2014年05月21日

「 My Bird Performs 」と「 Omnibus 」

 XTC のアルバム『 Nonsuch 』にシェークスピアと言う語を歌詞に使った「 My Bird Performs 」「 Omnibus 」の二曲がある。ライターはそれぞれ別。偶然なのだろうか。それとも、ムールディングとパートリッジに、当時、共通のテーマがあったのだろうか。あるいは、どちらかが先に書いていて、それを見たもう一人が取り込んだのだろうか。
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2014年05月02日

my Nonsuch

 アルバム『 Nonsuch 』は、堅牢に出来上がっているのだと思う。けれども、アルバムは、そもそも10曲40分前後であるべきだとすれば、やはり、大き過ぎる。それで、10曲のアルバムに組み替えて見ようと思った。
 アルバムに収められた、コリン・ムールディングの4曲と、2013年版に完成版が披露された「 Didn't hurt a bit 」は、アルバムの根幹を成していると思うので、そのまま、10曲のアルバムに入れなければならない。あとは、パートリッジの歌を5曲選ばなくては。
 「 Rook 」は、アルバムの中心と成る曲だから外せない。「 Omnibus 」も最重要な曲。後は3曲を選べばいいのだけれど。「 Dear Madam Barnu 」「 Humble Daisy 」「 Wrapped in Grey 」が好いかと思う。

 それで、My Nonsuch 。

A面:
1. My Bird performs
2. Dear Madam Barnu
3. Humble Daisy
4. The Smartest monkeys
5. Rook

B面:
1. Didn't hurt a bit
2. War Dance
3. Omnibus
4. Wrapped in Grey
5. Bungalow

これだと、A面18分23秒、B面18分20秒、総時間34分43秒だから、パートリッジの歌をもう2曲加えてもいい。
A面:
1. My Bird performs
2. Dear Madam Barnu
3. Humble Daisy
4. Holly up on Poppy
5. The Smartest monkeys
6. Rook

B面:
1. Didn't hurt a bit
2. War Dance
3. Omnibus
4. That Wave
5. Wrapped in Grey
6. Bungalow

これだと、A面21分27秒、B面21分54秒、総時間43分21秒で、ちょうどいいのでは。
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2014年05月01日

James Hill 「 The Omnibus 」

 このところ、ミュリエル・スパークの短編をランダムに読んでいます。昨日は、「捨ててきた娘 The Girl I Left Behind Me 」( 1957 ) を。その冒頭に、ホーンパイプ Hornpipe が出てきます。イギリスの古い音楽のスタイル。フォークダンスのための音楽。4拍子のもの、3拍子のもの、9拍子のものがあるそうだけれど。
 それで、XTC の歌の中に、ホーンパイプのようなものはないかと考えて、すぐに思い付いたのは、「 Omnibus 」でした。それで、少し簡単に調べたのですが、James Hill と言う人物がいました。私は知りませんでした。ゲーツヘッド Gatesheadの人で、フィドルの奏者で作曲家、パブの主人だった人。1811年生まれ、1853年没。そのジェームズ・ヒルの作品に、「 The Omnibus 」と言うタイトルのものがありました。どう言う曲なのかは、分かりませんでしたけれど。
 Folk Archive Resource North East ( FARNE ) で調べても、「 The Omnibus 」はアーカイブされていないようでした。
ASAPLive - FARNE Home
このサイトの「 SEARCH THE ARCHIVE 」で、楽譜、( いくつかのmp3ファイル ) が閲覧出来るのですが。

 パートリッジがジェームズ・ヒルを意識していたかどうかは、分かりません。本人は、1950年代のミュージカルの様、とノートに書いていましたけれど。
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2014年03月18日

coronation day

 ムールディングの歌「 War Dance 」には、coronation day と言う語が使われています。戴冠式の日ですが、俗語では、「給料日:payday」の意味もあります。
slang for payday because the pay could be reckoned in crowns (five-shilling pieces). 王冠の記された5シリング硬貨で給料が数えられたので。

歌詞は:
No we ain't seen nothing like it
Since coronation day

「 War Dance 」に、意味が二重に重ねられているかどうかは、分かりません。


これ、今日、Joyce の『 Ulysses 』を捲ってて:

−Four shining sovereigns, Buck Mulligan cried with delight. We'll have a glorious drunk to astonish the druidy druids. Four omnipotent sovereigns.
He flung up his hands and tramped down the stone stairs, singing out of tune with a Cockney accent:
O, won't we have a merry time,
Drinking whisky, beer and wine!
On coronation,
Coronation day!
O, won't we have a merry time
On coronation day!
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2014年01月14日

2013年版 Nonsuch パートリッジ・ノート 3:プロデューサー

プロデューサー

 吾は、襟を正し、故人ガス・ダッジョン氏の難を上げる意図が殊更ないことを示して置かんと思う。氏は、不幸にも、愛妻と共に自動車事故で凄惨な最期を遂げられた。然るに、「何故に、貴君は、ガス・ダッジョンをプロデューサーに選んでのであるか?」と吾に質問する記者の数は数えられぬ程である。率直な答えは斯くの如くである。切迫した事態に直面し狼狽して択んだのが、ダッジョン氏であり、レコード制作の為に選んだのは、本来は、氏ではなかったのである。我々は、元々、スティーブ・リリーホワイトとヒュー・パジャムとチームを組み、共に昔に戻って、音楽に懐かしいブードゥーの秘術を擦り込まん、と言う心算であった。そして、我々は上京して、倫敦に有るスティーブの自宅で彼の男と面談したのである。数時間は、手に麦酒を持ち無駄口に興じて、その後、爾後の最善の道を決したのである。面談の間を通じてリリーホワイト宅のテレビジョンは点いていて、不吉にも、連綿と伊拉久による科威都の侵略の事態を放送していた。其の様な不穏な事態が絶えず目を引いている時に、暢気な展望が展けた気分であるとは、狐につままれたようではあるが、我々の間では、全てが上手く行っていたのだ。チームは合意された。嘗てのチームが戻って来たのだ。
 スウィンドンに於けるリハーサルは、スティーブとヒューが来ると言う前提で進められ、「製作の前段階」は完了し、そのままで保留されたのである。そして、それらの歌を聞いたり、少し変えてみたりしていたのである。数日経っても、デラムの二人組は臨場せずに、我々は電話を受けたのである。[ 原文 Deramic duo:1960年代にイギリスのデッカ・レコードが創立したレーベル。ムーディー・ブルースなどを出版。Deramic Sound System と言う独自の音響技術を用いた。 ] 電話は、スティーブはアルバム制作は出来ない、と知らせるものであったのである。彼の妻、クリスティ・マッコールが、アルバム制作が始まると言う正にその時期に、スティーブに家族で休暇を取るべしと譲らぬ為とのことであった。何たる痛手…、然はありながら、諸君! 我々は、まだ、ヒューと共に製作が出来るのである。( 我々は、以前に於いて一度、成したことがあるではないか、『 Settlement 』がそれ。 ) 嗚呼! 突然に、彼の者の経理が、若しプロデューサーが彼一人となるのであればと、見積額を上げたのである。何たる哉。
 チッピング・ノートン・スタジオでの録音が始まる日が、我々に差し迫って居った。我々には、誰かが必要であった、其が誰であっても、兎も角、早急に。デイブ・マタックス ( 指名されていたドラマーである ) が、旧知のガス・ダッジョンはどうかと提案して来たのである、ダッジョンに面会するのは無料であることは、明白でもあったからである。吾は、ダッジョンに関しては僅かをしか知らなかった。ただ、エルトン・ジョンのレコード、ボウイの初期の曲は知って居った。また、吾の価値判断では、ダッジョンの王冠の宝石は、 The Bonzos の『 The Doughnut in Granny's Greenhouse 』なのであった。然り、我々は彼に会おうと意を決したのである。時は刻み続けて居った。
 吾は、出来した事の成り行きを鮮明に覚えて居る。コリンとデイブと吾は、コリンの自宅近くのパブで氏と落ち合うことにした。我々は、ちびりちびりと飲みながら、窓の外を見詰め、氏の到着を待ち受けて居ったのである。十分の後、GUS と言うナンバープレートを付けた一台のスポーツ・カー( 金属的青色のアストン・マーティン ) がエンジン音を轟かせながら駐車場へ入って来て、氏が降り立ったのである。細身の姿態は、頭頂から爪先まで統一された服を着て居ったが、即ち、三鞭酒色の繻子の旅行服、黒と白の縞の足に密着した皮穿袴、道化師の着る赤と黒の菱斑模様の繻子の襯衣、その襯衣は腰の所で開いて居り鋳塊の記章を見せて居った。足の先には、無闇に輝くトレーニング・シューズが見え、頭の先には、大聖堂の如く法外に掻き上げてスプレイで染めた綿飴の様な毛髪が見えたのである。コリンと吾は、振り返って、互いの瞳を見詰めたのであるが、音を発せずに「否」と口を動かしたのである。
 吾は、ガス・ダッジョンを批難するに此の章の全部を費やすべきではないし、然もなければ、我らの創造的なる角の突き合わせの殆どを御座なりにしてしまわん。彼の男は殊に優れた仕事をしたのであるが、当初から吾を抑圧する魂胆であったのだ、と言えば事足りるのである。其れは、トッド・ラングレンと吾が衝突した様を何かの記事で読んだが故の事である。ガスは、他でもなく吾の過ちであると端から決めてかかって居り、己の時計にアーテイストの「小細工」は入れぬ心算であり、出しなから吾の案を却下したのである。然し乍ら、其の心算は、雰囲気の目紛しい変様を引き起こしたのである。或る一瞬は、あの男は頗る楽しく善き友である、が、次の瞬間には、非妥協的な怒鳴り散らす校長なのである。我々は、スタジオに於いて、彼と共に、非常に実りの多い日々を持つことが出来た。作業が捗らぬ時には、ガスは、その惚けで士気を高める事が出来たのである。ただ、彼の放屁の伎能は、滑稽なヘラクレス擬きであった。スタジオが、短い間、「ガフ・ダンジョン 法螺吹き天守閣」と再命名されたのも、故のあってのことである。ガスは、主が子羊を導くが如くに、アルバムを安全に、( 略ではあるが ) 門まで導いてくれたのである。然し、編集の段階に於いて、ヴァージン社の要請により、ニック・デイヴィスと取って代わられたのである。このニック・デイヴィスとタイタン的な才能を賦与されたエンジニアのバリー・ハモンドの二人こそが、ショーの真のスターなのである。
 バリーは、仕事として呼び出されたのにも拘らず、その職務を越えて、夜っぴて働き、日中に録音したものを奇麗に仕上げ整頓し、聴衆諸君が聴いて居る此の美々しく音楽を奏でる音盤に収めたのであるから、諸君らの多大な感謝を受くべきなのである。金の賞牌を彼の人に。吾が演奏曲目の陰の主役、真のプロデューサーで、…、おそらくあるのだ。




おわり



誤訳、疑問点を指摘して下さると助かります。
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2014年01月11日

2013年版 Nonsuch パートリッジ・ノート 2:タイトルとカバー

タイトルとカバー

 大概に於いて録音の早い段階で、嬰児の為の名を見つけ出さずには居られぬと言う時が来るものである。我らの聴衆諸氏に於いては、シカゴのように数字を付けて作品を世に送り出すと言うこと、即ち、6、7、8、等であるのだが、斯様なことを望んでは金輪際居られまい。無論、諸氏は良い題名を望まれて居られよう。加えて、何曲かある歌曲の題名の一つをアルバムの題名に望んで居られないことも明々である。即ち、『「 I love Baby 」、とその他11曲』の如くの命名方であるのだが、然はありながら、暫時、吾は、此の平凡な業界的案を漫然と思案して居り、剰え、『 XTC-Seven Songs 』なるアルバムに付す装丁の為の素描まで描いていたので有る。何たるか! 有り得ぬことで有る。
 吾は、又、『 The Dandelions Roared in Piccadilly Circus 』なる題名でも、素描を描いていたので有る。そは即ち斯様な図である。矮小な尺度の曲芸団小屋の中に我ら三人の頭首が造り置かれて居り、其の口から矮小な演者達が吐き出されて居るのである。極めて下品なり。然れども、吾は、此の句を後の日に使用せんが為に留め置いておこうと思い至ったのだが、其は、此の句が美々しい響きを有して居り、地口が無かった故である。而して、此の句は、後年、「 River of Orchids 」の主たる着想と成ったのである。又吾は、『 The Tiny Circus of Life 』なる題名も朧げながらでは有るが案出していた。( 明らかに曲芸団の中心天幕の雰囲気に関しての命名であった ) 此の句は、吾が思案中のまた別の歌曲の歌詞の一行から取り出したものであったのだが、やはり、そぐわぬように思えた。暫し、…、『 Fossil Kiss 』、此れも良くない、然れども、吾は「 Fossil 」なる語が好きなのであるから、頭中の箱に大切に仕舞っておこうと思った、或いは、選集の題名に良いかも知れぬと考えた故。或いは又、子羊が麗らかな空に浮かんで居る様子を描いたスイス旅行の広告画が、吾に、『 Milk Float 』なる題名を思い浮かばせもした。その題名は宜しくはなかったのであるが、豪奢な印象は、合衆国で『 Upsy Daisy Assortment 』なる題名を付されて発売される当り曲集に、再度検討されることと成った。諸君、諦める勿れ。
 コリンが欣喜雀躍したのは、吾が『 The Last Balloon Home 』なる題名を持ち出して見せた時である。実現していたならば、我々は、此れの装丁を音楽舞踊劇映画の音盤の如くにしていたであろう。『 South Pacific 』の類い、或いは、それに似したものであろうか。即ち、我々が、其を聴きながら育ったであろう音盤の装丁の種、八十日間世界一周の如きものであったであろうか。然り! 八十日間世界一周の主人公フィリアス・フォッグ式の淡い色の衣裳を纏った我々三人が、万国旗と花々で飾られた気球の籠から、クリノリンを履いた別嬪の一団に手を振り見下ろしておる写真をあしらわれた大判の小冊子が作られたであろう。カラー写真は、其の色彩が、五十年代のテクニカラーの手法によって、電子的に強調されたことであろうが、其は、正に撮影所に於ける贋造の手法である。極めて聖林的である。嵩む費費用は極めて莫大である、…、極めて浮薄である。リラの花を挿した帽子を頭に被り降誕祭の燻腿の如き姿態を持って籠に乗り込むことを、デイブは、断固として拒んだのである。スタジオでの日々が過ぎて行くのに従って、全体の構想は磨り減ってしまい、…、何処かへ流れて行ってしまった。
 録音終了の期日が迫っていた或る日、吾は、或る歴史に関する書物の中に美々しい線画を見る機会を得たのである。其は、1610年に著された、ジョン・スピードの手になるサリー州の絵図の中の一つであり、簡素な細線で描き出された見事な宮殿、ノンサッチと呼称されるヘンリー八世の為に建立された宮殿、の絵であったのだ。嗚呼! 吾は、其の言葉に深く愛着を持って居ったし、それ故、吾が歌「 Chalkhills and Children 」に其の言葉を使って居った。更に、スピードの素描、其れ自体が大層に上品であり、頗る整然として居り、略そのまま、アルバムの装丁の形式に合うように思えたのだ。ゴウネン![ 鐘の音 ] 慌てて辞書を開くと、吾は、自分が「 nonsuch 」の語義を誤って居ったことに気付いたのだ。吾は、「存したことのない/非在」と解して居った。然るに、真の意味は、「比類するもの無き、完璧な、或いは、卓抜した、人物又は事物。」であったのだ。此れでは、アルバムの題名として、余りにも巫山戯が過ぎないか、自慢が過ぎないかと、自省したのである。然れども、何故に不可なのか、吾には理があるのではないか、と推考した。我々は、有り余る程の長きに亘って、謙虚であったではないか。今こそ、立ち上がりそして「此れは崇高な音楽である。我々は自らが成したことに誇りを持して居る。我らは、真に「天下無双 NONSUCH」であるところの音盤を創り上げたのである」と宣言するべきではないのか、と断じたのである。
 此れは、蛇足であるのだが、先日、「 nonsuch 」が雑草コメツブウマゴヤシ( Black Medick ) の別名でもあることを知ったのである。コメツブウマゴヤシは肥料、牧草にするのであるが厄介な雑草とも看做されて居る。皮肉である。悲しい哉、我が母国では、多くの人々が、我々を秣か厄介な雑草と見て居るのだ。





 Black Medick に関しては、Wikipedia にも記述があります。異名については、1923年以前に出版されたと思われる『A Dictionary of English Plant-names』が参照されています。Black nonsuch と言う名前の様です。また、次のようなweb ページの記事も:
Black medick - Weed information - Organic Weed Management


追記:
 この部分の最初の文章は、原文「 There comes a time, usually during the early stages of recording, that a name for the infant must be found. 」です。There comes a time は、一般的な表現とは思いますが、Gil Evans のアルバム『 There comes a time 』( 1976 ) のタイトルでも。パートリッジが意図しているかどうかは分かりませんが。でも、アルバムタイトルにもなった曲「 There comes a time 」は、パートリッジの愛するトニー・ウィリアムスの作曲。
Gil Evans And His Orchestra - There Comes A Time (Vinyl, LP, Album) at Discogs



追記:
『 Milk Float 』は、牛乳配達の車のこと。パートリッジは、「 The Everyday Story of Smalltown 」の対談では、牛乳配達のバートンさんの思い出を話していましたけれど。
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2014年01月09日

2013年版 Nonsuch パートリッジ・ノート 1:アルバム

アルバム

 我々は如何にして、その、つまり、成長したのか? 我々は何の掲示も無いまま何処かで角を曲がっていて、もうギターを手に辺りを彷徨き回り仕事に就こうとセヌ傾( かぶ )き小僧の一団ではなくなっていたのだ。我々は成人であり、自らの職に従事していたのだ。最早徒弟ではなかった。我々の家には、来客に着いて頂く確りと安定したそして上等に意匠された椅子が在った。椅子は、お守りを付けてテープで接着させた多数の支え木で保たれているのではなかった。これは、『オレンジズアンドレモンズ』のシトラスの果汁が噴出して我々の系統の外に飛び出し、同時に、長年の我々の収益管理人の毒気から逃れた後の、我々の自負することの最も大なるアルバムである。老練の技になる被風が我々に被せられていたが、それは我々に相応しく、心地よいものであった。
 巨大な市場、合衆国からカンフル剤を射たれるまでの『スカイラーキング』以前は、商業的には全くの暗黒の日々であった。嗚呼、亜米利加人、彼の人々の可愛らしい柔らかな突撃銃に幸あれ。「ディ・ゴッド」の爾後、亜米利加人の一部の人々、大学生、思想家、加えて、独立系作品好きの少年たちが、我々を支持していた様であった。更に、彼の人々の支払うドルが、我々の脆弱なサイケデリック生命維持装置からヴァージン社が電源を抜くのを止めていたのである。吾は、ヤンキーに感謝をする、真に感謝する。爾来、我々は上昇傾向に在り、アルバム『オレンジズアンドレモンズ』では、殆ど崇拝を受けるばかりに至った。
 そして今や、我々は次ぎなる障害物の前に在った、だが、待望されていると感じて居り、自信に溢れ、先へ進もうと勇み立ち、毛が逆立っているので在った。準備期間中に、吾は、私事として多くを書いていた。だが、誰かが最早我々を聴きたがっていると思ったのである。我々は、暖簾に腕押しのような無駄をしているのではないと言う思いが在ったのである。
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2014年01月08日

2013年版 Nonsuch ムールディング・ノート 6

 ミキシング・スタジオには行かないようにして、ぼくは、あの秋の嵐を乗り切ったのです。ガスは、僕たち全員に、自分はとにかく一人でやりたいと言い渡していたのです、だから、ぼくは近づきませんでした。ガスはミキシングに手をつけることはありませんでした。今では、関係者やその他の誰もが知っていることですけれど、とんでもない騒動がその後に起こったのですよね、ぼくは、騒動には加わらなかったんですけど、それで結局は、ガスは仕事から降ろされてしまったんです。ぼくは、彼が辞めてしまうことに動揺したのですけれど、だって、彼がミキシングを仕上げるのをぼくが支持しなかったからと言って、ぼくのことをひどく怒っているって、知ってましたから。でも、ガスがミキシングしたら、作品の持つ可能性を十分に出した音にはならなかったろう、と言うことも、やっぱり分かっていました。それに、ガスと言う人は、そんなことを直接に言えるような人ではなかったのですから。それでも、今でも、ぼくは、ガス・ダッジョンは偉大なプロデューサーだと思っています。( 数年後に、自動車事故で亡くなってしまいました。 ) 『ノンサッチ』を素晴らしいレコードにするために多くのことをしてくれました。でも、彼のミキシングのやり方は、たぶん、ぼくたちには通用しなかったのでは? ぼくたちは、あらかじめ、ある何かを思い描いているようになっていたのだと、今ぼくは思うのですけれどね。でも、ぼくの考えだけど、ニック・デイヴィスのミックスでは、音楽がとても雄弁に語っているのです。ひとつのことにだけ長けている、というのは、良いことではないか知ら。ニックは、世界でも最高のミキシング・エンジニアの一人で、ガス・ダッジョンと言う名前は、レコーディングについて、その偉大さが歴史に残り続けて行くのです。
 で、何が問題なのでしょうね? なにか衝突がなければ、書くべきこともないし、ぜんぶが順調に行きました、と皆さんが知っても、詰まらなくて退屈するだけでしょうからね。で、ぼくは、溝に魔法をぜんぶ入れるまで、ぼくらはそれをレコードと言ってますけれどね、ノロノロ牛が家に帰りつくまで、って、いつまで経っても帰らないんですけど、とにかくそれまでずっと、「オンガク屋」はケンカをしてるもんだ、と描くわけです。探求なのです。ぼくはそれをちっとも見逃してはいなかったと思いますよ。では、思い出の人々に感謝して。



おわり


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2014年01月07日

2013年版 Nonsuch ムールディング・ノート 5

 ぼくは、毎日決まって、スウィンドンから自動車を運転して行ったんですけれど、だって、自分のベッドが何よりも好きだし、それに30マイルしかないのだし、妻と一緒に朝食を摂るのは人生を楽にするものだから。でも、田園風景も大好きなんです、コッツウォルズは、1991年の夏には最高の様相を見せていましたもの。それで、その風景は、いつも、ぼくを好い雰囲気の中に置かせてくれました。そうなんだけれど、作戦を実行中の野営地の雰囲気はやな感じになっていました、とは言っても、セッション自体は素晴らしいものに成りつつあったのですけれどね、と言うか、ぼくがそう思っていただけかも、で、またいつもの問題が醜い頭をもたげて来ていたのです、…、性格ですよね。アンディ・パートリッジとガス・ダッジョンは鍔迫り合いの最中でした。最初は友好的な試合だったのですけれどね、醜い試合になり始めているのがぼくには見て取れましたよ。ぼくは、関わらないで離れていました。プロデュースされる方を認めるのか、自分でプロデュースする方を認めるのか、人はどのように決めるのだろうかと、ぼくは思うのですよ、ともかく、アンディが全部を自分で出来ただろうことは確かなのですから、満足も出来ないのに、他の人にお金を払う意味があるのか?と言うことなんです。残念なことに、レコード会社はいつも、アンディに鎮静剤を飲ませることに固執するのです、ぼくらはそれを「プロデューサー」と呼んでいましたけれど、アンディは、何度も、ひまし油の様にスプーンで「鎮静剤」を飲んだのです。
 『ノンサッチ』の前のアルバムを担当した、ポール・フォックスやスティーブ・リリーホワイトは、ぼくらを強勢的に何かをさせる才に長けていたのです、彼らの性質は、ぼくらの前の作品ではとっても上手くいったのです。思うんだけど、ガス・ダッジョンは、棒でロバを叩きはしたんだけど、ニンジンを忘れたのですよ。ぼくに付いて言えば、それで上手くいきました、たぶん、ぼくは物事を進めるのに、せっつかれる必要があったのですね。レコーディング・アーティストと言うものが、繊細な種族なのかどうか、ぼくには分かりませんけれど、…、でも、朝食には、ココポップス[ シリアル食品 ]に全脂の牛乳をかけるのが好きなんですよ、さもないと、爆発してしまうでしょ。何が起ころうとしているか、ぼくには分かっていました。みんな、好い奴なんです、だれの失敗でもないんです、組み合わせがよくなかったのですよ。
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2013年12月31日

2013年版 Nonsuch ムールディング・ノート 4

 『ノンサッチ』のときのドラムはデイブ・マタックスです。ドラム界の「チャールズ・ホートリー [ 1914年生まれ1988年没のイギリスの喜劇俳優。『 Carry on 』シリーズに出演。テレビの『 The Army Game 』にも。ビートルズのアルバム『 Let it be 』の「Two of Us 」で歌が始まる前のレノンのジョークにも登上。顔が似ている。 ]」ですね。でも、ぼくは、『ノンサッチ』はデイブのお陰だと思ってますよ、彼は決してビートを間違えないんですもの。デイブは、マッカートニーとかすごい人たちとも仕事をして来ていたし、みなさんが好きなようにどんな風にでも彼のドラムで踊れますからね、いまでも、金型みたいにぴちっとまっすぐなドラムなんですよ。ぼくらは、デイブを「ワンビート・フィル [ fill:オブリガート ]」の名人と呼んでたんですけど、とっても意味深い休止を置いてその後に一泊のドラムを打つんです、たいていはトムですけど、どんぴしゃりのところに入れるんですよ。デイブは、もう神業の境地にいるプロフェッショナルですけど、だれでもを魅了しますし、だから、ぼくたちも、デイブのたくさんある話しを楽しんだのです。デイブはこう言うんですよ、「セッション・ドラマーが一番好きなドラム・フィルは何か聞いたことがあるかい?」って、ぼくらは口をそろえて「いいや」って言うけど、興味津々なんですよ。それで、デイブは、まるで手にドラムスティックを持っているような身振りをして、言い放ったんです。「重ね録り! 重ね録り! 現金払い!」って。彼の働きに対して、当時のぼくらとしては相当の額をデイブに支払ったんですけど、それが笑われるようなものか泣き出すようなものかをぼくらが分かってたとは思えませんね。( もちろん、デイブのドラムはとっても価値のあるものだと言うことは、ぼくも分かってますけどね。 ) でも、デイブが、航空便用のケースに60張のスネア・ドラムを入れて持ち込んだ時には、この人はちょっと見栄っ張りなのかなと思ったのですけどね。セッションが終わった後には、見方が変わりました。ぼくがこんなにたくさんのドラムを自分で持って回らなければならない可哀想な人でなくてよかったと思ったことを覚えています。デイブは、人間メトロノームなんです、それで、音楽をきれいに安定したものにしたいと思った時には、見方になってくれるすごい人なんです。



チャールズ・ホートリー:
BFI Screenonline: Hawtrey, Charles (1914-1988) Biography

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2013年12月30日

2013年版 Nonsuch ムールディング・ノート 3

 セッションは「チッピー」( チッピング・ノートン ) で行われたのですが、そこは、古い学校、それも、校庭のようなところに教員宿舎のある学校の施設ですけど、それを改造したスタジオでした。セッションの内容と言えば、それはもうまるっきり、地域の校区だけの世界のようなもので、マスタードのようにどうしようもなくイングランド風でしたから、つまり、ロス・アンジェルスからはもうずっと遠いですし、『オレンジズアンドレモンズ』の時のようなうわべだけのきらびやかさとはぜんぜん違っていて、とってもXTC 的なのでした。あの夏、ぼくは、ふたつのものを融和させると言う仕事をしたのです。ひとつはイングランド、それは「お茶の国」で、ほんわかしていて、こじんまりして、( 一般的には ) 礼儀正しいのですが、もうひとつは合衆国で、それは、重役会議室のテーブルを叩くハンマーの固い音に業界独特の話し方をするところ、そのふたつです。ぼくたちが、それをうまく合わせられたかどうかと言えば、今考えても、そうは言えそうにないですねえ。
 「チッピー」は、でも、とってもすばらしくて、いろんな重圧をぜんぶ忘れさせてくれました。このスタジオは、イギリスのポップ・ミュージックと華々しい関係を持っていたのです。とくにヴァーノン兄弟とですけど。みなさんご存知のように、初期のフリートウッド・マックの全部ですよね。あの時も実際に、リチャード・ヴァーノンがまだスタジオを経営していました。このスタジオの「系統図」に載せられるなんてすばらしいですよ。イギリスで作られるポップ・ミュージックの大変な伝統のバトンを受け継いだ気分になるのです。でも、いまでは、そのレーベルを見ることがないですよねえ。
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2013年12月29日

2013年版 Nonsuch ムールディング・ノート 2

 たいていは、プロデューサーの名前は前もって触れ回されていましたけれど。あの時は、スティーブ・リリーホワイトの名前が挙がっていたのです、でも、そうなりませんでしたね。ジョージ・マーティン ( 長い間、本命として希望していたのですけれどね )、マーティン氏自身は「有頂天になって」いたのだけど、レコード会社がですね、氏はとてもとても高額だと思われるからと言って、儀式ばって候補の箱に名札を戻したのです。そうなると、「いつものこと」になるのです。プロデューサーを長いこと見てないよ、どうしたの?って言うことにです。そうして、おなじみのパターンが続いて起こるのです。「君が一味の首領をみつけたら( この場合、プロデューサーですけれどね、だって、その人が、ぼくらを言い合いになったり自分たちに甘くなったりするのを防いでくれるわけですから、それに、自分たちでプロデュースするのには、レコード会社は反対票を入れますしね、)、ぼくを起こしてくれない。」ということになったのです。それで、バンドが安静に出来るように、レコード会社が錠剤を飲ましてくれるのです。あの時のお薬は、落ち目になった古参者の形をしてもたらされたのですけど、それが、ガス・ダッジョンだったのです。昔日から鳴り響いて来るたくさんの名前には、好いこだまを伴ったものもあり、悪いこだまを伴ったものもありますけど、ガスと言う名前は、レコードがホップ・パーティーのために作られていたか、大体その頃の時代の好い感じの響きがしたのです。ガス・ダッジョンがぼくたちの田舎村のパブに遣って来てアルバムのことを話した時のことを、ぼくは覚えています。バットマンの一番の悪役、あのペンギンの乗っているような派手派手の自動車から業界の雰囲気いっぱいで降りて来たんです。その時、ぼくは心中で思いましたよ。「あんな風にまわりを見ていたら、殴り倒されてしまいそうだなあ、、、もしか、ぼくが殴るかも。」
 ぼくは、こっそりとガスをバーのいっと隅に連れて行ったのです、そうして、住民が彼を見ないですめば好いなあ、と思っていたのです。上手くいったと思ってました、でも、それも妻からの電話が来るまでのことでした。電話で妻は、ガスの自動車がぼくたちの通りを通れなくして、近所は左からも右からも真ん中からもクラクションが鳴り響いていると言うのです。道路を通れなくしているのは、他でもなく一台の自動車で、それも高級車なので、ぼくが何か騒動に巻き込まれているのではないか?と聞いて来たのです。その自動車は、アニメーションの『チキチキマシン猛レース Wacky Races long』で、ディック・ダスタードリー( ブラック魔王 ) が持っていそうな車で、いかにも高そうでかなり長いテールフィンが付いた華奢な感じだったのです。スウィンドンと言う町は、「大都会の伊達男」に見えるような人物にからっきし寛容でないイングランドの田舎町なのです。なんとか彼をぼくの家に入れるまで、近所の人たちは、ガスを疑わしげに見ていました。幸先の好いスタートではありませんでしたね。
 そんなことがあっても、ぼくはガスと言う人と彼のおふざけは無しと言う遣り方が好きでした。ガスは、プロデューサーと言うよりも、上級曹長と言う感じの人でしたから、スタジオに、サンドハースト王立陸軍士官学校の閲兵式を持ち込んで来たようでしたけれどね。彼は、ぼくたちの最高の演奏を絞り出す方法を持っていたことは、確かですね、でも、それは、ぼくたちがまるで戦いに出撃するかのようでしたけれど。実際あの時には、ぼくはいつも、ベースを録音しているというよりも、軍事作戦の前哨地に送り出されるような気がしていたのです。その遣り方は、ぼくには有効でした。プロデューサーのガスは、「極致の演奏」をものにしたのです。引き出させる力と言うのは、往々にして、プロデューサーの能力としては過小評価されているものですけれど、そんな閲兵式的な遣り方が、アンディにとっては適当だったかどうかは、ぼくには分かりません。でも、早くから、アンディには上手くいかないだろうなと言う気はしていました。ぼくは自分の歌を録音し終えると、指を耳につっこんで聞かないようにしたのです。
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2013年12月28日

2013年版 Nonsuch ムールディング・ノート 1

 ポピュラー・ミュージックの世界で成功を収めるのは、それはたのしいです。でも、成功を追い求めるとこころを傷つけることになり勝ちです。『オレンジズアンドレモンズ』、ぼくたちの『ノンサッチ』の前のアルバムですけど、それはほんのわずかだけれど合衆国で前進をしましたけれど、その前進は、実際のところ、「ディアゴッド」( 最初は「グラス」のB面で、それがA面になって、ラジオでかかったことでヒットして、アルバム『スカイラーキング』に勢いが必要でしたから、それに加えられてたのですけれどね。 ) から始まったことの成り行きに乗ってのことでした。 それはその時はよかったのです。それに、もし滑りやすい斜面をよけたいのなら、最後の審判の日までずっと、成功を繰り返さなければならないことになるよ、と耳に痛い忠告をしてくれるような人はいなかったのです。成功と言うのは、キングコングと同じで、食べさせなければいけないのです。レコード会社の重役が、アメリカで一曲がヒットしたことに喜んだら、もう一曲ヒットすることを望むのですよ。それで、それが、新しく作っている歌に過度の重圧を与えて、用心しないと、期待の大きさのせいで歌が駄目になってしまうと言うことがままあるのです。つまりですね、そんな事とも気がつかないまま、重役を喜ばそうと跳んで輪をくぐり抜けてるわけなんです。
 そんな圧力が「ピーター・パンプキンヘッド」に加えられたので、まあ、「ピーター・パンプキンヘッド」はぼくらが唯一ほんとにアメリカでの成功を求めようとした曲なのですけれどね、まあ、それで、「ピーター・パンプキンヘッド」は始めた時よりもずっとアメリカ的になって仕上がったのです。でもね、良い曲と言うのは、その良さを隠して置けはしないもので、出来上がったものは、ぼくたちの解釈が入ってもいるのですけれど、アンディのデモからそんなに飛躍もしていなくて、それでもやっぱり、アンディのぜんぶの曲の中で、ぼくが個人的に一番好きな曲であり続けてるのです。ぼくたちにかかれば、シングル曲はとってもシングル曲的になるし、風変わりな曲はとっても風変わりになるのです。と言うわけで、XTC のアルバムには、ときおり、まるで違った傾向の曲が一緒に入っているのです。
 ぼくたちは出来るかぎりキングコングを食べさせてはいたのですけれど、でも、ぼくたちって、自分の本来の気質に甘いわけなのですから、イギリス的と言うかもっともっと地域的なものが出てしまうのですね、どうしても、それで、『ノンサッチ』になってしまったのです。そんなありとあらゆるものの寄せ集めなんです。あからさまにキャッチーなものが童謡の「riddly diddly」的なもの( そんなのをどんなミュージックがほんとに好きなのか知らね? )の側に置いてあるわけです。それが、XTC にとっての闘争の場なのです。ぼくたちは、ヘアー・スタイリストのヴィダル・サスーン氏よりもたくさんのスタイルを持ってるんです。
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2013年12月23日

2013年版 Nonsuch デイブ・マタックス・ノート

 1991年のフェポート・コンヴェンションのツアー中のことでした。サウンドチェックの時間に、私は、スウィンドンの会場に到着したのです。[ ツアーは、1月から2月、スウィンドンでのコンサートは、2月2日。ワイバーン・シアター Wyvern Theatre ] その時に、私のスネアドラムに伝言があるのに気が付きました。「アンディ・パートリッジに電話を」とありました。「これは滑稽至極だなあ。」と誰にと言うこともなく叫んだのです。劇場の舞台裏の電話ボックスに10ペンスコインを入れて、( そう言う時代だったのですねえ。 ) こんな会話が始まったのです。「ええと、…、アンディ・パートリッジさんのお宅ですか?」「( 笑いを押し込めてる様子 ) デイブ・マタックスさんですか?」 

 実のところ、フェアポートのツアーのプログラム・パンフレットに、私は、XTC は是非とも一緒に仕事をしてみたいバンドだ、と書いていたのです。デイブ・グレゴリーの弟のイアンが、これを読んで伝えたのですね。そう言う次第で、私は巻き込まれてしまったのです。( ここで、イアンがフェアポート・コンヴェンションのファンであることが暴露されてしまいました。 ) バンドに会って見ました。とても嬉しかったですし、彼らが最高の連中であることが分かりましたが、それも当然至極のことでした。記憶がちゃんとしていればですが、私たちは、レコーディングのかなり前に、一週間か大体それくらい、リハーサルをしました。結局は、とても上手く出来たと言うところまでは行きませんでしたけれど。先に決まっていたプロデューサーとスケジュールや金銭上の問題がほんの少しだけあった後 ( そう言います。 )、懇意のガス・ダッジョンを紹介出来て、私はその時は嬉しく思ったのです。

 セッションは感慨深く思い出されます。作品、歌唱、演奏は、ただただあきれる程に素晴らしいものでした。チッピング・ノートン・スタジオで撮影されたフィルムは、全員がアイデアを出し合い、一丸となって作品を創り上げているのを、証してくれます。兎も角、素晴らしい音をテープに収めることが出来たことは、エンジニアのバリー・ハモンドのお陰ですから、その賞讃は彼に帰するべきなのです。

 記憶がちゃんとしていればですが ( またですけれど )、「 Omnibus 」とその他二曲程が、とても難しかったと覚えています。それとは反対に、「 Peter Punpkinhead 」は比較的早くいっぺんに出来ました。『 Nonsuch 』に参加出来たことを、とても誇りに思っています。それに、ポール・マッカートニーとニック・ドレイク NIck Drake を除けば、私が関わったレコーディングで、一番多く質問されるのが、『 Nonsuch 』のレコーディングについてなのです。この作品は、私には昔とちっとも変わらないままなのです。この作品集は、演奏の幸運にも機会を得られた最上のものとして長年に亘って、私の側にあるのです。結論です、これは、第一級品で、彼らは第一級の人たちなのです!


おわり


Fairport Convention 1991年のツアーのプログラム・パンフレット:
Pasted Graphic.tiff

誤訳、疑問点をご指摘下さると助かります。
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2013年12月19日

2013年版 Nonsuch グレゴリー・ノート 5

 ガス・ダッジョンについて二、三のこと

 2002年7月21日に、ガス・ダッジョンは、妻のシイラSheila と共に、メイデンヘッド近くで高速道路M4 を降りたところで、自動車事故で亡くなっています。二人はパーティーから自宅に戻るところだったのです。日曜の明け方前の真夜中のことでした。ガス・ダッジョンの居眠り運転だと思われています。

 ガス・ダッジョンは、レコード制作の古い流儀で育った人でした。スタジオのスタッフは、技術面にだけ注意を払い、歌手と奏者は演奏を専らにする、と言う考えです。例えば、エルトン・ジョンですが、ガス・ダッジョンに作品を全面的に任せて、エルトン自身はアレンジについてやミキシングについての議論の渦中に入ることはなかったようです。それで、素晴らしい成果を上げていたのです。ですけれど、現代のアーティストたちの多くは、作品のあらゆる面、特にレコーディングに於いて、自分が「関わる」ことに固執するのです。アンディだけが例外なのではないのです。トッド・ラングレンが『 Nonsuch 』の五年前にそうしたように、自分の作品のミキシング作業に立ち会うことは歓迎されないと言い渡されることは、アンディの見方では、侮辱と同じに思えるのです。ただ、当時49歳だったダッジョンには、自分は、70年代と80年代の大成功した一連のアルバムで大望は既に叶えている、頂点は過ぎたプロデューサーであるし、XTC はそれらに較べれば然程のものではない、と言う思いがおそらくあったのでしょう。

 けれども、ダッジョンが私たちの作品制作に熱意を持っていたこと、アルバムを最も見映えのする明かりの下に送り出そうと臍を固めていたことは、私はしっかりと分かっています。それは彼の遣り方でなのですが。勿論、『 Nonsuch 』はダッジョンなしではきっと有り得なかったでしょう。ダッジョンが亡くなって残念です。




おわり

誤訳、疑問点をご指摘頂くと助かります。
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2013年12月18日

2013年版 Nonsuch グレゴリー・ノート 4

 ここに記している手記を纏めるために、自分の記憶を必要なだけ十分に蘇らせようと、私が持っている一枚しかない『 Nonsuch 』のビニール盤を念を入れて聴いたのです。その時、私は、嬉しい驚きに満たされていました。その質の高さに改めて気が付いたのです。『 Nonsuch 』が先行する二作品と同様に、売り上げが芳しくなかったことで、私は、自分の判断に自信を失くしていました。それで、16年経った今、再度聴くことで、当時聴いた時には思いもしなかったアルバム固有の弱点が即座に明らかにされるだろうと、決めてかかっていました。ですが、そうではなかったのです。『 Nonsuch 』こそが、XTC が創った作品の中で最高のものだと、断固として思うのです。1993年には、グラミー賞のベスト・オルタナティブ・アルバムにノミネートされました。それは、このアルバムは、何かしら人を満足させるものがあって、どこかの誰か、それも影響力のある誰かが聴いていたと言うことの証明なのでした。でも、結果は、トム・ウェイツの『 Bone Machine 』の後塵を拝すことになりました。『 Bone Machine 』は、まさに賞に値する作品でした。B52の『 Good Stiff 』、The Cure の『 Wish 』、Morissey の『 Your Arsenal 』と共に、私たちを次点に置いて、受賞したのです。

 1992年3月6日金曜日に、リチャード・ブロンソンは、ヴァージン・レコード社をソーン・EMIグループに、5億1千ポンドと言われている金額で売却しました。XTC と新しい経営陣営との関係は良好なものになることはありませんでした。そんな中、4月27日に、『 Nonsuch 』は刊行されたのです。結果、XTC がヴァージン社に持込む最期のスタジオ制作アルバムになったのです。
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2013年12月17日

2013年版 Nonsuch グレゴリー・ノート 3

 ガス・ダッジョンとバリー・ハモンドは、一週間は持ち堪えたのですが、結局、解雇されました。アルバム制作を成功裏に終了させる為には、全くの猶予もなく、エンジニアを見つけ出す必要があったのです。誰をエンジニアにするかと言う議論は、アンディとヴァージン社のA&R マンに委ねられました。推薦されたのは、私たちは直ぐにそれがどういう人物なのか分からないような人でした。その時に最新のジェネシス Genesis のヴァージン社から出版され、全英のヒットチャートで1位になったアルバム『 We can't Dance 』を共同プロデュースした人ということでした。その人の名前は、ニック・デイヴィス Nick Davis 。そして、そのデイヴィス氏は難事業を引き受けてくれたのです。救いの騎兵でもあるかのようでした。11月25日月曜日、ディヴィス氏とアンディは、ロック・フィールド・スタジオに戻りました。そして、ダッジョンが遣り掛けたミックスを最初に戻して、ミックスを始めたのです。

 コリンと私は、終止、蚊帳の外でした。レコードのプロデュースを託された件の男には事の重大性を痛感する時が来るのではないかと恐れていました。アンディの介入は、それまでも、多くの嫌な感じを生じさせていました。それで、私は、個人的には、気が休まらなかったのです。アンディがニック・デイヴィスと仕事を初めて二日後に、私は、彼からの電話を受けました。こう言ったのです。「ニック・デイヴィスが我々のレコードにどんな仕上げをしたか、君はきっと信じようともしないだろうね。「 My Bird Performs 」はミックスし終わったよ。完璧だよ。今は、「 Holly up on Poppy 」を作業している最中なんだよ。夢見るような音だよ。君も、来るべきだよ!」

 ニック・デイヴィスは、バンドのメンバーがミックス作業に立ち会うのには、見るからに何の支障も感じていないようでした。ですので、そのとおりに従いました。それで、一挺のストラスキャスターと二台のフェンダーのアンプを持込んだのです。そして、私は自分が弾いた「 Wave 」のギター・ソロが曲の主題と合ってないと考えていたので、それを再録音したのです。再録音したものが、最終的に入れられて、『 Nonsuch 』は、ずっとよくなりました。

 ロック・フィールド・スタジオからスウィンドンにアンディと一緒に自動車で帰った時のことを、私は覚えています。完成されたアルバムのカセットテープを携帯していましたから、それをプレイヤーに入れたのです。私の自動車の貧弱なステレオでも、スタジオで演奏されたそのままの素晴らしさで聴こえました。自分が為終えた仕事で、それ程の幸福感を感じたことはありませんでした。『 Nonsuch 』が最高でした。自分たちは、完璧なレコードを創り上げたのだ、と確信させる幸福感なのです。その時には、1992年は、きっと私たちの年になると思ったのですけれど。
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2013年12月13日

2013年版 Nonsuch グレゴリー・ノート 2

 二週間の内に、ドラム・トラックを終えました。それから、コリンが弾くベースのパートと私が弾く「 Wrapped in Grey 」と「 Bungalow 」のピアノのパートに取りかかりました。何日か経って、週末に休暇を取りました。その時に、クロプレディ Cropredy 近くで行われた、フェアポート・コンヴェンションのアニヴァーサリー・フェスティバルに行ったのです。[ 1991年は、8月9日金曜日と8月10日土曜日。 ] そこで、リチャード・トンプソンを見て、デイブ・マタックスさんが本来のメンバーの中で演奏するのを見て、聴いたのです。その後の月曜日[ クロノロジーに依ると、8月19日月曜日。 ]、BBCのテレビ取材班がレポータのニック・ハイアム Nick Higham と一緒にスタジオを訪れて来ました。[ 数学者のNicholas Higham なのかどうか?? ] ブレックファースト・ニュースで放送する予定の、ガス・ダッジョンと彼が重要なメンバーであるプロデューサー組合についての撮影でした。その時に取材されたものには、アンディとコリンと私が「 Dear Madam Barnum 」のギター・パートをリハーサルしている様子も含まれていました。それからの一週間は、ギター・パートのレコーディングを続けて、ギター、ヴォーカル、キーボードそれにベースのパートの仕上げにかかっていたのです。そして、アルバムは形になり始めました。それも、とても魅力的な感じになって行ったのです。
 四曲に付けるストリングス部分の為に、予算の一部を残しておいたのです。ストリングスについては、スタジオの場所が問題になりました。大抵のセッション・ミュージシャンは、ロンドンを拠点にしていたか、少なくてもロンドン近郊に居たからです。そのセッション・ミュージシャンをオックスフォードシャーに送り出すのは、費用がかかる上に、レコーディングは非効率になるので、ブリストルに居る友人のステュアート・ゴードン Stuart Gordon に電話をしたのです。決まった料金で演奏してくれる有能な奏者のカルテットを集められるかと聞いたのです。ステゥアートは、曲を聞きにチッピング・ノートンに遣って来ました。そうして、やると決めたのです。それで、まだ完成前のものを録ったカセットテープと、ステュアートのカルテットの奏者が練習するために私が書いた譜面を送ったのです。
 ステュアート・ゴードンは、9月27日に、彼の仲間の奏者と一緒にチッピング・ノートンに戻って来ました。四人全員が、ブリストルから一台の自動車に楽器と一緒に乗り込んで来たのです。長い一日になりました。それは、ガス・ダッジョンを疲労困憊させたのです。ダッジョンは、熟練した奏者と三時間程のセッションをすることに馴れていたのです。ところが、どうしても再録音が必要な箇所が、あまりにたくさん見つかってしまったのです。それは、ダッジョンが耐えられる三時間内では済まないものでした。でも、今、「 Wrapped in Grey 」「 Rook 」「 My Bird Performs 」「 The Disappointed 」を聞き返して見ると、ちゃんと成功していて、喜ばしい雰囲気の変化をもたらしています。それがアルバムに大変に貢献しているのです。
 アルバムのレコーディングが最終的に完了したのは、10月18日の金曜日でした。その時には、夏はもうずっと前に終わっていて、冬が近づいて来ていたのです。仕事をやり終えたことにとても満足をしていたのですけれど、セッションの期間を通じて、ガスとアンディの間の軋轢は次第に大きくなっていたのです。モンマス Monmouth のロック・フィールド・スタジオ RockField Studio で、11月の11日に、ミキシングを始めることになっていました。そこで、ガスは、作業をしている間は、アンディも他のメンバーの誰も居て欲しくはない、とアンディに伝えたのです。ダッジョンとバリー・ハモンドがミキシングをして、その後で、残っていた私たちが遣って来て意見を言い、最終的な調性をすると言うことでした。アンディはその申し出に激怒しました。ですけれど、私の意見は違いました。ガス・ダッジョンは、これまで、たくさんのたくさんのヒット・アルバムを送り出しています、それに、実際、バリー・ハモンドも居るのです、悪くなることが有り得るでしょうか? と考えたのです。アンディは、創作の最も重要な局面で、自分が計画した仕事から閉め出されて関与出来ないと感じたのです。
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2013年12月09日

2013年版 Nonsuch グレゴリー・ノート 1

 1991年7月15日月曜日、XTC は、ドラマーのディブ・マタックス Dave Mattacks 、プロデューサーのガス・ダッジョン Gus Dudgeon と一緒に、オックスフォードにあるチッピング・ノートン・レコーディング・スタジオに入りました。そして、後に『 Nonsuch 』と名付けられるアルバムのレコーディング・セッションを始めたのです。十四週間を通して予約されたスタジオは、ダッジョンもマタックスもよく知っているスタジオで、その上、アンディは、少し前にそこで、ライラック・タイム Lilac Time と言うバンドと仕事をしていたのです。[ Lilac Time 「 All for Love & Love for All 」だと思います。ガス・ダッジョンについては、Discogs で見ただけでは、チッピング・ノートン・スタジオを使ったレコードは見つかりませんでした。 ] 私が得ていたこのスタジオについての知識は世評からのものだけでした。以前は学校で1966年に閉校した後は、1972年までは空き家になっていて、それを、レコード・プロデューサーのマイク・ヴァーノン Mike Vernon と彼の弟リチャード・ヴァーノン、それに、デッカ・レコードの録音技師だったデイブ・グリンスティード Dave Grinstead が共同で購入して、レコーディング・スタジオに改造した、と言うことでした。改築に必要な資金は、そのほとんどが、ヴァーノンがプロデュースして、兄弟が経営していたレーベル・ブルー・ホライズン・レコード Blue Horizon Records から出版された、フリートウッド・マック Fleetwood Mac の大ヒット曲「アルバトロス Albatross 」( 1968年11月 )からの印税で賄われたのだと言うことです。
 スタジオは、常に予約で一杯でした。リチャード・ヴァーノンが、実質的には、一人で切り盛りしていました。兄のマイク・ヴァーノンは、その時には実際のところ、書類上の経営者であるだけになっていました。リチャードの私生活の伴侶であるシャーリー・ベネット Shirley Benett が台所を預かり、それに、経営の手助けをしていました。スタジオについては、実は、秘密兵器があったのです。スタジオ付きのエンジニア、バリー・ハモンド Barry Hammond です。彼は、チッピング・ノートン・スタジオの開所日から居て、スタジオの隅々まで知り尽くしていたのです。朗らかで、熟練していて、泰然とした人物でした。然し乍ら、バリー・ハモンドと言う人物について最も重要なことは、非常に鋭い聴覚を持っていたと言うことです。ハモンドは、何か問題が起こりそうな時点で、それを解決する要領を知っていたので、機材がちゃんと機能するまで待つと言うことは、全くなかったのです。それでも、時には、借りて来たデジタル・レコーダーが故障して、ロンドンから技師が到着するまでのほんの二三時間を無駄にしたことはあります。
 スタジオでの最初の三日間は、アルバム用に選んだ19曲のおさらいをしたのです。三月の第一週を通してリハーサルして以来、私たちは一緒に演奏していなかったからです。その三日間のおさらいは、同時に、ガス・ダッジョンに、どのような音に歌を録音するのが適当かと言う考えを示すことになったのです。私たちは、デイブ・マタックスと四週間を一緒に過ごしました。その四週間で、ドラム・トラックはすべて、素晴らしい出来で録音を完了しました。レコーディングがどのように進められたかは、幸いなことにフィルムに収められたので、今回のBlu-ray 版で、視聴することができます。
 XTC がレコーディングを始めると、私はいつも決まって、新しい手書きのノートを作ったものでした。すべての歌について、細かく書き留めたのです。楽譜の譜面もありますし、私独自の音楽を記す速記号もあります。それで、リハーサルではアレンジをどのようにしたのかを思い出せるようにしておくのです。とてもとても曲が多いので、相当の集中力が必要でした。レコーディングに先立つ二週間の間に、私は、何曲かのストリングスとキーボードのパートの編曲に着手したのです。私は、ローランド RD-250S を持っていました。鍵盤に重みを持たせてあるエレクトリック・ピアノです。それで、私はアルバムの曲を練習したのですけれど。それに、ローランド MC 500 マークUから取り出したシーケンスをE-mu シンセサイザー・プロテウスのサンプリング・モジュールに入れて、使ったのです。このE-mu プロテウスは、華麗で豊富な音を持っていて、とても役に立つ装置でした。新しいアルバムに味付けをする「シンセサイザー」サウンドのほとんどを創り出すのに、これを利用しました。E-mu プロテウスは、1980年代のサンプリング装置のほとんどの特徴である冷たい電子機器的な感触は、この装置にはなかったのです。
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2013年11月28日

『 Nonsuch 』の位置

 私は、 XTC『 Nonsuch 』は、傑作だと思っています。ポピュラー音楽の中での『 Nonsuch 』の位置は、芸術音楽の中でのオリヴィエ・メシアンの『トゥーランガリラ交響曲』と同じなのではと思っています。
 『 Nonsuch』の時のパートリッジの年齢は、39歳。『トゥーランガリラ交響曲』の発表は、1949年で、メシアンは41歳だけれど、作曲は、46年から48年なので、38歳から40歳。人生の中で同じ頃の作品と言うことになるのではないか知ら。
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2013年10月15日

Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood

 かなり以前、『 Nonsuch 』と言うタイトルについて、パートリッジが、「嘗てあったけれど今はない」と言う意味で付けた、と、インタビューで言っていた記憶があります。それで、「かつてあっていまはない」と言う句で、ワーズワースのオードを思い出したので、読んでみました。
 このオード、フィンジ Gerald Finzi が曲を付けているのですが ( 『 Intimations of Immortality 』作品29 )、ムールディングも付けないか知ら。

 元にしたのは、Wikisource のもの。
Ode: Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood - Wikisource, the free online library


1.
くさはら、こだち、ながれ、それに、じめん、
そんな何処にでも目にする風景が、
私には、
天から来る光、後光、それに、夢路から吹き込む風、
そんなものに装われて見える、そんな時間があった。
昔日にはそうであったのに、いまはそうでない。
あらゆるところを見回しても、
すこし前まで目にしていたものが、すっかり見えない、
夜だから、だけでなく、昼でも見えないのだ。

2.
にじは現れては消える、
ばらは心を惹く美しさ、
空に一点の曇りもない、
そんな時には、つきは散歩をして回る、
星が瞬く夜には、
うみは綺麗で航行日和、
日光は高貴の出。
けれども、私にはもう分かっている。その何処へ行っても、
地上からは輝かしさがもう消えているのだ。

3.
とりたちは楽しげな歌をうたっている、
テーバーに合わせてこひつじたちは跳ね回る、
そんな今、そこに孤立している
私には、悲しい思いが遣って来る。
その時、折からの音がその思いを解きほぐすのだ。
すると、私は、元気を取り戻す。
その音。断崖の上から滝がトランペットを吹いているのだ。
もう、私の嘆きが盛りの時を損なうことはないだろう。
こだまが、山々を通り抜けて押し寄せて来るのを、私は聴くのだ。
私のところに、風が、夢ののはらから遣って来る。
この世のすべてが楽しげだ。
陸も、海も、
五月のまっただ中で、
浮かれ上がっている。
生き物はみな、幾日も続くお祭りを祝う。
ああ、喜びの子供よ、
私の周りを叫んで回ってお呉れ、お前の声を聞かせてお呉れ、ああ、お前は幸そのもの、
羊飼いのこどもよ!

4.
神に護られた造物たち、私にはお前たちの声が聞こえる、
羊飼いのこどもたち、お前たちが呼び交す声だ。そして、
お前たちが祝うので、みそらが微笑むのが、私には分かる。
お前たちの祭りに私も夢中になり、
お前たちの花冠を私のの頭に冠った。
お前たちをはち切らせる福、その何もかもが、私には分かる。
一人黙り込んでいたとしたら、嫌な日だったろう!
ところが、大地が自分から着飾り出すと言う、
この五月の芳しい朝に、
羊飼いのこどもたちは、
何処までも続く幾千もの谷々の
あらゆるところで、咲いたばかりの花を
摘み出すのだ。それと言うのも、陽光がこどもたちを発奮させて、
赤ん坊でさえ、母なる大地の上に飛び上がるから。
私には聞こえる、こどもたちの声が聞こえる。楽しげに聞こえる。
ところが、やはりあるのだ。私が見晴らかした光景の中に、
多くの中から孤立した、一本の樹、一枚の花畑があるのだ。
その一本の樹、一枚の花畑は、無くなったものについて語っている。
ああ、私の足元の三色菫も、
同じ文句を繰り返している。
叡智あふれる閃きは何処へ飛び去ったのか、
天上の至福と夢想は、今、何処にあるのか、と。

5.
人が生まれると言うのは、目覚めよりも寝入るのに似ている。と言うのも、
人の生涯を導く星であり、人の誕生と共に立ち顕われて来る魂が、
ずっと前に何処かに没したのであり、その何処か遠くから、
遣って来たのだと言うことを、忘れているのだから。
魂は、何もかもを忘れているのではない。
魂は、何も身に帯びてないのではない。
私たちがそこから遣って来た、私たちの故郷である神から
続いている天上の輝く雲を棚引かせている。
天上の世界は、幼年時には、私たちの身近にあるのだ!
こどもが成長するのに従って、
牢獄がその光りを遮り始める。
けれども、こどもは、まだ、光を認められ、何処から射すのかも分かる。
こどもは、喜びながら光を見ているのだ。
そして、少年は、旅をして日々東から遠ざかって行くものなのだけれど、
それでもまだ、創造主の稚児であることは変わりなく、
輝かしい神の遠望の下で、
その旅路を見守られているのだ。
長い旅路の末に成人となると、人は、輝きが弱まって、
この世の昼の光の中で褪せて消えて行くのに気が付くのだ。

6.
大地は、持ち前の悦楽を膝いっぱいに拡げてみせる。
それは、大地がこどもを切望していたからだ。それが大地の素よりの性質なのだ。
大地は、いつも、預かったこども、同居する人間に
知っていた筈の至福、住んでいた天の宮殿を
忘れさせてしまう傾向があるのだ。
それも、母親の心延えを持って、
不穏な目的は露程もなく、
乳母の様に世話をして。

7.
まだこの世に生まれた喜びの中に浸っているこどもを観察してみる。
彼は、小人の大きさしかない六歳の可愛い児だ。
母親のキスの攻撃に邪魔されながら、
父親の瞳から来る明かりに照らされながら、
こどもが寝そべっているのは、自分が創った作品の中だと、分かる。
覚えたての遣り方で、自分の夢に描いた人間の生涯から
いくつかの場面を取り出して、地図や海図にしたものが、
こどもの足元にあるのが分かる。
結婚式、祭儀。
告別式、葬儀。
それらのことばを歌に作っていくことに、
いまは、夢中なのだ。
しばらくすると、仕事、愛、不和
と言うことばを舌に載せ始める。
けれども、それも長くは続かない。
それらのことばも、すぐに、放り出されてしまうのだ。
新しい喜びで、得意げに、
この小さな役者さんは、別の役柄を学び始める。
自分の「おかしな舞台」で、一日を過ごして行くのだ。
人生と言うものが、その馬車に乗せているありとあらゆる役柄、
その何もかも、中風の老人に至るまで全部を演じてみる。
まるで、こどもは、自分の天命が、
終わりのない物真似であるかのように。

8.
ねえおチビさん、見かけとは違って、お前の魂は、
果てもなく拡がっているんだね。
お前は、最高の哲学者なのだ。天から授かったものをまだ持っているのだから。
他の人たちは見られなくなったのに、お前一人が、天の永遠の魂に守られて、
耳を塞ぎ黙して、深淵を読んでいる。
お前は、そんな目なのだ。
お前は、なんでも当てる予言者。お前は、神に選ばれた占い師。
お前の上に、諸々の真実が静かに留まっている。
その真実を、私たち人間は、行きている間に見つけようと藻掻いて、
結局は、自分たちの墓の闇の中に見失ってしまうと言うのに。
ねえおチビさん、お前のその永遠なのだけれど、
ずっと留まっていると言うものではないのだ。ちょうど、
お前を暖める陽光に似ているか、奴隷を見回る主人のようなのだ。
私たち大人はもう見えない。
私たちが横たわっているところは、明るい景色も暖かい光もない
寂しい寝床、
墓場なのだから。
ねえおチビさん、お前が息づいているその高さでは、
あの至福は、天で生まれた自在な力をまだ保っていると言うのに、
どうして、そんなに熱心に苦痛を求めるのだい? 
そんな苦痛は、お前が成長して行けば、否も応もなく嵌められる軛だと言うのに。
そうして、その軛への怒りで幸福が見えなくなると言うのに。
すぐにも、お前は、地上の重荷を負わされるだろう。
そして、地上の慣習と言うものが、お前の一生の間ずっと、霧の様に、
重く深くのしかかるのだ。

9.
私たち大人の輝きを失った燃え残りの中に、
生きているものが何かある、そんなとても儚いものを
本性がまだ覚えている、と言うことは
何て嬉しいことだ。
過ぎ去った子供時代を思うことで、自分の中に、
久遠の天福を産み付けるのだ。天福は、実際には、
歓喜や自由のように最も価値あるものと尊ばれるものではない。
遊び回っていたり、眠り込んでいた、
あの子供時代の単純な信条なのだ。
こどもの胸でずっと羽搏いて巣立ちを待つ雛鳥の希望に裏打ちされた信条なのだ。
私は、歓喜や自由と言ったものを有難がり賞讃して、
歌い上げるのではないのだ。
人間が取り逃がし消えて見えなくなる、
あの外の世界のもの、
それを、飽きることなく尋ね続けて、歌うのだ。
人間に感知されない世界を飛び回り、
私は、被造物の不安を掻き消してしまう。
寿命のある地上の本能が罪に震えだす前に、
天上の本性が事物を捕まえるのだ。
その本来の性質の為に、
陰ってしまった子供時代の回想は、
それでもやはり、きっと、
私たちの日々の明かりの源であり、
私たちが見るもの全てを照らす主要な明かりなのだ。
この光は、私たちを忘れることなく、私たちを励まし、
騒音ばかりの私たちの日々が、永遠の静寂の中にあるように
見せる力がある。その静寂の中で、真実は顕われ、
決して滅び去ることはないのだ。
この真実を、無関心さも常軌を逸した熱心さも、
大人もこどもも
喜びの反対のものすべても、
まるっきり根絶やしにしたり破壊したりは出来ないのだ。
それだから、穏やかな季節になれば、
たとえ、内陸に私たちが居たとしても、
私たちの魂は、永遠の海を見ることになるのだ。
この海は、一瞬のうちに、私たちを
あちら、こちらへと、運ぶことが出来る。
そうして、こどもたちは、渚で戯れる。
そうして、私たちは、永遠に打ち寄せ続ける波の力強い音を聞くのだ。

10.
さあ、とりたち、だから、歌うんだ、楽しげな歌を歌うんだ!
さあ、こひつじたち、テーバーの音に合わせて、
跳ね回れ!
私たちもお前たちの仲間に加わるつもりだ。
ああ、お前たちはその笛を吹く、そして、その音を通して、
お前たちの心は、五月の喜悦を感じるのだ!
そして、あれ程に眩しく光ったあの輝きが、
今はもう、私の視界から無くなったとしても、
くさはらが輝いていたあの時、花が神々しかったあの時が、
もう、戻ることはないとしても、
私たちは、悲しみはしないのだ。むしろ、
後に残っている強いものを見つけるのだ。
その強いものは、根源的な共感のなかにある。
その共感は、今もあり続けているし、これからもずっとあるに違いない。
その強いものは、人間の苦しみから湧き出して来る
鎮魂の思いのなかにある。
そして、死の向こうを見る信念のなかにある。
そして、深い思索をもたらす歳月のなかにあるのだ。  

11.
ああ、いずみ、くさはら、おか、こだち。
これらへの思いを断ち切られるという恐れは少しもないのだ。
私の心の奥底では、それらの力を今でも感じ取っているのだから。
私は、ただ、これらが惰性的に私を支配する下で、
生活して行くと言う楽しみを諦めただけなのだ。
私は、今でも、水路を音を立てて流れる小川が好きなのだ。
そう、水と一緒に踊る様に歩いていたこどもの時よりも、好きなのだ。
あらたに登った新しい陽の清純な輝きは、
やはり素晴らしい。
そして、沈んで行く太陽に回りに集まって来る雲が、
限りある命を見つめ続けた瞳から、
穏やかな色を吸い上げて行く。
ここまでは一つの人生があった、そして今、別の栄誉を勝ち取った。
人の心に感謝しよう。私たちはその心のお陰で生きているのだから。
人の心の脆さ、喜び、畏怖に感謝しよう。
風に吹き飛ばされる最も見窄らしい花こそが、私に、
屢々涙にひたる思いをもたらすのは、その為なのだから。
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2013年07月13日

パートリッジ、ベルナール対談「 The Disappointed 」9

ベルナール「さあ、それでは、アンディ・パートリッジによる「クロス・フェイド」擁護論をお聞かせ下さい。」
パートリッジ「では、ご清聴を。そもそも、アルバムを聴くと言う行為は、一つの事象 / 経験なのであります。即ち、それは、映画であるのであります。即ちそれは、演劇であるのであります。あるいは、また、書見なのであります。諸君は、そもそも、第九章から読み始めたりはせぬでありましょう。九章の次に第二章へ飛ぶなどと言う読み方をせぬでありましょう。諸君が書籍を読む際には、著者が読者にこのように読む様にと意図した通りに読むものでありましょう。つまり、一頁目から順に最後の頁に一頁毎に読み進むものでありましょう。映画を鑑賞する際にも、また同様でありましょう。最初の場面から最後の場面へと見て進むのであります。それ故にであります、諸君が歌曲が所収されたアルバムを聴取する際には、第一曲目から最終の曲へと順次に聴いていくべきなのであります。そこでであります。彼の吾人が「クロス・フェイドが無い方がよい」と言うのは、映画に於いて、全ての主要な場面と場面の間には、一秒か二秒の空白があるべきである、というのと同様なのであります。然に非ず! ある場面ではクロス・フェイドをし、ある場面では空白があり、ある場面では、ディゾルブするのであります!!
 まあ、そう言う分けです。経験を作品から取り出す方法ということなのです。私たちが聴き手に提示している順序と言うのは、作品を聴く時の道筋なのです。それを聴いて欲しいのです。ある曲が他の曲へ滲む様に吸い込まれていく様になっている時、それは、意図してのものなのです。レコード製造工場で起こった超自然的な事故なのではないのです。クロス・フェイドを批難しているあの人は、きっと、私たちの全てのレコードに恐ろしい病気が蔓延しているので、私たちはクロス・フェイドをコントロール出来ないのだ、と考えているに違いありません。そんな馬鹿なことはありませんよ。私は、そうしたかったのです。」
ベルナール「全くの意図ですよね。確かにそうです。貴方は、ほとんどのレコードでクロス・フェイドをしているのですから。」
パートリッジ「私が好きなアルバムを聴く時には、歌に導かれながら、第一曲目から、プレイヤーの軸に向けて進みながら聴いています。そうするのが好きなのです。人は、映画を見る時に、第五場面の前に第九場面を見たりはしませんよね。その映画で、監督や脚本家や編集がこのように見て欲しいと意図した通りに見るのですよね。音楽のアルバムも同じです。」
ベルナール「昨晩、友人と会ったのです。一組の夫婦と男の友人が一人なのですが。夜も更けたので、食卓から離れました。その時に、私たちは、飲みながら「アルバム」と言うものの終焉を嘆いたのです。」
パートリッジ「それは、デジタルの世界では、すべての曲がバラバラにされてしまう、と言うことなのでしょうね。それは、映画を各シーンごとにバラバラにすると言うのと同じなのですけれどね。本を章ごとに、切り離してバラバラにするということですよね。」
ベルナール「「アルバム」の終焉を嘆いた時に、友人に私が示した例は、XTC だったのです。アルバムの文脈に沿って、何度も何度も聴き返さなければ、アルバムにある素晴らしい何曲かは、私は好きにはなれなかったかもしれません。それらは、甘ったるいシングル向きの曲ではないのですから。それらの曲は、時間をかけてその魅力を現して来るのです。今、貴方が仰った様に、作者の意図に沿ってアルバムを通して聴くと言う意志が私に無かったならば、それぞれの曲について、現在私が理解しているレベルで、その魅力を発見することはなかったのだろうと思います。これからの若い世代の人たちは、アルバムを何度も繰り返して聴いて、その魅力を発見していく喜びと言うのを知らないままになるだろうということは、とても残念なことです。」
パートリッジ「ええ、アルバムは、一つの芸術の形式なのです。シングルが一つの形式であるのと同じですよね。アルバム全体を通して聴くと言うのは、総体としての経験を経ると言うことなのです。人生には、バラバラに分断されると言う時期は無いのですから。このアルバムと言う形式が総体的で分断されてはいけないのだと言う理由がそれなのです。対話がないところ、他のものに巻き込まれると言うことがないところでは、人は芸術の形式を考えることは出来ないのです。
 私、アンディ・パートリッジは、クロス・フェイドが心底に好きなのです。」





おわり


誤訳、疑問点を示して頂けると、助かります。

追記:
元のMySpace の記事は分からなくなったのですが、
チョークヒルがアーカイブとして保存して、改めて web上に公開しています。
http://chalkhills.org/articles/XTCFans20091004.html
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2013年07月12日

パートリッジ、ベルナール対談「 The Disappointed 」8

ベルナール「ヴァージン社がこの歌をシングルの候補にしたのですよね、それとも、貴方がそう推したのですか?」
パートリッジ「会社はこの歌をシングルに決めそうだな、と、書いている最中から、私は感じていました。と言うのは、この歌は調子が良くて、時代遅れの様式を指向している感じでしたからね。それで、会社はこの歌をシングルにしようと磨きをかけるだろうな、と思ったのです。」
ベルナール「ですが、「 Peter Pumpkin head 」の後にシングルになったのですよね。」
パートリッジ「ええ。「パンプキン」が先でしたけれど、会社がこの歌をシングルに決定していたことは分かっていました。ですけれどね、イギリスの売り上げチャートで上位には入らなかったと思いますよ。20位から30位あたりだったかと思います。だって、どの局もどのDJもかけませんでしたから。私たちは、しかるべき人に賄賂を渡しませんでしたからね。それに、見当外れの人にも賄賂を渡しませんでしたけれど。( 笑い )」
ベルナール「そうですか、アルバムからの次のシングルは、「 Wrapped in Grey 」だったのですよね、それが最後のシングルでしたか知ら?」
パートリッジ「そうですね。それでノンサッチは終わりでした。」
ベルナール「それがどうなったかは、もう、周知のことなのですが。」
パートリッジ「それから、デイブがストライキを思い付いたのです。まあ、彼は冗談で言ったのでしょうけれど、私は、「妙案」だと思いましたね。」
ベルナール「ええ、でも、ストライキは効果があったのですよね、時間はかかりましたけれど、効果はあったのですよね。
 さて、私が伺いたい最後のことなのですけれど、それは、「 Holly up on Poppy 」とのクロス・フェイドのことなのです。」
パートリッジ「ええ、あのクロス・フェイドは何て素敵なのでしょうね! あれは、本当に上手くいっています。効果的です。」
ベルナール「そうですね。もしかしたら、この質問はもっと広範囲にすべてのXTC の歌に関わることかもしれませんね。つまり、貴方は、クロス・フェイドがお好きなのですね。」
パートリッジ「ああ、web上の色々なサイトで、発言している・・・さん ( 名前は編集で削除 )を知ってますよ。クロス・フェイドは彼の調子を狂わせるみたいですね。彼は、クロス・フェイドが無い方がずっと善いに決まっていると激しく主張していますからね。」
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2013年07月11日

パートリッジ、ベルナール対談「 The Disappointed 」7

ベルナール「それでは、歌の他のことについてお願いします。お二人のどちらがどちらのチャンネルで演奏しているのでしょう、この曲では、貴方は左チャンネルですか?」
パートリッジ「デイブは、切る様な choppy ギターを弾いていますね。それに、アルペジオも。アルペジオはデイブの十八番ですからね。私は、発動機の様な chuggy ギター。左側だと思いますよ。
 ええと、覚え書きには何て書いていたか知ら、そう、「全てのリズムを倍増するのに、ミキシング段階でのエコーの利用は有効」と書いてますね。」
ベルナール「なるほど、この歌では、ギターは本当に大きく聞こえます。」
パートリッジ「それは、リズミックなエコーの所為ですね。どのパートのものもエコーを大きくしているのです。仕掛けですね。
 ええと、覚え書きには、そうですね、私はこの曲のデモを1991年の4月15日に始めています。この歌の前は、「 Wonder Annual 」です。この歌の後には、ピーター・ブレグヴァドと「 Hell's Despite 」をしています。この歌が作られた順序はそうなのです。」
ベルナール「「 Wonder Annual 」がノンサッチ期の歌だったとは、私は気が付きませんでした。
 それから、クレジットでは、グレゴリーさんはキーボードを演奏と記されているのですが、それは、プロテウスのストリングスと言うことですか?」
パートリッジ「そうだと思います。それから、終部での、曲がりくねった、エコーやリヴァーブのかかった音もキーボードだと思います。」
ベルナール「この歌は、アルバムからのシングル曲の一つですよね。」
パートリッジ「そうですね。それに、有名な年増女性のテレビ番組での演奏もありましたね。『 Pebble Mill at One 』と言う番組です。ペブル・ミル Pebble Mill は、バーミンガムにあるBBCのスタジオの名前です。そこで、お昼時に「 Glad to be Gray 」スタイルのトークショーをしていたのです。( 婦人を真似て ) 「ああ、では、ポップのライブを御覧下さい。」ってね。私たちは、パントマイムをしたわけですよ。たぶん、イギリスでこの歌が放送された唯一のものでしょうね。( くすくす笑い )」
ベルナール「ドラムズは誰だったのですか、イアン・グレゴリーさんですか?」
パートリッジ「ええ、イアンです。イアンは、急場のパントマイムをよくやってくれたのです。まあ、ただ、飲みたいだけだったのでしょうけれどね。( 笑い ) それに、実際、そのトークショーからの帰りには、私たちは酔っていたのを覚えていますよ。運転手付きのハイヤーを雇うことにしたのです。バーミンガムで、昼間の年増のおばさんたちでいっぱいの番組に出てパントマイムをするわけだから、ちょっと飲んで、帰りにはパーティーをしないとなあ、と思ったのですよ。」
ベルナール「( 笑い ) 典型的なロック・スターの様ですねえ!」
パートリッジ「( くすくす笑って ) 典型的なロック・スター、なる程、それを私たちはしたわけですね。帰り道に、何本かの酒を持込んで、楽しくやったのです。」
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2013年07月09日

パートリッジ、ベルナール対談「 The Disappointed 」6

ベルナール「イントロについて話して下さい。どうして、あの様なドラムズで始めたのですか?」
パートリッジ「あのぎこちないロールが、私はとても気に入っているのです。私はデイブに、イントロに他にない独特のロールが欲しいんだ、と言ったのです。」
ベルナール「そうですか。マタックスさんは、一番低いトムから一番高いトム、そして、スネアの順で叩いたのですね。」
パートリッジ「ええ、音を上げていっているのですね、貴方の言われた様にして、それから、全てのパターン、細々したことを演奏しています。
 私はこう言ったのです。「この歌のドラムの演奏は、徹底的に確実で規則的なものでなければいけないんだ。歌の中では、ロールはあまりないよね。規則的でないといけないからね。でも、一箇所ほど、独特なロールを入れて欲しいんだよ。」 それで、あの演奏をして私を満足させてくれたのです。デイブは、逆方向に演奏したのですよね。低いトムから初めて高いトムへ行ってから、スネアに移るのですから。そして、パターン、細々したもの。
 アルバムのリハーサルが始まった時には、「僕はこの歌を録音するのが楽しみだな。君は僕にシャッフルをさせようとしなければ、だけどね。僕はシャッフルは出来ないからね。」と、デイブは言ったのです。それで、この歌には、シャッフルがあるのですが、単にシャッフルと言うのではなくて、オフ・ビートのハイ・ハットと一緒のシャッフルなのです。しかも、ハイ・ハットは、三連符のハイ・ハットなのです。」
ベルナール「私は、マタックスさんを擁護したいです。この曲のドラムズ・パターンは、ものすごく難しいです。特に、ハイ・ハットの部分は、難しいです。マタックスさんが、貴方の水準で演奏しようとすると、付点付きの八分音符のハイ・ハットのパターンになって、それを貴方はシャッフルに…、」
パートリッジ「そう、デイブはそれが出来なかったのです。君の水準のシャッフルは出来ない、と言いましたね。」
ベルナール「少なくとも、マタックスさんは、ご自分の苦手はご存知だ、と言うことですね。」
パートリッジ「まさに。それで、私たちは、この歌では、ドラム演奏については、本当にたくさんの編集をすることになったのです。私は、徹底的に密度の濃いドラムズが欲しかったのですから。いったい何回の録音をデイブにさせたか、覚えてはいません。兎に角、全部を通して、一回の録音ではないのです。それぞれが、最高の部分なのです。
 まあ、でも、可哀想なデイブは、三連苻のオフ・ビートのハイ・ハットを叩かなくてはいけませんでした。プロデューサーのガスがデモ・テイクでそれを聴いて気に入っていたのです。それは、でも、簡単に解決が出来ることでした。私は、ドラム・マシンでプログラムすることが出来ましたから。ですが、ガスが、( 声真似して )「ウウム、あのオフ・ビートの三連苻のハイ・ハットがいいんだけどなあ。あれは、そのままにしよう。良いフックだ。」と言ったのです。それで、可哀想なデイブは、ハイ・ハットでリズムを刻みながら、三連苻を叩かなければいけなくなった分けです。」
ベルナール「あれは、本当に難しいです。いつまで経っても、やはり、難しいと言う他ないです。」
パートリッジ「で、あのロールを演った後、何と言うか、デイブは、本当に、偉人になりましたよ。」
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2013年07月05日

パートリッジ、ベルナール対談「 The Disappointed 」5

ベルナール「以前に、歌詞の雰囲気と曲調をずらすのが、貴方はお好きだ、と伺いました。楽しい曲には、悲しい歌詞を付けて、その反対に、悲しい曲調には楽しい歌詞をつけると言うことでした。ですが、この「 The Disappointed 」の場合にですけれど、歌詞も曲調も、私には、相当に陰鬱に思えるのです。」
パートリッジ「ええと、如何でしたか知ら、長調ですよね。でも、これは、長調と短調が混ざり合った型の曲になっていたと思うのですが。つまり、甘く且つ酸いのです。優しくて辛いのです。」
ベルナール「貴方は、「 the Disappointed 」についてお話をされて、人々を貴方と一緒に奈落へ連れ去りながら、貴方ご自身の首も項垂れてしまっていますね。人々は、あなたにそうさせたいのですねえ。」
パートリッジ「( 演劇的な調子で ) わたくしは、キンクスの最低線よりもさらに降下しておる最中であります。( 笑い ) そうですね、私はまだ下りますよ、「次の階は、ディスアポイントメントー!」
 実際、この歌の曲調は、楽しげな面と悲しげな面が混ざっているのです。評論家が言っていたことで、唖然としたことがあるのです。こう言っていたのですよ。「イントロとミドル・セクションは、フリートウッド・マックの様だ。」って。その時、考え込んでしまったのを覚えています。どう考えても、私が西海岸のフリートウッド・マックを好きな分けはないのですけれど。でも、ある人たちは、私たちがフリートウッド・マックの様に聞こえて満足しているのでしょうね。( 笑い ) ですけれど、私たちがこの歌を長調短調を一緒にした時に、私の考えの中では、フリートウッド・マックはものすごく遠い存在でしたけれどね、本当に。」
ベルナール「( 笑い ) それはそうですね。私が伺いたかったのはですね、この歌はブリッジから始まる様に私には思えるのです、それから…、」
パートリッジ「この歌は、ヴァコーラスに分類されますよ。」
ベルナール「確かに! この歌はヴァコーラスです。イントロの後に、すぐコーラスがあるのですよね。」
[ ヴァコーラス vhorus は、パートリッジがある種の歌の構造を呼ぶ時の呼称。ベルナールさんとの対談の中では、「 Thanks for Chrismas 」に於いて、説明している。バカラック作品の「 Do you Know the way to San Jose 」やマッカートニー・ビートルの作品「 Yestarday 」のように、テーマ・メロディ、テーマ・メロディへの返答メロディ、テーマの再現、返答の変容、テーマ・メロディと言う構造。ヴァースがないと言うことなのでしょう。 ]
パートリッジ「それが、テーマ・メロディなのです。バカラック / デイヴィッド風のテーマ・メロディです。それへの返答、そしてまた、テーマ。韻を踏んでの返答の変奏。これが、ヴァコーラスですね。」
ベルナール「ええと、ブリッジと言うかミドル・パートなのですが、貴方の歌では一番短いものなのでしょうか? そこに当たる歌詞は、二行なのですけれど。」
パートリッジ「( 自分に歌って聞かせる。 ) 八小節ですよね? そう思うけど。」
ベルナール「ええ、確かに、ミドル・エイトです。」
パートリッジ「古風な、ティン・パン・アレイ的なミドル・エイトです。( くすくす笑い )」
ベルナール「( 笑い ) 貴方は以前に、ブリッジから始めるのが好きだ、と仰っていましたね。」
パートリッジ「歌の作り方の技法の一つですね。聴く人は、「あれ、どうしたんだ? 歌を聞き始めたのに、変だぞ、ちょっと待って、イントロに戻ろう、イントロを聞き逃したかな?」と思うでしょうからね。」
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2013年07月03日

パートリッジ、ベルナール対談「 The Disappointed 」4

ベルナール「では、歌詞についてですね。」
パートリッジ「これは、予見なのでしょうね。きょう聴いたのですけれど、心の問題と言うだけではないように、思えました。人生一般についてのことのようですね。一般的問題の中には、ミュージック・ビジネスも入っていると思うのです。心についてと言うだけではなく、そこらの至る所で懸案になっている様々な問題に当てはまるものなのです。」
ベルナール「年を取って行けば、ほとんどの人が、何らかの失望を味わうに違いないと、私は思うのですけれど。」
パートリッジ「私もそう思います。自分がすべてを与えたのに、それが歓迎されなかったと感じたとすれば、それはつまり、報われなかった、と言うことですよね。そうですね、私たちは出来る限りのことをしたのです。そうして、落胆しました。でも、慎重にならなければなりません。そうすれば、泣き虫の小人のようには聞こえませんからね( 笑い )。」
ベルナール「そう仰るのを伺うと、興味深いです。と言うのはですね、貴方たち XTC のキャリアからすれば、当時は、比較的にいい地位に立っていたと思うからです。『 Skylarking 』も『 Oranges and Lemons 』も上々の売り上げだったからです。ただ、同じ頃には、元マネージャーとの訴訟があり、レコード会社との問題に直面していて…、」
パートリッジ「そうですね。アルバムの曲を書いた時、私たちはすべてを出し尽くしたのですね。そこには、今考えると、様々なものからなるどろりとした塊があったのですね。その中には、私の結婚生活、つまり私の失望も、入っていたのでしょう。それに、私たちは当然そうなるべきだと考えていたのに、音楽的に認められることのないままだと言う、私たちのキャリアもあったのでしょうね。それに、受けて当然だと思っていた金銭的な報酬がないと言う失望感も。そんなこんなの擬いもない失望何もかもが、この中に染み込んでいるのですよ。
 ですけれど、書き始めたのは、全く別の理由からだったのです。それは、廃棄したのですけれど。と言うのはですね、私たちは、私たちの様なおめでたい者には、本当の苦しみを理解することは出来はしない、と思い至ったからなのです。つまりですね、アルゼンチンの行方不明者たちについての番組をテレビで見て、歌詞を書こうとしていたのです。
 私は、番組を見ながら、「 The Disappeared …、」と歌い始めていました。でも、自分自身で歌い続けることを制止したのです。私には、後頭部に銃を突き付けられて連れ去られ、埃っぽい道の脇の浅い穴かどこかにに投げ捨てられた息子や娘なんて、いやしないのです。それなに、私に書けるのか?と思ったのです。私の経験にはないことなのですから。」
ベルナール「貴方は、その恐怖を想像して、そして…、」
パートリッジ「その通りです。でも、そのことについて、真に迫ったようには書けはしない、と分かっていたのです。でも、ともかく、歌そのものはそうして書き始めたのです。子供を奪われた母親たちの告発のドキュメンタリーを見たことで、私は、「 The Disappeared... 」と歌ったのです。
 私は、よく、テレビを見ながらギターを掻き鳴らすのです。ジョン・レノンがそうしていたと読んだことがあるのです。それで、「何で、そんな馬鹿なことをしてたのだろう?」と私は思ったものでした。でも、今思うと、私のよく出来た歌の多くは、そのように、テレビを見ながらギターを膝の上に載せていた時に、出来たのです。
 座り込んでテレビのドキュメンタリーを見ながら、何て恐ろしいことだ、と思い、それを歌い飛ばしてしまおうとしたのです。そして、頭の中で、「 The Disappeared... 」と歌い始めたのです。それを私は気に入ったのですが、歌の続きを作ろうとすると、これは歌に出来ない、自分の経験ではない、と気が付いたのです。」
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2013年07月01日

パートリッジ、ベルナール対談「 The Disappointed 」3

ベルナール「プロテウスで作って、それを演奏者が演奏したのですね。」
パートリッジ「私たちがプロテウスで作って、それを演奏者が演奏したのです。でもね、演奏者は、プロテウスで作ったものと違って、音を外していましたよ。それで、結局は、実際に演奏者が演奏したものとプロテウスで作ったものをミックスして作品に使いました。
 一人を除いて、みんな素晴らしい演奏者だったのです。チェロの奏者が音を外していたのだと、思います。私たちは、( バイオリニストの ) ステュアート・ゴードンにカルテットを一緒に連れて来るように頼んだのです。スタジオに入る予定の日の朝に、ステュアートは電話を掛けて来ました。「本当に残念なのだけど、良いチェロ奏者がいないんだ。病気なんだよ。一人だけ居たんだけどね…」と言うのです。彼女はそれ以前にスタジオでのセッションに参加したことはないのだろうと、私は思いますね。音程を合わせられないのですよ。それは酷いものでした。他の奏者の演奏を台無しにしてしまうのですから。彼らは素晴らしいのですけれどね。ステュアート・ゴードンはとんでもなく素晴らしいのです。ですが、彼女が足の間に動かないように抱えている褐色の大きな物にロジンを擦り始めると、部屋中に酷い音が鳴り響いたのです。」
ベルナール「ええ、貴方が話された「 Rook 」のことを思い出しますね。」
パートリッジ「そうですね。アルバムに録音するストリングスのパートは、一日で仕上げなければなりませんでした。でも、遣って来たカルテットは、ステュアートが望んだメンバーではなかったのです。
 でもね、スクィーズのクリス・ディフォードのスタジオでやった最初の『アップル・ヴィーナス』のカルテット程には、悪くなかったですよ。あれは、本当に酷いカルテットでした。その話しはまたにしましょう。」
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2013年06月28日

パートリッジ、ベルナール対談「 The Disappointed 」2

ベルナール「歌はどのように出来上がったのですか?」
パートリッジ「そうですね、最初は、この歌を、元スペシャルズ Specials で今はソロとして活躍しているテリー・ホール Terry Hall に、未完成のまま渡したのです。テリーは、私と共作したがっていたのです。それで私はそれを承諾して、渡したわけです。歌詞は出来てなくて、私がギターをボロンボロン鳴らしただけの粗い録音のカセットテープを渡したのです。それで、どう言う訳でか、テリーは断ったのです。彼は気に入りませんでした。残念ですね。彼だと、ヒットしたと思うのですけれどね。私たちでは、ヒットしませんでした。彼だとヒットしたと思いますよ。
 彼が断って来たので、じゃあ、これを私一人で完成させて、もし、他のメンバーがいいと言えば、XTC で使おうと思ったのです。それで、新しくデモ・テイクを作りました。( 後に、このヴァージョンは、『 Coat of Many Cupboards 』で発表 ) たぶんですけれど、バンドがすることになった他のどの歌のデモ・テイクよりも、このデモが一番に完成されていましたね。ですから結果的に、他のメンバーはすることがなかったのですけれどね。それについては、少々の罪悪感を覚えます。でもですね、歌をどうすべきかを自分で分かっているのなら、デモ・テイクを完璧に完成すべきなのですよ。」
ベルナール「私は、今日、デモ・テイクを聴きました。それで、聞きたいことが出来たのです。当時、貴方のシェッドにはどういう機器が装備されていたのでしょう? その時は、もうデジタル機器にされていたのでしょうか、それとも、まだ、8トラックので仕事をされていたのでしょうか?」
パートリッジ「8トラックのカセットテープ録音機ですよ。」
ベルナール「こう言う質問をしたのはですね、このデモ・テイクは、隅々まで作り込まれているからなのです、ほとんど、『 Apple Venus 』の時のデモのレベルですから。貴方のデモのほとんどがそうなのかどうかは分からないのですが、少なくとも『 Apple Venus 』のデモは、完成されたもの以上とは言えませんが、ほとんど同じでした。それで、「 the Disappointed 」のデモも、ストリングスとその他の少々のバッキング以外は、すべてが作られています。」
パートリッジ「ストリングスについては、ほとんどが、最後に仕上げる時に考えたものです。私は、もうずっと、デモ・テイクを聞いていません。今日も再生しませんでした。ですけれど、ストリングスのアレンジは、レコーディングで仕上げる時に、バンド全員で協議して作ったものです。素晴らしいストリングスのサンプルが入っている、E-Mu プロテウス を使ったのです。」
ベルナール「ですけれど、ライナー・ノートでは、弦楽の奏者がリストに入っていますね。」
パートリッジ「ええ、弾いてもらいました。」
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2013年06月26日

パートリッジ、ベルナール対談「 The Disappointed 」1

 ベルナールさんとパートリッジの対談、「 The Disappointed 」について。
2009年10月04日公開のもの、

元のURL は、https://myspace.com/xtcfans/blog/512966220 ですが、MySpace の仕様が変更されていて、ページが表示されませんでした。あるいは、アカウントを取得して、ログインすれば、閲覧出来るのかもしれませんけれど。




ベルナール「「 The Disappointed 」について話して下さい。『ノンサッチ』の予言歌の一つですね。歌詞についてのお話から伺うのがいいかと思うのですが。」
パートリッジ「予言的ですね。でも、ちょっと、脱線してもいいですか? ビデオについて話したいのですが。」
ベルナール「もちろんです。」
パートリッジ「あのビデオは、大嫌い、大嫌い、大大嫌いなのです。どれくらい、私があのビデオに「落胆 / disappointed 」したかのか分かりますか? ( 哀れな笑い声 ) 朝早く、ビデオ撮影のセットに私たちが到着すると、準備は全て監督によって既に整えられている、と言われたのです。名前を思い出せません。ファインズなんとか? Fiennes 極地探検家のファインズの娘でしたけれど。[ 冒険家の Sir. Ranulph Fiennes は、1944年生まれで、アルバム発表時は48歳で、最初の妻 Ginny ( 2004年没 )とは子供がいなかったようなので、従兄弟の写真家 Mark Fiennes の娘 Martha Fiennes か Sophie Fiennes のどちらかではないか知ら? ] 彼女とはヴァージン社で会ったのです。私は台本を書き、スケッチを描いたのです。私がどうしたいかは伝えていたのです。
 そして、朝起きて、大きな撮影用スタジオに入って見ると、私が頼んだ物は何もなかったのです。それで、私は、「ちょっと待って、我々が申し合わせた物は何もないように見えるけれど?」と言ったのです。演出家があちこちと歩きながら私の側を通り過ぎて行ってから、「お黙り坊や、私たちはこれからビデオを作るところなのよ。」と言ったのです。それで、その日は私のしたいようにはならないだろうと言うことが分かったのです。( くすくす笑って ) 彼女は私が誰だか知らなかったのだと思います。それですから、私が「これはおかしい」と言っているのが何故なのかも分からなかったのだと思います。けれども、彼女の返答は、そう言うものだったのです。「お黙り!」。「静かに」ではありませんでした。「お黙り、坊や」だったのです。」
ベルナール「たしか、トランプのカード・タワーのようなものを、貴方は意図していたのですよね? トランプの王様と女王などを。」
パートリッジ「そうです。実現していたとしても、ほとんどがコンピューターで作られるものになっていたでしょうけれどね。兎も角、私は、中世の絵画の様な遠近法が間違っている様なものにしたかったのです。私たち XTC が「 King for a Day 」の12インチシングルのカバーに、『 Siege of Jerusalem ( 1099年のエルサレム包囲戦 ) 』を使ったのはご存知でしょう。私はあれがとても気に入っているのです。それで、私は、あれからもっと進んで行って、変な遠近法の中世的像を完全に創り出してみたかったのです。その図像の中では、城郭の塔が、その中に居る人物よりもやや小さく見えると言う様な図です。そうですね、人の頭が塔の上に覗き出ているのですよ。そんな巨大な人物が塔の中に入れたわけはありませんからね。( くすくす笑う ) あるいは、腕が戸口から伸び出ているとか、塞いでいるとか。人物が、同じ場所で、一人は8センチくらいの背の高さに見えるのに、そのすぐ隣りの人物は、25センチくらいに見えるとかですね。
 それが、中世の遠近法なのです。重要なものを大きく描くのです。遠近法的に正しいかどうかは問題ではないのです。王様が描かれているのであれば、王様は、30センチくらいの背の高さで描かれ、他の者たちは、半分の15センチくらいに描かれるのです。王様は城の中に座っていて、王の居る塔は重厚に描かれて、他の建物は、小さく描かれるのです。中世の論理に従って、何もかもがへんてこりんに変えられているのですよ。そんなふうに…、」
ベルナール「遠近感よりも、階層的なのですね。」
パートリッジ「なる程、階層的。でも、下に行く程に多くなると言う感じですね、それで下が多い程、高くなるのですね。階層の一番上には、アーチが一つ。でも、自分ではアーチが作れなくて、借りなければならなかったりしてね。「それって、衣借り制度なの? [ ヒエラルキー Hierarchy をシャレて、hire-archy 借りる-政体 と言っている。 ]」 「ああ! 引っ掻かないでよね。」 ( 笑い )
 前にも言ったように、ファインズ女史と私は打ち合わせをしたのですよ。その時には、私が書いた台本を渡して、中世的な世界を描いても見せたのです。しかも、「私はこう言うふうにしたいのだ。空はタペストリーに見られる様な格子の模様にしたい。何もかもが現実の世界には見えないようにしたい。それが現在でも中世の世界でも、とにかく、現実的にはしたくないのだ。全体的に狂った遠近法にしたいのだ。」と言いもしたのです。
 撮影の日が来て見ると、彼女は、私の言ったことを何も聞いていなかったのが分かったのです。彼らはあのセットをもう作っていたのです。それに、大学か何かで彼女の友達だった俳優たちを呼んでいたのです。「こんなニュー・ロマンティカのような馬鹿らしいものを僕のフィルムにしないでくれよ! 頼むから」と、私は言いたかったのですけれどね。」
ベルナール「( 笑い ) 私には、それら全てが、貴方を心底「落胆 disappointed」させる巧妙な企みだったように思えますよ。」
パートリッジ「ああ、もっと大きなことが私を「落胆者」と言うキャラクターにしたのですよ。なんたって、彼らは、私たちを朝の6時くらいから、夜の11時くらいまで待たせたのですね。それで、こう言ったのですよ。「よし、撮影終了、ああ、バンドを撮ってなかったわ。」ってね。( ベルナール、信じられないと言ったふうに笑う。 ) 本当ですよ!! 彼らはそう言ったのです。それで、彼らは、最後の30分くらいで、バンドの部分全部を無理矢理撮り終えたのです。
 なのに、費用のほとんどは、私たち負担だったのです。45,000ポンドくらいでしたね、確か。 今だと、同等のものが100,000ポンドですね。[ 1992年頃は、ポンドは240円くらいでしたから、1080万円くらい。2007年のポンドも230円から250円の間なので、2400万くらい。 ]」
ベルナール「でも、その投資は戻っては来なかったのですよねえ。貴方のお金だった分けで、その投資の利益を望んでいらっしゃったと思いますけど。45,000ポンドをビデオに投資して、それに似合った儲けが『ノンサッチ』の収益にあったのですか?」
パートリッジ「いいえ、いいえ。テレビでは、二回放送されただけだと思いますよ。それだけです。『ノンサッチ』は、イギリスでは芳しくない売り上げでした。」
ベルナール「そのほかの国々ではよかったのではないですか?」
パートリッジ「そうは思いませんね。合衆国でもほとんど売れませんでした。当時、私は、このアルバムが私たち XTC のベスト・アルバムだと思っていました。絶対的にそうだと思っていたのです。今は、そう思いませんけれど。二番目によく出来たアルバムです。『 Apple Venus 』が最高です。」
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2013年06月21日

NONSUCH PALACE/SPEED

 Mary Evans Picture Library にある、ノンサッチ宮殿の絵の写真:

Description NONSUCH PALACE/SPEED


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2013年06月20日

パートリッジ、ベルナール対談「 The Ballad of Peter Pumpkinhead 」4

ベルナール「前の質問に戻りましょう。ダッジョンさんについて、今は、どうお考えなのですか? と言うのはですね、ラングレンさんと『 Skylarking 』についての貴方のお考えが時間が経って柔らかくなっているのは知っているのですから、どうなのかと思うのです。」
パートリッジ「そうですね、ガスは、初日から私を打ちのめして行儀よくさせようとしていました。彼は、まるで校長先生の様でしたね。たぶん、それは、ガキ大将たちを扱う彼の遣り方だったのでしょうね。私がトッド・ラングレンと上手くいかなかった、と言うのを読んだのでしょうね。それは、私が悪いのだと、即断したのでしょう。そう言うわけで、私が厄介者になったのです。だから、初日から、私に対して、特にきつく当たったのです。
 ガスのしたことと言えばね。どちらかと言えば、精神分裂症的でした。おかしなことを仕勝ちでしたし、他の人がいる前でおならをするし、下品なジョークを言うし、ギャングの一味のようなこともしたし、なのに突然、へんてこな校長先生のモードに切り替わって、それまでと全然違う方へ行くのですからね。人を見下して、脅して、それで、「ちょっと待ってよ、それは演奏者にいい演奏をさせる最善の方法ではないでしょう、」と思わせる様なことをするのです。それだから、演奏者はどんどん気難しくなるのです。例えば、「 Rook 」を録音したときですが、最初は、上手くいかなかったと感じたのです。すると、「それなら、捨ててしまえ。」とガスは言ったのです。このアルバムのために書いた歌の中で、それが一番のお気に入りでしたから、彼がそういった時、凍りついた風が本当に吹き始めたのです。それで、一緒に創り上げなければならない最もいい歌を「捨ててしまえ」と、本心から言っているとすれば、この男は、本音では、私たちに少しも興味を持っていないのだ。」と思ったのです。それから、ガスがミキシングから私を閉め出した時に、終わりになったのです。それだけです。
 歌に戻りましょう。これは、私たち XTC の歌の中では、一番普通の歌だと思いませんか?つまり、ほとんど、トム・ペティか誰かみたいだと思いませんか。」
ベルナール「貴方は、この歌をシングルにすると言うのを承認したのですか?」
パートリッジ「ええ、そうだと思います。貴方に対しては、正直にならなければいけませんね。シングルにどの歌を選ぶかは、私が選択することは出来ないのです。何年も、私が選ぶことはありませんでした。私は、いつだって、もっと冒険的な歌を選びたいと思っていました。例えば、「 Omnibus 」は、すごいシングルになっただろうに、と思うのですけれどね。」
ベルナール「「 Wrapped in Gray 」をシングルにしたかったのですよね。」
パートリッジ「「 Wrapped in Gray 」は、いいシングルになったでしょうね。もう少しでシングルになるところだったのですけれどね。ビデオのためのストーリーボードまで作ったのですけれどね。バンドの誰もが、それがシングルになると思っていたのですけれどね。」
ベルナール「ヴァージン社が「飼い葉桶で絞め殺す」まで、と貴方は言われてましたね。それについては、また、お話し下さい。」
パートリッジ「よろしい。」




おわり



誤訳、疑問点をご指摘下さると助かります。
( MySpace は、ブログ記事をどうしたのか分からないのですが。インターネット・アーカイブでも、「 The Ballad of Peter Pumpkinhead 」の記事は見つけられなかったのですが。 )
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2013年06月18日

パートリッジ、ベルナール対談「 The Ballad of Peter Pumpkinhead 」3

ベルナール「それから、デイブ・マタックスさんがドラムズを演奏しているのですね。」
パートリッジ「ええ。この歌では素晴らしい仕事をしてくれました。彼は可笑しいくらいに安定していますからね。デイブがリズムを打つ場合、録音は何度もする必要がありません。大抵は、一回か二回の録音で済みます。最初から本当に調子のいいリズムなのです。」
ベルナール「皆さんは、リハーサルを十分にされたのですか?」
パートリッジ「ええ。スウィンドンの元教会で二週間程しました。君が地理的に見当がつくか知ら、ゴース・ヒル Gorse Hill 地区なのですけれど。教会が最近改装されて、リハーサル・ルームとして一般に使わせるようになっていたのです。そこを、二週間予約していたのです。それで、毎朝、時計を見て、「ああ、スティーブ・リリーホワイトとヒュー・パジャムが今にもここに現れる筈なんだけれど…、」と、毎日私は言っていたのです。」
ベルナール「ああ、そうですね。お二人が『ノンサッチ』のプロデューサーと考えられていたのですよね。」
パートリッジ「二人をプロデューサーにと考えていました。それで、リハーサル終了の文字通り二日前になって、メッセージを受け取ったのです。「スティーブ・リリーホワイトは夫婦間に問題を抱えていて、当時妻だった、今は故人のカースティー・マッコール Kirsty MacColl の計らいで関係を修復するためにカリブ海にバカンスに行きました。」とありました。でも、私たちは、まあ気にしない、ヒューがいるし、彼に一人でしてもらえば良い、と思ったのです。でも、たぶん、ヒューのマネージャーが言ったのでしょうね。「出来ません。彼がすべてを一人でするのでしたら、二倍の金額を頂きます。」とメッセージが来ました。それで、「あいやー、お金のことはもう決まっていたかと思っていたのに。」と言うことになったのです。もう、スタジオは予約していました。チッピング・ノートンです。それで、「ああ! 今すぐ誰かを決めなくっちゃ!」と言うことになったのです。ヴァージン社は、今仕事を抱えていないのは、ガス・ダッジョンただ一人だ、と言ってきました。すると、デイブが、ああ知ってる、Bonzos やエルトン・ジョンをプロデュースした人だ、と言ったので、わかった、彼にしてもらおう、と言うことになったのです。」
ベルナール「それで、ダッジョンさんの面接か何かをしたのですか?」
パートリッジ「いいえ、スタジオに行かなければならない二日前に会っただけです。それで、( 笑い ) ガスに二度目に会った時、「ああ、こいつは駄目だ。」と思ったのです。話さなくても分かりましたよ。雰囲気ですね。肌にぴったりのサテンのパンツ。サテンのツアー・ジャケット。ヘヤー・スプレイで固められた髪。磨き上げられた自動車。ナンバープレートは、自分の名前の頭文字にしていて、GUS2 。そのようなすべてのことが、雄弁に語っていたのですから。それだけで、彼がパブに入って来た時に、「ああ、こいつは駄目だ。」と思ったのです。」
ベルナール「後からですとすべてがはっきりと分かるものですけれど、やはり、そう思いますか? と言うのは、『ノンサッチ』は貴方のお気に入りのアルバムだと言うことを、私は知っているので、そう思うのですけれど。」
パートリッジ「( 間を置いて ) ノンサッチ宮殿を杭で支えた巨人は誰だかを、貴君に教えて進ぜよう。彼の者は、チッピング・ノートン邸に住まいするバリー・ハモンドなるぞ。バリーのエンジニアリングは完璧なのですよ。」
ベルナール「それで、あの響き渡るドラムの音が出来たのですか?」
パートリッジ「アルバムを値千金の音にしたのは、何もかもが彼に負っているのですよ。バリーは、あまりにあまりに過小評価されているエンジニアです。誰一人、バリー・ハモンドを優秀なエンジニアのリストに挙げていないのです。バリーは、何もかもを諦めてしまいました。今は、確か、コンピューターの教習をしているそうです。ですが、バリーのエンジニアリングは、素晴らしいのです。音のすべてが、ずっしりと充実して、無垢で、輝いて、華麗になるのです。」
ベルナール「アルバムの音が、素晴らしい音響だと言うことは、確かです。」
パートリッジ「ええ。私たち XTC のアルバムの中で、良い音の二つのアルバムの内の一つです。二つと言うのは、この『 Nonsuch 』と、もう一つは、『 Oranges and Lemons 』です。『 Oranges and Lemons 』のエンジニアリングは、エド・タッカー Ed Thacker でした。私が思うのには、エドとバリーの二人のエンジニアは、私たちが一緒に仕事をした中で、最高の質の仕事をしたエンジニアです。それで、バリー・ハモンドは、この「 Peter Pumpkin head 」では、ドラムズをとても大きく厚みのある音にしたのです。」
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2013年06月15日

パートリッジ、ベルナール対談「 The Ballad of Peter Pumpkinhead 」2

ベルナール「音楽について話して下さい。アルバムの開始からお願いします。」
パートリッジ「( 断固とした口調 ) 開始のトムトムは、諸君が聴いて来たものの中で、トムトムの音を最も巧みに録音されたものではないかね。」
ベルナール「ええ、美しく響き渡る音です。初めて聴いた時からずっとこの音が大好きなのです。それから、トムトムの前の始まってすぐの所ですが、ギターをアンプに繋ぐ音がします。貴方は聴く者にあの音に注意を向けさせています。私は、この音が、『 Oranges and Lemons 』からの興味深い移行であると考えているのです。つまり、あの音は、極めてスタジオ的な音で、明快なのですが、あれを録音すると言うのはとても大胆不敵なことだと思うのです。そして、あの音は、私には、これは決まり文句の様なのですが、ロックンロールのルーツへの貴方の帰還であるように思えるのです。」
パートリッジ「それは、私たち XTC が意図したことでした。それに、私がハーモニカを吹いて、ミック・ジャガー崇拝が少しだけあるのを見せているのもお分かりですか( 笑い )。もちろん、歌では、私は中心的なリズム・ギターを弾いているのですけれどね。プラグを入れたのは、本当は、デイブなのですよ。実はね、あのプラグを繋ぐ音は、実際にこの歌を録音するときのものではないのです。でも、アルバムはこの歌で始まるのが良いし、この歌はデイブがエレクトリック・ギターのプラグを繋ぐ音で始まるのが良い、と、私は思ったのです。それで、もう歌の録音は済ましていたのですけれど、あのプラグの音は録音していなかったのです。それで、デイブを呼んで、「君のアンプを起動させてよ、それで、ギターを繋いで欲しいんだ。」と言ったのです。それで、何と言うことか、20回か30回、あのプラグの音を録り直したのです。だって、ブジィーと言う音が大き過ぎたり、小さ過ぎたり、音が綺麗に澄み過ぎていたりするのですから。とか、聞こえなかったり、デイブがプラグを落としたりとか、色々ね。ほんのちょっとの現実を描写するのに、そのような大騒ぎをしたのです。それも全て、「この歌はエレクトリックの歌だ。男は今、エレクトリック・ギターをエレクトリック・アンプに繋ぐのだ。」と言うことを表現するためなのでした。
 でも、ビデオではしていませんね。ビデオではそれらしく見せるために、デイブはリズム・ギターを弾かなければなりませんでしたから。でも、レコードでは、私がリズム・ギターを弾いているのです。デイブは、彼のトレード・マークのアルペジオを弾いています。それに、ハモンド・オルガン。とても素晴らしいです。」
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2013年06月13日

パートリッジ、ベルナール対談「 The Ballad of Peter Pumpkinhead 」1

 ベルナールさんとパートリッジの対談、「 The Ballad of Peter Pumpkinhead 」について。
2007年9月30日公開のもの、

元のURL は、https://myspace.com/xtcfans/blog/314857936 ですが、今朝、アクセスをしてみたところ、MySpace の仕様が変更されていて、ページが表示されませんでした。あるいは、アカウントを取得して、ログインすれば、閲覧出来るのかもしれませんけれど。

 最初は、歌の発想と、内容についての過剰な反応についてのこと。




ベルナール「さて、「 Peter Pumpkin head 」について話して下さいますか。」
パートリッジ「ああ! 何々のバラッド! 何々のバラッドと言う歌は、大抵が長過ぎるのですね。( 重々しい声で ) 然るに、「 The Ballad of Peter Pumpkinhead 」に於いても同様なのである!」
ベルナール「どうして、この歌が長過ぎると思われるのですか?」
パートリッジ「実は、先週だったか、ラジオでこの歌を聞いたのです。土曜の朝にラジオ2で全国放送しているジョナサン・ロスの番組だったのですが、そのオープニングで放送されたのです。私は、もう長い間この歌を聴いていませんでした。ジョナサンは、アルバム・ヴァージョンをかけていました。それで、一人で思ったのです。「ああ、本当に長過ぎる。」って。何々のバラッドと言うものの長い伝統に従っているわけですけれど、ヴァースが一つか、あるいは二つ分は、長過ぎるのです。ですが、バラッドというタイトルを付けたなら、長くしなければいけません。物語りを語らなければなりませんから。」
ベルナール「一見では、この歌はカボチャの…、」
パートリッジ「腐ったジャッカ・ランタン ( カボチャちょうちん )の…、」
ベルナール「ええ、カボチャちょうちんがヒントになったのは、明らかだと思うのですが、けれど、歌詞はカボチャのことではないですね。」
パートリッジ「ええ、歌詞は、腐ったカボチャではありません。ですが、実は、私が作った中で、一番の出来のカボチャちょうちんがあったのです。それを捨てると言うことには、私は耐えられなかったのです。それで、垣根に立っている郵便受けにずっと置いていて、スタジオに向かう庭の通路を通るとき、「今日は、ジャックじいさんはどんなかな?」と毎日言っていたのです。そして、「あああ、くずれちゃってるぞ」と、なったわけですけどね。」
ベルナール「クロムウェルの首ですね!」
パートリッジ「( 笑い ) 本当に。あれは、クロムウェルの首ですね。人々は、クロムウェルの首を刈り取ったのですね。」
ベルナール「ええ、クロムウェルは十分な罰を受けてないですから…、」
パートリッジ「クロムウェルは十分に罰されてなかったのですね。それで、人々は彼を墓から掘り出して、滅茶苦茶にしたのです。( 嘘っぽい声で ) 「いひひ、おまえをほんとめちゃくちゃにしてやる!」
 そんな次第で、私は垣のポストにぶら下がっている頭が腐っているのを見たのです。それで、「カボチャ君は、ロンドン塔の叛逆者の門[ Traitors' Gate ]に釘で打付けて死刑にされる様な何をしたのだろう。悪いことはしてないぞ。どちらかと言うと、申し分のない人物だぞ。」と考え始めたのです。それで、「今現在、完璧な人物がこの世に居たらどうなるのだろう?」と思ったのです。底からアイデアを膨らまして行ったのです。そして、ディラン流のやりかたで、色々と試してみたのです。そうしているうちに、私は、「どうして僕は、「 The Ballad of ・・ 」と言うのを創らないのだろう? 完璧な誰かさんのバラッドというのを。」と思ったのです。と、考えを進めているうちに、「南無三、完璧な人と言うのは、たくさんの敵を作ってしまうものなのだ。」と思い付いたのです。そうでしょう、立派な人が、人間性と人道を賞讃して、愛や分ち合いや施しを推奨するとすれば、つまり、彼らは権力の地位にある人々を追い遣ることになり、それで、権力の地位にある者たちは、殺すことも含めて、あらゆることを、完璧な人々に対して行うことになるでしょうからね。」
ベルナール「私たちは先だって「 Dear God 」についても話しましたね。その時に、人々は意見に反応するのにあまりに暴力的だ、と話し合ったのでしたね。現代にキリストが戻って来るとしたら、あの暴力的に反応する人々が、現代のキリストを縛り首にしようとする最前列に並んでいるのは、当然ですね。キリストは、現代では、ラディカルなヒッピーの様でしょうから、人々は、出来る限り素早く、そのキリストを排除しようとするでしょうね。」
パートリッジ「そうですね、キリストが戻って来たら、きっと、自分の教えを使って人々がどうしたかを知って、狼狽するでしょうね。まずは、キリスト教会がユダヤのカルト教団の様なのに辟易するでしょうね。更に、キリスト教会は、長年に亘って、反ユダヤ的になっているのですから。キリストが戻って来たら、こう言うでしょうね。「なんでことですか、私はユダヤ人です。私の弟子たちも全員がユダヤ人です。」 でも、私が考えたのは、完璧になり得る人物についてなのです。そうして、その人物が人々をどれだけ慌てさせるか、と言うことを考えてみたのです。キリストの問題もそこにあるのです。キリストの教えは、当時、ユダヤ人と当地を占領していたローマ人とが作っていた状態を混乱させたのです。そして、ユダヤ人とローマ人は共謀して、キリストを殺したのですね。「奴を黙らせろ。」と言うことですね。ピーター・パンプキンヘッドにも同じことが起こったのです。世界政府は、こう言うのです。「あの男は富を分ち合おうと触れ回っている。我々は、腰抜けとかそう言うものになるべきではない。あの男を黙らそう。」とね、そして、政府は実行するのです。政府は、この手の人物を処刑するのです。ちょっとした寓話なのです。完璧な人物になると、処刑から逃れることは出来ないのです。」





Oliver Cromwell's head :
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Oliver_Cromwell%27s_head,_late_1700s.jpg
507px-Oliver_Cromwell's_head,_late_1700s.jpg
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2013年06月03日

パートリッジ、ベルナール対談「 Then She Appeared 」8

ベルナール「この歌を今お聴きになって、ダッジョンさんの助言やバンド全員が演奏したのを聞いて、何かに気が付いたと思われますか?」
パートリッジ「マタックスの手堅いドラミングが歌を良くしていると思いますね。それに、とても味わい深いアレンジですね。過剰な演奏はしていない様に思えます。この曲では、音の印象の交替があります。最初はドラムが後ろで鳴っているのですが、後になってドラムズが前面に出て来ます。この不一致の間には、音の印象の取り替えと言うか交替があるのです。[ 一回目のヴァース・コーラスが終わった所で、変わる。1分ころ。 ] ギターは、ずっと D で鳴り続けています。ですけれど、その周りに小さな音が一杯に詰め込まれているのです。相応しいアレンジがなされていると思います。
 ですけれど、歌詞は、100パーセント馬鹿らしいですねえ。でもそれが魅力的だと思います。私は、この歌を長い間聴かずにいました。今日午後、久しぶりに聴いたのです。それで、自分自身のトップ20には入らないけれど、でも、魅力のある歌だな、と、その時に思ったのです。」
ベルナール「貴方は歌詞は馬鹿らしいと言われるけれど、私は遊び心に満ちていると思っています。それはお分かりだと思うのですが。」
パートリッジ「ええ、分かっています。」
ベルナール「それは、人を怒らせる様な愚かしさではないですよ。」
パートリッジ「ええ、人のいい馬鹿らしさですね。楽しげな馬鹿らしさですね。( 一息入れて「 Stupidly Happy 」の節で歌い出す、「 likeably silly 」。そして笑う。 ) はい、続けて!」
ベルナール「( プロデューサーの声で、 ) よく出来たぞ、坊や!」
パートリッジ「( 笑い ) この後に「 I'm Henry the Eight 」と続けて、それで、君が「 I'm Johnny the Ninth 」と歌って、それから、一緒に「 I'm Tony the Eleventh 」だよ。」




おわり

誤訳、疑問点をご指摘下さると、幸せます。
posted by ノエルかえる at 08:48| Comment(0) | TrackBack(0) | Nonsuch | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月01日

パートリッジ、ベルナール対談「 Then She Appeared 」7

ベルナール「はい。ムールディングさんも、同様に、素晴らしいベースをこの歌で演奏してますね。」
パートリッジ「ああ、でも、あれは、デモ・テイクにあったものをそのままだと、私は思いますね。」
ベルナール「それでは、ムールディングさんは、貴方の書いたものをそのまま演奏しているのですか?」
パートリッジ「ほとんどがそうだと思います。コリンとデイブは、歌を通して、バック・コーラスを歌っています。」
ベルナール「ええ、ギターの音が小さくなる部分で歌っていますね、あれは、「 la la 」でしょうか?「 wah wah wha 」でしょうか?」
パートリッジ「うわあっ! それは、ちょっと思い出せないですねえ。たぶん、la でしょう。普通でない、キンクス風のものですね。プロデューサーのガスは、バッキング・ヴォーカルを別の所へ移す様に私を説得しました。デモ・テイクと聞き較べれば、調が違っているのが分かるでしょう。」
ベルナール「そうですか、他に、この歌についてのお考えはありますか?」
パートリッジ「この歌は、アルバムの中では、あまり私の好きなものではないですね。でも、ガスは、これがシングルだと私を説き伏せたのです。」
ベルナール「でも、この歌が大好きだと言う多くの人を、私は知っています。貴方が抱かれている思いと言うのは、貴方がこの歌の元々の意図を知っていると言うことに関係があるのでしょうか?」
パートリッジ「そうですね。私にしてみれば、この歌は、心の中では、もう捨ててしまっていました。それなのに、誰かがやって来て、「どうかしてるんじゃない?、これをレコーディングすべきじゃない?」と、喚き散らす、と言うことだったのです。」
ベルナール「なる程。「僕には分からないけど、何かがあるんだなあ。」と言う場面ですね。」
パートリッジ「ええ。そう言うことだと思います。多くの人がこの歌を好いていると言うことですからね。だけれど、私は、この歌を失敗作として整理棚にしまい込んで、捨ててしまっていたのです。」
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2013年05月30日

パートリッジ、ベルナール対談「 Then She Appeared 」6

ベルナール「それで、マタックさんがしたのですか、スイッチを彼が押して?」
パートリッジ「たぶん、デイブが実際に音を出したのですよ。「サンプルを持っている。」と、彼は確かに言いましたし、「 Crocodile 」の終わり近くで、ギューギューと言う音がしてますよ。あれは、豚のサンプルの音を速度を遅くしたものなのです。」
ベルナール「ドラムズのことも話して下さい。」
パートリッジ「そうですね、ある特定なアクセントを持ったグルヴィーなリズムのヒップ・ホッピーについて、デイブ・マタックスと座って話したことを覚えています。それで、プログラミングされた物を使うべきかどうかを話し合ったのです。と言うのはですね、私は、ギターのパターンと対位法をなすような飛び跳ねる様なドラムが欲しかったからなのです。でも、結局は、デイブはライブでしました、とても上手くいったと思います。デイブは、トム・トムを使って演奏しました。」
ベルナール「あれはトムなのですか? 私は、この曲を演奏するときは何時でも、キック・ドラムを使ってました。」
パートリッジ「いえ、あれは、フロア・トムです。ぎっしり詰め物をしました。すると、ゥハップ[ whup ]と言う感じが出るのです。前には、バッパバップ [ buppabup ] と言いましたけれどね。その音が私は好きなのですよ。
 その音を以前に聞いていたのだと思います。たぶん、Milli Vanilli のレコードだったか知ら? ご存知ですか?」
ベルナール「( 笑い )」
パートリッジ「Aw, c'mon, the poor fuckers -- 死ななくてもよかったのに。 」
ベルナール「え、何ですかそれは? 知りません。」
パートリッジ「彼らの内の一人があまりに恥じて、グラミー賞を返したのですよ。二人はアルバムでは歌ってなかったからと言う理由でね。でも、音楽界ではよくあることなのにね。それだと、モンキーズのメンバーは全員がバンドから出ていかなければならないじゃないですか。」
ベルナール「でも、モンキーズは、作られたバンドだと言うことはよく知られていますからね。でも、仰ることは分かります。」
パートリッジ「それで、まあ、Milli Vanilli のレコードだったと思うのですけれど、「 buppabup buppabup Baby 」と歌われているのを覚えているのです。あのアクセントが、私は好きなのです。それで、その歩いている人がちょっと跳ねる様な音、分かりますかね、それを取り入れたいんだ、とデイブに何とか説明しようとしたのです。デイブは、それを何とかドラムキットに組み入れましたよ。もちろん、冒頭部には、テープの逆回転のドラムも入ってますが、あれも素晴らしいです。マタックスは、グルービー・マシンのようでしたね、デイブは、本当に素晴らしいドラマーです。」




[ Milli Vanilli:1988年から1998年の間に活動。デビュー直後からヒットし、グラミー賞も受賞した。フロントマンの二人は、実際には歌っていなかった。 ]
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2013年05月28日

パートリッジ、ベルナール対談「 Then She Appeared 」5

ベルナール「ギターについても話して下さい。」
パートリッジ「デイブは、12弦ギターを弾いてます。よく響く12弦ギターですね。私は、すごく金属的でビンビン鳴るギターを弾いています。( 口で真似る ) Dで繰り返しのパターンを弾いているのです。ですが、レコーディングの時、ビンビン感がまだ足りない、と私は言ったのです。すると、デイブ・マタックスが、自分のサンプル集の中にシタールのサンプルがある、と言ったのです。そのサンプルの中に、Dのものがあったのです。それを、私とデイブのギターのパターンに重ねて、オフビートで使ったのです。
 デイブは、実際、豚のサンプルも持っていました。それはとっても役に立ちました。私たちは、「 Crokodile 」で、それを使いました。」
ベルナール「本当にですか?」
パートリッジ「ええ、歌の中で、ギューギュー言う音が聞こえる筈ですよ。あれは、豚のサンプルなのです。」
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2013年05月27日

パートリッジ、ベルナール対談「 Then She Appeared 」4

ベルナール「音楽のことも少し話して下さい。デモ・テイクはもちろんあったのですよね。」
パートリッジ「ええ、The Golden のヴァージョンを、ある程度、下敷きにしました。それで、歌詞には手を入れました。けれども、歌の持っているサイケデリックなものは、堅持しようと努めました。分かりますか?
 レコーディングの時に覚え書きを残していたのです。「我々は何を手に入れたか? 我々は擬い物のメロトロンを入手した! 我々は、メロトロンを『ノンサッチ』のレコーディングの為にスタジオに持込まなかった。それは、僕がE-mu Proteus と言う名前のものを持っていたからだ。僕は、これで、メロトロンだと誰もが思い込む様な調子の外れた音を創り出せる。」 と言うわけで、実際、私たちは、プロテウスを使って歌を作ったのです。( くすくす笑い ) と言うのはですね、メロトロンを載せることの出来る車を誰かが持ってたとは、思いませんからね。」
ベルナール「そうですか。歌で聞こえるフルートの音は、シンセサイザーだと、ずっと、思っていました。メロトロンを真似て作った音だったのですね。」
パートリッジ「ええと、まず、何かの曲の中のフルートのパッチを用意したのです。それは、エミュレータにあった、サンプリングか何かでした。その調性を少しいじったのです。そうすると、楽器本来の持つ音程そのものではなくなるのです。そうすると、メロトロンの様になるのです。それから、音のしっぽ、残響を切り落とします。鍵盤から手を離すと音が直ぐに止まって無音になるのです。そうすると、メロトロン的になるのです。音が次第に小さくなって消えて行く、そんなことはないのです。それに、楽器本来の音とはずれている。これがメロトロンの音なのです!」
ベルナール「でも、今では、ソフトウェアを買うことができますよ。お持ちですよね?」
パートリッジ「そうねえ、私は、メロトロン様の音を、全部、テープの上で創り出したのです。それを持っていますよ。」
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2013年05月25日

パートリッジ、ベルナール対談「 Then She Appeared 」3

ベルナール「では、 XTC の新しいアルバムの為に、『 Wasp Star 』からどの語を選ぶか、言い合ってみませんか?」
パートリッジ「( 嬉しそうに笑って ) うん! 『 Buffalo Billion 』がいいね!」[ 「 We' re all light 」から ]
ベルナール「『 Stupidly Happy 』はどうでしょう。貴方はこの言葉を次のアルバムに使いそうですよ。」
パートリッジ「いいえ、それは、ちょっとどうかなあ、もっと、意味が掴みにくいものにすべきですよ。」
ベルナール「『 The Element gets Hot 』はどうでしょう。」[ 「 We' re all light 」から ]
パートリッジ「( 笑い ) ええ、そう言うのがいいですね。『 Show You the Pin 』、これにしましょう。[ 「 We' re all light 」から ]
 ところで、私たちは何に付いて話していたのでしたっけ? 歌詞についてでしたよね。私は、歌詞の言葉を鋭利に洗練されたものにしようと努めたのです。それも、人々がにっこり微笑む様な言葉を使ってそうしようとしたのです。その言葉、何かが現れると言う感じを出す言葉なのです。例えば、フォックス・タルボットが発明した溶液の中で、初めて、画像が浮き出て来る、と言うのなことですね。初めて写真画像が作られた時には、とってもゆっくりと画像が浮き上がって来たのですよ。私はですね、フォックス・タルボットを歌の中に入れたと言うのが、気に入っているのです。」
ベルナール「ええ、確かにそうですね。ポピュラー・ミュージックの中で、タルボットが歌われるということは、ほとんどないですね。」
パートリッジ「タルボットは近くに居たのですよ。確か、彼はレイコックに住んでいました。[ Lacock:ウィルトシャー州の町、スウィンドンから40キロくらい ] ですが、私たちの作品に Fox Talbot は、多くは現れませんね。」[ 原文の our oeuvre が、XTC の作品を指すのか、イギリス歌謡を指すのか不明。 ]
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2013年05月24日

パートリッジ、ベルナール対談「 Then She Appeared 」2

ベルナール「「 All Edward Leared... 」の部分ですか?」
パートリッジ「その通りです。それは、エドワードと言う町で、人々と言うか人格のある者と言うか、兎に角、そこに住む皆がエドワードと言う名前でね、全員がしげしげと君を見るわけですね。だって、君はその町に現れたばかりですからね。それに、エドワード・リアは、短い二行句のナンセンスが評価されていますからね。その感じもあるのです。あれはとてもいいですね。それから、フリジア帽。フランスの象徴を仄めかしているのですけれど、つまり、マリアンヌと言う名前なのですが、当時の妻の名前でもあるのです。」
ベルナール「それは、意図的になのですか?」
パートリッジ「もちろんです! 私は妻を歌の中に入れたのです。フリジア帽を被った人物が妻なのです。バリケードに荒々しく突進する民衆の有名な絵を描いたのは誰でしたか知ら? その女性は、旗を抱えバリケードを乗り越えているのです。フリジア帽を被って、服は破れて、乳房が丸見え! ( フランスなまりで ) 「もちろんでえす、おうぱいをぼおうやたちのために見せられますうか、あなた?」( 笑い )  それでです、フランスの象徴は、マリアンヌなのです。それで、「それはいいな。妻を歌に入れよう、彼女はフリジア帽を被っているのがいいな。」と思ったのです。」
ベルナール「それから、「 Catherine wheeled 」と言う語句があります。」
パートリッジ「ええ、でも、「 All Edward leared 」程上手くいってないですね。」
ベルナール「「 Hookah with my senses bubbled 」と言う行もあります。」
パートリッジ「そう、そう、とってもビクトリア的ですね! ビクトリア的でサイケデリックです。」
ベルナール「それに、この歌から次のアルバムの題名を取っていますよね。当時、ファンは、貴方が前作から題名を取る傾向があると言っていました。」
パートリッジ「ええ、『 Apple Venus 』は意図的にそうしたのです。と言うのは、誰かが、ファンが考えている法則を教えてくれましたから。でも、実際には違うのですよ。例えば、「 oranges and lemons 」と言う句は歌の中にはないのです。実際は、「 orange and lemon raincoats roll and tumble 」ですから。[ 「 Ballet for a Rainy Day 」の歌詞の orange and lemon は形容詞で色を表している。 ] 歌詞の「 some nonesuch net holds me aloft 」の「 nonesuch 」は、「 non-existent 」の意味で、incomparable の意味の「 nonsuch 」ではないのですよ。[ 「 some nonesuch net holds me aloft 」は「 Chalkhills and Children 」の中の行 ]」
ベルナール「でも、『 Apple Venus 』は意図してそうされたのですね?」
パートリッジ「ええ、ファンが私たちはアルバムの題名を前作から取っている、と言っているのを読みましたからね。それで、「よし、それなら、そうしよう。「 Apple Venus 」と言う句を取って来よう」と思ったのです。」
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2013年05月20日

パートリッジ、ベルナール対談「 Then She Appeared 」1

 ベルナールさんとパートリッジの対談、「 Then She Appeared 」について。
2007年10月01日公開のもの、

XTC が投稿した記事 Andy discusses "Then She Appeared"





ベルナール「「 Then She Appeared 」について話して下さいますか。コーラス部分のメロディは、「 Goodbye Humanosaurus 」と同じなのですね。」
パートリッジ「経緯があるのです。あのメロディは、暫くの間、「 Humanosaurus 」に転用されていて、それから、また、「 She Appeared 」に戻って来たのです。」
ベルナール「前にお話を伺ったときそれで驚いたことを、まだお覚えています。私は、「 Goodbye Humanosaurus 」の方が先に書かれたと思っていましたから。」
パートリッジ「艶のある厚い上質な紙を使った、「上流」雑誌があったのです。サイケデリックについてのもので、『 Strange Things Are Happening 』と言う名前でした。それには、表紙に嵌め込まれたディスク ( ソノシート ) が付いていました。フィル・スミー Phil Smee と言う人物が発行していたのです。彼は、デュークス・オブ・ストラスフいあが発表された時に、私たちの所にインタビューに来たのです。彼はその手の音楽が大好きで、デュークスの大ファンだったのです。デュークいついてのインタビューの後も、1990年頃ですね、私とフィルは親交を保っていました。それで、私は「僕が君のために両面のあるソノシートを作ると言うのはどうだろう、表裏に一つずつで、二つのバンド、これまで誰も聞いたことがない様な、でも、60年代風のもの、と言うのだけれど、どう思う?」と聞いたのです。それで、彼は、それは素晴らしいと思ったわけですね。
 それで、私の安物の8トラックのカセット・レコーダーを使って、二つのバンドで各一曲を作ったのです。一つは、「 It's Snowing Angels 」、the Lovin' Spoonful と Donovan を混ぜ合わせた様な感じで、バンド名を Choc Cigar Chief Champion にしました。もう一つが、「 Then She Appeared 」です。バンド名は、 The Golden です。私は、その名前がとても気に入ったのです。the Golden で、もっとたくさんの曲を作ればよかったですね。
 それでは、私は家でその二曲を録音して、フィルに送りました。フィルは気に入っていましたよ。それで、おやまあまあ、雑誌は資金不足で廃刊になり、出版されず仕舞いでした。ですから、私は、その二曲を放っておいたのです。どうしたらいいのか、分からなかったからです。と言うのはですね、その二曲は、特定のスタイルで書かれていたからなのです。お分かりになるか知ら。「 Then She Appeared 」に関しては、歌詞を、意図的に、サイケデリックな狂気じみたものにしていました。『 Fazzy Wabbles 2 』に、私がフィルに送った元のデモ・テイクが収録されているので、聞くことができますよ。そうすれば、歌詞が狂気じみていることが分かるでしょう。
 それで、「 Then She Appeared 」はデュークに入れられなかった様な類いの歌ですから、XTC では録音しないだろうから、「 I was a little frightened 」の部分を取り出して、変えて使おうと、私は、考えたのです。と言うのは、ちょうどその時、「 Goodbye Humanosaurus 」と言う歌を書いている最中だったのです( 『 Fazzy Warbles 3 』に収録 ) 。調性が D で、ちょうど良かったのです。それで、余り物を上手く使うことが出来たと思ったのです。実は、「 I was a little frightened 」の部分で使ってあったコード進行とメロディがとても好きだったのです。
 そう言うわけで、私は、「 Then She Appeared 」からコードとメロディーを少し取って、それを書いていた曲にくっ付けて、「 Goodbye Hummanosaurus 」にしたのです。そうして、『 Nonsuch 』の為のリハーサルに、正式な曲として取り上げたのです。ですが、デイブとコリンが気に入ったとは、今でも思っていません。その歌を、私たちは、様々なスタイルで試してみました。ストーンズだったら、この歌をブルージーなスタイルにするか、カントリー・スタイルにするか、ロックンロール・スタイルにするだろうけど、と思ったことを覚えています。兎に角、あらゆるスタイルを試してみたのです。それで、最後には、がらんどうの中で鳴り響く、「 Come Together 」の様なスタイルでも試してみたのです。でも、上手くはいきませんでした。それで、テンポを速めて、よりカントリー的にしても見ました。それも上手くはいきませんでした。デイブとコリンは、私が元々デモ・テイクで作っていたフォーク的な、遅いテンポの時と同様に、この歌を気に入りはしなかった様に、私には思えました。ですから、この歌は、結局、命を吹き込まれずに終わるのだな、と思ったのです。私は、自分のデモ・テイクを二人になぞる様に説得出来る自信はなかったのです。結局、この歌は、抽き出しに戻されてしまいました。
 それから、『 Nonsuch 』のプロデューサーが二人目でやっと決まって、ガス・ダッジョンになったのです。ダッジョンは、アルバムの為のデモ・テイクやその他の、兎に角、全部を聞きたがったのです。私は、いたずら心に、Choc Cigar Chief Champion とThe Golden のカセット・テープを送ったのです。すると、( ダッジョンの声を真似て ) 「おお! 「 Then She Appeared 」を気に入ったぞ!」と言うのです。私は、あれはただのジョークで、サイケデリックの雑誌の為に作ったもので、デュークの類いであり、The Golden と言うバンド名にして作ったものだ、と彼に言ったのです。( また、ダッジョンの声を真似て ) 「いやいや、これは素晴らしい。これは飛び抜けのシングルだ、お前はそうしなければならんぞ!」と、言うのです。ガスは、これを XTC が録音すべきだと熱心に説得したのです。私は、録音したくはありませんでした。バンドもそうだったと思います。あの歌は、水流に足を取られて身動き出来なくなっていたのですから。
 ガスは、これがシングルだと宣言しました。彼の熱意が私を録音へと押し出したのです。「もう、分かりました、そうしましょう、」と言う感じだったのです。まあ、彼がこれがシングルだと信じているのだから、やってみよう、と言うところだったのです。ですが、歌詞については、もう少し手を入れて堅実なものにして、サイケデリックな異常さを減らすことを、私は主張したのです。
 そう言うわけで、私たちはこの歌を録音するつもりはなかったのに、ガスが押し切って、録音させたのです。そうして、『 Nonsuch 』が発表された後になって、ファンクラブのカセット・テープで、ファンの皆さんは、お蔵入りだった「 Goodbye Humanosaurus 」を聴くことになったのです。ですから、ファンの皆さんは、私たちが、「 The She Appeared 」のものを「 Goodbye Humanosaurus 」で、使い回している、と思ったのですね。実際は、「 The She Appeared 」の方が先だったのですけれどね。」
ベルナール「私には、歌詞をより堅実にした、と貴方が仰るのが奇異に聞こえます。と言うのは、二つの歌詞を較べてみると、アルバムのものの方が、私には、サイケデリックに思えますから。」
パートリッジ「そうですか、私は、もっと洗練されていると思うのですが。歌詞の言葉には、語呂合わせや、私が好きなそのような言葉遊びと同様に、私にとって何か意味あるものが、関連あるのです。」
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2013年05月15日

Meditation 17 : John Donne

 John Donne の Meditation 17 。元にしたのは、 Wikisource に掲載のもの。
Meditation XVII - Wikisource, the free online library





Nunc Lento Sonitu Dicunt, Morieris ( この鐘が、今、ゆるやかに鳴り、他の人々そして私に、告げる。「お前たちは必ず死ぬ。」 )


 この鐘が知らせようとしている当の本人、その人はもう弱っているのに違いない。だから、この鐘が聞こえない。そう言うこともあるだろう。私の周りにいて、私の様子を知っている人々は、この鐘が私の為に鳴っているのだと考えている、けれども、私は、そんな周りの人の目に映る容態よりも、ずっと良好なのだと思っているのに違いない。だから、鐘が聞こえない。そう言うこともあるだろう。教会は、何処までも伸びて全体に亘る。教会は、全てを一つに取りまとめる。だから、教会の行うこと、教会がすること、そのすべてが、すべての人に関わることなのだ。教会が一人の子供に洗礼を与えるとすれば、その行為は、私に関わることとなる。洗礼によって、その子供は、私の心の置き所でもある一団に接し、そして、私もその一員である集団に取り込まれることになるのだから。また、教会がある人を葬るとすれば、その行為は、私に関わることになる。人類をすべて束ねれば、それは、一冊の本なのだ。その本は、たった一人の作者によるものなのだ。一人の人間が死んだとしても、その一章が本から取り去られることはない。そうではなくて、前よりも良い言葉に言い換えられるだけ。全部の章が、きっと、そのように言い換えられているに違いない。神は、何人かのそういう翻訳家を雇っている。ある編は、年齢と言う観点で言い換えられる。ある編は、病気と言う観点で書き換えられる。ある編は、戦争と言う観点で言い換えられる。ある編は、処罰と言う観点で翻訳される。けれども、そのすべて翻訳に、神は手を入れられるのだ。私たちと言う、一面に散らばった頁を、神はまた一つの双書に綴じるのだ。その双書の中では、それぞれの巻が相通じ合っている。そう考えるならば、説教集会へと呼び寄せる鐘は、ただ一人の説教師の上で鳴るわけではなく、そこに集う人々のすべての上で鳴っていることが分かる。だけれども、病気が生の出口近くにまで私を運んでいる、その私に付いて言えば、この鐘の音は、説教師よりも集った人たちよりも、もっと大きく鳴っているのだ。

 嘗て、求婚合戦とまがう様な競争があった。( 信心と気品のどちらを、信仰と価値の見極めのどちらに妻合せるべきかと言う競争のようだった。) 朝、祈禱者をどの儀式にどの鐘を鳴らして呼ぶべきなのか、と競われたのだった。裁断はこうだった。最初に聞こえ出した鐘を鳴らすべきなのだ。私たちが、宵の祈禱に私たちを呼ぶこの鐘の音の気品を正しく理解するならば、早くに聞こえ出す鐘の音を、喜んで、自分たちのものだとするだろう。鐘の音をそうのように聞き做すのは、その鐘が本当は誰のものであれ、結局は、自分たちのものと同じだからなのだ。

 鐘は、鐘が鳴っていると考えている者に向けて鳴る。でも、また、鳴り止む。その人に関わる儀式は進行中であるのに。けれども、もうその人は、神と一体化しているのだ。太陽が昇ろうとしている時に、それを目で追わないと言うのは、どういう人物であろうか? 彗星が消えようとしている時に、それから目を離すと言うのは、どういう人物であろうか? どんな儀式であっても、鐘が鳴っているのに、それに耳を傾けないと言うのは、どんな人物であろうか? 一人の人は全人類と言う一冊の本の中の一編であると鐘が教えてくれているのに、その一人の人をこの世界から放逐しようと敢えてすると言うのは、どんな人物であろうか? 

 自らだけで完結して孤絶してると言う、そんな人は一人もいない。すべての人間は地続きの大陸の一端、本土の一部にいるのだ。海が一塊の土を洗い流してしまえば、それが岬であろうとも、友人の領地であろうとも、自分自身の領地であろうとも、ヨーロッパが小さくなることには変わりない。それと同じ。どんな人間の死も、私を縮ませるのだ。それは、私が人類と言う集合体に含まれるものだから。だから、鐘の音は誰を呼んでいるのか、と、使いを遣って尋ねようなどと言うことは、決してしないように。それはもう分かっていること、鐘の音は、貴方を呼んでいるのだから。

 このように考えることを、恰も、自分自身には十分な惨めさがないから、惨めであると話していた隣人の家に行き、それを取って来るかの様な、惨めさを請い求めることだとか、惨めさを借り入れることであるとかと、言うことは出来ない。本当のところ、もし私たちがそのようなことを行ったにしても、それは、許される貪欲さと言うものだ。なぜなら、苦悩は宝だから。十分に苦悩を持っている人と言うのは、稀なのだから。苦悩を十分に持っている人はいない。それだから、成熟し円熟しないのだ。苦悩によって、神に相応しくなることがないのだ。人が、もし、現在流通している硬貨を一枚も持たずに、宝を金塊か金の延べ棒にして持ち運んだとすれば、その旅の間中、費用を賄うことは出来ないだろう。苦難は、その本質に於いて宝なのです。けれども、それは使うことの出来る貨幣ではないのです。ただ、私たちの故郷、天国へとそれが近づけてくれるだけなのです。ある人は、病気になって、その病気の為に死んでしまうかも知れない。その時の苦しみは、その人の腸の中にあるのです。それは、ちょうど、金が金鉱にあるのと同じです。その金は、その人が使うことは出来ないのです。この鐘の音は、その人の苦しみを私に教えてくれます。そして、鐘の音は、私にその金を掘り出して見せるのです。他人の災難に思いを馳せて、私が瞑想に入る時、私は神を頼りにして自身を救うのです。神こそが、私たちの唯一の救いなのです。
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2013年04月27日

パートリッジ、ベルナール対談「 Rook 」7

ベルナール「それは、この歌をその方向に向けていたからです。さて、ムールディングさんは、何も演奏していませんね。」
パートリッジ「バック・ヴォーカルをしてるのではないか知ら。」
ベルナール「クレジットにはありませんよ。書き漏らしたのですか?」
パートリッジ「ああ、それでは、コリンはバック・ヴォーカルをしてないのですね。高い声は、私がしたのに違いありませんから。あれは、子供の時の私を感激させたものなのだと言うことは、言い置いておかないといけません。子供の時、ハニーバス Honeybus の「 I can't let Maggie go 」のレコードでなのです。[ 1967年から1973年に活動したロンドンのバンド ] あれは素晴らしいレコードでした。本物のチェンバー・ポップ・ミュージックでした。ハニーバスは、短い部分ですけれど、高い半音のハーモニーを使っているのです。私は、お上品に、それを拝借しているのです。あの歌は、素晴らしい歌です。ご存知でしたらいいのですけれど。まだご存知なければ、是非に聴いてみて下さい。暖かな曲です。二音を私が盗んだ事を、許してくれたらいいのですが。」
ベルナール「模倣は、お世辞の中では、一番に誠実なものですよ…、」
パートリッジ「でも、この歌は、危うく録音されなかったのです。ガスはいい奴なのですよ。モット・ザ・フープル Mott the Hoople の「 One of the Boys 」タイプのものでは、とても楽しいのです。ギャグもとても面白いし。ロックン・ロールの馬鹿らしさについての興味深い話しをたくさん知っていますしね。でも、彼は変わり者で、校長先生タイプで、もしいい加減な音で歌ったりしたら、こう言いかねなかったのです。( 上唇を堅くして曲げないで発音する ) 「違うぞ! 校長室に来なさい! 尻叩き六発だ!」
 「 The Ugly Underneath 」で私が高いハーモニーを歌った時、ガスはこう言ったのです。( とっとも上品な声で )「なんて馬鹿げたハーモニーだ。聞いたことがないぞ。エルトンは、そんなハーモニーをした事が無いぞ。」」
ベルナール「( 笑い ) それで貴方は、「畏まりました!」と言うのですか?」
パートリッジ「( 笑い ) その通り。でも、他にどうしろと? 私は分かりませんよ。難しいことです。説明するには厄介なのです。自分が書いたようには思えないのですから。歌が自分自身で書き上げたように、私には思えるのです。それを、歌が、どうにかして、私に自分自身を渡してくれたのです。」
ベルナール「それから、貴方が私たちに渡して下さった。」
パートリッジ「そう思います。
 私を撃たないで、私はただのマッサージ師です! [ これ、messenger とmassager の洒落? ]」


終わり




誤訳、疑問点をご指摘して下さると、助かります。
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2013年04月26日

パートリッジ、ベルナール対談「 Rook 」6

ベルナール「それでは、歌詞について、少しばかりを話して下さい。」
パートリッジ「私は、この歌詞については、本当に、誇りに思っています。第二部分 / Bセクションでは、日常生活のことを歌っています。私が子供の頃、強い印象を私に与えたものの全てを書いたのです。一直線に並んだ洗濯物とか、煙突から出る一塊の煙とか、それらは、何かの信号か符丁の様なのですよね。」
ベルナール「そう言う見方は、面白いですね。この歌では、「 Chalkhills and Children 」や「 Red Brick Dreams 」の世界が垣間見えますよね。ですが、私は、この歌は、もっと良くなっていると思います。貴方は、日常生活の事だと言われたのですけれど、その日常生活と言うのは、精神世界の文脈に置かれています。貴方は、急上昇して大地を離れているのに、大地を事細かく現実的に語っておられます。」
パートリッジ「なるほど。貴方は新しい説を得たのですね。違った側面から調べているのですね。」
ベルナール「「 My head bursting with knowledge 'till I wake from the dream 」と言う行があります。人は、夢の中では全能であるか、すべてを分かっていると言う感覚を持っているのに、目覚めると、その全てが抜け落ちてしまう、と感じるのですね。」
パートリッジ「何てことでしょう、私はまるっきりの間抜けですねえ。貴方が私に歌詞についての説明をして下さいます。それに、私は感激していますよ! 私は何てとんまなのでしょう。この歌は、私の為に、そんなにたくさんのボタンを押してくれていたのですね。」
ベルナール「よく分かります。後になって顕現して来るものなのですね。私は、それが、多くの人がこの歌に関心を持つ理由なのだと思います。この歌を初めて聴いた時、私は、この歌には何かものすごく特別なものがあると思ったのを覚えています。」
パートリッジ「貴方は、この歌のアカペラ・ヴァージョンを聴いたことがありますか? +4db と言うグループのカバーですけれど。[ 1966年に結成された、ジャズのアカペラ・グループ。アルバム『 plusfourdb 』( 1998年 )に収録。 ]」
ベルナール「聴かせて下さい。( 二人は、少しだけ聴く。 ) こんな歌を自分が創り出したと分かったならば、感激せずにいられるでしょうか。美しいです。」
パートリッジ「ええ、自分が書いたとは思えません。誰かが全部を私の耳に囁いて、私は書き留めただけのように思えるのです。」
ベルナール「それでも、私は、感激を感じている貴方に賞讃を禁じ得ません。と言うのは、もし私が貴方でしたら、導管を持てた事に特権を感じるでしょうから。」
パートリッジ「ああ、なんてきれいな排水管でしょうねえ。」
ベルナール「( 笑い ) まあ、兎に角、当然に受けるべき称賛を受け取って下さい。」
パートリッジ「分かりました。貴方の言う通りです。私はこの歌に誇りを感じています。この歌は、『 Nonsuch 』の中の私の一番のお気に入りで、当時は、そう思うと嬉しくなったのです。そして今でも、一番好きな歌なのです。『 Apple Venus 』からの最初の歌のようだと、私たちは言いましたよね。」
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2013年04月24日

パートリッジ、ベルナール対談「 Rook 」5

ベルナール「各楽器を録音した順序を覚えていますか? 私は、ピアノが最初だと思うのですが。」
パートリッジ「クリック・トラックに沿ってピアノだったと思います。」
ベルナール「次は、弦楽器ですか?」
パートリッジ「ええ、小さな弦楽編成、四重奏団ですね。出せる予算は、それが精一杯でしたから。それで、『 the Big Express 』でバイオリンを弾いた、ステュアート・ゴードン Stuart Gordon に連絡を取ったのです。他に三人を連れて来られるか、このアルバムで録音したいのだけれど、と頼んだのです。つまり、バイオリンニ挺と、ビオラ、チェロの各一挺ですね。
 ステュアートは遣って来たのですけれど、私を部屋の隅に連れて行って、「おい、希望しているチェロ奏者じゃないぞ、この娘はあまり良くないんだ、」と言ったのです。実際、彼女はちょっとまずかったですね。何度か、録音したのですけれど、冴えない音でした。私には、ステュアートはまずいと考えているように思えました。それで、私たち XTC は、作り物の弦楽編成を録音した四重奏に重ねて補強したのです。私は、ミックスした偽弦楽の正確なパーセンテージは分からないのですけれど、50パーセント−50パーセントだったと思いますが、ひょっとして、偽の方が多いでしょうか?
 今になって思うのですけれど、弦楽が上手くいかなかったことが、ガスを首にした理由の一つだったのかもしれません。ステュアートは、本当に素晴らしい奏者です。名簿から人を選んで一緒に仕事をさせるのに、どんな人を選ぼうとしているのか、分からない、と言うのですからね。」
ベルナール「それから、ガイ・バーカー Guy Barker ( イギリスのジャズ・トランぺッター、1957年生まれ ) も使っていますよね。パーカーさんは、後になって、『 Apple Venus 』でも参加されてます。」
パートリッジ「その通りですね。たぶん、「 Rook 」を録音した同じ日に、「 Omnibus 」も録音したのだと思います。『 Nonsuch 』 で聴ける、フリューゲルホルンやトランペットは、すべて、ガイの演奏です。とても慌ただしく録音したのです、全部を一日でしたのだったと思います。それから、ガイは、『 Apple Venus 』のセッションに遣って来て、「 the Last Ballon 」で、素晴らしい演奏を披露してくれました。」
ベルナール「貴方とパーカーさんは、タンバリンも演奏したと書かれています。それに、貴方は、シェーカーもですよね。」
パートリッジ「大抵の場合、パーカッションのパートは私がします。何故かって、私は、とてもいいリズム感を持っているからですよ。」
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2013年04月22日

パートリッジ、ベルナール対談「 Rook 」4

ベルナール「レコーディングについて、少し話して下さい。グレゴリーさんは、素晴らしいピアノを弾いていますね。」
パートリッジ「いい音色のピアノです。あれは、チッピング・ノートン・スタジオのピアノです。デイブは、ほんとにいい仕事をしています。第二部分を、私よりずっと速く弾きこなしているのですよ。難しい曲なのですけれどね。
 最初は、上手く出来なかったのを今でもよく覚えています。アルバムを創っている時、この歌は、私の一番のお気に入りだったのです。
 幾つか難しいことがあって、レコーディングはすんなり進みませんでした。すると、ガス・ダッジョンは軽々しく「それなら、ゴミ箱へ捨てればいい。」と言ったのです。
 私は憤慨しました。君のこの作品を仕上げる為に、きちんとしなければならないことは何かを、考えてみよう。私はこの歌が君のお気に入りだと知っているからね。とは、ならなかったのです。ただ、「捨てたがいい」と言っただけなのです。」
ベルナール「ダッジョン氏は、この歌が貴方の一番好きなものだとご存知だったのですか?」
パートリッジ「ええ、私は、はっきりとガスに言っていました。その軽口が、彼が私たちのレコードのよいプロデューサーではないと、思い知らせるもう一つのことになったのです。私は動転しました。私には、顔を叩かれることと同じだったのです。」
ベルナール「歌を救う為に、何をしたのですか?」
パートリッジ「何故だか、上手くいきませんでした。今は、正確な理由を思い出せないのですけれど。」
ベルナール「リハーサルの時のことなのですか?」
パートリッジ「いいえ、レコーディングの時のことです。」
ベルナール「ですが、貴方たちは、何をすべきかは隅々まで分かっていた筈ですよね。実際の演奏の問題だったのですか?」
パートリッジ「いい感じにはなっていたと、今は思うのです。ヴォーカルが良くなかったのか、ピアノが良くなかったのか、どちらだったか、今は思い出せません。ただ、ガスは、歌が多過ぎる、これはもうレコーディングしないでおこう、と思っていたのだと、私には思えます。」
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2013年04月19日

パートリッジ、ベルナール対談「 Rook 」3

ベルナール「この歌を最初に聴いた時に、思い浮かんだのは、ジョン・ダン Jhon Donne です。貴方はダンの詩をよくご存知なのですか?」
パートリッジ「あまり詳しくは知りません。家には、何冊かダンの詩集があります。( くすくす笑い ) でも、さあ金曜の夜だ、ビールを注いで、ジョン・ダンを紐解こう、と言うわけではありませんよ。」
ベルナール「( 笑い ) 「蜂蜜種の栓を開けろ!」ですか。でも、「 from whom the bell 」はよくご存知なのですよね。[ ジョン・ダンの『 Meditation 』17 の中の第四段落 ] 」
パートリッジ「ええ、もちろん。」
ベルナール「この歌、特に、「 Is that my name on the bell? 」の行を書かれた時、貴方は、意識的に何かの考えを頭の中に置いていたのですか? あるいは、何か、具体的な物があったのですか?」
パートリッジ「「 the name on the bell 」と言う行に関して、確固とした考えがあったかどうか、はっきりとは覚えていません。でも、ダンとは関係無く、あの行を創り出したのは確かだと思います。私は、鐘が人を呼び寄せるように鳴る不吉な音が好きなのです。それで、その鐘には貴方の名前も刻まれているのです。刻まれた名前は永久なのですよね、それは、疑い様がありません。貴方の名前で、貴方の葬儀なのです。」
ベルナール「貴方がカルロス・カスタネダ Carlos Castaneda を読んでおられるかどうかは、分からないのですけれど、私が強い印象を持ったもう一つのことは、貴方が鳥を魂を運ぶものとして使っていることなのです。[ Carlos Castaneda : 1925年生まれ1998年没のペルー出身のアメリカの人類学者。 ]」
パートリッジ「ええ、カスタネダの本は、大学に居たか、その時分に、誰かが私に呉れました。」
ベルナール「カスタネダは、精神的な状態になると、人は、カラスかタカになるという考えを述べています。あるいは、貴方の精神的な動物が何かは分からないのですが、それになるわけで…、」
パートリッジ「そうですね、自然を崇拝する人々にとっては、とても一般的な考えですね。」
ベルナール「「 Rook, show me the secrets. I know you know. 」と言う行で、突然に、秘密が貴方に暴露されるのですね。」
パートリッジ「ええ、私は、動物が秘密を知っている、その秘密は人間が知らないものだ、と言う考え方が好きなのです。新しい考え方ではないですよね。クロマニヨン人か、もっと前からある考えですね。」
ベルナール「自然に触れていた太古に戻れ、ですね。」
パートリッジ「火打石を使ってね。『 Our Man Flint [ 邦題 : 電撃フリント Go!Go!作戦 ] 』[ 1966年のアメリカのスパイ映画 ] は、全く違う意味になりますねえ。」
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2013年04月17日

パートリッジ、ベルナール対談「 Rook 」2

ベルナール「和音のことを話されているのですが、それは、開始部のパターンのところのことですか?」
パートリッジ「ええ。次の部分、速くなっている部分、あそこは、私がピアノで書いたのです。( 笑い ) 私は、本物のアコースティックのピアノは弾けませんけれどね。
 その第二部分がとても好きなのです。私には、50年代の白黒映画のサウンド・トラックで聞かれるような、「上流」の作曲家が書いた「モダン [ アール・デコ的な ] 」な音楽に思えるのです。そうですね、一組のカップルが荒れ野にいると言うようなシーンか知ら。実際、私たちは「 Rook 」のインストゥルメンタル・ヴァージョンを作ったのですが、それはどこかにあると思いますけれど、それは、ベイジル・カーチン Basil Kirchin か、映画『 A Taste of Honey 』に使ってある音楽のようでしたよ。
 それで、その第二の部分が私につよく恐怖を感じさせたのです。どうして、恐怖を感じたのか、分かりません。死の世界を垣間みてしまったと言うような、不思議な感じだったのです。」
ベルナール「その感覚は、確かに、歌詞に感じられますね。歌詞は、ピアノの部分と同時に書いたのですか?」
パートリッジ「そうですね、「 rook,rook 」のところは、和音と一緒に出来たのです。あの和音は、私に荒れ野を思わせたのです。それで、「ああ、飛び上がったのは何だ? 鳥か? カラス? いや、ミヤマガラスの方がいいなあ、」と思ったのです。そこから、ライムは、かなり早く、出来始めたのです。でも、第二部分の筋は、もう少し長くなりました。あれは、私の飛びたいと言う願望から来ているのだと思います。本当に、そう願っているのですよ。それは、幾つかの歌に反映されています。」
ベルナール「ええ、「 Chaikhills and Children 」もそうですね。」
パートリッジ「確かにそうですね。「 Rook 」では、「高く持ち上げてくれ、僕は、屋根を見下ろしたいんだ。煙突陶冠を、洗濯物の列がはためいているのを見たいんだ。」と言う思いがあるのですね。それを少しばかり変えているのです。分からないように巧妙に書いたのです。それは、死の世界の楽しげな夢見るような面を垣間みるものであるのですね。」
ベルナール「水の流れを遮り、その後で水門が開くのを許すと言うことを引き起こすような、特定の事が、貴方の実人生に何かあったのですか? 精神的なエネルギーを貯め込んでおく理由があったのですか?」
パートリッジ「難しい質問ですねえ。答えを、私が持っているとは思えませんね。」
ベルナール「後になってから、貴方には何か思い当たることがあるのでは、と思ったのです。つまり、『ノンサッチ』には、結婚の破綻の前兆が多くある、と、以前に話して下さったことを思ってなのです。」
パートリッジ「そうですね。すべてのものが駄目になる、と、私は予言しているのです。この歌では、その駄目になるものというのは、年齢のことなのです。「ああ、僕はきっと死ぬんだ。」と理解すると言うことなのです。( 悲しそうに笑って ) 貴方がこのことに気が付くのに、遅くとも何時までと言う制限はありませんけれどね。私は、この歌を書いた時に理解したのです。それで、その時に、「あれまあ、僕はまだ一度も飛んでないぞ! 翼を羽ばたかせて夢の中に飛んで行っていないぞ。でもたぶん、死んだら、何処かへ飛んで行くのだろう。たぶん、かわいい小鳥が僕を持ち上げてくれるだろう。僕の魂は、小鳥の背中に乗るんだ。そうして、屋根の上やそれらを見るんだ。」と、思ったのです。そう、今では、グーグル・アースで、それに近いことができますね。」
posted by ノエルかえる at 09:06| Comment(0) | TrackBack(0) | Nonsuch | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする