ティム・バートンですねえ。( 笑う ) ちょっぴり悪魔的なオルゴールか何かですね。 
 この曲を演奏している時には、私たちは、いつも巫山戯ていました。あのモチーフとコードには、昔風のシチュエーション・コメディーの安っぽいオープニングの様なところがあるのです。そうですね、「リヴィングのドアが開く」時のコードですよ。モチーフは音が下降するのは分かりますよね。それで、降り切った時には、メジャーコードになるのです。これを、ステージの最後に使っていました。本当に、安っぽい、シチュエーション・コメディーの感じになるのです。 
 それに、風変わりな、ギルバート・サリヴァンのような転調もあるのです。( 半オペラ的な歌い方でメロディを歌う。 ) どうです、暗いミュージカルか何かの様でしょう。 
 私たちが作ったなかでは、一番に馬鹿馬鹿しい歌だと思いますね。」
ベルナール「( 笑う ) これは言っておきましょう。今朝、この歌をプレイヤーで聴いたのですけれど、特にラジオ1のヴァージョンですけれど、私は、大いに破顔しました。そして、「これだから、ぼくは彼らが好きなんだよなあ。」と思ったのです。おそらくですが、貴方はとても楽しかったのではないでしょうか。演奏は、とてもきつくて…、」
パートリッジ「演奏するのは楽しかったですよ。そうですね、なんだか、機械の様だったのです。各メンバーのパートは、小さなオルゴールの歯車の様でした。悪党が当然受ける罰のお話しと言うオルゴールですね。」
ベルナール「そうですか。それでは、貴方がこの歌をバンドに持ち込んだ時には、どれくらい出来上がっていたのですか? ギターのパートは考え出されていたのですか? 」
パートリッジ「私は、ギターと歌唱をしていました。自分でトレーニングをしたのです。それが身に付くと、手がひとりでにピクンと動くようになるのです。だから、あの頃のものの大部分を今でも弾けるのです。筋肉が覚えているのです。 
 もし、イロハのイから学ばなければならないとしたら、たぶん、「何てことをしてるんだ? 難しいなあ、」と言うことになっていたでしょうね。でも、私はずっとそんなことには構わなかったのです。筋肉の記憶に任せていたのです。筋肉の反応が、走句と和音を一緒にしてしまっていたのです。 
 ですからね、この曲を最初にバンドに持ち込んだ時には、私は他のメンバーの様でなくて良かったな、と思うのです。皆んなは、「何だよこれは! これをどうやって覚えるって言うんだ?」と思ったのに違いないですよ。」
ベルナール「( 笑う ) ですけれど、グレゴリーさんは、この挑戦を楽しんでいたように聴こえるのですが。」
パートリッジ「どうして、貴方にそれが分かるのか知ら? この曲は、デイブがそれまでディーン・ガバー・アンド・ザ・ギャバジネスで楽しく演奏していた、ザ・イージービーツ The Easybeats の「 Friday on my Mind 」とは100万マイルも離れていますけれど。」
[ The Easybeats : 1964年から1969年の間活動した、オーストラリアのバンド。「 Friday on my Mind 」は、1966年に世界的なヒットになった。 ]
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2014年12月12日

ベルナール、パートリッジ対談「 Scissor Man 」3

パートリッジ「ステージで演奏している時は、レコードよりも長い時間をかけてました。」
ベルナール「それから、『 Radio 1 Live in Concert 』では、もっと速く長くなっています。それに、私は、EP版の「 Love on Farmboy's Wages 」も持っているのですが、それには、他のライブの…、」
パートリッジ「それは、「 Cut It Out 」ですね。」
ベルナール「そうです。「 Scissor Man 」の本歌に引き続いての、それを元にしたジャム演奏をしたものなのですね。」
パートリッジ「重要な石炭小屋が「 Scissor Man 」に繋げられていたのです。ダブの部分ですね。それは、大きく長くなって、ステージでは、なくてはならない部分になったのです。本歌の影をまるっきり薄くさせてしまいました。本歌は、この「 Cut It Out 」の正面入口に繋がる小さな通路にになってしまったのです。本歌はエントランス・ホールなのです。そこを通り抜けると、「 Cut It Out 」と言う、ダブの、アルバート・ホールがあるのです。 
 ですから、聴衆は、最初の二分をさっさとやり過ごして、九分の終わりの部分を聴くことになるのです。その部分は、私がステージで楽しみにしていたものです。そのようなものは、一つか二つしかありませんでしたけれど。その、滅多にない私のステージでの楽しみが、「 Scissor Man 」のダブ部分だったのです。毎晩、違っていましたからね。」
ベルナール「でも、基本的な構造はありますよね。ベース・ラインとドラムズは、大体同じです。貴方とグレゴリーさんは、毎晩違うことをしていたのですか?」
パートリッジ「ええ。私とデイブは、抜きつ抜かれつというようにしようと努めていました。テリーはですね、私たちの中では、即興をしようとしない演奏者だったのです。彼は、「プログラム」されることが、どうしても必要ですからね。それで、テリーは「プログラム」されたのです。幾晩かは、あのビートと、あまり活発でないもの、小さな音のスネア、ティンバレス、それから、規則的なバス・ドラムの合間の不規則な位置で鳴らされる荒っぽいシンバル、を「プログラム」されたので、リラックスして演奏していたのです。 
 「 Cut It Out 」は、こうして、結局は、ステージでの私たちの為のものになっていったのです。それを私は楽しみにしていました。その間には、ちょっとだけ、飛んで行けるのです。」
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2014年12月10日

ベルナール、パートリッジ対談「 Scissor Man 」2

ベルナール「そうですか、『 White Music 』『 Go 2 』の時期に、バンドがしていた、外見上の意匠を考えると、今のお話はとても興味深いです。」
パートリッジ「その通りですね。あの頃、すべてについて、絵文字を作り出そうと言うつもりでいたのです。」
ベルナール「それから、『 Drums and Wires 』では、原色に移行して行ったのですね。」
パートリッジ「ええ、この歌は、白黒の道徳的な見方を表現していた歌の最後のものなのでしょうね。 
 ディッコをお読みになれば分かると思うのですが、彼の作品には、全体主義的なものがあるのです。アメリカで言う「 My way or the High way. [ 俺の言うことが気に入らないなら、とっとと失せろ。 ] 」ですね。でも、それが私の好みだったのを今でも覚えていますよ。曖昧なグレー・ゾーンは無かったのです。私にとって他人は、肯か否かのどちらかだけだったのです。」
ベルナール「なる程、そうした見方で、貴方は、明快さを得られていたのですね。」
パートリッジ「そうですね。「明快な見方」ですね。なんだか、「右翼のラジオ」のようですね。( 笑う ) でも、右翼とは限らないのですよ。変ですねえ。右翼に限ったことではないのです。左翼でもあり得ます。中道でもあり得ます。何でもそうですよ。私は、今では、自分を中間派だと思っていますけれどね。支点ですかね! なんて愚かな支点なのでしょうね、この私は。( 笑う )」
ベルナール「( 笑う ) ところで、この歌、アルバム『 Drums and Wires 』のために歌を書いていた時期に出来たものなのですか、それとも、もっと早く出来ていたのですか?」
パートリッジ「それなのですが、覚えていません。でも、遅くになって出来たものだと思います。と言うのはですね、これをアルバムに入れた後になって、私たち XTC は、ステージでの演奏を始めていますから。アルバムの後になって、この歌は、良くなって行ったのです。 
 始めてから、演奏は、どんどん速くなって行きました。異常ですよ。デイブはきっとそれを滑稽だと思っていたに違いありません。けれども、デイブは、夜ごとに、速くなっていきました。それに、私たちに、もっと速く出来るなら、してみろと言わんばかりだったのです。デイブが、まず、パターンを弾き始めるのです。たぶん、デイブの顔に悪魔的な微笑みが差しているのが、聴視者の皆さんにも分かるのではないか知ら。「この速さだ、お前ら! 俺は始めたぜ、俺について来れるか?」と言う感じでしたよ。 ( 笑う )  
 実際、この歌は、ステージで成長しました。特に終わりの部分がです。終わりの部分は、レコードのものは、ほとんど、スタジオで思い付いて作ったのです。「そうだ、エンディングは、ダブの様にしない?」とか言って作ったのです。 
 今日、これをレコードで聴いて、思ったのですけれど。その終わりの部分は、もやもやして中途半端ですね。でも、ステージでは、まるっきり変わって、モンスターになったのです。だって、私たちは、ステージでは、この終わりの部分だけを、五分から十分もたっぷりと演奏したのですから。( 笑う )」
ベルナール「ええ、今日、私は、三種類の演奏を聴いて来ました。まずは、もちろん、スタジオのもの、それから、BBC でのもの、これは、『 Rag and Bone Buffet 』に入っていますね、それは速く…、」
パートリッジ「あれは、アルバムのものより良いだろうと、思いますよ。」
ベルナール「貴方がそう考えられるのは、尤ものことだと、私も思います。すべてが成長しています。アルバムでより以上に楽しんでいるように聞こえます。」
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2014年12月08日

ベルナール、パートリッジ対談「 Scissor Man 」1

 アンディ・パートリッッジとトッド・ベルナール Todd Bernhardt さんの対談、「 Scissor Man 」について。
 2009年8月30日にMySpace に公開のもの。MySpace にはもうありません。今は、チョークヒルのアーカイブにあります。 
Chalkhills: XTCFans: Andy's Take: Andy discusses "Scissor Man"  





ベルナール「「 Scissor Man 」について話して下さい。私は、歌詞についてからお話を初めて欲しいのですけれど。少し暗いですね。」
パートリッジ「私は、大人向けの教訓話しのようなものを作りたかったのです。」
ベルナール「何かきっかけがあったのですか?」
パートリッジ「『 Struwwelpeter もじゃもじゃペーター 』です。ご存知ですか? 髪も伸ばしほうだい、爪も伸ばしほうだい、いつでも無作法にしか振る舞わない子供の話しです。それで、一組の鋏を持った人物が遣って来るのです。それで、話しをかいつまめば、その人物が、ペーターの指を切り落とすのです。そして、辺り一面に血が飛び散って、めでたしめでたし、です。」
ベルナール「子供たちがお上品になるように、親が話して聞かせる説話ですね。」
パートリッジ「そうです。おっかない話しですよ。ペーターは、爪を手入れしてもらったのではなくて、指を切り落とされたのですからね。」
ベルナール「「ペーターは、もう、爪のことは気にしませんでした、とさ。」」
パートリッジ「( 笑い ) それの大人版があればどうだろうと思い付いて、悦に入っていたのです。馬鹿なことをしていると、誰かが遣って来て罰するというものですね。歌詞の中では、暗に仄めかしているだけですけれど、この歌を書いた時には、その思い付きが始まりだったのです。それに、とても暗い、ゴシック的な『もじゃもじゃペーター』への私の愛着があったのです。この話しは、たくさんのパロディも生んでいます。第二次世界大戦中には、『もじゃもじゃヒトラー Struwwelhitler 』と言うもあったでしょう。[ 1941年にイギリスで出版された。 ] それは、インターネットで見つかると思いますよ。私は見たことがあります。四方八方に髪を伸ばしたアドルフです。そして、当然の報いを受けるのです。」
ベルナール「それでは、貴方の実生活上で、この歌の契機になるようなことがあったのですか?」
パートリッジ「そうですねえ、当時、私は、道徳的になろうとしていたのですよ。道徳的自警団のようになりかけていたのでしょうね。ですから、『 Takeway 』の中の「 New Broom 」の様なものも思い付いていました。と言うのは、スティーブ・ディッコ Steve Ditko のコミック作品『 Mr.A 』を読んでいたのです。あの当時のグラフィック・ノヴェルと呼ばれていた諸作品がとても道徳的だったと言う良い例の一つです。私は、そうした作品には曖昧なグレー・ゾーンがないことが好きだったのです。白か黒しかないのです。善人か悪人かだけなのです。もちろん、その様なのは、馬鹿げた見方です。誰にでも、グレーの影、茶色、カーキ色の部分がありますからね。でも、当時は、そうした善と悪と言う見方が、世界をはっきりと分からせると思っていたのでしょう。あの当時の私の経験の中では、白と黒が私の焦点にはいっぱいだったのです。グレーは、焦点から外れていたのです。」
ベルナール「当時、貴方は利用されていると感じていたのですか? この歌は、その仕返しだったのですか?」
パートリッジ「どうでしょう、深層にそう言う感情があったかどうか、分かりません。兎も角、これは、当時の私の精神状態だったのだと思います。善と悪、昼と夜、正と邪と言う言葉で考えるより他は無かったのです。淡い感じの言葉で考えるのは、自分には難しいと思い至ったのです。」
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2014年12月05日

ベルナール、パートリッジ対談「 Outside World 」9

ベルナール「「 Outside World 」について、他に何かありますか?」
パートリッジ「この歌は、うるさいだけのちょっとおばかなポップ・ソングです。これをステージで演奏している時には、私は自分を失っていました。おかしな告白ですけれどね。でも何故でしょう、兎に角、この曲は演奏がとても簡単なので、周りに当たり散らす様な超自然的な身体になっていて、自分を見失っていた様なのです。何かに取り憑かれているとか、そんな感じでした。 
 ステージでは、カタルシスを感じていました。あれ以上におばかになることは出来ませんでしたから。知的なことは何もなかったのです。本当です。考えることは何もなかったのです。パワー・コードのリズム・ギターを弾いていただけです。デイブが、ややこしいことは全部していたのです。」
ベルナール「なるほど、貴方にとって、三分間のお休みだったのですね。」
パートリッジ「三分間の精神的なサウナの時間だったのです。その間、忘我状態でした。それをとても楽しんだことも本当です。肉体的で楽しかったのです。
 実際、ステージのライブをしなくなって寂しいですね。肉体的なことですけれど。あれは、音楽を演奏すると言うものではないのです。汗をかいて、アドレナリンが身体を駆け巡るだけです。音楽ではないのです。それに、あれが出来たのは、私が二十代の前半だったからです。もし、今、実演したら、死んでしまいますよ。」
ベルナール「そうですか、私は、死んでしまうかどうかは分かりませんが、違ったものになるとは思います。」
パートリッジ「そう。私は、肉体派のミック・ジャガーのタイプの人間ではないのですよ。ジャガーは、体育指導者の家系なのです。身体の隅々まで鍛えたのです。私はしてません。私は、子供の頃はやせっぽっちで、どんなスポーツも下手でした。他の子供と較べて、格段に下手だったのです。どんなチームも、私を入れることはありませんでした。( 子供の声真似をして ) 「先生、ぼくたち、あいつを入れなくちゃ駄目ですか?」って。私は、他の子たちには、お荷物だったのです。」
ベルナール「( 笑い ) 肉体派というのは、自尊心には好都合ですからね。」
パートリッジ「( 笑い ) 学校にいる間、どの学年のクラスのときも、スポーツのチームに入れて貰えない子供が二人いました。一人は、太った子供でした。もう一人が私なのでした。私はやせっぽちののっぽでした。スポーツには役立たずだったのです。それに太っちょ。この二人が、いつも、最後に、チームに入れられるのです。
 私は、スポーツの様な肉体的なことは何もしませんでした。私がしたことのある肉体的なことは、セックスでしょうね。そんな私が汗をかいていたのです。それも、ステージの上で。私が描いたことのある、本当に恐ろしい情景ですね。
 でも、そのような、汗をかき、自分を忘れると言うことが、懐かしくもありますね。」
ベルナール「動物的喜びですね。」
パートリッジ「ええ。貴方の言う通りですね。動物的喜び。[ 歌詞の主人公の少女は、 ] 彼女は、優れた動物学者なのですね。彼女は、ボノボの群れと一緒に、悪事に巻き込まれたのです。それは、生涯購えないものなのです。」 


おわり  




誤訳、疑問点を指摘して下さると、助かります。
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2014年12月03日

ベルナール、パートリッジ対談「 Outside World 」8

ベルナール「『 Drums and Wires 』と『 Black Sea 』の間には、興味深い相違があります。『 Black Sea 』は、『 Drums and Wires 』と、多くの点で同じ方法を取ってはいます。けれども、レベルを11にまで挙げているのです。私の言うことが分かって貰えますか?」
パートリッジ「( 笑い ) 確かに分かります。スティーブとヒューは、そのあと直ぐに、何枚か、別のミュージシャンと仕事をしています。そこでも、同じように曲を扱っています。そうですね、ゲイブリエルのレコードが一つの例ですね。」
ベルナール「そのことを指摘して下さって、有り難うございます。実は、私たちが、「 It's nearly Africa 」について語り合った時には、『 WOMAD [ World of Music, Arts, Dance ] 』のコンピレーションの第一集 [ 『 Music and Rhythm 』1982年 ] に取り上げられていると言うことを、貴方がどう思っているのか尋ねるのを、忘れていたのです。」
パートリッジ「そうでした、そうでした。」
ベルナール「あの時、私は、貴方たちがピーター・ゲイブリエルと同じ領域を走っているように見えると言う事実を、貴方がどう思っていたのかを尋ねたかったのです。貴方たちは、同じプロデューサーを使っていて…、」
パートリッジ「同じプロデューサーで、同じ頃、タウンハウス・スタジオをうろついていていましたね。それで、スティーブ・リリーホワイトは、ピーター・ゲイブリエルに、ギタリストとして、デイブを薦めたのです。」
ベルナール「ええ、ゲイブリエルの時代を画する第三作目のアルバムですね。」
パートリッジ「そうです、私はあのアルバムを『第三巻 : 溶ける顔 [ Face Melting, Volume 3. ]』と呼んでいますけれどね。( くすくす笑う ) 」
ベルナール「音作りの点で、あのアルバムの影響力は、途方もないものでした。」
パートリッジ「あれでは、ヒュー・ハジャムは、彼自身の新しいアイデアを最大限に活用しています。」
ベルナール「それで、貴方たちは、ゲイブリエルさんと親しくされていたのですか?」
パートリッジ「ピーター・ゲイブリエルとですか? そうですねえ、本当のところ、仲は悪くはなかったですよ。実際、六ヶ月くらい前にも、彼と話しをしました。リアル・ワールドの誰かに電話をしたのです。それで、何かの理由で、彼が電話に出たのです。それで、結局は、20分近く、お喋りをしてしまいました。何と言うことか、こともあろうに、耳鳴りのことを話したのです。」
ベルナール「おや、ゲイブリエルさんも、耳鳴りを患ってらっしゃるのですか?」
パートリッジ「ほんのちょっとではないか知ら。ギクの後か、大音量のリハーーサルの後に、特に起こると言っていました。少しだけ困っているようです。私のように、ずっと耳鳴りがしているのではないのだと思いますよ。 
 でも、彼は、時折、私たちをリアル・ワールドに招いてくれたものです。花火大会とか、何かそのような集まりです。」
ベルナール「それで、どのような経緯で、「 It's nearly Africa 」が WOMAD のアルバムに入ったのですか?」
パートリッジ「彼が電話をして来たのです。彼自身が頼んで来たのですよ。たぶん、ゲイブリエルは、「 It's nearly Africa 」を聴いていて気に入っていたのでしょう。それで、「アフリカ」と言う言葉が入っているので、ワールド・ミュージックのコレクションに入れるのも、尤もだったのでしょうね。( 笑い ) 勿論、あれは、ワールド・ミュージックなどではありません。何であるにしてもね。偽物のワールド・ミュージックですね。あれはですね、リヴィング・ルームの壁に張るアフリカのジャングルの写真の裏に付いてる両面テープの様なものですね。」
ベルナール「ゲイブリエルさんは、多くの人の好みに合うようにしようとしたのだと、私は思うのですが。」
パートリッジ「そうです。ゲイブリエルは、白人の子供を最初のコンピレーション・アルバムに引き付けるように、幾つかのバンドを選んで入れたのです。そう思いますよ。そうすれば、その白人の子供たちは、他の曲も聴くでしょうからね。それで、「ああ、僕はこの曲が好きだなあ。」と思えばいいのですから。賢い遣り方ですよね。」
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2014年12月01日

ベルナール、パートリッジ対談「 Outside World 」7

ベルナール「モールディングさんのパートについては、覚えていますか?」
パートリッジ「彼のベースの音が吠える様だったのを忘れていました。あれは、たぶん、コリン自身のフェンダー・ムスタング・ベースですね。だって、本当に過敏に反応して、吠えていますからね。」
ベルナール「私もそれに今日気が付きました。本当に鋭い音です。」
パートリッジ「ええ、たぶん、彼の黒いムスタングですよ。フェンダー・ブロンコか知ら? ( クンクン鼻を鳴らして、 ) ああ、思い出せない。そのどちらかでしょうけど。」
ベルナール「( 笑い ) まあでも、馬のベースのどれか一つですね。」
パートリッジ「ええ、コリンの『黒馬』[ 原文 Black Beauty 。『黒馬物語』アンナ・シュウエル ]ですよ。( 笑い ) 彼の、駿馬です。[ 原文は、his Trigger bass. ]」
ベルナール「( 笑い ) 友達のフリッカですね。[ 『 My Friend Flicka 』メアリー・オハラの1941年の小説。ワイオミングの牧場の少年と馬の物語り。 ]」
パートリッジ「( 笑い ) それですよ。もう有名な馬についてはこれで十分ではないかと思いますよ。全範囲に亘って考えたのではないですか。」
ベルナール「レコーディングの最中に、プロデューサーのリリーホワイトさんかエンジニアのパジャムさんが歌に関係して何かをしたかどうかを覚えていますか?」
パートリッジ「いえ、全然。スナップショットのようでした。自分たちがとてもしっかりと演奏出来たので、私は驚いたものです。実際、今日、聴いてみてですが、「ほんとうにしっかりしてるなあ、」と思いました。当時の私たちは、巡業マシンだったのです。」
ベルナール「それから、テリー・チェンバースさんがバンドに居たときは、クリック・トラックは使わなかったのですよね。」
パートリッジ「ええ、使いませんでした。でも、演奏開始には使いました、それだけです。後は、顧みませんでした。
 曲の最後でですけれど、テリーは、ドラムを打ち倒す様な音を出していますよね。あれは、明らかに、スタジオの室内の背景音を大きくしていますね。それを、今日、聴いたのですけれど、「しまった、曲を通して、あの音をもっとたくさん使うようにどうして頼まなかったのだろう、」と思いましたよ。だって、あの背景音は、最後のドラムの音を本当に、荒々しく聴こえさせていますからね。」
ベルナール「それは、『 Black Sea 』、特に、「 Paper and Iron 」の最後でも伺えることですね。」
パートリッジ「ええ。ヒュー・ハジャムがこの背景音の考えを思い付いたのは、この頃だと思います。何が必要なのかを見つけたのですね。「背景音の音量をもっと上げると、どうなるか? それを少しゲート装置でコントロールすると、どうなるか?」と言うことですね。」
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2014年11月28日

ベルナール、パートリッジ対談「 Outside World 」6

ベルナール「( 笑い ) それでは、そこの部分では、ドラムかパーカッションをオーバーダビングしていますか? テリー・チェンバースさんは、四拍目ごとに、特殊なことをしているように聴こえます。歌詞では、「 what's 」のところです。[ 歌詞の So she can't hear what's going on の what's ]  あるいは、貴方が後から、手拍子か何かを加えたのか…、」
パートリッジ「そうですね、スネアにもっと迫力を付けるために、背景音を割り込ませるか、背景音を大きくしたのだと思います。ヒューかステューブのどちらかがそれをやったのでしょうね。ダブの様なものですね。」
ベルナール「貴方たちは、大抵のバンドがそうであるように、リハーサルの中で、アレンジを考えたのだろう、と私は思います。バンド活動が始まってすぐの頃ですから。まだ、デモ・テイクを作る前ですよね。」
パートリッジ「そうですね。「これは、このように起こったのです。」と言う感じですね。起こったままがレコードになって、聴こえているのです。聴衆が聴いたままのことが起こったことなのです。パンクな XTC の最後ですからね。「まるっきり剝き出しのままにしよう。」というパンクな XTC の最後なのです。
 実際にはですね、デイブは、二カ所で、ギターのオーバーダビングをしている筈です。彼のメインのリフを弾いて、それから、ついばむ様なメロディ、それに、三連符のメロディを弾いているのですね。それに、今日、気が付いたのですけれど、終わりにかかるところで、ある種のカウンター・メロディを弾いているのですね。メインのメロディーを引き延ばして、他の短いフレーズに繋いでいるのですよ。」
ベルナール「ええ。終わりの部分で、グレゴリーさんはソロ・ギターを…、」
パートリッジ「そうですね。そこでは、私は、隠れるようにスカっぽいリズム・ギターを弾いています。デイブは、そこでも、カウンター・メロディーの様なものを弾いていますね。ほんの少しですけれど、起こったままのデイブの演奏があるのです。 
 とても基本的な歌ですよ。集中して、余計なことをせず、ささっと仕上げた、と言う歌です。」
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2014年11月26日

ベルナール、パートリッジ対談「 Outside World 」5

ベルナール「それでは、ギターのパートについて話して下さい。私は、この曲を「最後の Go 2 の曲」と考えているのですけれど、バリー・アンドリューズさんがバンドにいたとしても、それがいい効果を上げたかどうかは分かりません。と言うのは、この曲での二本のギターが相互作用しているのが、本当に好きだからです。」
パートリッジ「デイブは、素晴らしい演奏をしてますね。イントロのパターンは、デイブです。私は、彼がそのパターンの終わりで音を歪ませる遣り方を、よくからかったものです。音を低く落として、コードを変えているのですけれどね。「その遣り方、とってもプロフェッショナルだなあ、」と言うと、デイブは、( グレゴリーの物真似で、 ) 「ああ、僕はそうしなくちゃならないんだ。そう思うよ。コードを変えなくちゃいけないんだよ。」と言うのです。」
ベルナール「イントロのメロディは、グレゴリーさんが考えたのですか、貴方なのですか?」
パートリッジ「私です。でも、デイブは、終わりの部分を変えなくてはならなかったのですね。そうして、次のコードへと移行するのです。それはもう、とっても、グレグジーなのです。」
ベルナール「ブリッジ部分の前の、三連音のパターンは誰なのですか?」
パートリッジ「やっぱり、デイブですよ。本当に、可愛らしいメロディですね。」
ベルナール「それは、グレゴリーさんが考え出したものだと、私は思っているのですが。」
パートリッジ「ええ、デイブだったと思います。 
 この歌は、とても単純なのです。ベースとドラムとリズム・ギター、それは私、それと、デイブのぐっと来る泣きのギターだけです。」
ベルナール「ブリッジの後、最初のヴァースを繰り返すのですけれど、そこでは、ギターを止めています。そのことについて話して下さい。」
パートリッジ「確かに、そうですね。あれは、古い遣り方なのですよ。( R&B シンガーを真似て、 ) 「ちょっと、休むぜ、」と言う感じですね。私たちは、曲を引き延ばす必要があったのです。そうですねえ、それに、観客から女の子を一人、引き上げなければならなかったのか知ら。その女の子にぴったりくっついて歌のですよ。そして、その女の子の顔を舐めるのです。」
ベルナール「貴方は、女の子のサウナの中で歌うスワンだった、と言うわけですね。」
パートリッジ「( 笑い ) その通りです。こんなのはどうでしょう。ローディーを二人、白鳥のコスチュームを着せて登場させるのです、そうして、観客の中から女の子を選び出させるのです。そうして、選んだ女の子をパースペック [ 透明の樹脂の板 ] で囲ったサウナに入れるのです。その女の子は、私たちが曲を止めるまでの五分間、下品なディスコ・ダンスを踊らなければ、そこから出ることは出来ないのです。こんなのをすれば、面白かったですかね?」
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2014年11月21日

ベルナール、パートリッジ対談「 Outside World 」4

ベルナール「書いた時のことを覚えていますか、何が書かせたのでしょう?」
パートリッジ「いえ。記憶から抜け落ちてしまったようです。この歌は、貴方が私に尋ねなければいいな、と思っていた何曲かの歌の一つですよ。」
ベルナール「あれ、あれ。」
パートリッジ「( 笑い ) 本当に、書いた時のことは何も覚えてないです。ええ、ノートを何冊か繰ってみたのですけれど、覚え書きを一つも見つけられませんでした。思うのですが、この歌は、きっと、何かの切れ端に書いたのでしょう。ホテルのステーショナリーか何か、そういうものでしょうね。」
ベルナール「いわゆる、ロード・ソングなのですか?」
パートリッジ「たぶん。思い付いたのは、巡業先ですね。ホテルの部屋に座っているか、ホールの控室に座っているかして、ギターを抱えていて、ギターじゃないかも知れないけど、でも、その楽器を爪弾いて、、、と言うことでしょうね。」
ベルナール「公演先から公演先への移動の車の中でも、ギターを抱えて座って、弾いたりしていたのですか?」
パートリッジ「それはしません。ホテルの部屋では、時々弾いていました、でも、ヴァンや車の中では決して弾きませんでした。そんな余裕のある空間はありませんでしたよ。ポリスとのツアーで一緒のバスを使わさせて貰うまでは、快適なツアー・バスなんて使えませんでしたし。それに、バスの中で、自分たちの直ぐ側に楽器が置けるなんて、思いもしませんでした。そうして、自分たちのバスを持った時には、私はおかしくなっていて、もうそれ以上ツアーをしたくなかったのです。ですから、ツアー・バスの中に座って、ギターを掻き鳴らすなんてことは、全くなかったのです。なんてかっこいいロックンロールの決まり文句なのでしょうね。」
ベルナール「なる程、それでは、貴方たちは、ツアー・バスの中で、ポリスの側に座って、一緒に「 Kumbaya 」を歌ったのですか?」
パートリッジ「( 笑い ) それはないです。ポルノでも見てたのではないかなあ。でも、あれは良くないですね。と言うのは、ホテルの反対側の出口から出て行って、封印された圧力を解放しなくてはならないのですからね。そうですね、そうではなくて、バックギャモンをしたり、クリベッジをしたり、トランプをしたり、ただ喋ってたり。変わったゲームもしましたね。例えば、どれだけの電話番号を覚えているか、とかですね。そんな馬鹿らしいことです。まあ、本当のことを言っていると信じてするのですけれど、覚えている電話番号を何も見ないで復唱するか、紙に書くのですよ。ポリスの会計士が勝ったのだったと思います。誰よりもたくさんの電話番号を知ってました。」
ベルナール「それはそうでしょうね。」
パートリッジ「数字で稼ぐのですからね。」
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2014年11月19日

ベルナール、パートリッジ対談「 Outside World 」3

ベルナール「では、歌詞について話して下さい。どうして、サウナの中でのセックスについて歌っているのですか?」
パートリッジ「( 笑い ) 本当にね。でも違いますよ。ちょっと、女嫌いなのか知ら、思うのですが、そう、たぶん自分自身のことなのでしょうけれど、正直なところ。そうですね、歌詞の中で、「 her 彼女」「 them 彼ら」あるいは「 he 彼 」と書いていても、それは私自身を意味しているのですよね。基本的には、外の世界とその恐怖をまるっきり無くすために何でもすると言う人物の話しなのですけれどね。それで、主人公の女の子が外の世界の恐怖に不平を言っている歌を進めていると、作者の私が突然、「ねえ、ちょっと待って。ちょっとどいてくれ。僕が入る場所を空けてくれ。僕も同じ様なものだと思うから。」と言うのです。」
ベルナール「そこを伺おうと思っていたのです。ブリッジの部分ですね。貴方は、この主人公の女の子の遣り方が悪くないと言っているように思えるのです。」
パートリッジ「その通りです。「どいてどいて、ぼくがそこに入るから!」と言うのですね、そう言っているのは私なのです。外の世界を拒絶しようとしているのは、とどのつまり、私なのです。」
ベルナール「もしかすると、この歌の歌詞は、「 Burning with Optimism's Flames 」の従姉妹になるのですか?」
パートリッジ「そうですね、一枚のコインの反対側の面だと思いますよ。そうですね、同じ一つの世界なのですけれど、一つの面では、隠れたい、逃げ出したいと思っているのに、もう一つの面では、上手くいっているのですからね。
 それから、頭韻ですよね。「 Twelve Days of Christmas 」[ 数が一つずつ増えて行くクリスマス・キャロル ]の類いから思い付いたのです。「 Seven swans s Swimming 」ですよ。この歌の歌詞の「 Six swans singing in her sauna 」と言う行は、そんなふうな、今は無くなったクリスマス・カレンダーからの派生です。「 Eleven lions laughing at her lakeside 」もですね。頭韻の面白さなのです。
[ 「 Twelve Days of Christmas 」の第一日目は、Partridge 山鶉が歌われる。
The Twelve Days of Christmas  ] 
 それから、この歌では、雑音を作り出すことについて歌っているのです。外の世界のことを全く忘れさせようとする雑音のことです。ところで、外の世界のことは、どうやって知るのでしょう。当時は、新聞、テレビ、ラジオでした。( むっつりした大人の声で、 ) その頃には、コンピューターは無かったのです。キーボードの付いた空っぽのプラスティックの箱を持っていたものですけれどね。それでは何も出来ませんでしたけど。( 笑い ) それに、インターネットは、本物の網から出来ていたのです。フィリピン人のチームがせっせとそれを編んでいたのですよ。」
ベルナール「( 笑い ) そうですね。両端に缶が繋がれていて。それで、話すことができたのですよね。」
パートリッジ「そうそう、「缶をもうちょっとピンと張って!」とか言ってですね。
 さて、白黒時代の説明は済みました、歌詞に戻りますか?」
ベルナール「ええ。そうしましょう。長いヴァースが二つあります。それぞれのヴァースの構造は同じです。そこでは、貴方は、主人公の女の子が世界から離れて何をしているかを描写しています。そうしてから、世界では、悪事が進んでいることを描写しています。「 Bad Black and white men / Standing in their pigpen / Selling guns to simpletons / To shoot 'em in the abdomen 」と言う行です。」
パートリッジ「そう。当時、私は、非道なことをする( どの人種でも居るものですが )人間を表す、よく出来たライム形式の歌だと思ったのですけど。」
ベルナール「それで、これも貴方が言われたことですけれど、ライム形式と言うのが、とても速く矢継ぎ早に言葉を放つことを可能にしているのですよね。それで、ステージでも力強く演奏が出来るのは、やはり、子音と母音の並べ方の素晴らしい組み合わせに依っているのでしょう。」
パートリッジ「そうですね、「口太鼓」のようなものですね。とても、パーカッション的なのですよ。「これをドラムで叩けないのなら、歌ってしまおう!」だったのです。」
ベルナール「二番目のヴァースは、「 Bad brown and yellow men / Spitting on their fellow men / Drape her in a newspaper / And stab her with a poison pen. 」ですけれど。」
パートリッジ「悪い行ではないですね。新聞を完全にまとめているように思えます。」  





「 The Twelve Days of Christmas 」の歌詞 : 
On the first day of Christmas
my true love sent to me:
A Partridge in a Pear Tree

On the second day of Christmas
my true love sent to me:
2 Turtle Doves
and a Partridge in a Pear Tree

On the third day of Christmas
my true love sent to me:
3 French Hens
2 Turtle Doves
and a Partridge in a Pear Tree

On the fourth day of Christmas
my true love sent to me:
4 Calling Birds
3 French Hens
2 Turtle Doves
and a Partridge in a Pear Tree

On the fifth day of Christmas
my true love sent to me:
5 Golden Rings
4 Calling Birds
3 French Hens
2 Turtle Doves
and a Partridge in a Pear Tree

On the sixth day of Christmas
my true love sent to me:
6 Geese a Laying
5 Golden Rings
4 Calling Birds
3 French Hens
2 Turtle Doves
and a Partridge in a Pear Tree

On the seventh day of Christmas
my true love sent to me:
7 Swans a Swimming
6 Geese a Laying
5 Golden Rings
4 Calling Birds
3 French Hens
2 Turtle Doves
and a Partridge in a Pear Tree

On the eighth day of Christmas
my true love sent to me:
8 Maids a Milking
7 Swans a Swimming
6 Geese a Laying
5 Golden Rings
4 Calling Birds
3 French Hens
2 Turtle Doves
and a Partridge in a Pear Tree

On the ninth day of Christmas
my true love sent to me:
9 Ladies Dancing
8 Maids a Milking
7 Swans a Swimming
6 Geese a Laying
5 Golden Rings
4 Calling Birds
3 French Hens
2 Turtle Doves
and a Partridge in a Pear Tree

On the tenth day of Christmas
my true love sent to me:
10 Lords a Leaping
9 Ladies Dancing
8 Maids a Milking
7 Swans a Swimming
6 Geese a Laying
5 Golden Rings
4 Calling Birds
3 French Hens
2 Turtle Doves
and a Partridge in a Pear Tree

On the eleventh day of Christmas
my true love sent to me:
11 Pipers Piping
10 Lords a Leaping
9 Ladies Dancing
8 Maids a Milking
7 Swans a Swimming
6 Geese a Laying
5 Golden Rings
4 Calling Birds
3 French Hens
2 Turtle Doves
and a Partridge in a Pear Tree

On the first day of Christmas
my true love sent to me:
12 Drummers Drumming
11 Pipers Piping
10 Lords a Leaping
9 Ladies Dancing
8 Maids a Milking
7 Swans a Swimming
6 Geese a Laying
5 Golden Rings
4 Calling Birds
3 French Hens
2 Turtle Doves
and a Partridge in a Pear Tree  


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2014年11月17日

ベルナール、パートリッジ対談「 Outside World 」2

ベルナール「そのようなことを貴方が仰るなんて、これまで聞いたことがありません。あなたご自身のアルバムについてのことなのですか? それとも、大抵のアルバムについて、それが本当だと、お考えなのですか?」
パートリッジ「そうですねえ、多くの場合、あまりよく出来ていない曲が、ビニール盤だと裏面のこの位置、CDだと全体の四分の三辺りのこの位置に、惹き付けられる傾向がありますね。そこは、dead spot 死角になる場所なのです。たぶん、デイブが作った造語だったと思います。でも、私は、彼が何を言おうとしているかは分かったのです。その場所に、あまり好きでない曲をこっそり差し込む傾向が、私たちにはあったのです。そうですねえ、とりあえず、一旦はアルバムを作り終えた時のことですね。こんなことがあるのです。「あれ、この曲はどうしよう。これは、これ以上は良くなりそうはないなあ。ううん、でもねえ、外したあの曲やあの曲よりはいいんだなあ。アルバムの何処にいれるのがいいのかなあ? まあ、たぶん、この曲は、dead-spot に入れることになるかなあ。」と。」
ベルナール「そうですか、「 That is the Way 」のすぐ次が、この「 Outside World 」なのですけれど、この二曲が、アルバム『 Drums and Wires 』の dead-spot なのですか? 「 Millions 」にたいしても、同じ様にお考えなのですか?」
パートリッジ「うーん。うーん、いや、それは違いますね。「 That is the Way 」はそれ程成功している曲だとは思いません。それは、合格と言うレベルです。それは確かですね。でも、「 That is the Way 」でのフルーゲルホルンは、本当に大好きなのです。「 War Dance 」は、私にとっては、dead-spot ではないか知ら。『 Nosuch 』のなかで、最も弱い歌ですね、たぶん。」
ベルナール「「 Leisure 」はどうですか?」
パートリッジ「ええ。あれは、『 English Settlement 』のなかで、最も弱い歌ですね。貴方は、遣り方が分かりましたね。」
ベルナール「カタログを全部調べなければいけませんね。 ( 笑い )」
パートリッジ「これは、ファンの間で議論になりますね。この曲、あの曲が、dead-spot に相応しい曲であったかなかったか、と。
 でも、まあ、おおよそなのですけれど、それが、私たちのアルバムのパターンになっているのだと、私は思います。嵐の前の静けさですね。」
ベルナール「ああ、それが、「 That is the Way 」について私が質問した理由でもあります。この曲は、ゆったりしているのですよね。そうして、「 Ooutside World 」でドアを蹴り上げるのです。」
パートリッジ「そう。でも、速いし凄まじいと言うこと以外、この曲は何と言うことのない曲ですよ。歌詞は…、」
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2014年11月14日

ベルナール、パートリッジ対談「 Outside World 」1

 アンディ・パートリッッジとトッド・ベルナール Todd Bernhardt さんの対談、「 Outside World 」について。
 2009年5月31日にMySpace に公開のもの。MySpace にはもうありません。今は、チョークヒルのアーカイブにあります。 
Chalkhills: XTCFans: Andy's Take: Andy discusses "Outside World" 


ベルナール「アルバム『 Go 2 』については、ずべての歌について話しをするつもりで、すでに、かなりの曲の話しをして来ました。でも、「 Outside World 」は、『 White Music / Go 2 』の最後の歌として、私の印象に残っているのです。」
パートリッジ「なる程。当時、私が書いた覚え書きの一番最初のものには、こう私は書いています。「パンキーな XTC の今際の際。」 ( くすくす笑う )」
ベルナール「ものすごいスピードで…、」
パートリッジ「ラモーンズか何かの代わりのようですね。1977年型 XTC の最後だったのだと、今になって、私は思いますよ。」
ベルナール「その頃[ 77年頃 ]に書いたからなのですか? それとも、『ドラムズアンドワイアーズ』を作っていた時にも、貴方の中には、こうした曲がもう一曲残っていたのですか?」
パートリッジ「そうですね、当時、何か、速くて騒々しくてスリリングなものを書きたかったのではないか知ら。あ、毛はなかったかな。 [ スリリングと訳した部分の原文での語は、hairly 。毛むくじゃらの意味も。 ] 
 ( 笑い ) 何故、書いたのか、今になっては、まったく分かりませんねえ。たぶん、出来てしまった、と言うものではないか知ら。「おお、速くうるさく弾くのが出来たぞ。どいてくれ。」と言う感じだったのでしょうね。 
 ステージで演奏するのには、うってつけでしたね。まるっきり、怪物でした。」
ベルナール「その頃のステージを録音したもので、レコードでリリースしたものがありますか? ファンの中には、ブートで出している人もいますが。でも、私の知っている限りでは、正式にリリースされたものはないよう…、」
パートリッジ「どうでしたっけ、、、YouTubeには、何かあるのでしょうけれど。オーストラリアでのステージのものですけれど。ああ、今、私はリンゴになっています。( リンゴ・スターを真似て ) 「この曲が入ってるの、どのアルバム?」 
 それから、覚え書きには、こうも書いています。「僕らは、ギャバジネス Gabberdines になりつつある。( Gabberdines の綴りは原文のまま。パートリッジの覚え間違いか? )」」
ベルナール「( 笑い ) それは、何です?」
パートリッジ「この曲では、デイブは、100パーセント、ギャバジンのように弾いていますよ。私には、そう思えます。デイブのギター全部、ギターから発するもの全部がそう思えるのです。「あれえ、デイブは、まだ、ギャバジネスに居る見たいだなあ。」と思ったのです。( 笑い )
 [ ギャバジン Gaberdine は中世のヨーロッパで男性が着用した外套。http://ja.wikipedia.org/wiki/ギャバジン_(外套) デイブ・グレゴリーは、それからバンド名を付けた、Dean Gabber and the Gaberdines のメンバーだった。地元スウィンドンのケーブルテレビ Swindon ViewPoint のアーカイブには、いくつか演奏を撮影したビデオがある。http://www.swindonviewpoint.com/video/dean-gabber-and-gaberdines-til-end-day / http://www.swindonviewpoint.com/video/dean-gabber-and-gaberdines-final-appearance ( ViewPoint での綴りは、Gaberdines 。) ] 
 妙なインタビューがあるのですよ。でも、これ、インターネットで公開されているかなあ。ちょうど、デイブが、XTC に入ることを打診されて、それを受け容れた時なのです。ギャバジネスが地元テレビの番組に出て演奏をしたのです。その前に、デイブは、ディーン・ギャバー・アンド・ギャバジネスと一緒に演奏することになっていたのですよね。その時の何曲かは、YouTube にありましたよ。その時のインタビューなのです。そこでのデイブですけれど、メンバーから少し離れて、一人で座っているのです。だって、デイブは、私たちのバンドに入ったのですからね。( くすくす笑う ) 雰囲気は、すごく嫌な感じですよ。[ この時のビデオは上にリンクした final-appearance 。藤本成昌さんのクロノロジーに依れば、1979年3月19日収録、4月14日放送。 ]
 ともかく、当時ですけれど、「 Outside World 」を書き上げた、すぐ五分程後に、「これは、まるきりパンキーだなあ。シングルになるのじゃないか。」と思ったのです。」
ベルナール「でも、貴方は、それをシングルにしようと、ずっとは考えなかったのですよね、何故ですか?」
パートリッジ「これは、とても早くに書いたものでした。それで、他の曲がこれと取り代わったのでしょう。そうですねえ、アルバムにこの曲が入れられている位置、全体の四分の三当りですよね、つまり、「目立たない場所」のところに結局は入れられたことで、それが明らかだと思います。」
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