2016年12月29日

Dit des trois morts et des trois vifs

 シングル「 KIng For a Day 」は、13世紀の細密画『エルサレム包囲戦 Siège de Jérusalem 』を使ってあったのだけれど。 
 アルバム『 Oranges and Lemons 』のアートワークも、同じ13世紀の細密画でも良かったかも。ジャン1世、ベリー公の名で作られた時祷書の中の「三人の死者と三人の生者」とか。 

Dit des trois morts et des trois vifs − Wikipédia  

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Siège de Jérusalem: ノエルかえる不恵留
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2016年11月17日

Oranges and Lemons Bass Guitar

 ファンサイト『チョークヒル』に、J. D. Mack さんと言われる方が、『オレンジズアンドレモンズ』全曲のベース・パートを譜面にして寄稿されたので。 
 とりあえず、URLを備忘: 
J. D. Mack: Oranges and Lemons Bass Guitar  

譜面はPDFファイル。ダウンロードしてコピーして保存しておいた方が良いかなあ、、、
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2016年07月30日

オレンジズアンドレモンズ 2015 年版、パートリッジ・ノート

 『 Oranges and Lemons 』( 2015 ) に付けられた、アンディ・パートリッジのノート。  





 あの当時、私が二人の幼児の父親であったこと、即ち、終わることなく繰り返してナーシリー・ライム[ わらべ歌 ] を歌って聞かせたこと、あるいは、ソファーで子供たちと一緒に丸まって延々と繰り返してナーシリー・ライムのビデオを見ていたこと、それが原因となったのだろう、私の頭中に、新しく発見された或る形式への嗜好が叩き込まれたのだが、その形式とは、古風で極度に単純なメロディで、戯言から政治的な所思へ、愉楽から痛快さと哄笑を経て治癒的結果へ変化すると言うものなのだ。然るに、これは、ポップ・ミュージックそのものではないか。 
 私がポップ・ミュージックとナーシリー・ライムとの関連に関心を持つに従って、ラジオから流れて来る、今日のロック、ラップ、ポップと言った安っぽいトリルは、よく言えば、現代のナーシリー・ライムであると言うことに、思い至ったのである。今日、扇情的で不穏な歌は、子供の遊び場や乳母車の側から広まって行くのではなく、マス・メディアから拡散されて行くのである。現代の大衆音楽は、ナーシリー・ライムの直系なのだ。私の論点は定まった。このことを反映したタイトルが、我々には必要だったのだ。 
 端緒を開いて私の思念に浮かんだ考えは、鳥類学的で料理術にも関するもので鼻形成術を惹起した案件、即ち、「 Sing a Song of Sixpece 」であった。然り、『 SONGS OF SIXPENCE 』は、私たちのアルバムに付すタイトルとして見事である様に思えたのだ。その文は、ナーシリー・ライムと関連している、更に、英国的である、更に、私たちの健全とはとても言えない財政状況を暗示しているのが可笑し味になっているのだ。時は来たり、装丁の絵柄を創らねば、と膝を打ったのだ。 
 私は、まず、曲芸団の怪力男の素描を描いたのであるが、何故そうしたのかは分からない、素描は線の太い素朴派の様式で描いたのだが、如何言う理由でそうしたのかは分からない、甘橙と檸檬を手玉にしている様を描いたのだ。考えられるのは、意識下の連想が、他のナーシリー・ライムを呼び起こしたのではないか、と言うことなのだが、その「 Oranges and Lemons 」は、先のものよりもより適当なタイトルではなかろうか、と思われたのだ。出来の良い曲がいくつか、不出来なのが幾つか、と言う意味になろうか? ふふふふ、正にこれである。  
 然るに、私たちはロサンゼルスに居たのである。正に、そこは柑橘の国の首都なのである。その都市で、期待に真正直に応えたアルバムを創り出していたのだ。そこでの生活も快適に感じていたのだ。以下の犯した過ちの事共は別にしてであるが。その壱:天火の中に居るかの如き暑さのロサンゼルスの市中を歩き回ったこと。その弐:短く小さめの薄い突っ掛けだけを履いていたこと。その参:XTC が製作している音楽作品と同様の細心さを持って、随伴させて来た家族を見守らなければならなかったのだが、あの土地の何もかもが宏大であるのを見誤っていたと言うことである。 
 滅多にない休日の或る日のことであった。私は古書店に居たのであるが、そこで、何冊かの古い画集を拾い出していたのだ。私は、その様な古い画集の熱烈な愛好家なのだ。然り、それらは、霊感を与えるのである。私は、それに素早く目を通した。シーモア・クアスト Seymour Chwast [ Seymour Chwast - Wikipedia, the free encyclopedia ] やミルトン・グレイザー Milton Glaser [ Milton Glaser - Wikipedia, the free encyclopedia ] やその他の画家が描いた描線が、言葉の意味そのままに、私の眼に見事に焼き付いたのである。彼らの配色に衝撃を受けたのだ。桃色を豊富に使っている。橙色を豊富に使っている。黄色と檸檬色を豊富に使っている。甘い果物のあらゆる色彩。甘橙と檸檬のすべての色彩。それをアルバムのジャケット・カバーに使えば、恐らく、素晴らしい見栄えになるだろうと考えたのだ。 
 その思いは、数日後にスマ・スタジオでデイブに話した時には、一層強まったのだ。極めてポップなスタイルであるそれがジャケットになりさえすれば、強烈な印象になろうとは、私たち両人の意見の一致する所であった。それは、アラン・オールドリッジ Alan Aldridge が描いた、The Who のアルバム『 A Quick One 』[ A quick one : wikipedia ]のカバー・アートでの、クロームメッキが掛かり曲がりくねった戯画的肢体と、ハインツ・エデルマン Heinz Edelmann がビートルズの映画『イエロー・サブマリン』の為に描いたデザインとの、折衷であったのだ。この二人は、1966年から68年頃には、アメリカの受け手たちの間では、最先端の様式の図像を描く良く似たイラストレーターだと認めていられて、双方を替わりに使われていたのだ。  
 同じ頃であったが、別の画集で、私は、一枚の複製された広告図案を目にしたのであるが、それは、グレイザーが、1966年に合衆国のラジオ局WOR FM 98.7 の為に描いたものだったのだ。私の頭中で警告音が鳴り響いた! ずべてが渾然一体と相成った。私はこう思案したのだ、これらすべての図像を溶解し一つにせむ、恰も、懐古ポップの百円ショップで爆発が起こったかの様に、と。私は、数多くの案を書き留め、連合王国へ帰ったのだ。而して、我らの意匠担当のデザイン・クリニック社のデイブ・ドラゴンと面談した。彼は、私の走り書きのすべてを取り入れたのだ、そして、完成作へと昇華させたのだが、つまり、グレイザーとオールドリッジの光線と影、クアストの色彩にエデルマンの靴と手、と言った形象を採用し一纏めにしたものであったのだ。デイブ・D は見事な仕事をした。この絵が、アルバム『 oranges and Lemons 』に[ デイグロー社の ]蛍光インクで印刷されると、アルバムに、並外れて沸き立つ生命感を齎したのだ。このケーキに載せられた、一際輝く桜桃は何であるのか、聴衆の諸氏にはお判りであろうか? 絵の右上に、一句、「 stereo 」とあるのは、何故であるのか、聴衆の諸氏にはお判りであろうか? 然り、これ以上のポップはないのである。かのペッパーランドから鳴り響くものなのである。  

 追記: ドラムに書かれた XTC の文字は如何なものか、と思案される方もあるかもしない。あれは、ファンの間で広くそして繰り返し言われているのとは違い、ピーター・マックス Peter Max [ Peter Max - Wikipedia, the free encyclopedia ] とは何の関係もないのであり、実際には、アンディ・ウィリアムス Andy Williams のテレビ番組の宣伝から取ったものなのである。  






誤訳、疑問点を指摘して下さると、助かります。
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2016年07月16日

オレンジズアンドレモンズ 2015 年版、グレゴリー・ノート 11

 内省的な「 Cynical Days 」は、コリンの作った、また別の、極上のメロディを特徴とする曲だ。ブリッジ部分には、最高度のコード進行が使ってある。そのコード進行では、ハモンド・シンセサイザーの奏者としての私の技量を試されたのだ。スライド・ギターも少し弾いている。けれども、コーラス部分で、コードを刻んでいるギターは、アンディーだ。その次の曲は、アルバム全体の中で、私の一番のお気に入りの曲の「 Across This Antheap 」だ。柔らかいジャズ・ヴォーカルで始まるので聴く人を惑わすのだけれど、曲はそのまま、パットが封を切って始める陽気な大騒ぎに傾れ込むのだ。伝説の域にあるような、ファンキー調のフィンガー・ピックのギターをアンディが弾いている。そのギターは、私の古いレス・ポールなのだ。モールディングは必殺グルーブのベースを弾いている。マーク・アイシャムは、トランペットを即興で曲を通して吹いていて、曲を狂乱状態にするのに貢献している。一方、私と言えば、あまり良くないシンセサイザーと、まあましなギターを弾いている。なんて素晴らしい歌詞だろう、なんて素晴らしい歌声だろう!  
 ワールド・ミュージックの影響が、80年代半ば程、大きな時は他にはなかった。その80年代半ば頃には、アフリカの「ハイライフ」のスタイル[ ハイライフ - Wikipedia ]が、アンディの頭の中で大音量で鳴り響いていたのだ。それが、「 Hold Me My Daddy 」に出ている。ところが、今となっては、ミドルエイトの部分、どうやって考え出したのか、私は、さっぱり思い出せない。コード進行は、「土星」から送られて来たのだ。ただ、フェイド・アウトの部分での遊び戯れる様なギターが、私は大好きだ。同じ様な意味合いで、「 Pink Thing 」も私の気に入っている。ギター・ソロは、私が書いたものであるのだが、演奏には、最高度の難易度があったのだ。しかし、レコーディング ・テクノロジーの奇跡は、私を窮地から救ったのだった。( エド、感謝するよ。 ) 歌には、可愛らしい陽気なグルーブ感がある。それ以上に、楽器編成には、ある意味の「空間」が必要とされている。その「空間」が、アルバムの演目のこの位置にあるので、アルバムをリフレッシュさせるのだ。「 Miniature Sun 」では、私は、ピアノで和音を弾いたのだと思う。良くは、覚えていないのだ。けれども、アンディとポールは、それを採用して、アレンジに活かしたのだ。今でも、私は、私のピアノが良いとは思わないのだけれど。けれども、歌は素晴らしい。もっと慎重に扱われる価値がある歌なのだ。  
 アルバムは、「 Chalkhills and Children 」を以て、夕日の中へ消えて行く。私たちの最高に甘美な一曲だ。この歌では、アンディは、大地にしっかりと足を据え続けることの良さを讃え上げている。だが、一方で、名声と成功の誘惑は彼のコートを引っ張ることを止めはしないのだ。アンディは、その時、支えなければならない出来たばかりの家族を抱えていたのだ。それに、私たちが巻き込まれた金銭的な悪夢の所為で、将来への不安も抱えていた。この歌を書き上げたと言うことは、アンディは、最悪の環境が重荷になっていてさえも、詩神は呼び起こされるものなのだ、と証してみせた、と言うことなのだ。このアルバムの幕を下ろすのに、これ程に相応しい歌は、他にないだろう。この歌は、アルバムの意味を明確にする後書であるのだ。そして、また、創造への精進が逆境を克服したことを示しているのだ。 
   





終わり     




誤訳、疑問点を指摘して下さると、助かります。
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2016年07月12日

オレンジズアンドレモンズ 2015 年版、グレゴリー・ノート 10

 私は、コリンの「 One of the Millions 」が心底に好きだ。特に、ベースの音。確かに、あれは、ジャック・ブルースの『 Songs for a Tailor 』[ 1969年発表のアルバム ]から拝借したものだ。この曲では、私は12弦リッケンバッカーを思い切り鳴らしている、それに、アコースティック・ギターも。ナイロン弦は、LAギター・センターから、グラシック・ギター用の1975年製、ロバート・マティングレイ Robert Mattingly のものを借りたのだ。[ Robert Mattingly | Trilogy Guitars - Classical Guitars, Flamenco Guitars, Acoustic Guitars, Lessons & Accessories - Playa del Rey, California ] それを録音するのには、とても手間取ってしまった。間の抜けたことに、私は、録音の前に、新しい弦を付けたのだが、張ってなかったのだ。私たちは、テープを止めて、12の弦のすべてを再調音しなくてはならなかった。「 Scarecrow People 」は、私たちが、カントリー・ウエスタンに限りなく近づいた歌だ。ただ、一度に、違う三つの調性を使っているのだ。ポールのエミュ・シンセサイザーでの、素晴らしい山岳風「フィドル」のソロが聴かれる。転がる様なアコースティック・ギターは、魅力溢れるマーティン社のHD-28 を使って演奏された。それは、アシスタント・エンジニアのジョー・フィオレオから借りたのだ。私は、彼にそのHD-28 を売る様に説得したのだが、叶わなかった。けれども、数週間後に、LAリサイクル・センターで、ディーン・パークス Dean Parks [ 1947年生まれのセッション・ミュージシャン Dean Parks Official website Dean Parks - Wikipedia, the free encyclopedia ]が売った71年製のD-28 を見つけたのだ。私は、その D-28 を未だに持っているし、未だに愛用している。 
 「 Merely A Man 」については、これはまるっきりポールの創造物なのだ。パットがシーケンサーで作ったドラムのサンプルを使って創り上げたものだ。この歌は、水準に達していないと言うことで、バンドはアルバムから外していたのだ。けれども、ポールは、その中にシングルの可能性を聴き取ったのだ。そして、草稿の状態だったところから初めて、完成にまで作り上げたのだ。私たちは、この曲は、やや、電子機器的過ぎるのでは、と感じていた。ところが、この曲が禍々しい程に揺り動き、途轍もない迫力を内包していることは、否定し難いのだった。アンディとポールと私は、マーク・アイシャムがアルバムに参加しに来る前夜、楽譜用紙を持ち、一台のキーボードの前に座っていた。そして、アイシャムが吹くトランペットのパートを書いたのだ。残念なことに、私が無教養な為に、私は、間違った調性で書いてしまっていたのだ。ところが、アイシャムは、立ち所に、正しい調性に移して呉れた。ギター・パートで自由に出来たことは、私はとても嬉しく感じた。調性を外したストラトキャスターで、ヘンドリック風音響効果に半歩近づいたのだ。金塗りのレスポール、泥臭い初期の Vox のワウペダルを使ったのだ。それは、録音してくれたエド・タッカーが、私には知らせずに、私の為に用意して呉れたのだ。偶然が起こることを、私は好んでいる。   
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2016年07月09日

オレンジズアンドレモンズ 2015 年版、グレゴリー・ノート 9

 アルバムは、「 Garden of Earthly Delights 」で始まる。まるで、狂乱しているギターのスモーガスボード料理[ Smörgåsbord - Wikipedia, the free encyclopedia ]だ。それに、パーカッション群が、フォークや皿をカチャカチャ鳴らしながら、完璧なオードブルとして供される。これで、お聴きになる方々は、これからの一時間の間に、どんな物が供されるか期待が高まると言うものだ。多くの人が、あの調子外れのハーモナイザーを使ったギター・ソロは、私が弾いたものだと考えている。しかし、実際、あれは、アンディが撃ち放ったものだ。私は、あの様なソロは、決してしない。私のギターは、澄んだ音のものだ。それから、魂が浮遊するファズ・ボックスを使ったもの。そして、美しく鳴るリッケンバッカーが、私が弾いているものだ。「 Mayor of Simpleton 」が、それに続く歌。要所になっているのは、12弦の為に特別に誂えたギターのリフと、何よりも、破格のベース・ラインだ。この歌は、アルバムに先立って、シングル発売された。コリンの「 King for a Day 」が次の曲。第二弾のシングルになった。レターマンの番組でライブ演奏もされた。他の曲に類似点があったとしても、どの部分が似ているとしても、国際的基準に照らし合わせて、それは全くの偶然と言うものだ。 
 一陣の風が幕を払い開けた後では、アンディが政治的な意見を述べる道が開けていた。それは、彼がレコードで表する初めての声明なのだ。「 Here Comes President Kill Again 」がそれである。その曲では、パットのパレード・ドラムが聴き所だ。そして、ゲスト・ミュージシャンのマーク・アイシャム Mark Isham が最初に登場する曲でもある。その曲では、ギターのほとんどは、アンディが弾いている。私は、ピアノとバッキング・ボーカルだ。「 The Loving 」は、第三弾のシングル。私見では、私たちが発表した45回転レコードの内のベストのものの一つだ。この曲は、アルバムの中の最高のアンセムになる筈だった。けれども、どう言う訳か、そうはならなかった。私のギター・ソロは、一回でOKになってしまった。私は、遣り直したいと異議を申し出たのだけれど。バッキング・ボーカルは、ポールの細君と彼女の友人のジーン・マックリーン Jean Maclean が歌っている。「 Poor Skelton Step Out 」は、もう一曲の私好みの曲だ。コーラス部分で、私はシンセを弾いている。けれども、ほとんどのキーボードは、シーケンサーで制御されているのだ。パーカッションのほとんども同様だ。( 最後のところで、スティックが落ちる音があるけれど、あれは本物だ。 )  
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2016年07月06日

オレンジズアンドレモンズ 2015 年版、グレゴリー・ノート 8

   アルバム   
 正直なところ、この最近では、『 Oranges & Lemons 』には、批判的な思いを抱いていた。このアルバムの中には、私たちの諸作品の中でもハイライトであるものが、鏤められてはいるのだけれど。次々に出る「デジタル・リマスター」については、耳障りな音のマスタリング、本題から逸れている無数の要素が、どんどんと私を興醒めさせていた。ところが、オリジナルの二枚組ビニール盤を聴くと、リリースの時に、皆が感じたあの喜びをもう一度経験することが出来て、私の心は、小躍りしたのだ。 
 このアルバムは、擬い様もなく、騒々しい。そして、激しく聴く者を揺さぶるのだ。聴衆の方々はきっとそう思っているのだろうが、製作に五ヶ月を要したこの作品には、腐心した細部が無数にあるのだ。すべてのヴォーカル、すべての楽器が、ミックスに於いては、完璧な位置に置かれている。そして、深い輝きを持つ様に磨き上げられているのだ。このアルバムは、感動的だ。人生のすべてが入っている。それに、聴衆の方々は、何処に費用が注がれたかも分かるだろう。このように、全体に亘って気を配った、ポールとエドに脱帽だ。このアルバムを21世紀に持ち越す様に、安心して任せられる、もう一人のプロデューサーがいるとすれば、それは、おそらくは、スティーブン・ウィルソンだろう。彼は、このアルバムに温かみを加味してくれたし、オリジナルのミックスの完璧性を損なうことなく、磨きを掛けて、新しい5.1サラウンドのデジタル・マスターを作ったのだ。これこそ、私が長年聴きたいと願っていたヴァージョンだ。  
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2016年07月02日

オレンジズアンドレモンズ 2015 年版、グレゴリー・ノート 7

 帰国して後のこと。アルバムのマスタリングも済んでリリースを待っていた、1989年年初のこと、一月の初旬であったけれども、ゴッチは、ヴァージン・レコードに、 会社のそれよりも更に早い、「勝手連」的な( エヘン! ) 前宣伝をすることを承服させた。その宣伝は、実際、アメリカ合衆国の多数のラジオのキー局のプレイ・リストに、アルバムからの最初のシングル曲「 Mayor of Simpleton 」が入ることに効果があったのだ。アルバムは、その後、1989年二月27日にリリースされた。そして、直ぐにも成功を収めたのだ。合衆国だけで、一週間に付き10,000枚の売り上げが、リリース直後の数週間続いたのだ。 
 それと同時に、XTC の経営上の諸問題も解決した。既にバンドには多大な損失が出ていた状態で、タークンの仲裁に任されたのだ。それから、彼は、「不可能事」も成し遂げてしまった。五月に合衆国のラジオ局を回るプロモーション・ツアーを XTC に承知させたのだ。私たちは、アコースティック・ギターを使って、アルバムの曲をキャンプ・ファイヤー的アレンジで演奏すると言うのだった。直ぐにも、あらゆるバンドが、自分たちの駄作を同じ様にして見せたのだ。遂には、MTV が、アンプラグド・シリーズを生放送で始めたのだ。XTC は、六月28日に、再度渡米しニューヨークへ行って、MTV 用に、100人程の聴衆の前でアコースティックでの演奏をしたのだった。二日後、私たちは、デビッド・レターマン David Letterman の番組『 レイト・ナイト 』に出演して「 King for A Day 」を演奏することになっていることを知った。それは、ポール・シェーファー・バンド Paul Schaffer が共演してのエレクトリックの完全版の演奏だった。 
 こうした活動のすべてが、『 Oranges & Lemons 』の成功には不可欠だった。そして、そのどれ一つとっても、タークン・ゴッチの関与なしでは、起こり得ない事だった。1990年の四月であったけれども、彼は、バンドのマネッジメントにタイム宣告を出して映画界に戻らなければならなくなった。それは、悲しい日だった。ターク、ありがとう、君は最善を尽くしてくれた、僕たちに面目を回復させてくれたよ!  
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2016年06月29日

オレンジズアンドレモンズ 2015 年版、グレゴリー・ノート 6

 最終的には、1988年十月22日土曜日に、『 Oranges & Lemons 』は、「 Miniature Sun 」のミックスと、「 Cynical Days 」「 Hold Me, Daddy 」の二曲の手直しを持って、完成した。それは長い辛い行軍だった。しかしながら、この長い道程はそれに見合った価値をもたらしたのだ。ひとたび完成してしまうと、今度は、この費用の掛かり過ぎた、そして、野心的な作品を市場に出さなければならない、という新しい重圧が私たちに掛かって来た。それ故、アルバムのクレジットでは、「歌いもしなかった」人間をヒーローにしなければならなかったのだ。しかし、彼がいなければ、XTC は、1990年代に向けて、生き残ることは出来なかったのだ。その人の名前は、タークン・ゴッチ Tarquin Gotch だ。彼は、ロンドンで、カーヴ・マネッジメントと言う、タレントのマネージメントをする会社を経営していた。  
 ゴッチはイギリス人だった。ロサンゼルスに拠点を置き、映画監督・脚本家の故ジョン・ヒューズ John Hughes [ 2009年没 ]の下で、音楽コーディネーターとして働いていた。ゴッチは、XTC のファンだった。それで、少し前に、ケヴィン・ベーコン主演の映画『結婚の条件 She's Having a Baby 』[ ヒューズ監督作品、1989年2月公開 ]に私たちの「 Happy Familles 」を使う様取り計らっていたのだ。彼は、7月12日にスタジオを訪れた。その夜には、ハリウッドにある、インテルメッゾ Intermezzo と言うレストランでのディナーに招待してくれた。彼は、私たちがマネッジメントを必要としているかどうかを知りたがっていた。私たちが必要としているならば、喜んで仕事を引き受けただろう。私たちは、訴訟で疲れていることを説明した。それが解決するまでは、報酬を受け取ることも出来ないことになっていた。私たちはツアーやライブ演奏の予定はなかったから、一般的な意味に於いてのマネッジメントを頼むのは、浪費になると言う他なかった。彼は、詳細を話す様に催促して来た、早急な解決に自分が力になれると断言したのだ。私たちが苦境から逃げ出せる方法を見つけられないか、二三週間、イングランドに帰国しようと言ったのだ。 
 タークンは、八月末にLAに戻って来た。彼がマネッジメントの行き詰まりを解消させるばかりでなく、アルバムのリリースについてもプロモーションに助力が出来ると言うことを、私たちに、十分に納得させた。そして、以前にも増して、屢々、スタジオを訪れる様になった。映画を見に出掛けるとか、ディナーとかを手配してくれた。それに、ベネディクト・キャノンに彼が借りている宿泊所にも遊びに来る様に誘っても呉れた。最も重要なことは、彼が私たちの代理人として振る舞って、アメリカでの販売会社のゲフィン・レコードと対応してくれたことだ。会社の A&R マンと、直ぐにも、商談の会食や会議を始めたのだ。それらの席には、私たち三人共も、喜んで臨んだのだった。XTC はツアーをしないし、ファンの目の前に出ることも拒んでいたので、レコード会社を味方にするのは不可欠なことだった。  
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2016年06月22日

オレンジズアンドレモンズ 2015 年版、グレゴリー・ノート 5

 スマ・スタジオでの録音は、毎日続いた。休んだのは、日曜だけだった。私の日記には、すべてのヴォーカルとオーバーダビングの録音には、九月16日の完成までの86日を要した、と記している。ミキシングは、九月21日に始まった、それは私の36歳の誕生日であったけれども。最初に手を付けたのは「 Pink Thing 」だった。パット・マステロットのドラムを録音したものは、六月に録音されて以来、スタジオのマルチ・トラックのテープに眠ったままだった。それは、私たちがミキシングに使う二台目の24トラックのテープ・レコーダーに、SMPTE 規格のタイムコードで繋がれた。それは、ドラムズの音を曇りのないハイファイな音のままレコードに入れる為のものだった。 装置を整列して、完璧に同調して再生した。ただ、巻き戻して正しい位置に合わせるのは、エド・タッカーにとっては、大変に骨の折れる仕事であると分かったのだ。大量のテープ・リールを正確な時点を探そうと、20秒間テープを前へ後ろへ回したのだが、そうすると、どうしても、装置が不安定になってしまった。それで、エドはフラストレーションで苛立ったのだ。エドは、座っている椅子を回した。忽ち、雰囲気は鬱然となった。 
 ミキシング作業が完了する前に、アンディとコリンは、帰国した。コリンは、彼の三曲の出来映えに満足して、先に出発した。アンディなのだけれど、私には大変な驚きだったのだが、「 Poor Skelton Steps Out 」の後、放棄することを決めたのだ。「 Chalkhills and Children 」の作業が始まったばかりだったけれども、彼は、作業を見にスタジオに現れなかった。( ただ、長々とした指示書を残して行った。 ) その指示書で、彼は、残りのミキシングについては、エドとポールに指揮を委ねていた。けれども、「ご存知より」からの逐語的な勧告が、助けになったり、邪魔になったりしたのだ。スタジオの助手だった、ティム・ウェイドナー Tim Weidner [ 後年、Yes のアルバム『 Magnification 』をプロデュースした人。 ]も助力してくれた。あるミックスを再現する必要が生じた場合に備えて、レコーディング・デスクのすべてのつまみとフェーダー調性の位置を、手書きの図面に記録する任が彼に当てられたのだ。( その様な場面が数度あった。 ) コンピューターで均一的に再現出来る様になる前のスタジオでは、そのような仕事がたくさんあって、それが助手の仕事だったのだ。26年後の今、スティーブン・ウィルソンには、アルバムをリミックスするにあたって、その図面が大変に有効だったのに違いない。分析の時間を節約し、負荷を軽減させたと思われる。その結果が、今、聴衆の方々に届けられたのだ。 
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2016年06月16日

オレンジズアンドレモンズ 2015 年版、グレゴリー・ノート 4

 六月30日木曜日に、サンセット大通りを西に2マイルのところのスマスタジオに、現場が移動した。そのスタジオは、ポールのマネージャーリック・ステーブンス Rick Stevens が所有、運営しているスタジオだった。交差点を挟んでラ・シネガ・ブルーヴァド通り La Cienega Boulevard の反対側の街路にあった。建物の形状は、客船の様だった。舳先の様なものが付いていて、それがサンデッキの用をなしているのだった。それは突き出ているので、スタジオの後ろに通じているミラー・ドライブ Miller Drive 通りとサンセット大通りとを分ける楔の様になっていた。この場所は、屢々、観劇へ向かう抜け道になっていた。何度も、レコーディング・セッションが、外から聞こえる、紛れもない自動車がぶつかる金属音で、中断された。ラ・シエネガ通り La Cienega Boulevard から、ひょいと現れた自動車が、サンセット通りから出て来た自動車と、右にか左にか、避けるのに失敗したのだ。私たちは、大抵、下の通りで起こった事故を見物する為に、サンデッキに飛び出したのだ。もう一つの楽しみは、通りの向かいにある、奇妙な革製品の店だった。それに、そこの常連のありとあらゆる人たちも面白かった。金曜日の夜には、有名なホット・ロッドのパレードがあった。ピカピカ光る車の列だ。それがサンセット大通りをクルーズするのだ。こうして、ハリウッドが目一杯に胸襟を開いて歓待するのだ。それは、仰々しい、友人になる儀式だったのだ。ウィルトシャー州スウィンドンからは、あまりに、あまりに遠い所なのだ。 
 合衆国ヘ来るのに先立ってのリハーサルで、足りなかったものは、私のキーボード・パートに関するものだったけれど、それはそのままにされていた。ポールが、親切にも、YAMAHA DX7 シンセサイザーを貸してくれた。それならば、アパートで弾くことが出来たのだ。私は、常に、ヘッドホンを付けて練習した。譜面は、母国で前もって書き出していたものだ。その譜面には、しっかりと練習しなければならない箇所がたくさんあったのだ。スタジオにあるキーボード類は、そのほとんどが、ポールが提供したものだった。DX7 をレコードの何処で使ったのかは、私は思い出せない。ただ、レコードでは、プロフィットX、ローランド・ジュピター8、ローランド JX-8P、それに、エミュレーター、アカイのサンプラーが使われているのは、確かだと思う。シンセサイザーについては、ギターについての様には、私は虫になっているのではないのだ。ポールは、レコードのあちらこちらで、キーボード・パートを加えている。それに、私が案を出せなかった二ヶ所のギター・パートも書いてくれたのだ。ポールのアルバムへの関わり方は、不動だった。もしかしたら、ポールは、トッド・ラングレンの亡霊に怯えていたのかも知れない。あるいは、ただ単に、彼が敬愛するバンドに最大限のことをしたいと言う気持ちに駆られていただけかも知れない。彼は、どんな小さな部分にも、最大限の注意を払っていたし、結果を等閑視することは決してなかった。 
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2016年06月11日

オレンジズアンドレモンズ 2015 年版、グレゴリー・ノート 3

 六月6日の月曜日、私たちは、サンセット大通りにあるオーシャン・ウェイ・スタジオに乗り込んだ。そこで、アルバムのすべての曲のドラムを録音した。それから、大枠の楽器編成も作っていた。そこで、私たちは、チーフ・エンジニアのエド・タッカーに会った。彼が、私たちの演奏をテープに収める責任者なのだろうと思われた。年季の入った専門家だった。皮肉でやや冷淡なユーモアの持ち主だった。それで、私たちは、直ぐに、それも、彼が録音した音を再生して聞かせた時に、その素晴らしさに、意気投合したのだ。ポールが曲に注意を払い、エドが音響に気を付けていると言う、安全に守られている状態に、私たちは在ったのだ。 
 パットの装備一式は、スタジオ・ワンにある大きな部屋の中に壁に立て掛けられた足組に据え付けられていた。その部屋には、大変な歴史がある。数え切れないアメリカのヒット・レコードがこの部屋でレコーディングされたのだ。それに、フランク・シナトラのお気に入りのスタジオで、屢々遣って来ていたことは、よく知られていることだ。私は、アビー・ロード・スタジオと似た雰囲気を感じたのだ。そこで歌ったり演奏したりすると、その音は、値千金に感じるのだ。それだから、ずっとそこで仕事をしたくなってしまう。しかし予算は限られているのだから、その予算の最優先事項は、ドラム・トラックを最善の音で録音することに決められていた。その部屋では、他の何処よりも況して、明るい、そして、活き活きとした反響音が生み出されるのだから。パットは見事に演奏した。三週間後には、録音は終わって、オーヴァー・ダビングの用意は出来ていた。音質の劣化を避けるために、パットのパートの録音は、マルチ・トラックのテープとは分けて別のテープに複写された。そのマルチ・トラックのテープには、私たちが、演奏を重ねることになっていた。オリジナルのマルチ・トラックのテープは、ミキシングの段階だけで使われることになっていた。それは、ずっと後のことだ。 
 隣りのもう少し小さい部屋では、エルビス・コステロが、ケビン・キレンとティーボーン・バーネットと共に、アルバム制作に熱心に取り組んでいる最中だった。そのアルバムは、『 Spike [ The beloved Entertainer ] 』になるものだった。私は、コステロが「 God's Comic 」のヴォーカルを録音しているのを、廊下で立ち聞きしていたのを覚えている。それに、あの有名なロジャー・マッギンがスタジオに入って行くのを目撃もした。おそらくは、「 ... This Town... 」で12弦リッケンバッカーを弾くためだったのだろう。そう、今、私は12弦リッケンバッカーを一挺持っているのだ! また別の日だけれど、イエスのトニー・ケイと故クリス・スクワイアがポールを尋ねて来た。新しい友人のマイク・ケネアリー、彼はその直前のフランク・ザッパのツアーのメンバーだった、そして、パルテノン・ハックスレイが不意に立ち寄った。ちょうど、私たちは「 Cynical Days 」のタンバリンを鳴らしているところだったので、パルテノンは、一緒にタンバリンを振ったのだった。マイクは、アンディのギターで「 My Train Is Coming 」を演奏したのだ。その曲は、フィル・コリンズの映画『バスター』の為にと急拵えされたものだったけれど、結局は使われなかった。マイクの親友は、頑固で時に気が短い、ベーシストのスコット・トゥーンズだった。アンディと私は、その年の早くに、英国のバーニンバムでのザッパのコンサートで、二人に会っていたのだ。二人は、頻繁にスタジオに来ていたし、あの夏の間、オークウッド・アパートメントにも、訪れてくれていた。そうして、私たちは、よい友人になったのだ。 
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2016年06月08日

オレンジズアンドレモンズ 2015 年版、グレゴリー・ノート 2

 五月16日の月曜日、私たちはリーズ・スタジオで仕事を始めた。録音に備えて歌のお浚いとリハーサルをしたのだ。スタジオは必要なものはすべて備えたそれ用に作られた施設だった。そこで、私たちは、指名していたドラマー、パット・マステロットに会った。自身のバンドミスター・ミスターの成功が私の記憶に新しいプレイヤーだった。ポールが彼に要請していたのだった。ポールにすればパット以上のドラマーはいなかったのだろう。パットは愛嬌があって好感が持て、それに、とても有能だった。彼は用意万端のスタジオに現れて、組み台で一つに成っている様に見える巨大なドラムズ・キットの後ろに座った。それに、サンプリング・プレイヤーも持っていた。エレクトリック・ドラムも、リン・ドラムも、シーケンサーも。それ全部が、彼所有の16チャンネルのミキシング機に繋げられていた。パットが十分に下準備をして来ただろうことは、身に染みて分かった。彼が、新しい歌について、私たち以上に手に取る様に熟知していることを、私たちは目にしたのだった。結果、三週間の準備期間を楽々と快走状態にしたのだった。
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2016年05月06日

河床に咲く山査子

 全く関係はない筈だけど、「 Mayor of Simpleton 」と言う題名を見ていて、私は、may と letto と言う語を連想した。イギリスでは、may は山査子を指す。letto は、ラテン語 lectus 由来で、イタリア語だと寝床。もっと広く、苗床とか河床の意味も。 それで、フィンランド語だと、湿地。 
 寝床の山査子だと、『失われた時を求めて』を連想して、エロティックな感じも。独り寝の寝床の山査子。
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2016年04月16日

オレンジズアンドレモンズ 2015 年版、グレゴリー・ノート1

 『 Oranges and Lemons 』( 2015 ) に付けられた、デイブ・グレゴリーのノート。 





 「そうなの。君はポップ・スターに戻るわけね?」 
 レンタカー会社の支配人が、私にそう言った。私は、それに先立つ二ヶ月ほど貸し出された自動車を届け回収する仕事をしていたのだだけれど。その会社の支配人は女性だった。彼女は正確に私に給料を支払っていて呉れたのだ。その彼女が、私が最後の明細書を渡す時に、そう言ったのだ。それは、1988年の春だった。XTC と名付けられていたグループに所属するメンバー、誰にとっても、その1988年と言う年は、苛酷な年だった。バンドと元のマネージャーとレコード会社間の長引く法廷闘争は、利益は訴訟が決着するまでレコード会社によって第三者預託になる、と言うことで確定していた。つまり、我々の場合、どうにもならないということだった。その様な状況で、如何ともし難く、私は遣繰りしなくてはいけなかったのだ。それで、当時、スウィンドンの運輸の管理をしていたデイブ・ジェームズさんの計らいで、パート・タイムの仕事を得ていたのだった。 
 幸運にも、バンドの財政状況は、グループの創造性にはほとんど影響を与えていなかった。アンディもコリンも作曲を続けていて、その前年の年末には、アルバム二枚を創り出すのに十分な曲数になっていた。トッド・ラングレンにプロデュースされた『スカイラーキング』は、新しい、そして、熱狂的なアメリカの聴衆を生み出していたので、再び、アメリカ人のプロデューサーを雇い、合衆国でアルバムを録音すると言うことが決定された。ほとんど新人である、ポール・フォックスがバンドとの打ち合わせの為に、スウィンドンに遣って来た。顔合わせは、アンディの自宅でだった。彼は若くて元気旺盛だった。それに、明らかに、バンドの大変なファンだった。それ以前に、彼は何が何でも仕事をしたかった様だ。それから、彼は申し分のないミュージシャンの一覧と潤沢な予算を携えて来たのだ。と言うのも、彼のマネージャーはロサンゼルスにスタジオを所有していて、我々はそこでレコードを完成させるまで仕事が出来ると言う事だった。彼は物腰も良くて、私達全員が、彼を好ましく思った。それに、レコード会社も、彼と製作することを熱心に求めていたのだ。それで、私たちは、危険を冒す事に決めたのだ。 
 1988年5月12日木曜日、バンドは、メンバーの妻たち、子供たちと共に、ロンドンを発ってロサンゼルスに向かった。私たちは、ノース・ハリウッドのオークウッド・アパートメントに宿を取った。そこは、「麗しの下町」バーバンクの通り一つ上だった。そこが、それからの五ヶ月間、私たちの我が家になる筈だった。ところが、バンド・メンバーの家族たちは、七月の半ばには、そこを離れて英国へ戻って行った。アパートメントは、広々していて、便利な家具付きだったけれど、蚤の巣になっていた。殺虫剤を使ったとしても、一月も経つと、幼生がカーペットに産み付けた卵が孵化して、また、痒みを感じ始めたのだ。ある日、わたしはベランダに出たのだけれど、そこには、胡蜂の巣があったのだ。ところで、滞在を初めて直ぐに、私は、アメリカのテレビに慣れることが出来た。コメディーに夢中になった。『 Married... with Children 』だ。( Fox テレビで1987年4月から放送された、シチュエーション・コメディ。 ) 素晴らしい俳優のエド・オニール Ed O'Neill が主演だった。それに、ケイティ・セガール Katey Sagal 。私がその番組を好んだことが、新しいアメリカの友人たちの幾人かを、愕然とさせはしたのだけれど。 
 『スカイラーキング』の時の失敗があったので、私たちは、当地のスタジオでアンプリファイアを借りることにした。ただ、ギターは、自分の物を持って行った。私は、二箱の荷箱を送った。その中には、マーティン D-35 のアコースティック・ギター、フェンダー・ストラトキャスター、エピフォン・リビエラ、スクワイア・テレキャスター、金張りのギブソン・レスポール、12弦リッケンバッカー、シェクター・テレキャスター、それに、コリンのベースが三張り、フェンダーのプレシジョンとウォル・プロ2とよく知られているディマジオのピックアップの付いたエピソン・ニューポートを入れていた。そして、私たちは、二台の小さなフェンダーとローランド JC 120 それに、コリン用にトレース・エリオットのアンプを借りた。レコーディングでは、直接コンソールデスクに繋いだものも、アンプリファイアを通したものも、どのギターも、まず、その当時私たちが甚く気に入っていた玩具であるボス CS-2 コンプレッサー・ペダルを通したのだ。
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2016年03月12日

オレンジズアンドレモンズ 2015 年版、モールディング・ノート

 『 Oranges and Lemons 』( 2015 ) に付けられた、コリン・モールディングのノート。 



 『スカイラーキング』の合衆国での成功に乗じて、ぼくたちの次のアルバムも、また、アメリカ人のプロデューサーに協力を頼んで、合衆国でレコーディングしなければね、と思ったわけ。そうなると、家族と離れるか、家族を一緒に連れて行かなくては、ということになったの。それで、1988年5月の第一週に、ぼくたち全員、ちっちゃな子供もみんな、が僻地中の僻地ウィルトシャーからカリフォルニアの陽光めがけて飛び出したわけ。そうして、日に灼けたロサンゼルスに六ヶ月いて、「のろのろと念入りにねじを回していた」わけ。 
 スモッグだらけの丘で景色を見たり、テレビで『それ行けスマート Get Smart』を見たりしてたけど、エアコンは部屋に釣り合ったむごい冷気を出してるんじゃないか知ら、と思ってたわけ。ぼくたちは、華氏116℃で、汗をかいていたんだけど、だって、着てるものと言えば、7,000マイル向こうの小糠雨がパラパラ降る気候にちょうどいい服だったからね。それに、それまで地元の人は歩いては通ったことがない様な大通りを歩いて通るものだから、通る自動車にクラクション鳴らされたりしてたわけ。
 ポール・フォックス、「フォックシー」、がプロデューサー。彼は、イエスと何かしたことがあったんだよね。ぼくはちゃんとは知らないけど。でも、それは、彼がぼくたちと仕事をするのにはお誂え向きだったわけ。でも、フォクシーにはぼくたちのが初めてのプロデューサーの仕事で、まだプロデュースの仕方を勉強している最中だってわかったのは、ずっと後になってだったわけ。まあね、このレコード産業と言うゲームでは、度胸が要るんだね。実際にはね、ポールはとってもいい人でね、それに、気に入られようと必死だったわけ。ぼくらと働いている間はそうだったよ、でも、それが彼の性質なのかどうかはぼくにはわからない。 
 アルバムは長いよ。レコーディングはもっと長かったわけ。絶対、やり過ぎだと、ぼくは思う。でも、ポールは、自分の名声のために正しいことをした筈だよ。だって、合衆国でのぼくたちの一番成功したアルバムだったし、いまでも残っているんだからね。だからね、このアルバムへのたくさんの賞讃は、ポールと、エンジニアのエド・タッカーに向けられなければならないわけ。彼らのやり方でしたテープの録り方を讃えなければね。 
 最初の伴奏の録音はオーシャンウェイ・スタジオで録られたわけ。それで、ぼくは、ビーチボーイズの誰かがそこに立っただろう寄せ木張りの床、まさにそこを踏んでるのかと思ってものすごくドキドキしたんだ。でも、ロサンゼルスのあれやこれやに、ぼくがもっと合っていればよかったのにねえ。あの時、ぼくは具合が悪かったんだと思う。グループの宣伝用の写真のほとんどで、残念なことに、ぼくの顔は、苦悩の表情で覆われているからね。 
 それと、他に残念に思っているのは、アルバム全体の選曲のことなの。曲の数では劣ってないよね、最近のデジタル技術の進歩の賜物だけどね、今では、アルバムに20曲も入れたりし勝ちだよね、そうしたいと思って、それだけ曲を持っていればだけど。何を録音するかについては、ポールがほとんど決定してたわけ。ぼくは、それにどれでもかれでも賛成したわけじゃないの。ポールは、レコード会社を満足させるのと同じ様に、アンディを宥めていたから。それで、ぼくの要求は割れ目から漏れて出て行ったしまったと、ぼくは感じていたの。( もしか、ぼくがちゃんと抗議しなかっただけかも。 ) でも、「 The Good Things 」が『オレンジズアンドレモンズ』から取り残されたわけは、ぼくはぜんぜん分からない。だからと言って、『オレンジズアンドレモンズ』を作っている間、ぼくがみじめな時を過ごしてたということじゃないよ。もちろん、笑うこともあったもの。でもね、ぼくたちのアルバム全部のなかで、この『オレンジズアンドレモンズ』が、ぼくにとって、一番残念なアルバムだと思う、たぶんね。カリフォルニアの太陽が、十分な輝きをアルバムにもたらさなかったのが、もったいないなあ、って思うわけ。  





それ行けスマート - Wikipedia
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2015年09月28日

パット・マステロットのオレンジズアンドレモンズ回想 15

ベルナール「そうですね、パートリッジさんは、事細かな指示を書いて残したと、話されてました。」
マステロット「ええ、確かにそうしてました。タンバリンについては、「最も大きな音で」と指示していたのを覚えています。」
ベルナール「どの曲でですか?」
マステロット「全部に於いてだったと思いますよ。すべての曲についてです。原則は、ヴォーカルがあって、タンバリンがあって、それからバンドがある、と言うものだったのです。アンディは、「タムラ[ モータウン ]のレコードを何でもいいから聴いてご覧よ、ヴォーカルがあってタンバリンがあってバンドなのだから、それが順序だよ。」と言っていました。」
ベルナール「他に、『オレンジズアンドレモンズ』セッションでの思い出がありますか?」
マステロット「リハーサルをカセットテープに録音しました。大型ラジカセを持っていたのです。それで録音しました。( カリフォルニアの ) パサデナを自動車で通り抜ける間中、2時間か3時間、車の中でそれを聴いたのです。そして、家に戻って、5時間は聴きました。そしてノートを作ったのです。「これで上手くいく、これでは駄目だ、水曜日に試したのは良い、あれはもうよそう、拙い思い付きだ。」とか言って考えたのです。 
 その様な宿題は、私は、いつもしているのです。どんなことでもです、本当です。一緒に仕事をする予定の人については、それが誰でも、時間があればですけれど、その人がどういうものの上に立っているのかを突き止めようとするのです。ロバート・フリップさんと仕事をした時も、彼のことについて知ろうと努めました。「成る程、彼はグルジェフに入れこんでいる。で、グルジェフとは何者?」と言う感じです。何冊かグルジェフの本を買って、彼の哲学を読みました。「ロバートの最も好きなギター・プレイヤーは? それは、マーヴィンなのか。シャドウズのマーヴィンだ。」と、それで、何枚かのシャドウズのレコードを買って、ロバートがマーヴィンの何処が好きなのかを、そして、何故好きなのかを、考えるのです。 
 ブラッフォードさんと仕事をした時にはですね、彼は、ロック・ドラマーには関心がなくて、彼が学んでいるのは、ジョー・モレロ Joe Morello Joe Morello - Wikipedia, the free encyclopedia 、マックス・ローチ Max Roach Max Roach - Wikipedia, the free encyclopedia 、エルヴィン・ジョーン Elvin Jones Elvin Jones - Wikipedia, the free encyclopedia なのですから、私は、その人たちのレコードを聴いたことが一度もなかったのです、それで、出掛けて行って、レコードを買って、何度も何度も聴いたのです。 
 XTC の場合、彼ら自身と彼らの好みとこのアルバムの曲を知った後では、私がしなければならないことは、ある意味、あまりなかったのです。彼らは素晴らしいソングライターで、卓越した編曲をしていたのですから。この『 Oranges and Lemons 』のことで、誰かが私を褒めてくれた時には、いつも「この様な曲ではね、私がよっぽど馬鹿なことをしない限りは、良いものになるに決まっているよ。」と言う様な答えをするのです。」 

おわり   



誤訳、疑問点をご指摘下さると助かります。
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2015年09月25日

パット・マステロットのオレンジズアンドレモンズ回想 14

ベルナール「それで、終結部では、あの様に伸ばすことを、彼らが貴方にも要求したのですか。」
マステロット「ええ、あれが相応しいと思います。誰がそうする様に、あるいはしない様にと、私に指示したのかは、覚えていません。ですが、私がポールに言った言葉は覚えています。「どうも、僕はへまをしそうなんだ。フェイド・アウトしてくれるよね、きっと。」と言ったのです。ポールは、「ああ、あそこはフェイド・アウトするつもりだ。」と言いました。それで、翌日だったと思いますけれど、録音されたトラックを聴いたのです。それで、「ポール、きっと5分で曲を終わらせてくれ。」と言う様なことを私は言ったのです。正確になんと言ったかは覚えていませんけれど、続けて、「あそこでは、フィル[ オブリガート ]を失敗しているんだ。」と言いました。けれども、ポールは、5分では終わらせませんでした。アルバムの最後の二曲で聴かれるフェイド・アウトはですね、私を縮こませるのです。」
ベルナール「そうですか、私には分かりません。貴方が言われるフィルのことは分かりますけれど。でも、それは、私にはとても良く聴こえますよ。曲は、あそこではとても不安定になります、それで、私は、あれで良いのだと思うのです。」
マステロット「そうかもしれませんね。でも、レコードを聴いた時、恥ずかしくて縮こまったことをよく覚えています。「ああ、なんてことだ! あそこまでにフェイド・アウトしてと言ったのに、ポールはすると言ったのに、」と思ったものです。( 笑う )」
ベルナール「パートリッジさんは、ポール・フォックスさんが心底前向きな雰囲気を創り出していたと話していました。それは、パートリッジさんがプロデューサーに常に求めているものなのですね。パートリッジさんは、プロデューサーに良い助産婦であることを望んでいるのです。」
マステロット「ええ、ポールは凄い奴です。全体、寛大なのです。アンディは、当初、このアルバムのことをこのように言っていました。「全部がクロムメッキされたドラッグスター[ ドラッグ・レース用のレーシングカー:Drag racing - Wikipedia, the free encyclopedia ]が欲しいんだ。何もかもが欲しいんだ。ピカピカのライト、記章、考えつけるものなら何でも。」 アンディが、このように言うものですから、私たちは、大量のオーバーダビングをしましたよ。本当に屢々、エド・タッカーが、後ろに隠れて、「まったく、これをどうやってミックスするんだ? もうトラックの余地はほとんどないんだぞ。なのに、まだ、重ね録りをしなくてはならないのか? 誰がこれをミックスするんだ?」と言っているのを聞いたものです。「ああ、それは君だよ、エド。」と言われてましたね。( 笑い ) 
 ミックスの時になると、アンディは帰らざるを得なくなっていました。それから、デイブも帰国しました。ミキシングが行われた時、バンドのメンバーは誰も居なかったのです。メンバーの誰か一人が私に電話を掛けて来ました。そして、「ミキシングの時は必ずスタジオに居る様に、そして、僕らの為にチェックするんだ。」と言ったのです。それで、私は、一度か二度、ミキシングのスタジオを訪れました。たぶん、最初の日か二日目、それから、一週間程経ってから、だったと思います。ひとつ覚えているのはですね、エドが「何てタンバリンなんだ、連中は何もかもにタンバリンを入れているぞ! タンバリンをどうすればいいのかさっぱり分からない、何処にいれるんだ? パット、右?左?」と言っていたことです。多分、彼は、ステレオ音像で、ハイハットの反対にタンバリンを入れたのだったと思います。音の大きさがどれだけにならなければならないのかは、私には分かりませんでしたけれど、アンディの与えた指示は覚えています…、」
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2015年09月23日

パット・マステロットのオレンジズアンドレモンズ回想 13

ベルナール「( 笑いながら ) ちょっと安心しましたよ。練習しようとしていた曲ですから。難しいんですよ!」
マステロット「ええ。クリムゾンの「 Matte Kudasai 」[ 1981 年『 Disipline 』収録の曲、シングル。Matte Kudasai - Wikipedia, the free encyclopedia ] の様です。あの曲で、ビルが足でやっている様なことです。ジャズだと、ごく普通のことなのですけれどね。でも、私は、ジャズの世界の人間では全然ないのですから。それで、それを使ったのです。後になって、取り替えましたけど。 
[ 上のマステロットさんの部分、私は意味が良く取れなくて、訳は不正確です。 ]
 シェーカーを、私とアンディで、一緒に演奏したのだった、と思います。スタジオで向かい合って録音したのでした。歌ってもいたと思いますよ。そのテイクは使われなかったのだと思います。でも、ご存知の様に、アンディは、パーカッションのパートを口で歌うのですよ。『 Black Sea 』だとか、他のアルバムでもしてますよね。でも、オフ・ビートのシェーカーは、本当に難しいです。 
 それから、この「 Miniature Sun 」には、本当に興味深いところがあるのです。おそらく、貴方も気が付いていないと思いますけれど。歌の中のとても重要な行です。「 the other man leaving merely doffs his hat 」です。アンディは、「ここは歌の物語りの中で最重要な点なのだ。ここで、何もかもが色を失うんだよ。」と言っていました。それで、その時点で、私は、ドラム・パターンをごちゃまぜにし始めるのです。トムも、それまでしていた様な反復進行はしないのです。同じリズムなのですが、順序が違っているのです。それは、何もかもアンディの要求だったのです。 」
ベルナール「それでは、「 Chalkhills 」について話して下さい。そうですねえ、ビル・ブラッフォードさんはジャズを基本にしたパターンが叩けるのだけれど、貴方は出来ないと言われましたけれど、このアルバルを締めくくる二曲は、とてもジャズ的です。でも、貴方は、素晴らしい演奏をしていますよ。「 Cynical Days 」と「 Chalkhills and Children 」は、ジャズ的と言うことで、直接に繋がっている様に思えます。「 Cynical Days 」も、時間が余ったので、貴方が自分が演奏して見るから録音して置いて、と申し出たものだったのですか? 」
マステロット「いいえ。彼らが提案したのです。私は、とても恥ずかしがり屋でしたから。バンドは、他のドラマーのことを話していましたから…、 」
ベルナール「それが、トニー・ウィリアムスなのですね。」
マステロット「ポールは、二週間後には、ウィリアムスさんを連れて来る予定でした。もう、当初から、ポールは、マーク・アイシャム Mark Isham を連れて来ようとしていたのと同じです。アイシャムさんは、ポールの古い友人でした。私は、ちょっと知っていただけです。「僕は、少し遅れて、マークを連れて来るつもりだから、このアルバムでトランペットを吹いて貰うんだ。」とポールは、最初から言っていましたよ。ルイス・コンテ Luis Conte [ 1954年生まれ、キューバのパーカッショニスト。LuisConte.com | Official Website for Percussionist Luis Conte ] のことも口にしていました。パーカッションでは、とても有名な人です。でも、パーカッションは、ビートルズの様に、白人っぽいタンバリン等を録音したくらいで、必要なかったのです。それに、他のパーカッションについては、機械を使いましたからね。 
 「 Chaikhills 」では、一緒にライブで演奏したことは、確実に覚えています。でも、アンディがギターを弾いていたかどうかは、分かりません。もしかしたら、キーボードを弾いていたかも知れないですけれど、ただ、歌っていただけかもしれません。 」
ベルナール「「 Chalkhills 」は、何テイク録りましたか?」
マステロット「あまり多くはなかったと思います。断言は出来ないですけれど、一回で、良い演奏が出来たと思います。もしかしたら、二回か三回録ったかもしれませんね。四回か五回録ったかも。まあ、へとへとに疲れて倒れ込むというのではありませんでしたね。 」
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2015年09月18日

パット・マステロットのオレンジズアンドレモンズ回想 12

ベルナール「それでは、「 Skeleton Steps Out 」のタブラもプログラミングされたものですか?」
マステロット「ええ。ポールのものではなかったか知ら。ポールは、リン 9000 Linn 9000 を持っていましたから。私は、リンのLM1 を持っていたのです。「 Antheap 」では、カウベルをLM1 から取ったのは、覚えています。全員が納得するピッチのカウベル三つを見つけ出すのには、少し手間取りました。それを、ポールのリン 9000 にサンプルとして入れたのです。で、リン9000で操作したのです。それから、私は、ライブで録音したのです。響きの少ないパイステのシンバル、リムショット[ スネアのリムを叩く ]、キック・ドラムですね。 
 「 Antheap 」を終えた時にはですね、夜遅くかあるいはもう翌日になっていたかもしれませんが、「どうだろう、ドラムズ・キットを全部モノーラルにしてみては?」とエドとポールに聞いてみたのです。それで、私たちは、モノーラルにしてみたのです。そして、私は、歌のミドルエイトから最後まででキットを演奏しているのですけれどね。私は、これで本当にいいのか、活き活きしているのか、確信はありませんでした。ただ、終結部に向かって次第に盛り上がって行く方法が欲しかったのです。それで、聴き手がもっとわくわくすれば良いと思ったのです。聴き手の皆さんが、仔細に気を付けて聴かれると、すべての音が交差してモーフィングしているのに気付かれると思います。まるっきりサイケデリックなのです! 全部をひとつのフェーダーで調整しているのです。それで、ステレオ音像の中を左右に横切ってパンするのです。でも、聴き手は、音がそれぞれ分かれていることに気が付かないかもしれませんね。出来るだけうるさくしてしまっているので、目立たなくなっていますから。 
 アルバムの曲順に従えば、前に戻りますけれど、「 One of the Millions 」についてですが、あれは、全員がライブで演奏しています。「 Scarecrow People 」は、どうしたか正確には覚えていません。ただ、ものをいっぱいに詰めた赤いキック・ドラムを打ったのは覚えています。それに、ブラシを使って演奏したこと、テーブルに並べた鉢や鍋を鳴らしたことは覚えています。 
 「 Cynical Days 」は、メンバーで一緒に演奏したのをよく覚えています。あれは、クリック・トラック[ メトロノーム ] は使っていませんから。「 Antheap 」も、一緒に演奏したのだったではないか知ら。「 Hold Me My Daddy 」は、一緒にライブで演奏しました。それで、ヤマハ RX ドラム・マシーンをコーダで使っています。あの、アフリカっぽい音ですよ、あれが RX ドラム・マシーン。それに、あの曲には、私は鈍い音が良いと思ったのです。それで、ドラムにタオルを敷いて叩きました。」
ベルナール「ドラム・マシーンは、どの部分ですか?」
マステロット「ほとんどがドラムズ・キットです。コーダ部分に、ドラム・マシーンが入っているのです。フロア・バス・ドラムの四分音符のパターンです。マフっぽい音です。あの音は、自分では出せない音です。それから、速いハイ・ハットのパターンもです。それから、その上に、何かを重ねて録音したのだったと思います。 
 「 Pink Thing 」は、全部、一緒にライブで録音したものです。「 Miniature Sun 」も、一緒に演奏しました。」
ベルナール「「 Miniature Sun 」について話して下さい。とても難しいパターンですよね。」
マステロット「とても難しいです。」
ベルナール「拍の間 [ 原文: and's ] でハイ・ハットを打っています。それに、シンバルは、四分音符で打っています。それなのに、トムのパターンはそれとは反しているのです。」
マステロット「私は、それが出来ませんでした。あれは、アンディの書いたドラム・パートなのです。二本の足を混ぜて使わなければなりませんよ。リハーサルの時は、出来なかったのです。リハーサルが終わるまでずっと出来ませんでした。それで、キック・ドラムに、アカイに信号を送る隠しマイク( bug )を付けたのです。MX8 と言うものです。MIDIの追加ボードです。ディレイするようにセットしたのです。上手く機能するディレイ時間を見つけられたのです。それで、その時間でセットしました。キック・ドラムを打つと、必ず、MIDI が音を出すのです。自働にそうなるようにしました。それで、ブーン・チャ・ブーン・チャのパターンが出来たのです。まあ、リハーサルでは出来なかったので、MX8 を使って録音したのです。それで、私がしなければならなかったのは、フロア・ドラム[ キック・ドラム ] で正確に四拍子を取ることなのでした。 」
ベルナール「それで、左脚を一緒に使うことは出来ないわけで…、」
マステロット「そうです。出来ませんからね。正直に言いますよ。でも、あのビートは今でも打てますから。」
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2015年09月14日

パット・マステロットのオレンジズアンドレモンズ回想 11

ベルナール「パイステは澄んでますよね。」
マステロット「ずっと澄んでいますよ。それで、結局、アルバムを通して、ごちゃ混ぜのシンバルを使うことになりました。私は、当時、セイビアンの6インチと8インチのスプラッシュ・シンバルを持っていました。」
ベルナール「それについて聞こうとしていた所です。本当に余韻の減衰が早いですね。」
マステロット「ええ。アンディは、大きなクラッシュシンバルよりも小さな噴出する様な音が好きでした。たまには、クラッシュを欲しがりましたけれど、大抵は、小さなスプラッシュ・シンバルを望んでいました。」
ベルナール「句読点の様なものですね。」
マステロット「ええ、その通りです。それで、私は、始終、取り替えていました。ベイシックなドラムズ・キットは同じままですけれど。でも、確か、何個か、ドラムも取り替えました。ポールは、古いグレッチのドラムズ・キットを持っていました。どの曲かで、ポールのグレッチのバス・ドラムとラック・トムを使いました。下面にはヘッド[ 膜 ] が張ってないトムトムでした。私とポールは、たくさんのシンバルを交換して、小さなハイハットを使い始めたのです。二台のハイハットがあったと思います。閉じたままのハイハットで、とても重いものでした。10インチのシンバルで作られたハイハットでした。それから、6インチのシンバルを使い始めました。「 Garden of Earthly Delighs 」で使っています。アンディは、「この、咳をする様な小さな音が良いね。」と言ってました。」
ベルナール「シンバルの音は、ステレオ全体に拡がっていますよね。私には、マルチ・トラックに録音した様に聴こえますけれど。」
マステロット「いいえ。ドラムズ・キットで演奏しています。一度に演奏して録音しています。それで、プログラムされたバス・ドラムに沿って演奏しているのです。それに、他のパーカッション類も私がプログラムして用意したものでした。ダラブッカとかトーキング・ドラムとかですね。」
ベルナール「シンバルは、ライブで録音したのですか?」
マステロット「そうです。バンドも一緒に演奏したのだったと思います。全部のトラックをライブで録音したのではなかったか知ら。機械で作った音は、基本的にはずっと繰り返されるループにしています。それから、録音し終えた後、テープを聴き直して、ポールに「ここのキック・ドラムをダブルにしないか?」とか言ったことがある様にも思います。」
ベルナール「そう言う場合は、既に録音してあるキック・ドラムに沿って、キック・ドラムを打つのですか? 右足はどうなっているのですか?」
マステロット「床で叩くのですよ。ほとんどそうですね。その方が上手く出来るのです。床で足を使って四分音符を叩くのです。手で叩くよりも私には簡単なのです。他の方法ではしないときっぱりと言いましょう。」
ベルナール「成る程、分かりました。貴方の右足は、メトロノームの様なのですね。」
マステロット「ええ。「 Pink Thing 」では、ドラムズ・キット全部を使って、ライブで録音しました。それは確実です。クリック{ メトロノーム } も、たぶん、使ったものがあると思います。でも、「 The Loving 」「 One of the Millions 」「 Cynical Days 」では、使ってないのです。メンバーは、軽快な感じを望んでいましたから。 
 凡そ、四つのパターンがあるのではないでしょうか。一つ目「 Garden 」は、機械的に作られたものです。それに、ドラムズ・キットでの演奏をオーバーダビングしました。二つ目「 Mayor 」は、バラバラに録られたものです。「 King for a Day 」も、私のパートは、バラバラに録られたものです。三つ目「 President Kill 」は、前の部分を作り上げて、その後で、残りをドラムズ・キットで演奏しました。そして、タンバリンを即興で録りました。タンバリンは、あの曲での重要なパートです。四つ目「 The Loving 」は、ライブで録音したものです。でも、「 Skeleton Steps Out 」については、思い出せません。たぶん、かなり機械的なものだったと思います。キック・ドラムは、機械の演奏だと思います。」
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2015年09月09日

パット・マステロットのオレンジズアンドレモンズ回想 10

ベルナール「パートリッジさんが貴方がしていたことについて言ったこと、それに、パートリッジさんとムールディングさんの両方が言っていたことはですね、貴方は本当に素晴らしい職業倫理観を持っている、と言うことでした。」
マステロット「私が一番最初にスタジオに入って、一番最後にスタジオから出るのです。」
ベルナール「ご自身のバンドの時にも、同じ様にされるのですか?」
マステロット「ええ。大抵のドラマーはそうだと思いますよ。まあ、ヘロインとかそんなものをしてない限りはですけれどね。( 笑う )  
 初めて彼らにあった時ですけれど、その最初の二三日でのことでしたけど、気を張らないでいられると感じていましたから、一番好きなレコードは何ですか、と聞いてみたのです。そうすれば、彼らの思考に少しでも近づけるだろうと思ったのです。覚えているのは、コリンがスライ・アンド・ロビーだと言ったことです。それで、私はスタジオから出て行って、あらゆるスライ・アンド・ロビーのレコードを買って来ました。そして、一晩で、その全部を聴いたのです。アンディは、ブルー・ナイル The Blue Nile だと言いました。彼らのアルバム『 A Walk Across the Rooftops 』です[ ブルー・ナイルのデビュー・アルバム: A Walk Across the Rooftops - Wikipedia, the free encyclopedia ]。私は聴いたことがありませんでした。それで、飛び出して行って、買ったのです。それから、ジャパンの『 Adolescent Sex 』。それから、デヴィッド・シルビアンの…、」
ベルナール「そう、結局は、貴方はシルビアンさんと共演するわけですよね。」
マステロット「その通りです。[ 1994年『 Damage: Live 』 ] そのジャパンのアルバムを聴くと、『 Go2 』と『 White Music 』は、その意味する所がもっと良く私には分かったのです。「成る程、彼らは、ジャパンと競合していたんだ。」と思ったのです。ギターの尖ったリフとかそう言うことですね。」
ベルナール「デイブ・グレゴリーさんは、何かアイデアになる様なレコードを教えてくれましたか?」
マステロット「いいえ。でも、デイブは三人の中で、最も高い音楽教育を受けていた人物だと言うことは、明白でしたね。それに、オーディオ・マニアで、レコード・コレクターで、違いの分かる人だったのです。それからですね、デイブは、すべてのことを書き止める役を担ってました。覚えていますよ。スマ・スタジオに入った、最初の夜のことでした。彼らは、「 Merely Man 」を録り終えたのですけれど。デイブは、ちょうど、ワーワー・ギターのソロをしている所でした。見えたのはですね、ワーワー・ギターを弾く為に、床に6ページもの楽譜を置いていたことなのです。その曲の為に、何週間もリハーサルをしていたのですよ。私等よりもずっと良くその曲について知っているのにです。楽譜をきれいに並べているのです。それに、デイブは、全員のそれぞれのパートも譜面にしていたのです。自分のパートだけではなくてです。各パートの関連がどう働くかを見極めて、ハーモニーをきれいに並べていたのです。」
ベルナール「成る程、グレゴリーさんとパートリッジさんが、あれ程に長い間、良いチームでいられた理由の一つだと、私は思います。」
マステロット「ええ、アンディは、風で動くだけです。」
ベルナール「その通りです。パートリッジさんはただ演奏をして、何か間違えて、その間違いを喜んで受け容れると言う人なのです。その間違いを自分の創造性の源だと考えているのです。ですけれど、グレゴリーさんは、そこにバランスをもたらすのです。バランスの背後には、正式な音楽教育、整った理論、そういった何もかもがあるのです。」
マステロット「思い出します。リハーサルの時ですけれど、アンディは、遅過ぎるか早過ぎる位置で、音を入れて来るのです。それが好きなのです。イギリス訛りで、「これがファンクだ。僕たちはファンクを会得したんだ。」と言っていました。二つのパートがユニゾンにならないのです。二本のギターのパートの間に、「g - gah 」と言う間があるのです。「 Wake Up 」でしていたようなことですね。 
 多くの方が尋ねるのは、他に、「 Poor Skeleton Steps Out 」があります。あれは、部分部分、個々に録音したものだったと思います。変わったシンバルの音がありますけれど、あれは、本当に、壊れたシンバルの破片を叩いているのです。そのことがシンバルすべての核心に問題を当てることになるのです。 
 最初の日に、録音を始める前に、ドラムズの音を決めたのですけれど。アンディは、「他のシンバルはある?」と聞き続けるのです。私は、別のシンバルを出して聞かせます。すると、また、「他のはない? この音じゃないんだ。」と言うのです。また別のシンバルを取り上げました、その時、思い付いたのです。アンディは、テリーと一緒だった。テリーはパイステ社のシンバルを使っていた。それから、アンディは、プレイリー・プリンスと一緒だった。プレイリーもパイステを使っていた。私は、セイビアン社の推奨者だったのです。セイビアンのものとジルジャンはたくさん持っていましたけれど、パイステはほんの少ししか持っていませんでした。それで、パイステの Rude 2002 をセットして鳴らしてみせました。アンディは、「ああ、これこれ。」と言ったのです。 
 私は、直ぐに、パイステ社に電話をしました。アーティスト代表のリッチ・マンジカロ (?) Rich Mangicaro を [ Rich Mangicaro : Home Page ] 紹介されました。「パットと言います。」、「ああ、私は貴方を知っていますよ。」と彼。「 XTC と仕事をするのですけれど。」、「ああ、私は彼らが大好きですよ。」と彼。「助けて欲しいんです、シンバルが一箱要るのです。今夜なのです。」、「直ぐに行きましょう。」と彼。そうして、一箱のシンバルが運び込まれて、私は、このアルバム全体で、そのシンバルを使ったのです。そして、録音が終わると、マンジカロさんに返却したのです。 
 それでなのですが、『オレンジズアンドレモンズ』セッションが終わって、二週間程経って、何だったか忘れましたが、他のレコードのセッションがあったのです。そこで、「なんだか、織物を被せた様に聴こえる」と思ったのです。それで、リッチに電話をしました。「私も推奨者になれますか?」と言って、それから、セイビアン社に電話をしなければなりませんでした。「申し訳ない、お宅の推奨者を止めます。セイビアンのシンバルがとても好きなのですけれど…、」」
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2015年09月04日

パット・マステロットのオレンジズアンドレモンズ回想 9

ベルナール「けれど、歌の伴奏は、常に、バンドのメンバーと一緒に演奏したのではないのですか?」
マステロット「そうですね、何曲かでは、バンド全員が一緒に演奏しました。例えば、「 One of the Millions 」「 The loving 」です。もう何曲かも、スタジオの一室でライブで演奏しましたけれど。けれど大抵は、別個に録ったのです。「 President Kill 」の場合、バンドはどうするかの指示を用意していました。軍隊行進調の部分を録音した時には、彼らは一緒にいました。それで、スネアの音色やピッチやその他の何でもを、こうでなくてはと言う所まで、調整し始めたのだったと思います。それでどれくらい経ったのだったか、調整を全部終えて、「よし、これで録音しておいてくれ、二回録っておいて欲しいんだ。明日来て、聴くから。」と言って、彼らは帰って行ったのです。それで、「とても良い感じだ。これが決定テイクになりそうだ。これを録音しよう、」と考えて、録音を始めたのを覚えていますよ。 
 一つだけ問題がありました。どこかで、大きな濁った音が出ていたのです。正確にそれが何処でだったか覚えてはいませんけれど。兎も角、私は、本当にまずい演奏をしてしまったところがあったのです。「そこに戻って、その小節をやり直すから」とか何とか言ったのです。でも、録音を失敗したのです。クラーク・ジャーマン Clark German がエンジニア助手でした。彼は、優れた人です。元は管楽器の奏者でした。録音はとても上手いのです。素早く操作をします。でも、その時は失敗したのです。穴が大きく開いてしまいました。最初にやり直した時、それは一小節だけでした。失敗したので、二小節になったのです。それから、また増えて、四小節を録り直さなければならなくなりました。そうして、どんどん拡がって行ったのです。「もう、どうなってるんだ!」( 笑う ) シンバルが鳴り続けてしまっていたのです。それを直さなければならなかったのです。あの当時は、音をぴったりと合わさなければならなかったのですよ。「ああ、全部をやり直さないといけない、上手くいったものも全部消してしまわないと、、、」と思いましたよ。結局は、全部を遣り通しました。どこに欠点があったのか、もうわかりません。ただ、翌日、「びくびく」していたのは覚えています。テープを掛けてメンバーに聴かせたのです。彼らがそれを気に入るのだろうか、欠点に気がつくだろうか、と不安だったのです。」
ベルナール「気がつきましたか?」
マステロット「いいえ。すべて合格しました。しっかりと精査されましたよ。 
 アンディは貴方に the Colonel のことを話しましたか? それを話しましょうか?」
ベルナール「( 笑いながら ) The Colonel Cunt hat のことですか?」
マステロット「そうです。( 笑い続ける )」
ベルナール「被ったのですか?」
マステロット「いいえ。」
ベルナール「それはよかった。」
マステロット「そうですね、ごく早い時期でした。多分、レコーディングを初めて、二日か三日だったと思います。どのテイクを取るか決めようとしていた時です。誰もがアンディの見解を待っていたのです。でも、エドとポールは先に進もうとしていました。それで、「これは良い感じだ。これが良いと思うけど。」と言ったのです。でも、アンディは、「ううん、確信がないなあ、」とか何とか言うのです。そして、暫くして、「ちょっと時間を呉れ、」と言って、スタジオを出て行きます。私たちは、水か何かを一杯飲むだけで、すぐに帰って来ると思っていたのです。ところが、アンディは、一時間かそこら戻って来ないのです。私たちは、スタジオに座ったままです。「ちぇっ、先に進むか? ああ、俺たちは先に進めやしないよ、アンディはお仕舞いにしてないからねえ、」とか言っていました。 
 それで、通りの向かい側に、変な店があったのです。如何わしいポルノ商品を売っているのです。それで、アンディは、女性のあの部分に使うもので、私の言う意味がお分かりですか?、The Colonel Cunt hat を作っていたのですが、彼自身は、ヒトラーの口髭を付けているのです。それに、飾り紐を作って、ここに差していたのです( 肩を指差す )。乗馬鞭も持っていました。そうやって、アンディは、スタジオに戻って来たのです。そうして、何ともはやですが、こう叫んだのです。( ナチの声を真似て )「さあ、大佐のお出座しだ! 大佐は、「ボレ」を取るか「ウ」決めになるぞ!」 ( 笑う ) 
 それから、その頃だと思うのですが、アンディは、回転する円板のような物も作っていました。円板にはラベルが張ってあるのです。「最高:これまで録られた中で最高、ビートルズより良い」「中々良い。」「良くない」「まあ良いだろう」「まるで駄目」「ぱっとしない」「とんでもない」「救い難い」「これまで聴いて来た限りの中で最悪の代物」と言うラベルです。 
 時々それを回すわけです。円板はメモリが「これまで聴いて来た限りの中で最悪の代物」を指す近くで遅くなるのです。でも、「最高:これまで録られた中で最高、ビートルズより良い」で止まります。まあ、だいたいそんなところです。すると、「やったあ! このテイクを採用しよう!」となるのです。( 笑う ) 真面目にですよ、このアルバム『 Oranges and Lemons 』の中の何ヶ所かで、その円板が採用するテイクを決めたところがあるのです。 
 「 Mayor 」の時はですね、覚えていますよ、私がオーバー・ダビングをしている間、コリンは別の部屋にいたのです。私が一つをし終えると、入って来て、彼のベースのパートをやり替えました。エンディング部分の全体をコリンは書き換えたのです。コーダ部分は、あの風変わりなサイクルのベースではないのです。リハーサルでは、コリンは、そのコーダをしたことをありませんでした。それに、トラムを録音する時もしませんでした。私がドラムを録音している一時間か二時間の間、小さなヴォーカル・ブースの中で所在なげにしていたのです。そうして、彼が演奏し始めると、「うわあ! まるっきり別の新しいものにしてしまったぞ、それがまた、素晴らしいんだ!!」と言う感じだったのです。 
 それに、貴方はお分かりでしょうけれど、私は、 XTC のレコードに精通していました。それだから、私たちは、リハーサルで XTC ナンバーをジャムすることも出来たのです。私が「 Nigel 」のビートを叩き始めると、彼らは驚いていましたけど。でも、一緒に演奏を始めたのです。勿論、他の曲もしましたよ。「 Meccanik Dancing 」とか「 It's Neary Africa 」とか、何曲も。私がドラムを叩いて見せて、彼らは私のドラムを認めてくれて、一緒に演奏を始めたわけです。まあ、幾つかのコードは、思い出せなかったみたいですけどね。( 笑う ) 兎に角、私と XTC は、あの時、一つの船に載っていたのです。」
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2015年08月28日

パット・マステロットのオレンジズアンドレモンズ回想 8

ベルナール「へええ!」
マステロット「そう、ポールはヴィニーと知り合いだったのです。XTC は、「 Miniature Sun 」を彼に演奏して貰おうと考えていたのですよ。でも、私たちは、録音するのに、予定よりも早く済んでしまっていたのです。それで、余った日があったのです。そうですね、「パットが十日掛かると思ってた曲を全部録音してしまったなあ、四日も余ったよ。じゃあ、何か別の曲も演ってしまおうか。」と言う感じでした。 
 まあ、「 Garden of Earthly Delight 」は、バンドで一緒にライブ録音しました。以前から、あの曲にコーダを付けるアイデアを、私は抱いていたのです。それで、彼らにどうだろうかと持ち掛けてみたのです。結局、とても良いテイクが録れましたよ。私は、ヤマハ QX のテンポのダイアルをスローにしました、そして、また、「 go 」のスイッチを押したのです。コーダでは、テンポをゆっくりにして終えたのです。アンディ、コリン、デイブは、私に合わせてジャムを始めました。私たちは、素晴らしい幸運に恵まれたのだと思います。 
 リハーサルの時には、このようにすることを考えていたのです。同じことを、Mr. ミスターの曲「 Welcome to the Real World 」( 1985年 ) でも、私はしているのです。同じ様なコーダなのです。でも、違いもありますよ。私たちのバンド Mr. ミスターの時には、何千回も録り直したのです。XTC の場合は、本当に直ぐに録り終えてしまいました。 
 「 Mayor of Simpleton 」では、バス・ドラムを最初に録音しました。ドラムの録音の時には、私一人でしたのです。周りには誰も居ない様にしました。メンバーは全員が、コントロール・ルームに居たのです。それから、スネア・ドラムを録りました。それから、ハイ・ハットを録りました。そうしてから、シンバルを鳴らして録って、その後で、カウベルとか、その他のものを録ったのです。それが、だいたい決まった順序でした。 
 お思い出ですけれど、レコーディングの最中、何時だったかは覚えてないのですけれど、メンバーは夕食を摂りに出て行こうとした時なのですが、スタジオに管理人さんの様な身なりの人がいたのです。あの変わった帽子を被っていました。メンバーは「これはとてもいいね、ヴァーン Vern は好きだって、」とか言っていたのです。それで、私は、誰がヴァーンのことを気に掛ける、そもそもヴァーンって誰だ、あの人、変な帽子を被って、庭師か何かじゃないのかな、と思っていたのです。それで、メンバーが夕食に行くけどと誘ってくれたのですけれど、私は、「僕は残るよ、次に予定している曲の準備をするから。」と言ってしまったのです。翌日になって、あの人がデヴィッド・バーン David Bryne だったと分かったのです。( 笑う ) チャンスを逃してしまいましたよ。結局会えませんでした。バーンさんは、私が一時間かそこらオーバーダビングをしている間、そこに居たのにです。」
ベルナール「( 笑いながら ) もちろん、XTC と Talking Heads は一緒にツアーをしてますから、よく知っているのですよね。」
マステロット「それは知りませんでした!」
ベルナール「駆け出しの頃、XTC は、Talking Heads の前座をしていたのですよ。それで、貴方は、楽器や機器の調性をして、それから… 」
マステロット「ええ。オーシャン・ウェイの大きなスタジオの一つでした。ドラムズを置いて、それから、瓶や鍋を載せたテーブルを置いて、自分の赤いバス・ドラムを置きました。「 President Kill 」では、マーチング用の大太鼓とスネアを使いました。( 口でパターンを真似る ) [ イントロと最初のヴァース部分 ] それから後は、本物のドラム・キットです。 
 「 President Kill 」のドラム・キット部分を私は加えたのは、アンディ、コリン、デイブがいない時でした。宿に帰って食事をしていたのです。と言うのは、デイブは糖尿病なので、彼の食事の時刻を乱すことは出来ないし、アンディとコリンは家族が一緒だから、と言うことを顧慮していたのです。それで、製作のパターンは、彼らが枠組みをテープに入れて置いて、私はスタジオに残って、遅くまで、ポールとエドと一緒に、ドラム部分を完成させる、と言うことになってしまっていました。もし、ドラムの音の調整が速く済むと、そのまま録音したのです。そうして、翌朝、彼らは遣って来て、私が終えたところから始めるのです。大抵は、再録音しました。「ここを変えて、あそこも変えて、それで、もう一度録音しよう。」と言うわけです。そうでなければ、微調整をするのです。」
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2015年08月23日

オレンジとレモンと

 オレンジとレモンが描かれた静物画: 

Jacob van Hulsdonck ヤコブ・ヴァン・ハルスドンク(?) 1582年アントワープ生まれ、1647没、ベルギー( フランドル ) の画家の『オレンジとレモンとザクロ Still Life with Lemons, Oranges and a Pomegranate 』
1620年から40年頃の作品。アメリカのカリフォルニアのJ. Paul Getty Museum 所蔵: 
Still Life with Lemons, Oranges and a Pomegranate (Getty Museum) 

Francisco de Zurbarán フランシスコ・デ・スルバラン 1598年生まれ1644年没、スペインの画家。 
『レモンとオレンジとバラ』 Still Life with Lemons, Oranges and a Rose 
1633年の作品。
Still Life with Lemons, Oranges and a Rose - Wikipedia, the free encyclopedia 
アメリカのカリフォルニアのノートン・シモン美術館 Norton Simon Museum 所蔵: 
Still Life with Lemons, Oranges and a Rose - Browse by Title - Norton Simon Museum 

『オレンジズアンドレモンズ』のアートワーク、スルバランの『レモンとオレンジとバラ』でも良かったのではないか知ら。
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2015年08月21日

パット・マステロットのオレンジズアンドレモンズ回想 7

ベルナール「貴方が実際に楽器類や物を鳴らしたものとサンプル音とをどのように混合したのですか? 当時は、サンプル音は、まだ使われ始めた頃ですよね、サンプル音の装置は、今はずっと発達しているのですけれど。それで、当時、貴方が使ったサンプリングやそれに類したものは、キーを押せば鳴るようなものだったのですか、それとも、プログラミングをするようなものだったのですか?」
マステロット「両方ですよ。スネアに隠しマイクを付けていました、サンプル音が必要な時は、それがキーになっていたのです。私は、小さな台にドラムズをセットしていました。そうですね、1フィートの高さの台だったと思います、本来のドラムのための土間ではなくてですね。その時には、グレー色のヤマハのドラム・キットを持っていました。8インチ、10インチ、12インチ、14インチ、16インチのトム・ドラム。22インチのフット・ドラムだったと思います。私は、しょっちゅう、スネアを交換していました。その時、ヤマハから手に入れたばかりのものもありました、正確には、リック・マロッタ Rick Marotta [ アメリカのドラマー、 ]から交換してもらったのですが。ヤマハの最初のピッコロ・スネアでした。それは、「 Pink Thing 」で使ってます。四曲で使ったと思うのですが。金属製で、3インチのピッコロ・スネアです。 
  それから、背後に電子音の機器を置いたのです。カシオのFZ1 でした[ Casio FZ-1 - Wikipedia, the free encyclopedia ]。棚に冷却装置と並べて置いていました。シーケンサーは、ヤマハ QX-1 [ Yamaha QX-1 sequencer - Specifications, pictures, prices, links, reviews and ratings ] を使っていました。それで、フロッピー・ディスクにサンプリング音を入れていたのです。どの曲も、このシーケンサーで順序を決めていました。ただ、「 Garden of Earthly Delights 」では、目眩のするような音、例えば、タブラダッカ[ Goblet drum - Wikipedia, the free encyclopedia ] やトーキング・ドラムの様な音は、カシオ FZ-1 で作りました。アンディがデモで作っていた音に似せたのです。それで、シーケンサーはスイッチを切って演奏しました。そうした後で、ドラム・キット全部を使って重ね録りを一度だけしました。 
 そのサンプリングの音、それぞれに固有の名前を付けていたのだったと思います。例えば、「 Fred 」とか「 Irma 」とかです。アンディは、どれがどれだか正確に分かっていました。私はと言えば、「僕には違いが分からないよ、どれも良い音に思えるんだけど。」と言う始末だったのです。でも、直ぐに、レコーディングに参加した私たちの内の半分の人間は、聴き分けられないことが分かりました。アンディだけだったのです。アンディだけが、そのニュアンスの違いを聴き分けていたのです。彼は、自分が望む音を正確に把握していたのです。 」
ベルナール「それは興味深いですね、パートリッジさんは、自分の欲しい音を細部まで決めていたわけですね。」
マステロット「ええ。細かな所まで、聴き分けるのです。どうやるのか分からないですけれど。 
 「 Chalkhills and Children 」では、あのディン・ディン・ディンのシンバルのパターンを作るのに、ヤマハの RX ドラム・マシーンを使いました。重ね録りしました。後から、ジングルベルもオーバーダビングしました。 
 「 Chalkhills and Children 」は、元々、私が演奏する予定ではありませんでした。最初に、ポールが私に電話を掛けて来た時には、こう言っていましたから。「アルバムのほとんどの曲は、君が演るんだけど、何曲かは、他の人が演奏することになっているんだ。彼らは、トニー・ウィリアムスに演って貰いたがっているんだ。特に「 Chalkhills 」ではどうしても彼にして欲しいんだそうだ。それに、ヴィニー・カリウタ Vinnie Colaiuta も使いたいんだそうなんだ。」 」
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2015年08月19日

パット・マステロットのオレンジズアンドレモンズ回想 6

ベルナール「「 Mayor 」もそうでしたか?」
マステロット「ええ、「 Mayor 」も同じようにしました。機械的テンポです。元々は、キーボードで作られた反復するベース・ラインがありました。どのようにしたかと言えば、まずキック・ドラムを録って、それから、バス・ドラムを録ったのです。それから、他のメンバーがおおよその感じを録音しるのです、ギターやヴォーカルをさっと通して録音するのですね、そうやって、基本的なアレンジをテープに録っておいたのです。それから、私は、一人別の部屋でに行って、暫くの間、スネアと音響に取り組んだのです。 
 歌に合わせてドラムを調律している間、アンディは、いつも、ずっと側にいました。覚えていますよ、調律の最初から最後までいたのです。私の右にグランド・ピアノが置いてあったのですけれど、そこに、アンディとポールが座っていたのです。ドラムにマイクのセッテイングをするのには、ポール・ミッチェル Paul Mitchell [ サウンド・エンジニア ]が手伝ってくれました、そうですね、エンジニアのエド・タッカーはコントロール・ルームにいました。たぶん、コリンとデイブもコントロール・ルームにいたと思いますよ。それで、全員が、ピッチが正しいとかどうとか議論をしていたのです。( 笑う ) 大抵はこんな風でした。「僕には分からないな、これでいいように聴こえるけど、、」「いや、それでは半音低い、」「いや、それでは半音高い、」と言う感じです。行ったり戻ったりでした。 
 その調律をしている最中でした、どの時点だったかは忘れましたが、アンディが「そうだ、そのスネアを締めて音程が変わる時の音が好きなんだよね。どうにかして、それを楽音に出来ないか?」と言ったのです。それで、私は、アカイのサンプラーを使うことを思い付いたのです。アカイには、ワープ Warp と言う機能がありました。[ Akai S900 に装備されていた。 ] それだったら、音を歪められるのです。それで、アカイを出して見ると、私がそれを買って直ぐに作っていたサンプル音を見つけました。それは、アカイを買った時に持っていたマイク、シュア Shure 社の SM57 を使って、自宅で両足の間にスネアドラムを挟んで打って録ったものでした。波形は人工的なもので、アタック音はありませんでした。ずっと鳴っているのです。それで、アカイに入っている主要なサンプル音は使わなかったのです。アンディは、それを大変に気に入ったので、アルバム全体にそれを多用したのです。そうですね、スネアのピッチを合わせるのには、とても苦労しました。それから、このサンプル音のピッチを合わせたのです。そうして、その二つをしっかりと繋げました。たくさんの曲に使っていますよ。「 Mayor 」と「 King for a Day 」で使っているのは、私は確かだと思いますよ。」
ベルナール「成る程。それでは、スネアをどうやって、あの様に大きく良く響かせることができたのですか? 例えばですね、「 President Kill 」です、ヴァース部分でのスネアはまるでドライです、でも、コーラス部分とブリッジでは、とても良く鳴っているのです。」
マステロット「ええ、その通りですね。それも、アンディの考えたことです。レコードを製作している際、彼はとても明解で詳細な考えを持っていたのです。「僕は、60年代の「クランギー clangy 」な開放的なドラムの音が欲しいんだ。」と言っていました。ある場合を除いてです、それが、私が覚えているのは、「 Scarecrow People 」でのことでした。アンディは、バス・ドラムに鈍い打音を望んだのです。私は、古いロジャーズ Rogers 社の20インチのバス・ドラムを持っていました。それで、「 Sarecrow People 」では、他の一式のドラムと一緒にそのロジャーズのドラムを組んだのです。私は、スネアはブラシで鳴らし、バス・ドラムには古いロジャーズ20インチを使ったのです。そうして、そのバスの音を左右にパンしました。 
 それから、やはり、「 Scarecrow People 」でですが、「ミネソタの砂嵐の様に聴こえなければならないんだ。」とアンディは言ったのです。違うかもしれませんが、何かそんなことを言っていました。( くすくす笑う ) それで、私は、「それはつまり、カンザスかオクラホマと言うことではないの?」と答えたのです。すると、アンディは笑って、「ああ、そうそう。荷馬車が草原を通り抜けて行く時の周りで鳴っているような音だよ。」と言うのです。昼食の時にですね、私は急いで自宅に戻って、台所にある薬缶や鍋を全部持って来ましたよ。それらを箱に放り込んで、スタジオに持って来たのです。それを、大きな机に並べました。リハーサルの時に、したのだったか知ら。」
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2015年08月17日

パット・マステロットのオレンジズアンドレモンズ回想 5

ベルナール「録音方法について、話してくれますか。少し前、私は、幾つかの曲については、それぞれのドラムのパートを別々に録音した、と読んだのです。そのようにしたのは、音の分離をより良くするためなのですね。それに、貴方が、楽に演奏出来るからだったのですね。」
マステロット「ええ。その通りです。『 Oranges and Lemons 』では、違った遣り方が、たぶん、三種か四種あったとおもいます。四曲については、ドラム・マシーンで作りました。それに、多分四曲ですけれど、スタジオでのライブ録音です。「 The Lovong 」については、メトロノームさえ使ってないと思いますよ、そのまま演奏したのです。「 One of the Millions 」も、そのままライブで録ったものです。タンバリンは、照明用のテープで、ハイハットにくっ付けていたのです。ですから、スタジオのライブで録った元々のテイクに入っている筈です。」
ベルナール「本当ですか! とても素晴らしいパターンです、それに、難しいでしょう。」
マステロット「そうですねえ、即興に近い感じでしたよ。私たちの最後のセッションの内の一つだったと思います。一回か二回しかテイクを録らなかったと思います。「 Cynical Days 」はスタジオ・ライブで録音しました。でも、時間がかかったと思います。それに、クリック・トラック [ メトロノーム ] なしのライブ録音だったですよ。タンバリンには、かなり掛けました。あれは、私とデイブとパルテノン・ハックスレイ Parthenon Huxley [ 1956年生まれ、アメリカのミュージシャン。 ] です。ユニゾンで演奏したのですよ。そうすれば、より広がりのある音、跳ね散る水のような音にしたかったのです。 
 マイク・チャップマンと仕事をした時には、彼は、何でも、ダブル・トラックかトリプル・トラック、マルチ・トラックにしたがっていました。ドラムズ・キットは、一体として録音するのです。ですから、スネアがどれもフラム奏法になっているのです。それとは対照的に、ポール・デヴィリアズ Paul DeVilliers [ 音響エンジニア ]は、『 Welcome to the Real World 』[ Mr. Mister の1986年のアルバム ]の時に、ドラムズを、各パートに分けて録音したのです。デヴィリアズは、その時までに、イエスの「 Owner of a Lonely Heart 」の仕事をしていました。それで、ミスター・ミスターの仕事を始める時に、こういう遣り取りがあったのです。デヴィリアズ「何を叩いてもいいけど、スネアは叩かないで欲しいんだ。」、私「どういうこと、」、デヴィリアズ「スネアを中スタジオに持って行って、そこで、君がスネアだけを叩けば、もっと言い音が録れるんだ。」、それで、どうするかと言えば、「さあ、今は、シンバルを録る予定なんだ。圧縮を最大限にするからね。」、それで、ハイハットは使わずにですね…、」
ベルナール「ブリードも使わず、」
マステロット「その通り。スネアをドラムズ・キットの他のドラムから離すのです。反響してしまうトムとかシンバルとかですね。それで、マイクが直接に反応するようにするのです。そうでなくて、時には、ヴォーカル・ブースの中で、ハイハットを叩いたりもしました。すると、これでもかと言うくらい、スーパー・ドライな音になるのです。一方で、スネアは、「余裕」のある音になるのです。それで、私は、あらゆる方法に精通していたのです。それに、ポールは、私をとても信頼していました。「どうすれば、最善のものが出来るか言ってくれ。君ならこれをどうする、あれはどうする?」と言っていましたよ。」
ベルナール「面白いですね。映画製作と舞台演出の違いのようですね。映画は、小さな部分部分で撮影されて、それも、順番通りではないのですからね。最後に、組み立てるのですよね。」
マステロット「ええ、そうです。「 KIng for a Day 」の場合は、部分部分にして…、」
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2015年08月10日

パット・マステロットのオレンジズアンドレモンズ回想 4

ベルナール「ビーチ・ボーイズがレコーディングにそこを使っていましたよね?」
マステロット「ええ。大量の有名曲がそこで録音されたのです。私たちが、そこで最初にレコーディングしたのは、「 Merely a Man 」だったと思います。あれは、アンディがレコードに入れようとは思ってもいない曲だったと覚えています。でも、ポールと私は、断然好きだったのです。 
 コリンのことでは、興味深いことがありました。コリンの一番のお気に入りの曲は、「 Cynical Days 」だったのです。それで、ポールは、「 King for a Day 」を録音するにあたって、コリンに無理強いをしなければならなかったのだと思いますよ。彼は、「このアルバムの曲からラジオ向きの曲を作るとしたら、まさに、これがそうなんだ」と言っていました。ですから、一種の取り引きがあったのです。コリンは、「わかった、「 King for a Day 」を君のためにやろう。でもそれは、君が僕のために「 Cynicl Days 」をやったらだよ。」と言いました。そんなわけで、私たちは、「 Cynical Days 」のリハーサルに相当の時間を費やしたのです。 
 同様のことは、アンディにもありました。アンディにとっては、「 Scarecrow People 」が要だったのです。それが、彼にとっては本当に重要な曲だったことを、私はよく覚えています。」
ベルナール「興味深いです。その歌についても、パートリッジさんと話しをしたのですけれど、それで、彼が「 Scarecrow People 」を好きなことは分かっているのですが、でも、私は、彼にとって要の歌は、「 Mayor 」だと思って来ました。」
マステロット「「 Mayor 」は、確かに、重要な曲でした。アンディが「 Scarecrow 」の為に奮闘しなければならなかったのは、ポールが作ったリストでは、アルバムから外されかねなかったからだと思いますよ。だから、アンディは頑張ったのです。その反対は、「 Merely a Man 」ですね。アンディが気に入ってなかった曲の一つでした。それで、最初に「 Merely a Man 」をやったのです。 
 ライブで録音しました。丸一日掛けて録音したのです。オーシャン・ウェイ・スタジオには、二週間半居ましたけ。それから、スマ・スタジオに移りました。そこで、オーヴァー・ダビングをしたのです。私が、スマ・スタジオに行ったのは、彼らが重ね録りを済ませた後、二週間経った後だったのですが、「 Merely a Man 」は変わっていました。その曲は、捨てられはしなかったのです。彼らは、私のドラムで二三のループを作っていました。私が生で演奏したものではありません。いろんな部分を切り合わせて一つにしたものでした。それから、私は、それに、オーヴァー・ダビングをしたのです。いくつかの、ハイ・ハットとカウベルとその他ものです。ステレオの反対側に、また別のハイ・ハットを入れたことを覚えています。音をもっといっぱいに満たすためにそうしたのです。 
 早くに録音したのは、他に、「 The Loving 」があります。ドラム・マシーンのキック・ドラムに合わせて、録音したのです。私は、ドラム・キットの上のドラムを叩いたのです。感じは少し速いですよね。マドンナの感じですね。所謂ロック・ビートで、とても規則的です。思い出話しですけれど、一週間ほど経ってからだったと思いますけれど、ある夜、スタジオで私たちは夕食を摂っていたのですけれど、一群の人々が訪れて来ました。クリス・スクワイア、トニー・ケイ、それに、ロシア女性とチリのギターリストのデュオです。そのチリのギタリストは、数年前、クリス・コーネル Chris Cornell と一緒に仕事をしていました。デュオは、イレブン Eleven 」と言ったと思います。スタジオにたくさんの人がいたのです。 
 その夜だったと思うのです。アンディが、「 the Loving 」をもう一度やろう、と言ったのです。それで、私たちは、もう何テイクか録音したのです。最初のものとは反対に、全くのライブ録音でした。私は、自分の演奏に恥じ入っていました。あまり良くないと思っていたのです。でも、アンディは、「これがいい、僕はこれがとても気に入った。」と言うのです。彼は、私に「君は、ミック・エイヴォリー Mick Avory の様だよ。」と言いました。キンクスのドラマーのアンヴォリーですよね。それで、「わかった、貴方がこれを気に入ったのなら、私たちは良かったのですね。貴方の望むように、私はしますから。」と言うことですね。私は、もう一度録り直したかったのです。でも、アンディは、「いや、これが本当に良い。」と言ったのです。 
 マイク・チャップマン Mike Chapman [ イギリスで活動する音楽プロデューサー ] と仕事をしたことがあるのですが、彼は、録ったテイクが勢いだけでいい加減なものになると、それに、拍手を加えて、ステージ・ライブのようにしたものです。それで、私はポールに、「これに、群衆の騒音を入れたら如何だろう、パーティーか何かのような。」と言ったのです。それから、出来上がったレコードを聴いてみると、湧き上がる喚声になっていたのです。私が思っていたことは、ポールにまるで理解されてなかったのですね。( 笑う ) でも、拍手を入れるように、ポールに促したのは、私なのです。 
 「 King for a Day 」も最初に録音したものの一つです。機会で作ったループの上に重ねて録音しました。リンドラムを使えるならば、全部あれにありますよ。対のハイハットに、スネアは山盛り。Mr. Misters でも使いました。スネアとティンバレスを使ったのだったと思います。あれを使うと、ドラム・キットが大規模になったようになるのです。赤ちゃんを60センチの身長に出来てしまうのです。それに、演奏している空間も、自分が望むままの空間を創り出してくれるのです。最上の音が出来るのです。様々な方向からマイクで録った音を混ぜたように出来るのです。それで、私たちは、トム・トムをオーバー・ダビングしました。」
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2015年08月07日

パット・マステロットのオレンジズアンドレモンズ回想 3

ベルナール「ああ、それは、マイク・ケネアリーさんと一緒に演奏したものですよね?」
マステロット「そうです。ケネアリーが入っています、アンディは歌っただけでした。レコードには入らなかったけれど、仕上げた曲がもう何曲かあるのです。でも、その歌が何だったか、正確には覚えていないのです。 
 可笑しかったのはですね。私たちが居る間に、ヴァン・ヘーレンもそこでリハーサルをしていたのです。リード・スタジオには、三つのスタジオがありました。私たちは、中ぐらいのスタジオでした。ヴァン・ヘーレンは大きなスタジオを使っていたのです。そこの廊下で、私は、友人のデイブにばったりと会いました。彼は、ミスター・ミスター Mr. Mister のミックスもした人ですけれど、その時は、ヴァン・ヘーレンのミキシングをしていたのです[ 『 OU812 』のこと? ]。「何をしてるんだい?」と私が言うと、彼は「ああ、今着いた所なんだ、入るかい。」と答えました。それで、私は入って、アレックス・ヴァン・ヘーレン Alex Van Halen のドラムを調べてみることが出来たのです。魅力的でした。それから、私が頼んだので、アンディが入って来ました。入るや否や、アンディは、「何だこれは! マーシャル[ アンプ ]で部屋の壁を作ってんのか?」と言ったのです。( 笑い ) エディー [ ヴァン・ヘーレン ] は、いつも一つだけを使っていました。それは別の部屋に在ったのです。それで、他のアンプがそこの壁に並べられていたのです。 
 リハーサルは、とても上出来でした。曲を仕上げることができたのです。私は、リハーサルのスタジオの直ぐ近所に住んでいました。それで、時々、私は XTC のメンバーを夕食に呼んだのです。特に、彼らの細君と子供たちが来てからは、尚更でした。プールも在りました。それで、彼らは暑さを凌いだのです。イギリスの彼らは暑さに参っていました。レコーディングをしたのは、夏だったと思います。ある日、ローズ・ボール・スタジアム Rose Bowl でのフリー・マーケットに彼らを連れて行きました。アンディは、酷い日焼けをしました。帽子を被って行ったのですけれど、顔は、本当に真っ赤になっていました。ホリーとハリーは、ほとんど、私の妻にぶら下がっていましたね。彼らは、オークウッドと言う名前のコンドミニアム・タイプのホテルに滞在していました。思うのですけれど、それが彼らを不安がらせていたのではないでしょうか。ギャングの巣窟ではないのですが、彼らの出身地からすれば、どぎつい所だったのです。」
ベルナール「その上、そこには、蚤が居た、と言うことですが?」
マステロット「そうかもしれませんね。確かかどうかは分かりませんけれど。分かっているのはですね、暫くすると、コリンの細君、キャロルと子供たちは帰国した、と言うことです。それから、あまり間を置かずに、マリアンヌと子供たちも帰国しました。誰も最後まで耐えられなかったのですね。 
 一日準備をして、オーシャン・ウェイ・スタジオで録音を始めました。オーシャン・ウェイの大きなスタジオを使ったのです。そこでは、私は、たくさんの仕事をして来ましたけれど。とても有名なスタジオです。歴史的でもあります。長い間、ユナイテッド・ウエスタン・スタジオ United Western と呼ばれていました。」
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2015年08月05日

パット・マステロットのオレンジズアンドレモンズ回想 2

ベルナール「貴方は彼のプログラミングを真似たわけですけれど、それで、パートリッジさんの考え方が分かりましたか?」
マステロット「ええ。それに、一つのパートを熟知することは、歌そのものをより良く理解することになります。実は、私は、独学で学んでいるのですから。歌を、記憶と繰り返しで身に付けて来たのです。ですから、自分自身の歌を書く時も、ほとんど他の人には分からない、走り書きを書くだけなのです。ですから、プログラミングされたものは、その[ ドラムの ]パートがどういうものかを、私に分からせてくれる、あるいは、もっと微細なところまで耳を澄まさせることが、よくあるのです。これは、「ブーン・バ・ブーン」なのだろうか、「ブーン・バ・ブーンブーン」なのだろうか、と聴き込むのです。それとか、「ちょっと待てよ、このバリエーションは一回しか無いぞ、セカンド・ヴァースの八小節目の中だけのパターンだ。これは意図的なものに違いないぞ。サード・ヴァースの八小節目にも同じパターンが再び使われているから。他のところでは使ってないのだから。」このようにして、細部を考え出して行くのです。 
 幾つかの曲については、そのようでないものもありました。アコースティック・ギターだけのものがありましたから。それは、たぶん、大型ポータブル・ラジカセか何かで録音したもののようでした。もう少し、肉付けされたものもありました。キーボードか何かで重ね録りされたものだと思いますけれど。 
 その宿題の理由なのですが、ポールが私にアルバムにどの曲を入れるのかの選曲を手伝って欲しいと言うこともあったのです。とてもたくさんの曲があったのです。30曲を越えてもう何曲かあったと思います。時間がかかりそうなので悩みましたよ。当時、私は、デニス・へリング Dennis Herring [ アメリカのレコード・プロデューサー、エンジニア。 ] とスザンナ・ホフス Susannna Hoffs [ 1959年生まれのアメリカの歌手。この時のレコードが何なのかは調べられませんでした。 ] の仕事をしていたのです。それで、彼らには曲が必要でした。それで、「アンディ・パートリッッジの曲があるけれど、聴きたいんじゃない?」と言ったのです。カセットの一本を渡しました。でも、帰っては来ませんでしたけれどね。 
 兎に角、私は、リード・リハーサル・ファシリティーで XTC に会ったのです。彼らは、昼食を容れた小さな袋を持って入って来ました。ピーナッツ・バターのサンドウィッチとバナナと何かそのようなものでした。予算はぎりぎりの様子でした。しばらくの間、レコードを作りにイギリスに行くのだと思い込んでいました。でも、彼らは、こちらに来てレコード制作をすることにしていたのです。 
 私は、直ぐに、曲の範囲がとても広いことに気がつきました。私はポールにこう言ったのです。「これでは、まるで、デューク・オブ・ストラスフいあと XTC が同時にあるようなのだけれど、それは承知なのかい? 彼らをどちらかの方向に誘導するつもりなのかい?」 すると、ポールは、こう答えたのです。「いあ、僕は彼らに選択の余地を広く持たせたいんだ。彼らは、トッドとの仕事でとても惨めな思いをして来たからね。『 Slylarking 』の製作では、口に出すのも憚られるほどの酷いことがあったんだよ。僕は、今回は、彼らにそんな思いをして欲しくないんだ。何もかもに、満足して欲しいんだよ。彼らがそうしたいのであれば、それが何であっても、僕はそうするんだ。」 
 それで、リハーサルでは、実際にレコードにしたよりも何曲か多くの歌を仕上げもしたのです。私が覚えているのは、「 My Train is coming 」です。」
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2015年08月03日

パット・マステロットのオレンジズアンドレモンズ回想 1

 Todd Bernhardt さんと Pat Mastelotto さんとの対談:
最初は、2010年6月6日にマイスペースに公開 。今は、チョークヒルのアーカイブに。 
Chalkhills: XTCFans: Pat Mastelotto remembers "Oranges and Lemons" 

 ( 訳は、これまでのように、月水金では出来ずに、遅れ遅れになるかもしれません。) 

ベルナール「XTC と仕事をすることになった事情を話して頂けますか、それに、貴方は、どのように XTC を知ったのでしょうか。パートリッジさんは、プロデューサーのポール・フォックスさんが貴方を紹介したのだ、と言っていましたけれど。」
マステロット「私は、 XTC をそれまでに知っていました、もちろん、個人的な知己だった分けではありません。長い間、XTC のファンだったのです。『 Drums and Wires 』の時のウィスキー・ア・ゴーゴー[ ウエストハリウッドにある。1980年2月21日22日23日。 ]でのライブを見ました。。それから、一年足らずの内にはブラック・シー・ツアーをサンタ・モニカのシヴィック・センターで見ました。[ 1980年11月5日。 ] 背景に線描のイメージが流れる効果を使っていました。それを、後になって、「あの効果をどう思い付いたのですか?」とアンディに尋ねたのです。「お金がなくてね、図書館から古いフィルムを借りて来て、紙挟みでまとめて、投影したんだ。」と言っていました。 
 それに、悪名高いイングリッシュ・セトルメント・ツアーも見たのです。実際には、されなかったのですけれどね。私は、その時のプロダクションの関係者に友人が何人かいたのです。それで、パラディウムで行われるライブには、招待客になっていたのです。ステージを見渡せる素晴らしい VIP 席だったのです。ステージのセットは全部済んでいました。前座は終わりました。それで、公演に関係していた私の友人が側を駆け抜けて行ったのです。「何に手間取っているんだい?」と私は彼に聞いたのです。「まったく、君の大好きなあの連中、俺たちを馬鹿にしてるよ。あの馬鹿野郎がベッドから出て来ようとしないんだ。どうしたらいいか、ぼくは分からないよ。」と彼は答えました。それこそ、アンディがベッドから起き上がらないで、XTC の最後のライブになった日だったのです。その日は、ショーはなかったのですけれどね。セットは完全に出来上がっていて、背景幕も掲げられていました。前座が終わって、一時間ほど経って、その夜 XTC はライブをしないと告げられました。 
  もしかしたら、最初からポール・フォックスは私を XTC にと思っていたのかもしれません。ポールと私は、たくさんの仕事をしていました。様々なジャンルでです。それに、多くのものを一緒に保持していました、それで、お互いの音楽に関心を持っていたのです。私は、元の妻コーニー Connie に XTC を知らされました。彼女は大ファンだったのです。「 Meccanik Dancing 」は、デートの時のテーマソングでした。ですから、『 Go2 』で XTC を知ったのです。それから、『 White Music 』を買いました。 
 それで、ある日、ポールからの「仕事があるんだけど。」と電話があったのです。彼がプロデューサーになる前、私たちは一緒に、幾つものバンドのサイドマンとして働いていました。私たち二人の演奏水準はかなりものでしたよ。それで、「いいよ、それで、誰のなの?何時?」と私は答えたのですけれど、ポールは、XTC だと言ったのです。私は、「からかってるな、無駄にあちこち引き摺り回すんだな。」と続けました。ポールは、「いやいや、本当だよ。三週間か四週間後の予定だ。たくさんの宿題があるぞ。」と言ったのです。「嘘をつくなよ」と私、「郵便箱を見て見よろ。何本かテープを入れて帰ったから。覚えなきゃならないのがたくさんあるぞ。」とポールは言ったのです。 
 私は、外へ出てみましたよ。すると、三本のカセットテープが郵便受けに入っていました。ポール自身か、メッセンジャーかが、電話の前に入れて行っていたのです。そうして、私はポールに電話を掛け直して、「なんだあれは、本当なのか?」と言いました。「ああ、正真正銘。僕は、その全部の曲を覚えて来て欲しいんだ。それで、二週間のリハーサルをする予定だからね。」とポール。結局は、リード・スタジオで、二週間半のリハーサルになりましたけれど。 
 準備におおよそ一ヶ月ありました。その曲の束をものにしようと取り掛かりました。そして、リンドラムのパターンを作り始めたのです。けれど、直ぐにも、アンディがプログラミングしたドラムが、どれ程素晴らしいか、思い知りました。アンディは、リズムに関して、この上ない頭脳を持っているのですよ。彼は、当時、小さなコルグのドラム・マシンしか持っていなかったのにですよ。私は、そのアンディのプログラムのパターンに似せようと何とか頑張りました。」
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2015年07月31日

ベルナール、パートリッジ対談「 Chalkhills and Children 」9

ベルナール「( 笑いながら ) それは面白いです。そのように考えたこともありませんでした。でも、貴方が一旦そういってしまわれると、成る程、明らかですね。
 それで、この曲では、グレゴリーさんはキーボードを演奏しているのですよね。」
パートリッジ「デイブはキーボードです。たくさんのキーボードがありますよね。幾つもの違った種類のキーボードが幾層にも重ね合わされているのです。人間の声に似たもの、掠れ声のようなもの、リード楽器のようなもの、ハモンド・オルガンのようなもの、等ですね。もっとあるのですよ。そうですねえ、貴方が広大な農業地帯の上空を飛んで、畑のパッチワークを見るようなものでしょうか。分かって貰えるかしら。」
ベルナール「分かります。それに、ムールディングさんは、ベースできれいな音色を出しています。」
パートリッジ「ええ。とても落ち着いた音です。この様な音になるべきなのですよ。丘の上を浮遊しているのですからね。それから、コリンは、ベースで歌に応えるメロディーも弾いています。「 Even I never know 」のところですね。」
ベルナール「貴方は、何を弾いているのですか?」
パートリッジ「この曲では、私は、演奏はまったくしていません。歌っているだけです。楽器は弾いていないのです、まったく。」
ベルナール「ギターは、全然ないのですか? 私は、アコースティックのギターが入っているように思っていましたけれど。」
パートリッジ「いいえ、ギターは使っていないですよ。私はそう覚えているのですが。この曲では、私は、眠たげなナイトクラブの歌手になっていますよ。」
ベルナール「終わりの部分では、メロディーは何声を重ねているのですか?」
パートリッジ「そうねえ、あれは、編集技法ですね、フェイド・アップしたりフェイド・バックしたり。それで、本当の夢のような溶解して渾然一体になった感じになっているのです。そうやって、この歌で、図らずも、アルバムを締めくくることになったのです。」 

おわり  


誤訳、疑問点を指摘して下さると助かります。
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2015年07月29日

ベルナール、パートリッジ対談「 Chalkhills and Children 」8

ベルナール「歌に戻りましょう。終わりの部分で、マステロットさんが延び延びと演奏しているところが好きなのです。[ 3:38秒頃から ]」
パートリッジ「残りの部分は、リズム感がある限り、好きなようにして良い、と彼に言ったのです。私は、終わりの部分は、バラバラになって、あのブーンと言う音の中へ落ちて行くようにしたかったのです。夢のようにですね。歌詞が、何度も繰り返されて重ねられます。粉々になったものが全部一緒になって、落ちて行くのです。そうですね、夢の中で、ほんの少しの現実感を捉えようと死に物狂いになっていると言う感じですよ。」
ベルナール「とても上手く録音されています。ステレオの分離が素晴らしくて、マステロットさんの周りにドラム・キッドがあるのがそのまま聴こえるようです。」
パートリッジ「ええ、エド・タッカーの仕事です。彼がトムトムを録音すると、トムトムは、まさに、そのまま録音されるのですよ! ( 笑う )」
ベルナール「他にですけれど、アレンジについては、どうでしょう?」
パートリッジ「そうですね、ウィンド・チャイムは、ポール・フォックスです。主旋律が高潮しているところですね、( 2:30秒頃 ) 私が、「 rolling up on three empty tires,'til the... 」と歌っているところです。」
ベルナール「キーボードもあります。」
パートリッジ「ええ、それで、ポール・フォックスのウィンド・チャイムが鳴っているのです。そのウィンド・チャイムは、彼のアパートメントのベランダに吊り下げてあったものです。当時、私たちは、ビーチボーイズの「 Wind Chimes 」への敬意として、この音を入れるべきだと思ったのです。その二年前に、私は、「 Wind Chimes 」を知ったばかりだったのです。」
ベルナール「成る程。この曲には、ビーチボーイズ的な…、」
パートリッジ「ええ。でも、ビーチボーイズ的にするのには、慎重になっていたのです。ビーチボーイズは、私に大きな影響を与えています。1986年頃以降なのですが、私が彼らのアルバムを聴くようになってから、取り分け強い影響を得ていたのです。それまでは、ビーチボーイズについては、シングルを聞いていただけでした。アルバムを知ると、彼らの音楽は、私が思っていた程度を遥かに超えて深いものでした。この曲が、ビーチボーイズ的だと言うことは、私も認めます。当時、「ビーチボーイズ的にならないように努力しよう、けれども、どうしてもそうなるのなら、ビーチボーイズ的であることを恥じたりはしないぞ。」と思ったのです。」
ベルナール「そうなのですね。それで、バッキング・ヴォーカルで「 ah-oooo 」と歌っているのは、ビーチボーイズ的ではないのですね。、」
パートリッジ「ええ、「 bap da-dooby-dooby 」とは歌っていないのです。でも、ウィンド・チャイムは、小さいけれど重要な要素だと思ったのです。「 Wind Chimes 」への小さな挨拶だったのです。」
ベルナール「ところで、「 three empty tires 」と言うのは、どうやって思い付いたのですか? いつも、不思議に思っているのです。」
パートリッジ「ああ、あれは、私とデイブとコリンですよ。どうやって思い付いたか、さっぱり分かりませんけれどね。兎も角、私たち三人は、ずっと転がっている空気の抜けたタイヤなのです。」
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2015年07月27日

ベルナール、パートリッジ対談「 Chalkhills and Children 」7

ベルナール「( 笑いながら ) そう翻訳するのですね、面白いです。 
 では、レコーディングをどのように進めたかについて話して下さい。パット・マステロットさんをドラムズに起用して…、」
パートリッジ「この曲で、最初に録音したのはパットです。あの、ずっと続くシンバルを録音したのです。」
ベルナール「そのことについて、伺いたいと思っていました。と言うのはですね、マステロットさんのインタビューを読んだことがあるのですけれど、そこでは、彼は、アルバムで聴かれるような、キック・ドラムとスネア・ドラムのパターンを叩きながら、八分音符のシンバルをずっと続けて叩くことは、出来なかった、と言われていましたから。」
パートリッジ「ええ。私は、それを望んだのです。デモ・テイクには既にありました。私は、ずっと続くシンバルと、スウィングするドラム・キッドの間の緊張感が欲しかったのです。ジャズに特有の感覚ですね。」
ベルナール「兎に角、それを彼にさせようとしたのですか?」
パートリッジ「一度にではないですよ。パットが八本足の蛸でないことは分かっていましたからね。それで、まず最初に、ずっと続くシンバルを録音したのです。」
ベルナール「シンバルは、マステロットさんが叩いているのですね? マシーン類ではないのですね?」
パートリッジ「パットの筈ですよ。たぶん、録音して、ループにしたのですよ。オーシャン・ウェイ・スタジオでしました。ドラムズに関しては、すべてをあのスタジオで録音したのです。本当に美しい響きのするスタジオでした。ドラム・キッドを使った演奏は全曲を通して録音しましたよ。そう、ドラム・キッドの演奏は、とても動きの遅い、スウィング・ジャズの感覚なのです。 
 私は、片方でシンバルを一定の間隔で叩き続け、片方ででスウィング・ジャズのリズムを刻むと言う時の緊張感が好きなのです。エディ・コクラン Eddie Cochran の「 Summertime Blues 」の感じです。[ Eddie Cochran - Summertime Blues / Love Again at Discogs ] ( 口真似で歌って、 ) 片方で一定に続くシンバル、片方にアクセントのあるリズム。一定の間隔のリズム、対、付点が振ってあるリズムななのです。その互いの緊張感が素晴らしいのです。それを私は望んでいたのです。ずっと等間隔のシンバルと、ジャズ風の点在するシンバルのリズムが、対峙して緊張感を産み出すのを望んでいたのです。」
ベルナール「それから、二拍目の後、三拍目の前、その間で、マステロットさんが叩くハイ・ハットもとても気に入っています。」
パートリッジ「ええ、ハイハットを開いて揺れるようにして、鳴らしていますね。」
ベルナール「ほとんど失敗に近いですよね。でも、二つのシンバルは鳴り続けているのです。私は、両方を混ぜてしようとしたのですが、上手くは行きませんでした。」
パートリッジ「( 笑いながら ) 教則のDVDが出来てしまいますよ! 
 実際、誰だったか、「 Chalkhills and Children 」のジャズ版を創っていましたね。そのCDを今持ってないのですけど。」
ベルナール「それは、アンソニーです! アンソニー・セトラ Anthony Setola 。」
Anthony Setola - Home of The Frosted Orange - Listen to Music
パートリッジ「そうそう! それで、マイク・ケネアリーがギターでヴォーカルのメロディーを弾いているのですよ。」
ベルナール「ええ、そうです。アンソニーの録音です。マイク・ケネアリーさんも大変な方ですけれど、アンソニーもとんでもないプレイヤーですよ。」
パートリッジ「ええ、本当に美しい音が出ているレコードでした。彼に会ったなら、私がとても善かったと言っていたと伝えて下さい。あれ程のカヴァー版があるなんて、私はとても嬉しいのです。」
ベルナール「はい、承知しました。私は、アンソニーをロブ・コセンティーノ Rob Cosentino さんを介して知ったのです。コセンティーノさんは、マイスペースのXTC fan のページを最初に開設した人です。それに、彼は、メリーランド州のボウイ Bowie と言う町に、Nonsuch Productions と言うスタジオを所有しているのです。私もそこで録音をしたことがあります。 
 それから、アンソニーは、ハリソン・シャーウッド Harrison Sherwood と私が創ったレコード「 Holly up on Poppy 」で、ベースを弾いています。私は、その曲が1977年のバンドが演奏したらこうなるのではと言う感じにアレンジしたのです。そのベースのメロディをお聴きになれば、彼だけが弾き得るだろうというとても変わったメロディだと、お気付きになると思います。最初は、私とハリソンで作ったのです。私がドラムとキーボードを弾いて、歌いました。ハリソンがギターとベースでした。ハリソンのベールのメロディは、ごく普通でした。そこに、アンソニーが来て、「ベースについては考えがある。」と言ったのです。それで、彼の考えを聞いたのですが、「ああ! それは面白そうだ!」と言うことになったのです。」
Nonsuch Productions - Bowie, MD - ローカルビジネス | Facebook
パートリッジ「( 笑う ) そうですね、物事は、時に、そのようにして起こるのですね。」
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2015年07月24日

ベルナール、パートリッジ対談「 Chalkhills and Children 」6

ベルナール「ところが、貴方の中の何かが音楽の中にあることも、明らかなことで…」
パートリッジ「そうです。相当の量のどろりとした無形のものが私の中から音楽へ入っているのです。それで、それは私ではなくて…、そう、音楽の中で、私は非常に正直にもなれるのです、あるいは、厚かましい嘘つきにもなれるのです。音楽の中では、他人に成り済ますことも、自分自身でいることも出来るのです。仮装も出来るし、裸にもなれるのです。ところがなのです、聴衆のみなさんは、そう思うことが決してないのです。聴衆と言うのは、アーティストが創った音楽の一片しか好まないですからね。大きな間違いですよ。」
ベルナール「では、この歌の特質の夢のような雰囲気について、話しを戻しましょう。」
パートリッジ「私は、オルガンで夢の音を連想するのです。私が見る夢の中で、音楽が鳴っている時は、大抵、オルガンなのですよ。若い時に、カーラ・ブレイ Carla Bley のアルバム『 Escalator Over the Hill 』[ 1971年の作品。Escalator over the Hill - Wikipedia, the free encyclopedia ]のことを噂に聞きました。実際に、そのアルバムを聴いたことはないのですけれど。タイトルを聞いて、私は寝てしまい、夢の中で、多分こうんなだろうと思う音楽を聴いてしまったのです。それで、実際に、アルバムを聴いてみたいと思わなくなった、のを覚えています。実際のアルバムを聴いてしまったら、とても落胆してしまうのは、分かっていましたから。夢の中の音楽は、多層で多色のオルガンの音で出来ていたのです。夢の音楽は、たぶん、ジャズのようでなく、フィリップ・グラスやスティーブ・ライヒ、テリー・ライリーに似ていたのです。 
 まあ、兎に角、私はオルガンの音でいつも夢を連想するのです。ですから、五度音程の音を重ねてオルガンを弾き始めると、途端に、中世の時代の中にいたのです。それは夢ですね。それが一つになっているのですよ。それなのに、可笑しいですよねえ、この歌は現実と地に足をつけた生活のことを歌っているのにですよ、この歌を録音したのは、非現実的なフェイクダムの真ん真ん中でなのです。」
ベルナール「( 笑いながら ) ロサンゼルスですね。」
パートリッジ「それをスペイン語では、「 City of Lying Bastards [ 嘘つき野郎の都 ]」と言うのは、誰でも知っていますよね( 笑う )。」
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2015年07月22日

ベルナール、パートリッジ対談「 Chalkhills and Children 」5

ベルナール「それでは、そもそも「 chalkhills and children 」のイメージなのですが…、」
パートリッジ「ああ、それも頭韻ですね。私の自宅の窓から見えるものは何かと言えば、チョークヒルなのです。そして、自宅の台所か庭を見れば、当時ですね、目に入るものと言えば、子供たちなのです。現実のものなのです。私の家の回りには、実際に田園風景があるのです。人が頼れるパパである理由がそれなのです。大地にしっかりと根を降ろしている、と言うことです。水平に保つのですよ。ああ、偽造された渦巻きはありませんよ。ううん、そうですねえ、もちろん、惑星Xから来た宇宙怪獣を真似て着飾ることは出来ますよ、そして、庭で子供たちを追い回して恐がらせることもね。それは、でも、嘘ではないのですよ。ショー・ビジネスのような嘘ではないのです。ショー・ビジネスは全くの偽りなのです。父親であることは偽りではないのです。周りにある丘も偽りではないのです。」
ベルナール「それでは、アーミン・ストリートを取り上げたのは何故なのですか? 古代のものですよね?」
パートリッジ「ええ、古代のものです。でも、実際、何マイルかは今でも残っているのです。それが、スウィンドンを通っているのです。イングランドに残っているアーミン街道は二つで、そのうちの一つがスウィンドンを通っているものだった、と思います。でも、アーミン街道と言うのは、石器時代の人々が牛や馬で何度も通って踏み固めて出来た太古の道なのですよ。恒久不変と言う感じがしますね、まったく。それは、丘の上、石灰岩の中を通っていて、何千年も踏まれ続けているのですよ。」
ベルナール「それに対して、有名であることは、一時的なことです。」
パートリッジ「ええ、名声と言うのは、五分と持ちません。名声では、日用雑貨を買えないのですよ。 
 私は、今でも、それで苦しんでいます。自分がしていることが、ファンを作っていると言うことは、分かっています。でも、私は、人々に、私のファンになって欲しいとは思わないのです。私は、人々に、私が創った音楽のファンになって欲しいのです。」
ベルナール「仰ることは分かります。多くのアーティストが直面している板挟みに、貴方も直面しているのですね。アーティストにとって、彼ら自身と彼らが創り出した作品とは明らかに別のものなのです。けれども、ファンの中には、その違いが分からない人もいるのですね。その様な人にとっては、作品はそのアーティストそのものなのです。ええと、私は、ジョニ・ミッチェル Joni Mittchell のインタビューで読んだのですけれど、彼女はこう言っていました。「これは、アーティストとしての私なのです。私には、幾つかの人格があります。アーティストとしての私は、他の様々な人についての物語りを語るのです。ところが、聴衆の方達は、私がどう言う人物であるか、よく知っていると、決めてかかるわけですよ。彼らは、私の音楽をよく知っているのだから、私を知っていると言うのです。」」
パートリッジ「( 溜息を吐く ) ややこしいですね。音楽は、一つの独立した存在です。そして、それを書いた、あるいは製作した人物は、また、別の存在なのです。そうなのですけれどねえ。音楽は、一人の人格の外に存在しているのですよ。」
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2015年07月20日

ベルナール、パートリッジ対談「 Chalkhills and Children 」4

ベルナール「成る程、「 the reluctant cannonball 」[ 歌詞の中から ]ですね。」
パートリッジ「私が「 the reluctant cannonball 」なのですよ。へんてこなサーカスか何かから撃ち出されたのです。安全網も何もなくですよ。それが、私が言いたかったことなのです。申し訳ないです。私が、間違った言葉を使ったので、皆さん、意味を取れなかったのですね。」
ベルナール「いえいえ、ファンの方達は、何とか考え出しましたよ。」
パートリッジ「ふうん。それで、ファンの皆さんは、アルバム『 Nonsuch 』がどうして、そのタイトルになったのかの理由もこれなのだ、と考えたわけですね。そうではないのですけれどね( 笑う )。全くの偶然の一致なのですからね。」
ベルナール「ところで、『 Skylarking 』はとても成功しましたから、『 Oranges and Lemons 』には、前もって、かなりの予算を得られていたのではないかと、私は推察しているのです。」
パートリッジ「ああ、そうそう。このアルバムでは、私たちは、予算を相当超えてしまいました。会社は、「待て、もうプラグを抜くぞ、お前たちがそれを完成させるまで耐えられない。」と言っていましたよ。25万ポンドには達していたと思います。」
ベルナール「それは、あれ程にたくさんの歌をレコードにしようと決めたからなのですか?」
パートリッジ「そうではないですね。私たちがロサンゼルスに住んでいたからですよ。どちらかと言えば、お粗末なアパートだったのですけれどね。でも、家族も一緒だったのです。それに、セッション・ミュージシャンにお金を払いましたし、エンジニアのエドとプロデューサーのポールのギャラは、安くはなかったのです。それにスタジオも高額でした。それにそれに、そのスタジオに余りに長い間居続けたのですから。」
ベルナール「そうですか。ウッドストックでの経験の後、家族と一緒に現地へ行くことを望んだのですよね。」
パートリッジ「もう一つですね、元のマネージャーとの訴訟で、このアルバム制作の終わりの頃には、私は大変に重荷を感じていたのです。私は本当にしまりが無くなっていて、飲み過ぎるようになっていたのです。ウィスキーを飲んでいました。私がウィスキーを飲む場合と言うのは、何かよくないことがある時なのです。 
 とても可笑しなことなのですが、私たちは、この歌でアルバムを締めくくりました。この歌は、普通であること、最後には大地にこの丘に足を降ろせて喜んでいることを、祝して書いた歌なのです。空飛ぶことは終わったのです。空に浮かんでいると言う信じられないようなことは、実際、ただの夢だったのです。人生の大部分は、夢なのです。」
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2015年07月17日

The Mayor Of Simpleton Hall

 パートリッジが、Twitter上のコメントで触れていバンド the Purge の歌。パートリッジは、1969年から活動していたスウィンドンのバンドと書いているけれど、詳しいことは分からない。Discogs には、1990年代に出されたコンピレーションに収録されているものだけが載録されている。 
The Purge Discography at Discogs 
YouTubeには、シングルで、「 The Mayor Of Simpleton Hall 」がB面になっている「 The Knave 」が投稿されていた。 
スウィンドン・ヴューポイントには、ビデオの記録はないのかも、検索結果には何もなかった。 


追記: 
Sound Cloud に、後になって、バンドの中心メンバーであった Joe Thorne さんのが再レコーディングしたもの( らしい )が。 
The Mayor Of Simpleton Hall - Joe Thorne by Buzzard Records UK 

パートリッジの「 The Mayor of Simpleton 」に似ているかと言えば、? 
パートリッジが無意識にこの曲をなぞっていたかどうかと言えば、?? 
何でも知っているデイブ・グレゴリーさん、当時、思い出さなかったのか知ら? 
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ベルナール、パートリッジ対談「 Chalkhills and Children 」3

ベルナール「ハーモナイザーの様なものですか?」
パートリッジ「ええ。それで、オルガンの音を選んだのです。それで、その音をこの装置に入れると、エコー音とその上に重なる音が付いて来るのです。五度高い音です。それで、面白い音型が出来たのです。( イントロのパターンを歌ってみせる。 ) でも、ぜんぶが五度音程なのですよ。ですから、本当に、中世的に聴こえるのです。それに、丘のように聴こえました。そうですね、スウィンドンと言う土地は、幾つもの丘に取り囲まれているのです。マールボロウ・ドウン The Marlborough Downs と言われる、石灰の丘なのです。North Wessex Downs - Wikipedia, the free encyclopedia 
 それで、「ああ、これはこのあたりの田園風景だな。」と思ったのです。それで、この曲を丘に関連づけようと考え始めたのです。その少し前に、空飛ぶ夢を見ていたのかも知れません、覚えているのは、ただ、この長い気怠いとても簡単な和音を私が弾いていたと言うことだけです。それは、機械的に五度音程の和音を付けられただけですから、いたって簡単な和音なのです。「深い音楽性がある凝ったコードだな、」と思ったようには覚えていません。でも、デイブがこう言ったのです。「神様! 何て良く出来ているんだ、この和音は夢見るようだ。どうやって、これを見つけ出したんだ、君という人は!」 私は、この短い句からどうやって曲を展開させて行ったか、覚えていないのです。覚えていることと言えば、機械的に付けられた五度音程をどうすれば正しく聴こえさせるようになるかと言う思いに導かれた、と言うことだけです。元は、たぶん、三音の和音なのです。その三つの音それぞれに、五度の音程で音が重ねられているのです。まるで、六音の和音のようになっているのです。 
 その時だって、私の鍵盤楽器の腕前は、ボール紙に書かれた鍵盤を弾く程度のものでしたよ。良い音型を見つけたとしても、それを覚えておけるように、そのボール紙を切り出しておかなければならなかったのです。でも、私は、この夢見る様な曲を弾き出したわけです。「丘の上を漂っているようだなあ。でも、なぜ、僕が丘の上を漂うんだ? ああ、夢を見ているんだ、それに、全人生が風変わりな夢のようだ、」と思いました。それで、その思いをこの曲に取り込もうと考え始めたのです。この歌の基盤は、スターに関わるすべてのことへ、私が不快感を感じていると言うことなのです。」
ベルナール「そして、この曲は、貴方への評価の頂点でした。『スカイラーキング』は、この当時まで…、」
パートリッジ「そうですね、誰もが、「次はどんな風な音楽にするつもりなのですか?」と聞いていましたよ。」
ベルナール「そうです。アルバム『スカイラーキング』に対しては、数限りない悪評があります。貴方は、有名であることの明るい面と暗い面の両方を見て来られたわけですが、「 Dear God 」のことで、嫌がらせの手紙をたくさん受け取られたので…」
パートリッジ「そう、私が音楽を創り録音するのが大好きだと言うこととは別に、私自身の中で葛藤がありました。私は、有名であることに辟易していたのです。それに、有名であることで私に起こる様なことも嫌でした。私は、音楽が人に知られるようになることを望んでいるのです。私自身が世界に知られるようになることは望んでいないのです。」
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2015年07月15日

ベルナール、パートリッジ対談「 Chalkhills and Children 」2

ベルナール「何が貴方にこの歌を発想させたのでしょうか? まるで夢の様です。もしかして、本当に夢に着想を得たのではないでしょうか?」
パートリッジ「それは違います。夢に着想を得たのではありません。時に、空を飛ぶ夢を私が見るのは、本当のことですけれど。夢について何もかもを知っていると言う人物が、何所かその辺にいると言うことは、知っています。でも、それは、大抵、同じ様な筋書きなのですよ。この様な感じですね。「僕は、通りに出て通る人々に言う。「見てくれ、僕は空中に浮かぶことが出来る。」と、人日とは言う。「出来はしない。」すると僕は言う。「僕は出来る、よく見ろ。」すると、僕は、立ったままの姿勢で吊り下げられた格好で、地上1メートルくらいのところで空中浮揚しているんだ。」 
 そうすると、人々が言うのですね、「成る程、君は空中浮揚が出来る。それならば、もっと高く上がれるか?」と言うのですよ、すると、もう少しだけ吊り上げられて、夢の中で私自身が吊り上げられる感じになったことが何度もあるのですからね、6メートルくらいまで上がるのです。すると人々は、もっと高くと言うわけですね。だから、15メートルか30メートルくらいまで上がって、人々に手を振るのですね。そして「すぐに帰るから、」と言うと、30メートルくらいの高さのまま、丘を越えてあたりを飛んで回るのです。」
ベルナール「私も空飛ぶ夢を見ます。それについて知っていることもあります。大学で、私は、心理学を専攻していましたから。心理学者は、空飛ぶ夢を「 reward dreams 」と言っています。」
パートリッジ「それは、どう言う意味なのですか?」
ベルナール「そうですね、自分自身に何か良いことがあったと思っている時にですね、あるいは、何かを達成したと思っている時、その時に、空飛び夢を見るのです。と言うのは、空飛ぶと言うことは、一般的には、自由になり解放されたと言うことを意味しているのです。貴方が夢で空を飛んだと言う話しをされるのは、とても興味深いです。私が見る空飛ぶ夢と言うのは、空を泳いでいると言う感じなのです、貴方のは違いますね。」 
[ "reward dream" が確立した用語なのかどうかは分かりません。学術研究データベース・リポジトリ オンライン学術用語集 (Sciterm) で検索したけれど、分かりませんでした。]
パートリッジ「成る程ね。横になって泳ぐのですか?」
ベルナール「そうです。それでいつも、「このようにすれば空を飛べるのに、どうして今まで分からなかったのだろう」と言う感じを持つのです。それは、ある種の泳法です。大抵は、平泳ぎなのですけれど。」
パートリッジ「私に関して言えば、泳いではいませんね。立っているのです。前方に寄り掛かっています。そして、吊り下げられているのです。今でも、時々見ますよ。 
 そうですね、何がこの歌を着想させたか、実際のところを話しましょう。その時新しく手にしたキーボードの前に座っていたのです。ローランド D-50 でした。それに、MIDI を通して、キーボードに繋ぐものも買っていました。それは、小さな箱の様なもので、スライダーを動かして、音を作り出すのです。その時に、ある音に対して、もう一つの音が出せることに気が付いたのです。」
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2015年07月13日

ベルナール、パートリッジ対談「 Chalkhills and Children 」1

 アンディ・パートリッジとトッド・ベルナール Todd Bernhardt さんの対談、「 Chalkhills and Children 」について。
 2007年10月28日にMySpace に公開のもの。MySpace にはもうありません。今は、チョークヒルのアーカイブにあります。 
Chalkhills: XTCFans: Andy's Take: "Great Fire" [ チョークヒルの表題、なぜか「 Great Fire 」に。内容は、「 Chalkhills and Children 」。インターネット上で混線しているのか、チョークヒルで間違っているのか分かりません。 ] 





ベルナール「さあ、次の曲です。私が伺いたい歌と言うのは、グレゴリーさんが貴方の曲の中で一番のお気に入りだと言われた歌なのです。」
パートリッジ「( ドイツ人を真似て ) へえ、白亜の丘丘、おれに、ひいさな子供たちたち…、 
 この歌を大好きだと言っている人を他にも知っているのですが、名前が思い出せません。80年代からシンセサイザーを演奏している人で…、ああ、ハワード・ジョーンズ Howard Jones だ。[ 1955年生まれのイギリスのソングライター。Howard Jones (musician) - Wikipedia, the free encyclopedia ]」
ベルナール「そうなのですか?」
パートリッジ「ハワード・ジョーンズの好きな曲の一つです。たぶん、デイブは幾つかの仕事でハワード・ジョーンズと一緒に働いていますから、それでではないか知ら。ハワード・ジョーンズがデイブにそう言ったのです。」
ベルナール「それは興味深いですね。それに、この曲は、貴方ご自身のお気に入りでもあるのですよね。」
パートリッジ「ええ。とても自信のある歌です。でも、「 nonsuch 」と言う言葉の意味を理解していなかったと言う、間抜けな面もあるのです。私は、「非在物」と言う意味だと思っていたのです。全くないもの、と言う意味です。それと、「 nonsuch net 」とした時の、頭韻が気に入ったのです。でも、私は間違っていました。「そんなネットは存在しない」と言う意味ではなかったのです。「比類のないネット」だったのです。」
ベルナール「貴方は頭韻を意図したのですね。それについて、少し話して下さい。歌詞の中で、時々使われるのですが、それは意図しての手法なのですか? それとも、偶然起こった幸運なのでしょうか?」
パートリッジ「偶然ではありません。血の汗を滲ませて考えるのです。」
ベルナール「では、頭韻は、貴方のお好きな手法なのですね? それを選んだのですね?」
パートリッジ「ええ、大好きなのです。本当に好きです。ドクター・スース Dr. Seuss [ 1904年生まれ1991年没のアメリカの作家・詩人、児童文学者。『ぞうのホートンひとだすけ』が『ホートン/ふしぎな世界のダレダーレ』の題名で映画化。他にも『グリンチ』『ハットしてキャット』『ロラックスおじさんの秘密の種』が映画化。遺作『 Oh, the Places You'll Go! 』は伊藤比呂実が翻訳『きみの行く道』の邦題、きみの行く道 - Webcat Plus。 ] の舌を軽やかに動かすリズムが言葉に与える影響がとても好きなのです。一行にたくさんの「 L 」の音あるいは「 S 」の音をを並べると、ずっと鋭い感じになりますし、または、一つの語と次の語、その次の語と、可能な限り似た音の言葉を並べると、痛烈な感じになるのです。ちょっとした内面世界にある王国ですよ。そうするのは、とても面白いのです。」
ベルナール「ツアーを止めてから後になって、貴方は歌詞に於いても多くのことをしたと思われますか? と言うのはですね、私は、この様な歌詞では、ステージの進行や歌唱を妨げる様なことになるのではないかと、しばしば、考えさせられるのです。」
パートリッジ「そうですね、若い駆け出しの頃の歌はどれも、歌詞はどうしようもなく恥ずかしいばかりに不出来なものです。あれは、粗悪なPAを通り抜ける為だけに選ばれた言葉というだけですね。「 O [ オー ]」の音はよく通るのです。でも、「 E [ イー ] 」の音は通りが良くないのですよ。でも、歌詞に関しては、ある時点で、私はまあまあなソングライターになり始めたのだと思います。つまり、私は、言葉遊びを使い始め、頭韻や駄洒落や対を使い始めたのです。でも、何よりも、私は、頭韻が好きです。言葉自身と握手をする感じがするのです。無限の円環のようです。完璧に完成されているのです。もちろん、他の人の作品で頭韻が使ってあるのも好きですよ。」
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2015年07月03日

ベルナール、パートリッジ対談「 Across this Antheap 」8

ベルナール「ヴァージン社にシングルにするように働き掛けたのですか?」
パートリッジ「私は知りません。多分、レコードが完成した後で、ポールは会社の面々と会議をしたのだと思いますけれど。でも、会社はしなかったですね。( 笑って ) こう言ったのではないでしょうかね、「いいよ、でも、それ、コリンが書いたの?」」
ベルナール「( 笑う ) ですけれど、「 Mayor of Simpleton 」が最初のシングルですよね?」
パートリッジ「( 笑い続けて ) 確かに、そうです。でも、タイミングはあまり良くなかったですね。と言うのは、その時には、デヴィッド・レターマンに呼ばれていませんでしたから。レターマンの番組に呼ばれたのは、「 King for a Day 」が出た時なのですよ。」
ベルナール「ですけれど、貴方ご自身の歌をレターマンの番組で演奏したでしょうか? 私は、それがムールディングさんの歌だから、貴方は番組内での生演奏を承諾したのではないかと思います、そこがポイントなのではないでしょうか。」
パートリッジ「そうなのでしょうね。スポットライトを浴びてないので、良い感じでしたよ。あの時は、アコースティック・ツアーの最中だったのです。それで、番組出演の時には、私はもうすっかりリラックスしていました。「 Mayor 」か他の何かをした方があの時は適当だったのだろうとは思います。でも、ゲフィン社が「 king for a Day 」をプロモートしている最中だと言うことも分かっていました。それで、髪の毛のあるハンサムな彼を表舞台に立たせたのです。( 笑う )」 
[ 『 Late Night with David Letterman 』は、1989年6月30日金曜日に放送。レターマンは、モウルディングと発音している。 ]
ベルナール「( 笑いながら ) でも、私は、貴方のシルクハットが良かったと思っていました。」
パートリッジ「そう。誰が私のシルクハットを褒めてくれたか、貴方にも教えて上げなければいけませんね。私は、何処だかのラジオ局の様なところにいたのです。何をしていたのか、全然覚えていないのですが。でも、兎に角、白い安物のシルクハットを被っていたのです。そこへ、ネナ・チェリー Neneh Cherry [ 1964年生まれのスェーデンの歌手。父親は、フリー・ジャズのドン・チェリー Don Cherry 。 ]が遣って来て、私のシルクハットを褒めてくれたのです。「貴方、私は貴方のシルクハットがとっても好きよ。ファンタスティックだわ。」と言いましたよ。とても嬉しいことでしたよ。」 


おわり  



御訳、疑問点を示して下さると、助かります。  
ベルナール、パートリッジ対談「 The Mayor of Simpleton 」1 
ベルナール、パートリッジ対談「 The Mayor of Simpleton 」2 
ベルナール、パートリッジ対談「 The Mayor of Simpleton 」3 
ベルナール、パートリッジ対談「 The Mayor of Simpleton 」4 
ベルナール、パートリッジ対談「 The Mayor of Simpleton 」5 
ベルナール、パートリッジ対談「 The Mayor of Simpleton 」6 
ベルナール、パートリッジ対談「 The Mayor of Simpleton 」7 
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2015年06月30日

ベルナール、パートリッジ対談「 Across this Antheap 」7

ベルナール「それに、歌の終部に導入されている循環的なものですが、あれは、音楽的な隠喩の様です。」
パートリッジ「ええ。何処までも続くのです、終わりが無いのです。そのように見ているのです。人間は、同じ愚行を繰り返すのです、人間がいる限り、人間は愚行を繰り返すのです。」
ベルナール「終部のヴォーカルですけれど、御自分一人でコールアンドレスポンスをしています。もしかしたら、あれは、エレクトリックのエコーなのですか?」
パートリッジ「あれは、私たち三人が「 on and on 」と歌っていたのだと思いますけれど。それはですねえ、あの部分で、私の耳には、デイブが聴こえますから。確かに、変形してますけど、コリンも聴こえます。 
 あらゆる人が入っているのです。テープ・オペレーターもですけれど、その他、その回りに居た人、スタジオの建物の側を通り過ぎた人、その人たちが叫んだことを録っているのです。「 Work! 」とか「 Live! 」とか「 Die! 」とか「 Eat! 」とか「 Love! 」とか「 Drive! 」とかですね。様々な状況で飛び交う言葉ですよ。ポールもいたと思いますよ。バンドのメンバーも全員。録音した日に、訪問した何人かの人も入っていると思います。」
ベルナール「リバー・フェニックス River Phoenix さんも…」
パートリッジ「たくさんの人がいました、ネヴィル・ファーマー、クリス・スクワイア、それにスタジオに頻繁に来ていた人々、全員です。私たちは、さっき言ったような言葉を紙切れに書き留めていたのです。誰かが、それを指し示すのです、そうして、その言葉を大声で叫ぶのです。 
 昨日、私は、ヘッドホンで聴いてみました。「ああ、これは何て良い歌詞なんだ!」と思いましたよ。私自身のものとは思えませんでした。」
ベルナール「成る程、「望んでいたものを成し遂げたぞ。」と言うわけですね。」
パートリッジ「そうです。ゆっくり構えて良かったと思います。と言うのはですね、『 Skylarking 』の時、急いで創ったのを正しかったとは思っていませんから。トッドは、それが完全に焼けたかどうかを聞かない傾向がありましたからね。私には待つことが大切だったのです。けれど、トッドは、「もう、俺の仕事を終わらせろよ。もう提出するものは出来ているのだぞ。」と口うるさく私に言い続けたのです。それから、言い添えておけば、ポールは、この曲はシングルになると考えていたのです。」
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2015年06月29日

ベルナール、パートリッジ対談「 Across this Antheap 」6

ベルナール「歌詞について話して下さい。全体を通じて、小さい可笑しなイメージが溢れているのですが。それに、影のあるユーモアもあります。例えば、「 a bed is creaking as the new messiah comes. 」と言う行です。」
パートリッジ「( 笑う ) ええ、アー、アー、って。」
ベルナール「どのように、このイメージ群を組み立てて行ったのですか?」
パートリッジ「随分何度も、たくさん、推敲したのを覚えています。ちょっと、歌詞ノートを調べさせて下さいね。どのように直していたか、残しているかもしれません。このノートに、『オレンジズアンドレモンズ』のほとんどの歌があります。でも、完成して、清書したものだけを残しておいたと思うのですけれど。」
ベルナール「私は、そのノートを何冊か、貴方と一緒に読んだのを覚えています。完成されたものと、創作途中のものと混ざっていましたよ。」
パートリッジ「そう、では見てみましょう。「 Poor Skeleton Steps Out 」があります。ええ、推敲されてますね。でも、これは、『スカイラーキング』のノートの様な気がしますよ。見つからないですね。「 Antheap の最後 」と言う付箋はあるのですけれど。最初の部分は、どこに書いたのか分かりませんよ。」
ベルナール「最終的な草稿と言うことですか? 最後の数行と言うことですか?」
パートリッジ「「 And all the world's babies are crying still 」少しだけですね。それと、「 While all the police cars harmonize with power drills / As jets and kettles try to drown out screeching gulls / Accompanied by truncheons keeping time on human skulls. 」」
ベルナール「ああ、でも、少し違っていますね。最後は、「 As jets and kettles form a chord with screeching gulls. 」ですから。」
パートリッジ「おや、興味深いですねえ。最後の最後に変化したのですね。でも、どこかに、それを書いている筈ですけれど。この曲の最初の草稿が何処へ行ったか分かりません。 
 まあ、何にしても、この歌詞には自信があります。自分の顔に己惚れても許されるのではないか知ら。( 笑い出す ) と言うか、自分の屁を嗅いで喜んでもいいでしょう。[ ここの部分、face of smart arse を ass of smart face に言い換えてジョークにしている。 ] 
 私の気に入っている行は、「 Doesn't matter what color of cat you are, there's no dogs allowed. 」です。」
ベルナール「私がこの歌詞を好きな理由の一つは、リズミックであると言うことです。今、貴方が挙げた行もそうです。( 速射砲的な音節を強調して読み上げる。 ) 「 Accompanied by truncheons keeping time on human skulls. 」 もう、機関銃ですよ。」
パートリッジ「ええ、どの音節も、とても鮮明です。」
ベルナール「それから、最初のヴァースですけれど、この二つの行の並置が好きです。「 The cars are crashing and the bacon is hacked / The coffin's lowered and the lunches get packed. 」 生と死が同時に存在しているのです。」
パートリッジ「何もかもが食べ物ですね、すみませんでした。」
ベルナール「( 笑う ) すべてが食べ物ですね。それでも、貴方は別の次元でも見ているのではないですか? 死があって、食べ物になり、生命は続いて行く。自動車が潰れること、棺が降ろされること、そのことが問題なのではなくてです。」
パートリッジ「同じことですよ。( 笑いながら話す ) 牛を殺して、切り刻んで、旦那の弁当箱に入れるのです。同じですよ、自動車と言う弁当箱に人間たちが入っているのです。肉、食べ物を待っている者にとって、自動車の中のぐちゃぐちゃの人間は食べ物に過ぎないのです。 
 人の終わりは、肉になることに過ぎないのです。私は、何と言うことを考えているのでしょうねえ。( 笑う )」 
[ ここの部分、ビートルズのあの『 Butcher Cover 』のことが、パートリッジの頭にあったかどうかは分かりません。The Beatles - Butcher Cover ]
ベルナール「( 笑い続ける ) では、次のところですが、「 Still segregating 'cause we insects are too proud / Doesn't matter what color of cat you are there's no dogs allowed. 」」
パートリッジ「明らかでしょう。そのままです。」
ベルナール「「 War planes go over but no wages go 'round. 」のところは?」
パートリッジ「誰もが自分の金がないと不平を言うものなのですよ。」
ベルナール「でも一方で、いつでも、防衛のための金はあるのですね。」
パートリッジ「それが途絶えることはないのです。」
ベルナール「「 A sign goes up to say hey we're twin towned. 」と言う行は、」
パートリッジ「ああ、あれは、私が子供の頃の大事件だったのです。町全体を巻き込んだ騒ぎがあったのです。「ああ、町には何の施設も無いぞ。アート・センターも無い。高速道路が無い。金を全部、姉妹都市になるのに費やしてしまったんだ。我が町は世界の何所かの町と姉妹都市なんだ。くそいまいましい姉妹都市め!」とか言うものでした。 
 1960年代に、こうした掲示板が掲げられたのです。「スウィンドン ザルスギッターと姉妹都市に!!」と言うものです。ドイツの町です。まったく、自分たちがどれだけ偉大かを確認するための、くっつき業のようなものでしたよ。私は、何だかその姉妹都市になった他所の町に申し訳ないように感じていました。だって、スウィンドンと同じようかも知れ無いのですからね。」
ベルナール「( 笑いながら ) そこに行ったことはあるのですか?」
パートリッジ「いいえ。町は、小学校の子供たちをそこに送っていましたけれど、交換留学ですね、でも、私の両親には、そんな余裕はなかったのです。」
ベルナール「( 笑い続けて ) あちらも子供を送って来たのですね?」
パートリッジ「( 笑う ) ええ。ザルスギッターは1960年代の後半に、加工肉産業で大きな飛躍を遂げた町でしたから。( ドイツ訛りを真似て ) 「このあじをあなたたちは好きになるダショウとヴァタシたちはオムォイます。」」
ベルナール「( ずっと笑い続けて ) では、「The dough is rising but no bread will be baked. The fur is genuine but」の行を…、」
パートリッジ「「...but the orgasm's faked.」ですね。」
ベルナール「「 We're spending millions to learn to speak porpoise / When human loneliness is still a deafening noise. 」」
パートリッジ「以前と少しも変わりませんね。お金は全部、間違ったものに使われようとしているのです。人間性は何処へ行ったのでしょうね。イルカが語り合っていることを解読するのに、幾ら使ったのでしょう? 無料食堂とパンの配給の列をご覧なさい。月に到達するのに、どれだけのお金が要ったのでしょう? それだけのお金で貴方が何が出来たろうかを考えてご覧なさい。月に二人の無礼なお邪魔者を置いて、何がしたいと言うのですか?」
ベルナール「「そこにあるから」ですか? [ 原文:Becouse it's there?  これは、イギリスの登山家ジョージ・マロリー George Malloryーの言葉。 ]」
パートリッジ「ふうん。本当に。でも、優先事項は何かと言うことですよ。」
ベルナール「それで、第一ヴァースですが、主張されているのは、すべてが肉…」
パートリッジ「すべてが肉なのです( 古くさい上品な声で )。何もかも役に立たないのです、そう、虚栄、ねえ君、虚栄なのですよ。」
ベルナール「第一ヴァースは、創造と破壊ですね。そうして、第二ヴァースですけれど、ここでは、貴方は、優先事項について話しているのですね。私たちは十分なお金は持っている。それなのに、正しいことに使わない、と言う事実です。それで、次は、今私たちが論議している、貴方の歌詞ノートにあるヴァースなのですが、」
パートリッジ「これは、不眠がもっとひどくなるのですね。耳を潰すような騒音です。」
ベルナール「しかもそれは、消えて行かない。」
パートリッジ「そうなのです。騒音はどんどん大きくなって行くのです。泣く未亡人に飛び跳ねる恋人たち。実は、自分がこのことのために、韻のリストを作っていいたのを見つけたのです。weep、leap、seep、deep、creep、等々です。それは、人類が永らえる限り続いて行くものなのです。人類の愚かさと言うものですよ。」
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2015年06月26日

ベルナール、パートリッジ対談「 Across this Antheap 」5

ベルナール「どうして、トランペットを選んだのですか?」
パートリッジ「私はトランペットが好きなのですよ。トランペットが頭から離れないのです。トランペットが吹けたら、どんなにか良いでしょうねえ。結局、蛙の様になるのは嫌ですけれどね( 笑う )。」
ベルナール「( 笑いながら ) そうですか、ディジー・ガレスピーの様な風貌になるのは嫌なのですね?」
パートリッジ「ダナ・ギレスピー ( 1949年生まれのイギリスの歌手、ソングライター。 ) [ 姓は同じ Gillespie ですが、日本語表記は、アメリカのジャズ・トランぺッターはガレスピー、イギリスの歌手はギレスピーとなっている様です。 ] ああ、あの人たちにトランペットを演奏させられたら! ( 笑う ) Dana Gillespie
 ああ、真面目に話しましょう。本当に、私は、トランペットの音が好きなのです。曲に黄色いクレヨンの明るい光の斑点が欲しいなと思った場合、トランペットを使うのです。それに、深夜の様子が私は好きなのです。深夜の音と言うのは、ミュートを付けたトランペットですよ。あるいは、小さな音で繊細に吹かれるトランペットですね。陳腐な孤独のテーマ音楽ですけれどね。」
ベルナール「ですけれど、この曲のトランペットは、とても耳障りな音になっています。」
パートリッジ「そうですね。開始部分では、弱音器でとても弱い音にしているのです。眠れない夜の午前四時に嘆いている私がトランペットの音になっているのです。その他では、大きな音で吹き鳴らしているのです。そうでうね、私が「トランペット蚊」と用語化した音を吹いているのです。聴こえる範囲内のあらゆるところでブンブン言っている蚊ですよね。 
 トランペットには、エレクトリック・ピックアップを付けていたのです。MIDI か何かで操作していたのだと思います。全体を通して、そのエレクトリックな掻き混ぜ棒で掻き混ぜていましたよ。実はですね、トランぺッターは、何かを試していたのです。それで、私が、「それは凄い、もっとそれを遣って呉れないか。」と言ったのです。こうして、私たちは、それを「トランペット蚊」と書き留めたのです。その音が必要だったのです。午前四時に何とか寝ようとしている所に、突然、現れる蚊ですよ。終わりの部分で、それを聴くことが出来ます。頭の回りを飛び回っているのです。午前四時の最悪の不快な音ですね。 
 素晴らしい演奏です。トランぺッターはポールの推薦でした。「何曲かで、トランペットがどうしても欲しいんだけど。」と私が言うと、ポールが「どうだろう、僕は、マーク・アイシャムを知ってるけど。」と言ったのです。」
ベルナール「貴方ご自身は、彼の作品についてよくご存知だったのですか?」
パートリッジ「知っていました。映画『 The Moderns モダーンズ 』のサウンドトラックをしていましたか知ら。[ アラン・ルドルフ監督作品。1988年。音楽は、マーク・アイシャム。公開は、1988年4月。The Moderns (1988) - IMDb XTC がレコーディングの為に渡米したのは、1988年5月12日だから、公開後。 ] ものすごい評判の人でしたよ。大変な評判でした。それで、当然のことではありますが、審美眼がしっかり備わった奏者でした。こちらが欲しいものなんでも演奏出来たのです。「こんな風に吹いて欲しいんだ、( 口真似でブリッジ部分の高い下降パターンを歌う。 ) 、ここで強く、ここでは蚊の様に、ここでは静かに、」とかいろいろ言っても、彼は出来たのですよ。本当に大当たりの推挙でした。ポールは、同様に、パットも推薦したのです。明らかに、ポールは彼の為に働く奏者を持っていたのです。」」
ベルナール「それが、ポール・フォックスさんを雇った理由の一つでもあったのですか? つまり、ポール・フォックスさんが、ロサンゼルスの取り仕切り役であると言うことですけれど。」
パートリッジ「そうです。彼は、助産婦ですよ! 赤ん坊の出産を助けると言うばかりではないのです。何人かの腕の良い看護婦や乳母や養育係も推薦することが出来るのです。それで、大変な厄介事を容易なことに変えてしまうのですよ。( 笑う )」
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2015年06月24日

ベルナール、パートリッジ対談「 Across this Antheap 」4

ベルナール「それでは、ムールディングさんのベースのパートについても、少し話して下さい。」
パートリッジ「卓抜しています、本当に素晴らしいです! 私は、すっかり忘れていましたけれど。正真正銘の素晴らしい演奏のベースです。前面の弓で弾くベースは、サンプルです。ポールは、無尽蔵のサンプルを持っていましたからね。欲しがる様なものは何でもあったのです。私たちは、ずっと眠れないまま午前四時を迎えてしまってする様なものを必要としていたのです。それで、ダブル・ベースでなければならなかったのです。ですけれど、歌全体を通じての、コリンのベース演奏は、本当に優れたものです。歌全体の基盤は、ラテン的なパーカッションです。それに、私の湿っぽいブルーズっぽいプリング・オフ奏法のギターなのですが、コリンのウップウップする小さなベースが、そのすべてを素敵に聴こえさせているのです!」
ベルナール「」
パートリッジ「ええ。」
ベルナール「ムールディングさんが使ったベースが何だったか、貴方は覚えていますか?」
パートリッジ「たぶん、彼所有のウォルでしょう。直接聞けば分かるでしょう。」
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2015年06月22日

ベルナール、パートリッジ対談「 Across this Antheap 」3

ベルナール「キーボードも使っていますよね。」
パートリッジ「ええ、でも、私はキーボードには不満なのですよ。( プロデューサーの )ポール・フォックスは、この曲をシングルにしようと考えていたのです。それで、「安っぽいブラス風のキーボードを使いたい。」と言っていました。それは、私が本当に嫌な音だったのです。でも、彼は、「本当にひどい音だ、ほとんど皮肉に聴こえるよ。」と言うのです。それがひどい音だと言うことに私は気が付きました。それで、彼とはちょっとした論争になったのです。それでも、彼は、「もう少し遣らせて欲しい」と言うのです。それで、彼はLAセッション風のキーボードをしたわけです( くすくす笑う )。彼は、これをシングルにすると頑迷に言っていました。それで、長引いて行ったのです。その時、「彼は善い決定をするだろう。私たちは、これまで、それに従って来たのだから。それと同じだろう。おそらく、彼は正しいのだ。おそらく、私は個人的な嫌悪感を持っているのだ。チーズに対してと同じ様にシンセのブラス風の音を私が嫌っているだけど。」と私は考えたのです。」
ベルナール「それでは、弾いているのは、フォックスさんなのですね、グレゴリーさんではなくて。」
パートリッジ「ええ、ポールです。」
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2015年06月19日

ベルナール、パートリッジ対談「 Across this Antheap 」2

ベルナール「この歌の歌詞は、私たちは如何言う者であり何をしているかについて、数多ある幻滅を余すところなく説明したものの様に、私には思えます。」
パートリッジ「これが幻滅なのかどうかは、私には言えないことです。ただ、人間が互いを理解し合うことには無能だと言うことなのです。蟻以上には連絡が出来てないのです。たぶん、人間は、お互いを理解し合うのに、特別なヘルメットが要るのですよ。この歌は、そう、相互無理解のことなのですね。確かに、人類に対して、冷笑的な眼差しが向けられています。」
ベルナール「私たちは自分たちが何者であるかを考えてはいません。もちろん、私たちを含んだ宇宙については考えていて、その中で、自分たちが全体的に重要なのだと思っているのです。」
パートリッジ「私たちは、今、図らずも、重要な課題に手を着けてしまった様ですね。そうなのです。人類の虚栄と言うことなのです。私たちは、「神」が私たち人間に似ていると考えているのです。どうして、神がタツノオトシゴに似ていると考えられないのでしょう。タツノオトシゴが衣装を着けたら如何でしょうね。神が人間に似ている筈であるということについて、何の根拠もないのです。私たち人類がそんなに完璧なのでしょうか?」
ベルナール「ところで、「 Millions 」のお話を伺った時にも、貴方とグレゴリーさんは、それぞれどちらのチャンネルに入っているのかと、聞いたのですけれど、この曲ではどうなのでしょう?」
パートリッジ「デイブは、曲を通して、あちらこちらで短いフレーズを弾いていますね。貴方に説明しようと、ヘッドホンを当てて聴いたのですけれどね。私は、ヴォーカルのメロディに沿って、ブルージーなギターを弾いています。それで、デイブは、高い音のコーラス・エフェクターを使ったギターで、やや不協和音気味でアクロバチックな技を見せてます。 
 でも、この曲の重要な部分は、パーカッションなのです。この曲での、パーカッションのプログラミングは、その全部を私がしたのです。リン・ドラムをスタジオの隅の床のカーペットの上に置いて、コンゴとリムショット[ スネア・ドラムの縁を叩く奏法 ]とカウベルとその他あらゆるものをプログラミングしたのです。素晴らしいサンプル音を出せる様にして、パットがそれに沿って演奏出来る様にしたのです。」
ベルナール「驚きました。私は、発想するのに、リン・ドラムを使って、でも、レコーディングでは、全てが生楽器で演奏されたのだ、と、私は思っていました。それで、ほとんどが、サンプル音なのですか?」
パートリッジ「相当たくさんのサンプル音を使っています。それに、パットは、スネアとかシンバルとか何かを叩くとか、随分たくさんの短い打音を鳴らしているのです。それで、録音テープいっぱいに、パーッカションを入れてしまったのです。もう、それ以上録音出来ないと言う程までテープにパーカッションを入れたのです。なのにです、私は、「僕はさあ、歌の終わりの所に、フルのドラムズ・キットがどうしても欲しいんだなあ。」と言ってしまったのですよ。それで、私たちは、フルのドラムズ・キットについては、モノーラルにする他なかったのです。」
ベルナール「ああ! そのことを伺わなければと思っていたのです。それで、そのドラムズ・キットの音が左右チャンネルでパンしているのですけれど、それはどうしてなのでしょう。」
パートリッジ「そうですね。パンして揺らめいていますね。たぶん、オート・パンです。ただ、ドラムズ・キットの音はモノーラルなのです。テープの残りがありませんでしたから。ドラムズ・キットの録音には、二本のマイクを使って、その両方を一つのチャンネルに送ったのです。違ったか知ら、一本のマイクにまとめて、チャンネルに送ったのだったか知ら。でも、それで良かったのです。正しい音になっていました。終わってみれば、とても豪華な美しく録音されたパーッカション群の音になっていたのです。」
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2015年06月17日

ベルナール、パートリッジ対談「 Across this Antheap 」1

 アンディ・パートリッジとトッド・ベルナール Todd Bernhardt さんの対談、「 Across this Antheap 」について。
 2009年01月12日にMySpace に公開のもの。MySpace にはもうありません。今は、チョークヒルのアーカイブにあります。 
Chalkhills: XTCFans: Andy's Take: "Across This Antheap"  

ベルナール「「 Soldiers, workers, slaves and farmers 」…、」
パートリッジ「「 Nurses, queens and drones. 」、全部蟻の種類ですね。」
ベルナール「どこから思い付いたのですか?」
パートリッジ「子供の時、私は、蟻に夢中だったのです。ジャック・カービー Jack Kirby がイラストを描いたお話を読んでいたのを覚えています。カービーは、アメリカ・コミックの古今の描き手の中で私が一番好きな作家です。ある男が蟻塚( antheap )に入って行くのです。私の記憶が正しければ、蟻をコントロール出来るヘルメットを被っているのですが。[ 『 Tales to Astonish 』の「 The Return of the Ant Man 」 Tales to Astonish Vol 1 35 - Marvel Comics Database] もしかして、私は、アント・マン[ マーベル・コミックのキャラクター、ジャック・カービーとスタン・リーの創作。Ant-Man - Marvel Comics Database ]のことを考えているのか知ら? たぶん、読み切りの話しとアント・マンの始まりの話しがごちゃまぜになっているんだと思います。だって、あまりに勝ち目がないじゃないですか。蟻はどれくらい恐ろしいのです? スーパーな悪者をやっつけようとしても、ほんのちょっとダメージを与えるのにも、ものすごい数の蟻が要りますもの。 
 作者たちがすぐにジャイアント・マンに変えたのもちっとも不思議ではないですね。だって、「さあ、この男は蟻のサイズだ。蟻を操れる。でも、それで?」ってなりますからね。だってねえ、スーパーな悪者は、直ぐに気が付くでしょう。床の上を蟻の行列が歩いているのですよ。それに、フルフェイスのヘルメットを被ったちっちゃな奴がそのありの行列を導いているのです。ヘルメットには、蟻に話せる特殊なマイクロフォンが付いているのですけれどね。 
 兎も角、このビートの強い曲について始めましょう。そのカービーがイラストを描いたお話しを読んで、私は、蟻と人間の類似性について、子供の時からずっと考えていたのです。それに、ビーフハートが「 Ant Man Bee 」と言う曲を書きました。それで、「同じことを考える人がいるんだなあ、蜂の共同体、蟻の共同体、人間の共同体、だなんて。」と思ったのです。私の頭の中に、蟻と人間と言う考えが、ずっと潜んでいたのだと思います。 
 元は、『スカイラーキング』のための曲を書いていた頃に、書いたものなのです。『ファジー・ウォッブル』[ Vol. 6 に ]に二つのデモ・テイクがあります。早い段階のものは、『スカイラーキング』へ入れようとしたものです。ずっと湿った感じに聴こえるものです。後のものは、ウォー War [ 1969年から76年に活動したカリフォルニアのバンド ] がしそうな乗りのあるものです。私は、実は、ウォーの「 Low Rider 」[ Low Rider - Wikipedia, the free encyclopedia ] が大好きなのです。そうですね、ラテンの人たちにも少しは売れて欲しかったのです。( くすくす笑う ) 
 ギターをEでチューニングして、色々しているうちに、自分の耳にはいいと思えるこの曲のパターンを見つけたのです。そうすると、口のパーカッションが勝手に飛び出して来たのです。( 早めに ) ジゲディ・ジグ・ザグと言う風なものですね。即興に近いものでした。頭脳の排便ですよ。「これは? これは? ああ! 蟻だ!! そうだそうだ、僕は、今、蟻と人間についての歌を書いている最中なんだ! この曲なんだ! 今こそその時なんだ! 我が人生、陽の当たる瞬間! 子供が虫眼鏡で私の背中を焦点にして太陽光線を当ててるんだ! ああ、僕は爆発する!!!」と思いましたね。( 笑う ) 
 そんな経験、何度ありますか?」
ベルナール「ないですよ、( 勿体ぶった声で ) 私はどちらかと言うと、同情しやすく感じやすいタイプですから、、、」
パートリッジ「( 笑いながら ) ある一人の男が虫眼鏡を持って君の後ろに立って、焦点を合わせるのですよ、すると、君は燃え出す! 
 メンゲレ教授[ ナチス親衛隊の医師 ]の様にならないかと心配ですけれどね。私は爆発したのです。 
 まあ、それで、ギターのチューニングをオープンEにして弾いていて、この可笑しな短い、湿った感じのフレーズを思い付いたのです。( ヴォーカルの主旋律を歌う。 ) 一緒に、人間/蟻の直喩も出て来たのです。『 Skylarking 』では不採用になったのですが、私は気に入っていて、お蔵にはしてしまいたくありませんでした。それで、私は、もう少し工夫を続けたのです。もっと騒がしくして眠れない様にしたのです。」
ベルナール「その当時、実際に、ずっと検討していたのは何なのですか?」
パートリッジ「全部ですよ。そう、眠れなくなると言う部分です。」
ベルナール「「 And the screaming sky won't let me sleep 」と言う所でしょうか、、、」
パートリッジ「ええ、それに、イントロの部分、( 眠たげな声で ) 「 Soldiers, workers, slaves and farmers 」もです。これは、眠れなかった早朝4時の感覚なのです。脳がフル稼働しているのです。レーシング・ブレイン・シンドロームと言われていませんでしたか。脳を停止出来ないのです。それで、エリカはいつも不平を言っています。私がちゃんと話しを聞いていないって。」
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