2016年05月11日

Pisces, Aquarius, Capricorn & Jones Ltd.

 先日、作曲家の冨田勲さんが亡くなった。冨田さんは、ムーグ・シンセサイザーだけで製作したアルバム『月光』で、世界中に知られる様になったのだけど。 
 そのムーグ・シンセサイザーを最初に買った人たちの中に、モンキーズのミッキー・ドレンツもいて、アルバム『 Pisces, Aquarius, Capricorn & Jones Ltd. 』で使っている。ムーグ・シンセサイザーを使った最も早い例の一つらしい。「 Daily Nightly ( マイク・ネスミス作歌 ) 」「 Star Collector ( ジェリー・ゴフィン作詞、キャロル・キング作曲 ) 」の二曲。 
 それで、アンディ・パートリッジは、「 Great Fire 」の終部は、このアルバム『 Pisces, Aquarius, Capricorn & Jones Ltd. 』に収められている「 Pleasant Valley Sunday 」に倣ったと言っていたけれど。このアルバムの最後の歌「 Star Collector 」では、最後に、「バイ・バイ」と言っている。これについては、ベルナールさんの対談では触れていたなかったけれども、「 Great Fire 」が収められているアルバム『ママー』の、やはり最後の歌「 Funk Pop a Roll 」でも、同様に「バイ・バイ」と言うのは、実は、モンキーズのアルバムに倣ったのかも。
 『 Pisces, Aquarius, Capricorn & Jones Ltd. 』は、ビルボードの1位を記録したのだそうだけれど、、、
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2015年07月21日

Indian dance

 スウィンドン・ヴュー・ポイントに、1982年6月2日に、スウィンドンのタウン・ホールで行われた、インド舞踊の公演の様子を撮ったビデオがあった。 
Indian dance at the Town Hall | Swindon Viewpoint 

 これは、時期は、1982年4月3日に、パートリッジが長年服用していたジアゼパムを突然止めて錯乱状態になって、アメリカ・ツアーをキャンセルした直ぐ後になる。アメリカから帰国した後は、治療中だったろうから、外出は出来なかったろうと思う。
 でも、『 Mummer 』の冒頭の曲「 Beating of Hearts 」が、インド風なことを思うと、少しは関係しているのかと思ってしまう。
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2014年07月24日

ファンク・ポップ・ア・ロール

 「 Funk Pop a Roll 」は、パートリッジの言う通り、その後の予告だとすれば、私は、次の『 the Big Express 』ではなく、『 Oranges and Lemons 』の予告だと思う。テーマにしても合っているし。先行シングルとして、ポール・フォックスがプロデュースした方が良かったのでは。
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2014年07月17日

ベルナール、パートリッジ対談「 Funk Pop a Roll 」10

ベルナール「それが、多くの音楽家が貴方を慕っている理由なのだと思います。皆んな分かっているのです。貴方は、貴方自身の道に従っているのです。」
パートリッジ「そうですか、嬉しいですね。成功しなくて幸福だった、などと言うと、偏屈に聞こえることは、分かっています。でも、私は、本当にそう思っているのです。それでもおそらく、私たちはシステムの中にいたのです。正しくは、システムの端にでしょうけれどね。それでも、与えられた時間で、したいと思っていたことを実行するのです。それに、「成功」という観念も追いかけていたのです。と言うのはですね、「ああ、今度のアルバムは売れなかったぞ。次のアルバムはもっと良いものにしてやろう!」と言っていましたからね。私個人については、音楽をより強力にもっと強力にさらに強力にすると言うことが、懸案だったのです。「僕たちは過去の音楽に戻ったりはしない、次の音楽はもっと良くするんだ!」 絶頂感の拒否が、私たちに働いていたのです。( くすくす笑い )」
ベルナール「( 笑い ) 貴方とスティング!」
パートリッジ「( 笑い ) 愛のタントラ!」
ベルナール「( 「 Tainted Love 」を歌う。 ) Don't touch me please / I cannot stand the way you tease 」
[ 「 Tainted Love 」Ed Cobb 作曲、The Four Preps が歌う、1965年。1981年にソフト・セルがカバー。 ]
パートリッジ「( 笑い ) さあどうぞ。不成功は、我らの友です。「 Failure -- everyone should embrace it!! 」」 



おわり


誤訳、疑問点をご指摘下されば助かります。
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2014年07月16日

ベルナール、パートリッジ対談「 Funk Pop a Roll 」9

ベルナール「歌詞は、暗くてでも滑稽なものですよね。これまで、他の歌については、歌詞を詳細に検討してきたのですけれど、この歌については、それは必要ないように、私は思うのです。とても明白な歌詞ですから。」
パートリッジ「明白な歌詞の一つですね。レコード会社、とくにそのマネッジメントに騙されていたと言う思いだけではないのです。私が自分たちの音楽が何かを変えるだろう、と言った初心な考えを実際に自分が持っていた、と言うことに対しての憤りも、また持っていたのです。もちろん、音楽が何かを変えるなどと言うことは、ありません。変えられるような何があると言うのです? そのように考えるなんて、馬鹿ですよ。」
ベルナール「私的なレベルでは、音楽は変革をもたらすのではないですか。貴方自身にとって、それに、貴方の音楽を聴く聴衆にとってはですけれど。」
パートリッジ「私は、私的なレベルに於いてであっても、音楽が何かを変えるとは思いません。音楽と言うのは、人が何かをしている時の壁紙に過ぎないのです。何をしている時であっても構いません、同じです。もし、人がとても情緒的なことをしているのであったら、音楽の壁紙は剥がれずにいるでしょうね。日常生活の些細なことをしている時には、背景の音楽効果は、強すぎないようにするでしょう。離婚するとか、死に直面するとか、恋に落ちるとか、そういうような感情的に大きな出来事があった時のサウンドトラックは、一生涯忘れられずにいるでしょうね。音楽が人に与える影響とは、そういうものですよ。何かを変えたりはしないのです。」
ベルナール「お話の要点は、分かったと思います。今、この何年かの間に、話し合った様々の人々のことを考えています。その人たちは、自分たちの人生に於いて音楽が何れ程重要な役割を果たしたか、を述べていました。それに、MySpace と通じてたくさんのEメールも受け取りました。それには、貴方がその人たちの音楽への接し方を変えて、ソングライティングに影響を…、」
パートリッジ「そのような意見を聞くのは気持ちがいいでしょうね。私たちがおばかさん至上主義のおばかさんでなかったら、と思いますよ。私たちは、自分たちが言うところの「成功」にうるさかったのでしょうね。もし、それが「成功」だと言うのなら、自分たちのやりたい音楽に対しての気難しさから出来たことなのです。大抵のバンドは、「成功」に誘惑されるのです。幸いに、私たちは、そのような「成功」には恵まれなかったのです。」 


9月11日訂正箇所あり。
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2014年07月15日

ベルナール、パートリッジ対談「 Funk Pop a Roll 」8

ベルナール「( 笑い ) それが歌が出来た理由なのですか? アルバムの他の曲は、そういうことが分かる前に、書いていたのですか?」
パートリッジ「他の曲には、そう言うような痛手は少しも無いように思いますね。他の曲を書いた時、私は、至って安穏だったのです。それに、ほとんどの曲は、「 Ladybird 」と同じように、ヨーロッパのツアーの最中に思い付いたのです。その時、私は安らかな気持ちでいました。あの当時、私は、私を肉体的にも精神的にも痛めつけて、何の見返りも無いような、とにかく私たちの誰一人にも見返りはなかったですね、そのような回転する踏み車から降りて、平穏で閑静な時間を持ちたいと思っていたのです。そうですね、「 Funk Pop a Roll 」が頭の中に飛び出した時と言うのは、私は、アルバムの曲の全部を、穏やかなもの、心痛を感じるもの、静かなもの、と分類し終わっていた時なのです。そして突然、「まったく! 怒っているんだ、 金はどこに行ったんだ。」と言う言葉が、噴き出したのです。私は、レコード業界に騙されていると言う感じがしたのです。それに、もし、私たちが騙されているのだとしたら、他のバンドもみんな、同じように騙されているのかどうか、と思ったのです。レコード業界の歴史を振り返って見てご覧なさい。例えばですね、ヘンドリックスがどれだけ騙されていたかを考えてみて下さい。」
ベルナール「ええ。ロックンロールの始まりの1950年代を見ても、それよりも以前のジャズや、もっと前の音楽を見ても、レコード会社と言うのは、いつでも、音楽家たちにそうしているのですよね。」
パートリッジ「その通りです。レコード会社の「一筆」、マネージャーの「一筆」、代理店の「一筆」、そして出版社。「一筆」が何よりも必要なのですよ。( 哀れっぽく笑う ) ええ、貴方の言う通りです、新しいことではないです。誤摩化しは、新しいことではないですよね。」
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2014年07月14日

ベルナール、パートリッジ対談「 Funk Pop a Roll 」7

ベルナール「( 笑い ) でも、レコード会社は別ですよね!」
パートリッジ「( 笑い ) ええ、そうですね、レコード会社は怒っていましたね。レコード会社はまるで銀行でしたね、どう考えてもね。私たち自身の金を私たちに貸し付けていたのです。あの嘗てのヴァージン社に悪かったとは思いません。まるっきり思いませんよ。」
ベルナール「それについて話して下さい。何が歌詞を書かせたのかと言うことについての話題に戻りましょう。そうですね、貴方たちがツアーを止めた時期だった、と言うことは知っています。貴方が負った負債で、通帳をじっくり見たのではないですか、違いますか?」
パートリッジ「ツアーを止める前では、下着を洗う時間もなかったのですよ。まるっきり時間がないのです。絶え間なくツアーをしているのですからね。週のほとんどを、初めての町、初めての地方に行くと言うことに費やすのです。すると、誰かが「いいねえ、上手くいった。ニューアルバムのレコーディングは、1月に予定を組んだから、君らをスタジオに缶詰めにしなくては。三週間か四週間ツアーはないから、その間に、君らは曲を書いてニューアルバムのリハーサルをするんだぞ。それから、その日にスタジオに行くんだ、分かったね。」とか言うのです。何もかもが、そのようなめまぐるしい工程表の上で、進行して行ったのです。私たちは、何もする暇がなかったのですよ。
 お金の流れのシステムのビザンティン式迷宮様の通路について、私たちは考え始めたのですけれどね。私たちにはとても理解出来るものではなかったのです。とてもとても複雑で不可解なのですから。それで直ぐに、要領を得なくなりました。私が理解したことと言えば、このようなことです、それはツアーを重ねるようになって得られたものなのですけれど、そうですね、コリンが歌っている時とか、催眠的なイントロ、例えば「 Battery Bride 」とかのですね、その長いイントロをしている時などに、何となく考えるようになって得た理解なのですけれどね、「あああ、何千人もの人がいるなあ。この人たち、チケット代にXドル払っているんだよなあ。えっ、それって、大変な金額だよなあ。それって、どこにあるの? そのお金、どこに行ったの? 待ってよ待ってよ、僕らは、もう40日もこのツアーで同じようなことをしているぞ。その全部の金額ってすごいぞ、それって、どこにいったんだ? ええ、ああ、うう、僕に渡されたのは、ちょっとだけだぞ!」。( 笑い ) 分かりますか、この通りだったのです。お金の流れについて考える時間をなんとか見つけられたのですよ。そこでしか、考える暇がなかったのです。
 そうして、ツアーが終わって、「さて、お金はどこに行った?」と言うことになるのです。」
ベルナール「それは、アメリカ・ツアーをキャンセルした結果、ご自身の責任で負った多額の借金の為なのではないのですか?」
パートリッジ「ええ、こんな感じでした。「君はヴァージン社に借金がある。それにマネージャーにも、Xポンドの借金がある。」「わかりました、いくらですか。」「うっ、それは駄目だ。いくらかを知ってはいけないんだ。」「そんな、買った装置やキャンセルしたハイヤーやバスそれにスタッフの代金があるんでしょ、いくらだったか教えて下さい。」「ふむ、私から言えることは、たくさんだ、と言うことだ。」「いくらか、金額を言って下さいよ。」
 私たちが実際得たものは何かを話しましょう。覚えていますよ。ツアーを止めた時、私が自宅の寝室から降りて来ると、玄関の床に、郵便受けから落ちた分厚い封筒があったのです。それを拾い上げて、階段に座って考えました。「なんだか、公用の郵便のようだけど。」 それは、関税と間接税の税務局からのものでした。そのどこかの部門だか部局からでした。まあ、税務署ですよ。私は開封して読みました。「未納分付加価値税:300,000ポンド。」とありました。それも、私の名前でです。[ 1982年だと1ポンド420円、126,000,000円。1983年だと377円、113,100,000円。パートリッジの給料は、月給にすれば、84,000円から75,400円くらいに。 ]
 それで、私は思ったわけですよ。「ちょっと待ってくれ。僕は、週50ポンドの給料だぞ。それが僕自身の金だ。どうやって、300,000ポンドの間接税が出来るんだ?」と。そうですよね、数百万ポンドの収入に対しての税額ですよね。「あああ、誰かがお金を全部持って行ってしまったよ、で、税金を払わずにね。」と言う他なかったですね。それで、何もかもがはっきりと分かり始めたのです。
 つまりですね、私たちは、ステンレス製のパイナップル切り抜き器で、中身を抜き取られていたようなものなのですよ。」
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2014年07月12日

ベルナール、パートリッジ対談「 Funk Pop a Roll 」6

ベルナール「また、アルバムの他の歌は先に書いていたと、貴方は言われたのですが、それらの歌も内省的です。何がそうさせたのかを覚えていらっしゃいますか? どれだけ怒っていたのか、思い出せますか?」
パートリッジ「怒りの瞬間があったとは思います。他の曲を書き上げた時の私は、アルバムはもう送り出したと思っていたのです。「さて、これは片付いた。田舎風のレコードになるだろうな。では、次はどうする? 僕は怒っているぞ! 音を大きくするんだ!」と思っていたのです。まだレコーディングも終わっていないのに、心中で、私はアルバムがもう終わったものの様に感じていたのです。もう書き上げられて、心の中の箱に収められていたのです。「うん、こんな感じになるぞ」と言ってね。
 ですけれどね、実際は、アルバムが片付くと言うことは決してないのです。いつも必ず、余分な曲があるものなのです。その余分な曲と言うのは、次のアルバムの開始になっているものなのです。聴衆の皆さんが、私たちの作品を時代順に追って聴けば、例えば、『 Nonsuch 』の「 Wrapped in Grey 」や「 Rook 」が『 Apple Venus 』の領域に入っているのが分かるのではないでしょうか。皆さんが、これが次のアルバムになるのではと感じる部分が、アルバムには大抵あるのです。」
ベルナール「「 Complicated Game 」も良い例ですよね。あれは、『 Black Sea 』の様に聞こえます。」
パートリッジ「ええ、その通りだと思いますよ。たぶん、「 Roads Girdle the Globe 」は「 Paper and Iron 」に通じているでしょうね。それで、聴き手の皆さんは、曲の来歴を少しだけ感じることになるのだと思います。つまりですね、私たちがあるアルバムを細切れに裁断して見れば、きっと、それ以前のものから続いている血脈を見つけることになるのです。どんな音楽家の履歴を見ても、必ずそう言うものが見つかりますよ。例えば、ビートルズ。「 Tommorrow never knows 」は、『 Pepper 』の最初の曲なのだと思いますよ。」
ベルナール「それは、常に成長を続け、新しい芸術を産み出そうと奮闘しているバンドのすべてに当てはまる法則なのだと、私は思います。それが、私が XTC を好きな理由の一つでもあるのです。貴方たちは、どのアルバムでも、違うことをしようとしていますものね。過去に創り出したものを再包装して出したりはしていませんもの。」
パートリッジ「私は、循環の罠に嵌るのが嫌なのですね。同じものを何度も何度も作り続けて、それより他は出来なくなるなんて、想像出来ますか? 悍ましいですよ。
 成功と言うのは、大きな罠ですよね。例えば、あるタイプのチーズを作って成功したとすれば、それを止めようとは思わないでしょうし、違うタイプのチーズにしようとも思わないでしょう。Aチーズをずっと何度も繰り返して作ろうとするでしょうね。と言うのはですね、Aチーズが売れるのは分かっているのですから。
 でも、私たちは、「成功しない」と言う得難いものを手に入れることが出来たのです。それで、「こんな風なレコードを作ってみたらどうだろうねえ、やって見ようよ。」「ねえ、オーケストラを使ったら、どうして駄目なんだい?」「アコースティックでやってみようよ。」等と言えたのです。私たちが誰かを怒らせてしまうようなことは、起こりそうではなかったですね。と言うのはですね、怒らせるのを心配する程にたくさんの人が私たちのレコードを買ったりはしてませんでしたもの。」
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2014年07月11日

ベルナール、パートリッジ対談「 Funk Pop a Roll 」5

ベルナール「冒頭部分のキックとスネア・ドラムのパターン、あれも素晴らしいです。ピーター・フィップスさんが考えたのですか?」
パートリッジ「私は、乱調子のドラムがほんとに好きなのです。乱れたように始まって突然ピタリとリズムが合ってしまうと言うドラムです。私たちの録音したものの中には、たくさんあるのですけれどね。例えば、「 The Disappointed 」とか。それで、録音の時には、私はたぶん、ピートに「乱れたように始めたいのだけど、ここにキックドラムを入れられるかい?」と言ったのだと思います。
 実はですね、私は、自分がビートルズの「 Drive my Car 」のイントロを上手く再現出来るとは決して思ってないのです。あれは、ドラムズが乱れていますよね。あれは、じつは間違ってしまっていて、それをビートルズはそのまま使ったのだ、と私には思えるのです。もし、1、2、3、4とカウントして、ドラムの位置を確かめようとしたら、上手くいきませんよ。
 ピートは、素晴らしい乱調子のイントロを作ってくれました。それに、あの曲のスネア・ドラムは、私たちがそれまで録音したものの中で、もっとも暴力的に聞こえるスネアですよ。」
ベルナール「ところで、貴方は、この曲が間際になって出来たものだと、仰いました。書いた時のことは覚えていらっしゃるのですか? 何がこの辛辣な歌詞を書かせたのでしょう。私が思うには、ツアーを…、」
パートリッジ「レコード産業についてある種の思いが合ったのです。私たちはツアーを辞めたところでした。「僕らは五年間もステージで演奏して来たぞ。なのに、ちっともお金を見てないぞ。」ということだったのです。」
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2014年07月10日

ベルナール、パートリッジ対談「 Funk Pop a Roll 」4

ベルナール「ところで、貴方はこの曲を重苦しいものと言われるのですが、この曲の他のパートは、ことさらに重いものではありません。ギターに注意して聴けば、とても透明感のある音になっています。」
パートリッジ「ええ。私は、とても細く聞こえるギターのリフを弾いています。それに平手打ちを返すようなエコーが付けられて、左から右へパンされています。デイブは、大きく幅の広い音の12弦ギターを弾いています。それは、中央に固定されてミックスされました。」
ベルナール「ええ、私は、あれはグレゴリーさんだと思っていました。」
パートリッジ「あれはデイブです。とても自然な感じに鳴らされています。でも、同時に、暴力的でもあるのです。私は、この曲をミックスした時のことを覚えています。スティーブ・ナイと一緒にミックスしたのです。でも、それは、今聴かれるようなものではありませんでした。ナイは、素晴らしいエンジニアなのです。でも、ナイは、その素晴らしくエンジニアリングされた音響を台無しにはしたがらなかったのです。それで、フィル・ソーナリーに「ちょっと来てくれないか、この曲をもっと暴力的にして欲しいんだけど。」と話しを持ちかけたのです。そして、彼が来て、私は彼が仕事をしている間、その後ろに立って、「違う、もっと暴力的に! スネアドラムを前面に!」と叫んだのです。上手く行きました。と言うのはですね、ソーナリーは、音量を上げて音響を台無しにすることに対して良心の呵責を持っては無かったのですから。でも、曲はそうする必要があったのです。ソーナリーは、この曲が自分のものだとは思ってもなかったのです。彼がその時面倒を見ていたのは、自分の可愛らしい赤ん坊ではなかったのですから。」
ベルナール「ギターのことですけれど、冒頭のギターについて伺いたいのです。あれは、グレゴリーさんの12弦ギターですよね?」
パートリッジ「あれは、デイブが考え出したのだったと、私は思います。私が自分で創り出したとは覚えていないのですから。コードチェンジとメロディと歌詞は、もちろん、私が考え出したものです。どのようにして思い付いたか、覚えています。私の好きなギタリストの一人、ロリー・ギャラガー Rory Gallagher の何かの曲を色々といじっていて、思い付いたのです。そうですね、ギャラガーのバンド テイストTaste のアルバム『 On the Boards 』の中の曲「 Morning Sun 」のA コードの回転するようなリフです。私は、それを色々と試していて、もっと波立つように起伏のある、シャッフルしないでストレートな感じで弾いていたのです。そうした変奏をしていて、「これはちょっと変わっているけど、これはこれでブルースっぽく思えるなあ。悪くない。これを使ってみよう。」と思ったのです。でも、イントロの12弦は、デイブがスタジオであっという間に創り出したのだったと言う確信があります。」
ベルナール「そうですね。スタジオでリハーサルしながらアレンジを作ったのだとしたら、グレゴリーさんが自分で自分のパートを作ったのでしょうね。」
パートリッジ「ええ、デイブは自分のパートをさっとものにしたのですね。あの時、多分ですけれど、私はデイブに「ここに何かテーマのようなものが要るんだ。」と言うようなことを言ったのだったと思います。それで、デイブがあれを考えたのです。ある意味で、メロディへの反響なのですね。」
ベルナール「曲を通して、グレゴリーさんはギターのパートを弾いているのですよね。」
パートリッジ「ええ。デイブが自分でアレンジして弾いているのです。デイブのギターは、いつもそうですが、とてもよく考えられています。」
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2014年07月09日

ベルナール、パートリッジ対談「 Funk Pop a Roll 」3

ベルナール「ああ、それは伺いたかったことなのです。私は、あれがキーボードでなのか、本物の管楽器なのか、どちらなのだろうと思っていたのです。」
パートリッジ「私が、アルト・サクソホーンを吹いているのです。1981年のことですけれどね、ちょっと愚かな考えを持ってしまいましてね、サクソホーンを買ったのです。二週間あればチャーリー・パーカーになれると思ったのです。( くすくす笑い ) 「よおし! これで相当の多彩な音色を僕たちは手にしたわけだ。後は、吹くだけ ( 複雑なパーカー風のリフを口で歌って、 )。さて、簡単さ!」と言う分けですね。それで、もちろんですけど、「ラゴスの無茶苦茶な交通渋滞の音 : traffic jam in Lagos」だけでしたけれどね。それで、実際には、「 Funk Pop a Roll 」のメロディを吹いて、それに、ハーモニーも重ね録りすると言うのは、私には、ヘラクレスの偉業と同じだったのです。曲の中では、サックスの部分は、ほんの僅かなのですけれどね。」
[ ナイジェリアの大都市ラゴスの交通渋滞は世界最悪と言われています。 ]
ベルナール「でも、上手くいっていると、私は思いますよ。」
パートリッジ「そうですかねえ、どう言う訳だか、楽しそうに聞こえませんか? 楽しそうに聞こえてはいけないのですけれど。もっとブルーズっぽく、ざらついた感覚が欲しかったのです。ですけれど、私の技量は、それは朴訥ですからね。私が吹くことが出来たのは、ちょっとだけプープー鳴らすだけだったのですから。朴訥に聞こえますよ。未熟な奏者にしか聞こえませんね。やや愚鈍に聞こえますし、楽しそうに聞こえるのですね。」
ベルナール「ですけれど、それが、歌の他のパートと上手く合っているように、私は思います。この歌は、オールド・スタイルのロックンロール・ソングのようですし。それに、ちょうど50年代のジェリー・リー・ルイス風に、一つのコードだけでピアノを鳴らせ続けていますし、…、」
[ ジェリー・リー・ルイス Jerry Lee Lewis 1935年生まれ、アメリカのソングライター。「 Whole Lotta Shakin' Goin' On 」が有名。JerryLeeLewis.com | Official page with merchandise, concert schedule, photos and more. ]
パートリッジ「ああ、あれはどこから思い付いたのかと言えばですね。実は、ストゥージーズ the Stooges から、直接、盗って来たのですよ。ストゥージーズの最初のアルバムの一曲に、あのような間抜けな「ディンディン、ディンディンディン、ディンディンディン」と鳴るピアノがあるのです。「曲を通してこれだけを弾き続けるのって、いかにも足りない奴だよね!」と言う感じですね。ストゥージーズのアルバムから取って来はしたのですが、正直言って、どの曲からだったか、思い出せないのです。」
ベルナール「あれは、デイブ・グレゴリーさんが弾いているのですか?」
パートリッジ「そうです。聴けば分かると思いますけれど、ピアノでは、二つか三つの音しか使ってないのです。コードに合わせて、その中の一音だけを弾いているのです。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの後のストゥージーズの感じです。分かりますか? ストゥージーズはヴェルヴェットからあれを取り入れたのだと、私は思っているのですけれどね。ストゥージーズの最初のアルバムのプロデューサーだったジョン・ケイル John Cale が持ち込んだのでしょうね。つまり、本家から直接にもたらされた分けですよね。」


ラゴスの写真、the Atlantic 紙の写真:http://www.theatlantic.com/magazine/archive/2012/07/worlds-worst-traffic-jam/309006/
lead.jpg
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2014年07月08日

ベルナール、パートリッジ対談「 Funk Pop a Roll 」2

ベルナール「そうなのですか。今のお話をもう少し詳しく聞かせて下さい。歌は、連続して出来たのですね。つまり、アルバム『ママー』の歌は、アルバムに入っているままの順序で書いたわけなのですか?」
パートリッジ「いえ、いえ、違います。順番に出来たわけではないのです。済みませんね、貴方に誤解を招くようなことを言ってしまいました。アルバムで聴ける順番で書いたのではないのです。でも、どの歌も、それぞれが、私の心の諸段階のどれかにあるのです。と言うか、その私の心のある段階を反映するように聴こえる音になっているのです。それで、ほかにも幾つか理由があったのですけれど、間際になって「 Funk Pop a Roll 」が出来たのです。ちょうど、「さあ、来週はスタジオに入ろう。ちょっと待って、今、新しい歌を思い付いた! 他のとはまるで違うんだ!!」と言う感じだったのです。
 それは、私にとっても驚きでした。と言うのはですね、もうぜんぶ書き上げて、後はもう実際にならして見るだけだから、急いで出発しようと思っていたところに、突然に、ポン!と言って、この大きな耳障りな音の歌が出て来たのですから。そうですね、重々しい音とはいえないでしょうね、でも、荒々しい音ですよね。それが、いよいよと言うその最後の一分の時に、出来たのです。デモ・テイクもありません。遅過ぎましたからね。多分ですけれど、レコーディング前に、スタジオで一度リハーサルしただけだったと思います。アルバム『 Mummer 』のリハーサルに使ったメカニックス・インスティテュート Mechanics Instituteの舞台用具倉庫でリハーサルをしたのは、思い出せないですから。マナー・スタジオで、二回か三回通して練習しただけだったと思います。」
ベルナール「私も経験があります。時には、リハーサルをしっかりした時よりも、新鮮でいい録音が出来ることがありますね。私はそう思うのですが。」
パートリッジ「そうですね。考え過ぎたり、手を加え過ぎたりする間がないのですね。「出来た。強靭で激しい曲になりそうだ。このままやろう。」と言う感じだったのですね。
 それから、まあ、いろいろありまして、私は忘れてたサクソホーンを見つけ出したのです。1981年に、アルバム『 English Settlment 』のために買ったものでした。それで、これでリフを吹いてやろうと思ったのです。( リフを歌ってみせる。 )」
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2014年07月07日

ベルナール、パートリッジ対談「 Funk Pop a Roll 」1

 アンディ・パートリッジとトッド・ベルナール Todd Bernhardt さんの対談、「 Funk Pop a Roll 」について。
 2008年10月27日にMySpace に公開のもの。MySpace にはもうありません。今は、チョークヒルのアーカイブにあります。
Chalkhills: XTCFans: Andy's Take: "Funk Pop a Roll"



ベルナール「それでは、「 Funk Pop a Roll 」についてのお話を、でも、初めに私が話しましょう、と言うのは、これは私個人のことですから、まったくもう! ( パートリッジ、笑う ) 私が若い時のいつものことだったのですが、私が貴方たち XTC を知ったのは、貴方たちがツアーを止めた直後だったのです。XTC を知って初めて買った新作は、『 Mummer 』でした。その時のことなのですが、歌の終わりに、「 bye bye 」と言っているのが聞こえました。テリー・チェンバースがバンドを辞めたのも知っていましたから、「ああ、何てことだ、見つけたばかりのこの凄いバンドは、今解散してしまうんだ。」と思ったのです。」
パートリッジ「貴方がそんなことを言おうとは、思いもしませんでしたよ。草稿の最後には、「 bye bye 」と「 not me retiring [ 辞めるのは僕じゃない ] 」を書いていたのですけれどね。でも、皆さんは、「ドラマーは辞めてしまった。それで、バンドも終わりにするんだ。アンディは、最後の曲の最後のところで、さようならを言っているんだ。」と言う考えを持ったのですね。」
ベルナール「それに、歌それ自体が取り上げている題材を考えれば、無理からぬことですよ。」
パートリッジ「なるほど、それでは、貴方は、私が自刃して居なくなっていれば、どれだけ素晴らしかっただろうと考えていたのですか? ( くすくす笑い ) 沈む太陽に向かって漫ろ歩く素晴らしい瞬間、と言うことですね?」
ベルナール「( 笑い ) とんでもない! そんなことはありません。」
パートリッジ「多くの人がそう思ったらしいですよ。最後の曲の最後のところ、それも、( 震える声で ) 本当に最後のアルバムの、そこに「 bye bye 」を聴いたのですから。」
ベルナール「歌が完成しようとしていた時に、一体何が、貴方にあの言葉を喚呼させたのでしょう。」
パートリッジ「そうですねえ、この歌はアルバムの最後の歌ですし、「チェリオ! またね、」と言うものですけれどね。」
ベルナール「この歌が、アルバムの締め括りになると分かっていたのですか?」
パートリッジ「それはですね、アルバム全体にある種の感覚があって、すべての曲、『 Mummer 』に入っているすべての曲ですけど、それが一連のものとして出来上がって来たのです。それで、最後の最後の曲は、本当に間際になって思い付いたのです。ですから、デモ・テイクも作ってないのです。だって、最後の瞬間に出来たのですからね。「 Funk Pop a Roll 」はそう言う歌なのです。
 私はこう考えるのです。他のほとんどのアルバムも同じなのだと思うのですが、このアルバム最後の歌は、次のアルバムの最初の歌なのではないでしょうか。私の頭の中では、「 Funk Pop a Roll」が『 Big Express 』の最初の歌なのです。そうですね、「次回の予告」のようなものですかね。( 芝居がかった声で ) 「次週、恐れを知らぬ XTC が悪漢フ・マンチュの手から逃れられるかどうか! 確とご覧あれ。」 それで、聴衆の皆さんはちょっとだけ次のレコードを窺い知ると言うことになるのです。次のレコードは、「 Funk Pop a Roll 」のようになるって。」
 





8月14日訂正の箇所有り。
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2014年06月09日

グレゴリー回想「 Funk Pop a Roll 」

 マイスペースで公開されていた、デイブ・グレゴリーさんの「 Funk Pop a Roll 」回想記。私はコピーして保存していたのですけれど。マイスペースの記事はもうなくて、チョークヒルのアーカイブにもないようなのですが。いつもは、日付もコピーしておくのですが、これは日付を忘れていました。私のMacBookでの、そのコピーの作成日は、2011年12月6日になっていますが、それが公開日から近い時だったのかどうかは分かりません。


 ああ、素晴らしい80年代。皆さんはあの時代をお好きでしょうか。初めて聴いた時から長い時間が経って、またこの歌を聴くと、脆さと際立ったぎこちなさと焦点の定まらないベース、それに、もう一度この歌を聴きたくさせるような暖かみがどこにもないことに強く印象づけられます。これは、最新流行のレコーディングの潮流について行こうとしてる、あの頃のXTC の音なのです。音楽的には最悪の十年間でした。それも、まだたった三年目だったのです。

 でも、そうしたことは、この歌が歌っていることについてよく合っています。そう言う意味で、とてもよく出来た歌です。私たちは、主流のバンドになりかけたこともないのです。チャートでヒットしたとしても、それはいつも、偶然でした。そう言う次第で、この歌は、音楽産業に於いてのアンディの憂鬱の発散の仕方だったのです。私たちの音楽の考え方はどんどん主流とは懸け離れたものになり、私たちは、エンターテイメントの流儀にどんどん寛容でなくなっていて、「おばかさん」達のポケットから金を取ると言うのに合わせられなくなっていたのです。 

 「 Funk Pop a Roll 」を毎日練習していたと言う記憶はまるでありませんけれど、マナー・スタジオのストーン・ルームでドラムズ・キットの後ろに座っているピーター・フィップスの写真を持っていますから、彼がこの曲でのドラマーの筈です。私は、二つのトラックで、ローランドのJC-120 のアンプを使ってリッケンバッカー・12ストリングス・ギターを弾いています。それから、この曲は、私が黒いリッケンバッカー 360-12 を使った、最後のスタジオ・セッションなのです。 

 アンディは、私がピアノを弾いているとクレジットを入れています。けれども、本当には、ピアノを弾いているのは彼なのです。アンディが録音した唯一のピアノ演奏です。少なくとも、私がバンドに在籍していた間ではですけれど。アンディは、エレクトリック・ギターとサックスも演奏しています。彼が考え出したギターとサックスの短いメロディは、歌のクライマックスの必須のフックになったのです。このトラックは、最終的には、ロンドンのRAKスタジオで、フィス・ソーナリーがミックスをしました。私たちがスタジオで作業をしている間に、ミッキー・モスト Mickie Most が聴きに遣って来たのを、私は覚えています。でも、彼は自分の立場をはっきりさせないままでしたけれど。 

 レコーディング・セッションの時の色褪せない私の思い出は、音楽とは関係のないものです。マナー・スタジオは、館の主館に接していました。そして、広々とした芝の丘陵を見渡せました。丘陵の窪みには、底に湖がありました。この湖へ毎年訪れるものには、渡り鳥のカナダ白雁の番いも入っていたのです。挨拶を交わすだけの人間たちよりも、もっと愛情深い仲間だと思われていました。 

 その同時、アンディが熱を上げていたのは、アルト・サクソホーンです。快晴だと、アンディは外に出て芝の上に座り、嬉しそうに、チャーリー・パーカーの心霊を呼び出そうとしていたのです。まあ、実際には、歌のために彼が考え出したリフを練習していた、と言うことですけれど。それで、ある時、アンディは、サックスを携えて行進をしようと思ったのです。そして、サックスを吹きながら歩いて湖の方へ降りて行きました。雁が、自分たちに近づいて来るアンディを疑わしげにじっと見ているのが、私には分かりました。突然、雌の雁が、アンディの頼みもしない序曲に怒ったのです。文字通り怒り狂って飛び上がり、警告の鳴き声を上げながら翼をばたつかせ、アンディに襲いかかりました。そして、芝の丘陵の上を追い回したのです。私は、人間が乗り物に乗らないで、あんな速さで動くのを見たことは、ほとんどありません。
 私たちは、それはもう笑いました。ですけれど、皆さんがそこに居合わせたら、やはり、笑うと思いますよ。  

おわり



誤訳、疑問点をご指摘下さると助かります。
また、原文の公開日など、詳細を教えて頂ければ嬉しいです。 


グレゴリーさんのギター・コレクションから:rick360-12.jpg
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2014年05月29日

対談「 Me and the Wind 」感想

 この曲の一番の特徴は、フルートだと思っていたので、フルートから曲が生まれたと言うのには納得。でも、曲の素地のパターンが、フィリップ・グラス風だとは、思っていなかった。表面からミニマル的と思えるのは、「 Jason and the Argonauts 」だけど。
 それで、「 Jason and the Argonauts 」は、ギター三本( 一本はベース・ギター )とドラムズのアンサンブルで、とても緊密なのだけど、「 Me and the Wind 」のセカンド・ブリッジ( 「 Now that I'm ... Feel like a ship with no rudder 」は別の形のブリッジなのだろうか? )と最後のコーラスの間の間奏も、緊密だ。
 「 Jason and the Argonauts 」と大きく違うのは、グレゴリーがピアノだということ。ムールディングのベース・ギター、グレゴリーのピアノ、フィップスのドラムズに、パートリッジの線的なギターのアンサンブル。フルートも入るけど。これは、とても緊密なアンサンブルで、緊張度も高い。アルバムと通じてのハイライト部分ではないかと思う。「 Jason and the Argonauts 」のように、長くしてもよかったのではないかとも思う。
 金属音が、ヨットのマストにロープがぶつかる音だとは全く思わなかった。それを考えて、この歌が、自由を歌っていて、その自由はとても微妙な均衡の上に立っているものだと言うことなら、この歌は、「 Yacht Dance 」にも通じる。
 むしろ、「 Jason and the Argonauts 」と「 Yacht Dance 」を統一した歌なのかも知れない。それから、このモチーフが、どう発展して行ったか?
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2014年05月24日

ベルナール、パートリッジ対談「 Me and the Wind 」11

ベルナール「それらの歌のスティーブ・ナイがミックスしたテープを、貴方はお持ちなのですか?」
パートリッジ「どこかにあると思います。たぶん、屋根裏部屋のどこかに。制作時からもうずっと再生して聞いたことはありません。でも、宏大な感じが、ちゃんと映画のワイドスクリーンにはなってないと感じたことを覚えています。」
ベルナール「ですけれど、その最初のミックスのものを聴いて見たいですね。」
パートリッジ「ええ。もし、ヴァージン社が『 Mummer 』の豪華版を出すことになれば、スティーブ・ナイのミックスのものを付録に入れるといいですね。当時、映画の大きさではなくて、テレヴィジョン・サイズだと、私は思ったものですけれど。
 最後に、実は、この曲を再度聴いて楽しかった、と告白しましょう。もう何年も聴いてなかったのですけれどね。心中で思いました。「ああ、この曲、「中々」なんてものじゃないねえ。」と。
 膨満への讃歌ではありませんよ、誓って違います。」  



おわり  





誤訳、疑問点を指摘して下さると助かります。
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2014年05月23日

ベルナール、パートリッジ対談「 Me and the Wind 」10

ベルナール「ライブで演奏する必要がなくなったので、従来のアレンジメントの範囲を超えて出た分けですね。」
パートリッジ「そうです。一団の俳優として舞台に立たされ、お客の目の前で脚本通りに演じるのでは、もうなかったのです。もっと映画的になっていたのです。ディゾルブ[ 日本語のオーバーラップ ]、ワイプ[ 一つの画面を片隅から拭き取るように消していき、そのあとに次の画面を現していく手法 ]、特殊レンズ、独特の照明、カット割り、そう言う映画を夢のようにするあらゆる手法を、いろんな方法で使うことが出来るのです。音楽をそう言う領域に持って行けたのです。そうですね、自分自身に対して、もっとサイケデリックになること、あるいはまた違う音楽にすることを許可したのです。」
ベルナール「アレンジメントをもっと拡げて違う楽器や奏法を使いたいと言う、同じような段階に達した他のバンドは、補足の演奏者を雇ってツアーに出るものです。例えば、トーキング・ヘッズ。ステージには、四人のメンバーではなくて、八人編成だったり、多様な人数の編成になって登場するのを見たものです。核のメンバーに他の演奏家が加わっているのですね。多くのバンドが、中期か後期になるとそうするようです。」
パートリッジ「そうですね。音楽的に拡張したいと言う思いと、実際に演奏出来る要件とのバランスを取ろうとしているのではないか知ら。でも、私に関してはですね、こういうことでした。「もう、これ以上はいっさいツアーはしないから。うんざりなんだ。ああ、素晴らしい、音楽を「宏大な」ものに作り上げることにだけ、集中出来ると言うことは、本当に素晴らしいよ。ストリングス隊やフルート奏者、管の奏者、アルミニウムのマストを打ち鳴らす者、その他必要だと思われるものなんでもかでもを連れてツアーに出る費用について、僕はもう心配する必要はないんだ!」 そうなんです。作っているのは映画なのです。何度も繰り返して演奏するものを作ったのではないのです。」
ベルナール「では、このアルバムを予算内で仕上げたのですか? それとも、思っていた以上に、時間がかかったり、費用が嵩んだりしたのですか?」
パートリッジ「思っていた以上に費用がかかりました。でも、それは、レコーディングに関してではなかったのです。ミキシングの段階に於いてそうだったのです。スティーブ・気難し屋・ナイ、スタジオで一緒に仕事をするには一番の気難しい人ですよ、でもとんでもなく気難しい。でも、彼は卓越したエンジニアです。緻密なことにはとても素晴らしい仕事をしたのです。彼がレコーディングしてミキシングしたものは、本当に美しいのです。ナイは、すべてのものを美しく録音します。正直に言いましょう。想像を超えた素晴らしいエンジニアです。だから、私たちは彼と仕事をすることを望んだのです。でも、幾つかの歌では、もう少し雄大な感じがいいと当時思ったのです。「 Elements 」「 Human Alchemy 」「 Funk Pop a Roll 」についてですね。それらのミキシングをしてくれる誰かが必要だと思ったのです。十分に力強く雄大でなかったからです。スティーブ・ナイは、小さな庭のようなミックスをしたのです。でも、もっと宏大な景観に私たちはしたかったのです。それで、そうすることが出来る誰かと一緒にミックスをする必要が出来たのです。それが経費を引き上げたのです。」
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2014年05月22日

大林宣彦『時をかける少女』

 XTC『 Mummer 』がリリースされたのは、1983年8月。日本では9月。同じ1983年には、大林宣彦監督の『時をかける少女』が公開されている。7月に公開。XTC シングル「 Wonderland 」は6月にリリース。

 『 Mummer 』と『時をかける少女』、同時代と言うだけでなく、共通するものがあると思う。
 ノスタルジックな面と未来的な面が背中合わせになっている点。それと重なることかとも思うけれど、「アコースティック」な面と「エレクトリック」な面が合わさっていると言う点。映画は尾道にロケーションして撮影をしているので、その地方の町の佇まいから、自然の感覚を得ることが出来るのだけれど、その映像には、様々な特殊加工が施されて、人工的な感覚もしてしまう。
 そんな感覚は、同じように思う。「 Wonderland 」を映画の主題歌に使ってもよかったのにと思う。


追記:
大林宣彦監督の作品も、尾道三部作。XTC もスウィンドン三部作。
年代順に並べれば、大林作品の方が少し先行するのだけれど、
『転校生』82年 『 Mummer 』
『時をかける少女』83年 『 The Big Express 』
『さびしんぼう』85年  『 Skylarking 』。
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2014年05月20日

ベルナール、パートリッジ対談「 Me and the Wind 」9

ベルナール「さてでは、この曲では、どのようなパーカッションを使ったのですか?」
パートリッジ「何ていう名前なのか、思い出せないのですが。それをひとつ確かに持ってはいたのですが。小さな枠の中に金属の小片があるものです。枠が金属片をぶら下げているのですね、それで、小さな叩く物が二つあって、それを金属片にガチャガチャと…、」
ベルナール「分かります。目には浮かぶのですけれど、私も名前が思い出せません。( フレクサトーン Flexatone と言う名称。 )」
パートリッジ「お化け屋敷の様な音ですよね。エアー・スタジオにそれが一つあったのです。エアー・スタジオで、私のリード・ヴォーカルを録音したのですけれどね。そして、そこで幾つかのパートをミキシングしていたのですけれど、リード・ヴォーカルには満足出来なかったのです。そうではなくて、まだ、リード・ヴォーカルは録音を済ませてなかったのかもしれません。エアー・スタジオのスタジオ1で、私たちはミキシングの作業をしていました。それで、もう一つのスタジオに、二時間ほどの空き時間があったのです。なので、私とスティーブ・ナイは、一緒にそちらのスタジオに入って、ヴォーカルの録音を済ませてしまったのです。
 それで、スタジオには、幽霊がよく出る家の音を出すものがひとつあったのです。それで、金属片を曲げなければ、優しく揺れるだけにすれば、港か海岸のような音がするのです。私には、そのように聴こえます。その音ですけど、アルミニウムのマストがあるヨットがありますよね、そこに風が吹いて、マストにロープをぶつけるのですよ、そうすると音が鳴り出します。その音なのです。それで、メロディとは関係無く無規則にこのパーカッションを振って出た音は、海岸の風の音を思わせるのです。私にはそう聴こえるのですけれどね。」
ベルナール「なるほど、雰囲気をうまく作り出しているのですね。」
パートリッジ「お分かりかと思うのですが、このアルバム『ママー』全体について、ほとんどの歌が絵画的連想から生れ出ているのだと、私は思います。ライブでしなくてもよくなって、本当に自由になっての最初のアルバムなのです。ですから、この歌がフルートを吹くことで出来たとしても、まったく構わなかったのです。ライブで、このメロディをギターで弾く必要もなかったし、フルートを吹く必要もなかったのです。」
ベルナール「そうですね。私がこのアルバムをものすごく好きな理由のひとつは、それなのだと思います。自由の感覚があるのです。」
パートリッジ「そうです。あの時、私は、「ロックンロール」ステージから解放されたのです。映画的領域に進んで行ったのですね。」



Flexatone - Wikipedia, the free encyclopedia
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2014年05月17日

ベルナール、パートリッジ対談「 Me and the Wind 」8

ベルナール「歌を書いたものが、パートを割り当てると言うことはなかったのですか? そうまでしなくても、誰々はどうかと提案して、それに従ってすると言うようなことはなかったのでしょうか。」
パートリッジ「「リハーサル・テニス」だったのです。皆んなが発案をどんどんぶつけてみるのです。そうですねえ、「えええ、どうかなあ、僕にその音が出せるかなあ?」「うん、その方が良いね。でも、もう少し低くしてくれる?」「いいよ、それはいい感じだ。」「そこのところを僕が歌ってもいい? 彼がその音になったとき、僕はこの音で始めたらどうだろう?」と言う具合です。そうやって、思い付いたことを色々と試してみるのです。
 そういった「リハーサル・テニス」は、私たちが自分用のデモ・テイクを録る器機を手に入れてからは、あまりしなくなったのです。自分で色々と試すことが出来るようになったからです。ですけれど、『ママー』以前の場合は、どうすれば上手くいくのかを知る唯一の方法が、「リハーサル・テニス」だったのです。だって、すべての思い付きを頭の中に留めておくことは出来ないですからね。どうしたいかと言うことの、大まかな見取り図は書いて置きます。でも、デモ・テイクを録る前に、たくさんの「リハーサル・テニス」が必要だったのです。
 ヴォーカルの最後の部分ですが、あれは、プロフィット5で出しているのです。二音のフルートの様にして、最後のところで、曲げているのです。」
ベルナール「ああ、私は、ヴォーカルを録音してテープ操作をしてるのか、シンセサイザーなのか、どうなのだろうかと思っていました。」
パートリッジ「ヴォーカルは「 fool 」までなのです。それをミックスに使いました。同じ所で、キーボードが同じ音を出すのです。それは次第に音を大きくしていってます。そのキーボードの音をプロフィットのピッチ・ホィールを使って、曲げているのです。そうすると、風が本当に唸っているように聴こえます。まるっきり、ジョー・ミーク Joe Meek ですね!( 笑い )」
[ Joe Meek:1929年生まれ、1967年没。イギリスのプロデューサー、ソングライター。ノベルティ・ソング。「 Telstar 」が有名。 ]
ベルナール「それに、終わりの部分では、ベースも音が曲げられていますね。あれはベースでしているのですね。」
パートリッジ「そう、風が呻いています。
 この音に私がどんなものを盛り込んだかと言えば。風を孕んだヨットの金属製の帆柱[ 原文:metal-yacht-mast in-the-wind ]なんですね、とても満足しています。」


5月20日訂正:
風を孕んだヨットの金属製の帆

風を孕んだヨットの金属製の帆柱
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2014年05月15日

ベルナール、パートリッジ対談「 Me and the Wind 」7

ベルナール「ヴォーカルについても少し話して下さい。」
パートリッジ「ええ、デイブとコリンは、カウンター・メロディをハーモニーで歌っています。「 Have I been such a fool 」のところですね。それで、私は、自分自身で、主旋律にオクターブ違うハーモニーを付けているのです。」
ベルナール「ハーモニーでは、ムールディングさんが高い方のパートを歌っているのですか? それとも、グレゴリーさんが、ハーモニー全部を通して、高い方のパートを歌っているのですか?」
パートリッジ「どのパートを誰がするのか、と言うのは決まってはないです。その時々の、私たち三人の組み合わせですね。傾向としては、コリンは私が歌うメロディを補強して、デイブは、何と言うか、空気的な…、」
ベルナール「それに関連した質問があるのですが。通常では、どの音域をそれぞれに「割り当て」ていたのですか? 私がバンドに居たときですが、彼は高い声だから高音域のパートにしよう、と言うことになっていました。それでですが、ムールディングさんの声はかなり高いです。でも、グレゴリーさんも高音を出すことが出来ますよね。」
パートリッジ「ええ、デイブの高いファルセットはとても良いですよ。コリンの歌の時には、私は、低いハーモニーを付けるようにしていました。コリンより四度か五度下の暗めに聞こえるハーモニーを付けるようにしていました。と言うのはですね、その何年か前に、主なメロディは常に一番高い音でなければなりません、人の耳と言うのは高い音に惹き付けられますから、と言うジョージ・マーティンの言葉を読んでいたからなのです。それを読んでからと言うもの、私は、高音のメロディに、大抵は低いハーモニーを付けるようになったのです。」
ベルナール「それでも、初期の頃もそうしていますよね。後になってだけではないですね。」
パートリッジ「うん。あれは全部、ジョージ・マーティン的には間違いですね。」
ベルナール「ジョン・レノンとポール・マッカートニーについては、そのやり方で、いつも上手く行っていますよね。それが彼らの自然な音域だからだと思います。ジョン・レノンは、ポール・マッカートニーの下に素晴らしいコーラスを付けていますね。」
パートリッジ「その通りですね。私は、大抵、コリンの下に自分の声を付けていました。そうですねえ。貴方は、私の認識の欠陥を言い当てたようですね。もう一度、そのパターンなのかどうか、たくさんの曲を聴いて見ないといけないですね。私たちは、このことをよく理解しようとしていたわけではないですから。そうですね、自然にそう感じていただけなのですね。譜面に書き出したり等はしていませんもの、私たちは譜面を読めなかったですからね。そう、デイブは読めます。でも、コリンと私は読めませんでした。ですから、それが自然だと感じていただけなのです。」
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2014年05月13日

ベルナール、パートリッジ対談「 Me and the Wind 」6

ベルナール「ええ、それに、前にも私は言ったのですが、この曲では、歌詞を表現した音楽が、完璧な結婚の様に、交わっています。」
パートリッジ「いくつかのことについては、私は、自分が何をしたいのか、直に分かっていたのです。デモ・テイクでは、ベースが唸っている様なのが分かりますか? 風が唸っているようですよね。あれにエコーをかければ、丘を吹き越える風の唸りの様になるでしょうね。
 アルバム『 Mummer 』は、すべての曲について、歌を書いた私とコリンが、それぞれ、個人的にデモ・テイクを作っていた、初めてのアルバムなのです。と言うのはですね、私たちが、4トラックのカセット録音機を初めて手にしたのが、1982年なのです。それで、私たちは、自分の歌をどうしたいのかと言うデモ・テイクを作ることが出来る様になったのです。そして、この歌についてですけれど、「いいかい、この唸る様なベースはそのままに出来るかい? もちろん、他のところは、君の思う様に作っていいよ。他のところについては、どうするかを全く決めてないから。」と私がコリンに言ったことを覚えています。それで、コリンは、エピフォンのベースに弱音器を付けて弾いたのです。そうすると、アコースティックのベースの様に聴こえました。それに、コリンは、ジェスロ・タルのベース奏者のグレン・コーニック Glenn Cornick の様にしたのだと、私は思いますね。コリンは、コーニックの演奏が好きなのです。私も好きですよ。それで、コリンは、グレン・コーニック風にしたのだと思います。」
ベルナール「それは、フルートに伴ってそうなったのですね。」
パートリッジ「( 笑い ) フルートの所為ですかね、コッドピースの所為かも。ああ、可哀想なデイブ、ピアノを弾いている間中、コッドピースを顔に着けなければならなかったのですねえ。( 笑い )」
ベルナール「( 笑いながら ) 貴方は、このアルバムでは、カーネル・カント・ハット Colonel Cunt hat の代わりに、コッドピースを着けてるのだと、私は思っています。」
[ Colonel Cunt hat:第二次世界大戦中のドイツ軍の将校の略帽の事だと思います。 ]
パートリッジ「( 笑い ) 本当にその通りですね。カーネル・コッドピースですね。」

the Colonel Cunt hat:
ウィキペディアの写真
将校用略帽(1941年フリッツ・フリーゲル大尉

Bundesarchiv_Bild_146-2008-0341,_Fritz_Fliegel.jpg
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2014年05月08日

ベルナール、パートリッジ対談「 Me and the Wind 」5

ベルナール「ですけれど、コーラス部分については、ドラムスがとても大きくなっていますね。」
パートリッジ「ええ。今日、私はデモ・テイクを聞いたのですけれど。明らかに、デモ制作時の私は怠惰で、ごまかしながら最後まで同じパターンで済ませています。でも、完成させる際には、バックビートにするべきだと感じたのです。
 ですが、デモと言うのは、完成版を見つけ出すためにあるのです。ある考えをスケッチするためにデモ・テイクを作ります。それと同じ数だけの間違いをするためにもデモを作るのです。そうですね、素案を書き上げて ( スケッチを作って ) 、「よし。建物の前面はこのように見えるのが好い。これで好しとしよう。」と言うことになります。それから、「いや、もう一度考えてみると、上にドームを載せるべきだと、直ぐに気が付いたんだ。」と言うことにね。ですが、思っていることを少しでも書いてみないと、どうなのかは分からないものです。デモは、既に分かっていることを強固にさせると同様に、何か別のものを見つけるためのものなのです。」
ベルナール「ですけれど、貴方のデモ・テイクは、アレンジ等多くの面で、そのほとんどが完成されていることに、私は驚いているのですけれど。」
パートリッジ「ずっと繰り返されるパターンがあったのですけれど。デイブがピアノで弾くためには、簡略化する必要がありました。デイブは、装飾のトリルをずっと続けることは出来なかったのです。ギターではお茶の子さいさいなのですけどね。ピアノでは、この繰り返し、しかもこのスピードでの繰り返しをしようとすると、指を痛めかねないのです。なので、簡単にしました。
 ( くすくす笑って ) それから、可哀想な草臥れたスティーブ・ナイのことを思い出しますね。これを録音した時に、私は、「デイブが弾いているピアノが風が吹いて回る様に出来ない?」と言ったのです。すると、スティーブは、ピアノにオート・パンをかけたのです。ヘッドホンで聴けば分かりますよ。ピアノが頭の中をくるくると回っています。小さな竜巻の様に頭の中で吹き回っているでしょう。それで今度は、ミキシングの時に、「ピアノにオート・パンをかけるべきだったどうか、僕は確信が持てないなあ。君はどう思う?」と言ったのです。スティーブは、それは狼狽しましたよ。それで、「でも、ピアノのパートはオート・パンをかけて録音したよ、君はそれを気に入ってたろ。」と言ったのです。私は「ううん、あの時はね。」と答えました。そうすると、スティーブは「オート・パンを外すことは出来ないからね。もう動かせないんだ。」と答えたのです。で、「ふうん、じゃあ、それでいいよ。僕はきっと気に入ると思うから。」と私は言ったのです。」
ベルナール「( 笑い ) 貴方は、気まぐれな方なのですねえ。」
パートリッジ「( 上品ぶった声で ) 偉人と言うのはですね、時に、心変わりをするものなのですよ。「包囲したいのは、スターリングラードじゃなかった。デトロイトだ。済まんな、諸君。」と言ってね。
 兎も角、スティーブ・ナイは、この曲について、とても素晴らしいエンジニアリングとミキシングをしてくれました。前に言ったように、より細かな曲を彼がしたのですけれど、大正解でした。」
posted by ノエルかえる at 18:44| Comment(0) | TrackBack(0) | Mummer | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月30日

ベルナール、パートリッジ対談「 Me and the Wind 」4

ベルナール「このギター・パターンを弾くのに、弦を引っ張っているのですか?」
パートリッジ「ええ、弦を引っ張っています。と言うのはですね、ピアノに似た音色を作ろうとしていたからだと、思います。」
ベルナール「それを伺いたかったのです。デモ・テイクでは、ギターなのですけれど、レコーディングされた版は、ギターはほんの少ししかありません。」
パートリッジ「ええ、ピアノです。デモ・テイクでは、ギターの音をピアノに似せようとしたのです。私はピアノを弾けなかったのですから。ピアノに行く間がなかったのです。あの時、私が持っていたキーボードは、借りた物だったと思いますけれど、プロフィット5が一台あっただけだったと思います。もしかしたら、やはり借り物の、単音のコルグがあったかもしれません。コルグは、バンドの備品庫から借りたのでしょうけど。私の言いたいことが分かりますか。
 当時、コリンはコルグを持っていた筈です。それで、「 Wonderland 」で、げっぷの様なおならの様なポコポコ言う音を出してたのですから。私は、プロフィットで、もっと柔らかい、何か優しく包んだ様な、フルートの様な音色を見つけていたのです。でも、ピアノを使う機会はなかったのです。それで、ギターの音をピアノに似せて、頭の中では、フィリップ・グラスか何かの「現代」ピアノ作品に聴こえるようにしたのです。」
ベルナール「レコーディング版を創る際には、どうお考えになったのですか? ギターは不必要だと思われたのですか?」
パートリッジ「そうですね、ピアノが鳴っている中で、違う所にギターを入れています。歌の後半部分を聴いて下さい。エレクトリック・ギターがメロディを奏でています。ですけれど、この歌では、「循環するピアノが曲全体を占めるようにしよう」と言うことになったのです。」
ベルナール「それから、デモ・テイクとレコーディング版では、また別の違いがあります。デモ・テイクでは、ドラム・パターンは、ずっとカタカタ鳴っています。一方のレコーディング版では、パターンははっきりと減り張りがあって、メロディックです。どうして、このようなに変えたのですか?」
パートリッジ「リハーサルの時に、色々と試してみたのだと思います。私たちは、メカニックス・インスティテュート・シアター Mechanics Institute theatre の舞台用具倉庫でリハーサルをしたのです。[ 工場で働く成人の教育のための施設。スウィンドン市には、1855年に設立。 ] 残念なのですが、今は打ち捨てられて荒廃しています。鉄道の労働者のために建てられたレジャー・センターで、ヴィクトリア式の建築物です。そこには、劇場もあったのです。それで、舞台の側に、用具倉庫があって、そこで、アルバムのためのリハーサルをしたのです。リハーサル用に、ただで借りられたか、とても安く借りられたのだったと思います。
 ピーター・フィップスのトム・トムが音楽的だったのだと思いますね。とても美しく調音されていました。それに、スティーブ・ナイの録音の仕方が、もう本当に素晴らしいのです。
 私たちがレコードに使ったのは、スティーブ・ナイがミックスしたものです。もっと攻撃的な歌、もっと音を大きくしたい歌については、フィル・ソーナリとアレックス・サドキンがリミックスをしましたけれど。でも、より奥深く緻密な歌は、ナイです。スティーブは、すべてを美しく捉えるのです。彼は、録音されたものを、もっと緻密にミックスするのです。ちょうど小さな宝石細工の様にです。私の言いたいことを分かって貰えたら好いのですが。この曲もその中の一つです。」




the Mechanics Institute theatreに関して、
The Theatres Trust の中の説明のページ:
Mechanics Institute - The Theatres Trust

BBCニュースから:
BBC - Timeline: Swindon's Mechanics' Institute

スウィンドン・ヴューポイントから:
Emlyn Square, GWR Mechanics Institute The Theatre 1900 | Swindon Viewpoint

劇場のステージの写真:
1-33b-1 Faringdon Road GWR Mechanics Institute The Theatre 1900-114.jpg 

また、Mechanics’ Institute については、『 Skylarking 』に関連して、このブログに記事を以前に書いています。
Mechanics' Institutes: ノエルかえる不恵留


追記:5月6日に訂正をしました。
posted by ノエルかえる at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Mummer | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月28日

ベルナール、パートリッジ対談「 Me and the Wind 」3

ベルナール「貴方の幾つかの歌を、私は、音楽と歌詞が一体になっているように聴いて来ました。それらの歌の中では、この歌が、最も優れた一体化の例だと、私は思います。曲の音色と歌詞の奇想[ 原文:conceit 。文学、詩の技法。一つの語で多数の事柄を暗喩し、形而上学的な観取を促す。英国文学のマニエリスムでよく使われた。ジョン・ダンの形而上詩がよく知られている。 ]と行間の感情が、ぴったりはまった手袋と手のように本当に一つになっているのです。デモ・テイクに於いてでさえ、貴方は、声にたくさんのエコーをかけています。風の様な、空気の様な感覚にしようとしているようです。まるで、フルートを…、」
パートリッジ「それなのです! この歌は、フルートから生まれたのです。実は、私の元妻は、変なところがありました。何かを思い付くと、それに必要な道具をすべてそろえないといられないのです。例えば、ある朝、目が覚めると、突然、「私は油彩画家になります。」と宣言したのです。そうすると、イーゼルにパレット、絵筆、油絵の具、それにキャンバスや、その他諸々のものを揃えなければならなくなるのです。六週間も経つと、ぜんぶ忘れられて打ちやられてしまいました。
 それでですね、またある朝起きると、妻は、「私はずっとフルートが吹きたかったの。フルートが要るわ。」と言ったのです。そして、出掛けて行って、一番安い教習用のフルートを買ってきたのです。それでも、十分に高価ですよ。そのフルート熱は、二週間か三週間続いたのだったと思います。それ以降、妻はまったくフルートを手にしなくなりました。でもですね、フルートは楽器なのですよ。私は、それを使うべきではと思ったのです。そうですね、今思えば、私が思い描くイアン・アンダーソンの幻影がそのままの姿で目の前に現れたのかもしれませんね( 笑い )。片足で立って、コッドピースを付けないといけなかったですね。
Codpiece - Wikipedia, the free encyclopedia
 そのフルートを取り上げて、私は吹き始めたのです。その音が描き出す情景がとても気に入ったのです。風でした。音楽的な風なのです。音楽的なそよ風でした。フルートを低く唸らせながら、「ああ! これは風の様だ。」と思ったのです。それで、そう思ったのとほぼ同時に、ギターの旋律が出来上がったのです。( ギターのパターンを弾いて見せる。 ) ですから、フルートが描いた「風の情景」が歌詞を発想させたのだろうと、私は思います。
 当時、私がフルートで何か出来るとは思っていませんでした。音階が吹けただけで、それ以上は何も出来ないのですから。ですけど、それは、風の情景、自由、安住をしないことを私に描いて見せたのです。そして、突然に、以前の破綻した関係生について、いや、捨てられた関係生についての、あらゆる感情が露わになったのです。ああ、関係が破綻したのではありません。私は、捨てられるべく生まれついた者なのですから。( 笑い ) ある人々は、捨てる人です。ある人々は、捨てられる人なのです。」
ベルナール「( 笑い ) でも、歌詞や歌を見る限り、貴方は上手くいったのですよね。」
パートリッジ「憂鬱( the Bluse ) は、創造にとっては好いものですね、貴方の言う通りですよ。偉大な創造は、最上の喜びかとんでもない惨めさ故に生まれるのだ、と私は思いますね。
 ですけれど、その捨てられたフルートをフーフー吹くと言うだけの簡単な演奏によって、この繰り返しのパターンを見つけることが出来たのです。それは、私には、「現代音楽」の作品の様に聴こえました。そうですね、楽器編成をマリンバか何かに置き換えれば、ちょうど、フィリップ・グラスの作品のようになるのではないですか。」


the Guardian 紙に掲載された、コッドピースを着けたイアン・アンダーソンの写真:
http://www.theguardian.com/Millennium/0,2833,311654,00.html

codpiece.jpg
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2014年04月25日

ベルナール、パートリッジ対談「 Me and the Wind 」2

ベルナール「どうやら、貴方はその人を高く買っている様ですね。」
パートリッジ「リンダは、もっと刺激的な賭けに変えたのです。倍率の高い賭けを望んだのですね。それで、うんち漬けの専門家に賭けたのですよ。」
ベルナール「その人は、うんち・科学で彼女の目を眩ませたのですね。」
パートリッジ「その人は、汚れたリトマス試験紙で彼女の目を見えなくさせたのですよ。
 でも、最後には笑ってしまいましたよ。と言うのはですね、一年程は、リンダはその人と一緒に居たのですが、一年経って、私と彼女と別れてからで来たガールフレンドのマリアンヌに、「皆んなで飲みに行かない?」と連絡して来たのです。可笑しなことだと、私は思いはしましたけれど、承諾して…、」
ベルナール「マリアンヌさんも、いいと言ったのですか?」
パートリッジ「まあね。でも、マリアンヌがトイレに行った間に、リンダが私に寄りかかって来て、「戻って来て! 戻って来て!」と言ったのです。私は、「駄目だよ、ムアハハハハ、君は、うんちの君と一緒に暖炉の側に座っているといいよ。」と言ったのですけれどね。
 この歌は、ある関係があって、それに関わっている人には、その関係がその人のすべてになっていたのに、その関係が終わってしまった、という歌なのです。その時には、その人の半面は、「やったあ! 僕はすっかり自由だ。したいことは何でも出来る、どこでも行ける、何でもやれる、僕は自由だ、万歳! もうあの関係の奴隷ではないんだ。」と言うのです。けれども、また半面が「ああ、何てことだ、何をすればいいんだ? 僕の梯子は外された、僕の舵は壊れてしまった、いったい何をすればいいんだ?」と言うのです。
 ですから、この歌で、私が暗に言っているのは、人は自分が望む所にどこにでも飛んで行けるし、押しても引いてもいいし、思うことを何でもしてもいいのだけれど、同時に、風と同じで、自分が安定していないことに気が付いて、情緒的には固定された様な何かが必要だと思い至るのだ、と言うことなのです。この歌は、関係の終わりの甘さと苦さを歌ったものなのです。つまり、自由と自由への責任についてですね。
 こう言う、自分を捕えている者が居なくなった時に起こる症状をなんと言うのでしたか知ら? ストックホルム・シンドロームですか?」
ベルナール「そうだと思います、パティ・ハーストがそれに罹ったのですね。」
[ パトリシア・ハースト Patricia Hearst 愛称 Patty 。1954年2月生まれなので、パートリッジとほぼ同い年。新聞社社長令嬢。1974年2月、バークレー校生だった時、過激派シンバイオニーズ解放軍 Symbionese Liberation Army に誘拐され、行動を共にするうちに、グループに同調し心理的に依存してしまい、犯行に加担した。その頃のパートリッジは、The Hellium Kidz で活動。 ]
パートリッジ「そうなのですか?」
ベルナール「ええ、彼女はシンバイオニーズ解放軍の一員になってしまったのです。そして、暫くの間、革命家になっていました。「ディプログラム」される必要があったのだと、私は思いますけれど。」
パートリッジ「ふううん。ディプログラムと言う言葉、何所かで聞いたことがあるとしても、婉曲表現のように私には思えますねえ。・・・、「きみ、僕の部屋に来ないかい、僕はきみをディプログラムしてあげるからさ、…」とか。」
ベルナール「( 笑い ) ダイヤルを少し回して、…、」
パートリッジ「ちょっと、ピンをスロットに差し込んで、すごくいいディプログラムをしてあげるよ。」
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2014年04月20日

ベルナール、パートリッジ対談「 Me and the Wind 」1

 ベルナールさんとパートリッジの対談、「 Me and the Wind 」について。
2010年01月18日公開のもの、
MySpace ではもう読めないのですが、チョークヒルのアーカイブで原文を確認出来ます。

Chalkhills: XTCFans: Andy's Take: Andy discusses "Me and the Wind"


ベルナール「実は、『ママー』についての話しを始めたのは、私が録音機のスイッチを入れる前でして、貴方が話されたことは…、」
パートリッジ「私は話したことを覚えていませんよ。さて、今度は録音してるのですね。私は、スタジオ熱が出るのですよ。あの赤ランプを消してくれないと困ります。」
ベルナール「「オーケー、もう収録したよ、上手くいった。さあ、もう一回やろうか。」ですね。」
パートリッジ「( 笑い ) あああ、オーケイ、今度は楽しくなるだろうね。
 このアルバムは、多くのファンが好きではないように思えるのですけれどね。でも、価値があるアルバムだと思うのですけれどね。」
ベルナール「私の場合、XTC が次々と新しいアルバムを出しても、いつでも、『ママー』がトップ5に入っているのですけれどね。このアルバムのすべての歌に、言うべき何かがありますよ。」
パートリッジ「ライナー・ノートか歌詞の様ですね。( 笑い ) でも、そう言うのはすぐに終わってしまい、別のアルバムに興味が移るのです、それも長くは続かないのですけれど。そうして、誰か他の人のアルバムに興味が行ってしまう。これが事実ですよ。」
ベルナール「( 笑い ) それは変ですねえ。私が初めて英国に行ったのは、94年頃でしたけれど、その時に、私の頭の中を駆け巡っていたのは、『 Mummer 』と『 Big Express 』の二枚のアルバムです。それは、私が何処にいたと言うことに依っているのだと思いますが…、」
パートリッジ「ええ、貴方が、英国の都市にいたのか、田舎にいたのか、そのどちらだったかと言うことに依るのですね。」
ベルナール「その通りです。
 ところで、「 Me and Wind 」の歌詞は、チェンバースさんと彼の脱退に付いてのことだ、と言う人がいるのですけれど。」
パートリッジ「そうですね。私は、昨日、レコードを再生させながら、そのことを考えていました。意図的なものではないのですけれどね。そう言うふうに言っている人たちが、どう考えたのかはよく分かります。歌詞の中のドラムに関わる言葉からなのですね。「 sitting on the stool 」とか「 imprisoned in your drumbeat 」とか「 strangling me inside their snare 」です。でも、歌詞を書いている際にも、テリーが居なくなったことに付いては、私の心中には無かったのですけれどね。」
ベルナール「チェンバースさんがグループを離れたのは、貴方がこの歌を書いている時なのですか?」
パートリッジ「いいえ、まだバンドに居ましたよ。私たちは、テリーと一緒にリハーサルもしたのですから。」
ベルナール「冷や水を浴びせさせられた、と言う感じですね。」
パートリッジ「そうですねえ、ぼんやりとなのですが、この曲のロールのパターンに似たものを、テリーにさせようとしていたことを覚えています。私がこのアルバムのために持ち込んだ、小さな陶製の壷のドラムの音に似たものを使ったロールです。それは、私が、そのすぐ前に買った安物のドラム・マシーンで思い付いたものだったのです。」
[ 小さな陶製のドラム:原文は、clay-pot drum 。Udu のことだと思います。Udu - Wikipedia, the free encyclopedia ]
ベルナール「それは、デモ・テイクで、よく分かりますよね。[ 『 Fuzzy Warbles 5 』に。 ]」
パートリッジ「ええ、小さくぶつぶつ言っている様な、パタパタ鳴っている様な音ですよね。( 口真似をする。 ) 壷の様な、段ボール箱の様な音ですよね。ドラム・ボックスのトム・トムの音なんですよ。その名称をどうしても思い出せないのですけれど。ドラマティックス Drumatix だったかもしれません。そうだとは、確言は出来ないですけれど。
[ Roland TR-606 は、Drumatix と言う名前が付けられています。1981年から84年に販売された製品。/ Roland TR-606 - Wikipedia, the free encyclopediaRoland TR-606 Drumatix | Vintage Synth Explorer ] 
 ですけれど、この歌はですね、リンダと言う名前の少女との痛々しい別れのことなのだと思いますよ。その別れは、私が前妻と出逢う前のことですけれど。彼女は、私をぞんざいに捨てたのです。研究所の科学者に変えたのだと思いますよ。リトマス試験紙を誰かの糞尿に浸して、生活の糧にしている人ですよね。」


Roland TR-606 :
800px-Roland_TR-606.jpg
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2014年04月10日

ベルナール、パートリッジ対談「 Ladybird 」8

ベルナール「その部分の何が、貴方にビートルズを思い起こさせるのですか? その部分で、突然に大きくそして陽性になるからでしょうか。レノンとマッカートニーがお互いに相手が書いた歌にブリッジを書く時にそのようにする傾向があったのですけれど。」
パートリッジ「そうかもしれませんね。何か、変換させるギアが入るのですね。それに、あの奏法ですね。ブリッッジで、メロディを弾くギターが入って来ますね。あのギターは、ちょっとトランペットの様でしょう。ビートルズの「 Got to Get You into My Life 」の様ですよ。あれは、明らかに私にとっての転換点でした。「 Ladybird 」のブリッジは、私にとって「ルビコン川を渡る」と言う時だったのです。」
ベルナール「ヴォーカルについてはどうでしょう?」
パートリッジ「ほとんどのハーモニーも自分自身で付けました。ぴったりと重なるものにしたかったのです、そうですね、革の手袋の様にぴったりとにです。」
ベルナール「「この曲では、ハーモニーも自分で付けるつもりだ。」と言った時に、悪い感情は生まれませんでしたか?」
パートリッジ「それは私には分かりませんね。コリンは反感を見せたり、他のどんな感情も表すことがなかったですから。ただ、言えることはですね、そうですね、でも、それがコリンの何年か越しでの私への仕返しの方法なのかどうかは分かりませんけれど、『 Wasp Star 』の時にですね、私を閉め出すことが多くありました。コリンが曲を仕上げようとしている時には、彼は私に加わる様には求めて来なかったのです。『 Apple Venus 』のレコーディングの時もそうですね。「さて、僕はニューヨークに行ってエリカに会うから。」と言ったのです。コリンは、「 Fruit Nut 」のほとんどを遣りたがっていましたから。コリンとデイブで仕上げたのです。それで、二週間あれば、コリンは出来るだろうと思ったのです。」
ベルナール「まだ貴方たち XTC がステージをしていた時には、貴方はご自分の曲でも、ムールディングさんにハーモニーを付けさせたのですね。それをライブで演奏することを前提としていたのですから。」
パートリッジ「いえ。実際のところ、スタジオで、自分のエゴから何かをすると言うことはありませんでした。どういう調子の音が欲しいか、と言うことなのです。私の声質と反対の声質が欲しい時には、コリンに歌ってもらったのです。アンサー・メロディーでも、別のメロディも、ハーモニーでも何でもです、コリンの声質は、私の声質とは違うのですから。そうではなくて、高く軽い質の声が欲しい時には、グレグジーに頼むのです。どのような色が欲しいかと言うことです。ですから、私の声のそのままの写しが欲しい時には、私は自分の声を使うのです。「誰々にこの歌で歌わせたくない」と言うことはないのです。コリンやデイブの声が、私の欲しいものに適っているかどうか、なのです。」


終わり





誤訳、疑問点を指摘して下さると、助かります。
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2014年04月08日

ベルナール、パートリッジ対談「 Ladybird 」7

ベルナール「音楽上はその通りですね。そして、歌詞に於いても、両方の歌ともに、世界を自然主義で見たものですね。それに愛です。愛を、自然の生成過程に於いて捉えて見ているのですね。」
パートリッジ「ええ、何か自然で、夏の音なのです。この歌では、テルミンを真似て作った音を使っています。「gonnnne」と歌うところです。[ ブリッジの終わり、「 But bit by bit you fade to gone / gone 」のところ。 ] 二音の歌詞の句に応えて鳴っているのです。プロフィット5を使いました。ピッチ・ホイールを使ったのです。ほんとに良いぐあいのサイン波を見つけたのです、それの音高を上げていったのです。
 この歌は、スティーブ・ナイのミックスを使いました。ナイのミックスは、とても柔和なのです。それで、幾つかの歌では、あまり耳目を引かない様でしたから、リミックスをしなければなりませんでした。」
ベルナール「そのことについては、私はずっと疑問に思っていたのです。『 Mummer 』は、ある意味、パッチワークの様に思えると言うことです。」
パートリッジ「ええ。ほとんどは、スティーブ・ナイが録音しましたし、編集もしました。ですが、自然発生的に互いに固く結び合っているようなもの以外の曲については、ナイがミックスしたものは、数曲しか使わなかったのです。他の曲はもっと強い音にミックスする必要があったので、、アレックス・サドキン Alex Sadkin とフィル・ソーナリー Phil Thornally と共に再編集したのです。それに、「 Great Fire 」は、ボブ・サージェント Bob Sargeant と再レコーディングをしました。「 Gold 」も、彼としたのだったと思います。それから、「 Toys 」も再レコーディングしたのですが、それは、グレン・トーミー Glenn Tommey と一緒にです。彼はクレセント・スタジオの録音技師でした。「 Desert Island 」のミックスは、トーミーとしたのだったと思います。そうですね、だから、パッチワークのようなレコードなのですね。
 ですが、「 Ladybird 」のスティーブ・ナイのミックスは大正解です。これより以上に良くする必要はないですね、私の言いたいことが分かるでしょうか。他には、ナイのミックスでは、「 Beating of Heats 」「 Love on a Farmboy's Wages 」「 In Loving Memory of a Name 」「 Me and the Wind 」を使いました。」
ベルナール「「 Ladybird 」について、何か他にありますか?」
パートリッジ「この曲のミドル・エイトですけれど、ちょっとビートルっぽく聴こえるのではないか知らと思ったのです。でも、「そのままで行こう! もちろん、ビートルズの様に聴こえるよ。で、それの何が悪いわけ? とても輝いて聴こえるよ。」とスティーブ・ナイに励まされたのです。それで、「彼は正しいんじゃないか。ちょっとビートルズの様だと言って何が悪いんだ。」と自省したのですよ。それで、そのままにしました。変えようとしたりも、意図的にビートルズから取り込もうともしていなかったのです。ビートル的に仕上がっても気にしないと言うのは、私の音楽上の経歴の中で初めてのことだったと思いますよ。「何故駄目なの? 莫大な影響があるのだし、それを隠そうとするのも、意識的にビートル的にしようとするのも馬鹿げてる。成る様にするだけだ。」と思ったのを覚えていますよ。私にとっての一つの転換点だったのですね。」



追記、訂正:
パートリッジ「この曲の中間部ですけれど、ちょっとビートルっぽく聴こえるのではないか知らと思ったのです。

パートリッジ「この曲のミドル・エイトですけれど、ちょっとビートルっぽく聴こえるのではないか知らと思ったのです。
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2014年04月05日

ベルナール、パートリッジ対談「 Ladybird 」6

ベルナール「ムールディングさんは、ご自身のニューポート・ベースを弾いているのですよね?」
パートリッジ「ええ。私は、「この曲では、ジャズの方向へ行こうとしているのが分かるだろう。ニューポート・ベースを使って、出来るだけ、アップライト・ベースのような音にして欲しいんだ。」と言ったのです。下の駒の方で音をだすと、弱音器を付けたような弱まった音が出せるのです。コリンは、上手くやりましたよ。その上に、私たちは少しエフェクターのコーラス効果を重ねたのです。どうでしょう。アップライト・ベースの代用になっていると思うのですけれどね。
 レコーディングでは、私は、アコースティック・ギターを弾いています。デイブは、ブリッジ部分で、歌に続けて、ジョージ・ハリスン風のエレクトリック・ギターを弾いていますね。それで、私はアコースティック・ギター。中間部からは、メロディに合わせても弾いてます。ぴったりと合わせてますよ。
 終結部での、デイブのマジカル・ミステリー・ツアーのようなキラキラ・ピアノが、私はとっても好きなのですよ。歌の全体を通して、デイブは素晴らしいピアノを弾いています。で、自分は良いピアノ演奏者ではない、とデイブは言うのですけれどね。」
ベルナール「それは変ですね。グレゴリーさんは、素晴らしいキーボード奏者です。」
パートリッジ「デイブは、それはそれは厳しい審美眼の持ち主なのです。それで、いつも、自分を低く評価するのですよ。それに、自分を「 dig in and wail 感情に食い込み泣き叫ぶ」のギター奏者と見て貰いたいのですからね。でも、デイブは、本当に味わい深いキーボード奏者なのですよ。でも、デイブの目には適わないのですね。
 それから、イントロと中間部での、ギターとボーカルの三声部もとても気に入っています。( 歌ってみせる ) 全部三つが揃っているのです。分かりますか、歌っているのもギターを弾いているのも私なのです。[ ヴォーカルは二声部が重ねてある。 ]
 この歌は、「 Humble Daisy 」と深く関わっているのです。分かりますか。」
ベルナール「それは分かります。」
パートリッジ「貴方も、二つを繋げられる筈ですよ。二つの歌が一つになると思います。」
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2014年04月03日

ベルナール、パートリッジ対談「 Ladybird 」5

ベルナール「それで、「 Ladybird 」が本当に完成したもの、そこなのですね?」
パートリッジ「「 Ladybird 」は、裏庭で、完璧にしようと、すいぶんとあれこれ細かく直したのです。」
ベルナール「アコースティック・ギターを使って書いたのですね。」
パートリッジ「それから、ピアノに換えたのです。ピアノの方が少しは厳粛になるかと思ったのです。今でもそう思っていますよ。それに、ドラムにブラシを使ったのが、とても素晴らしかったですね。私たちは好運でしたね。ピータ・フィップスは、ドラマーの中でも最高の熱っぽいドラムを叩くだけでなく、軽いじゃズ・タッチのドラムにも素晴らしく長けていたのです。
 テリーが、この曲のドラムを叩けたかどうかは、私には分かりませんね。テリーは、ジャズの打ち方をまったくしませんでしたから。あれは、ミスター・ロッック・ロック・ロックでした。」
ベルナール「そこは、重要な点ですね。チェンバースさんが叩いただろうパターンを、私は思い浮かべることは、実際、出来はします。ですけれど、曲に合っているとは思えないのです。」
パートリッジ「そうですね、あれは、どうにかして、私がデモ・テイクにドラム・マシンでプログラムして作ったものを真似はしたでしょうね。そうして、テリー的要素を加えたでしょう。でも、ジャズのブラシがしたようには、満足なものにならなかったでしょうね。」
ベルナール「私は、チェンバースさんが車知栓で出来たようなスティックを使っているのをよく見たのですが。」
パートリッジ「ええ、ええ、そうですね。あれは何と言うものですか?」
ベルナール「いくつか、違った名前がありますが、プロ・マーク社 Pro-Mark は、「ホット・ロッド Hot Rods」と名前を付けています。」
Hot Rods の画像
パートリッジ「あれは、ちょっと、ファスケスの様ですね。[ Fasces:古代ローマの公権力の表徴 ]それで、ファシズムのシンボルですよ、棒を束ねたものはね。」[ ファシズムも用いたけれど、現代でも、アメリカ合衆国が用いています。 ]
File:Fasces lictoriae.svg - Wikipedia, the free encyclopedia
ベルナール「( 笑い ) その通りですね! あれは、ファシズムを奉じる人がどう言う人なのか、その本質を表していますね。」
パートリッジ「ファシストのシンボルを除いては、ファスケスは、斧の脇に棒の束があるのですね。棒は一本でなく束になれば、打ち壊す力がある、と言う考えなのですね。」
[ ファシストのシンボルには、棒の束の上に斧が配されているのがあるので、パートリッジは、こう言ったのだと思います。 ]
ファイル:Coat of Arms of the Italian Social Republic.svg - Wikipedia
ベルナール「正にそうですね。市政機関の力ですね。今でも、私たちに対して力がありますよね。
 私は、チェンバースさんがそれに似たものを使っているのをよく見ました。( 二拍目にスネアを打つパターンを歌う。[ この部分、分からないので、原文:pattern with snare hits on "two-and" ] )」
パートリッジ「ああ、「 Ball and Chain 」でしたようなものですね。この曲には、少し重過ぎたでしょうね。」


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2014年03月31日

ベルナール、パートリッジ対談「 Ladybird 」4

ベルナール「ああ、ロック・スターの魅惑的な生活、ですね。それで、ヴァンの後ろで胎児の格好をして声を上げずに啜り泣いていた、と。良き時代、良き時代ですね。」
[ ミュージカル『 A Little Night Music 』の中のナンバー「 The Glamorous Life 」を使ったジョークなのだと思います。 ]
パートリッジ「( 笑い ) 貴方に訪れますよ。カート・コバーンさんの何かの記事を読んだことがあります。誰かが、控室で彼が胎児の格好をして啜り泣いているのを見つけたのですね。それを読んで、私は涙ぐみましたよ。私は、ああ、彼に何が起こっているか僕は分かっている、と思いましたね。長いツアーをすると、きっと草臥れ果てるのです。」
ベルナール「貴方にライブをさせようと、多くの人が貴方を激しく責め立てるのですが、この種のことを忘れている様ですね。ロバート・フリップさんは、こうした演奏者とファンの間にある、まるっきりのヴァンパイア的な関係について話しています。フリップさんはこのゲームを拒否していますから、気難しい人物だと思われているのです。でも、フリップさんは、ファンが自分から生き血を啜るのを拒否しているだけです。来る日も来る日も来る日も、情緒的、精神的に、血が流れ出ているのですから。」
パートリッジ「その通りです。請け合います。私は、約五年間もそうだったのではないでしょうか。そうして、空っぽになっていました。完全に空っぽでした。断言しますけれど、もし、私がツアーを止めなければ、音楽をまるっきり止めてしまおうと考えただろうと、思います。空っぽでしたから、精魂尽き果てていたのです。
 ああ、良かったことはですね。私たちは、少しだけお金を貯めていたと言うことです。住んでいるところに家賃を払わずに済んでいましたから。工事中の標識がぶら下がった、放棄されたお店に住んでいたのです。」
ベルナール「それは、奥さんのご両親の所有物件ですよね?」
パートリッジ「ええ。財産の一つに、屋上に二つの部屋がある閉められた店があったのです。それを、ただで貸してくれました。もちろん、当時ですよ。それで、私の実演権 [ Performing right ライブの出演料ではなくて、テレビ・ラジオで実演したものが放送される時に発生する権利。 ] を貯めたのです。著作権からはお金は入って来てませんでしたし、レコーディングからも、まったくお金は入ってませんでしたから。
 家の頭金を払うだけのお金は貯められたのです。その家に、今でも住んでいますよ。初めて、自分の庭を持ったのです。それで、その自分の家の庭で、たぶんその家に以前に住んでいた人が置いていった古い竹の椅子に座って、アコースティック・ギターを掻き鳴らして、たくさんのアイデアを歌に仕上げていったのです。 」


2014年5月02日訂正:
私の実演権 [ Performing right ライブの出演料ではなくて、テレビ・ラジオで実演したものが放送される時に発生する権利。 ]
の後に、を貯めたのです。 が抜けていたので。
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2014年03月29日

ベルナール、パートリッジ対談「 Ladybird 」3

ベルナール「何が、奥様のマリアンヌさんに薬をトイレに流せさせたのでしょうね?」
パートリッジ「私は思うのですが、彼女はジアゼパムに怖気を感じていたのでしょうね、それで、私が、何の見込みもないのに、薬に依存していると考えたのでしょうね。あの時、私たち二人は、ロサンゼルスにいました。トロピカナ・ホテル Tropicana Hotel です。悪名高い薄汚れたロックンロールのホテルですよ。ギグの後、私は飲みに出掛けていました。妻は、私の大きな業務用サイズの容器の中の薬をトイレに捨てて空にしたのです。そして、どっと流してしまったのです。
 私はひどく酔って帰って来ました。で、「僕の薬は?」と聞いたのです。「ぜんぶ流しちゃったわよ。」「うわぁ、なんて女だ!」と。私は、直ぐさま、激昂したのです。とんでもなく酔っていたのです、そんなこと、人生の中で一度きりでした。恥ずかしいけれど、そう認めざるを得ませんね。それで、ホテルをぶち壊しました。妻が薬の助けを私から取り上げたことに、それ程に怒っていたのです。今思えば、ギグも辛過ぎたのです。それが混ぜ合わさったのです、ひどくひどく酔っぱらって、そうすると、恥ずかしい行為をしてしまうのです。」
[ Tropicana Motel だと思います。参照:Topography: Tropicana Motel ]
ベルナール「そうですか、何もかもが一緒に起きたのですね。」
パートリッジ「何もかもが一緒にですね。それで、私は部屋の中の家具をたくさん壊したのです。そういうことをしたのは、その時の一回だけです。自慢にはなりませんけど、一度してみるといいですよ。」
ベルナール「一度はそう言うことをしないと、ロック・スターとは名乗れませんね。」
パートリッジ「まあ、スターなんてありそうもないですね。[ 原文:I'm almost in the Moon club. ] ( 笑い ) 本当にひどいホテルだったのですよ。部屋をよくしたのだから、ホテル側は私に料金を払うべきだったのですよ。家具がなくなって、見栄えが少し良くなりましたよ。」
ベルナール「( 笑い ) 確かにそうですね。それで、帰国して、どうなったのですか?」
パートリッジ「催眠療法を受けることになっていましたし、潰瘍があるかどうかを調べらてもらうことになっていました。胃にひどい痛みを覚えていましたから。それもこれも、禁断症状で引き起こされていたのです。それに、私は、健忘症の諸症状、自分が何所にいるのかとか、自分が誰かとか、何をしていたのかを思い出せないと言うことが、何故起こっているのかを、考えるどころではなかったのです。幸いに、それ程には頻発してなかったのです。」
ベルナール「目覚めると、そうなっていたのですか?」
パートリッジ「いえ、その中のどれか一つですよ。健忘症についてこれまで話したことがあるのは、二人にだけです。そうですね、例えばこんなことがありました。私たちバンドは、小さな座席のヴァンに乗って、合衆国を回っていたのですが、ニューヨークのような都市からは遠く離れた何所かに居たのですが、ひどい雪でした。それで、ものすごくゆっくりと進んでいたのです。私は、小便が漏れそうだ、と言ってヴァンから飛び降りたのです。そして、雪原の中を歩き回ってから、膝まで雪に埋まって、用を足しました。その時に、「俺は誰なんだ、一体何者なんだ、この雪原で何をしてるんだ?」と思ったのです。そして、自分が誰なのか分からないまま、ヴァンに戻ったのです。」
ベルナール「口を閉ざして、治まるまで待ったのですか?」
パートリッジ「覚えているのは、ヴァンの後ろ座席で胎児のような格好で横たわり、自分が一体誰か思い出せず声を立てずに啜り泣いていたと言うことです。」


Tropicana Motel
tropicana-dukes-2.jpg



補記:
『クロノロジー』に依れば、1982年の『イングリッシュ・セトルメント』ツアーで、ロサンゼルスに到着したのは、3月30日火曜日。4月3日に、サン・ディアゴのカリフォルニア・シアター California Theatre でショーを務めた。XTC の最後のライブショー。事件はその夜かと。翌日のハリウッドのPalladium はキャンセル。

冬に合衆国のツアーをしたのは、1980年の1月2月、10月15日から12月4日まで。ニューヨーク州は、1月14日にロング・アイランドの My Father's Place 。1月15日16日17日にニューヨークの Hurrah's 。11月28日にロング・アイランドの Nassau Coliseum 。30日にニューヨークの Ritz 。12月2日にロング・アイランドの My Father's Place 。12月3日4日にMadison Square Garden 。
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2014年03月25日

ベルナール、パートリッジ対談「 Ladybird 」2

ベルナール「貴方が『ママー』のための歌を書いたのは、ツアーを止めて健康になろうと決心した後ですね。」
パートリッジ「ツアーには疲れてうんざりしてたのです。それと、バリウム[ Valium は商品名。ジアゼパム Diazepam が薬名。抗不安薬。 ]への恒常的な依存に起因する様々な身体的な障害と服用の急な停止が引き起こすことを知らなかったのです。」
ベルナール「禁断症状は、とても酷かったのでしょうね。」
パートリッジ「禁断症状については何も知りません。ジアゼパム依存症についても何も知りません。ただ、毎日それを飲まなければならない、と聞かされていただけです。食事毎に、ジアゼパムを一握り飲んでいたのです。それに依存しているなんていう考えはありませんでした。もちろん、13年も飲み続けて、急に止めるべきではなかったのです。でもそんなことは知りませんでした。震え上がりましたよ。何が進行中なのか私は知りもしなかったのですから。私が分かっていたことは、ただ、私が健忘症になっていて、手足をちゃんと動かせなくなっていて、パニック障害に罹っていて、目眩がして、何だかおかしな「おしまい」になりそうだった、と言うことだけだったのです。」
ベルナール「なるほど、薬物禁断症状の状態だったのですね。」
パートリッジ「おそろしいです。と言うのはですね、耳目を集めるようには聞こえないでしょうけど、私は幼い時から依存症だったのです。」
ベルナール「それはつまり、当時では珍しくはなかったと言うことですね。」
パートリッジ「その通りです。「この子は変だ。母親は精神科に連れて行く。で、その子にジアゼパムを押し付ける。」ですね。それで、私は、ずっとそのままだったのです。」
ベルナール「どうのようにジアゼパムを服用するかの説明は無かったのですか。」
パートリッジ「どう服用するか、どう止めるかの説明はありませんでした。「再度、ジアゼパムの処方箋を出さなくてはいけないですね。」だけです。私は、生きてる限りジアゼパムを摂らなくてはならないのだろうと思っていました。それについては何も知らなかったのです。」
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2014年03月23日

ベルナール、パートリッジ対談「 Ladybird 」1

 ベルナールさんとパートリッジの対談、「 Ladybird 」について。
2007年5月06日公開のもの、
MySpace ではもう読めないのですが、チョークヒルのアーカイブで原文を確認出来ます。
Chalkhills: XTCFans: Andy's Take: "Ladybird"





ベルナール「「 Ladybird 」について話して下さい。」
パートリッジ「「 Ladybird 」を思い付いたのは、でも、これを話すと貴方は笑い出しますよ、さて、私はドイツのホテルにいて…、」
ベルナール「ああ、缶詰めにされて、巨体の女性に扱かれていたのですね…、」
パートリッジ「( 笑い ) それで、マッサージ・ベッドにお金を使い果たしたのです。実際、私がマッサージ・ベッドを知ったのは、あの時の旅だったと思います。ですけれど、マッサージのポイントを思うところに合わせるのは、とても難しいのです。
 兎も角ですね、私はドイツの人里離れたホテルにいたのです。何か、ギグだったか、ラジオ番組への出演だったか、取材を受けるのだったかですけど、二三時間ほど時間をつぶさなければならなかったのです。それで、部屋にはテラスへの硝子の引き戸があって、そこから小さな庭に行けるのに、気が付いたのです。雨が降り込んでいました。それに、庭は草が生い茂っていたのです。とても不思議な感じがしたのです。直ぐ外に雨で濡れそぼっている大きな茂みがあるのですから。私はドアを開けて見回しました。音楽的に感じたのです、何か着想が湧きそうだ、ここには私が書けそうな何かが現れそうだ、と思ったのです。すると、一匹の蜘蛛がいたのです。ああ、蜘蛛については書けないな、と思ったのです。
 でも、てんとう虫 ladybird なら書けそうだと思ったのです。ladybird なら言外に性的な意味も持たせられるからと考えましたし、たぶん、女性に語りかける風になるだろう、と思ったのです。本当に虫に話し掛けたりはしないですよ、私は、ジョナサン・リッチマン Jonathan Richman ではないですから。こんな風に、時間を潰そうとしてドイツのホテルの庭を眺めていて、出来たのです。」
[マッサージ・ベッドは原文では、the vibrating bed 。硬貨を入れて使うもの。日本の温泉旅館などにあるマッサージ・チェアのようなものかと。
Retro Thing: Magic Fingers Vibrating Bed ]
[ Jonathan Richman and the Modern Lovers の1976年のアルバム『 Jonathan Richman and the Modern Lovers 』に「 Hey there little insect 」と言う曲がある。]
ベルナール「それで、部屋に戻って、ギターを弾くか何かをしたのですか?」
パートリッジ「いえ、ノートに二三語を書き留めただけです。」
ベルナール「では、その時には、完成版とは程遠かったのですね。」
パートリッジ「ええ、音楽的な面はありませんでした。ギターも持っていませんでしたし。大雑把に言って、童謡に繋がるような歌を書くべきではと言う着想があっただけです。それに、その歌はたぶん女性に語り掛けるものだという思い付きが気に入っていたのです。実際に書き始めるのは、自宅に帰って、新品のタスカム4トラックポータスタジオ Tascam 4 track Portastudio の使い方を覚えてからです。新品だったのですよ!」
ベルナール「最新技術のですね。」
パートリッジ「ええ、大体1,100ポンド懸かりました。家で、マルチ・トラックをするのは初めてだったのです、とても興奮しました。「 Ladybird 」の最初のものを録音したのです。ファジー・ウォッブルに入れています。」
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2014年03月14日

ベルナール、パートリッジ対談「 Human Alchemy 」7

ベルナール「残っているのですか、それは、環境には良いことではないですねえ。」
パートリッジ「あれはプラスティックだから、、百万年も残るかも知れませんね。」
ベルナール「それは。皆んなが出掛けて行って、そのお宝の XTC 用品を探さないといけませんね。」
パートリッジ「( 笑い ) 未来の考古学者たちが、あの農地をプラスティック探知機で探索すると、あの人形を発見するかも知れませんね。「私たちは、五百に余る大量の茶色に塗られた人形を発見したぞ! これは一体何なのだろう? 宗教的小集団か何か? 三騎士を崇拝する宗教集団か? ( 笑い ) それに、一足のトレーニング・シューズも見つかった。私はこれらは確実に全てが関連していると思う。」とか言って。」
ベルナール「( 笑い ) 人形に跪拝せよ! 否、トレーニング・シューズに跪拝せよ!」
パートリッジ「( 笑い ) ですね。」
ベルナール「それでは、この歌について、他に何かありますか?」
パートリッジ「そうですね。意固地なのですけれど、この曲をシングルにしたかったのにと、当時、本当にずっと残念に思っていたのです。でも、実現することはありませんでした。あまりに風変わりの歌ですからね。一般向けのラジオ番組でこれがかけられることはありそうにないですからね、そうでしょう。」
ベルナール「ええ。でも、やはり、B面を開始するのにこの曲を選んだのですよね。そうしようとしたことを遣り遂げた、と貴方は感じたのに違いないと思います。」
パートリッジ「そうですね! 創り上げられてとても嬉しかったのです。特にですね、不出来な短いテーマ、それに、全部がダブで歌の付いていない、不出来のダブっぽいデモ・テイクから、あの完成版にまで、曲が成長して行ったと言う事実が嬉しかったのです。」


おわり  








誤訳、疑問点をご指摘下さすると、助かります。
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2014年03月12日

ベルナール、パートリッジ対談「 Human Alchemy 」6

ベルナール「この曲のためにビデオを作られましたよね。」
パートリッジ「デイブはメイキャップを拒絶しましたよ! ( グレゴリーの物真似で ) 「そんな泥を僕の顔には塗らないよ。とんでもない、なんて恥ずかしいんだ。」って。それに、私はデイブに、彼の白いトレーニング・シューズを脱ぐように頼んだのですけれど、履くとすればもっと見分けにくいような、暗い色の靴にして欲しいと言ったのですけれど、「嫌だよ。この靴は履き心地が良いんだから。あの大変な丘をとぼとぼ歩いて上り下りするのなら、僕はこの自分の靴を履くよ。」って。
 ですからね、貴方が、テレビの『 Play at Home 』シリーズに僕たちが出演して作った、まあ安上がりで不出来のビデオをご覧になったら、デイブ・グレゴリーさんはメイキャップをしてないし白いトレーニング・シューズを脱いでないのが分かるでしょうね ( 笑い )。」
ベルナール「どこで撮影したのですか?」
パートリッジ「町から外れたよく知っている石灰岩の丘が連なる地帯でですよ。私は、撮影隊と一緒にあの辺りを自動車で回って、地平線にちょうど良い具合の樹が一本立っているのを見つけたのです。その樹は、孤立しているようで悲しげでちょっと恐い感じもしたのです。私は撮影隊に「あそこが誰の土地か分かりますか? 二三時間あの丘や樹の周りを歩き回っても迷惑にならないでしょうか?」と聞いて見たのです。撮影隊は、誰の土地だか探し出しました。農家の人は、歩いても樹の側で叫んでも構わないと言ったのです。( くすくす笑い )
 私は言ったのです。「さあ、すごいものになるよ、まあ、なんとか僕たちが黙示録の「三」騎士になれたらだけどね。[ 黙示録は四騎士:War,Famine,Conquest( Pestilence ),Death. ] まあ、一人はインフルエンザか何かになったことにしておこうよ。」( 笑い )  疫病 ( Pestilence ) は豚をインフルエンザに罹らせてしまったというのにね。それで、戦争と飢饉と死は揃っていたのです。疫病はね、暮らし向きが悪くなったと思っていたのですね、立て直そうとオーストラリアに引っ越したのです。
 それで、私はこう言ったのです。「死神風の衣装を借りよう。それで、数千体の黒い人形をいくらで手に入れられか調べよう。」 私たちの場合、ビデオの小道具に仕えるお金は、300ポンドか400ポンドくらいだったのです。もちろん、自前のお金ではありません。マイケル・ジャクソンは、ビデオにいつも700万ドルを使うのです。私たちは、400ポンドを借りなければならなかったのです。
 十分な数の黒い人形を直ぐには手に入れられませんでした。お買い得の安い白い人形は手に入ったのです。それで、私と監督は、お恥ずかしいけど、今、名前を思い出せないのですけれど、兎も角、私と監督は、私の家の裏庭に新聞紙を拡げて、その白い人形を茶色に塗ったのです。何百塗ってまた何百。お金で手に入っただけの数の人形を塗ったのです。
 その人形を丘じゅうに散らばさせて、その周りを私たちは歩き回ったのです。ビデオで、私たちが歩き回っている所どこにでも、暗い茶色の小さい人形があるのを見ることが出来ますよ。それを、作物みたいに集めて回って、それから、溶かしたのですね。
 映画全体は、Spinal Tap の「ストーンヘンジ」そのものですよね、本当に。( くすくす笑い ) 勘弁して下さい。ひどいビデオを作ったのです。
[ モキュメンタリー『 This is Spinal Tap 』には、架空のバンド Spinal Tap がストーンヘンジでライブをしようとして、結局、模型を作ることになったのだけれど、18フィートと18インチを間違えて、約54センチの高さのストーンヘンジになった、というエピソード がある。]
  「 Funk Pop a Roll 」のビデオも、同じ週に作られたのですけれど、お金は使いませんでした。でも、とてもよく出来たと思います。

 ですけれど、変ですけれど、人形を拾って帰ることはなかったように思うのです。もしかすると、畑に残っているかも知れませんね。」
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2014年03月10日

ベルナール、パートリッジ対談「 Human Alchemy 」5

ベルナール「この歌は、アレックス・サドキン Alex Sadkin さんとフィル・ソーナリー Phil Thornalley さんとがリミックスをした曲のひとつですよね?」
パートリッジ「リミックスのものでしたか、それとも、ステーブ・ナイのミックスのものでしかたか?」
ベルナール「ライナーノートには、「 Wonderland 」「 Deliver us from the Elements 」「 Funk Pop a Roll 」と共に、リミックスされた、とあります。」
パートリッジ「おかしいですねえ。でも、そのライナーノートが間違いで、これは本当にスティーブ・ナイがミックスしたものだと実証するには、どうしたらいいか、私には分からないのです。当時、「ああ、会社はアルバムに間違いを書いてしまった。」と思い悩んだことを覚えていますよ。と言うのはですね、AIR スタジオでスティーブ・ナイと編集したことを覚えていますからね。それで、あれは、スティーブ・ナイのミックスのものだと思います。オリジナルのアルバムのアートワークの間違いなのです。デイブとコリンが違うことを言えば別ですけれど。可哀想なアレックス・サドキンは何も言えないですけれど。死んでいますからね。
 それから、AIR スタジオでの思い出がもうひとつあるのです。スタジオは、ロンドンのオックスフォード通りよりもひとつ上にありました。私たちは、右側のスタジオを使っていたのですが、左側のスタジオは、バンドのジャパンが使っていました。私がスタジオから出ようとして、何時間もミキシングの作業をしていましたから小用か何かだったと思いますけれど、ドアを開けるとですね、ジャパンのメンバーの三人だったか四人だったかが倒れ込んで来たのです。ドアに耳を当てていたのですね。」
ベルナール「( 笑い ) 誰が一番に入って来たか、調べないといけませんね。」
パートリッジ「( くすくす笑い ) そうですね。きっと、場都合が悪かったでしょうね。私は、小用に行こうと急いでいて、勢いよくドアを引きましたから。ジャパンのメンバーは、文字通りに落ちて来たのですよ。
 ジャパンというバンドは、高尚な芸術音楽という定評を得ていて、超然としているバンドでしたから。あんな風に競い合って耳を峙てている現場を押さえられて、面白かったです。」
[ Japan のスタジオ・アルバムは、1981年の『 Tin Drum 』が最後。それのプロデュースはスティーブ・ナイ。『 Mummer 』レコーディングの頃は、土屋昌己を加えたステージ・ツアーだけの時期。スタジオにいたとすれば、ライブ・アルバム『 Oil on Canvas 』の編集の為か? ]





補記:
バンド・ジャパンがスタジオに倒れ込んで来たところ、原文では、「 three or four members of Japan fell in! 」と。fall in、競技レースで、走者がゴールに傾れ込むように着く時にも使うので、ベルナールさんもパートリッジも、competition と言う語を使ってジョークを言っています。原文のパートリッジの言葉「 to catch them ear-balling the competition so blatantly as that was quite amusing. 」は、盗み聞き競争をしている彼らを捕まえた、と言うのが、そのままの意味です。追記:競馬だと「鼻の差」と言うけれど、ここでは、「耳の差」なのでしょう。

補記2:
liner notes について。
ライナーノートの各クレジット、売り文句、説明文、歌詞が付けられている場合も、それらは、読まれるべきテキストとして印刷されているのではなく、あくまでも、ジャケットのデザインの一部であるということ。実際、アルバム『 Mummer 』には、インナースリーブに歌詞がプリントされているけれど、それもデザインとして。
 なので、パートリッジは、「 that's a mistake from the original album artwork 」と言っています。
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2014年03月06日

ベルナール、パートリッジ対談「 Human Alchemy 」4

ベルナール「歌詞について話して下さい。何がこのテーマを思い付かせたのでしょうか。何年間も音楽産業の奴隷であったと言う事実を考えていたのですか?」
パートリッジ「いいえ違います。たぶんですね、有り余る程の白人自由主義の罪悪感について考えていたのだと思います。ですけれど、「ああ、黒人の皆んな、何年も僕たちは君たちに非道いことをしてご免ね。」と、言いたくはないのです。奴隷市場で独占的に売られていたのが黒人だったわけではないからです。分かってもらえるか知ら。歴史上では、白人が奴隷として売られていた時期の方が、おそらくは長いのです。「 slave : 英語の奴隷 」と言う言葉は、「 Slav : スラヴ 」から来ているのです。奴婢に適していると思われれば、どんな種族でも奴隷になったのです。[ 原文では、slave と言う語と古語の chattel と言う語を使って書き分けている。後の部分に、古語の baseも使っている。 ] どの皮膚の色でも奴隷になったのです。ブリテン人は、ローマ人の奴隷だったのです。ローマや帝国の他の地域へ連れて行かれたのです。
 でも、学校で教え込まれたのですね。それで、「奴隷とは黒人のこと。」と思うようになったのではないでしょうか。その上に、私は、新しいものを加えようと考えたのです。「私たちは遺憾に思っています。『ルーツ』を見ました、今はどんなことだったのかが分かっています。」等とは、私は言いたくなかったのです。全ての背後には人間の貪欲がある、と言うことを付け加えたかったのです。貪欲のために、人々は奴隷になったのです。奴隷と言うのは、人間は他の人に売られて金と交換することが出来るものだ、と言う考えで成り立っているのです。これが錬金術なのです。奴隷状態にされた普通の人々を金に変えるのです。
 私は、別の視点を持ち込んで、奴隷の話しには二つの側面があると言うことを描きたかったのです。奴隷には、二つの状況に置かれた人々がいるのです。ひとつは、集められて売られると言う状況に置かれた人々。もうひとつは、集めて売ると言う状況に置かれた人々です。それが、アラブ人だったり、白人の船主だったり農園主だったりするのですけれどね。兎も角、彼らも、また、奴隷制度に捉われていたのです。彼らの貪欲が彼らを売られる奴隷と同様に制度の奴隷にしているのです。
 軽薄ではありますね。どちらの側が良いのかは、誰にでも分かり切ったことですからね。でも、私は、いつも、新しい側面を取ろうとするのですよ。
 この歌では、私はサウンドスケープに没頭しました。私は、音楽で惨めな人々の絵を描こうとしたのです。未開部族的なドラム、悼詞の様に反復するヴォーカル、それに、特に曲の最後の部分の、暗くて恐ろしげな虚ろな感じ、それらで描こうとしたのです。」
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2014年03月03日

ベルナール、パートリッジ対談「 Human Alchemy 」3

ベルナール「貴方が全部のギターを弾いているのですか? この歌にはギターはあまりないのですが。」
パートリッジ「ギターはあまりないですね。リズムを刻むギターだけですね。
 一番目だつのは、たぶん、「奴隷の合唱」の声ですね。本物の声とメロトロンなのですが。」
ベルナール「おや、貴方は私の質問を先取りしてしまいました。あのコーラスの音が、私には不思議だったのです。」
パートリッジ「ほんの少し人間的にしようとして、現実の人間を混ぜたのです。」
ベルナール「オクターブ装置ですけれど、声を下げるために、何かそのような装置を使ったのですか?」
パートリッジ「私は、「スプリット・オクターブ・ヴォーカル」のようなものが大好きなのです。でも、ジョージ・マーティンさんと彼の装置は必要はありませんでした。私は、とても低い音を歌えるのです。たぶん、私たちは、テープの速度を少しだけ速めたのだったと思います。そうすれば、もっと低い声になりますからね。あれは、全部が私の声です。」
ベルナール「なるほど。貴方は、朝一番にスタジオに遣って来て、そのパートを歌われたのではないかと、私は思うのですが。」
パートリッジ「( 笑い ) ええ、その通りです! 朝のコーヒーを飲む前に歌ったのですよ。
 でもですね、私は、あの装置、「スピリット・ヴォーカル spilit vocals」も大好きなのです。デビット・ボウイも少し使っていますよね。」
ベルナール「ピーター・ゲイブリエルも愛用者ですよ。」
パートリッジ「本当ですか? 私は、気が付きませんでしたよ。でも、デビット・ボウイが使っているのは知っています。とても効果的ですね。低いコーラスは、歌によく合っていると思えたのです。ところで、奴隷の痛ましい悲劇はご存知ですよね。」




訂正:愛好者→ 愛用者
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2014年02月26日

ベルナール、パートリッジ対談「 Human Alchemy 」2

ベルナール「ドラムについて話して下さい。と言うのはですね、この歌のドラムは、特に素晴らしいのです。フィップスさんは、重ね録りをしたのですか? 低音の方のトムはとても力強いのですけれど、それは、特別のドラムを使って重ね録りをしたのか、普通のドラムで後から[ 電子的に ]加工をしたのか、どちらなのかは、私には分からないのです。」
パートリッジ「ええとですね、今日気が付いたことなのですが、バス・ドラムについてですけれど、たぶん、ドラム・シンセを使っていると思います。でも、ピーターが持ってたかどうかは思い出せませんね。」
ベルナール「チェンバースさんのスナイパー Snyper がまだあったのですか? 装置を置いて行ったのでしょうか?」
パートリッジ「そうかもしれませんね。テリーが、ドラゴン Dragon でスナイパーを使ったとは思えませんから。たぶん、そこら辺りにあったのでしょうね。そんなところだと思います。バス・ドラムに連動して歪んだ電子的な音がしますからね。
 覚えているのはですね、ミックスとした時に、別のフロア・ドラムが欲しいと言ったことです。AIR スタジオででした。スティーブ・ナイはジョージ・マーティンに「オクターブ下げる装置 sub-octave device をまだ持っていますか?」と言ったのです。マーティンさんは近くにいましたから。それで、ジョージ・マーティンさんは、二つの摘みの付いた靴の箱くらいの大きさの機械を持って来て、私たちのために、大急ぎで設定してくれたのです。バス・ドラムの下にオクターブ低いバス・ドラムの音が出来たのです。20ヘルツか10ヘルツかそれくらい低い音です。」
ベルナール「ムールディングさんも、バス・ドラムに沿って、ポルタメントする音を弾いていますよね。」
パートリッジ「そうです。( 下降する音を口で真似る ) こう弾いています。それで、ベース・パートのその他のほとんどでは、コリンは点を打つ様な感覚で弾いているのです。私がデモ・テイクで弾いたのは、四分音符でだったのですけれど。でも、そのほとんどの部分、バス・ドラムと一緒にベースの音をスライドさせてない時にでも、バス・ドラムの音が下降して行くのが分かると思いますよ。そこには、シンセサイザーで加工されたバス・ドラムの音が重ねられていると、私は断言します。
 ピーターがエレクトリックのキットを持っていたかどうかは覚えてないのですけれど。でも、きっと、使ったのだったと思います。」
ベルナール「エレクトリック・キットだったなんて、驚きです。と言うのは、私には、まるっきりアコースティックに聞こえますから。ドラムの皮を強く打った様に聞こえたのです。私は間違っていたのですね。」
パートリッジ「ピーターは、この歌でも、素晴らしい演奏をしています。素晴らしい挿入 fill を入れるのですよ。私は、最初のヴァース部分の前の「ブウン・チャップ、ブウン、ブウン・ブウン、ブウン・ブウン」と言うところがとても気に入っています。
 音響に関してなのですが、ドラムズはマナー・スタジオの石造りの部屋で録音されました。石造りの部屋を増築していたのです。まるで、中世の城の主館の温室か何かみたいでした。( くすくす笑い ) [ 原文では、dungeon が使われていて、この語は中世の城の主館の意味もありますが、地下牢の意味もあり、また、SMプレイをする部屋の意味も ] それで、音がどのように響くかと言えば、大きな雷鳴の様な音になるのです。それに、ピーターのトムトムは、美しい音に調整されていました。その七つのトムのお尻を叩くのですよ。そんなふうに聞こえましたね。」
ベルナール「ハイハットを鳴らすだけで、シンバルがまったくないように、私には思えるのですけれど。」
パートリッジ「シンバルは無かったと思いますよ。不気味で部族的な感じにしよう、と言うことだったと思います。」
ベルナール「それでも、ベルやタンバリンの入る余地は残しておいたのですね?」
パートリッジ「その通りです。B 部分 [ コーラス:Other lands・・Black the colour icing on our cake が二回繰り返されるのですが、その間のヴァースのメロディをインストルメンタルだけで演奏する部分 ] にタンバリンを加えたのですけれど、録音は通して行われました。と言うのはですね、そこには何も録音されていなかったからです。
 ところで、開始部分の音についてはどうでしょう、脈動する感じの音ですけれど、どう思いましたか?」
ベルナール「ええ、それについて伺いたかったのです。」
パートリッジ「ちょうど、メロトロンを買ったところだったのです。当時の玩具でしたね。ある日、デイブがコードを弾いていたのですが、テープ・セレクターを使えば、三種類の音が出せるのだ、と言うことを私に説明し始めたのです。コードを押さえたまま、選択スイッチをカチカチさせてみせたのです。それで、この歌のイントロのコードを、私たちは思い付いたのです。( 歌ってみせる。 ) 「1番のテープ・2番のテープ・3番のテープ・2番のテープ・1番のテープ・2番のテープ・3番のテープ。」、こう言うふうに、音をずっと鳴らしながら、三つのテープをスイッチで切り替えて行ったのです。3番のテープから1番のテープに戻ろうとすると、2番のテープを通らなくてはいけなかったのです。」
ベルナール「なるほど、再生機のヘッドがテープを横切って行くのですね。」
パートリッジ「ええ、ヘッドが横切って行くのです。それがパターンになったのです。

 それから、当時、私たちはプロフィット5 にぞっこんでした。この歌にたくさん使いました。人造のストリングスにも使いましたし、リード・オルガンにも使いました。瓶を吹く様な音も作りました。デイブが、それを全部、キーボードで弾いたのです。」
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2014年02月22日

ベルナール、パートリッジ対談「 Human Alchemy 」1

 ベルナールさんとパートリッジの対談、「 Human Alchemy 」について。
2009年7月19日公開のもの、
MySpace ではもう読めないのですが、チョークヒルのアーカイブで原文を確認出来ます。
Chalkhills: XTCFans: Andy's Take: Andy discusses "Human Alchemy"





ベルナール「では、片面の開始の曲について話して下さい。レコードに両面があったのは昔のことですけれど。『ママー Mummer 』の2面の最初の曲です。」
パートリッジ「そうね、ある子供が『マーマー Murmur 』と言ったことがありますよ。「僕は、あなたのアルバム『マーマー Murmur』が本当に大好きなんです。」って。」
ベルナール「( 笑い ) 別のバンドですね。でも、名前は三文字のバンドですね。」
パートリッジ「彼らは私たちの三文字の名前が好きだったのではないか知ら。それに、以前には、INXS もそうでしたし、U2も、」
ベルナール「貴方たちが最初ですよ。まったくですね。」
パートリッジ「あの無機質な響きに著作権を設定すべきでしたね。
 さて、ところで。随分と久方ぶりに、この曲のデモ・テイクを再生してみたのです。すると、たくさんのことを思い出させてくれました。」
ベルナール「では、歌の発生を話して下さい、どうして、デモ・テイクを作ったのですか?」
パートリッジ「『 From Genitals to Revelation 』( 笑い ) [ プログレッシブ・バンド Genesis のデビュー・アルバム『 From Genesis to Revelation 』の洒落 ]  訓話の様に長談義になりますよ。
 今日、再生するまで忘れていたのです。あの頃持っていた単音のコルグのシンセサイザーを使って、短めのインストルメンタルのテーマを作ろうと始めたのです。( 主旋律を歌う。 ) 小さなキーボードを家に持って帰って、自分の小さな屋根裏に持って上がって、床に座って、この小さなメロディを作ったのです。
 ですが、どの時点で、歌詞が出来たのか覚えていません。この歌詞は、メロディに抜き難く一緒になった詩の断片であったのではないかと言う、奇妙な感じがしてるのです。たぶん、テリー・アルダートン Terry Alderton のスタジオでだったと思います。「おデブちゃんスタジオ」と私たちは呼んでいたのですけれどね。ご免なさい、アルダートンさん、でも、貴方はちょっと大きかったですからね。
 アルダートンさんは私たちの元マネージャーとある取り引きをしていたのだと、私は思っています。あの頃、そのスタジオをリハーサルに安く使っていましたから。 スタジオのレコーディング室に入ると、そこには、私たちのステージ用の機材がいくつか据え付けてあったのです。自分たちのアンプが使われていて、自分たちのPA装置があって、スペース・エコーやコーラス・マシーンがあったのです。」
ベルナール「でも、ずっとですか? ただで貸していたのですか?」
パートリッジ「ただで貸していたのです。」
ベルナール「戻って来たのですか?」
パートリッジ「ええ、戻って来ましたよ。でも、「使い古し」になってですね。スタジオが私たちの装備を勝手に使えるのなら、私たちはリハーサルに安く使える、と言う取り引きがあったのだと、私は推察しているのです。中々のスタジオでした。良い部屋だったのです。でも、装備については何も知らなかったのですね。録音をするにあたっては、何の知識も無かったのです。ですから、そこで録音されたものは、とてもひどい音質になっています。デモ・テイクで聞けば分かるでしょう。」
ベルナール「分からないです。貴方のもっと悪い音質のデモ・テイクを聞いたことがありますから。」
パートリッジ「あの頃していたものの中では、良い方なのでしょうね。ちょうど、ポータスタジオ Portastudio を手に入れた時なのです。4トラックのカセットのです。[ TASCAM 社のカセットテープ用の4トラックの録音機 ] それで、自分の演奏の上に自分の演奏を重ねて録音すると言う世界の全容が、私に開かれようとしていたのです。
 このデモ・テイクは、すべて、私だけでやったのです。ドラムも私です。ベースも私です。低くハミングしているのも私ですし、トムのオーバーダビングも私です。」
ベルナール「ドラムは、生で録音したのですか? それとも、何かドラムマシーンのようなものがあったのですか?」
パートリッジ「全部が生録音です。最初にフット・ドラムを録音したのだったと思います、たぶん。まるでタイム・キープのようなものを作ったような気がして変な感じでした。私は、ヘッドホーンから漏れて来る小さな断続的なフット・ドラムの音を聞きながら、トム・ドラムを叩いたのです。そうして、デッキで、それを合わせてドラム・キットの音を完成させたのです。そうではなかったもしれませんね。タイム・キープを作っていて、それをヘッドホーンで使い、そのタイム・キープを聞きながら、多種でそれぞれ別のリズムのトムを叩いたのだったかも知れません。どちらだったか、思い出せません。」[ この部分、原文の意味がよく分からないので、私の推量で書きました。 ]
ベルナール「バス・ドラムには生気がないので、ドラム・マシーンのようなものではないかと、私は思っていたのです。」
パートリッジ「それは違いますよ。テリー・アルダートンさんのドラム・キットなのです。アルダートンさんはドラマーだったのです。彼と彼の細君とで、グリーン・スティーム Green Steam と言うバンドを作っていたのです。とてもサイケデリックなバンド名ですね、実際。ドラム・キットをずっと組んだままにしていたのです。ドラムに付けられているマイクは、スタジオ中で一番良いものでした。ギターやベースギター、キーボード類やその他あらゆるものの音はひどいものでしたけれど、ドラムの音は、まあまあのものだったのです。
 ある日、私はスタジオに入って行って、「ところで、しばらくいてもいいかな? 試してみたいアイデアがあるんだけど。」と言ってデモ・テイクを作ったのです。同じ時に、「 Jacob's Ladder 」も作ったのです。その曲は、『 Fuzzy Warbles, Vol. 5 』に入っていますよ。とても静かで繊細な音で、天上界的な音楽です。
 一方、「 Human Alchemy 」についてはですね、メロディのアイデアが先にあって、その時のデモ・テイクの録音の前に、たぶん二日か三日前だったと思います、歌詞と一緒に思い付いて、録音の時に、固く結びつけられたのだったと思います。素晴らしい即興の一時でした。ボディング Bodging [ 生木を轆轤にかけて椅子の足などを作る伝統的な工法 ] の様ですよね。でも、ああ、長くなり過ぎました。」
ベルナール「( 笑い ) けれども、それは当然ではないでしょうか。貴方がしようとしていたことが、自分のアイデアを全部書き留めておこうとしていたのでしたらね。」
パートリッジ「ええ、そう思います。それに、もちろん、一台の録音機しかないスタジオですからね。「さて、編集しようか。」とは言えない環境だったのですからね。反対に、「止めて! テープに触らないで。カッターナイフを近づけないで。」って言う所だったのですから。」
ベルナール「そのデモ・テイクの録音をしたのは、『ママー』に入れる歌を書いている時期だったのですか?」
パートリッジ「たぶんですけれど、中止された『イングリッシュ・セトルメント』のUSツアーの後だったと思います。私は変化の途中の状態だったのです。今の私へと変わる前にこれを録音したのだったと思います。何もかもが悪くなる前の通常の状態に戻ろうとしていた時なのです。バリウムの禁断症状とか、その他の何もかもですね。「自分が仕事が出来なくなったかどうか、僕に試させてくれ。僕は、前よりも上手く歌を書き出せるんだ。それを次のアルバムにしよう。」と言う具合だったのです。
 アルバム用に書いていた歌の中では、中頃の時期に書いたものだったと思います。書いていた時には、それが歌として上手く出来るのかどうかは分かりませんでした。実際、私たち XTC がこれを録音した時には、私は推敲しました。残ったのは、旋律の骨格だけです。それに、ダブっぽいものになるべきだと言うアイデアが残りました。それは、レコードでは、最後の部分で使われています。
 私は、なのか恐ろしげな悪夢のような、強力なダブ・ミュージックを見つけていたのです。そのエッセンスを、私は捉えたいと思っていたのです。バンドはそれを完成版に入れたと、思うのですけれど。特に最後の部分にですね。でも、あまりに長過ぎるものでした。相当の部分を切り落としたのです。プロデューサーのスティーブ・ナイが「いくらかは切るべきでないかい? これ全部を入れたいと思うの?」と言いましたよ。「いや、たぶん、もう少し簡潔にしたものが、ベストになるだろうね。」と私は言ったのです。
 それから、その時の私は、アフリカ的インド的なものにしようとしていたのだと思います。( ドラムのパターンを口ずさむ ) ゆっくりしたインド音楽的なリズムのアクセントに近いものです。トムトムで叩いているのですけれどね。インドのどこかの部族的な雰囲気はありますよね。ピーター・フィップスは、ほんとに、いつも素晴らしいトムトムを叩きますよ。」


TASCAM のPortaStudio 424 MKII
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Tascam_PortaStudio_424_MKII_crop.jpg
673px-Tascam_PortaStudio_424_MKII_crop.jpg

現在発売されている、PortaStudio の音を再現するアプリケーション:
Product: Portastudio | TASCAM
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2013年12月06日

ベルナール、パートリッジ対談「 Love on a Farmboy's Wages 」9

ベルナール「構いませんよ。作家の特権です。では、この歌のシングル盤について話して下さい。私は、EPを買いましたよ。」
パートリッジ「シングル盤は、折り込みのスリーブで出来ていて、それは財布に見えますね。実際、あれは私の財布なのです。私がデザインを思い付いて、デザイン会社にこう言ったのです。「ねえ、どうして、財布の写真にレタリングを加えるのでなくて、本物の革製品の浮き出しにしなかったのですか? タイトルを僕の財布に浮き出しにして下さいよ。」 それで、そうしてくれたのです。それから、いくつかの切れっ端を財布に入れました。そうすると、私が裕福でないと思わせる事が出来ますから。古い10シリング紙幣と、それはもう通貨としてな無くなってしまいましたけれどね、頬の垂れた女の子の写真も。当時はその写真の女性を私の妻だと誰もが思っていたのです。でも、本当は、デザイン会社が選んだ1950年代の美人なのです。その写真を財布のクリアホルダーに入れたのです。
 当然、会社は、写真撮影の後、財布を戻してくれましたよ。でも、「ああ、財布にそのまんま出ている。パブに行ってこの財布を取り出したら、周りの者が、ああこの人は…、って思うぞ」と考えたのです。どうして、私は自分のバンドの名前を財布に浮き出しにしたのかなあ? それに、最新のシングルの題名も?って。それで、私は、新しい財布を買わなければならなくなったのです。」
ベルナール「( 笑い ) 貴方の芸術を産み出すための犠牲になったのですね。」
パートリッジ「その通りです。シングルのカバージャケット撮影のために、新しい財布の費用が要ったのです。」




おわり
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2013年12月04日

ベルナール、パートリッジ対談「 Love on a Farmboy's Wages 」8

ベルナール「さて、歌詞を作り出して行く時には、どのように考えて進めて行ったのですか? 曲を作る時と同じ様にでしょうか。小さなギターでドラムビートのようなものを鳴らして作っていって、それから、ブリッジ部分を違うものにしようとした、と言われました。歌詞でもそうなのですか? それに、貴方は、歌詞は平板過ぎるとも言われます。何かの強弱法を考えなければいけませんか? [ 原文:these lyrics are too flat, 音が軟音と言うことか?有声子音が多すぎると言うことか? ]」
パートリッジ「この歌で、私が歌詞に関して最初にしたことはと言えば、私は多くの場合そうするのですが、ギターのパーターンに合わせて、馬鹿げていて意味のないことを捲し立てるのです。最初に出来た歌詞は、「 Shilling for the fellow who bring the sheep in 」です。それは、ギターで弾いていたものに、音的に似ていたからです。「 Shilling for the fellow who milks the herrrrd 」のところ、ベースで牛のように出来たと話したところですね。でも、最初に出来たのは、「 Shilling for the fellow 」です。それで、この句がこの歌の見出しになっているのです。この歌が映画でしたら、ポスターでは見出しになるのですよ。[ 原文では byline だけれど、おそらく headline の意味で使っていると思う。 ]
 その後のことを思い出そうとしているのですが、…、まずコーラス部分が出来て、それからヴァース部分だったと思います。」
ベルナール「歌詞についてですか?」
パートリッジ「曲についても同じです。」
ベルナール「本当ですか? 貴方は、ドラムのパターンを思い付いて、ヴァースのパターンから書き始めたと言われていたと思いますが。」
パートリッジ「ああ。ちょっと考えます。頭の中を探ってみると…、最初に出来たのは、やはり、「 Shilling for the fellow 」でした。ヴァースの部分ですね。貴方は過去に遡って、私にげんこつを呉れないといけませんね。記憶が前後に乱れていますよ。」
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2013年11月30日

ベルナール、パートリッジ対談「 Love on a Farmboy's Wages 」7

ベルナール「( 笑い ) 本当ですか?」
パートリッジ「たぶん、扉を閉じた後には、私のことをもっと悪く言っていたでしょうね。」
ベルナール「間違いないですね。その可愛らしい表現は、どう言う意味なのでしょう?」
パートリッジ「私がプロの音楽家になる前にしていた最後の仕事は、デパートでポスターを描くことだったのです。それは、当時、絵札描き( ticket writer ) と言われていたのです。彼女の父は広告会社のオーナーでしたから、私をそう呼んでいたのだと思いますよ。」
ベルナール「なる程。可愛らしいです。彼女の父上は、立派な絵札描きだったわけですね。1ポンド紙幣描きだったのですね。」
パートリッジ「その通りです! ( 笑い ) それに、彼は飛び上がれなかったでしょうね。胴回りが相当でしたからね。」
ベルナール「( 笑い ) さて、この歌詞に私が強く惹かれる理由の一つは、妻を養う財力がないとあからさまに不安がって、歌詞全体がその不安の中で揺れ動いているところにあります。揺れ動きの中には、とても美しい憧憬もあるのです。「 We will borrow your father's carriage / We will drink and prepare for marriage 」の行です。ここで、主人公は、暖かさと愛情を感じているのに違いないです。それが一層に、現実世界での収入の不安を背景として引き立てているのですね。」
パートリッジ「( ちょっと考えて ) ええ。」
ベルナール「( 笑い ) 私は歌を理解してるでしょうか?」
パートリッジ「( 笑い ) いやあ、まるでイタリア人のインタビューそのものですね。彼らはそう尋ねるのですよ。15分かけてこう言うのです。( イタリア訛りの英語で ) 「私はこう感じるのです。あなたが言っていると。比喩です。ええと、寓意です。ええと、あなたの表現の方法です。」と、こうイタリア人は質問をして、その後しばらくの間があって、こちらから言えることは、「そうです、ルイージさん、お分かりですね。」と言うことなのです。イタリア人は、そう言う質問をするのでよく知られていますよ。」
ベルナール「( 笑い ) タンク ユウ ア ヴェリィ マゥツ!」
パートリッジ「イッツ ア ニィチェ!」[ イタリア訛り ]
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2013年11月26日

ベルナール、パートリッジ対談「 Love on a Farmboy's Wages 」6

ベルナール「分かります。ところで、歌詞は、「ああなんてこと、家族を養えるだけの金が稼げそうもない」類の一つですね。」
パートリッジ「私がいまだにそのことで悩んでいるのはご存知のことだと思うのですが。いまでも脅威なのですよ。( 笑い ) 自分ではこれくらいは受け取ってもいい筈だと思う額の金が得られないことについては、もちろん、苦々しく思っていますよ。見回してみれば、例えば、エルビス・コステロのような人や同世代の人がいて、私は思うのです。「何で! あいつらは俺より金持ちなんだ!」 「エルビスと同程度のいい曲を俺も書いてるだろ!」と、言ってしまいそうなんですよ。巫山戯ても自惚れでもなく、本気で言いそうなんです。エルビスと同じ暗いいい曲を書いて来たと思うのですけれどね。」
ベルナール「エルビス・コステロさんのインタビューを読んだことがあるのですけれど、それによれば、彼もそう考えているようですよ。貴方のソングライティングを賞讃していました。」
パートリッジ「でもね、サンデータイムスの富豪リストにエルビスの名前を見るとね…、」
ベルナール「ああ。でも、私は、コステロさんが裕福だとは思ってはないのですが。」
パートリッジ「ふうん、私は分かりませんけれどね。彼の最近の決算は、2,000万だったと思います。そんな額の金を私は作ったことがありませんよ。それに、この世界で私が得るべきだと思っている額の一部でも得たことがないですよ。この歳になってさえ、「ガルルル、ガルルル」って思っているのですから。」
ベルナール「思うのですが、この歌は、お金のことを明言した最初の貴方の歌ではないでしょうか。これ以前の歌では、この歌程にはっきりとはしていなかったと思います。例えば、「 Paper and Iron 」などがありますが、他のものと同様に、社会主義的な意見と言うだけだったのですが。」
パートリッジ「そうですね。同時に、働くことへの誇りも歌っているのです。そうですねえ、私の父もいくらを稼いでいたのかを私に教えようとはしなかったと言うのも事実ですね。母に教えていたとも思えません。父は母に週に 額 X の金を渡していました。でも、それについての会話はなかったのです。
 言う必要もないことですが、私は農場で働いたことはありません。強いて言えば、ほんの何回か父を手伝って、農場から搾乳された乳を集めたことがあるだけです。父は、Latton Creamery ラットン乳業で働いていたことがあるのです。トラックで農場を回って、一杯になったのや空の缶を集めるのです。時たま、それを手伝ったのです。それも骨の折れる仕事でした。でも、農場で働いたことはないのです。寓意ですね。」
ベルナール「ですが、農場は、主題として、貴方を惹き付ける何かがあるのではないでしょうか。「 Senses Working Overtime 」の話しをされた時に、その歌では、中世の農場に心を通わせていると話されていました。」
パートリッジ「ええ。短い劇か何かを書く場合ですが、それでも、長い脚本や本を書くのと同じなのです。舞台を設定しなければならないのです。そう出来るのならば、自分の経験から引き出してもいいですけれど。私はですね、絵を描いて、彫刻を彫ったのです。私の恋人の両親のです。その恋人は妻になりましたけどね。その両親が、私はよくないと言ったのです。実際、「跳ね上がり者、二ペンス小僧、半ペンス絵札描き」と私のことを呼称していました。」
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2013年11月19日

ベルナール、パートリッジ対談「 Love on a Farmboy's Wages 」5

ベルナール「ギターですけれど、貴方とグレゴリーさんはお二人とも、アコースティック・ギターを弾かれて…、」
パートリッジ「ええ。私たちはアコースティックで曲を開始しています。それで、歌い初めのところですが、フレンチホルンの様に歌おうとしたのです。変に聞こえるかとは思いますけれど。」
ベルナール「いいえ。貴方の声がフェイドインするような方法は、まったく理に適っています。」
パートリッジ「あれはとてもイギリス的に聞こえます、それにとても野外的に聞こえます、そうですよね。それで、歌は、「 we will borrow your father's carriage 」の行に進みます。デイブは、そこでエレクトリック・ギターを加えているのですよ。音響の支えになるようなものですね。それに、デイブがプロフィット5 で作った合成のフレンチホルンもここに加えられていたと思います。」
ベルナール「ブリッジ部分になると、たくさんのパーカッションがありますよね。ウッド・ブロック、シンバル、ベル、…、」
パートリッジ「羊が画面に入って来るのです! ( 笑い ) ウッド・ブロックがありますね。それに、カウ・ベルもあったと思うのですが。」
ベルナール「ブリッジ部分では、ヴィブラスラップも使っていますね。」
パートリッジ「もちろんです。どの人の背骨も同じような音がするものですよ。背骨の音を出そうと思ったら、ヴィブラスラップを使わなくてはね。
 歌詞の「 Breaking my back 」のところは、実は、ヴァース部分のパターンと同じなのです。同じ密集配分、開離配分を使っているのです。[ 原文:using the same open and closed notes ] ですが、密集配分した音は、音程を上げています。それで、開離配分した音は、密集配分した音に対しては、やや不協和音に聞こえるのです。分かりますか?」
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2013年11月13日

ベルナール、パートリッジ対談「 Love on a Farmboy's Wages 」4

ベルナール「ベースについても少し話して下さい。」
パートリッジ「ええ、コーラス部分なのですけれど、「ベースで、牛のように出来ないか?」とコリンに頼んだのです。」
ベルナール「( 笑い ) 牛ですか?」
パートリッジ「ええ、コーラス部分ですね、歌詞の「 Shilling for the fellow who brings the sheep in 」の所です。きっと、「モー」って聞こえますよ。( ベースの音を真似て歌う )」
ベルナール「( 笑い ) なる程、テーマに適っていますね。」
パートリッジ「完璧ですよ。「ええ! XTC は何をしてるんだ? 雌牛の乳搾りをしてるのか? ジャージー牛の乳搾り?」と、聞いている人たちに思って欲しかったのです。もちろん違いますよ、あれはベースです。牛になるべく似せたベースの音なのです。歌の世界の設定は、何もかもが草丘なのです。分かりますか? とてもイギリス的な風景ですけれど。きっと、間違ってない風景を思い描いて下さいね。
 それから、コーラス部分の最後で、コリンが弾くカウンター・メロディ、歌詞の「 love on a farm boy's wages 」のところですね、あれが、私は本当に好きなのです。」
ベルナール「そのカウンター・メロディは、あなたが思い付いてムールディングさんに弾くように頼んだのですか、それとも、ムールディングさんが考え出したのですか?」
パートリッジ「コリンが考え出したのだったと思いますよ。あれは、とても気持ちがいいです。それから、コリンのベースライン、コーラス部分には転調して入って、最後には、ヴァースのルートに戻るのですけれど、その方法も大好きなのです。」


追記:
「 I also like the way the song appears to change key as it moves into the chorus, but it actually just goes to the root key of the verse. 」の部分、訂正しました。
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2013年11月11日

ベルナール、パートリッジ対談「 Love on a Farmboy's Wages 」3

ベルナール「ドラムのパターンの話しに戻りましょう。貴方は、ドラムのパターンから生まれたものだと言われてました。ドラムのパターンとアコースティック・ギターで作り始めたのですよね。」
パートリッジ「ええ、ちょっと、ドローンするようなリズムのパターンを見つけたのです。( パターンを歌ってみせる。 ) ヴァース部分で聞けるパターンですよ。それで、その周期的なドラムパターンを回してみたのです。そうして、それに話し掛けました。この会話が必要なのですよ、本当に。」
ベルナール「それから、先ほど、ブリッジについてその感じのことを話されたのですけれど、どうして、あの方向へ持って行かれたのですか?」
パートリッジ「調性から離れたかったのです。歌は、基本的には、ホ長調です。[ Eのキーです。 ] ミドル部分では、それを嬰ヘ長調に上げているのです。[ F# のキーに上げているのです。 ] その時には、ギターの開放弦を使っています。そうすると、まだ、ドローンした感じにはなるのですが、何と言うのでしょうか? ジャズ的な空間に入って行くようなのです。どうしてそうなるのかは、私には分かりません。たぶん、コードの選択、あるいは、強勢の選択でそうなるのでしょう。でもそれがとても自然で、私はそうしたいと感じたのです。そうですね、「よし、農場にずっといる、田舎暮らしのままでなくて、そこから離れてしまおう。」と言う感じだったのですね。あの部分では、スウィングした感じにしたかったのです。」
ベルナール「その部分ですけれど、ピーター・フィリップスさんのそのジャズの感覚の演奏能力が、貴方をより一層に刺激したのでしょうか?」
パートリッジ「ええ、ピーター・フィリップスは卓越したドラマーです。確か、デイブが彼を推薦したのです。ピーター・フィリップスは、グリッター・バンド Glitter Bandの後、ランダム・ホールド Random Holdと言うバンドにいたのですけれどね。」
ベルナール「ええ、ランダム・ホールドは、いわゆるプログレッシブ・バンドですよね?」
パートリッジ「ええ。ランダム・ホールドは、私たち XTC のイギリス・ツアーのサポートをしてくれていました。大抵はですね、安ホテルの食堂に、二日酔いでふらつきながら降りて行って、酔い覚ましの朝食を、ピーター・フィリップスと一緒に摂ったのです。他のランダム・ホールドのメンバーも一緒でしたけれど。時には、夜に、ランダム・ホールドを見ましたよ。それで、「ああ、なんていいドラマーなんだ、彼は。忘れずに覚えておこう。」と、思ったものです。テリーが辞めた時に、デイブが「僕は、ピーター・フィリップスの電話番号が分からないかなあ、彼を見つけて、来てくれるように頼もう。」と、言ったのです。
 ピーター・フィリップスは、完璧でした。実は、グリッター・バンドの時のようにかそれ以上、ランダム・ホールドの時の様により荒々しい、ドシン-ガシャンになるのではないかと、心配していたのですけれどね。でも、かれは、素晴らしい軽いタッチも出来たのです。ジャズの感覚に光を合わせることができたのです。「 Ladybird 」でも、それを披露していますよね。」
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2013年11月05日

ベルナール、パートリッジ対談「 Love on a Farmboy's Wages 」2

ベルナール「チェンバーズさんは、本当に、この曲の時に、歩いて出ていったのですか?」
パートリッジ「本当に、演奏の最中にスティックを落としたのです。シンバルはまだ揺れていました。そこで言ったのです。「ちょっといいか。俺は辞める。行かなくちゃいけないんだ。」 テリーは本当の理由を説明しようとしませんでした。でも、新婚のオーストラリア人の妻から強いられていたのですね。彼女は妊娠していて、新興住宅の汚い家に住むのを望んでいなかったのです。部屋はとても狭くて、家具をベッドルームから廊下へ押し出さなければならなかったのですからね。テリー夫婦は、ダブルベッドを寝室に入れたのですよ。部屋から出るには、ベッドの脇の約15センチの隙間を通るしかなかったのです。それが主寝室でした。
 彼女は、何もかもが泥と汚れに塗れた中で暮らしたくはなかったのですね。お分かりかなあ。まるで、ソンヌの戦場の塹壕にいる様に感じたのでしょうね。( 笑い ) 彼女は、オーストラリアのサーファーの天国から飛んで来たのですからね。来てみたら、ソンヌの塹壕にいるわけですよ。おまけに、妊娠して。彼女がそれまでに子供を持っていたかどうかは、思い出せないのですけれど。まあ、テリーが彼女の為によくないと感じていたことは、よく分かるのです。それに、もう XTC がツアーをしないことは承知していたのだし、「もういい、分かった。」と言うところだったのですね。」
ベルナール「チェンバーズさんは、どう言ったのですか? いつ表明したのですか?」
パートリッジ「少し驚きました。でも、思った程には驚かなかったのです。何か起こるな、と感じてはいましたから。テリーの頭は、場違いな場所に乗っているのが分かっていましたから。その理由ですが。イングリッシュ・セトルメントのアメリカ巡りを始めた途端に、私がツアーを止めたわけです。自分自身がとんでもなことになると考えて、故郷に飛んで帰ったのです。その時に、テリーは、オーストラリアにドナに会いに行ったのですよ。そこにしばらく滞在していました。その頃、私はと言えば、裏庭に座って、曲を書いていたのです。それが『ママー』に収められる曲になったのですけれど。それで、何かが噛み合ってないのは感じていました。兎も角、テリーは、イギリスに帰って来たのだったと思いますね。で、こう言ったのです。「よし、XTC は何をするんだ? さあ、リハーサルをしよう。どんな曲を用意してるんだ?」 ですが、馬銜を銜えて走り出そうとうずうずしている風なところは、まったくなかったのです。」
ベルナール「チェンバーズさんは、普段はどう言う様子だったのですか?」
パートリッジ「いつもはとても熱心だったのです。それで、私たちがアルバムを書いている間は、テリーは、一人で休んでいるか、建築現場で働いているか、友人と飲み歩いているかですね。まあ、その三つを全部していることもありましたけど。でも、『ママー』の時は違ったのです。オーストラリアに直行して、そこで、太陽を浴びて、6X も浴びていたことは確かですね。ああ、ご免なさい。4X ですね。」
ベルナール「( 笑い ) 6X は、貴方の処ですよね?」
[ 6X 、4Xはビールの銘柄。6X はイギリスの、4X は、オーストラリアの。 ]
パートリッジ「6X はイギリスのビールです。オーストラリアでは、4X だけですね。( 笑い ) それで、私は何かが食い違っている様に感じていたのです。彼は、新しい曲を把握することが出来ないで、だらだらと長引かせていました。テリーにとっては、新曲がなよなよし過ぎていたのですね。」
ベルナール「バンドのミーディングは定期的にされていたと思うのですけれど。そこで、貴方たちは、何が起こりそうかを話し合ったと思うのです。それで、その時点で、四人目の正式メンバーをバンドに入れることはしない、と貴方は決めていたのですか?」
パートリッジ「そうですね、こう言う次第でした。「さて、僕らはもうツアーはしてないので、次のディナーがどこから運ばれて来るかは知る由もないわけだ。」 当時、私たちはまだ、ほんの僅かの給金だったのです。それで、誰か他の者を給金名簿に載せるなんて言うのは、どんな酷いことになるのか、全く分からない人がすることですよ。そして、「誰かいいドラマーを捉まえよう。で、そのドラマーは正式なメンバーになるべきではないのだ。」と言うことになったのです。」
posted by ノエルかえる at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Mummer | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする