2018年11月13日

Kenny Stroud

 サッカー選手 Kenny Stroud ケニー・ストラウド。スウィンドン・タウン・フットボール・クラブで長く活躍した選手。 

 Wikipediaに、TC&I の「 Kenny 」は彼のことだと言われている、と記述されている。 
Kenny Stroud - Wikipedia

YouTubeの Swindon Town F.C. のチャンネルから、1979年1月29日の対 Everton F.C.戦で、ケニー・ストラウドが同点のゴールを入れた映像。エヴァートンは、リバプールのチームで、ファースト・デヴィジョン( プレミアリーグ )。スウィンドンは赤いユニホーム、ストラウドの背番号は4番。

https://www.youtube.com/watch?v=B2DW0rysXpg



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2018年11月01日

TC&I – Swindon Arts Centre (October 29, 2018)

 TC&I のコンサートレビュー、もう一つ: 
TC&I – Swindon Arts Centre (October 29, 2018) - Neon FillerNeon Filler

 こちらでは、セットリストが書かれている。 

 気付いたことは、『 The Big Express 』の歌は採り上げられていないこと。「 Wake Up 」「 I Remember the Sun 」「 Washaway 」のどれも。それに、デュークスの歌も。『 Apple Venus 』からも、「 Say it 」を採ってはいるけれど。
 毎日同じ曲目かどうかは、まだ分からないけれど。  


 それから、BBCの地方ニュースにも、TC&I のコンサートのことがあったけれど、単独の記事としてリンクはできないようだから。「 XTC duo return to rock Swindon 」という見出し。 

posted by ノエルかえる at 21:08| Comment(0) | Great Aspirations | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月30日

TC AND I - SWINDON ARTS CENTRE - LIVE 29TH OCTOBER

 早速、コンサートのレビューが: 
TC AND I - SWINDON ARTS CENTRE - LIVE 29TH OCTOBER | FLIPSIDE REVIEWS

 兎も角、ここから演奏された曲はわかります。順序までは分かりませんけれど。それから、写真からは、コリンの息子のリー・モールディングもステージに上がったことがわかります。 
 曲目は、まず、「 Say It 」で始まった様です。 

That Is The Way
Ten Feet Tall
Day In Day Out
Where Did The Ordinary People Go
Smartest Monkeys
Kenny
Scatter Me
Greatness
Wonderland
Generals and Majors
Bungalow
Making Plans For Nigel
Life Begins At The Hop
King For a Day
Cynical Days
Sacrificial Bonfire
Grass
Big Day
The Meeting Place

それから、パートリッジの歌は、「 Statue of Liberty 」。  


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2018年08月20日

間近になったライブについての、モールディングのインタビュー

 Facebook のグループ TC&I に掲載された、Kieron Bowker さんのモールディングへのインタビュー: 
ライブについてのこと 
https://www.facebook.com/groups/433386610411385/?ref=group_header

これからの四日間のショーのチケットが完売したことについてどう思いますか? 
 二人ともこの反応の為に追い込まれてしまったのではないか、と思います。人は、薬缶でお湯を沸かしながら台所で計画したものが次第に大きくなって大変な重要性を帯びて来るだろうとは思いもしないものですからね。 

追加の日程については何かお考えは? 
 追加をするのは、理由があってのことでしょうね。ただ、あの日ということは、アートセンターが用意できるのは他には無いということだと思います。何しろ、子供向け芝居のシーズンになりますからね。その日でなければ、大切な日の前後で私がビルボ・バギンズになって旅行をし続けることになるでしょうから。 

携帯でショーを記録するファンについてはどう思いますか? 
 動画で撮るということですか? 撮影しないでくれたら、それは本当に私たちを想ってくれているのだなあと思います。本当に嫌ですね。レンズにキャップをしないでいる携帯を手にした人たちがいるだろうとは思います。でもね、私たち二人は63歳でね、ちょっと品がなく欠点がままありますからね、それは分かって欲しいですね。 

ライブのレコーディングはされないのですか? 
 きっと録音されると思います。 

今回のショーの後ですが、イギリス以外でのショーの計画がありますか? 
 海外でのライブですか?、、、 残念ですけれど、ないでしょうね。海外に行かないのには、個人的な理由があるのです。皆さんがその理由を知れば納得されるだろうとは思いますが。…、でも、今の歌に熱中していることをやめたくも無いので、何か妥協点が必要だったのですけれど、、、 

長いブランクの後の初めてのライブですけれど、何か思うことがありますか? 
 トッド・ラングレンは、スタジオでのある一瞬が取って置かれているのだが、それが、私たち XTC の存在の全てだ、と言っていました。そう考えると、今回のライブはちょっと無くてもいいということですかね。あの頃の XTC であった瞬間はレコードになっています。でも、その瞬間を他の人がどうやってそのまま出来るでしょうね? 自分たちなりの素晴らしい瞬間を創り出す方がずっと好いでしょう。私たち四人( コリンとテリーと、Steve Tilling さん、Gray Bamford さん )は、レコード版には敬意を払っていますよ、でも、私たち独自のことをするつもりです。四人とも、15歳の様には聴こえないでしょうからね。
posted by ノエルかえる at 17:34| Comment(0) | Great Aspirations | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月03日

About DIY 4-Track EP

 下のブログに掲載されていた、EP『 Great Aspirations 』の各曲についてのコリン・モールディングのコメント。このインタビューがこの記事の筆者がしたものか、いくつかのラジオか何かのものを纏めたものなのかは分からない。 
MAKING PLANS - XTC's Colin Moulding And Terry Chambers Ponder Live Shows After DIY 4-Track EP - An Ideal For Living 
公開の日付は、2018年3月2日。 


 「 Kenny 」、このEPでは唯一ギターを使って作曲された歌であるけれど、この歌は、運動場を失うことになったアカデミー・スクールを指弾するものである。 
 「私は学校の管理人の息子でした、それですから、大きな運動場を自由に使っていたのです、それに、その運動場こそが私の想像力を養ってくれたのです。」とモールディングは明かす。「現代の幼い子供たちの問題は彼らが何かの課題に熱中することがないと言うことだと私は思うのです。子供たちは通りの角でぼんやり待っているだけなのです。」 

 モールディングは、子供たちの親たちが地区の学校が上級の学園[ アカデミー ]になると言う案に惑わされているが、実はまやかしの目論見書を売り付けられようとしているのだ、と主張している。 

 「人々は、もっと大きなもっと良質なものを得るべきだと考えていますけれど。とは言っても、アカデミーは、学校のひとつなのです。運動場がなくなれば、学校と言うものの美しさのすべて、それに、子供たちを育む雰囲気と言うものが無くなるのです。私は、それはあまりに均衡を欠いた取り引きだと思います。」 

 モールディングは、この歌はフィリップ・ラーキンの詩「 The Whitsun Wedding 」に触発されたと言っている。 

 「誰かがクリケットをしに遣って来る行がありますよね。列車から運動場が見えるのです。列車から、と言うことが詩の行を引き起こしているのです。私は、列車の動きに似たこのギターのリフを思い付きました。一つのことが次のことを導き連れて来るのです。― 思考の鎖ですね。」 


 「 Comrades of Pop 」も同様に若者のことを念頭に書かれているのだけれど、それは全く違った視点からのものである。 
 パートリッジへの当て付けだと誤解している者もいるのだが、モールディングは、若いバンドへレコード・ビジネスの危険を警告しているのだ、と言っている。 

 「私はキャリアの終りに差し掛かっています。それで、音楽産業に入ろうとしている若いポップ人たち全員に緊急に連絡を取って、決してしてはならないことは守銭奴とは関わり合いになると言うことだ、と言いたいのです。そうでないと、守銭奴たちは若い彼らを惨めな状態にしますから。」と、モールディングは沁み沁みと言う。 

 「君たちの味方だと言う人たちは、必ずしも味方ではないのです。レコード会社を考えて見ると、支払いの係が複雑でどうなっているのか分からない場合は特にそうなのです。」 

 レコード会社はバンドがレコードを作り続ける為には何でもする、バンドの負債を消す為に金を貸し付けることまでもする、とモールディングは強調します。 

 けれども、裏面を見れば、負債はレコード会社に移動しただけだとすぐに分かる。そうして、低いロイヤリティーで良いと言う、厳格な履行の権利を得るのだ。 

 「それが私たちに本当に起こったのです。」とモールディングは悲痛に言う。 
 「私たちは前のマネージャーとの裁判にお金が要ったのです、それで、ヴァージン社がそのお金を出していたのです。会社だけが弁護士費用を出すことが出来たものですから。 
 私たちは、会社は本当に私たちの味方なのだろうかと疑い始めたのです。と言うのも、巨額な請求書が私たちの元に届き続けたからです。訴訟が片付く様には全く見えなかったのです。十分に注意深くなくてはなりません。」 

 モールディングは、元マネージャー、イアン・リードとの裁判から生じた思わぬ結果にも触れる。結局は、バンドは仕事道具を置いてストライキをすることになったのだ。ストライキに依って、自分たち自身をヴァージン・レコード社の契約から解放しようとしたのだ。 

 リードとの裁判に資金を提供する見返りに、ヴァージン社は、バンドのレコードの売り上げから相当のロイヤリティーを得たのだ。XTC はヴァージンに約3,000万ポンドの利益を齎している筈だと見積もっているのにも関わらず、利益を得るのに汲々としていたのだ。[ 1992年当時のレートは、1ポンド240円くらいなので、72億円と言うことか?] 

 最後の一撃は1992年に起こった。横暴にも、シングル「 Wrapped In Grey 」をヴァージン社は早急に取り止めてしまったのだ。パートリッジは、柩の中で息を止めさせらられ様としている赤ん坊に喩えている。バンドは六年の間仕事から手を退き、結局は、ヴァージン社は契約を終了させた。 

 「 Greatness 」の中で、モールディングは、彼が感嘆している偉大な才人たちに讃辞を贈っている。それには、ポール・マッカートニー、アレフレッド・ヒッチコック、スティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ガーシュインがいる。 

 しかしながら、そこには驚く様な結末が待っている。彼は、今では「切望する」と言うのは旧弊と看做され「苦境を藻掻きながら進みたくはない」と公言する様になっている、と嘆いている。 

 中心部では、歌は平凡さを論評することへ変わっている。偉大さへ向けて懸命に努力することをしないことへの論評だ。 

 モールディンは言う、「現代は誰もが何らかの賞讃を得ると言う世界なのです。二三度の強烈な批判があっても傷つくことはないと思います。それは、偉業を成し遂げるのに向けて、人を鍛え上げるのです。」 

 もしも音楽に合いさえすれば、歌詞にもっと多くの人たちを入れることが出来ただろうと、明かしている。 

 「私は多分もう百の名前を挙げることも出来たでしょう。ですが、それは韻律に合わないのです。例えば、デヴィッド・リーン David Lean も入れたかったのです。でも、それもぴったりと来ませんでした。」 

 「聴かれた方は、第2ヴァースにアメリカ人、第1ヴァースにはイギリス人が挙げられているのに気が付くでしょう。[ 第1ヴァース: チャーチル、ヒッチコック。第2ヴァース: スピルバーグ、ガーシュイン。 ] 」と言って、モールディングは笑う。「バランスを取った方がいいだろうと考えたのです。と言うのはつまり、私でさえ、書いている時には商業的な配慮があると言うことですね。」 

 インタビュアーである私は、モールディング氏に現在の音楽シーンで活躍する[ 若い ]人の中で彼が讃辞を贈るのは誰かと尋ねる機会を得ることが出来たのだが、彼は、一時、言葉を失った。 

 「先日、やはりこのことについて私に尋ねた方がありました。ですが、私が本当に強い印象を受けたと言えるレコードは一枚もないのです。」 また、彼は次の様に説明する。「何か良いものがあるとすれば、それは、音楽産業の周辺部にあるのが常ですよ。」 

 暫く黙った後、モールディングは、[ 彼自身が参加している ] 2016年のアリソン・セコンズ Allyson Seconds のアルバム『 Little World 』を挙げた後、1988年のラーズ The La's のアルバムを思い付く。 
[ Allyson Seconds − Little World : https://www.youtube.com/watch?v=-6CAJPx30FQ ]

 また一方で、モールディングは、エド・シーラン Ed Sheeran やアデル Adele の様なヒットチャートの常連たちには関心を持っていない。 

 「この歌は、全体的に、そんなに真剣に受け取るものはありませんよ。縁者のことをビールで酔いながらみっともなく泣いて偲んでいるというものです。私の嗜好から言えば、不安( キルケゴール用語の ) と悲嘆がこの歌には多過ぎます。私は、楽観が好きなのです。それが死についての歌であっても、楽観を入れた方が好きですね。」 

 「 Scatter me 」が私たちを首尾よく連れて行く所は他でもない、彼が直面している彼自身の限られた命なのだ。 
 ( ビデオを参照のこと: https://www.youtube.com/watch?v=Zkh_0ejs12Y ) 

 モールディングは、この歌はウォンテージとスウィンドンの間の草丘を歩いていて思い付いたのだと言う。彼は日課の様にその草丘に沿って歩いていると言う。 

 「歩いていて、小さな祠の側を通り過ぎたり、あるいは、地面にめり込んだ小さな十字架の側を通ることがありますよね。直ぐ側には、花や写真が添えられています。すると、ここには誰かの遺灰が撒かれたのだろうな、と思うでしょう。」とモールディングは説明する。 

 「マッギネス・フリント McGuinness Flint の「 When I'm Dead and Gone 」と言う歌もありますよね、その歌詞には、「 you want to leave some happy woman living on 」とあります。[ When I'm Dead and Gone - Wikipedia ] 昔、私はそれが素晴らしい感情だと思っていました、その感情が私に留まっていたのです。それが、最終的に私の歌の一つになったとしても、驚くことはありません。」  
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2018年03月21日

There's a Lesson to Be Learnt 7 Colin and Terry Today

There's a Lesson to Be Learnt 1 XTC: On th road and in the studio: ノエルかえる不恵留
There's a Lesson to Be Learnt 2 Making Plans for Nigel: ノエルかえる不恵留
There's a Lesson to Be Learnt 3 Songwriting: ノエルかえる不恵留
There's a Lesson to Be Learnt 4 Bass and Drums: ノエルかえる不恵留
There's a Lesson to Be Learnt 5 Dave Gregory: ノエルかえる不恵留
There's a Lesson to Be Learnt 6 Keeping Time: ノエルかえる不恵留


コリンとテリーの今日 
さて、お二人は35年間を早送りしてお浚いされたのですか? デュークスのことや自然発生的な事柄についてお互いに話し合われて「レッスン」されたのでしょうか?
コリン「そうです! あの頃に戻ろうとしている所なのですよ。おさらいしました。」 
テリー「コリンはね。私はまだレッスンの最中ですよ。と言うのは、長い間何もしていませんでしたからね。今は、「あの頃、自分はどうやっていたんだ?」とのべつに思っています。私の息子はドラムを演奏していますし、家にドラム・キットを置いています。日課の様にそのキットを弄ってはいました。でも、真面目に取り組んでいたのではありません。コリンがこの企画のことを言って来るまでは、またドラムを始めようとはしていませんでした。結婚式があるから帰国して来たのです。弟の長女が結婚したのです。そこで、幼馴染みに会ったのです。コリンとは16年間会っていませんでした。」 
コリン「私たちは二度程出掛けました。一緒にへべれけに酔って、大笑いをしましたよ。すると彼が「僕の私生活は混乱の最中だ、帰国した方が良いんじゃないかな、」と言うのです。それで、私が「僕はちょうど企画を思い付いたところなんだけど、ドラムのシートに座ったりしない?」と言ったのです。私の名前でEPを作ろうとしていたのです。でも、一人だけですると言うのは、心を壊しかねないのですからね。」 
テリー「彼は、私が他の誰よりも安い報酬で働くと分かってますからね。」 
コリン「まあ、それで、私の企画は私たちの企画になったのです。テリーは、エンジニアリングで困った時に助けてくれるのです。私たちはエンジニアではないのですけれどね。アンディは、私が彼が関係した中で最悪のエンジニアだとコメントしたことがあります。「彼はアコースティック・ギターをエレクトリック・ギターに、エレクトリック・ギターをアコースティック・ギターの様にする」と言ったのです。私は「それなら、ちゃんとやろう。」と言いましたよ。音が私の耳に良い様に聴かれる限り、それで良いのです、それが音楽産業的に如何なのかと言うことは関係無いのです。」 

貴方はEPのために四曲を書かれたのですね。XTC 以来、歌を書かれていたのですか? 
コリン「本当に書いていませんでした。バンドは2006年頃終わりました、アンディと私がちょっとした言争いをした結果です。30年以上、人生の主要な部分だったわけですから、「それじゃあ、これからどうなる?」と言う局面だったのです。二年間は、テレビを見てました。ちょっとした歌、ちょっとしたアイデアが頭に浮かんだりもしました。それから、アメリカの人、ビリー・シャーウッド Billy Sherwood さんからの依頼を受けました。イエスで演奏している人です。クリス・スクワイアさんが亡くなってからは、彼がベースの担当を引き継いだのです。卓抜した歌手でロサンゼルスではコマーシャル・ソング等も歌っていました。素晴らしいミュージシャンです。その彼が電話をくれて、参加しないかと誘ったのです。大体が、プログ・ロックの曲でした。それで、定期的に、彼のセッションに参加して、あれやこれやを歌ったり、ちょっとだけベースを弾いたりしました。かなりの間、彼の企画に付き合っていました。ちょうどこのキッチンでビデオを撮ったりもしたのです。そうしている間にも、歌の断片が頭に浮かんだりしたものです。そこで、私は「何かすべきでは?」と思ったのです。その時に、テリーが遣って来たのです。「願ったり叶ったり」でした。私たちは、まるでカップルの様なのです。」 
テリー「私たちは、リチャード・バートンとエリザベス・テイラーの様なのですよ。再婚したのです。これは、二人の男の作戦行動なのです。私がドラムを演奏して、コリンがベースとキーボードを弾いているのです。加えられたのは、一人の男が来てサックスをちょっと吹いただけですよ。」 

貴方たちは、この作品を XTC からの流れを引き継いでいるものと考えていますか?
コリン「私たちは、自分たちの企画を TC&I と呼ぶことに決めました。X は取り除いたのです。アンディは「何の為にテリーと戻って来るんだ? 懐古趣味になるだけだろう。前へ行くべきだ。」と言っていました。でも、私はそのようには思いません。これを聴いて頂ければ、別の局面に行っているのは明らかだと思って下さるでしょう。これは、『 Apple Venus 』の続きでしょうか? いいえ、全く違います。テリーが参加しているのですから、『 Apple Venus 』の流れには行くことはないのです。」 

テーマについては如何でしょう? 貴方の音楽全体を通して、普通であること、簡素な生活と言うテーマがあるのですが、世俗的な生活を言祝ぐと言うことですね。
テリー「彼はやっぱりそうしてますね。」 
コリン「「 Kenny 」と言う曲があります。地方のサッカー選手についての歌です。でも、それは、競技場で鍛え上げられて行くと言う比喩でもあるのです。「ケニー」から階級を通り抜けて行く様な気質は多分受け取らないでしょうね、人はごく限られた場所で成長してくものですから。それから、反復的なギターのリフがありますが、あれは、イングランドの風景の中を通り抜けて行く列車に似せているのです。「ケニー」の他には、「 Greatness ( The Aspiration Song ) 」があります。私はこれがEPの主眼だと思っています。「 Hope Is My Finest Virtue 」[ この様に題名を示す際の大文字が使ってあるのだけれど、そう言う題の歌等があるかどうかは分からない。格言のつもりか? 希望が私の最善の美徳だ。 ] それから、「 Comrades of Pop 」。これは音楽と音楽産業に宛てた詩の様なものです。風刺なのですけれどね。私が苦々しい思いを募らせていると、聴いた皆さんが思わないことを願っています。とても風変わりな四曲の組み合わせです。そうですね、製作に使ったお金が戻って来れば、それで満足です。レコード会社の配給はないのですから、シングルとか何かを作らなければならないと言う様なプレッシャーもないのです。可愛らしい変わり種ではないか知ら。」
テリー「EPは私たち二人にはが取り掛かるにはちょうど良いサイズなのですよ。アルバムだと、二年は掛かるでしょうね。」 
コリン「61歳ですからね。自分たちに後何年あるのか分からないしね。」  

2017年2月22日、スウィンドンにて   



 『 XTC Bumper Book of Fun 』に掲載された、コリン・モールディングとテリー・チェンバースのインタビュー、おわり。 
  誤訳、疑問点を指摘して下さると幸せます。 
posted by ノエルかえる at 13:13| Comment(0) | Great Aspirations | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月16日

There's a Lesson to Be Learnt 6 Keeping Time

There's a Lesson to Be Learnt 5 Dave Gregory: ノエルかえる不恵留 





キーピング・タイム 
ステージでは、XTC は信じられない程のエネルギーがあったのですが、貴方たちは何ガロンもの汗をかいたことでしょうね。 
テリー「何ガロンのビール! ええ、私たちはステージの最後には完全に疲れ切っていました。アンディはいつもまるっきり無形物の様にぐんなりとなっていましたよ。ステージでは常に大奮闘していましたからね。」 
コリン「壇上にいるテリーを見ると、観客はその肉体性に感銘を受けていました。殆どの曲は肉体的でしたし、見ることは聴くことと同様に良いものでしたからね。」 
テリー「肉体は、私たちが行ったギグの時間の総量の分発達しましたよ。1時間の試合時間と10分の休憩で能う限りのことをするのです。何よりも、音楽的能力の欠如をそれで補うのです! 聴衆をエネルギーで圧倒するのです!」 

デイブは貴方たちをこの上ないタイム・キーパーだと言っていました。 
テリー「アドレナリンが出ますからね、難しいのですよ。演奏を続けると、心臓が自分でも信じられないくらいに脈打つのです。上がったことは一度もないです。ただ興奮するのです。観客が30人であろうが3,000人であろうが気にはなりませんでした。」 
コリン「スタジオで、赤ランプが点ってマイクロフォンの下にいるときは、ずっと悪かったよね。」 
テリー「そうだね。ライブでの環境の方が僕にはずっと心地好かったね。スタジオでは、私は、「僕の責任だ、僕ひとりに懸かっているんだ」と思っていました。正に孤立と言うもの! 強く縛りつけられる思いでした。それに対して、ライブで演奏する場合、三分しかないことは分かっているのですし、ひとたび為終えて手をはたいたならば、元に戻ることはないし、分析してみると言うことも大抵はしないのです。スタジオでは、「今度のテイクはさっきのテイクよりもずっと上手くしなければならない」と思うものでしょう。私は、大抵、九時間はスタジオ内に居たものです、でも、一度も、より良いテイクを録ることはありませんでした。当時、私たちがしていた遣り方と言えば、四回のテイクしか録りませんでした、その中の最善のものをレコードに残したのです。今日に於いても、それよりも良いテイクを録ることは出来ないでしょう。」   


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2018年03月13日

There's a Lesson to Be Learnt 5 Dave Gregory

There's a Lesson to Be Learnt 4 Bass and Drums: ノエルかえる不恵留  


デイブ・グレゴリー 
テリー「私たちは、それぞれが自分が受けた影響をバンドに持ち込みました、それはあらゆる種類のものでした。それが、私たちのバンドがどういうものかと言うことを作り上げたのです。例えばデイブですが、彼はスティーリー・ダン・タイプのバンドがとても好きなのです。」 
コリン「デイブは、XTC の中で、他のミュージシャンからの影響を測る水準器だったのです。」 
テリー「彼は、XTC の中のただ一人のミュージシャンでした。彼はよく「そう弾いては駄目だ!」と言っていました。彼は XTC の音楽を具体化させることを始めたのです。パートリッジは、グレゴリーに対してミュージシャンとしての大きな尊敬の念を抱いていました。パートリッジは、いつも、難しいパートをグレゴリーに任せていました。」 
コリン「バリーとアンディは、二人共が、ケーキの表面に掛ける糖衣を自分が振ろうとしていましたよ。私は、「ええ、それじゃあ、誰がコードを弾くんだよ?」「君たち二人の中のどちらかがコードを弾かないでどうするんだ!」と思っていました。二人はいつだって、自分がさっと頂上を取ろうとしてましたね。」 
テリー「僕と一緒に君が、コードを叩いて表そうとしていたね!」 
コリン「デイブがバンドに齎したものはそれなのです。アンディにコードを弾かせようとするのは無理なことでしたからね。アンディはコードを覚えようとする気がまるでなかったですから。それで、「グレグジー、コードを弾ける?」と言うことになったのです。デイブは進んで協力してくれました。つまり、彼は私たちの救世主だったのです。「 Making Plans for Nigel 」では、彼がコードを弾いています。彼だけがそれを出来る人物なのです。それは、別の面が用意されたと言うことだったのです。」 
テリー「彼がものごとを一つにまとめたのです、それがデイブなのです。これ以降のアルバムがその事の明らかな証左です。素晴らしい閃きを行き当たりばったりに選択すると言うことの反対に、体系立てられた音楽家気質があることが貴方にも了解出来るでしょう。」 
コリン「デイブは他の人が考えた曲想を聴衆に届ける優れた通訳者の様な人なのです。どうしても必要だったのはそれだったのです。私とアンディの二人の書き手が完全な援助者を得た、と言うことだったのです。当時は、何人もの主任がいて、何か新しいものを創り出そうとしていたのです。」 
テリー「アンディは、あのアコースティック・ギターを弾こうとしていたのですが、あのギターではただの間に合わせにしかなりませんでした。そこでグレグジーが「それは駄目だ!」と言ったのです。彼は何がしかの金を持ってロンドンへ行って、マーティンのギターを買って来ました。戻って来て、「さあ、これを弾け!」と言ったのです。パートリッジは、それ以降、そう言った酷い音質の物での録音はしなくなりました。」 
コリン「デイブは、今では、大変なギター蒐集家ですけれど、当時でも、幾つかはもう持っていました。」 
テリー「彼は自分のお金の全部をギターに使っていました。食事もアルコールも何もしないのです。お金が続く限りギターを買うのです。ギターに狂奔しているのです、他の事には何も関心がないのです。」 
コリン「デイブは、完璧なサイドマンです。彼は何の楽器でも出来るのです、ライターのお好みのままに出来るのです。偉大な才能の持ち主です。あるコードを弾くと彼はこう言うのです、「そうだよ、それで良い、コリン、とても好いコードだ、でも、最後にこのコードを置いたら如何だい?」。このように、助けても呉れるのです。」 
テリー「君が何かを思い付くと、グレグジーが添削してたんだよね。」 
コリン「時にはこうも言ったよね。「いや、僕は意図してこの音を置いたんだ。君が弾きたくはない音だろうけれどね。でもね、僕の中をぐるぐる回っている歌全体はこの音を入れていると思うんだ。」 彼は優れた通訳でした、それに私たち四人の間をとても上手く配合していたのが彼です、たぶん、二人の突飛な所のある人間がそれぞれ違う方向へ行こうとしているその力関係で調整されているよりも、もっと良い調整を彼はしていたのです。」 
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2018年03月12日

The Whitsun Weddings

 An Ideal For Living というブログに掲載されたコリン・モールディングの『 Great Aspirations 』についてのインタビューで、「 Kenny 」について、フィリップ・ラーキンの詩「 The Whitsun Weddings 」にインスパイアヤーされた、と言っているのが興味を惹くので備忘。 

MAKING PLANS - XTC's Colin Moulding And Terry Chambers Ponder Live Shows After DIY 4-Track EP - An Ideal For Living  

その部分は、 
「 There’s a line in there about somebody coming up to bowl. You see the playing field from the train and that’s kind of what prompted it. I got this guitar riff that sounds very much like the motion of a train and then one thing led to another – a chain of thought. 」 
誰かがクリケットをしに走ってくると言う行があるのです。列車から競技場を見るわけですけれど、それが連想の仕方になっているのです。私は、列車の動きの様なギターのリフを考えつきました。それが一つの連想を生んでそれがまた次の連想を生むのです。思考の鎖なのです。 


 ラーキンのThe Whitsun Weddings のその行は、第七連にある: 
Just long enough to settle hats and say

I nearly died,

A dozen marriages got under way.

They watched the landscape, sitting side by side

- An Odeon went past, a cooling tower,

And someone running up to bowl - and none

Thought of the others they would never meet

Or how their lives would all contain this hour.

I thought of London spread out in the sun,

Its postal districts packed like squares of wheat:
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2018年03月07日

There's a Lesson to Be Learnt 4 Bass and Drums

There's a Lesson to Be Learnt 3 Songwriting: ノエルかえる不恵留

ベースとドラムズ 
テリー「ファースト・アルバムのレッド・ツェッペリンとは違って、私たちが第一戦略で桁外れの成功を収めると言うことはまるでありませんでしたから、「よし、次回作はこれよりも良いものを創らなければならない、と言うことだ。」と言うことになったのです。議論の余地も無く、セカンド・アルバムは、ファースト・アルバムよりも良いと言うことは無かったのですけれど、サード・アルバムに於いては、メンバーの交替もあった分けですけれど、コリンとアンディは自分たちが歌を書く方法をより良く身に付けたと言うだけでなく、歌をどうレコーディングするかと言うことも分かって来たのです。最初の二枚のアルバムは、製作の方法・方向性に苦しんでいました。そうして変化の時が来たのです。最初の二枚のアルバムでは私たちはジョン・レッキーを使ったのですけれど、勿論、彼が音像をより大きくより良くしてくれたことは確かなのですが、あの当時の私たちは全員が未熟だったことは明らかです。常々、あの最初の二枚のアルバムでのドラムの音は少々不出来だと感じていました、と言って、誰に言えば良かったのでしょう? 内心では、「もっと活力のある音に出来たら良いのに」と思っていたのです。スティーブ・リリーホワイトを雇った理由の一つに私が覚えていることがあるのですが、それは、「このウルトラボックスのアルバムは僕にはとても良く聴こえるよ。このアルバムには活力がある、リリーホワイトがそれをやったんだよ。」と私が言ったことなのです。」 
コリン「あれが、ピーター・ゲイブリエル / フィル・コリンズのストーン・ルーム・サウンドの始まりだったんだよね。僕たちと一緒に、タウンハウス・スタジオのスタジオ・トゥーで始まったんだ。」 
テリー「あれがすべてを蘇生させたのです。それ以前の、最初の二枚のアルバムを録音した時には、「ドラムズを反響させない様にしないといけない、音を抑える為にマットレスを回りに敷詰めないといけない。」と言うのが常でした。私たちがアルバムのタイトルについて熟考し、『 Drums and Wires 』と言う題を検討している時に、アル・クラークが訪問して来て、『 Let There Be Drums 』と言ったのです。その方が更に良かったでしょう!」 

貴方たちお二人が、XTC の中で特別の関係をお持ちだったのは、ベースとドラムズだからなのですか?
コリン「テリーのこの右足と私のベースのボールには何かがあるのですね、それが十分に堅固なものを作り出すのですよ。テリーがバンドを脱退した後、私は何人かの他のドラマーと演奏しました、これはテリーも同意してくれると思うのですが、そのドラマーのほとんどは、技術的にはテリーよりも上で…、」 
テリー「間違いない。」 
コリン「けれど、同じ町で生まれて、それもお互いに一マイルの距離の家でその上に一月しか違っていないのだから、何かがあるのです。エヴァリー・ブラザーズのハーモニーが完璧なのに似ているのでしょうか。[ The Everly Brothers - Wikipedia ]」
テリー「私たち二人の父親はどちらもアーケルズのビールを呑んでいましたよ。[ Arkell's Brewery - Wikipedia ] 私の父はその醸造所の株を持っていたと思います。」 
コリン「その分を呑んだのかい? 僕の父も株を持っていたと思うよ!」 
テリー「私たちは四十五年間の間知り合いだったのだし、若い自分には、一緒に演奏の腕を上げて来たのです。私たちは、知り合う以前に、それぞれが一人前の演奏家だったのではありませんから。一緒に成長して、より高い段階のものを理解し、それを上手く使える様に一緒に頑張ったのです。」 
コリン「ベースとドラムの結合には堅固なものがあるのです。深みのある彼の右足が作り出すものには何かがあるのです。他のドラマーの足では、ちょっと足りないのです。」 

他のバンドについてはどうでしょう、XTC の後のバンドですが、例えば Dragon とか?
テリー「あれは、まあ、雇われ仕事ですよ。私は仕事をしなければならなかったのですから、傭兵ですね。特に難しい曲はありませんでした。ほとんどが、フロアドラムの四拍でしたから、彼らが受け容れる様なものを考え出すのに、曲芸的な技をしなければならないと言うことはありませんでした。最後まで、自分が他所者だと感じていました。」 

お話し下さったお二人の関係と言うことではなくて、創作への意欲と言う点で、XTC に何か特別のことがありましたか?  
コリン「私たちは全員が、何か違うことをしようと言う「虫」がお腹にいたのですね。そういう気質だったのです。何か違うことをして、しかもそれでチャートに入れたとしたら、素晴らしかったでしょう?」  

「 English Roundabout 」は、変わった拍子記号ですね。 
コリン「ええ、四分の五拍子です。意識的にしたのではないのです。次々に突進してくる自動車ですよ。つんのめる様な、ちゃんと割り切れることのないビートが、急き立てられる動きと言う印象を与えるだろうと、私は考えたのです。それは、四分の四拍子では得られないでしょう。本能的にそうしたのです。進んで、ジェスロ・タルの様にしようとした分けではありません。」 

テリー、貴方は変わった拍子や不自然なリズム・パターンに戸惑いませんでしたか? 
コリン「彼は、その前に「 Neon Shuffle 」を叩いていました。「 Neon Shuffle 」が出来れば、何でも出来ますよ。あれは、とても入り乱れてます。アンディは、普通でないことをひどく好んでいました。」 
テリー「それに、当時はラモーンズの影響が少なからずあったのです。彼らは、時速100マイル[ キロメーロル/時速にすれば約160キロ。 ]で演奏していました。スピードと言うのは、当時の課題の中でも最上位のものでした。」 
コリン「ラモーンズがスウィンドンに来た時、アンディはステージに上がって、ジョーイの前で踊っていましたよ。とても大きな影響があったのです。そうですね、ニューヨーク・ドールズと一緒ですね。私たちは、当時、何か違うことをすると言う傾向が強かったのです。なんとか多勢の中から抜け出そうとしている時、認められる唯一の方法がそれなのです。」 
[ ラモーンズがスウィンドンでライブを行ったのは、1977年5月31日。Brunel Rooms で。この日は、ラモーンズ単独ではなくて、トーキング・ヘッズも一緒。XTC は、ウォーム・アップを担当。たぶん、前座と言うことではないと思う。トーキング・ヘッズのメンバーとも初対面ではなかったのかと思う。 ] 
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2018年02月28日

There's a Lesson to Be Learnt 3 Songwriting

There's a Lesson to Be Learnt 2 Making Plans for Nigel: ノエルかえる不恵留 





ソング・ライディング 
貴方はベース・プレイヤーとしては知られているのですけれど、貴方が他の楽器を演奏するのかどうかは承知していないのです。 
コリン「ギターを弾いたこともあるし、ピアノを弾いたこともあります。けれども、私は、ギター奏者ではないし、ピアノ奏者でもないのです。目的に達する為の手段として弾くのです。リフは出来ますよ、でも、即興を弾く様に等と言わないで下さい。ピアノをちゃんとは弾けないのです。繰り返しの音型は出来るのです。それで、あるパターンから別のパターンへ移行することも出来ます。歌に適う音型を何とか手にするのです。」 

ベースで曲を書いたことがあるのですか? 
コリン「ええ、あります。「 Dance Band 」はベース・リフです。あの歌のメロディは、一つきりです。あの曲を作った経験を通して、自分が欲しいメロディを得る為には、和声の構造を知っていなければならないと言うことが明らかになったのです。」 

XTC への貴方が成した貢献の大きなものはメロディです。それは、貴方の生来のものなのでしょうか? 
コリン「最初の二枚のアルバムの後、アンディは自分の道を見失っていました。私的生活では、結婚しようとしていましたし。重要事から注意を逸らしてしまっていたのだと、私は思いますよ。「人来たりなば、時来たらん!」 [ ここの部分、原文は、Cometh the man, cometh the moment!。Cometh the hour, cometh the man の言い換えか? ] バリーが去った時、私の中で何かの引き金が引かれたのだと思います。どう言う分けだかは分かりませんけれど、私は自分自身になれたのです。」 
テリー「コリンとアンディーの作品は、お互いに称賛し合っている様でした。コリンはそうした領域で書いていたのです。バリーの書く歌は、その領域より少し外れたところにあった様に思えました。」 
コリン「今思うのですが、バリーは私よりも自分に正直だったのでしょう。私は、アンディとの関係に合う様に書いていました。私は、その領域内の私の持ち分の端から歌を書けば良かったと思います。バリーの離脱は、そうすることへの認可状の様なものになったのです。そうすると、「おや、これは少し違うぞ、ずっとメロディックだ。」と言うことが起こって来たのです。その位置に、私のテントが張られることになったのです。」 
テリー「初期の頃の歌は、例えば、ファースト・アルバムの「 Cross Wires 」だけれど、当時の音楽の流行に直結しているのです。速くてパンキッシュでした。でも、その手の音楽でなければ、君はギグをしようとしなかっただろう。」 
コリン「私たちはステージを35分でする様にしてましたからね。「これは終わった、さあ、本当の仕事をしよう!」と言ってね。( 呑む真似をする。 ) アンディにとっては、バリーの脱退が計り知れない程の安堵だったのは確かです。バリーはまったく別のタイプのソングライターだったのです。しかも、彼の書く物は、アンディのソングライティングを強く脅かすものだったのです。皮肉なのは、次に私が書いたものは、バリーがそれまで書いたものよりも、もっと脅かす様なものになったと言うことです。」 

『 Drums and Wires 』では、ただバリーがいなくなりデイブがいる様になったと言うだけではなく、歌の本質が変わってしまった、と私は常々考えて来たのですが。 
コリン「バリーの離脱が私自身であることへの認可状の様なものだったことは、明らかです。「この奇抜な歌は、本当の僕ではない。どうして、これが自分だと言うものを書き始めないんだ?」と思い始めたのです。XTC サウンドの大部分がドアを出て行ってしまったので、バンドはもう霧散してしまうだろうと、私は考えていたのです。」 
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2018年02月23日

There's a Lesson to Be Learnt 2 Making Plans for Nigel

There's a Lesson to Be Learnt 1 XTC: On th road and in the studio: ノエルかえる不恵留

メイキング・プランツ・フォー・ナイジェル 
貴方たちは、他のグループ・バンドと競い合ったのですか? 
コリン「そうですね、今思えばですが、私たちは注目される時を逃してしまったと考えていたのです、と言うのは、ザ・ストラングラーズ The Stranglers [ The Stranglers - Wikipedia ] がいましたし、ザ・ジャム The Jam が『 Top of the Pops 』に定期的に出演していましたから。」 
テリー「レコード会社は、「これにはシングル曲がない。」といつも言っていましたよ。レコード会社が積極的だったのは、全くシングルだけだったのです。私たちは自身をシングル・バンドだと意識的に考えたことは一度もなかったのです。シングルは、アルバムからの使者であり、アルバムに必要な部分の一つだったのです。」 
コリン「「 Nigel 」が出来た時には、「神様、ありがとう」と私たちは思いましたよ。レコード会社は、確かにそう思っていました。何度も言ってましたよ、「諸君、もう二枚のアルバムを頼むよ。我々は成功を収めるだろう。」と。」  

「 Making Plans for Nigel 」は首にぶら下がった重荷だと考えたことが一度でもありますか?
コリン「あれは、私に家を一軒買って呉れましたよ。何が言えるでしょうか? 一般の人たちの間にヒットして嬉しいと言うだけです、貴方には物足りない答えかも知れませんね。その時に戻るのは難しいです。「僕はもうヒットを出した、これ以上を期待しないで!」と言うことだったか知ら。毎週出れば良いですよね、でもそれでは、テレビ番組の『 $64,000 Question 』ですよ[ The $64,000 Question - Wikipedia ]。どうやればヒットを出せるか? 何が大衆に受けるのかは、誰にも分かりません。寝室に入って、「よし、僕は誰でもが好きになる様なヒット曲を書くぞ」と自分に言い聞かせたとしても、上手くいくことは決してないでしょうね。」 

実際、この曲を成功させているのはある奇妙さです。ドラムズは型破りですし、歌われている情感は、「 I love you 」ではないのです、誰も思ってもいなかったテーマです。
コリン「それ以後のことも考えてみて下さい、あの地点に行けそうには一度もなりませんでしたよ。あれは、事故だったのです。」 
テリー「「 Senses Working Overtime 」はそれと似ていましたね。私には、あの曲がシングルに相応しいとは思えませんでした。会社がシングルで出そうとしていると言った時には、私は「呆れた! 幸運あれ。」と思いました。私はあの歌が大好きでした、でも、シングルになるとは思えなかったのです。」 
コリン「私は、「プログ・ロックだ、プログ的な要素が全部ある。」と思いましたね。」 
テリー「アンディはアコースティック・ギターを持って現れたのだったよね。私は、「アコースティック・ギターって、僕たちはスティ―ラーズ・ホイール Stealers Wheel [ Stealers Wheel - Wikipedia ] の時代に戻るって言うことか?」と思ったんだよ。それでも、「ナイジェル」と同様に、『 Top of the Pops 』に出演させてくれたね。」 
コリン「それに、開始部分に中世風ドラム。聴衆には「ワン、トゥ、スリー、フォー、ファイブ」が受けたんだよね。それで、他の部分にも聴き進むことになるんだ、あのドラムは人々をちょっとした旅に連れて行ったんだよね。君こそが人々を誘ったとすれば、素晴らしいことじゃない。」 
テリー「ポップスの世界にですと、ホーランド=ドジャー=ホーランド Holland–Dozier–Holland が居ます[ モータウンのソングライティング・プロデュース・チーム Holland–Dozier–Holland - Wikipedia ]。人々を惹き付ける曲をトラックで出荷出来ると言う単位で大量生産していたのです。彼らは、魔法のフォーミュラに乗り込んでいたのです。彼らが触れるものは、全てが金に変わりました。」 
コリン「でも、ブリル・ビルディング Brill Building [ ニューヨークにあるビルディング。音楽出版社が多く入っていた。1950年代から60年代が最盛期だった。 Brill Building - Wikipedia ] の人たちが書いたものは、誰でもがカバー出来たのです。それとは反対に、「 Nigel 」はとても風変わりでした。それをカバーする誰かを思い浮かべることは出来ないでしょう。ロビー・ウィリアムズ [ テイク・ザットの元メンバー。Robbie Williams - Wikipedia  テイク・ザット脱退後の1997年のシングル。] が挑戦したのですけれど、ドラムスがあの奏法ですから、彼らは正しいドラムスが出来なかったのです。 」 
テリー「私はブロンディーと一緒にツアーしたときのことを覚えています。クレム・バークが「 Nigel 」のリズムを演奏しようと試みていました。彼は、全部を滅茶苦茶にしてました。」 

ドラム・パターンについて話して下さい。 
コリン「私が考えついたのは、ビートではなくて、アクセント[ 強勢 ] です。コードとメロディーと歌詞は出来ていたのです。それをバンドに持ち込みました。いつも、私は全部をダウン・ストロークで弾いていました。アコースティック・ギターで、私が出来るのはそれだけですから。皆んなが、「そのアクセントは採用しよう、それを使ってどう出来るか考えてみよう。」と言いました。アンディは、ディーヴォがやった「 (I Can't Get No) Satisfaction [ (I Can't Get No) Satisfaction - Wikipedia ] 」が好きでしたから、リズムを保持しながら複雑に入り組んだ様なものを思い起こさせる事は出来ないだろうかと考えていたのでした。それには、どんなドラムズを入れるべきか、そして、どのような間を置くべきか? 私たちは、ハイハットで開始することにしたのです。」 
テリー「通常では、ドラマーは、歌が進んでいる間、テンポを保つだけです。そこで打つべきだと感じる所で、自動的にハイハットなりスネアなりバス・ドラムなりを打つのですね。今なら、私はこう言うでしょう。「ちょっと待って、ハイハットで四拍を打つのでなくて、八拍か十六拍打ってみようか。」 これだと、終りが少し高すぎるかも知れないよ、ここで下げてみたらどうだろう? 君は、この歌をもっと良くしようと推敲を始めると良いよ。」 
コリン「私たちのリハーサルは、バトン・リレーの様なものでした。一人があるアイデアを思い付いて、他の者が、「いいね、でも、こうしたらどう?」と言うのです。そうしたら、また他の者がバトンをもっと遠くへ持って行くのです。アンディは、常々、「 Making Plans for Nigel 」のビートは彼が思い付いたものだと言っていますけれど、それは正確ではないと私は思いますね。リハーサルはバトン・リレーで、何のアイデアも他の誰かが不意に行った言葉に取り替えられるのです。アンディはよくこう言っていました、「トムで何か出来ない?」、するとテリーが「これならどう?」と答えていたのです。」 
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2018年02月19日

There's a Lesson to Be Learnt 1 XTC: On th road and in the studio

 ファン・マガジン『 Bumper Book of Fun 』に掲載された TC&I のインタビュー。2017年2月22日に行われたもの。 



XTC : オンザロード、インザスタジオ 
テリー「私とコリンは、エドガー・ブロートン・バンド Edgar Broughton Band [ Edgar Broughton Band - Wikipedia ] とホークウインド The Hawkwinds [ Hawkwind - Wikipedia ] 、ピンク・フェアリーズ Pink Fairies [ https://en.wikipedia.org/wiki/Pink_Fairies ] の跡を追っかけていたんだ。彼らは、あらゆる大学、何所の大学でも流されてる様だった。僕は、「素晴らしい! ファンタスティックだ。」と思っていたね。あれこそが、僕がそう生きたいと願っていた人生の姿だったんだ。ただ演奏する、それが幸せと言うものなんだ。」 
コリン「ウェールズの谷のことをはっきり言わなきゃ。」 
テリー「ああ、そうだね。あれは、キースリーか何所かだったね、そう覚えているよ、朝の十時半だったね、ぶらりと出掛けたんだったね、「今日はどこに行くんだい?」って言って、ハンダースフィールド Hundersfield だね![ Townships: Hundersfield | British History Online ] あれは、ちょっとした冒険だったよね。」 
コリン「問題はないよ、君は独身だったのだからね、あれは、若者の、そう独身の若者の遊戯だよ。当時、僕はもう婚約してたからね、ああ言う遊戯は僕にはとてもし難いものだったけれどね。キャロルは、何度かツアーに同行したがったのだけど、ダブル・ルームは取れやしなかったから。」 

創作の問題ですが、巡業中に曲を書くことはあったのですか? 
コリン「それはないですね。休みの時間が必要なのですよ。サウンドチェックが、唯一の空いた時間でしたね、正式に書く為の時間を割いてはなかったものですから。「ああ! この三か月の間に書く時間を取らなくちゃ、そうしないと、アルバムに一曲も入れられなくなる!」と言うのが、しょっちゅうでしたよ。そうは言っても、サウンドチェックは増しでしたね、書かなくてはと言うプレッシャーがなかったですからね。それでまあ、私は巡業中には書かなかったですね。することが多過ぎたのです。すべてを止めて、静かな時間がないとね。」 
テリー「私たちは、スタジオでの余った時間があれば、あれこれいろんなことをしていましたよ。アンディは、どんな時間も無駄にしない様にしてました。無為に過ごすことは全くなかったのです。よくジャムをしてましたし、それで相当の数の歌が出来たのです。例えば、「 Pulsing Pulsing 」です、アンディが温めていたまだ胚の状態のものからジャムを通して出来上がって行ったのです。余った時間に作られたのです。」 
コリン「「 HomoSafari 」シリーズのほとんどは、テレビ番組『 Top of The Pops 』の収録の時に書かれたのです。音楽家ユニオンは、テレビ出演の際には、曲を再録音して、それに合わせて歌う振りをする様にと定めていたのです。それは、演奏家を失業させない様にと考えられた生半可な決まりだったのです。私たちがそのシナリオに従うのなら、「 Making Plans for Nigel 」や他のヒットした曲を、午後の間に再録音しなければならなかったわけです。「けどね、これを録るのに三週間もかかったんだよ!」となるわけです。私たちは、それをそのまま再現するつもりは全くなかったですよ。」 
テリー「当時、私たちは地方公演中でしたね、例えばそう、君は、マンチェスターでやったんじゃなかったかな。ストロベリー・スタジオであのシャレード[ ジェスチャー・ゲーム ]をしたね、ストロベリー・スタジオは10CC の根城だったけど。[ Strawberry Studios - Wikipedia ] そこに行って、それで、誰かがテープを交換していたと思うよ。」 
コリン「自分を罪人にはしないように、ね、おじさん! 君は、また、音楽家ユニオンの組員になったばかりなんだから。」 
テリー「『 Top of the Pops 』はもうないから、問題ないよ。」 
コリン「そう言うインチキで、オリジナルの様な出来上がりの音になったんだよね。「 Barbados 」で『 Top of the Pops 』に出演した Typically Tropical の事を考えてみてよ、「わあ、彼らは録ったんだ!」って君は思うだろうね。レコードとはまるで違うからね。[ Typically Tropical - Wikipedia ] まあ、でも、XTC のアウトテイクは、たいていそこから流出しているんだよね。私たちは、「 Making Plans for Nigel 」をテレビ用に載録はしなかったのですよ、それで、その空いた時間を活用したのです。」 
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2018年01月16日

Great Aspirations - Wikipedia

 Wikipedia に『 Great Aspirations 』の項目が設けられていたので: 

Great Aspirations - Wikipedia
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2017年12月12日

Scatter Me

 TC&I の「 Scatter Me 」、チョークヒルに、Roberto Luigi Galli さんの聞き取りで、歌詞が掲載されました。

Chalkhills: Reel by Real: TC&I: "Scatter Me" 

 他の歌は、まだ、
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2017年11月29日

TC&I 「 Great Aspirations 」の歌詞

 TC&I のEP「 Great Aspirations 」には歌詞カードが付けられていなかったのが残念だったのだけれど。 

 FANDOM と言うサイトに、聞き取って文字化された歌詞が投稿されている。公式のものでもないし、何方か、あるいは、何人かの方が協力されてなのかも知れないけれど、聞き取ったものなので、正確でもないかも知れない。でも参考にはなるので備忘: 

TC&I:Great Aspirations (2017) | LyricWiki | FANDOM powered by Wikia  


 いずれ、チョークヒルにも、歌詞が掲載されるだろうと、期待しているのだけれど。
posted by ノエルかえる at 20:59| Comment(0) | Great Aspirations | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする