2019年05月16日

2017年版『 Black Sea 』ノート:アンディー・パートリッジ Song Notes 4

 2017年版『 Black Sea 』に付けられたノート。アンディー・パートリッジのもの:  
「 Song Notes 」の4





Sgt. Rock ( Is Going To Help Me )
 アルバムを『 Sergeants Of Sound 』と題を付してた私は、それにしても酷い題名だが、まるでこの曲一曲がアルバムの正式曲であるかの様に考えていたのであろう、この曲に合わせてスリーブのアートワークの案を素描したのを覚えている。と言うことはである、その時には、私はこの曲がいたく気に入っていたのに相違ない。その案の唯一の名残は、図像として、シングルの付録のポスターにある XTC のロゴが階級章を象っているところに見て取れる。[ チョークヒルのアーカイブ:http://chalkhills.org/reelbyreal/s_SgtRock.html#prettyPhoto[group]/5/ ]
 速歩のファンクは素晴らしいし、メロディーもまずまずである、ただ、間の抜けた歌詞が歌を駄目にしているのだ。その歌詞は、相応に、フェミニズムからの非難の手紙を呼び込んでしまった。淑女諸君、私は、女性への暴力を喧伝してはいないのだ。私はただ、漫画オタクの混線している頭の中で起こっていることを描いただけなのだ。 
 この曲は早くからシングルに選定されていたので、私たちは勇んでこの曲を一回目のポリグラム・スタジオでのレコーディングに於いて、「 Toweres 」と共に最初に録音したのだった。 
 最近になってこの曲を聴くと、即座に、テレビの子供番組の終わることのない口パク演技の思い出に放り込まれるのだ。もう一つ思うことがある、何故に、私は「 If I could only be tough like him… 」と言う行を歌詞に書いたのだったか? まるでバリー・アンドリューズの歌詞の様ではないか。その時も不可解だったが、今でも不可解なのである。  


Travel In Nihilon
 正直な私になろうと思う。私は、パンク/ニュー・ウェーブなるものの全てに失望していたのだ。パンク/ニュー・ウェーブなるものは、甲板から、旧式の思考方法、演奏法、服飾、行動様式、それら全てを洗い流すかのように思われていたのだが…、とてもとても、そんなことは全く無かった。 
 以前のものと寸分違わず同じだったのだ。見掛けだけなのだ、派閥を組み排他的なのだ、空虚なのだ、そして操られているのだ、同じなのだ、グラム、イッピー、ヒッピー、ビートニク、等、等、等と同じなのだ。潮流に名前を付ける、金が動く、それだけである、何も無いのだ。それら、新しいと言われる鐘、その響きは何れもが何と虚ろなことか。その時、教会の鐘も、私の耳には、うつろに響くようになり始めていたのだ。 
 何故にこの題名なのか。勿論、アラン・シリトーの1971年の小説から取られてはいる。しかし、題名だけなのである。歌は、小説についてのことは歌っていない、とは言っても、この題名が私は好きなのだった。ニヒロンとは、私にとっては、ある精神の状態を示しているものなのだ。虚無と背信から出来ている精神状態である。そう言う次第で、「若者文化」と宗教の両方が私を落胆させたのだった。そうして、私は、その失望をぶちまけたかったのだ、…、それも大声で。 
 元々は、最後の部分は、憂鬱な雨に振り込められる音にする積りであったのだ。だが、何マイルものケーブルを敷いてマイクロフォンをセットして、スティーブ・リリーホワイトのシャワーを録音する段取りを終えて、これで良しと言う段になって、結局、誰かが小便を垂らしたのだった。意図していない効果だった、しかしながら、それは完璧なものだった。 

 ではみなさん、お達者で。  
 








2017年版『 Black Sea 』に付けられたノート、すべて終わり。 
誤訳、疑問点を指摘してくださると助かります。  




追記: 
変換の間違いがあったので訂正。非難が避難になっているのは分かるけれど、ニヒロンが仁比論と無理やり漢字に変化すると言うのは?
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2019年05月15日

2017年版『 Black Sea 』ノート:アンディー・パートリッジ Song Notes 3

 2017年版『 Black Sea 』に付けられたノート。アンディー・パートリッジのもの:  
「 Song Notes 」の3  





Towers Of London
 キングスヒル46 に居る時には曲を書いたり録音したりする小さな部屋が必要だと言う結論に、私は達したのだった。居間は、丘をエンジンの回転を上げて登ったり、軋む音を立てながら下るトラックの音で余りにも五月蝿かったからだ。私は、もう使われなくなった戸外トイレに着目したのだった。 
 便器は既に取り除かれていた。それは、私のちっぽけな赤いコンボ・アンプとギターにカセット録音機に正に誂え向きの広さだった。この歌は、結局、トイレで書き上げた唯一の歌となった。 
 ヴィクトリア朝時代のロンドンの建設についての書籍を読んでいたので、私の頭は、navvy[ 人夫 ] の辛い仕事とロマンスで満ち満ちていたのだ。それが主題となった。 
 私のノートブックには「 sing this altogeter[ 原文ママ ] 」と自ら記しているのが見て取れる。この歌がストーンズの『 Satanic Majesties 』のオープニングの歌に似ていると私自身が考えており、メロディーを思い出すためにそう記したことは、明らかだ。ビートルズの「 Rain 」もまた、音響上の手本としている。事実、レノン殺害のニュースが臨時ニュースで流された日、私たちはリヴァプールで公演をしていた。私は、「 Towers 」の終わりに「 Rain 」をくっ付けて歌ったことを思い出すのだ。私の顔を涙が流れ落ちるまま、私は歌ったのだった。 
 私たちのマネージャーの滑舌の良い上流階級の喋り方をテリーがモノマネしたものが、冒頭に聞かれるだろう。巫山戯て「 Take 103 」と言っている。   

Paper And Iron ( Notes And Coins )
 アルバムに収録する歌を書き始めた時、私は閃きを求めてあれこれ考えあぐねていた。二行程の歌詞は書いていたのだが。「 Slaving for a few iron coins, / think my fingers to the bone. 」である。鯔のつまり、私たちは硬貨の小銭と幾枚かの小額紙幣のチップの為に働いているのだと言う見方が気に入っていたのだ。実際、最初の二十年間では、アルバムの売り上げを、私たちが見ることはなかったのだから。 
 うねって進むモチーフは、元々は、インストルメンタル曲の一部だった。「 Möebius Mood 」と仮題を付けていた( どうなっているのかが分からない紙の帯に惑わされている気分 )。しかしながら、歌詞がピッタリと合ったのだ。 
 テリーが紅茶のトレイを叩いている部分がある。これをステージでライブ演奏すると、いつも、歌唱の終わりの繰り返しが終わると酸素不足で気絶していたものだ。コンピューターの前の時代では、自分が面白いと思うことを自分で作らないといけなかったのだ。 

Buring With Optimism’s Flames
 私たちがこの曲を演奏する時には何時でも私は瞬時に幸福になるのだ、と私が言うのを、読者諸君は信じないであろうが、それは真実なのである。歌の内容から幸せになると言うのではないのだ。ただただ、喜悦機関に浸り切るからなのだ、この小曲は、そう言う歌なのだ。 
 演奏と歌い方に関しては、肉体と精神が上手く絡み合ってグルーブしている様に思えるのだ。私一人がより一層の高みに挑んだのではない。テリーは、どれ程速く正確にハイハットを打ったか? コリンがドラムズとピッタリ合わせてベースを弾きながら、同時に、バッキングヴォーカルを歌う様子は如何であったか? デイブが自身で編み出したレース編みを思わせるバロック調のメロディーを滑らかに弾く様子は如何であったか? 
 神々よ、テリー、コリン、デイブと言った者共は、労働者階級の怠け者に過ぎないとお考えだったか?  

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2019年05月09日

2017年版『 Black Sea 』ノート:アンディー・パートリッジ Song Notes 2

 2017年版『 Black Sea 』に付けられたノート。アンディー・パートリッジのもの:  
「 Song Notes 」の2  





Rocket From A Bottle
 自分の年来のノートブックを見ると、この歌は、アルバムの為に書き留めた最初の三曲のうちの一つであり、低く評価して「Bサイド候補」と印付けていたものであることが分かる。この歌は、ヴァージン社がこれを聴いて抱いた印象には反した結果となってしまった。会社は相当に高い期待を持っていた様だ。と言うのは、当初の時点で、この歌には、「 single mix 」の仮決定が与えられていたからである。あれあれ!  
 ヴェルヴェット・アンダーグランド「 I’m Waiting For The Man 」の様式で、バナナの指がピアノをトントン叩き、それに、ほんの少量のマッカを混ぜているのだが、その編曲は、デイブの上昇を続けるギターのソロで取り繕われている。それを聴いて私は、いつも、微笑まさせられるのだ。継ぎ目もない蛇の様にくねくねと転調している様子は、頭をスレスレに掠めて行く安物の中国花火の様だ。正にそれが求められていたのだ。 
 最近この歌を聴いて、私は、終わり近くに聴こえて来る、可愛らしいシンセの「ボ、ボ、ボ、ボ」と言う音があるのを思い出した。( that’s pre-programming ‘played in’ folks )原文ママ [ ( ) で挿入されるこの文は、私には意味がまるで分からなくて訳せません。あるいは、「諸君、これはプログラミング時代前の「試行」と言うものだよ」と言う意味だろうか ]。私たちが、ジグ・ジグ・スパトニック Sigue Sigue Sputnik を考案したと言うことだろう。 花火大会の最後の「荘厳な一発」を表す和音については、あれが何と言う和音かを、私には尋ねないでほしい。

No Language In Our Lungs
 恐らくはである、私たちXTC が Free の風格のあるグルーブ感に最接近した瞬間であろう。Free は、私たち全メンバーが最も好んでいるバンドであったのだが。「固く結びついたバンド」として演奏する経験に恵まれるとは、非常に素晴らしいと思うのだ。全てがあるべき位置にあるのだ。ただ一つ恥じているのは、私の声が、ポール・ロジャースと言うよりは、スウィンドンのサッカー選手、ドン・ロジャーズの様に聞こえると言うことだ。 
 ガレオン船の様なテンポで演奏するのは、私たちには斬新なことだった、そう言うと奇妙に思われるかもしれないが。このテンポが気に入っている、それに、コリンとテリーがスローモーションで演じるリズムのボクシングが、私は大好きなのだ。   
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2019年05月06日

2017年版『 Black Sea 』ノート:アンディー・パートリッジ Song Notes 1

 2017年版『 Black Sea 』に付けられたノート。アンディー・パートリッジのもの:  
「 Song Notes 」の1  





Respectable Street
 至る所にある取り繕った世間体について書かれた、突き破って来る、必死感のある、「活力溢れるアルバムの開始の歌」の典型であるこの歌は、『 Drums and Wires 』の為に、私が書いた最後の歌だった、或は、このアルバムのための最初の歌だった。はっきりとした境界線が無いのは、常のことだ。 
 聴衆は何処に「 Respectable Street 」があるのかと屢々聞いて来る。あれは比喩なのだ、発想は、スウィンドンに実際にあるボウウッド通りから取ったものだが。私の最初の妻と私自身が、空いている店舗の上の部屋に住んでいた部屋のある、キングヒル通り46から、そこを私よく眺めていたのだ。キングヒル通り46の部屋で、私は、このアルバムのための歌の数々を書いたのだった。「 The caravans never moved 」という行が浮かんだ、それは私の頭脳を作歌にずっぷりと没頭させ、短い家庭劇を書かせたのだった。 
 私達は、リハーサルの時から、元より、この歌をノエル・カワード擬きにする算段だった。音の限られた78回転SP版を作っていた様なフォノグラムのスタジオでデイブがピアノを弾いてライブをした時にでさえ、その積りだった。完成版のアルバムで聴かれる傷の音は、スティーブとヒューに送られていた、ピーター・ゲイブリエルのアルバムの試験盤の曲間の無音の部分の溝に傷をつけて作って、加えたのだ。ここで、ピーターに謝罪する。 
 BBCでは当然の様に放送禁止にされたのだが、誰もがそう考えていた理由ではなかった。際どい言葉の所為ではなかったのだ、まるで違っていたのだ。何年も経って、それが「 Sony entertainment centre 」という行の所為だと言うことを私達は知った。当時、もし、BBCが理由を言っていてくれていれば、私達は、レイ・デイビスが「 cherry cola 」としたのに倣って、何とかエンターテイメント・センターにしたのだろうが。 
 アルバムの口火にはとても良い。どのトレーラーハウスよりも重いだろう。   
[ The Kinks の「 Lola 」。放送のために、コカコーラがチェリー・コーラに変更された。 ]




Generals and Majors
 コリンの「 Oh What A Lovely Wardance [ 原文ママ ]」には、私はまるで興が乗って来なかった。ところが、勢いよく流れ落ちる、ベルに似た一斉斉唱のFコードのリフが不意に浮かんで来たのだ。すると、忽ちにこの歌を私は捉えたのだ。Fコードのリフは、歌の冒頭で突然の様に鳴り出し、歌を通じて繰り返されている。それ以前のフォノグラム・スタジオで録音されたものでは、私が何れ程に歌を理解してなかったか、確かめて見て頂きたい。我ながら、ひどい間違いをしてしまっている。恥ずべきことだ。 
 経緯は兎も角、そのリフは曲に加えられたのだ。そして、ディスコ調になったガチョウ足行進[ 衛兵交代の時の行進 ガチョウ足行進 - Wikipedia ]のドラムと共にメロディーに添えられた。すると突然に、全てが完璧に符合した。急展開し、時計仕掛けのXTCは、歯車が噛み合ったのだ。 
 付け加えれば、タウンハウスのスコットランド人のコックは、ステップという名前だった。彼が、歌の低いハミングをほとんど歌ったのだ。私たち全員がオーディションを受けた筈だ。彼のハミングが役を勝ち取ったのだったが、…、彼の作るボロネーズ・スパゲティーも付いていた。   

 パートリッジは、「 Oh What A Lovely Wardance 」と書いているが、「 Oh What A Lovely War! 」だと思う。 
タイトルソングがYouTubeで見られますが、
https://www.youtube.com/watch?v=oiOJ07nyfM4



Living Through Another Cuba
 この歌は、スウィンドン・タウンホールのスタジオでの即興が半分固まったものとして生命を受け、その時には、「 Spy In Space 」と題が付いていたものだが、そのリフは、電子時代の密偵についての歌に、それも二度目の、使ってしまうには勿体ないくらい良いものだと、私は思ったのだ。( 一度目は、Real By Reel )
 80年代に於ける、私たちの広く行き渡った強迫観念は、核戦争の影だった。それで、私は、この常在の問題についての歌を数曲書いたのだった。この歌は、核の恐怖はおおよそ20年置きにマスコミが夢中になって持ち出してくるものの様に思われる、という観点から書いたのだった。この歌は、アルバムに使う歌を入れる合切袋に後になって入って来たものだった。 
 歌詞に事実誤認を書いてしまった歌の一つなのだが、その様な歌は片手で数えられるだけなのだ。同様の間違いに、「 Rip Van Ruben 」がある。その中で、主人公の Rip Van Ruben は、『オズの魔法使い』の著者はフランク・リチャーズ Frank Richards と言っているのだが、それは、私が、ライマン・フランク・ボーム L. Frank Baum [ オズの作者 ]と( ビリー・バンター・シリーズを書いた ) フランク・リチャーズ Frank Richards [ チャールス・ハミルトン Charles Hamilton の別名 ] をずたずたにした為に、偶然に混成された名前の著者なのだ。 
[ 「 Rip Van Ruben 」は、『 Nonsuch 』の2013年のセットの中に収められている。 ]
 「Living Through Another Cuba 」の間違いは、勿論、キューバ・ミサイル危機は1962年であるのに、1961年と言っていることである。もう一つの事実伝道者アンディー氏は1961年と言っているが、その様なことはない。まったく。 
 この歌は、ベネズエラでのライブの時に最高であったと記録されている。その時、聴衆は、客席の木の椅子で作った、巨大なシュガーローフ[ 円錐形に盛って固めた砂糖 : Sugarloaf - Wikipedia ]の形の焚き木を燃やしたのだった。
 最後の部分に、歪んだドラム・ボックスの音を入れるのは、スティーブ・リリーホワイトの考えだった。良く出来ている。 
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2019年05月01日

2017年版『 Black Sea 』ノート:アンディー・パートリッジ 3 Monkeys in human skin suits

 2017年版『 Black Sea 』に付けられたノート。アンディー・パートリッジのもの:  
その3、「 MONKEYS IN HUMAN SKIN SUITS 」  





 アルバムのレコーディングが半分すんだころ、写真スタジオが一日だけ借りられたんだよ。ふるい潜水具と、一緒に使う道具もひとそろいつけて借りられたんだよ、道具は周りにちょこっと置くの。背景幕は出来上がったの。タイトルは選ばれてたしね。全速前進、だよ。 
 写真の撮影は困ったことなく始まったよ。潜水具のお世話をする人は離れていてもらったの。潜水具の係りの人は、いじわるして面白がる人で、ぼくの潜水服にヘルメットをつけて、それでもう出られない様にしたの、「おかしいから」だよ。それで、ぼくを閉じ込めたのにかかった費用はぼくが支払うことになったの、ぼくはうろうろしちゃったよ。 
 この水から出てきたおどけ者は、船の速度計もいらったの。最初、ぼくたちは、「 Stand By 」にしておいたの。ぼくたちが背中からの写真を撮るのに後ろ向きになった時、ぼくたちにわからない様に、そおっと、「 Slow 」にしたの。でも、みんなにわかってもらえなかったんだ。 
 それから、レコーディングに戻ったの。ある日、ぼくたちのマネージャーがタウンハウスに来たんだ、それで、ぼくを脇に呼んで、「少し話せますか?」と言ったの。それで、ぼくと二人で、制御室に出入りするために作られていた小さな「エアーロック」に入ったの。 
 「アンディー、私はね、どうもね、『 Work Under Pressure 』と言うタイトルを使う許可を君に与えられそうにないんだよ。」 
 「なんで?」とぼくは言ったの。「写真も撮ったよ、もういいんでしょう?」 
 「そうだねえ、考えてご覧、私にはちょっと差し障りがある様に思えるんだよ。まるで、私が君たちを死ぬまで働かせる奴隷監督の様に思われてしまわないかい。( 実際、そうだったもん。 ) 私はねえ、このタイトルは君には使わさせられないよ。」 
 と言うわけで、『 Black Sea 』は最後の最後で、むりやりにつかんだものなの。ぼくたちみんなががんばってお金もかけて作った写真がなんとか使えたんだ。それでもどうにか「航海」に合ってる名前だもの。ぼくたちは、圧力の下で働いていたんだ、でも、それは言っちゃいけなかったの。 



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2019年04月30日

2017年版『 Black Sea 』ノート:アンディー・パートリッジ 2 Work Under Pressure

 2017年版『 Black Sea 』に付けられたノート。アンディー・パートリッジのもの:  
その2、「 WORK UNDER PRESSURE」 





 アルバムには、最初、ちょっと失敗があったんだよ。ヒュー・パジャムがいなくて、ドラムの「おうち」のタウンハウスも使えなかったの。プロデューサーのスティーブ・リリーホワイトとだけと作業を始めなければならなかったの、それも、ふるいフィリップス/フォノグラムのスタジオでだよ。スタジオはロンドンのマーブル・アーチの近くにあったよ。 
 ぼくたちは、そこでほとんどライブで演奏したんだ。スティーブのためにだよ。曲とどう取り組めばいいのか、スティーブに自分の考えをまとめてもらったの。ぜんぶ通してやったんだ。「 Towers of London 」は完成されてレコーディングもしたんだ、でも、いきいきとしてないと言うので、捨てられてしまったの。それから、「 Cuba 」「 Ban the Bomb 」「 Smokeless 」「 Sgt. Rock 」もマルチトラック形式で録音したよ。でも、なにかがちゃんとしてなかったんだよ、ええと…、うすっぺらでからからに聴こえたんだ。 
 そうしてから、ヒュー・パジャムが来てタウンハウスが使える様になったんだ。それで、ぼくらは、にこにこしながら移って、最初から始めたの。パチン、バン、ポン、アア! ずっとよかったよ。 
 ぼくは、そのころね、ヴィクトリア朝時代のロンドンをこしらえた人たちのことを本で読んでいたの。「 Navvies 人夫 」って言うんだよ。Navigational Engineers [ 運河工夫の意味 ]を短く言ったものなの。それでね、そのことの歌も一曲書いていたの。「 Towers of London 」だよ。ぼくは、そんな田舎もんたちとアイルランドの赤貧から逃げ出してきた人たちの困難と奮闘に興味しんしんだったの。その人たちが、今のぼくたちの大都市を築き上げ、地下を掘っていったんだよ。ぼくは、潜水夫が、その人たちにぴったりのシンボルだと考えたの。橋やトンネルの工事に潜水夫は活躍したからね。それでね、その人たちの仕事って、文字通り「 Work under pressure 圧力の下で働く 」だもの。そう言うことなの。それでアルバムのタイトルにしたの。 
 スウィンドン在住の絵を描く人、ケン・ホワイトさんに連絡をしたの。ケン・ホワイトさんは、ビートルズの歌詞集のイラストを描いた人で、タウンハウスの外壁にトロンプ・ルイユ/だまし絵を描いた人だよ。ぼくたちが潜水服を着てその前に立つのに合う様に、背景幕を作ってくれる様にお願いしたんだ。陰気なヴィクトリア朝時代の人夫の一団のポートレイトだよ。アルバムのカバーにしようと思っていたの。  



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2019年04月28日

2017年版『 Black Sea 』ノート:アンディー・パートリッジ 1

 2017年版『 Black Sea 』に付けられたノート。アンディー・パートリッジのもの:  
その1、「 TIGRES IN TUNELAND 」 

 はてさて、一時期、ぼくたちはニュー・ウェーブの「頭脳派」と言われていたみたい。七ストーンのへなへな虚弱児ってわけ[ ストーンは体重の単位、約6.3キロ、44キロぐらい。 ]。倒されて顔が砂まみれって類なんだな。そんな見方なんだけど、ぼくらがこのアルバムのリングに足を踏み入れると、変わっていったよ。ツアーとサウンド・バトルの連続は、ぼくらをバトルにふさわしい様に強くしたよ。ぼくらはもうノリノリで、ツアー用の筋肉は最高に隆盛だったよ。筋肉モリモリで、うるさい声だったんで、よくある「〜リスト」の本で、どこかに『世界のやかましいバンドトップ・テン』と言うのがあって、ぼくらは入っていたよ( でも、だれがやかましさを測るの? )。ザ・フーやブラック・サバスと一緒で、誇り高い無法者の証しだったよ。   
 ぼくらは77年と同じ音に色のないバンドのままではなかったかも、でも、やっぱり、二色ぐらいだったんだよ。さっぷうけいな黒と白だけ、でも、ちょっと、赤と青が塗られているかも、どうかな? まだまだ、スタジオの音のパレットを全部使うことを、ぼくたちはしようとしなかったんだ。それは、もっと後になってだよ。あの頃に、ぼくたちが書いて録音していたのはぜんぶ、ライブ・マシーンのためのものだったよ。全身にしっかり油を塗られたモレク神だね[ 古代カナン地域の神、子供を生贄に捧げていたと言われている。 モレク - Wikipedia ]。二本のチョキチョキ・ギターとベースとドラムで出来てるんだよ。キーボードで色付けするのは、まだ、ほんのチョットにしてたんだ。ライブで出す感じはね、レコードそのままにしたかったんだ。その反対も同じだよ、レコードもライブの感じにしたかったんだ。手にしているものだけを見る、って言うことかな。 
 『 Tigers In Tuneland 』が、もともとぼくが考えていた、タイトルだよ。でも、それはぴったりこなかったんだ。ぼくたちは、もっと「お品」のあるものが良かったんだ。  




補足:
Working Title は、これまで、Tigers In Tune World と言われていた。例えば、チョークヒルのデータにはそう書いてある。 

「七ストーンのへなへな虚弱児ってわけ」のところ、原文は、the weedy seven stone weaklings 。
この表現に関して、the weedy seven stone という言い方は、ナーシー・ライム「 Old King Cole 」を基にした、イギリスの劇作家でコメディアン Ken Campbell の戯曲『 Old King Cole 』( 1972 ) のなかに、「 On my left at a weedy seven stone, in the Army Surplus droopy drawers is Baron Wadd 」と言う表現がある。 
seven stone weaklings という言い方は、イギリスの画家 David Hockney の版画『 A Rake’s Progress 』シリーズの中の一枚の題名に使われている。
テート・ギャラリー所蔵:‘3a. The Seven Stone Weakling’, David Hockney, 1961-3 | Tate

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2019年04月08日

ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」9

ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」1: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」2: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」3: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」4: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」5: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」6: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」7: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」8: ノエルかえる不恵留





バーンハート「終部ですが、様相の違う様々なパートが一つにされています。後の作品では、貴方は好んでこのようなことをするのですが、私は、この歌の終部が、そのような方法の最初期の一つではないかと思うのです。」
パートリッジ「ええ。色んなものを坩堝に投げ入れるのです。そうすると、それらは衝突したり擦れ違ったりするのです。それが、もう、大好きなのです! それにお気付きでしょうけれど、エコーのかかった、リヴァーブのかかった高い声が、終部にあるでしょう。今思うと、あれは、ラサ・デイヴィス Raisa Davies になろうとした、無意識の試みなのだと思います。レイ・デイヴィスの妻だった人で、ロシア人です。キンクスのシングルでは、高い声のパートは、全部彼女が歌っていますよね。「 Waterloo Sunset 」も、高い幽霊っぽい声は、彼女です。」 
バーンハート「成る程! 「 Death of a Clown 」もそうですか?」
パートリッジ「たぶん。同じ頃ものですからね。私は無意識に彼女を自分たちの歌に入れようとしたのだと、思います。というのは、私は、ロンドンの歌を書こうとしていた分けですから。「 Waterloo Sunset 」は、古今のロンドンを歌った歌の中でも傑作の一つです。」 
バーンハート「ええ、それはもう、そうに違いありません。」
パートリッジ「私の脳の奥の小さな悪魔がこう言ったのです。( 明らかにアメリカ人である様に聞こえる、小悪魔の声で )「ほら、ラサ・デイヴィスのヴォーカル・メロディーを入れなよ! ほらったら。掛け過ぎなくらいのリヴァーブ! ほらったら。しなよ、しなよ、おかま野郎! やっちゃえ!」( 笑う ) 私の可愛い悪魔ですよ。 
 ああ! この歌はですね、ドラムに編集をしているのですよ。たぶん、編集をしたのは、テリーの全仕事の内で唯一です。私は、きっと唯一だと思いますよ。」 
バーンハート「本当ですか? どこです?」
パートリッジ「短いブレイクダウンの所ですよ。「 Londinium 」部分の前でしょう。終部に入る合図のあそこで、大きなロールがあります[ 4分30秒あたり ]。テリーは、他の部分は完璧だったのに、ロールをしくじったのです。それで、他のテイクから切り取ってこなければいけませんでした。それで、その別のテイクは、ロールのテンポが完全には合っていなかった様に覚えています。僅かに遅いか、速いか…」 
バーンハート「クリックを使っていないからですね。」
パートリッジ「その通りです。それで、ちょっとイカサマをしなくてはいけませんでした。他のテープに違うテンポで複写して、編集して挿入したのです。それで、合っているのです。そういう分けで、私たちは、完璧なテイクを得られたのです。」 
バーンハート「驚いています。その時には、ロールを打たなかったのですね。それでも、最後まで演奏して録音したのですね。それも、全員で一緒に演奏して録音していたのですね。」
パートリッジ「ええ。私たちは、一緒にもう一度録音しました。実際、少し遅くしてロールを入れたのを録音して、顕微鏡サイズでスピードを上げて、もう一本のテープに複写して、オリジナルのテープに編集して入れたのだった、と覚えています。 
 兎も角、あれが編集をした唯一のものだと思います。私がまだ若かった時には、ビートルズのレコーディングは、たくさんの編集があるのだと言うことを知らなかったのです。」 
バーンハート「そうですか。リンゴのテンポは良くないと、貴方は考えていましたね。」
パートリッジ「( 笑う )、ええ。「リンゴは世界最高のドラマーですか?」「リンゴはビートルズの中でも一番のドラマーじゃないのに。」」 
バーンハート「ジョン・レノンは、そんなことを言う様に、残酷なところがありますよね。」
パートリッジ「ああ、痛烈な皮肉ですよね。大抵の人がレノンを好きになっただろうとは、私は思いませんよ。実際に、レノンに会ったならばですね。 
 でも、これは覚えておいて下さい。テリーは全仕事を通して、編集を必要とする様なドラマーではなかったのです。彼がしくじった時にはですね、「よし、もう一回やろう」と言うだけですから。編集は必要なかったのです。」 
バーンハート「驚いています。私自身のレコーディングの経験からそう言うのですが。私たちは、まず、ドラムのテイクを完成することに努力を傾けます。他の奏者はそれに合わせるのです。出来るだけ合わせる様にするのです。でも、兎に角、ドラムが最初でした。それで、他の奏者が間違ったなら、後から編集して入れたのです。なのにです、貴方がたは、一緒に演奏して、全部のパートを一緒に録音しようとしていたのですね。」
パートリッジ「ええ。実際、『 English Settlement 』までそうしていました。いくつかは、ライブで録音しました。いくつかは、オーバーダビングしました。『 Mummer 』の頃には、段々、ライブで録ることが減っていきました。でも、最初の五枚のアルバムはでは、かなりの曲が、スタジオでのライブ録音です。何もかもそうです。そう言う音だったのです。レコードから聴こえる音が、恰もステージでの音の様に聴こえる様にしたかったのです。また、その反対も同様です、ステージの音がレコードと同じに聴こえる様にしたかったのです。」 



おわり、 
誤訳、疑問点を指摘して下さると、助かります。 


追記:「 兎も角、あれが編集をした唯一のものだと思います。私がまだ若かった時には、ビートルズのレコーディングは、たくさんの編集があるのだと言うことを知らなかったのです。」が抜けていたので追加。 

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2019年04月03日

ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」8

ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」7: ノエルかえる不恵留





バーンハート「ブリッジ部分では、キーボードもありますね、そう聴こえます。」
パートリッジ「ああ! あれは小さな単音のコルグです。あの頃持っていたのです。」 
バーンハート「ギター・ベースの歌なのに、どうしてそうしようと思ったのですか? 他はギターだけですよね。」
パートリッジ「まるで違った感触の音が欲しかったのです。今思うと、当時の私は、坑道を思い描いていて、滴る水滴のイメージを音にしようと思ったのでしょう。それで、私たちはこの音を選んだのです。電子的な雫の様ですよね。それで、デイブがこの短いメロディを考え出したのです。」 
バーンハート「それで、あなたは、どの機種のギターを弾いているのですか?」
パートリッジ「アイバニーズだと思いますよ。もしかしたら、「 The Paul 」かもしれません[ ギブソンのレス・ポール ]。暫く後で、ツアー中のニュージーランドで盗まれました。ニュージーランドの誰かが、私の「 The Paul 」を持っているのでしょうね。その二つのギターの内のどちらかですよ。」 
バーンハート「それから、終わりの部分で、…」
パートリッジ「転調しています。終部で転調すると言う、XTC では数曲しかない歌のうちの一つです。レコーディングの最中に、デイブが私にこう言ったのです。「自分で分かってる? 君が考えついたこのギターのメロディーだけど、本当に巧妙なんだよ。二つの調性に属しているんだよ。」 でも、全くの偶然なのです。二つの調性に合う様に意図したものではなかったのです。ただ、そうなったのです。」 
[ XTC の音楽の特徴の一つ、複調性。 ] 
バーンハート「ああ、その終わりの部分のあなたのギターのベンディング・パターンについて伺いたかったのです。あれは、最初から考えていたことなのですか? それとも、歌の終部の余ったところに、後から加えたものなのですか?」
パートリッジ「書いている間に思い付いたものです。書いている間に、インド風の音が欲しくなったのです。「レイン[ ビートルズの曲 ] 」の中の程度のインド風ですよ。シタールか何かそんな感じの音が欲しくなったのです。 
 歌の最初は F コードで始まります。でも、Gを鳴らしっぱなしにしておくのです。そうすると、大きく響く壮大な感じになるのです。それから、歌が進むと、コードはGに上がっていくのですが、オープンGの弦は鳴らしっぱなしのままです。そうすると、「レイン」のドローンぽい感じになるのです。それが、私がして見たかったことなのです。 
 実際に、アウトロのところは、「レイン」に似ている様に聴こえます。ジョン・レノンが死んだ翌日の夜に、私たちはリバプールでライブをしていて、この歌の最後を「レイン」にすることになったのは、貴方もご存知でしょう。」 
バーンハート「はい、その話しを読んだことがあります。貴方たちは、この歌の終わりから「レイン」へと続けたのでしたね。」
パートリッジ「ええ。アウトロでの「 Londinium 」と歌うのを止めて、「 Rain 」のヴァースを二つ演奏することに決めたのです。私の目からは涙が流れ出しました。でも、誰も気が付きませんでしたよ。バケツの水を浴びたほど汗をかいていましたからね。ジョンが撃たれた翌日でした。私たちはツアーに出ていたのです。ガソリン・スタンドに立ち寄って、何か食べ物と新聞を買おうとしたのです。それで、「えええ! この新聞を見ろよ! 見出しを見て見ろよ! 「 Lennon’s been shot 」だって!」と言うことになった分けです。しかも、私たちは、リバプールで公演をするための移動の最中だったのです。不思議なことに、ライブでは、昔からよく知っていると言う雰囲気になりました。 
 私たちが「 Rain 」の一節をちぎり盗ったと非難する人は一人もいませんでした。私たちがちぎり盗ったとは、私は今も思っていません。でも、私たちの音響の面に於いて、一つの足掛かりだったと言うことは確かでしょう。」 
バーンハート「コードをGに進行させたと言うのは、興味深いです。オープンGは鳴り続けているのですから、それは、和声の解決になりますからね。」
パートリッジ「ええ。それからです、ベンディング奏法のギターのメロディーには、Bの音も入っています、F和音だと、それは未解決に聴こえます。それで、G和音に進行すると、ベンディング奏法のギターのメロディーは、そっくりそのままなのに、不思議なことに解決して聞こえるのです。繰り返しますが、あれは、私が未熟だったからだと、今は思っています。それが正しいと思ったのです、生意気にもですね。音楽の理論は知らなかったのです。「ああ、同じフレーズを繰り返すつもりだ。G和音にすれば、解決した様に聴こえるよ。」とは言えなかったのです。基づいている理論は何もなかったのです。それは確実ですよ。「わあ、これは良いよ。ここでは、このキーにしとこうよ。」と言うだけだったのです。」 
バーンハート「時には、それこそが必要なのですね?」
パートリッジ「それがちゃんと機能するのでしたらね、上手くいくのです。」  

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2019年03月29日

ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」7

ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」6: ノエルかえる不恵留





バーンハート「ヴォーカルについても少し話してください。」
パートリッジ「今日、自分のノートブックを見て思い出したのですが、古いノートです、そこには最初のアイデアが書き込んであるのです。括弧で囲んだ中に、私はこう書いていました。「ローリング・ストーンズの「 Sing This All Together 」。」 自分がメロディーを忘れない様にこの様に書いていたのです。そのメモを見るとメロディーを思い出すのです。[ 歌詞の「 Towers of London 」の所は、「 Sing This All Together 」のメロディに似ている。 ] 最初の、似ているのは二音か、三音だけですけれど、それでも、それだけで、私はメロディーを思い出せるのです。それでですね、後になって、リハーサルの時ですけれど、誰かが、「このメロディーは、トム・ジョーンズ Tom Jones の「 That’s Daughter of Darkness 」だ。」と指摘したのでした。[ Daughter of Darkness (song) - Wikipedia ]」 
バーンハート「今日、聴いて驚いたことの一つは、コーラス部分の行の終わりが、フェイド・アウトとフェイド・インになっていることです。[ コーラス部分の「 … who fell 」でフェイド・アウト。 ]」
パートリッジ「ええ、バック・ハーモニーがフェイド・アップして来るのです。私たちは、歌いながら退いたり現れたりしたのです。そうやって、音量の調節をコントロール・デスクに送ったのです。」
バーンハート「それでは、あれは、スタジオでしたことなのですね。録音した後に決めたことではなくて。マイクから離れたり近づいたりしたのですか?」
パートリッジ「その様に歌う様にしていました、スタジオでは、それを強調したのです。本当に背後に現れた様でしょう。私は、あの夢に見たものの様な、と言うか、幽霊の様な音像が気に入っているのです。まるで、バックマスキングの様に聴こえるでしょう。 
 それから、『 Coat of Many Cupboards 』に収められたものでは、アコースティック・ギターが主体になっています。『 Black Sea 』では、決して使わなかった様な音像です。『 Coat 』の版の第二ヴァースで聴こえる音ですけれど[ Bridges of muscles… 、の各行の終わり、… high 等のところで「ギュワァーン」と言う音が鳴る。 ]、あれは、私が、アコースティック・ギターとは対照的な組成の音が入ることを望んだのです。すると、スティーブ・リリーホワイトが、「良いものを持ってる、小さなアンプリファイヤーなんだ、ラジオシャック Radio Shack [ ラジオシャック - Wikipedia ] で買ったんだ。アーチャー Archer と言うものだよ。小さなマッチ箱くらいで、その中にスピーカーが入っているんだ。で、小さなソケット・ジャックも付いていて、それに繋げられるよ。」と言ったのです。性能のいいマイクを繋げたら、それは、金属的でものすごくビリビリする音を出すのです。 
 『 Coat 』版の、現れ出てくる様な、それでいて工業的で、なのに夢の中の様な音は、説明するのが難しいです。まあ、怒り狂った熊蜂の様な音でしょうか( 笑う )。『 Black Sea 』版では、私たちは、それをヴォーカルに替えたのだったと、覚えています。」   




二つ目の質問と答え、訳は間違っているかもしれません。 
原文は: 
TB: One of the things that struck me, as I was listening today, is the fade-out and fade-in at the end of each line of the chorus.

AP: Yeah, the harmonies fade-up -- we fade ourselves in with our singing, and the faders are coming up on the desk.

TB: So, that was a studio thing, rather than you guys deciding to pull away from, then move back toward, the mic?


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2019年03月27日

ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」6

ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」5: ノエルかえる不恵留





バーンハート「その通りですね。では、グレゴリーさんのギターについて話してください。特に、ブリッジ部分でのギターと、ソロについて話してください。」
パートリッジ「そうですねえ、デイブは、本当にしたい様にしているのですよ。ブリティッシュ・ブルース流派の一つですね、多分。「 dig in [ フレージの開始で、開始の音とは別の弦をピックで弾くのだけれど、その音はミュートする奏法。フレーズの開始に「ガリッ」と言う音が入る。 ] 」や「泣」のギターですね。ギブソンを使ったのです、ボリュームを上げて、「泣く」のですね。」 
バーンハート「そうですか、私は、この曲では彼がどのギターを使ったかを伺いたかったのです。」
パートリッジ「ギブソンだったと思います。ギブソンだとはっきり覚えています。」 
バーンハート「どの機種ですか?」
パートリッジ「デイブに聞かないとね。彼だったら、どのギターだったか、どのアンプを使ったか教えてくれますよ。デイブは、そうしたことを全部メモにとっていましたからね。録音した全部の歌についてですよ、どのエフェクトを使ったか、設備はどうだったか、いろいろなこと全部ですよ。どう言う仕様だったか、彼は教えてくれます。ですから、貴方は、そのまま再現できますよ。」 [ グレゴリー回想「 Towers Of London 」: ノエルかえる不恵留 ]
バーンハート「ブリッジ部分[ And I’ve seen it in a painting… のところ ]でグレゴリーさんが出している音色が、私はとても好きなのです。ヴォーカルがコール・アンド・レスポンスをしている様で、キリッとした感じを出しています。」
パートリッジ「ええ、あれがデイブの好みなのです。あれは、アンプリファイヤーを酷使していますよ。ギブソン・ギターも目一杯です、それに、彼のディグ奏法、ブリテンを悼んでの「泣き」のギター、わかりますよね。( 笑う ) デイブは、自分の右腕をダニー・カーワン Danny Kerwan[ Danny Kirwan - Wikipedia ] のにしてしまっていたと私は、思うのです。それで、あの「泣き」のギターなのですよ。金髪のモップトップ・スタイルの髪型をしていた、オリジナルのフリードウッド・マックのギタリストですよ。デイブはカーワンにとても入れ込んでいたのだと思います。ギターのテクニックも、演奏スタイルも、それに見た目も。実際、デイブに似ているのです。まあ、反対ですかね、デイブがカーワンに似ているのですね。デイブが、多感な頃、14歳か15歳でしょうね、ダニー・カーワンとフリードウッド・マックを見たのでしょう、カーワンは14歳くらいに見えましたからね、それで、デイブは、「ええ、あれは僕だってこともあり得るじゃない!」と思ったのですよ。[ カーワンは、1950年生まれだから、グレゴリーよりも2歳だけ年上。 ]
 デイブは、フリードウッド・マックの様な音楽が大好きなのです。エリック・クラプトンとかジェフ・ベックとかですね。ブリティッシュ・ブルース楽派のギタリストが好きなのです。」 
バーンハート「ブリッジ部分は、貴方たちがバンドで歌を作っていて、自然にそうなったのですか? それとも、貴方が、「ねえ、君がここで歌うとすれば、どう言う風に応えるかと言う感じで弾いてくれ」と言って、あの様に出来上がったのですか?」
パートリッジ「そうですね、確か、彼はギターを入れる余地に気が付いて、全力を尽くしたのだったと、覚えています。あのギターの逞しい筋肉は主題に合っている様に思えました。「へえ、良いよ。それは曲を活かすね。」と言ったのだったと思います。彼の「 Real by Reel 」での演奏にも、同じ様な逞しい筋肉を見ることが出来ますよ。ディグ奏法と「泣き」のギターです。それらはどれも、しっかり考えられているのです。腰だめで適当にやったのではありません。デイブは、何を弾くか、隅々まで考えてから弾くのです。」 
バーンハート「では、ソロも同様ですか? 貴方が「ここにソロを入れて」と言って、グレゴリーさんが考え出したのですか?」
パートリッジ「ええ、デイブが考え出しました。彼は、スタジオを出て行って、それから、譜面に記譜して仕上げるのです。それが、デイブの遣り方です。」 
バーンハート「それでは、貴方は、ソロについてどうお考えですか?」
パートリッジ「そうですねえ、あのソロの中に、何か新発見を私がすると言うことはないですね。とても良く出来た仕事、と言うだけに思えます。あのソロは、そうですね、言えば、本物のビーフ・サンドイッチの様なものです。「僕はお腹が空いている。ビーフ・サンドイッチか何かないかなあ。」「いいよ、ほら、ビーフ・サンドイッチ、出来上がり。」と言う感じですね。デイブは、この歌の中で、腹を空かせた人夫にビーフ・サンドイッチを出しているのです。」  


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2019年03月22日

ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」5

ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」4: ノエルかえる不恵留





バーンハート「ベースの話しに戻りましょう。貴方は、ベース・パートを単純な…」
パートリッジ「ええ、ダウン・ビートのバス・ドラムに合わせて鳴っているだけです。想像して創った様なものではないのです。メロディックなものは全く演奏されないのです。それは、ただただ、大きな木製の機械か巨大な蒸気式ハンマーが落ちてくる様子を私に思い描かせると言うものなのですから。それは、音楽的な感じ方ではないのです。そうですね、スティーム・パンク[ Steampunk - Wikipedia ]に近いものです。( 笑う ) 私の言いたいことは…、鋲で留められて動かないと言う、ベース・ラインなのです。」 
バーンハート「ですが、同時にですね、いろんな部分で、もっと動きが出るところもありますよ。例えば、( コーラス部分での上昇したり下降したりするベース・ラインを歌う。 )」
パートリッジ「ああ、そう! それは、とても良いベース・ラインだと思います。でも、ベースのエッセンスは、一拍と三拍の間の、蒸気式ハンマーの様な音なのです。」
バーンハート「それは、貴方が、モールディングさんに、この様にしてほしいと、正確に指示したものなのですか?」
パートリッジ「覚えていません。当時は、私たちは、一つの歌について、皆んなであれこれ話し合って検討していたのです、いつもそうでした。私が、マルチ・トラックのレコーダーを手に入れて、デモを作り出す前の話しですから。その頃はですね、リハーサル用スタジオで、私は、首にギターを掛けて、「いい、こうするんだ」と言って弾いて見せて、それから、自分の頭の中で鳴っている音を、できるだけ忠実に皆んなに説明する様に努めていたのです。自分の頭の中の音楽を描き出すことが出来る、4トラックのマルチ・トラックのレコーダーを使っての自宅でのデモは、’83年になって初めて作る様になったのです。それ以前は、しどろもどろになりながら、何とか他のメンバーに説明しようとしていたのです。」
バーンハート「そうですか、では多分、モールディングさんとチェンバースさんが密接に協力して考えたのですね。」
パートリッジ「ええ。ところで、私は、この曲のドラムがとても好きなのです。テリーがミドルセクションで叩いている所がです。トムトムを使った演奏は本当に素晴らしい。今日まで、忘れてました。」
バーンハート「ええ、ブリッジ部分で、彼のトムトムとハイハットの使い方は、凄いです。それに、曲を一貫して通して、ベースに密着しているのです。私は、彼の演奏に倣ってこの曲のドラムを叩くのが、いつでもとても楽しいのです。と言うのはです、この曲の彼の演奏は、彼がどれ程に怜悧でコクのあるドラマーであるかを示しているこれ以上はない例なのです。貴方は幸運ですよ。歌に不可欠なものを自ら進んで成してくれる特別な人がいたのですから。」
パートリッジ「テリーは、私が如何してもして欲しいことをしました。でも同時に、危険すれすれの原始主義も歌に持ち込んだのです。」
バーンハート「その通りですね。この歌の彼の演奏には、原始的なエネルギーが満ちています。しかも、岩の様に固いのです。多くのドラマーが「ああ、私が差し挟む余地はないよ。」と言っていたものでした。所がです、彼の演奏には、自我が完璧に欠如しているのです。時には彼の方からそうしたのでしょうけれど、彼の自我が欠如した演奏は、貴方に歌を築き上げる為の素晴らしく堅固な基盤を提供している様に思えます。」
パートリッジ「そう、貴方はよく真実を突き止めましたね。真面目な話、そうです。」
バーンハート「チェンバースさんの演奏が大好きなものですから、私は、如何しても大仰に喋ってしまいます…」
パートリッジ「そんなことはないですよ。テリーを得たことは、私たちはこの上なく幸運だったのだと考えています。『 Drums and Wires 』の時に、私たちは、この新しくて大きなドラムの音を手に入れたのです。テリーは、突然に覚醒したかの様でした。それに、それまで以上に、ドラムに面白さを感じる様になった様に見えました。如何言う分けでしょうね、様々な理由があったのでしょう。自分の特徴的な音を見つけたのだと思います。変速レバーを二メモリほど上げて見ると、「ワーオー」と言うことになった、と言うのに似ているのでしょうか。」
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2019年03月20日

ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」4

ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」3: ノエルかえる不恵留





バーンハート「貴方個人がそう言ったことに関係していたのですか?」
パートリッジ「図書館で二冊ばかりの本を借り出したのだったと覚えています。私がまだ本を購入することが出来なかった頃のことですが、いつも図書館に行っていたのです。ヴィクトリア朝時代のロンドンをまとめたものを読んでいました。ヴィクトリア朝時代の街並みを造り上げている間に死んだ平民の数の多さは、私に「この事を歌にしなければいけない。」と私に思わせたのです。」 
バーンハート「私は常々、この歌は、貴方の政治的な面の歌の中でも、最も巧妙でしかも成功した歌だと考えています。貴方は、これを政治的な歌だと考えていらっしゃいますか?」
パートリッジ「政治的かどうかは、私には分かりませんね。私にとってはですね、この歌は温かい歌です。ヴィクトリア朝のロンドンを建設する間に亡くなった平民たちへの献歌という意味で、温かい歌なのです。こういう風に言っているのです。「あなたたちは偉い、あなたたちの献身がこの素晴らしい都市の出現の礎なのです。」 私は、ギュスターブ・ドレ[ ギュスターヴ・ドレ - Wikipedia  The British Library. のコレクションから:London illustrations by Gustave Doré ]のロンドンの版画の本を持っています。それで、この歌を書くのに大きな閃きになった絵を探し出そうと、今日、その本を通して見たのですが、見つけられませんでした。ですから、その絵は、ドレのものではなかったのだと思います。とは言っても、ドレの版画に描かれたヴィクトリア朝中期のロンドンは、私には驚愕を覚えるものだったのです。身の毛も弥立つ様な光景です。20世紀社会に到達しようと奮闘している第三世界の様な社会を描いているのですから。」 
バーンハート「当時の進歩的社会運動は、実際の労働者の状況を描く芸術家たちによって、推し進められていました。ディケンズが思い浮かびます。[ チャールズ・ディケンズ - Wikipedia ]」
パートリッジ「その通りです、その通りです。ディケンズは人々に社会的良心という事を考えさせるのに大きな役割を果たしました。」 
バーンハート「その様に言われることが、私が、この歌を貴方は政治的な歌だと看做しておられるかもしれない、と考えた理由なのです。」
パートリッジ「それは違いますね。この歌で私が語った人々は、私が歌を書く百年も前に亡くなっているのですから。ですので、私としては、感謝を込めた歴史ファンタジーか何か、その様なものではないかと思っています。 
 それからですね、私がその時までに覚えて自分の頭の中に入れていた曲の中で、そこから何かを引き出したいと思っていた曲が何曲かあったのです。その曲を絞り上げて美味しい果汁を出したいと思っていたのです。その一つは、スティーヴ・ハーレイ&コックニー・レベル Steve Harley & Cockney Rebel の「悲しみのセバスチャン Sebastian 」[ Sebastian (song) - Wikipedia ]です。どうしてそうなのか自分でも分からないのですが、この歌は、私には、ディケンズに聴こえるのです。ドレの版画のロンドンに聴こえるのです。如何してかは、説明が出来ません。私は、その歌を台に乗せて、ヴィクトリア朝時代のロンドンのエッセンスを「絞り出し」たいと思っていたのです。そのエッセンスを自分の歌に注ぎ込みたいと思っていたのです。ですけれど、私たちは、大音量の削岩機の様なベースの音、それに、バックビートのところで、鋼鉄の梁が振動して鳴り響くビーンと言う様な音に合わせる必要があったのです。そうやって、私たちは、工業化するヴィクトリア朝時代の光景を作り出そうとしていたのです。」 
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2019年03月18日

ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」3

ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」2: ノエルかえる不恵留





バーンハート「( 笑いながら ) 若者の元気ですね、間違いなくそうですね?」
パートリッジ「そう! それに恐らくはです、私たちが一番ハンサムであった時なのです。それで、同性愛者たちに周りをしっかり囲まれていたのです( 笑う )。写真撮影もしましたけれど、当時が一番ハンサムな時だったと思いますよ。」 
バーンハート「そう言われると笑ってしまいます。今、私は手にCDを持っているのですけど、それを開くと、貴方たち四人の写真があって、言えば、全員が健康そのものですね。それに、それに誰もがまだ痩せていて…」
パートリッジ「ウグェ! 髪の毛もありました。」 
バーンハート「ぼうぼうですね。」
パートリッジ「ぼうぼう、そうですね。素晴らしいことだ。」 
バーンハート「コリン・モールディングさんは、カメラの前でむすっとした顔で…、」
パートリッジ「ええ。コリンは、ルドルフ・ヌレエフ[ ソ連出身のバレエダンサー Fondation Rudolf Noureev – Site Officiel de la Fondation Noureev 1993年にエイズで死亡。ミック・ジャガーやフレディー・マーキュリーとも交際。]に似てますね。今は、ルドルフよりも、赤鼻のトナカイに似てますけどね。( 笑う ) まあ、どうでしょうねえ。」 
バーンハート「ギターのインタープレイのことは置いておいて、他のパートについて話してください。この歌でのベースラインについて私は伺いたいのです。このベースパートは、曲に於いてとても重要なパートになっているからです。」
パートリッジ「そうです。私は、このベースの知恵の無さが好きです。ただ、バスドラムのところで鳴っているだけなのですから。ハンマーか何かそう言った金属が立てる大きな音に合わせて一緒に鳴っている機械の音なのです。そう言う音の風景が、ヴィクトリア時代のロンドンを建てる時、地下鉄を造る時、下水溝を造る時、ゴシック調大建築物を建てる時、大きな国会議事堂を建てる時、鉄道網を造る時にあったのです。この音の風景がロンドンを一つに纏めていたのです。」 
バーンハート「その通りですね。ですけれど、この歌を貴方が書いている最中では、ロンドンのシティー街はまだ全盛期には至っていなかったのですね、ロンドン塔を取り巻く、巨大なガラスとスティールのビル群は伸びている最中だったのですから。貴方は、そのことも書いているのですか?」
パートリッジ「そうですね。実はです、正直に言えば、この歌は元々、「 Tower of London 」と言うタイトルで書かれたのです。[ Tower が複数ではない。 ] 歌詞は全部、私は残しています。こうなのです、「 The Tower of London / Spreading high and wide / People speak a hundred tongues / But never get inside 」 そこが歌の中心だったと思います。それを私は線を引いて消しました。バベルの塔のことを言おうとしていたのだと思いますよ。コスモポリタンな面が増大しつつあった当時のロンドンについてです。驚くほど、もうインターナショナルになっていましたから。 
 当時、私は、自分がロンドンのことを書きたがっているのだと意識していました。キンクスの「 Waterloo Sunset 」を羨ましく思っていたのです。「これと同じくらいいい歌を書きたいな。それはきっとロンドンのことを歌ったものになるだろう。僕たちの首都なんだから、間違ってないよね。」と思っていたのです。そうして取り掛かったのです。でも、脱線したのです。「違う。これでは僕には何の意味もない。」と考えたのでした。 
 そう言う時に、ロンドンの地下で何かを造っている労働者の版画を見たのです。確かなことは覚えてないのですけれど、そこは大きな地下の通路です、通路の天井には穴があって、日が差して来ています、それで、坑内用のポニーが居るのです、そうして六人ばかりの人夫が居るのです。そこでこう考えたのです。「僕はロンドンのことを歌に書こうとしている。けれども、こうして実際に作り上げた平民の視点から歌を書くのが良いのじゃないか。」 「測量士」とか運河工事の従事者。運河を掘った、地下を掘った平民たちです。ヴィクトリア時代の平均的な労働者ですよ。彼らは、「人夫 / navvy」と呼ばれていました。人夫の多くは、アイルランド人でした。あるいは、西部地方の人たちです。北イングランドの人たちもいましたけれど。彼らは、頭の悪い田舎者と見做されていました。一般的にですね。それで、都市の住民からは見下されていたのです。お分かりですよね、「使い捨てしていい」人たちだったのです。 
 この着想を広げようと色々と考えていると、私は、これは自家薬籠中の歌だと感じてしまいました。そこで、タイトルは、「 Tower of London 」でない方がいいのではないかと思ったのです。それでは、「ロンドン塔」を意味するだけなのです。歌はロンドン塔についてではないのにです。それで、「 Towers of London 」に変えることを思い付きました。当時、ロンドン全体が膨張していたのですが、私は、「このロンドンを造った平民たちのこと、その平民たちがどのようにして都市を造ったかを、考えた人がいるのだろうか?」と思ったのが、その理由なのです。 
 ですから、これは、人夫たち、労働者たちへの賛歌なのです。ロンドンを造った、今も造り続けている労働者たちを讃えているのです。これが良いと私には感じられました。ロンドンを歌うのにちょうど良い素材だと思ったのです。」 
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2019年03月13日

ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」2

ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」1: ノエルかえる不恵留





バーンハート「そうですね。更にです、『 English Settlement 』では、二本のギターの違いがもっと顕著になり始めています。貴方は、アコースティックが多くなり、グレゴリーさんは、12弦とか…」
パートリッジ「あるいは、キーボードを多く使ったりですね。」 
バーンハート「ええ、確かにそうですね。ですが、この『 Black Sea 』では、貴方たち二人はぴったりとくっついているのです。」
パートリッジ「ええ。」 
バーンハート「二人がぴったりだと言うことは、貴方たち二人のギター・パートに於いて、意図的にされた選択なのですか? つまりです、貴方はバンドの中でグレゴリーさんと一緒ならば何が出来るのかをよく分かっているのですから、彼と一緒だと言うことを利用してしようとしている手段だったということなのでしょうか?」
パートリッジ「私は、聴衆を欺いているのかもしれないと、感じていました。私たちのステージでのライブを貴方がご覧になっていれば分かるでしょうけれど、レコードとは違っているのです、あべこべなのです。可笑しな思い込みですよね。でも、私も聴衆がそう思っていることは承知しているのですが、実は、ステージの演奏は、レコードのものとほとんど同じなのです。お分かりでしょう、同じアレンジメントなのです。と言うのは、バンドの誰もが、各「パート」を覚えていますから。それで、外れることはなかったのです。私たちが、「即興」に入る余地があったのは、ほんの二曲だけです。「即興」は鉤括弧付きですよ。本当の即興演奏ではありませんでしたから。二、三の楽句に長いゴム紐が付いて周りを回ってる感じでしょうか。例えば、「 Battery Brides 」がそうですね。」 
バーンハート「それから、「 Scissor Man 」ですね。」
パートリッジ「そうです。終わりの部分は、すっかりダブ風になっています。ですけれど、毎夜のステージでの「 Scissor Man 」の演奏の録音を聴けば、貴方もお分かりになるでしょうけれど、あるモチーフを何度も繰り返しているだけなのです。長いゴム紐で、上へ行ったり下に行ったり跳ねているだけで、構造的には、ブリッジ部分とほぼ同じなのです。正確には同一ではありません。ほとんど同じなのです。 
 『 Drums and Wires 』の頃、それから『 Black Sea 』の時期に入った頃、私たちがステージのライブですることは何もかも全てがレコードと同じに聴こえなければならない、と考えていました。そうしないと、如何にもこうにも、レコードを買った聴衆を騙している様に感じていたのです。 
 ですが、私はそういうことに不満を感じていたのです。それで、『 Black Sea 』ツアーの終わり、と言うよりも、幾つもあったツアーの終わりには、「ああ、そうだ。僕はもう成長したんだ。それで、これまでとは違う音楽の織り込み方法を使っているんだ。でも、一体どうやってそれをライブで出来るんだ?」と言う思いを抱く様になっていたのです。お分かりですか? 私はもっとキーボードを使いたかったのです。それに、ストリングスも、本当にどうにか出来れば、ホーンもその他の楽器群も使いたかったのです。 
 ですが、この『 Black Sea 』と言うアルバムは、ツアー・マシーンの最高潮の時期に録音されたものなのです。ですから、筋肉質であった時の XTC なのです、今の私はそう思います。」 
バーンハート「そうですか、それでは、二本のギターインタープレイは、貴方のレコードのままにステージで実演すると言う考えと、どの様に繋がるのですか? この時期では、貴方たちお二人のパートは、密接に絡み合っていますけれど。」
パートリッジ「ええ、上手く出来ました。貴方にはお分かりでしょうね、それぞれのパートは、一つのコードを分解して、振り分けられているのです。それだけでなくて、アレンジもされています。当時の私たちが何をしていたのか分かっていたかどうかは、今はちょっと分かりません。少なくても私については、意識的に自分がしていることを理解していたとは思いません。それでも、それは、曲をアレンジすると言う素人的な方法なのは確かでしょう。そうですね、コードはバラしてですね、ある部分はデイブになるのです、それである部分は私です、それから、二本のギターが互いに擦れ合う様なシンコペーションのリズムにも気が付きました。それから、その他の色んなこともですね。 
 実際に、このアルバムではその様なことがたくさんあります。例えば、「 Living Through Another Cuba 」と「 Love at First Sight 」です。そこでは、私は、デイブの1オクターブ上を弾いています。それから、デイブは大きな音でオープンDを弾いているのですけれど、その音に引っ掛かって障る様な小さな音を弾いているのです。 
 それでです、私たちが意識的だったのは、すべての歌を、大きな音で筋肉質で時計仕掛けの機械の様にすることだったのです。( 女性的な声で ) 「わたしたちはね、ちょうどあの頃、筋肉にハマっていたのよ」( 笑う )。それに、肌は茶色でした! びっくりするくらい茶色になって、しっかり油を塗られて滑らかに動いていたのです、効率の良い機械でした。」 


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2019年03月08日

ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」1

 アンディ・パートリッジとトッド・ベルナール Todd Bernhardt さんの対談、「 Towers of London 」について。
 2007年12月16日にMySpace に公開のもの。MySpace にはもうありません。今は、チョークヒルのアーカイブにあります。 
Chalkhills: XTCFans: Andy's Take: "Towers of London"





バーンハート「私が貴方たちの歌の中でも一番好きな歌の一つ、「 Towers of London 」について話してください。」
パートリッジ「おや、この可愛い怪物のどこから始めますか?」 
バーンハート「『 Black Sea 』の第二面、それはファンタスティックなのですけれど、その第二面はこの歌で始まります。「カン」と鳴る音があって、それから、コントロール室で話しているのは誰ですか?」
パートリッジ「実はです。そのことについては覚え書きを書いていたのです。何が起こっていたか、本当のことを誰も説明する人はいませんでしたから。テリーがストーン・ルームに居たのだったと思います。彼が何かを叩く音が聞こえますよね、あれは二つの物なのです。テリーは、消火器のようなものを鳴らして、それから、ディナー皿もあったかもしれません。そういう風に覚えているのですけれど。注意深く聞けば、二種類の「カーン」という音が分かりますよ。それを一緒に混ぜているのです。 
 それで、彼がいうのです。「 OKay? 」、あれは、テリーが言ったままです。「 I’m ready when you are 」。それから、トークバック・マイクロフォンで、スティーブ・リリーホワイトがふざけていう言葉が入ってくるのです。「 Take a hundred and three 」。」 
バーンハート「本当ですか? これまで私はずっと、「 Take number three 」だと思っていました。それから、誰かが冗談風に答えて、「 Take a hundred and three. 」と言っているのだと思っていました。」
パートリッジ「そうですか。『 Coat of Many Cupboards 』のは、ポリグラム・ストジオでのオリジナルではありません。実際は、コリンが笑っているだけのものでした。けれども、アルバム『 Black Sea 』のものは、その時私たちがしていたことを全部、スティーブ・リリーホワイトが録音したのです。私たちは絶え間のないギャグを喋って録音してました。これが、第103番目のギャグなのでした。それで、スティーブがそれを言って、テリーが、マネージャーのイアン・リードの細い鼻にかかった上流階級の声を真似て繰り返すのです。それから、私のヴォーカル用のマイクで、もっと鼻声にしたイアン・リードの声で、「 a hundred and three 」と言ったのです。それを、スティーブたちがテープの最初に入れたのです。私の声には少しエコーもかかっています。そういう次第で、冒頭に、登場人物の配役が出ているのです。 
 ですが、消火器が最初の「カーン」の音を出しているかどうか、私は確かには分かりません。確かなのは、この歌は、マナー・スタジオで私たちが行った、偽物の「再録音」の一つだと言うことです。ご存知ですよね、BBCの「 XTC at the Manor 」です。タウンハウス・スタジオで私たちが録音した実際の『 Black Sea 』では、おそらくディナー皿か何かその様なものであったのでしょうけれど、私は何かそうでなかった様な感じがしていたのです。私は、それがディナー皿でも重たいマイク・スタンドの底の様なものでもパイプとか建材の部分でも驚きはしないのですが。マナーの中にあったものでは、消火器がどうにかそれらしく聞こえる音を出す唯一のものだったと思うのです。」 
バーンハート「ああ、『 Coat of Many Cupboards 』と言えばですね、あの中に収められていたエッセイで、ハリソン・シャーウッド Harrison Sherwood さんは、この時代の貴方たちを何と呼んでいたでしょう? 「逞しい肩のXTC 」でしたでしょうか? 貴方たちが、二本のギター・一本のベース・ドラムズの編成に落ち着いた時のことですけれど。それで、この歌は、古典的な表現の音楽である様な印象を私に与えているのです。」
パートリッジ「この歌はそういう類の歌です! とても筋肉質なのです。アルバム『 Black Sea 』全体が、ちょうど最高潮のツアー・マシーンの時のアルバムなのです。「何にも構うな、これが求めていたものだ。」という時期です。「僕らはギターを取った、その音をどんどんでかくする、メタルを食ってやるんだ。」( 笑う )」 
バーンハート「( 笑う ) 貴方は前に、貴方とデイブ・グレゴリーさんが一緒になって、一人の卓抜したギタリストになっていると、私に話されました。この歌は、その好例ですね。貴方がメインを取りグレゴリーさんが自分のパートに引き下がっている、ブリッジ部分[ And I've seen it in a painting の部分 ]を除いて、ヴァース部分では、貴方たち二人のパートはお互いに噛み合っていますから。」
パートリッジ「ええ。私は、この歌についてたくさんの覚え書きを書いています。でも、そのことについて、私が答えられるかどうか。( しばらく黙って ) 思うのですが、私は「 Rain 」を焼き直したかったのではないでしょうか、潜在意識下でですけれど。音楽に於いてですよ。ガンガン鳴る複数のギターがぶつかり合って、そして、ある種のドローンが生まれると言うのをしてみたかったのです。それが、彼ら[ ビートルズ ] がしていたことだからです。彼らは、「 Rain 」でドローンの一種を試してみているのですから。私の一部分が、同じ場所に行ってみたいと思っていたのだと、今の私には思えます。 
 ですけれど、貴方が仰りたいことは分かります。このアルバム全体に於いて、二つのギターが一つになっているのだと、私も思います。二連散弾銃の二本の銃身なのですね。( 笑う )」  




ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」2: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」3: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」4: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」5: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」6: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」7: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」8: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Towers of London 」9: ノエルかえる不恵留
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2019年03月02日

2017年版『 Black Sea 』ノート:テリー・チェンバース

 2017年版『 Black Sea 』に付けられたノート。テリー・チェンバースのもの:  





 さて、私はこのノートを書き始めなければならない。思うに、『 Black Sea 』製作の概略になるであろう。それはである、私はあの製作の時のことをほとんど覚えていないということを、認める他ないからである。 
 ではあるのだが、覚えていないということは、悪いことではないのだ。偽りなく言って、私はどうしてもどんな出来事も思い出せないのだ。私にとって、あのアルバムの製作は事件のないものだったのだ、それはつまり、良い経験だったということと等しいのだ。私は、普段、悪いことを覚えているという傾向がある。そうであるのだから、あの製作は順調に行ったに違いないのだ。実際、あの製作中の期間で、嫌な日は一日も思い出さないのだ。 
 デイブは、『 Drums And Wires 』の直前に加入していたのだが、諸問題は片付いていて、彼はずっと快適に感じるようになっていた。さらに、バンドは本調子になっていた。歌はどれも良くて、聴衆は次第に大きくなっていっていた、それに連れて、我々は次第に認知度が上がっている様だった。我々のライブ時代、正にそうだった。 
 回顧してみると、我々が成し遂げたことの凄さを思い知るのだった。あの様な僅の間に、可能であることは全て遣り尽くしたのだった。していることに対しての尺度を私は知らなかったのだ。私は、何もかもを当然のことと看做していた。「ああ、それはもう片付いた」等と思っていたのだ。ところが、それは、驚愕すべきことだったのだ。アンディとコリンが供給した「原料」を、我々が物の見事に「歌」に仕上げる、その方法というのは大したものだったのだ。 
 ライブのステージの仕事だけではなかった。作歌の切迫した締め切り、リハーサル、歌の録音…、インタビュー…、そして始終巡業で移動、我々は永久運動状態にあったのだ。それは我々をバンドとしては強くしたのであるが、時折には、仕事のすべてから離れて寛ぐことが出来る環境が必要なのだ。どんなスポーツでも、オフシーズンがあるのはそれが理由なのである。 
 ところが、音楽家になると、決して休みが取れないのだ。365日の仕事なのである。週末の休みを取って家族と共に過ごす等ということは出来ない。問題にもならないのだ。サーカスは常にどこかの街で公演しているのである。 
 しかし、当時の我々には分からなかったのだ。我々が分かっていたのは、それまでの作品とステージ全部の結果として、バンドがより良くより強くなっていた、ということだけだった。我々の時代では、レコーディング作品に優れているバンドというものは、正真正銘に演奏しているバンドであったのだ。つまり、ライブ・バンドであったのである。我々もその範に倣ったのだ。ほとんどの歌は、録音する以前に観衆の前で演奏していた。その結果として、おそらく、『 Black Sea 』は、XTC と言うライブ・マシーンの最良の見本になっているのである。 
 我々は非常に幸運なことに、『 Drums And Wires 』で働いたことのあるのと同じ、スティーブ・リリーホワイトとヒュー・パジャムの製作チームと働くことが出来た。そのアルバムでは、我々はまずまずの成功を収めていた。また、『 Drums And Wires 』の製作時には、働くのに良い雰囲気があったのだ。我々は、お互いの仲間を高く評価していたのだ。 
 加えてである、『 Drums And Wires 』と同様に、『 Black Sea 』を我々はタウン・ハウスで録音したのだ。そこの素晴らしいストーン・ルームに、私のタマ・ドラムズを置いたのだ。24インチのキック・ドラムは、それでなくても大きく響くのだが、ストーン・ルームはさらに大きく響かせるのだった。私は、これに、ロト・トムと効果音としてスナイパー・ドラム・シンセサイザーを加えた。ヒューの瞠目させられるエンジニアリングの助けを借りてそれらを組み合わせた。この2017版を聴く諸君は、「ワイド・スクリーン・プロダクション」を使うスティーヴの補助を受けることで、海底の岩盤をきっと見ることであろう。 
 我々が録音する際には、ドラムズのトラックを最初に録音する様にしていたのだ。他のメンバーはそれに合わせて演奏すると言う次第だった。エンジニア・スタッフたちが、我々が最初に合わせて演奏したものを録音出来た場合であれば、それは、目付け物と言う事だった。もしそうでなければ、私の朋輩たちは自分のパートを後から打ち込まなければならなかったのだ。そうなると、常々、「どうやったて、あれよりは良くならないぞ」私は彼らに言っていたものだ。その場合はどうするか、それを肯うか、翌日また来るかである。ドラムズを為終えれば、一安心であった。重圧から解き放たれると言う事だ。 
 結果はといえば、遣り甲斐のある仕事であった。『 Black Sea 』には私の気に入っているところが多数ある。バンドの歌の中で、私が他よりも好んでいるものが何曲も入っているのだ。「 Rocket From A Bottle 」「 No Language In Our Lungs 」「 Burning With Optimism’s Flames 」は、私が好きな最高位の三つだ。「 Living Through Another Cuba 」は、もう一つの優れた曲だ。また、これは、ライブの方がより良い歌の一つでもある。「 Generals And Majors 」「 Sgt. Rock 」「 Towers Of London 」のアルバムからのシングルには、言及出来ずに終わってしまったのであるが。 
 『 Black Sea 』は、私がバンドにいる間のXTC の最高のアルバムだと人は言うのであるが、恐らくはそうであろう。私に分かっていることは、大混乱の時であったと言うことだ。我々の仕事は増しに増して過酷になり、何もかもが更に増して常軌を逸していった。そうして、我々は多くの思い出を作った。大童は無駄ではなかったのだ。  





誤訳、疑問点を指摘して下さると助かります。 

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2019年02月20日

2017年版『 Black Sea 』ノート:デイブ・グレゴリー

 2017年版『 Black Sea 』に付けられたノート。デイブ・グレゴリーのもの:  





   黒海の航路を立てる 

 1980年は、XTC にとって、最も忙しいそして間違いなく最も重要な年になる気配で始まりました。困憊したアメリカツアーからは三月16日に帰国していて、評判の良かったアルバム『 Drums And Wires 』に続く作品を出さなければならないと言う重圧があったのです。『 Drums And Wires 』は、バンドの最初の全英トップ20のシングル「 Making Plans For Nigel 」を出していました。直前のアメリカツアーでは、精神が消耗しきってしまうと言う予兆が、初めて明らかになっていたのです。 
 そのツアーの成果の一つには、10代向けの映画に一曲を提供するように勧誘されたと言うことがあります。依頼は、ロバート・スティッグウッド・オーガニゼーションからのもので、『タイムズスクエア Times Square 』と言う題名でした。ティム・カリー Tim Curry 主演で、トリニ・アルバラード Trini Alvarado とロビン・ジョンソン Robin Johnson が女性の主役でした。アンディは「 Take This Town 」を作りました。十代の有名人になりたいと言う願望を抱えた人物を描いたのです。そして、バンドは、その歌を録音するために、五月10日に、ヒュー・パジャムと共に、ロンドンのタウンハウス・スタジオに戻りました。新しいアルバムのためのリハーサルは、既に、スウィンドンで始めていました。それで、序でに、二曲をレコーディングすることが決められたのです。「 Rocket From A Bottle 」とコリンの「 Love At First Sight 」です。それらは、シングル候補でした。この時の録音のアシスタント・エンジニアは、実際にその後のアルバムでのほとんどもそうなのですが、ニック・ローネー NIck Launay という若者でした。彼は、その後の十年、また更に後まで、眼を見張る様な経歴を作り上げ続けることになるのです。( Wiki を参照のこと )
 レコード会社は、映画用の曲には満足していました。けれども、次のシングルを選ぶのは、もっと歌が出来るまで待つことにしたのです。私たちは、ヴァージン社のタウンハウス・スタジオ2に戻れる様にと強っての希望を出していました。けれども、スタジオもエンジニアのヒュー・パジャムも六月中旬まで使えなかったのです。そういう訳だったので、私たちは、幾つかのベーシックなトラックをマーブル・アーチにあるフォノグラム・スタジオで録音することに決めたのです。以前はフィリップス社所有の施設で、六十年代には、ウォーカー・ブラザーズやダスティ・スプリングフィールドをはじめ多くの歌手やバンドによる素晴らしい作品を創り出していました。また、スティーブ・リリーホワイトが学校出たすぐ後、テープ・オペレーターとして訓練をしたところなのです。 
 バンドは、六月8日に乗り込みました。それからの九日間、数知れない故障と技術的問題と悪戦苦闘しながら使用に耐えるベーシックなトラックを録音しようと努力したのです。1日目は、「 Take This Town 」のミックスの為に取って置かれていたのです。映画会社がその翌日にはマスター・テープを渡す様に要求していたのですから。午後7時ごろ、気味の悪い甲高くブーンと鳴る音がコントロール・ルームに出現したのです。それがどこから鳴るのか突き止められませんでした。切羽詰まった感で、近くのスタジオに電話をして回ったのです。幸いに、タウンハウス・スタジオに使える空いた時間があったので、私たちは、大急ぎでテープを持ってそちらに行って、僅かの間に、クリス・ジェンキンス Chris Jenkins のエンジニアリングでミックスをしたのです。 
 フォノグラムの虫は次の日の午後2時に、何処なのかが特定されました。そして修繕されたのです。けれども、スティーブとエンジニアのオーエン・デイヴィス Owen Davies にとって技術的問題は続いていたのです。彼らは、スタジオの古色蒼然とした機器と雄々しく格闘していたのです。私は、こんな巨大なサウンド・ステージが当時どの様に、このそれ程でもない、この中規模な空間に造り出されたのか、どうにも思い描けませんでした。グレムリンたちは、私たち自身の機器にも取り憑いたのです。あの場所は霊が出るのです! アンディーの新しいマーシャル・アンプは、始終、ヒューズが飛んでいましたし、新品のHH 社の「 MOS-FET [ トランジスタ ] [ HH V200 MOSFET Amp (HSR Mar 84) ]」パフォーマー・アンプは、コリンと私にいくつもの問題を突き付けました。二、三日後、その時のセッションから取り出せるちゃんとしたものは殆ど無い、と言うことに全員の意見が一致しました。そして、次の週には、ヒューと一緒にタウンハウス・スタジオで初めからやり直そうと決めたのです。 
 私たちは、フォノグラム・スタジオでの最後の日を、アルバムに入れる予定のほとんどの歌をライブで演奏して録音することに費やしました。その主な目的は、スティーブとヒューに役に立てばと言うことだったのです。アルバムに入った歌の他にも、数曲が録音されました。コリンの「 Ban The Bomb 」。その歌は、それまでにスタジオで製作中だったのです。それから、アンディーのソロ・ヴァージョンでの「 Pearl, Monkeys In Human Skin Suits 」と「 Holding The Baby 」。その時の一曲だけは、公式にリリースされました。「 Smokeless Zone 」がそれです、八月の終わりに、「 Generals And Majors 」のボーナス・シングル版の中に入れられました[ 二枚組のシングル。その2枚目のA面 ]。 
 六月23日に、タウンハウスの第二スタジオに戻ると、私たちは、馴染んだ環境の中に身を置いたのです。それに、ヒュー・パジャムも制御デスクに復帰していました。ところが、直ぐにも、もっと多くの問題に悩まされたのです。主には、ギターのチューニングです。それから、ほとんど壊滅的に思われたテープ・マシーンの故障です。間一髪で、一日を掛けた仕事の「 Don’t Lose Your Temper 」を消去してしまうところでした。問題は治っていって、日が進むのに従って、しっかりとした進展を収めていったのです。テリー・チェンバースにコリンも加わって、ストーン・ルームで、ドラムズとベースのトラックを録音しました。ザ・ジャムが隣の第一スタジオで、彼らのアルバム『 Sound Affects 』を製作中だったと、私は記憶しています。ドラマーのリック・バックラー Rick Buckler が覗きに来て、手拍子で参加しました。また、ポール・ウェラーがギターを録音しているブースから、波状にうねった鉄の薄板を借りることも出来たのです。私たちは、それを「 Living Through Another Cuba 」でのテリーのドラムの反響音の為に使ったのです。スタジオのスタッフが、毎日決まって、お茶とケーキを提供してくれました。その、食べ物を載せて出されたトレイが、「 Paper And Iron 」のパーカッション部を増すのに使われたのです。もっと革新的な背景音がテリーのフォード・カプリ[ フォード・カプリ - Wikipedia ]の車体から取り込まれました。入り口の側に駐車していたのです。助手席のドアをイライラした感じで強く閉めるのを録音したのです。「 Respectable Street 」にある雰囲気を加えることが出来ました。 
 私たちはレコーディング・セッションまでに、全員が、自分たちの兵器廠にそれまで以上のギターを加えていたところでした。アンディーは、ギブソン・レスポール・スタンダードを、もっと安い、マホガニーの胴のギブソン・”ザ・ポール”に変えていました。彼の代名詞だったアイバニーズ・アーティストは、家に置いてきていました。小さなマーシャル・コンボを『 Drums And Wires 』には使っていたのですが、それは、大きなマーシャル2203 ハーフスタック( 二段積み ) に換えられていました。タウンハウスのセッションまでには、ヒューズの故障も修理されていました。コリンと私は、イギリスの会社 HH から、いくつかのアンプリファイヤーを提供されていました。HH は、ケンブリッジに本拠を置く会社です。会社は、トランジスターを使用した新しい種類のモデルの実装テストをして見たかったのです。「ザ・パーフォーマー」という名称のシリーズです。それは、最初に二、三の問題がありましたが、その後すぐに、スタジオ内で素晴らしい響きを出すことが証明されたので、アルバムのレコーディングを通して、殆どの部分でそれを使ったのです。 
 コリンは、フェンダー・ムスタング・ベースを60年代後期のエピフォン”ニューポート”ベースに換えていました。ブリッジの近くにディマジオ・ハムパッキング・ピックアップを装着していました。アルバムのほとんどで使っています。私は、直前に、重たい1977年製楓材ネックのフェンダー・テレキャスターを購入していました。私は、それにセイモア・ダンカン社の’ブロードキャスター’ピックアップを装着したのです。それは、割れたガラスのような音が出るのです!( アンディは、このギターを「 Respectable Street 」のソロに使っています。 ) 私は、馴染んだストラトキャスターとエディー・フィリップス[ Eddie Phillips (musician) - Wikipedia ]のギブソンES335を使い続けていました。それに、大好きなギブソン・ファイヤーバードVを使いました。それは、合衆国ツアーの時に私が持ち帰ったものなのです。ニューヨークにいる間、私たちは、エレクトロ・ハーモニクス Electro-Harmonix [ エレクトロ・ハーモニックス - Wikipedia ]の工場を訪問しました。そして、アンディ用にデラックス・エレクトリック・ミストレス・フランジャー Deluxe Electric Mistress[ EHX.com | Deluxe Electric Mistress - Instructions | Electro-Harmonix ]を持ち帰りました。私は、DRM16 リズム・ユニット[ EHX.com | EHX Virtual Drum Machines | Electro-Harmonix ]を持って帰りました。この一風変わったリズムボックスは、「 Living Through Another Cuba 」の終わりで聴くことが出来ます。その音は、リリーホワイトの無線モニター、アーチャー Archer から漏れ出てる音を拾ったのです。[ Archer が商品名か会社名かはわかりません。 B&H 社に Archer と言う名称のルーターはあるようですが。 ] その方法は、リリーホワイトが、前年のピーター・ゲイブリエルの「 Intruder 」で使って良い効果を出していたのでした。使った鍵盤楽器は、私たち所有の小さなコルグ700S シンセサイザーとスタジオにあったYAMAHAのグランドピアノだけです。テリー・チェンバースは、ちょうどタマ・ドラム Tama Drums の推薦人になっていたところでした。[ Tama Drums - Wikipedia ] バンドの1979年のジャパン・ツアーの時に名古屋の工場を訪れて後、推薦人になっていたのです。 
 レコーディング作業は、時折中断されることがありました。アンディーは、六月30日の仕事が終わった後に、キーボード奏者のモーガン・フィッシャー Morgan Fisher が編集したコンピレーション・アルバム『 Miniatures 』の為の録音をしました。「 A History Of Rock’n Roll [ 原文のまま ]」です。60秒にも満たないのです。ミキシングは、七月8日に始まりました。その時、バンドは遠くに離れていました。カムデン区のグリーンランド・プレイスにあるラルフ・ホール写真スタジオに居たのです。[ Greenland Place Guide | Greenland Place, Camden Town, London NW1 | Nearby hotels, shops and restaurants | LondonTown.com ] アルバムのカバーを撮影する為です。私は、ステージ衣装として深海潜水具を奨める気にはなれません。それは、最も不快な仕事でした。それが、私たち全員がむっつりした顔をしている理由のひとつです。スウィンドン在住の私たちの友人である才能溢れる画家のケン・ホワイト Ken White が壮麗な背景を描いてくれました。それは、今では、彼の自宅アトリエにぶら下がっているのではないかと、私は推察しているのです。ホワイトは、その後にですが、スウィンドンの壁画に私たちを加えてくれました。もうそれは取り壊されて久しいのですが。それから、リチャード・ブロンソンのヴァージン・アトランティック航空のデザインも手掛けたのです。 
 七月11日、アンディーは、オックスフォード・サーカスのエアー・スタジオで一日を過ごしました。イエロー・マジック・オーケストラのリューイチ・サカモトとレコーディングをしたのです。彼のアルバム『 B2 Unit 』にギターで参加したのです。その間に、コリンの「 Genelas And Majors 」がミックスされました。18日には、私たちは、新しいシングルのビデオを撮影するのにレコーディングは一日休みました。「 Towers Of London 」です、監督はダグ・スミス Doug Smith でした。撮影には、著名なロンドンのランドマークをいくつか訪れることも含まれていましたが、それは、おそらくは、アメリカと日本のファンの注目を集める為だったのでしょう。撮影は、ラッシュアワーが始まる前の午前7時に、セント・パンクラス駅の階段[ St Pancras International Station London | Nearby hotels, shops and restaurants | LondonTown.com ]から始まりました。それから、アルバート記念碑[ Albert Memorial London | Nearby hotels, shops and restaurants | LondonTown.com]に移動しました。それに引き続いて、タワー・ブリッジの下の川旅をしました。午後8時に、キングスクロスのガス庫の前で終わりました[ Gasholder Park London | Nearby hotels, shops and restaurants | LondonTown.com ]。長い一日でした。あちこち立ちっぱなしでした。 
 七月20日に、アルバムは完成しました。ヴァージン社の広報課長アル・クラークが数名の音楽ジャーナリストを試聴の為にスタジオに連れて来ました。全員が賞賛の拍手をしてくれました。それに、私たちも、アルバムの聴こえに満足したのです。これは重要なことなのですが、このアルバムは、レコードのままステージのライブ演奏が比較的に容易だと言うことも、聴いて取れたのです。その年の残りの日々、より多くの巡業公演が私たちの前に待ち構えていたのです。 
 私は、『 Black Sea 』の製作については、楽しい思い出はあまり持っていません。自分の病気( 糖尿病 ) を等閑にしてしまっていたのです。それで、不機嫌で何度も癇癪を起こしていたのです。それとは別に、私たちはお互いをもう少し良く知るようになったのです。偶には別々になって適度な夜の睡眠を取れたのですが、それが様々な問題を解決したのかもしれません。そう思います。例えばコリンですが、アルバムが完成したすぐ後に、ソロのシングルをレコーディングすることを決めています、テリーだけをそのシングルに招いていました。一枚の絵はまとまっていたのです。 
 驚いた変事もありました。ある午後、コントロール・ルームに入った私は、黄緑色のスーツを着てとても上品に見えるジョン・マーティン John Martyn [ John Martyn - Wikipedia ] がデスクのところに立っているのを見たのです。またある日、偉大なレコーディング・エンジニア、エディ・オフォード Eddie Offord [ Yes のレコーディング・エンジニア:Eddy Offord - Wikipedia ] が本物のカラスを肩に乗せて歩いていたのです。誓って、作り話しではありません! またある夜遅く、スタジオから締め出されたと気が付いたクリス・スクワイアは、中に入る為に、大きくて頑丈な正面のドアを壊して蝶番から外したのです… [ 1980年の4月から6月、イエスは、タウンハウス・スタジオで『 Drama 』を製作。トレヴァー・ホーンとジェフ・ダウンズが参加しているアルバム。 ]
 アルバムのミックスが終わった一週間後には、バンドはスウィンドンに戻って、次のツアーのリハーサルをしていました。ツアーは、八月8日に、オランダから始まる予定でした。それから、フランスに行って、ザ・ポリスのパッケージ・ツアーに加わることになっていました。そのパックツアーには、ザ・ビート The Beat 、UB40、Skafish[ Skafish - Wikipedia ]、Jools Holland’s Milionaires [ Jools Holland - Wikipedia ]が参加していました。テレビのドキュメンタリー番組『 XTC AT The Manor 』が、週末に当たった八月22日に、オックスフォードシャーのマナー・スタジオで催されたリチャード・ブロンソンのガーデンパーティーを収録しました。そのドキュメンタリーは、私たちのシングル「 Towers Of London 」の録音の様子を撮影したものだと称していました。事実を言えば、その曲は、数週間前に録音済みだったのです。最新のシングル「 Generals And Majors 」様に、バカバカしいビデオも撮影されました。その中には、リチャーロ・ブロンソン自身も「徴兵」されたのです。 
 それから、バンドはフランスに戻って、残りのザ・ポリスのツアーを勤め上げました。フランスの後には、二日間のスペイン、それから、九月の初めには、オーストラリア、ニュージーランドと続きました。十月には、また別のイギリス・ツアーがありました。それは、ほとんどが売り切れになっていました。イギリス・ツアーは、大成功の内に、ロンドンのライシアム・シアター[ Lyceum Theatre, London - Wikipedia ]で終わりました。[ 10月12日、日曜日。 ] それから、合衆国とカナダへ行きました。その時には、ザ・ポリスとザ・カーズと一緒の巨大なスタジアムでの公演もありました。十二月にイギリスに戻ると、帰国四日後には、次のイギリス・ツアーへと押し出されました。それはクリスマスまで続きました。[ 12月22日のハマースミス・パレスが最後。この時の公演は録音されて、『 BBC Radio 1 Live In Concert 』に。 ]
  私たちが、−あるいは誰かが−、『 Black Sea 』から命を搾り出したのでしょうか。それにも拘らず、あれだけの労働の全部を以っても、私たちは裕福にならなかったですし、それどころか、少しでも快適になったと言うこともありません。それにも拘らず、あのアルバムは、素晴らしさを保ったままです。そして、私がなにがしかの貢献が出来たことを誇りに思っているアルバムなのです。  
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2019年01月24日

2017年版『 Black Sea 』ノート:ヒュー・パジャム

 2017年版『 Black Sea 』に付けられたノート。エンジニアのヒュー・パジャムのもの:  





 XTC のヒット・ソング「 Life Begins At The Hop 」のエンジニアリングをしたことがあるので、私は、『 Black Sea 』のレコーディング計画に取り込まれることになりました。そのシングルの成功に続く様にと、『 Drums And Wires 』の仕事も依頼されていたので。スティーブ・リリーホワイトと私は、このアルバムと、ほぼ同時に私たちがレコーディングしたピーター・ゲイブリエルのサード・アルバムとを合わせて、多くの人に認められて知られる様になりました。その二つのアルバム共に、とても良い評価をされて、スティーブと私は、「時の人」二人組の様になり、当然の様に、レコード会社は、『 Black Sea 』でもう一度成功することを望んでいたのでした。 
 1980年にレコーディングした時点では、スタジオ用の新しい機材が数機入っていました。その一つが、ベル・フランジャー BEL Flanger [ https://www.youtube.com/watch?v=fIdfynEpJw0 ]です。それで、フランジャーが最初に使われたスモール・フェイシズの「 Itchyco Park [ Itchycoo Park - Wikipedia]」の有名なシューという音を真似たのです。「 Itchyco Park 」の時には、テープ・レコーダーを使っていたので、あの音を創り出すのには、一日が掛かったでしょうけれど、私たちは、ミキシングの際に一瞬で出来たのです。例えば、「 Generals And Majors 」のミドル・セクションのハイハットとか、「 Rocket From A Bottle 」の幾つかの部分とかです。 
 また、当時、私たちが試していた新しい機材には、初期のドラム・シンセサイザーがあります。タマ Tama 社のもので、スナイパー Snyper という名前でした。それは、「 Love At First Sight 」で聴かれます。 
 このアルバムのレコーディングでは特筆しなくてはいけない観点があるのです、それを私はこのアルバム以降に私が手掛けた制作現場にも持ち込んだのですが、それは、ギターのレコーディングなのです。アンディとデイブのギター部のアレンジメントは、驚くほどに素晴らしくしかも複雑なのですが、それぞれのパートをよく聴き分けるには、一つのチャンネルにするのではなく、ステレオ・ミックスの段階で物理的に右チャンネルと左チャンネルに分けると言うだけでは足らず、それぞれに異なったレコーディング方法で録音する必要に迫られたのです。それは、たぶん、マクロフォンの技術、あるいは、二人がそれぞれ特製の違う種類のギターを使っている、と言うことに起因しているのでしょう。アンディは、ハムバッキング[ ハムバッキング - Wikipedia ]のピックアップのギターを使っていました( 大抵はギブソンのギター )。 一方のデイブは、シングルコイルのピックアップのギターを使っていました( 大抵はフェンダーのギター )。それらのギターは、全く違う音がするのです。ですから、私は、一つのギターの音をもう一つのギターの音から簡単に区別することができたのです。 
 三曲が、『 Black Sea 』のレコーディングで私にとって忘れられないものなのです。一番は、「 Respectable Street 」です。躍動的な歌で、忘れられないのです。私は、なんとかして、この猛烈なドラムの音、それに、漣立つギターの音、海鳥が急降下して海面をかすめるようなベースの音を、レコーディングされた音の中で際立たせるようにしたかったのです。それを一つにするのがとても難しかったと覚えています。次の歌は、「 Towers of London 」です。本当に、私の心の中に湧き出してくるような歌なのです。歌の間中、金床の音が繰り返されています。今でしたら、サンプラーから「金床」の音を選び出せばいいのでしょうけれど、当時の私たちは、スタジオで本物の金床の音を録ったのです。金床の音をどうにか歌に合うように調音して、テリーが歌を通して拍子を合わせて叩いていたのです。三番目は、「 No Language In Our Lungs 」です。私は、ただただもう、この「ライブ・ドラム」の音、素晴らしいギターの音、華麗なベース、背景の少々のリヴァーブの音が大好きなのです。何もかにもがとても力強いのです、ですから、私のこれまでのレコーディング中でも大好きなアルバムの一つなのです。それに加えて、制作過程もとても素晴らしかったのです。 
 『 Black Sea 』は、こんなに素晴らしいアルバムであることを考えると、このアルバムへの私の関わりを尋ねた人が本当に誰も居ないということは、変梃なことです。たぶん、プロデューサーが賞賛のほとんどを持って行ってしまうからなのでしょう。とは言いながら、バンド自身は、私のこのアルバムへの貢献を認めてくれていたのだと思います。その後に、次のアルバムを私にプロデュースしないかと依頼してきたのですから。そのアルバムは、『 English Settlement 』となりました。それは、私がプロデュースした中で、一番好きなアルバムです。  


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2019年01月17日

2017年版『 Black Sea 』ノート:スティーブ・リリーホワイト

 2017年版『 Black Sea 』に付けられたノート。プロデューサーのスティーブ・リリーホワイトのもの: 



 私は、それまでにアルバム『 Drums And Wires 』をプロデュースしていて、度を超えた楽しい経験もし、しかも、「 Making Plans For Nigel 」でバンドの最初の大ヒットも産み出していた。私が殊の外好ましく思っているのは、アンディがバンド内では「最優位雄」であり、しかも、主要なソングライターあるのにも拘らず、コリンが「 Making Plans For Nigel 」を書き、二人の間には反目など微塵もない様であった、と言う事実だ。また、彼らは、曲も歌詞もすっかり準備してからスタジオに入って来たので、プロデューサーにとっては、この上なく嬉しいことだった。 
 我々は、前のアルバムで「 live drum room 」の試行を始めていた。それ故、私は、我々はアルバム『 Black Sea 』の製作を推し進めることが出来ると感じていたし、もっと筋肉質になるだろうと思っていた。また、加入して暫く経っているデイブ・グレゴリーは、バンドの中で確かな位置を獲得していて、ギター・パートにより一層に強固な礫層を加えていた。 
 私の楽しい思い出の一つは、アンディに関わるもので、ヒューと私が忙しくミキシングをしているその時に、正にそのコンソール・デスクの反対側に彼がお尻をぺったりと乗せていた、と言うことだ。…、この事は、レコーディングが如何に面倒ごともなく順調だったかと言うことの証左だ。 
 バンドをする者は、経験を積んでいく中で、どのレコーディング現場でも何かを学ぶと言う事は、当然のことなのだが、私がプロデュースした XTC 以降のバンドの人たちに常に言うのは、XTC がこの作品に於いてして来た様な予めの準備を自分たちでして来る様に、と言うことだ。 
 このアルバムを私が聴く時に、聴きたく無くて耳を逸らす様な瞬間はまず無い。「 Love At First Sight 」のスネアドラムの音量はこれで良いか? 「 Rocket From A Bottle 」のヴォーカルの音量は? 本物の歌詞と曲の数多ある輝かしい美によって、それらが蝕の様に翳っているのだ。 
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2018年12月12日

アンディのノート、ギター・コード「 Respectable Street 」

アンディー・パートリッジがTwitterに書いたメモから: 
9:49 - 2018年12月11日  https://twitter.com/xtcfans/status/1072548818640662528


First chord is a B on 7th fret, then...2nd, in ascending notes, on 9th fret...
Db. F. B. open G. Gb. open E or
9.8.9.0.7.0



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2018年10月06日

Ken White "Black Sea"

 スウィンドン在住の画家、ケン・ホワイトさんへのインタビュー記事: 『 Black Sea 』の原画を抱えての写真 

Interview: Swindon Link talks to renowned artist Ken White

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2017年12月24日

Tower 42

 スティーブン・ウィルソン版『 Black Sea 』を開けて、ビデオを見た。 
 「 Towers of London 」で、背景に写っている高層ビル、あれは、タワー42なのだろうか? 1980年完成だけれど。撮影は、1980年7月だけど。 

Tower 42 - Wikipedia
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2017年12月21日

Palinodia al marchese Gino Capponi

 ジャコモ・レオパルディの『カンティ』の「ジーノ・カッポーニ侯爵への改詠詩」を読んでいると、XTC の『 Black Sea 』、特にその「 Towers of London 」「 Paper and Iron (Notes and Coins) 」「 Travels In Nihilon 」を思い出させる。 
 アンディ・パートリッジも、ある意味、悲観主義者なのかもしれない。  


Canti (Leopardi - Donati)/XXXII. Palinodia al marchese Gino Capponi - Wikisource
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2017年12月20日

ベルナール、パートリッジ対談「 Living Through Another Cuba 」9

ベルナール、パートリッジ対談「 Living Through Another Cuba 」1: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Living Through Another Cuba 」2: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Living Through Another Cuba 」3: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Living Through Another Cuba 」4: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Living Through Another Cuba 」5: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Living Through Another Cuba 」6: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Living Through Another Cuba 」7: ノエルかえる不恵留
ベルナール、パートリッジ対談「 Living Through Another Cuba 」8: ノエルかえる不恵留




ベルナール「スタジオ版の最後で、貴方は何かを言っているのですが、あれは何と言っているのですか? 教えてくれますか?」
パートリッジ「今日聴いて見るまで、終りの所で、自分がアドリブをしたことをすっかり忘れていました。リリーホワイトたちは、ミックスダウンの時に、あれを重ねて入れたんですね、全くもう。最後の最後で言っているのは、「 I've run out of ad-libs! もうアドリブは為尽したよ」です。それから笑っています。まあ、リリーホワイトたちは、それを残したんですね、あの不出来なのをね。」
ベルナール「それに、もっと前に、「 Look out for my corpse in the color supplement! カラー付録冊子に載ってる僕の亡骸を探してみろよ 」と言っていますよね。」
パートリッジ「ええ。60年代のカラーの付録冊子ですよ。まるっきりそんな感じでしたからねえ。まあ、60年代、70年代のイギリスでは、日曜版の付録冊子で、世界の動向を知ることが出来たのです。かっこいいファッションの写真があったり、何ページか捲ると、何所かの戦争の無惨な亡骸の写真が載せてあるのを思わず目にしたりするのです。ベトナムとか、アフリカの何所かの内戦とかの場面ですよ。それが、日曜版付録冊子のいつもの題材だったのです。」
ベルナール「ダブ的な手法で作られた部分は、スタジオでレコーディングしている時に、自然に発展して行ったのですか?」
パートリッジ「ええ。それでどういう結果になるのか分からないままにしたのです。「ダブにして見よう! 「 Scissor Man 」では上手くいったじゃないか。これでは駄目な分けもないだろう」と言って遣って見たのです。」  





おわり。 
誤訳、疑問点を指摘して下さると、助かります。
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2017年12月18日

ベルナール、パートリッジ対談「 Living Through Another Cuba 」8

ベルナール、パートリッジ対談「 Living Through Another Cuba 」7: ノエルかえる不恵留

ベルナール「ステージのライブでは、貴方たちは、この歌を演奏するのを楽しんだのですよね、違いますか? 善い演奏、リズムを速くした演奏もありますね。あれは凄いです。」
パートリッジ「はい。ライブではとても楽しく演奏しました。演奏する度に、イントロが長くなっていきましたよ。グルーブ感を得るのにはちょうど良い間合いになったのです。デイブが、ブッカー・T&ザ・MG's Booker T. & M.G.'s の様な感じで端緒を切るのです。[ Booker T. & the M.G.'s - Wikipedia ] ええと、彼らの「 Time is Tight [ Time Is Tight - Wikipedia ] 」の感じか知ら。彼がそのリフをずっと弾いているのです、その間、私はステージをうろつきながら、観衆に話し掛けるのです。デイブは、他のグルーブ感のある曲を弾くこともありました、兎も角、彼のリフで私たちは、イントロへと繋がるタイミングを見つけられるのです。大変な楽しさでしたね。 
 それに、テリーが演奏をリラックスして初めて、幾つかのロール等を、即興で演奏しているのを聴くことが出来るでしょう。「設定された人間-機械」ではないのですよ。そんなことはとても稀ですね。いつもそこで打つと思っていたロールをテリーが別の場所で打ったとしたら、彼はとても楽しい夜を過ごしているのだな、と分かるのです。」
ベルナール「それから、ライブでは、よくアルバムの曲順とは入れ替えていますね。この歌に続いて「 Generals and Majors 」を演奏しています。アルバムでは、そちらが最初なのですけれど。」
パートリッジ「ええ、似たテンポですからね。まあ、何時もそうでしたけれど、私たちは、ライブでは、テンポを合わせていたのです。実際、ライブでは、どの歌も、「滅茶苦茶に速い」テンポがお決まりになっていました。でも、それはよくあることなのです。ライブでは速くなると言う傾向に頑に乗ろうとしなかったのは、唯一、ローリング・ストーンズだけだと思いますよ。ストーンズは、ライブでは、どの歌も遅めに演奏しています。映画になった、ハイド・パークでのストーンズを見て見ると良いですよ、どの歌も、半分のスピードで演奏しています。[ The Stones in the Park - Wikipedia ]」
ベルナール「ヘロインがそうさせるのでしょう。」
パートリッジ「ああ、そうですね。迂闊でしたね。 
 まあ兎に角、すべてのバンドがライブでは速くなるのだと思います、ビートルズも含めてですよ。ライブでの曲を聞くと、「ああ、彼らはなんて速く弾くのだろう」と思うでしょう。あれは、全部、アドレナリンの所為ですよ。ステージに上がると、「ええ、なんかすごく遅いぞ、バンドの他のメンバーはどうかしたのか?」と感じるのです。( 笑う ) それで、「お客は、どうしてスローモーションで動いているんだ? どうかしたのか?」と思うのです。」
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2017年12月12日

ベルナール、パートリッジ対談「 Living Through Another Cuba 」7

ベルナール、パートリッジ対談「 Living Through Another Cuba 」6: ノエルかえる不恵留  



ベルナール「成る程、分かりました。私は、パーカッションのパートの全部がシンセサイザーなのかもしれないと思っていました。」
パートリッジ「いえ。ちっちゃな好い加減なドラム・マシーンなのです。「ドラマティックス Drumatix」とか何とか呼ばれていたと思います。[ ローランド社のTR-606。 Roland TR-606 - Wikipedia ] その小さなサイズの箱から相当の種類のファンキーなリズムが出て来るのに驚いたものです。」
ベルナール「実は今日、この歌をヘッドホンで聴いたのですが、右チャンネルにあまりにたくさんのギターが入っているのに驚いたのです。あれは貴方ですよね?」
パートリッジ「私です。あの細かく刻むパートは全部が私です。実際、私は今でも弾けますよ。この歌が、私の意識下に焼きつかれている、と言うことの証左ですね。」
ベルナール「筋肉が覚えているのですね。」
パートリッジ「( ギターを取り上げて、弾き始める。 ) それでですね、この部分 ( 上昇して下降する旋律を弾く。 )、これは私です。それに、刻むパートもそうです。( 少し弾く。 ) デイブは、左チャンネルで弾いています。基本的には、ベースの旋律をなぞっています。コーラスのようですね。あるいは、その旋律を、トレモロにしている様に聴こえますか?」
ベルナール「終部では、グレゴリーさんは、色々に変化させ始めます。」
パートリッジ「ええ。デイブは、ちょっとだけ熱狂して、幾つかの走句を弾いていますね。でも、殆どは、ベースの旋律の暈の様な旋律を弾いているのです。」
ベルナール「今のお話しとは別に、キーボード類は使いましたか?」
パートリッジ「いえ。使わなかったと思います。コルグを使ったのは、パーカッションにでした。それに、ウッドブロックに似せた音。 
 デイブとコリンは、バッキング・ヴォーカルをしています。右チャンネルです。コール・アンド・レスポンスですよ。」
ベルナール「貴方の声もバッキング・ヴォーカルに入っていますよね?」
パートリッジ「スタジオで創ったレコード版ではそうですね。でも、ステージのライブでは、そのパートは歌われないままで、二人はコーラスを付けましたよ。と言うのは、テリーの所為です。( 彼の真似で ) 「って、歌うつもりはないからな。」「テリー、やってくれよ」( 無愛想に )「歌うかってんだ。」 まあ、それで、彼のロイヤリティを減俸する他はありませんでしたね。( 笑う )」
ベルナール「( 笑いながら ) ですけれど、チェンバースさんも、スタジオでは、何度か歌われていますよね、違いましたか?」
パートリッジ「すっかり酔う程までに呑ませたらですね。夕食を済ませて戻るわけですけれど、彼は、一箱分のビールを呑んでるのです。そうすると、彼にバッキング・ヴォーカルをさせることが出来るのです。例えば、「 Roads Girdle the Globe 」がそうです。確か、バリー・アンドリュースが『 Go2 』製作中に、パブの隅で彼に呑ませて、「 Things Fall to Bits 」のバッキング・ヴォーカルを歌わせたのだったと思います。テリーは、酔って開放的にならないと、バッキング・ヴォーカルをしなかったのです。 
 実際、幾つかテリーがバッキング・ヴォーカルをしたものがあるのです。ヴァージン社が、『 English Settlement 』をリマスタリングして、リイシューする時には、それを使いたいと思っているのですが。当時、「前デュークス」の二曲をミキシングしていたのです。レコーディング時のジャム・セッションなのですが。「 Orange Dust 」[ Chalkhills: Reel by Real: "Orange Dust" ]と「 Cloud of Forever 」です。その曲で、酔ったテリーがバッキング・ヴォーカルをしているのです。」
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2017年12月06日

ベルナール、パートリッジ対談「 Living Through Another Cuba 」6

ベルナール、パートリッジ対談「 Living Through Another Cuba 」5: ノエルかえる不恵留 





ベルナール「私にはそう言う傾向があります、それは認めます。テリー・チェンバースさんは何を演奏しているのでしょう? スネア・ドラムではなくて、ロト・トムを使っているのですか?」
パートリッジ「 そう思います、ええ。それに、昨日しっかりと聴くまで、私はそうだとは分かっていたなかったのですが、テリーは、ドラム・シンセサイザーのスナイパーをトムに着けているのだと思います。トムをきつく締めて高い音にしているのです、それであの笛の音を作るのです。それから、スナイパーで音が下がる様に設定するのです、そうすると、爆弾が落ちる様な音になるのです。この設定のロールを、テリーはあちこちで使ってますよ、お聴きになれば分かるでしょう、特に、ライブでは多用してます。」
ベルナール「ライブでは、デイブ・グレゴリーさんがミニ・コルグで音を出しているのだとずっと思っていました。」
パートリッジ「違うのです。テリーがスナイパーを使っているのです。ドラム・シンセサイザーです。自分が選んだドラムの皮に取り付けるのです。それが、ドラムを叩くと、別の音を加えてくれるのですけれど、撓めたり調整したりして、その音を形成することが出来るのです。 
 ですけれど、彼が演奏するバックビートの主なものは、ロトトムですね。」
ベルナール「終部に向かう部分では、まるっきり風変わりなパーカッションが入っています。あれは、オーバーダビングしたものですね?」
パートリッジ「ええ、オーバーダビングしたものです。ほとんどは、コルグです。中国のウッドブロックの様に聴こえるものは、小型の単音のコルグですよ。ディレイをとても短くして、アタックを強くする様に設定すれば、あの音が出ます。」
ベルナール「それに、ホワイト・ノイズを使って、エンベローブ・ジェネレーターで形を整えている音もありますね。[ ADSR - Wikipedia ]」
パートリッジ「 ええ、そうです。それに、シェーカーを使っていると思います。何所かでだったですけど、本物のシェーカーです。 
 コルグは、低いおならの様な音を出しています。右側だと思うのですが。それが、一定したリズムの一部になっています。私の言うことがお分かりでしょうか? 中間部の何所かと終部では、小さな安っぽいリズムボックスの音が入っています。そのリズムボックスは、私たちの最初のアメリカ・ツアーの時に、アメリカから持ち帰ったものなのです。 
 スティーブ・リリーホワイトは、その全部をアーチャーと言う小さなアンプを通してトラックに入れたのです。小さなアンプで、マッチ箱サイズのスピーカーが付いて居ました。 [ これだろうか? Archer TUBULAR 5 Watt Combo – Low Watt Amps ]  それで、どうやって終りにするのか、私たちには全く考えがなかったのです。「迷ったら、ダブだよねえ!」とか言ってましたけど。そうしている内に、誰かが、「あの小さなドラムマシーンを鳴らしたらどうだろう。」と言ったのです。すると、リリーホワイトは、直ぐに、「それはいい! それをアーチャーを通して入れよう。」と言ったのです。 
 それでですね、小さなアンプ、アーチャーとスピーカーは、いつも、ミキシング・デスクの上に載せられて設定されていたのです。それで、右側にブームに付けられたマイクがこのアーチャーに向けられていたのです。それで、テンポを決めて、リズムボックスからリズムを選んで、「ボサノヴァ」とか「ロール」とか「ファンク」とかですね、私たちはリズムを打つのです。最後には、全部が混ざって、リズムが無いような可笑しな状態になったのです。アーチャーからは、歪んだ音が出て来たのです。」
ベルナール「機械は過熱状態ですね。」
パートリッジ「ええ。それで、それを録音したのです。」
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2017年12月01日

ベルナール、パートリッジ対談「 Living Through Another Cuba 」5

ベルナール、パートリッジ対談「 Living Through Another Cuba 」4: ノエルかえる不恵留

ベルナール「その「告解せよ!」と言うあなたの叫び声、ファング枢機卿の様でしたでしょう。[ モンティー・パイソンの「スペイン宗教裁判 The Spanish Inquisition」の中のテリー・ギリアムが演じた登場人物。 ]」
パートリッジ「 ( 笑う ) 本当にね。まあ、私は、当時、自分のデモ・レコーディングの設備を持っていなかったのです。ですから、曲を録って置くことは出来なかったのです。ただ、カセット・レコーダーを使うだけでした。つまりですね、この曲については、贅沢だったと言うことなのです。4トラックのレコーダーを使うことが出来たのですから。ドラム・マシーンか足で踏みならすのを記録出来ましたから、それに重ねて、ギターを弾いたり、それに、ベースを入れたり、その後で、キーボードか何かを入れることが出来ましたから。 
  それで、ちょっとファング枢機卿の叫びが入ったこの即興のインストルメンタルの曲に「 Spy in Space 」と題名を付けたのです。その週には、もう二曲を録音しました。一曲は、「 Jumping the Gap 」と題名を付けました。これは、「 Travels in Nihilon 」になりました。もう一曲は、「 Walking to Work 」と題名を付けました。テーマソングを作るつもりだったのです。何のテーマソングかと言いますとね、当時、妻は、スーパーマーケットを舞台にしたソープ・オペラを書くつもりだ、と私に言っていたのです。『 Price 』というタイトルです。それで、「いいなあ、僕たちは金持ちになるぞ、」などと私は思っていたのです。それで、「テーマソングが要るじゃないか」と考えたのです。それで、『 Price 』の為のテーマを一曲作ろうとしていたのです。本当に駄目なものでした。短い詰らない曲に終わってしまいました。それに「 Walking to Work 」と題名を付けたのです。 
  兎も角、「 Spy in Space 」に話しを戻しましょう。この曲のリフは、とても気に入ったのです。「これで何か出来ないかなあ、」と考えたのです。その時に、ちょっと不思議な感触があったのです。このリフに一致する歌詞がもう既に現れ始めている、と感じていたのです。それは、核への被害妄想と英国は如何に無力かと言う、詩か断章だった様に覚えています。それで、私は、この詩をリフにぶつけてみれば、と思い付いたのです。 
 上手くいきそうに思えたのです。「いくらでも書けるぞ。このリフに乗せて、熱弁を振るえるんだ。」と思ったのです。ディラン風と言うことです、お分かりになりますか。ディラン「主義者」の書く様な歌ですよ。それで、「何かちょっとしたものを乗せるか、飛び出た部分があれば、歌になるのだけれどなあ、、」と思ったのです。 
 それから、主テーマの、登って降りるギター/ヴォーカルのリフをを思い付きました。延々続くリフをまるっきり急変させる瞬間がどうしても必要だったので、それを差し込んだのです。それが、この歌全体の基調です。とても単純な構造なのです。「 call and response 」ですよ。「 Living through another Cu...BAH -- -- Dah-dah-dahdah-dah-dahdah! 」と言うのですね。私が言うことがお分かりですか? とても、とても単純化されたものですよ、実際に。」
ベルナール「でも、たくさんの窓がありますよ、それも飾り立てられた窓です。普通でないリズムの一団がありますし。それに、そのどれもがダブ風に断片化されていて。完成版のリズム・パートを解体してみませんか、私は、まずドラムから…」
パートリッジ「( 笑う ) それはそうでしょう、貴方はドラムから始めるでしょうね。」
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2017年11月28日

ベルナール、パートリッジ対談「 Living Through Another Cuba 」4

ベルナール、パートリッジ対談「 Living Through Another Cuba 」3: ノエルかえる不恵留 





ベルナール「 ( 暫く笑って ) それで、この歌のデモ・テイクはないのですよね?」
パートリッジ「ええとですね。タウンハウス・スタジオに行く前に、私たちは、ロンドンのポリグラム・スタジオでアルバム制作を始めたのです。その時の録音があるのですけれど、それがどうなったかは知りません。この歌については、レコードになったものよりももっと良かったと確信しているのですけれどね。( プロデューサーの ) スティーブ・リリーホワイトは、「さあ、もう仕上がりだ。後はヴォーカルだけだ。」と言っていましたね。でも、そのトラックはあまり良くなかったと思ってました。それで、そのトラックは使いたくなかったのです。それでです、そのトラックを台無しにしようと、酔って歌ったのです。「嫌だ。この歌は再録音すべきだ。即興的な面がないのだから。一晩中呑み続けて、それから、「よおし、歌うぞお」って言おう。ぶち壊すんだ。そうすれば、再録音しなくちゃいけなくなる。」などと考えていたのです。 
 つまりですね、タウンハウス・スタジオ以前のヴァージョンがあるのですよ。スティーブ・リリーホワイトは、私の酔ったヴォーカルは使わないで、その前のヴァージョンをミックスしたのです。ある種のダブ・ミックスを彼はした、と言うことでしょうね。」 
[ タウンハウス・スタジオでの正式なレコーディングのヴァージョンは上手くいっていないと感じていたパートリッジは、レコーディングの最後のヴォーカルを酔ったまま歌って駄目にしようとしたけれど、プロデューサーのリリーホワイトは、そのヴォーカル部分だけを差し替えて、楽器部分はタウンハウス・スタジオのものを使った、と言うことだと思います。 ]
ベルナール「それはどこかにあるのでしょうかね?」
パートリッジ「私はカセットに入れていたのです。それで、どこかから流出してブートレグになっていた筈ですよ。どうも、私たちがしたことは全部がいつの間にか流出している様ですね。」
ベルナール「それは興味深いです。私は、それをまだ聴いたことがありません。それに、チョークヒルを探してみても、私は見つけられませんでした。チョークヒルには、貴方たちがして来たことが多岐に亘り詳細に書かれているのですけれど。」
パートリッジ「 もしも、「 Cuba Dub 」が入っているブートレグを持っている人がいたら、それは、このポリグラム・スタジオのものが流出しているのです。 

( 何方かこのブートレグを持っていらっしゃる方、私トッドまでご連絡をお願いします。 ) 

 この歌は、丸々全部が、即興から産まれたのです。79年の終りか、80年の始めに、スウィンドンのタウン・ホールのスタジオで私は即興演奏をしたのですが、その時に出来たのです。スタジオと言いましたけれど、実際には、二部屋のボイラー室なのです。ボイラー室には卵ケースに覆い隠された小さな部屋がいくつかあったのです。音響的にはひどいところですよ。部屋に入ってドアを閉めるとですね。空気がそよとも動かないのです。ひどい音でした。壁に穴があって、一束のケーブルが通っています。それは、隣りの部屋の4トラックのテープレコーダーに繋がっているのです。ベスタ・ファイヤーのスプリング・リヴァーブがあったと思います。本当によくビリビリするリヴァーブでしたよ。[ Vesta Fire RV-3 - Spring Reverb ] 
 そこに入って、何か出来るか試してみたかったのです。そこに行って、まるっきり即興で何曲も演奏したのです。その中の一曲には、「 Spy in Space 」と仮題を付けました。基本的なベースのリフが「 Cuba 」と同じなのです。人工衛星が人々を監視していると言うか、まあそんなたわいもないアイデアの曲を即興で演奏したのです。それから、「 Confess! Confess! 」と叫んでいましたね。( 笑う ) それを安物のリヴァーブ装置に落し込んだのです。」
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2017年11月22日

ベルナール、パートリッジ対談「 Living Through Another Cuba 」3

ベルナール、パートリッジ対談「 Living Through Another Cuba 」2: ノエルかえる不恵留




ベルナール「私が初めて貴方方を知った頃なのですが、90分のカセットテープを持っていました。片面が『 White Music 』で、片面が『 Black Sea 』なのです。いつもそれを聴いていましたし、そのテープを流しながら、ほんの少しだけですけど、一緒に演奏してみたりもしました。その中で、この歌が一番傑出していると、私は感じていました。」[ 1984年に、アメリカで、Virgin / Gefien から、カセットが出ているけれど、それだろうか? GHS-4032 それとも、ベルナールさん本人が作ったカセット? ]
パートリッジ「そうですか。この歌は、既存のもののへんてこな混ぜ合わせなのです。ラテン音楽ではないのです。何と言うか、カリビアン・ロック・スカ・ダブなのですね。どこの部類が相応しいのか分かりませんね。でも、実際に、私たちがベネズエラで公演した時には、そこの人々が関心を持ったのは、この歌だけだった様に思えました。 
 私たちはカラカスで数度のライブをしたのです。貴方にも取って付けた様なラジオ局を見て貰いたかったですね。私たちはそこに行ったわけですけれど。私たちには、正規のラジオ局には見えませんでした。ガレージ、あるいは、アパートの車庫をきれいに片づけて、そこにスタジオを設けた様な感じでした。まあ、それでです。彼らが放送で流したがっていた歌は、この歌だけだったのです。この歌についてだけ、話しを聞きたがっていました。それに、私が受けた感じと言うことですけれど、ステージのライブで、聴衆が本当に望んでいるのは、この歌だけの様でした。キューバはほんの先だからでしょうね。」
ベルナール「重ねて伺いますが、これが1980年で、レーガンが政権にあったと言うこと、それが、この歌を書かせたと言うことはないのですか?」
パートリッジ「 私は、レーガンは至る所にひどい雑音を起こそうとしている様に感じていました。そういった私が抱いていた印象は、「 This World Over 」に行き着いたのです。相互確証破壊のシナリオの実現性がいや増しになっている様に私は感じていて、心配していたのだと思います。勿論、その様に事が進んで行くのを望んでいた分けではありません。その様に思うと、居ても立っても居られない程怯える様になっていたのです。それに、この事について、英国が何の影響力もないと言うことを理解したのです。今でもそうです。そうでしょう、ブレアがブッシュの後に付いてイラクに行ったことを考えて下さい。キリスト教の為ですか? 不適な地位にある男にごまをすっているなんて。( 溜息を吐く ) ああ、大き過ぎる問題です。私たちは、それについては語らない方が良いでしょう。 
 それでまあ、私たちはこのまま核の断崖に突き進むのではないか、一体私たちは何をしようとしているのだろうか、と私は心配していたのです。哀れな私たちの国、植民地を失った小さな国は、世界から引退したのです。それに、増々、力を失っています。ですから、アメリカもあまりに独善的になってはいけないのです。アメリカも、いずれ、同じ道を辿ることになるのですから。」
ベルナール「( 笑い転げながら ) ああ、分かっています。もうそれが起こっていますよ。」
パートリッジ「今度は、アメリカが第三世界の小国の一つになる番です。」
ベルナール「中国の大君主に深々とお辞儀をしないと。」
パートリッジ「毎食に、麺を食べる様になるでしょうね。( 笑う ) 人民服を着るのでしょうね。しかも、それを気に入るのです。ナイキ人民服。「はい皆さん、ナイキは、纏足用の特別なトレーナーを製造しています。」と、テレビのショッピング・チャンネルで見ることになるでしょうね。( 女性の商品紹介者を真似て ) 「さあ、貴女の御々足は子供の足の様になりますよ、お望みの年齢の足です。ナイキ・クランパーに入れてみて下さい。」 私が冗談を言っていると思ってますね、まあ、見ててご覧なさい。( 笑う )」
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2017年11月17日

ベルナール、パートリッジ対談「 Living Through Another Cuba 」2

ベルナール、パートリッジ対談「 Living Through Another Cuba 」1: ノエルかえる不恵留 





ベルナール「では、歌詞を書かせたものは何なのでしょう? 事実、レーガンが政権に就いて、誰もが彼が何かし始めるではと恐れていた、と言うことでしょうか?」
パートリッジ「全面核戦争への疑心暗鬼でした。そう言う事です、それに、イングランドは無効力だと言うこと。完全に徹底的に無力な小国でした。イングランドの世界での重要性は、第一次世界大戦で終わったのです。イングランドは、第一次世界大戦の災禍から回復することはなかったのです。あの時、英帝国は頂点だったのです、能力に於いても、実力に於いても、全ての面で最盛期にあったのです。それが、銃弾を浴びせられた、、、暗殺されたのは誰でしたっけ?」  
ベルナール「フェルディナント大公だったと思いますよ。」
パートリッジ「フランツ・フェルディナント? ああ、そうだ。ガヴリロ・プリンツィプの銃撃で、大英帝国の支配力は終わったのです。」 
ベルナール「同様に世界に於いてのヨーロッパの覇権の終焉でもあったと、お認めになるのですか? アメリカが世界と言う舞台のとば口に立った時なのですが。」
パートリッジ「そう思います。私たちヨーロッパ人は互いにひどく痛めつけ合い、荒廃させましたからね。」 
ベルナール「そうですね。ヨーロッパの精華はフランドルの平原で死んだのですね。」
パートリッジ「それに、若者たちは、東部戦線ではもっとたくさんが死にました。その後、スペイン風邪が、全世代に亘って、多くの死者を出したのです。 
 でもですね、どちらかと言えば、私はこの歌の歌詞に自信があるのです。学校での成績が悪かった子のひどい間違いは置いておいてですけれどね。」
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2017年11月15日

ベルナール、パートリッジ対談「 Living Through Another Cuba 」1

 ベルナールさんとパートリッジの対談。「 Living Through Another Cuba 」について。元は、ベルナールさんが設けた MySpace のページに掲載されたもの。2009年11月9日公開。今はそこには無くて、チョークヒルのアーカイブに保存されています。 
Chalkhills: XTCFans: Andy's Take: Andy discusses "Living Through Another Cuba"  


ベルナール「よろしいですか、「 Cuba 」について話して下さい。」
パートリッジ「まず、私の歴史の知識のいい加減さを謝らなくてはなりません。キューバ・ミサイル危機があったのは1961年ではありませんね。私は歌詞の中で1961年と書いているのですが。私が書いて来た歌詞の中で、少なくとも三つはある、事実誤認の中の一つです。」 
ベルナール「他の二つは?」
パートリッジ「まあそれは後で。この歌ではですね、「 It's 1962 again and we are piggy in the middle. 」と書かなければならなかったのです。お分かりかと思いませうが、小さなブリテン島は、巨大なロシアと宏大なアメリカの間にあるのです。」 
ベルナール「正にそうですね。」
パートリッジ「それから他の歌の間違い。「 This is the End 」[ 『ファジー・ウォッブルズ 3』似収録 ]です。私は、「 They might drop Fat Boy on your town 」と書きました。でも、勿論、原子爆弾は、「 Fat Boy 」と言う名前ではありませんでした。「 Little Boy 」と「 Fat Man 」です。どう言う分けか、私は二つの名前を混淆して存在しない原子爆弾を作ってしまったのです。「 Fat Boy 」と言う名前の原子爆弾です。」 
ベルナール「新しい原子爆弾ですね。第三次世界大戦です!」
パートリッジ「 ええ。その一つを、スウィンドンに落すつもりなのですね。私はきっとそうだと思います。この場所をちょっときれいにするのですよ。( 笑う ) 私たちが建築物に抱えている問題を正すのです。 
 それから、「 Rip Van Reuben 」の歌詞です。『オズの魔法使い』を書いたのは、L. Frank Baum ライマン・フランク・ボームです。L. Frank Richards [ 本名 Charles Hamilton ]ではなくて。フランク・リチャーズは学園ものの『 Billy Bunter 』[ Billy Bunter - Wikipedia ]を書いた人です。歌詞を書く前に事実を確かめるべきでした。」 
ベルナール「「 I 'd Like That 」のお話しを伺った時ですが、歌詞の中でに登場させたのは、すべてが歴史上に実在するカップルだということでしたけれど、ヘレネとヘクトルは実在の人物ではないですね。」
パートリッジ「ああ、まったくそうだ。( 黙る ) ううん、あれは、詩的に許されるのです!」 
ベルナール「( 笑いながら ) ヘレネとヘクトルは身近に思えますもの、ご近所の友人の様ですよ!」
パートリッジ「二人は、神殿の裏でちょっと不謹慎なことをしてたのに違いないでしょうね。誰も見てないと、トーガの裾をを持ち上げてね。 
 そうだ、私は常々、同性愛者たちを指す古風な言葉「トーガ・リフター」と言うのがあるのではないかと思っているのです。「シャツ・リフター」と言う言葉がありますからね。「トーガ・リフター」の方がもっと古くからあるのではないかと思っているのです。」 
ベルナール「トーガだとどちらの裾でも持ち上げられますからね、それは利点の一つです。」
パートリッジ「( 笑う ) 見て! 
 まあ、まあ。これで、私は自分の歴史についての間違いを謝ったことになるでしょう。」 
ベルナール「貴方の「 mea cupa 」ですね。[ ラテン語 : 不徳の致すところ ]」
パートリッジ「「 mea cupa 」と言うのは、玉と穴の間の名称かな?」 
ベルナール「( 笑う ) 違います。それは「会陰」です。」
パートリッジ「( 笑いながら ) そうそう、会陰。」 
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2017年11月08日

モールディング、ベルナール対談「Generals and Majors」7

モールディング、ベルナール対談「Generals and Majors」1: ノエルかえる不恵留
モールディング、ベルナール対談「Generals and Majors」2: ノエルかえる不恵留
モールディング、ベルナール対談「Generals and Majors」3: ノエルかえる不恵留
モールディング、ベルナール対談「Generals and Majors」4: ノエルかえる不恵留
モールディング、ベルナール対談「Generals and Majors」5: ノエルかえる不恵留
モールディング、ベルナール対談「Generals and Majors」6: ノエルかえる不恵留

ベルナール「 この歌にはビデオがありますね、リチャード・ブランソン氏が出演されてます、彼ではないのですか?」
ムールディング「当時、ちょっと嫌な思いをしてました。と言うのはですね、会社は、私たちが「 Towers of London 」をシングルにしようと思っているのことを認めていた筈だと、思うからです。その為のビデオも撮り終えていたと思います。[ 「 Towers of London 」の撮影は、1980年7月18日。ビデオの初放送は10月。「 Generalas and Majors 」の初放送は8月。 ] アルバムからのファースト・シングルにしようと考えていたからです。実際、そうだったと思うのです。「 Towers of London 」のビデオを撮り終えて、会社は方針を変えたのです。「 Generalas and Majors 」をファーストシングルに欲しいと言い出したのです。「 Towers of London 」はセカンド・シングルにすると言うのです。私たちは、既にビデオを撮り終えていると言うのにです。ですから、私たちには、「 Generalas and Majors 」のビデオを作る余裕はなかったのです。 
 シングルは出ると言うのに、私たちはビデオを作っていませんでした。私たちはオーストラリアに行くことになっていたのです。それで、どうやって、プロモートすると言うのでしょう? 『トップ・オブ・ザ・ポップス』に出すのに、ビデオが必要だったのです。全く考えなしですよ。でも、会社は、「 Towers of London 」を続けて出す算段だったのでしょう。少なくても、私たちがオーストラリアに言っている間、何か適当なビデオをBBCに渡しておく必要はあったのです。レコードがリリースされる直前にオーストラリアに出発しようとしている、この経営的には愚かしいことを、どうにかしなければならなかったのです。タイミングが悪過ぎるのです。 
 それでなのですが。私たちが長いツアーに出かける直前に、会社は、マナーで毎年恒例のパーティーを開いていたのです。リチャード・ブランソン氏が郊外に持っていた屋敷で、レコーディング・スタジオがあったのです。大きな館でした。そこで、私たちは、幾つかのレコーディングを行ったのです。ある日、マナー・ハウスのドキュメンタリーを撮影したのです。同時に、パーティーも催されていたのです。それで、私たちは、マナーで「 Towers of London 」を録音していると言う「演技」をしたのです。それがドキュメンタリーの一部に使われたのです。撮影隊は仕事を終えました。そこで私たちはこう思ったのです。「ちょっと待って。僕たちはもうすぐ「 Generalas and Majors 」を出すんだけど、それで…、撮影隊がここに居る、…、ああ、思い付いた! ここで、この撮影隊に「お安い」ビデオを撮ってもらおう!」って。( 笑う ) そう言う事だったのです。[ BBC のドキュメンタリー撮影は、8月22日から24日に行われた。 ] 
 ですからね、ビデオの最後の方に、ピョンピョン跳ねる風船のお城があるでしょう、あれは、パーティー用に用意された物だったのです。それで遊んでいた子供たちを追い出したのですよ。「ビデオを撮るからね、ね、ブランコで遊んでなさいね。」と言ってね。( 笑う ) もう、必死の思いでした。」 
ベルナール「( 笑いながら ) 必要は発明の母なのですね!」
ムールディング「 正にそうです! 必要は制限を越えてしまうものなのですね。そうして、「お安い」ビデオを作ってしまったのです。翌日には母国を離れる予定で、必死でしたからね。レコードのプロモートは何もしてませんでした、それに、数週間を留守にするのです。何かをしなければ、レコードの売り上げが駄目になる事は、よく分かっていましたから。 
 でも、本当に突飛でした。将軍の衣装を着ている変な老人の一人か二人は、撮影隊の人でしたよ。それから、( ヴァージン・レコード社 ) のサイモン・ドレイパー Simon Draper と、それに、勿論、リチャード・ブランソン。本当に滑稽でした。バンドの演技はですね、バンドに演技をさせると、大抵駄目ですね。( 笑う )」
ベルナール「それでですが、『 Hard Day's Night 』の雰囲気がある箇所がありますが、あれはどうしてもそうだと思います、ばかばかしい、とても超現実的な箇所です。」
ムールディング「ええ、そんな印象を持って貰う事を望んでいます。見る人がどんな印象を持つかを知る事は、いつも、難しいのです。少しでも楽しく見えると良いですね。( 笑う ) …、でも、見る人は他にどんな印象を持つでしょうね? ただ、この歌の「思い」、「 lovely war 」があると言うことは、勿論、ずっと深刻な問題ですけれど。」   


おわり、 
誤訳、疑問点を指摘して下さると、助かります。
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2017年11月02日

モールディング、ベルナール対談「Generals and Majors」6

モールディング、ベルナール対談「Generals and Majors」5





ベルナール「( 笑う ) それは『 Nonsuch 』の時の事ですね?」
ムールディング「 私たちは、二人を『 Nonsuch 』に使おうとしていたのですよ。昔馴染みのチームを組もうと思っていたのです。でも当時、リリーホワイトは、クリスティー・マッコール Kristy MacColl との結婚生活に問題を抱えていました。クリスティーは、リリーホワイトに、休暇は自分と一緒にいる事を望んでいたのです。それで、彼は、私たちと仕事をする様に調整していた、と思いますよ。でも結局、彼は、私たちとの仕事は取り止めざるを得なかったのです。」
ベルナール「それで、ヒュー・パジャムはとても高額だったのですね。結局は、代わりにガス・ダッジョンになったのでしたね?」
ムールディング「( 笑う ) 大幅値引きのガス! たくさんの有名なレコードで、その名前を見たことがある、そんな人物の一人でした、ガスと言う人は。それで、私たちには相応しい履歴の持ち主だろうと思ったのです。彼は、たぶん、私たちの仕方よりも、古い学校の方式が好みだったのでしょうね、言うならばですけれどね。」
ベルナール「「 Genela and Mejors 」に戻りましょう。これをライブのステージで演奏するのはお好きだったと言われたのですが…、」
ムールディング「聴衆の受けが良くて嵐の様な喝采でした。ライブの演奏にはぴったりだったのです。それに、バンドのメンバー全員が、それぞれのパートを楽しんでいました。」
ベルナール「この曲を、ステージのセット・リストの最後にしていたのですよね?」
ムールディング「ええ。かなりの間そうでした。私たちは、頻繁に変えていたのです。セットの最初に置いた事があったのも覚えていますよ。何時だったかは正確に覚えていませんけれど。でも、確かなのは、私たちが務めたステージのかなりの回数で、この歌が最後でした。」
ベルナール「「 Living Through Another Cuba 」と組み合わせてですよね?」
ムールディング「ええ。「 Cuba 」で始めて、「 Generals and Majors 」で終わるのです。それから、アンコールには「 Nigel 」が適当だろうと、私たちは考えていました。」 
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2017年10月31日

モールディング、ベルナール対談「Generals and Majors」5

モールディング、ベルナール対談「Generals and Majors」4 




ベルナール「ステージのライブでは、グレゴリーさんがキーボードで演奏するのですよね? でも、誰かが、口笛を吹いて見ようとはしたのですか?」
ムールディング「劇場中に通る程大きな音の口笛を私たちが出来たとは、今でも、思わないですよ。ねえ、そうでしょう。そうです、あれはデイブです。」
ベルナール「それから、ハミングの部分も、ライブでは、キーボードですよね?」
ムールディング「そう、あれはコルグです。」
ベルナール「ところで、この歌に口笛とハミングを加えようと思い付いたのは、誰なのですか?」
ムールディング「私が、口笛を提案しました。」
ベルナール「それはスタジオに於いて起こった特別な事だったのですか? それとも、書いている時から、あそこの部分に何か特殊な事が必要になるだろうと思っていたのですか?」
ムールディング「私は、メロディ・ラインに何かを加えた方が良い、と考えていたと思います。ヴォーカルの一声部を加えると言うことですけれど。でも、その内に、「口笛にした方がもっと良くなるのではないか」と思ったのです。自分が口笛を吹けない事は分かっていました。それはつまり、あのキーで口笛を吹ける人を探さなければならない、と言うことですけれどね。あそこに口笛を入れると言うのは良い考えだ、とは、皆んなが認めていました。それで、全員が試してみたのだったと思います。誰が一番の口笛を吹くか調べたのです。でも、誰もピリッとしませんでした。たぶん、中ではアンディが増しでした。アンディはとても上手く吹けるのです。でも、あのキーでは、誰も出来ないのです。それで、ちょっとトリックを使ったのですよ。部分的にはキーボードで鳴らして、それに、アンディの口笛を混ぜたのです。」
ベルナール「リハーサルの時ではなくて、レコーディング時のスタジオに於いてアレンジを何れ程したのですか? 私は、プロデューサーが何れ程に自分の考えを入れたかを知りたいのです。と言うのはですね、プロデューサーに依っては、アレンジをする事でバンドに助力するタイプのプロデューサーもいるからです。それに、貴方たちは、長年に亘って、プロデューサーの関与の度合いを様々に変えて来た、と言うことも分かっているのですし。」
ムールディング「リリーホワイトはとても良かったです。でも、彼が自分の考えを提示して来たことはなかったと思います。けれど、私たちがまるで駄目な時は、それをよく分かっていましたよ。( 笑う ) 「それは良いね、コリン。でも、もっと磨きをかけないとね。」と言うのですよ。あるいは、「これをしないと駄目だよ。」とかですね。彼は何かを考え出したりはしませんでしたけど、良い考えかどうかは識別出来たのです。そして、その考えを洗練していかなくてはならない、と言うことをよく分かっていたのです。 
 彼は雰囲気を作ると言う人ですね。レコードへ向けての道を拓いてくれるのです。彼が行うそういったことは、レコードの「生命」にとって重要なのです。こうした観点からは、とても素晴らしい仕事をしてくれました。彼が音楽家であるとは、私は思わないですね、彼の弟はドラマーなのですけれどね。彼独特の仕方なのですけれど、彼は良いプロデューサーでした。もちろん、あの時、彼がエンジニアの仕事をたくさんこなしたとも思っていません。ヒュー・パジャムがいましたからね。彼がエンジニアの椅子に座っていましたよ。ヒューは殆ど独りでやっていましたよ( 笑う )。後年、私たちがヒューを一曲10,000ポンド以下では雇えないって分かった時には、驚きました。( 笑う ) 「ねえ、僕たちを覚えてくれてます?」ってね。でも、良いチームでした。」 
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2017年10月24日

モールディング、ベルナール対談「Generals and Majors」4

モールディング、ベルナール対談「Generals and Majors」3: ノエルかえる不恵留  





ベルナール「( 笑いながら ) そうすることができたらいいですね、本当に。エンジニアが滅茶滅茶にしなければいいのにですね。」
ムールディング「その通りですよ。通し稽古はしたくないのです。[ 稽古なので、録音していないと言うこと。 ] だって、最初の演奏で、記録して置きたい特別の演奏になる事が多いのですから。エンジニアは、それを台無しに仕勝ちなのですよ。まだ、「ちょっとの部分を弾いてみよう、それで、録音してもらおう。」と言う方がましですね。そうすると、最初の一、二回のテイクを録って置くことが出来ますからね。捨てずに済むのです。」
ベルナール「( プロデューサー ) のスティーブ・リリーホワイトさんと ( エンジニア ) のヒュー・パジャムさんは、そうしてくれました? と言うのはですね、パートリッジさんが、「 This is Pop 」をした時には、マット・ラングさん Mutt Lange は、30回か40回も貴方たちに遣り直させたと言われたのを覚えているものですから。」
ムールディング「マット・ラングは、もう一つの学校でしたね。最初に出来なければ、彼はこう言うのですよ。( ラングを真似て ) 「出来るまでしよう。」 ですけれど、バート・バカラックの様でしたよ。ご存知ですか? バカラックがシーラ・ブラック Cilla Black の「 Alfie 」をアビー・ロード・スタジオで録音しに、ロンドンに来た時の事ですよ。[ シーラ・ブラックはイギリスの歌手。リバプール生まれ。ビートルズと同様に、ブライアン・エプスタインがマネージャーでジョージ・マーティンがレギュラーのプロデューサー。「 Alfie 」はバカラック作曲の歌で、アメリカではディオンヌ・ワーウィックが歌っている。映画のための歌。映画では、シェールが歌っている。イギリス映画なので、映画会社はイギリスの歌手での録音を希望して、ブラックに。 Alfie (song) - Wikipedia ] それで、何テイクか録った後なのだと思いますよ、バカラックとジョージ・マーティンは、どのテイクを使うか決めようとしてたのです。マーティンは、セカンド・テイクを使おうと考えていた様ですよ。ですが、バカラックは、「いや、いや、彼女はもっと上手く歌えるでしょう」と言って、23テイクを録って、それに決めたのですよ。( くすくす笑う ) 
 もちろんですね、それ程の回数をすることは出来るでしょうね、すると、別の面に出てしまうものなのだと、私は思うのです。回数を重ねる事には、気が滅入るでしょうね、でも、そうすると、別の面に出てしまうのです、そして、再び、自然発生的になれるのです。」
ベルナール「この歌の録音で、何か特に覚えておられることはありますか? 例えばですけれど、コーラス部分のところですが、大きなストンプ風[ ストンプ・ダンス Stomp dance - Wikipedia ]の音があるのですが、あれはどうやって録音したのか、私には分からないのです。」
ムールディング「 当時、私たちは、ニュース・ドールズの「 Jet Boy 」が大好きだったのです。それで、その歌では、彼らが寄せ木張りの床の上を高いヒールで鳴らすのですけれど、悪漢の群れですね。( くすくす笑う ) それで、私たちは、タウンハウス・スタジオの石張りのスタジオ内で、ドシンドシンしながら、大声を張り上げたのです、そうして、あの「オイ、オイ、オイ」の音を録ったのです。 
 口笛も重要だと思います。私たちの内の誰も、あのキーでは口笛を吹けなかったし、いい音が出せなかったのです。」
ベルナール「ロックアンドロールの歌で、十分に大きな音で口笛を吹くのは、実際、難しいと思います。」
ムールディング「確かに、そうですね。それに、ハミングの部分でも、私たちはどうしていいか分からなかったのです。それで、仕方なくですけれど、調理場からある人を連れて来たのです。ステップと呼ばれていたと思います。調理場のコックなのです。彼はハミングが出来たのです!( 笑う ) あのハミングの部分は、全部が彼です。 
 口笛は、コルグ社のシンセサイザーだったと思います。それを誰かの口笛と混ぜ合わせたのだった様に覚えています。」 
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2017年10月18日

モールディング、ベルナール対談「Generals and Majors」3

モールディング、ベルナール対談「Generals and Majors」2 

ベルナール「それで、貴方は、バンドと一緒に歌を発展させたのだ、と思うのですが、それはつまり、リハーサルでと言うことですか? そこで、アレンジを行っていったと言うこと?」
ムールディング「ええ。私は、アコースティック・ギターで掻き鳴らしただけで、皆んながどう思うか見てみたのです。コードはほぼ出来ていました。でも、何か大切なものが欠けていたのです。スウィンドンのリハーサル室でカセットテープに録音したものがあるのですが。( 『 Coat of Many Cupboards 』に収録。 ) それでは、私がベースを担当して、他のメンバーがギターで F のコードを鳴らしているのですけれど。面白く聞こえませんでした。コードを通しての何か特別なものが要る様に思えたのです。 それで、デイブがコードを弾いて、でも、そこで即興もしてるのですよ、分かりますか? 私はそう思うのですが。( 笑う )  素晴らしい誰かが素晴らしい事を考え出さなければならかったのです。その素晴らしい誰か、アンディが、全体を通して鳴らされる強烈なギターのパートを考え出してくれたのです。同様に、デイブも中々素晴らしいものを作ってくれました。アンディのよりも低い音域で、素晴らしいシンコペーションして弾いているのです。」
ベルナール「それから、チェンバースさんは、「豆スープ」[ Pea soup sound : ハイハットを開けたまま叩いて直ぐに閉じる奏法 ] を使ってますね、もちろん…」
ムールディング「ええ、ええ。あの頃、私たち皆んながディスコに夢中だったと思います。私は、今でもディスコが好きです。でも、もう何十年もディスコのレコードは聴いていませんね。ブロンディの「 Heart of Glass 」は、かなりの人々に影響したと思いますよ。[ Heart of Glass (song) - Wikipedia ]」
ベルナール「私は思うのですが、ディスコが広く受け容れられた理由の最も中心になっているのは、とても原始的なリズムだと言うことです。踊りやすいのです。でも、テリー・チェンバースさんは、そのリズムを次のレベルに挙げているのです、制御が難しいものにしているのです! [ vicious と言う語が使ってある。凶暴なと言う語義。 ]」
ムールディング「そう、ヴィシアス・ディスコ!( 笑う ) 彼が軽いタッチのものを、それが何であってもですね、出来たとは、今でも考えられませんね。彼が、スネアに当たると、スネアは爆発するのですから。ね。ドラムングは、ジョン・ボーナム学校で覚えたのでしょう、そう思いますよ。あれが、彼のスタイルなのです。とても生命感のあるものでした。実際、ライブでは会場によく通る音でした。力がありますから。でも、軽いタッチをしなければならない時が来ると、合わなくなったのです。彼は、そう言う感覚をほとんど持っていませんでしたから。 
 『 Black Sea 』は、彼のアルバムですよ。ドラム様態のアルバムなのです。あのアルバムの歌では、彼は心地好かっただろうと、私は思います。」
ベルナール「それに、貴方方お二人は、特にこの歌では、とてもかっちりと噛み合っていますよね。」
ムールディング「あれは確か、ファースト・テイクですよ、そう思います。何度も録り直した覚えがないのです。「さあ、スタジオに入って、やろうか。」と言う感じでしたよ。本当に、直ぐに上手くいったのです。それで、「すごくいいバッキング・トラックだ。作っちゃったよ。」と言いましたよ。それで、バッキング・トラックをしたのは、私とテリーとデイブだったと思います。アンディは、自分のパートを、…オーバーダブで、いろんな突起物[ wards ]を作って、、、。 ガンガン鳴っているギターは、特別な音が必要だったのです。コーラスの様に重なる様な音とか、フランジの掛かった様な音とか、そういうのをするのには、バッキング・トラックを作り終えた後、オーバーダブで別に加える方がし易かったのです。 
 ああ、思い出しました。大抵はです、最初のテイクが、一番良いテイクだったのです。」
ベルナール「ああ、自然発生だからですね、それに、ある感覚…、」
ムールディング「私はですね、もし私の演奏を録音するのでしたら、私たちが通して練習している間に、エンジニアは用意を終えていて下さい、と、常々言っているのです。( 笑う ) いつもなのですよ、録って置かなければならないのは、最初のテイクなのですから。」   
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2017年10月12日

モールディング、ベルナール対談「Generals and Majors」2

モールディング、ベルナール対談「Generals and Majors」1: ノエルかえる不恵留

ベルナール「私はそれを言おうとしてたのです、将軍たちと士官たちにとっては、「良い戦争」であるのは、大抵の場合、とても容易なのです。」
ムールディング「ええ、その通りですね。ですから、「 They'll never come down until they're victorius again 」のような仰々しい句は、そこに発想を得たわけです。そうでしょう? 彼らは高い所に居るのです。ですから、彼らは「良い戦争」をしているのです。」
ベルナール「以前にもお話し下さったのですが、この歌も、ギターを抱えて座っていて、曲と歌詞が一緒に出来た、と言う歌なのですか? 」
ムールディング「歌詞が先に出来ていました。それで、F7のコードを掻き鳴らす事で曲作りを始めたのです。ビートルズの歌「 Dr. Robert 」について、色々と研究を始めたのです。あの曲には、7th コードがいっぱいですからね。それに加えて、「 Paperback Writer 」のことも考えていました。あれは、一つのコードだけなのですよ。それで、「ほぼ一つだけのコードで歌を作ってみたい。」と思い立ったのです。それで、私は、Fのコードを弾いて見ました。「 generals and majors 」と言う句にFのコードを付けてみたのです。マーチのリズムでですよ、有り得ない組み合わせですね。本当に出来そうにない組み合わせですよ。でも、後年にはそうした様には、私は、それを疑っても見なかったのです。曲がそうなるならば、それに着いて行くのです。私は、「どうして?」と心配する事はあまりなかったのです。まあ、そう言う事です。「何故?」と考えなければならない事だったと、当時の私は、理解していなかったのです。」
ベルナール「若い時には、考えなければならないと思わなかったのですね。それで良かったのでは? おそらく、年齢の重みなのではないでしょうか。経験を積むに連れて、モチーフについてもっと深く考える様になるのだと思います。」
ムールディング「そうですねえ、もっと時間をかけるべきだったと言うのが貴方のお考えなのだろう、と私は思います。「一つの歌を書くのには、二分以上をかけるべきだ。二分だけかけただけでは、何の価値もないだろう。」ということですね。でも、今になってですけれど、そんな考え方はまるで間違っていると、私には分かりました。曲の時間分だけの時間をかけたなら、もっといい曲になったかも知れない!と言う考え方ですね。」
ベルナール「ええ、少しは調性が合って来たかもしれませんね。」
ムールディング「確かにそうですね。でも、一旦、改訂を考え始めると、曲の持っていた価値は無くなるのです。私は、「何故?」と問いはしませんでした。ただ、曲の進むままにまかせて、嬉しかったのです。その後、何年か経って、「何故?」と考え始めるのです。それで、今の私には、他の面が分かって来たと思うのです。私はやり過ぎだったと分かります、してはいけない、正にその事をしていたのですから。」   
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2017年10月11日

ワン・コード

 XTC が『 Black Sea 』を発表したとき、私は、その変化にひどく驚いたのだけれど。その中でも、コリン・モールディングの二曲、その後にシングルのB面で発表された「 Smokeless Zone 」は、パートリッジの曲と違って、それまでの XTC からの発展の様に思えたし、また、同じ頃に発表されたトーキング・ヘッズのアルバム『 Remain in Light 』( 『 Black Sea 』より少し遅く、1980年10月8日にリリース )に入っていても不思議はないと感じていたのだけれど。ベルナールさんとの対談から、『 Remain in Light 』の特徴と言われてる「ワン・コード」と同じ様な事を、モールディングも考えていたのだな、と納得。 

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2017年10月09日

モールディング、ベルナール対談「Generals and Majors」1

 ベルナールさんとモールディングの対談、「 Generals and Majors 」について。
MySpace に、2008年12月29日公開のもの。 
 MySpace には、もうありません。チョークヒルズにアーカイブされています: 
Chalkhills: XTCFans: Colin's Take: "Generals and Majors" 



ベルナール「 「 Generals and Majors 」について話して下さい、アルバム『 Black Sea 』からのシングルですよね。この「 Generals and Majors 」を書く時には、「 Nigel 」の成功の重みをご自身の肩に感じていたのですか? それとも、貴方が考える余裕もなく、さっと出来てしまったのですか?」
ムールディング「たぶん、発想するのはちょっと早いんですね、考える間がないのです。考えるのは後になってからでした。考え始めて「機能不全」が始まったのです!( 笑う ) それでも、私は、最高潮にまだ居たのです。そうですね、この歌を思い付いたとき…、ずっとツアーに出ていましたよね、考える時間は持てなかったのです。私は、それまで以上に規模の大きい歌を想像し出していたのです。もちろん、それは、私がそうでなければならなかったことです、想像力を働かせること、曲を掴むこと、それをしなければなりませんでした。曲についてあれこれ思い悩むことではなかったのです。 
 ( くすくす笑う ) 自分の口から「 Generals and Majors 」と言う言葉が出て来た幸運は、信じられなかったですね。これはいける、と思いました。「 Generals and Majors 」と言う言葉の響は壮大に聞こえると思ったのです。この歌を動かしているのは、何よりもアンディの弾くギターのリフだと思っていました。あれが、この歌の動力なのです。今でもそう私は思います。メロディの部分の幾つかは童謡的で、私が思うには…、」
ベルナール「ですけれど、それだから、聴き手にはとても耳に残るものです。」
ムールディング「そうだと思います。ただ、私は、この歌の持つ力強さが好きなだけです。アンディが掻き鳴らすギターですよね。時々、テレビで使っていますよね。テレビでは、サッカーの試合の時などに使っています。調和のとれた強くて速いリズムの旋律で堂々としてるから、使うのでしょうね。」
ベルナール「この歌を思い付いた経緯を覚えておいでですか?」
ムールディング「そうでうね、「 Oh, What a Lovely War 」と言う文句のことを考えていてだったと覚えますけれど。ご存知かしら、「良い戦争」と言う不合理な考えですよ。[ 『 Oh, What a Lovely War! 』は、1963年公開の叙事ミュージカル、Joan Littlewood 作。Oh, What a Lovely War! - Wikipedia ] これも貴方がご存知かどうか。イギリス映画で『 The League of Gentlemen 』[ 1960年公開の Basil Dearden 監督作品。The League of Gentlemen (film) - Wikipedia ]と言うものがありました。銀行強盗の映画です。あらすじはですね。強盗のメンバーはみんな、軍隊に居たことがあるのです。( サンドハースト士官学校の発音で ) 「べらぼうに善い戦争」をした経験があるのです。そして、全員が退役させられている。軍隊とはもう関係無いのです。駄賃しか得られない様な仕事をしているのです。シヴィー・ストリートでは、戦争での様に成功しなかったのです。[ Civvy Street は、軍隊に関わりのない日常生活を意味する言葉だけれど、1988年にBBC のドラマのタイトルにも使われている。https://en.wikipedia.org/wiki/CivvyStreet ] 彼らは以前したことでは上手くいってたのですけれどね。それで、彼らは銀行強盗を企むのです、そして最後には、捕まる。彼らが成功するわけがない。でも、社会に送りたかっただろうメッセージについてはちょっと考えさせられるのです。それで、私は、その中の一人の「 Yeah, I had a bloody good war. 」と言う台詞を覚えているのです。 
 そういった台詞の文句を自分の頭の中に溜め込んでいたのです。そうした中で、将軍たちや士官たちが「良い戦争」をすると言うことを考えていたのです。この歌は、そうした思索の中から産まれたのだと思います。もちろん、砲弾の餌食になる兵卒たちに取って、「良い戦争」なんて、真実ではないですよ。」
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2017年08月08日

Generals and Majors Video

 2016年の『 English Settlement 』LPボックスに付けられたデイブ・グレゴリーの『 Black Sea 』に関する部分から: 

1980年の夏にこの場所を訪問したことがあった。BBCのテレビ・ドキュメンタリーの撮影隊が、新しいシングル「タワー・オブ・ザ・ロンドン」をレコーディングする様子を記録する( と謳って ) と言うことだった。( 『 XTC At The Manor 』と言う番組。) 偶然なのだが、リチャード・ブロンソンは、彼の恒例のガーデン・パーティーをその週末を選んで館で行うことにしていた。自然と、撮影隊は催し物の多くをフィルムに収めることになったのだが、当然の成り行きとして、それは保存されて、都合良く彼の会社の宣伝になると言う結果になった。我々がその機会を逃した、と言うこともない。我々は、ブロンソンを引っぱり出して演技させ、くだらない短いシーンを撮影した、それが後日、「ジェネラル・アンド・メジャーズ」のプロモーション・ビデオに使用したものだ。  


 プロモーション・ビデオは、XTC の以降に沿ったものはまったくなかったのだけれど、、、 
 「 Generals and Majors 」のビデオについては、上のグレゴリーの証言から伺うと、担当した監督の意向さえなかったのでは、と思ってしまう。「 Generals and Majors 」は、アルバムの先行シングルであるのにも拘らず、それも第一弾、間に合わせの素材で適当に作られた、それも、ヴァージン社とブロンソン社長の宣伝に主眼を置いて、と言う感じ、、、
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2017年06月02日

25歳

 気が付いたこと: 
『 Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band 』がリリースされた1967年。 
ジョン・レノンは27歳、ポール・マッカートニーは25歳。ジョージ・マーティンは41歳。 

で、
アンディ・パートリッジが27歳で、コリン・モールディングが25歳の時、製作・リリースされたのは、 
『 Black Sea 』。
デイブ・グレゴリーは、28歳。デリー・チェンバースもモールディングと同じ歳なので、25歳。 
スティーブ・リリーホワイトも同じ歳で25歳。 

こうして見ると、ビートルズが如何に怪物的だったか、改めて驚く。デビューして、4年の間に、アルバムが6枚、映画が2本。それも加速度的に表現力を増しているのだから。 
XTC も、デビューから4年目だと、『 English Settlement 』になると思うけど、パートリッジの『 Take Away 』を入れて、5枚のアルバムはあるのだけれど。
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2015年07月28日

The Rime of the Ancient Mariner

 Optimismsflames で見逃していたことがありました。『 Black Sea 』のアートワークに関わることです。Optimismsflames の作者、名前を忘れてしまいました、のパートリッジへのインタビューで、アートワークが決まる過程が書かれています。
ArtBlackSea 

 そこの部分を抜き出します。
「 And I was really into that whole Victorian engraving thing. And the whole Towers of London thing, and the nobility of the workmen. Building London in the Victorian era. And all that kind of stuff. So I thought, "Well, wouldn't it be great if we were the people who were working under pressure." And deep-

sea divers work under pressure, literally. So - great! It's almost like, sort of a faux Sgt. Pepper's. [laughter] Instead of these fantastically lush psychedelic bandsmen's costumes we'll stand there in grimy deep-sea diving outfits. And for the backdrop, I didn't want XTC on the front cover. I wanted to put XTC in the articles that would make the kind of Victorian photographic studio backdrop. If you see what I mean.

WL: Sure.

AP: So that the - uh, let me see. What was the X? That was a seagull.



WL: The T was the mast of the ship.

AP: The T was the mast. And then the C was like the light shining on a hot air balloon.

WL: Yeah.

AP: Sort of like, is it the moon? Is it a hot air balloon? And that was going to be XTC across the top.

WL: That was actually done by the guy who did the Swindon mural, wasn't it? I can't think of his name.

AP: Ken White.

WL: Ken White. That's right.

AP: Yeah, he lives a couple of streets away from me. Don't let him corner you in the street. He'll bring out packs of photographs of what he's been up to lately and you just won't get away. [laughing] But anyway - I had a meeting with Ken White and I said, "Look, can we do something, can we steal these skies and things from one of these


Ken White's now defunct Swindon mural. 1 - 2

Gustave Doré
Doré engravings." [silence] Do you know Doré?

WL: Uhhh - I don't think I…

AP: French. He had a series of engravings called... He engraved the "Rime of the Ancient Mariner." He had these fantastic skies all done in with engraving. And I said, "Can we do something with this? Can you make up a backdrop, or whatever, where you project these Doré images?" So we booked the studio and the backdrop arrived with Ken and it, and the three symbols on the back that said XTC, looked great. I thought, "This looks great." And we got in the diving suits. They weighed a ton. And we stood there, and had the session photographed. We even turned around on the back like the Sgt. Pepper's sleeve. And that was it. It was going to be called Work Under Pressure. And 」 

 それで、分かったのは、『 Black Sea 』のアートワークでは、パートリッジは、ヴィクトリア朝の写真を意図していたこと。これは、「 Towers Of London 」に直接繋がることだけれど。それから、イメージとしては、サミュエル・テイラー・コールリッジ Samuel Taylor Coleridge の『老水夫行 The Rime of the Ancient Mariner 』のギュスターヴ・ドレ Gustave Doré の挿絵があったと言うこと。 
 なので、『老水夫行』は参考に読んでみなければ。

 『 老水夫行 』は、1934年に、齋藤勇の訳で研究社から出版されていて、1955年に、『コ​ウ​ル​リ​ヂ​詩​選』として岩波文庫で出されている。もっと最近のものだと、1970年に『老​水​夫​の​歌​ ​:​ ​詩​形​リ​ズ​ム​注​解』と言う本が、石井白村の註釈で篠​崎​書​林から。 
Wikisource には入っています: 
版が、1798年のものと、1880年のものと、1817年のものが
1880年のもの:
The Rime of the Ancient Mariner - Wikisource, the free online library 

ウィキペディアには、コールリッジの詩『老​水​夫​の​歌』の特徴を「民謡調の押韻だが、単調さを感じさせない技巧が凝らされ、遠い彼方の世界を迫真的な想像力で描いている。」と。これは、まるで、XTC『 Black Sea 』の評でもあるよう。 

ギュスターヴ・ドレ の挿絵: 
Gustave_Dore_Ancient_Mariner_Illustration.jpg 328×456 ピクセル 
Gustave_Dore_Ancient_Mariner_Illustration.jpg
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2013年05月01日

カバー・アートワークのスケッチ

 スウィンドンで開催されている Ken White の個展を、スウィンドン・ビューポイントで、紹介していたのですが、XTC 『 Black Sea 』のアートワークも展示されているようでした。アートワークのアイデアは、パートリッジのもので、スケッチを描いて Ken White に渡したようです。そのスケッチも一緒に展示されているようです。

http://www.swindonviewpoint.com/video/artpoint-ken-white-retrospective

パートリッジのスケッチのアップ
スクリーンショット 2013-05-01 19.07.50.jpg
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2013年02月21日

my Black Sea

 私は聴くことが少ない『 Black Sea 』なのですが。それに、プレイヤーのプログラム機能は、ディスクに入っているものを並べ替えることが出来るだけなのですが。それでも、私が、『 Black Sea 』のリストを作るとすれば、どうなるかと考えてみました。
 「 Living Through Another Cuba 」「 Sgt. Rock (is Going to Help Me) 」を外すことはもちろんで、「 Paper and Iron (Notes and Coins) 」も割愛するとして。
 ムールディングの「 Too Many Cooks in the Kitchen 」は、Black Sea セッションではないのですが、入れたいですし。パートリッジの「 Wait Till Your Boat Goes Down 」はどうしても入れたいですから。

 このように:

A面
1. Respectable Street
2. Generals and Majors
3. Smokeless Zone
4. Love at First Sight
5. Rocket From a Bottle
6. Wait Till Your Boat Goes Down

B面:
1. Towers of London
2. Too Many Cooks in the Kitchen
3. Burning With Optimism's Flames
4. The Somnambulist
5. Travels in Nihilon

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2012年07月19日

The Black Sea Coast

 XTC のアルバム『 Black Sea 』とは、関係はないと思うのですけれど、Swindon View Point のニュースで、Swindon Art Gallery で、Roger Eliot Fry の『 The Black Sea Coast 』が見つかったと言っていました。見つかった、と言うのは? 詳しくは分かりません。
 Roger Eliot Fry は、1866年ロンドン生まれ、1934年没の画家。ポスト・印象派に属すると考えられているそう。
 『 The Black Sea Coast 』は、1911年の作品。油彩、キャンバス。

 パートリッジも、見にギャラリーに足を運んだかどうかは??

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2012年05月21日

グレゴリー回想「 Towers Of London 」

 ベルナールさんのMySpace のXTC ブログでの、グレゴリーの回想「 Towers Of London 」。


 1980年の6月23日に、私たち XTC は、スティーブ・リリーホワイトとヒュー・パジャムと共に、タウンハウス・スタジオで、この曲の発売用のレコーディングを始めました。( その日の朝早くに、「 No Language in our Lungs 」の基本トラックを仕上げた後に、始めたのです。 ) アンディは、ギターは、新たしいギブソン・ギターの the Paul を、アンプとスピーカーは、マーシャル 100 にマーシャル 4×2 スピーカーのキャビネットを使いました。( そのあと直ぐに、ザ・ポールは、ニュージーランドをツアー中に盗まれたのですけど。 ) コリンは、中くらいの大きさの、特製のディマジオのピックアップが新しく付け替えられた、エピフォン・ニューポート・ベースを弾いています。私は、新しく買った、ブロンドのフェンダー・テレキャスターを使っています。そのテレキャスターは、ヴィンテージもののセイモア・ダンカンのピックアップを付けていました。

 コリンと私は、ケンブリッジの電化製品会社 H&H に、ある製品を納入してもらう確約をしていたのです。H&H は、Performer と言う名前の新しい規格のアンプを売り出す予定だったのです。それは、MOSFET トランジスタを利用した新しい回路を装着していていました。それで、パワフルでいて、機械自体は静粛で頑丈に思えたのです。また、とても、本当に「真空管」的な音を生み出したのです。それに、コンプレッサーとリバーブに加えて、いつくかのエフェクトの装置も付いていました。エコー・ディレイや、オートマティック・ダブル・トラッキングや、コーラス、それに、フランジャーなどです。

 H&H がコリンに提供したベースのアンプは、「 Bass Machine 」と名前が付けられていて、パラメトリック・イコライザー回路と専用のリフレックス・キャビネットが付いていました。私は、100ワット( ! )、2チャンネルで、4×12・キャビネットに適合したのものを受け取りました。そのアンプは、スタジオでとてもよく作動したので、コリンと私は、『 Black Sea 』の私たちのパートのほとんどを、そのアンプを使って録音しました。「タワーズ」のベーシック・トラックもそうです。

 少し間を置いて、6月29日に、私たちは「 Towers of London 」の録音に戻りました。その時には、アコースティックのリズム・ギターを加えたのです。とても安い、イタリアのエーコ社のランジェル ( Eko Ranger ) を使いました。後に、翌年ですけど、XTC が、『 English Sett;ement 』の録音を始めた時には、パジャムさんは、そのギターを録音することを断固拒否したのですけれど。彼は、自分がマイクをセットする前に「何か使えるもの」を見つけに、私をロンドンに行かせました。マーティン D35 が要求された結果を出しました。

 翌日、アンディと私は、更にギターを加えました。私は、ミドル8一杯のソロを弾きました。楽器は、自分のギブソン ES-335 で、アンプは、H&H の澄んだチャンネルを使いました。ところが、録音機は回っていませんでした。曲での音色の発想とソロの仕方は、スティーリー・ダンのファースト・アルバムに入っている「 Midnight Cruiser 」でのジェフ・バクスターの演奏から来ていると思います。当時、バクスターとデニー・ディアスは、私の音楽的な崇拝の的でした。私は、心底感化されていたのです。

 7月4日に、アンディはボーカルを録音しました。私は、イントロに更にギターを加えました。たぶん、アンディのリフに重ねてだったと思います。楽器は、'65年製のギブソン・ファイヤーバード 3 で、アンプはメサブギー・コンポを使いました。7月7日に、アンディは、更にボーカルを加えて、トラックは完成しました。ミキシングは、1980年の7月12日に行われました。


HH Amplification - Performer :
http://www.hhamplification.co.uk/ampcompic.asp?bigpics=dbfiles/amps/perf.jpg
perf.jpg

HH Amplification - Bass Machines :
http://www.hhamplification.co.uk/ampcompic.asp?bigpics=dbfiles/amps/bass-machines.jpg
bass-machines.jpg

Eko Ranger :
http://www.ekomusicgroup.com/viewdoc.asp?co_id=71984
06216200_b.jpg
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2011年12月18日

Another Cuba

 『ブラック・シー』のLPの時に付けられていた高野裕子 ( でしたっけ? )さんの歌詞の対訳は、とても誠実な感じで、私は好きでした。

 ところで、Another Cuba について、「もう一つのキューバ」と言う読み方は、魅力的だと思います。カリブ海にある島国のキューバ共和国とは別の「キューバ」という場所がある、と言う読み方です。こう読むと、SF的な設定になります。そのような設定の仕方は、パートリッジの好むものです。アルバムには「 Travels In Nihilon 」という、全くSF的な設定の歌もあるのですから、あるいは、そう取った方が適当なのかもしれません。
 アメリカ合衆国とソビエト連邦の間にある島国、と言うことでは、キューバ共和国もグレート・ブリテン連合王国も同じですし。すると、日本国も同じく、「もう一つのキューバ」と言うことになりますが。
 上空をアメリカ合衆国とソビエト連邦が、ピギー・イン・ザ・ミドル遊びよろしくミサイルを投げ合っている、そんな島があって、そこの島人は、地面に穴を掘ってそれに頭を入れて隠して、尻は空に向けて突き出している、と言う。この様なSF的で滑稽な、と言うか、ラブレー的な歌なのですね。
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2011年09月28日

red or dead

 パートリッジの「 Living Through Another Cuba 」の歌詞の
「 it's hardly love all and somebody might
wind up red or dead 」
の行にある、red or dead は、
第二次世界大戦中のナチス・ドイツのスローガン、その後、冷戦期のアメリカ合衆国で使われたスローガン「 Lieber tot als rot ( Better dead than red )」と、第二次大戦後の米ソとヨーロッパの主要国以外の立場の弱い国々で、選択を迫られた「 red or dead ( 革命か破滅か / 革命か軍事独裁か )」の含意もあるのかもしれません。
posted by ノエルかえる at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | Black Sea | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする